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ビゴーと内浦を描いた絵いろいろ。 [沼津~三の浦]

明治時代日本に長期在住されたフランスの画家、
ジョルジュ・ビゴーは、
今から百三十年程前に、
今の静岡県沼津市の内浦に滞在、
いくつもの
絵画を遺しているが、
その纏めをここで分かっている範囲でしたいと思う。

えうら.jpg
①「富士(沼津江浦)」

awa111.jpg
②「三津(伊豆)寺の境内から望む淡島」

三津.jpg
③「三津風景」

三津2.jpg
④「Un coin de l'île d'Awadjima, Foudgi Yama」
※「淡島の角越しにみる富士山?」



今のところわかっているのはこの四枚で
①は静岡県立美術館に所蔵されている。
②は宇都宮美術館に所蔵。

作品はだいたい1887年あたりに描かれたもので、
今(2017)から130年前のもの。


描かれた場所は、

①は重寺付近の高台付近からみたもの。
(①の淡島のようにみえるのは今は無き大久保山)

②は来迎寺の山門から淡島をみたもの。

③はその参道の階段を降り切った所から氣多神社の方をみたあたり。

④は最初右にみえてる島影が淡島だと思い長浜付近の山道か高台あたりから描いたものと思っていたのですが、富士山がちょっと小さすぎるように見えることと淡島と富士の位置関係からみる陸と淡島の距離感が、長浜だと少し近すぎる気がするので気になってます。

ただ淡島がじつはこの絵の左にあるもののこの絵には描かれてないと考えた場合だと、①よりもう少し北の方で書かれたと考えられ、そうすると比較的しっくりとするものがあります。はたしてどちらなのでしょう。
(④で淡島を「安房島」と書いているのが面白い。かつてはこのように書かれていたのだろうか。)


ところでこれをみて分かるのは、
少なくともビゴーは重寺から三津、
そして長浜を絵を描きながら移動していたこと。

ビゴーが修善寺に宿をとっていたのは、
いくつかの絵からも分かっている。

ビゴーが内浦に宿泊していたかは分からないが、
これだけの絵を遺している事を思うと、
修善寺と内浦を日帰りで往復していたとは考えにくい。

この地域で一番古い旅館の「安田屋」さんは、
明治20年(1887)創業ということなので、
開業したばかりの安田屋さんに宿泊し、
そこをベースにしていろいと絵を書いていたのかも。

絵の描かれた場所も安田屋さんを軸に拡がっていますし。
(ひょっとすると当時の安田屋さんを描いた絵がどこかにあるかも)


あと面白いのはこれら四枚のうち三枚が、
富士山や淡島を描いたものということ。

今の自分の内浦の写真も、
富士山や淡島がかなり占められている。

ビゴーにとってもやはりこの二つは魅力的な被写体だったのだろう。

このあたり、いつかこれら作品が一堂に会しての
「ビゴーの描いた沼津、伊豆」の展覧会をみてみたいものです。



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全日本プロレス遊行寺大会に行く [スポーツ]

【第44回藤沢市民まつり ~遊行寺でプロレスをするぞ!オイッ!!~】

というタイトルのそれに行く。

地元藤沢出身の全日本プロレスの諏訪魔選手による、
藤沢市民まつりの一環として行われた特別興行。

場所は遊行寺境内。
過去にも何度か行われています。

a01.jpg

この本堂より前にある、
茶屋や宝物館の前にある広い場所を使って行われた。

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公式サイトを参考にすると
以下のような進行となっています。


11:30 屋台村開始

第1部  ~発表会~

13:00 市民団体発表会(3団体予定)

第2部  ~プロレス~

14:00

第1試合 青柳優馬 VS 岡田佑介

藤沢警察署 防犯キャンペーン (ゲスト:青柳優馬)

第2試合 諏訪魔&江の島マン VS マッシモ& ダニー・ジョーンズ

サイン、写真撮影会

というもの。


自分はこの第二部から観に行きました。


着いたのは13:40頃。

a03.jpg

昨年は雨で中止、
今年は以前に比べるとやや地味なカードなので、
ちょっと心配しましたがけっこう人が集まっていました。

来賓の方々の挨拶と、
諏訪魔選手からの挨拶ではじまりましたが、
諏訪魔選手は前日の王道トーナメントで優勝したこともあり、
優勝トロフィーをもってのそれとなりました。

そして14時から第一試合。

a06.jpg

前日第一試合の六人タッグで、
直接勝敗にかかわった二人によるシングルマッチ。

岡田選手のけれんみの無いストレートなファイトもよかったですが、
驚いたのは青柳選手の成長ぶり。

試合をうまくコントロールしていたということもそうですが、
デビューしてまだ二年半ちょっとの21歳で、
ずいぶん試合運びが練れたというか旨い運びをするのに感心。

誰に強い影響を受けたかはわかりませんが、
やはり後ろから追ってきた人が出てきたことから、
それが成長のスピードを速めているのかも。

しかし二人とも最初見た時に比べると、
各段に身体ができあがってきている。

あと数年もすると、
この二人も全日本ジュニアの精鋭として、
この団体を支えていくんだろうなあという、
そんな未来がみえてくるような試合でした。

そういえば最後の逆エビ固め。
昔はボストンクラブといわれて、
その理由は決められた相手の足のそれが、
ボストン港名物の蟹のハサミに似ていたのが語源だとか。

じゃあなんでそれが日本で逆「えび」になったかは、
同じ甲殻類とはいえど、
ちょっと自分にもわからない。

しかしシンプルだけど、
きっちり決まると怖い技だとあらたて痛感させられた。

試合後一息つく青柳選手と遊行寺のみなさん。
a04.jpg

遊行寺の八百年前の鐘楼を写したら、
小さく横に試合後の岡田選手が写っていました。
a05.jpg

このあと途中から青柳選手を交えての、
警察署からの振り込め詐欺への注意喚起。
a07.jpg

そしてメインの第二試合。

はじまる前には人がけっこういた本堂前もご覧のとおり。
みなプロレスをみるためそちらに向かわれたようです。

a13.jpg


これもなかなかいい試合だったけど、
諏訪魔選手は昨日の激闘があったにもかかわらず、
フロント・スープレックス、ダブルチョップ、バックドロップと、
見ばえのいい得意技を次々と連発、
そして最後にはラストライド。

これがまた凄いほどきれいに決まって、
その瞬間の衝撃音が本堂近くにまで響いてきた。

あまりの説得力に、
観客からどよめきが上がったほどでした。

他の三選手も見せ場をいろいろつくって、
こちらもまた見応えのある楽しい試合でした。

試合終了後の様子。
a12.jpg

ただとにかくまわりが混んでて、
自分は人混みに弱いので遠景が多くなってしまいました。

申し訳ないです。

この日の試合結果。
z14.jpg

試合終了後の諏訪魔選手、じつにいい笑顔でした。

じつはこのときのまわりのみなさんもいい表情だったのですが、
やはりそのままは拙いのでこういう形になりました。
ちょっと残念です。
a08.jpg

その後本堂前で記念撮影。
a09.jpg

このときやはりベルトが欲しいということ、
かつて学生時代に遊行寺で修行をしたことがあるけど、
とにかく厳しい修行で尻を棒で叩かれたと話されてました。

その頃リングは岡田選手も一緒に撤収作業中。
a10.jpg

因みに屋台のグッズはかなりよく売れたらしく、
目出度くも完売した品目もあったとか。

こうしてこの日の大会は終了。

お疲れ様でした。


かつて自分は全日本プロレスの武道館大会へ、
毎回のようによく通ったけど、
2002年2月を最後にご無沙汰になってしまった。

やはりノアとの分裂は小さくなかったということか。

ただノアも自分は観に行ってないので、
ようするにプロレスそのものに冷めてしまったといえる。


それが十年以上たってまた全日本プロレスをみるようになったのは、
その試合内容がいいというだけでなく、
人数こそ激減したけど、
ひじょうにいいメンバーが揃っていること。
若くていきのいい選手が伸びてきていること、
実力のある中堅ベテラン選手と
いろいろと核になる選手がしっかりいるということがある。

もちろんその中には今日試合をした青柳選手や岡田選手、
そしてこの日の主役だった諏訪魔選手がいる。

新日本やドラゴンゲートほど、
煌びやかじゃないし器用でも順応性があるわけでもないけど、
その愚直な試合はある意味安心してみていられるし、
他団体から来てくれている選手も実力者揃いということで、
かつての号か外国人選手が割拠していた頃の全日と重なるものがあり、
みていてわくわくするものがある。

とはいえ、それでもかつての全日本とは、
やはりその状況はかなり違う。

今はなかなか厳しいかもしれないけど、
これだけの選手が揃い、
いい試合をしているのだから、
あとはこれをどうより知ってもらうか。

そういう意味では今の全日本プロレスは、
アニメ聖地化する前の大洗や沼津みたいなものかもしれません。

地上波放送とかどこかで試しでいいからやってほしいなあ。



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アニメ聖地雑感 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

大洗に行きだして四年半、
沼津も初めて「聖地」として訪ねてから1年程たつ。
ここまででちょっと「聖地」について纏めを書いておきたいと思う。

かなり長く、
しかもとっちらかった内容なので、
飽きたらそこでもう終了していただいてけっこうです。

それでは始めます。


自分は以前「聖地」に対して、
二次元と三次元を繋ぐ鎹という意味で、
「声優」とその立ち位置が酷似していると言った事がある。

その事はいくつかの聖地に通い、
そこでの発信や反応をみていくにつれ、
よりそれらを強く感じられるようになっていった。


また聖地の多くはその作品や土地柄によって、
その取り組み方捉え方がいろいろと違うため、
各地状況がいろいろと多様化しているものの、
訪れる多くのファン側の感覚としては、
アイドル声優に対するそれと同じような、
それこそ聖地をひとつのアイドルとして捉え、
聖地巡礼はアイドルのコンサートに出かけるそれと同じと、
最近そう思えるようになってきた。


訪問者の見る目がそういうものになっていると、
当然聖地そのものにも変化がではじめる。

ビジターの訪問とそういう感覚による行動が起き始めると、
それにより聖地となった現地の人達が、
次第に状況の変化に気づき始める。

当然最初は当惑するだろうが、
次第にその原因が分かり始めると、
それらを活用する…というより、
自分達に何ができるのかという事を探り出す。

そこでビジターとの会話が生まれるが、
これらは最初からそれが目的というより、
お店等では接客における日常のそれによるものなので、
このあたりは会話が好きな人達と長けた人達による、
多くは自然発生的に生じた日常的なものといえるだろう。


こういうときの普段着での接し方がうまくいくと、
それが顧客づくりへとうまく連動、
結果その人達がリピーターとなってくれる。

その後そういうリピーターとの
さらなるそこでの会話の中身などから、
自分たちが何をするべきかをさらに洗い出し、
その過程で自分たちの仕事や街の良さを再発見、
何が「売り」になるかを見極めながら、
そこに磨きをかけ粧いを施す事により、
次第に街本来のある力によって、
自分自身の力で勝手に活性化されていくというのが、
アイドル化した聖地がとるひとつのケースだと思う。


ここで誤解してほしくないのは、
聖地のアイドル化は無理して場違いに着飾ったり、
厚化粧を華美に施すというものを指しているわけではない。

上記したように、
あくまでも自分達本来の売りや魅力を、
ビジターからの情報も吸い上げ最大限に活かし、
そこを磨き上げ発信するという事であって、
無理していろいろと花火をあげろというわけではない。

無理なイベントや場違いなそれは、
ビジターにとって虚飾ととられかねないし、
そうなるとかえってアイドルとしての魅力も低下してしまう。

こういう時のファンのそれはかなりシビアなものがあり、
最も忌み嫌う部分でもある。

ビジターが期待しているものと、
街が行ったイベント等の内容にギャップが出るのは、
極力避けねばならない要素でもあるのです。
(そのためには前述したビジターとの会話とその分析はとても大切なのです。)

なのでこういう事で一度失望してしまうと、
それっきりとなる危険性が高い。
(このあたりも声優に対するファン気質と似ている所がある)

一度失ったビジターを呼び戻すのは至難の業なのです。


また幸いにしてそうならなかったとしても、
無理したり犠牲を強いたりするイベントを続けても、
それらは決して長続きしないし、
また持続的な部分での成果も思うようにはでないだろう。


イベントを企画するならあくまでも無理せず、
自分たちも楽しめる範囲でやらなければ長続きしないし、
リピーターも生まれにくくなってしまう。

そこのところは勘違いしないでほしいし、
今のアイドルの「売り方」をみていれば、
そのあたりはけっこうお分かりいたただけるのではないだろうか。

アイドルがネットで普段の自分の生活や仕事、
そして趣味を頻繁に発信しているのはそういう事が、
ベースとして大事というふうに理解しているからに他ならない。

それらと同じ事なのですから。


自分が訪問した事がある土地で、
「鷲宮」「豊郷」「秩父」「大洗」「沼津」なども、
それらに該当するように感じられた。

もちろんこれには作品内容とそのパワーも関係しているけど、
上記したように現地の対応のしかたによって、
けっこう左右されてしまう部分がある。

上記五つは中でもそれらがある程度うまく機能し、
それによってスーパーアイドル化したように思われる。


特に大洗と沼津は、
いきなり特定の街の名前が前面に出たという事で、
他の多くとは若干内容が異なるが
それでもこれらは順調にアイドル化したわけではなく、
当初は他の聖地同様かなり試行錯誤し、
決してうまくすべてが運んでいるようにはみえなかったが、
今では自分たちの本来の売りとパターンがみえてきたのか、
ひじょうにいい方へいい方へと活況を呈し、
今ではそれに商店や役所も積極的に絡み、
かなり大規模になった事でさらに多くのビジターを呼び込み、
リピーターを増やしながら現在に至っている。

それは普段着姿の売りと、
特別な日を設けてのサービスをからめての、
いろいろな装いを施す事によってビジターを飽きさせない、
そういう地道な「アイドル活動」も含めた努力の賜物だろう、

現在行っている会話や接客、
またいろいろな面での鮮度への意識や、
ネットを中心とした情報発信の数々、
これらも常に多くの人からみられているという裏返しで
みな「アイドル活動」の一環といっていいと思う。


またこれらの聖地は、
聖地としての受け入れ処とそれとは無関係という所が、
ある程度うまく住み分けができているのも特徴で、
それがまた「アイドル」という処を、
明確に浮き上がらせているのかもしれない。

また大洗と沼津は、
等身大パネルとラッピング車輛を積極的に展開している。

A012.jpg

前者は大量の等身大パネル、
後者はラッピングバスやタクシーが、
街の多くの場所で活躍しており、
これが街のアイドル聖地化というだけでなく、
本来アニメのキャラである作品のキャラが、
あたかも地元に根付いた新手のゆるキャラのような、
それこそロコドルみたいな感じで、
地元に認識されるという事も生じている。

沼津で当のラッピングバスに乗った時、
そのバスをみる人達のリアクションや、
バスに乗って来た人達のそれをみると、
よりそれが強く感じられたものでした。


だがそれらはすべての人達に、
決して好意的に受け入れられてるわけではない。


街が聖地になった事で「アイドル化」していく事に、
強い不満をもつ人達も存在している。

これらの人達は昔からその街を知っている人で、
聖地化する事によりアイドル的な人気を博し、
それ目的で大勢のビジターが訪問するうちに、
その街がかつての姿と違う形に変貌し、
ビジターに対し媚びた装いを行っているようにみえる事が、
我慢ができなくなっているという事がある。


確かに今まで見慣れた風景に、
いきなり異質なものがそこかしこにあふれたら、
それをいきなり受け入れろというのは無理がある。

だがだからといって、
自分が気に入らないからとそれを否定するのは、
さてそれはどんなものだろうという気が強くする。

もちろんそこに住む人達にとって、
迷惑このうえないというのであれば、
それは一考し対応を協議するのは当然だが、
地元にとっても活性化のひとつとなっていた場合、
恩恵を受ける人達が限定的になったとしても、
実害が起きていない場合、
それらを頭ごなしに否定するのはやはり問題だろう。

(ただこの実害というものにもいろいろと各人の基準というものがあり、一概にどうこうと決めつけられないものがある事も、この問題を複雑にしている事は確かだと思う。)


またこれらに対して拒否反応を起こし否定する人は、
なぜそう思うのかという事を、
自分自身に対しその要因を精査した事があるだろうか。


この土地は昔から変化や変貌を積極的に拒絶してきた街なのか。
ここの人達はこれらの変化をどう考えているのか。
これらを拒否する考えは自分を納得できるか否かだけの問題ではないのか。

等々。

特に最後に書いたそれは、
下手をすると自己全否定になりかねないので、
そう簡単においそれとできるわけはない。

でもそのあたりをしていかないとこの話は先に進まない。
大事なのは自分ではなく現地そのものである事を思うと、
そんな事は二の次三の次なのだ。

精査されつくしていない自分の考えや価値観を、
その街と心中させてはいけないのです。


あと今の聖地のアイドル化がダメな人で、
「昔」のその街のイメージを大事にしたい人は、
自分がもっとも強くイメージを刷り込まれたその時代から、
脱する事ができないのだろう。

もちろん好き嫌いはその人のそれだから、
それは全然かまわない。

だがそれが理由で、
その価値観を押し付けるのはやはりいけない。

好き嫌いと良し悪しは、
自由と無秩序のように異なるものだ。

価値観をおしつける前に、
この時代のこの街はこうだった、
そして聖地だったころのこの街はこうだったと、
それを見つめ記録し、
そこで起きた変化から学び街とともに前へ進むのが、
本筋というべきではないだろうか。

そうでないと街本来の進むべき道が、
アイドル化するしないに関わらず、
不自然に曲げられた道へと進んでしまうかもしれない。

変化しないことによる不自然な変化は、
ひじょうに誰も気づかない事が多いのです。


とにかく街が変化をしていくとき、
その過程でいろいろな事が起きる事を、
過去がああだったからと否定ばかりしていては、
その先に街が進む事はできない。

また失敗も成功も山の上り下りみたいなものなのだから、
前へ進むためへのそれと思わないと、
これまた前へ進む事はかなわない。

もちろん街の伝統等を守るのはけっこうだし、
大事な事ではあるけれど、
それを自分の中の慣習や刷り込みと取り違えてはいけない、
それは街にとっても迷惑だし不幸な事だと思うし、
そんな事をしたら、
将来の展望すら開けてこないのではないだろうか。

(ただ聖地化に否定的な人たちの中には、それ以前の聖地になる前のその街に「憧れ」、また違った意味でアイドルとして見ていた人達もいるんじゃなかろうかという気がしています。アイドルには好き嫌いはつきものですから、当然といえば当然なのかも。)


ところでアイドルというものにもいろいろある。

短期間に強烈な輝きを放ち消えていったもの。
長期間に渡り輝き続け今もなお光を絶やさないもの。

等々。

聖地の多くは後者を目指し、
前述した事を地道に続ける事により、
今をできるだけ長く紡ぎながら、
同時に種を撒き次の時代に備えていく。


おそらく沼津も大洗も、
「ラブライブ」や「ガルパン」が静まった後の、
街の将来の展望も視野に入れているだろうし、
この景色も長い年月における、
ひとつのそれとすでに考えていると思う。

だから尚更街にとって否定ばかりして、
立ち止まる事は決して得策ではないのです。

今やれる事をやり、
次に備える…もしくは種を撒く事をはじめる事は、
本当にとてつもなく大事な事。

そしてそのひとつの過程として、
街のアイドル聖地化も利用し糧としているのです。


繰り返しますが、
聖地のアイドル化は街本来の活力を呼び戻したり、
地元も忘れていた街本来の魅力の再発見に繋がったりと、
これはある意味街の棚卸をしながら、
いろいろと多くの副産物がそこに生まれてくるという、
街にとってとても大切なイベントなのです。

沼津の「のっぽパン」の売り上げ増なども、
そのいい例だと思います。


聖地となった街は、
そこに住む多くの人達によって、
今日もアイドルとしての鮮度を保ちつつ、
(鮮度を保つのもまた粧いの一種だと自分は思っている)
多くのビジターを受け入れている。

自分はそういう活動を高く評価したいし、
そんなアイドルたちがこれからどうなっていくのか、
それらがしっかりとした成果に結びつく事を祈りながら
自分も可能な限りそれを見守り続けていきたいと思います。


ただそれだけに、
何度も何度も繰り返すようで申し訳ないですが、
最近よくみかける「聖地協会」のようなものが、
観光ばかりに特化せず、
聖地となった街の悩みや問題への相談の窓口となったり、
過去に起きた事への参考のようなものを閲覧できたり、
聖地同士の横の繋がりのパイプ役になったりと、
そういう部分の事にも力を注いでいかないと、
いつの日か聖地観光も廃れてしまうかもしれないと危惧している。


アイドルが輝くにはプロデュースする力が必要だが、
それはただ話題づくりだけという事ではない。

こういうバックアップシステムのようなものも形成しないと、
そのうち「こんなものいらない」という事が、
いつか大きな不満となって各地で炸裂してしまうかもしれない。

それだけに「~協会」というものをこしらえるのであれば、
そういう足元を踏み固めるという事にも、
地味だし継続というなかなか辛抱を強いられる事ではありますが、
ちゃんと力を注いでほしいと最後にここで言っておきたい。

特にこのあたりの風潮は、
今のアニメ制作現場に通じる「悪しき」ものも感じられるので、
より強く念押しで最後に言っておきたいと思います。


長文拙文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

深謝。


[余談1]

自分は大洗や沼津に行くと、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団や、
ウィーンやベルリンのフィルハーモニー管弦楽団のような、
長い歴史を持った楽団を想起する事が多い。


これらのオーケストラは19世紀やそれ以前からある団体だ。

多くのオケは自分たちの伝統や良さを守るべく、
いろいろな努力を長年し続けてきた。

だが楽員は年年歳歳、引退と入団が常に繰り返される。
それによって使用している楽器も変わる事だってあるし
今まで使用していたホールが何等かの理由で使用できなくなり、
新しい響きのホールでその後演奏しなければならない事もある。

他にもガット弦から金属弦への変更や、
常任指揮者の交代によって生じる奏法の変更、
さらに教育システムや楽団の方針変更等もあり、
多くのオーケストラは昔からのサウンドを、
そのままの形で維持できているわけではない。

なのでオーケストラによっては楽器を代々受け継いだり、
奏法を代々受け継がせるといった、
そういう形で伝統を守っていく団体もあったが
それでも完全にそのままというわけにはやはりいかない。

そのためそれらによって生じた変質や変貌を、
昔からのファンは全てを受け入れる事ができず、
「昔はよかった」
という言葉で片づけてしまうケースが少なくない。


ただ個人個人の技術は今の方があがっており、
そのためあきらかに今の方が、
オケ全体としても上手くなっているケースも多く、
音質や音色等は変貌したが、
むしろ今の音の方が好みというという人も多くいる。

ハッキリ言ってしまうと、
どういう理由で生じたにせよ何かを得れば何かを失う、
だから変質や変貌が起きる。

それの細かい積み重ねの変化が必然のオケの場合、
自分がいつの時代にそれに慣れ親しみ、
そして影響を強く受け刷り込みとなったかで、
けっこうこのあたりの感覚や価値観は変わってしまうと、
自分はそう思っている。

むしろ1950年代のこのオケはこうだった、
2000年代のこのオケはこうだったと考える方が、
よりその時代時代のそれを明確にとらえ、
そして愉しめるのではないかと自分は考えている。
(これはゴジラにも言える事かもしれない。)

昔はよかったばかりでは、
今ある良さを愉しむどころか、
これからの可能性をも殺しかねない危険性があるのです。

かつて数百年の歴史を誇る、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団について、

「ゲヴァントハウスの運動をおこし、育てていったものは常に各時代の進歩的勢力であった。」

という言葉があった。

この言葉、
自分は今の沼津や大洗にもあてはまると思っています。


[余談2]

大洗の変化は2013年春と2017年夏では、
もう街の雰囲気そのものが場所によっては大きく変わっているし、
また全然変わっていないところもある。

おそらくこれから全然変わっていないところも変わっていくだろうし、
逆に今大きく変わった所はこれからしばらく変わらないだろう。

そんな今の時代にこの環境で育った人には、
今この時代が何十年後の「昔はよかった」の「昔」になってしまう事も、
じゅうぶんありうる事。
(そこには今から少し前に消えた景色は含まれていない)

そしてそれは今の沼津にもあてはまると思う。


そんな繰り返しが過去現在未来と繰り返されていくのだろうし、
そこで生き続けていくいろいろなものは、
その時代時代で必要とされていたからなんだろうなあと、
大洗や沼津をみるたびにいろいろと感慨にふけってしまいます。

そんな事を考えながら、
これからも自分は聖地を歩く事になるでしょう。



A012.jpg
※マリンタワー前の広場とステージ。
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ゴジラ、江の島~鎌倉、そして丸子橋をいく。[シン・ゴジラ聖地巡礼] [ゴジラ]

※2017.9/18、改訂追加をしました。

というわけで、
「シン・ゴジラ」では、
江の島~鎌倉にかけてゴジラが闊歩する。

自分にとっていつも歩いてるコースなので、
このあたりをあらためてチェックしてみました。


最初ゴジラは江の島方向から稲村ケ崎に向かって歩いてくる。
ゴジラが相模湾にあらわれたという直後のシーンだ。

現地に行ってみて、
そのときのシーンに近い場所から撮ってみた。
映画におけるこのときの撮影位置は、
おそらく稲村ケ崎公園の山側の上に上がる階段付近からだろう。

a03.jpg

この左の木と正面にある江の島の間から、
こちらに向かって歩いてくるかんじたった。

SG0007.jpg

それ以前のシーンは無いが、
おそらく江の島横あたりから出現したのではないだろうか。
g07.jpg

ちなみに江の島の展望台最頂部の海抜高度は、
ほぼ今回のゴジラの身長と同じくらいです。

尚、稲村ケ崎公園の場所は地図のの所。
g08.jpg
江ノ電「稲村ケ崎」駅から歩いて5~6分くらいです。


この後ゴジラは稲村ケ崎をかすめて鎌倉へ。
由比ヶ浜の鎌倉海浜公園付近に向かって上陸してくる。
(稲村ケ崎の近くにも同名の公園があるのでお間違えのないよう)

Ck5xuhvUYAAYiWN.jpg

おそらく角度からいって、
この公園「芝生の広場」最頂部の丘の上より、
高い位置にカメラがあったようです。

公園最頂部付近より上陸地点をみる。
a05.jpg
向こうにみえる地下道入口の屋根がみえる付近の、
その向こう側あたりに上陸してくるようにみえます。

地図上にのあるところです。
公園はそこから地図上では右斜め上あたりにあります。
g09.jpg
江ノ電「由比ヶ浜」駅からだいたい歩いて7~8分くらいのところ。

ただ後述しますが、
その直後に映る「第一歩」のシーンは、
もう少し稲村ケ崎よりのようです。


しかしこりゃ怖いわ。

というかどっちに逃げるか判断が割れるところ。

極楽寺へ行くか逗子方面へ行くか難しいところです。

このあとゴジラはやや向きを一度北に変え、
その後すぐ東に転じたようです。

途中、由比ヶ浜商店街の、
「文学館入口」交差点付近を歩くシーンがあります。
g03.jpg

このほぼ正面のやや向こう側を、
江ノ電に沿って鎌倉駅方面に向かっていきます。

sg0005.jpg

g10.jpg
「松沢松林堂」という字の上にある付近です。
江ノ電「由比ヶ浜」駅からだいたい歩いて5分くらいのところ。


途中にある御成通り商店街付近を通過。
SG01.jpg

位置的にみて、
江ノ電と横須賀線が並行しているあたりを、
ゴジラは通過していると思います。

そして現地。
g02.jpg
g11.jpg

このあたり上空をゴジラの尻尾が通過します。
sg06.jpg
撮った写真が失敗したのでGoogleより現地写真を。
sg07.jpg
右の家がひとつ上の現地写真の左端にある家です。

鎌倉駅から徒歩5分くらいです。


ここで困ったことが起きた。

じつは映画では先に御成通り、
続いて由比ヶ浜とシーンが続いていることに今更気づいた。

これだとどう考えても上陸地点から考えると、
辻褄があわないし、
コースとしても不自然極まりない。

だいたいこんな江ノ電の沿線ばかりを、
意味もなくウロウロほっつき歩かれたら、
それこそ近所迷惑もはなはだしいし、
映画も遅々として進まない。

それこそ

「ゴジラに江ノ電をみせてはいけません。ますます喜ぶばかりです。」

になってしまう。

まあ庵野監督のゴジラらしいといえばらしいのですが…。


おそらく演出の関係でこうなったんだろうけど、
走ってる江ノ電を見たくてそわそわしてるのならともかく、
現実には映画の順でゴジラが歩くことはまず無い。


なのでここの二か所は、
場所特定のみでコースはこの通りではないというこを、
ちよっと書き添えておきたいと思います。


駅を通過したゴジラは今度は横須賀線沿いに北上。
今度のゴジラはどうもかなりの鉄オタのようです。

ラストのヤシオリ作戦は、
さぞ本人にとってご満悦のひと時だったことでしょう。

横須賀線「扇ヶ谷ガード」付近のゴジラ。
SG04.jpg

現地です。
g01.jpg
g12.jpg

さっきより北鎌倉に近いですが、
北鎌倉駅より徒歩20分に対し
鎌倉駅からは徒歩15分です。

化粧坂切通し経由で源氏山公園に行く途中に、
このポイントはあります。


あとゴジラは映っていませんが、
江ノ電が右折しながら消えていったあと、
避難する人達が映るシーン。
2016-01.jpg

最初これは長谷駅と御霊神社前の踏切の間の区間で、
長谷駅の方から写したものと思っていました。
god01.jpg

ちょっと写真が映画のそれと似てないものの、
映画では少し編集してると思っていましたが、
上記のそれはその後誤りがあることが分かりました。

この件につきましては、
https://twitter.com/bakasazu/status/828262141681479680
をご覧ください。

正直驚きました。

最初に間違った情報を流して申し訳ありませんでした。


映した場所はより鎌倉・由比ヶ浜方向よりで、
おそらくこのあたりからかと。
2016-02.jpg

かま11.jpg

これを遠近圧縮編集すると上記のシーンになるとか。

今の技術、もう凄すぎて分かりません。

尚、ここを撮影する場合は電車はもちろん、
通行する車両にも充分ご注意と配慮願います。

鎌倉駅から徒歩で5分位の場所です。


続いて別の日に行った光明寺。

http://komyoji-kamakura.or.jp/
※光明寺公式サイト

鎌倉駅から京急バスの[鎌40]系統、
「逗子駅方面」行きで10分程、
「光明寺」というバス停で降りてすぐ、
歩くと30分ほどかかる場所にあります。

a05.jpg

ここの本堂右横に高台に行く道がある。
a06.jpg

その高台に簡易な展望台。
a10.jpg

そしてそこからみた風景。
a11.jpg

そう第四形態上陸寸前時のシーンがここ。
圧倒的なスケール感を感じる場所。
ag001.jpg

神奈川の景勝50選にも選ばれた場所。


ところで映画では見えなかったけど、
おそらく庵野監督は、
富士山をバックにしたゴジラをいろいろと撮影したかったのかもしれない。

この光明寺上陸シーンや、
最初の方であげた江の島横での出現シーンも、
ともに右横に好天なら富士山がじつは見えていた。

それこそ「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏.」のゴジラ版みたいな。

ゴジラは富士山大好きですし。

ただ残念ながら鎌倉ロケ時は、
一度順延したにもかかわらず、
けっきょく曇天でのロケとなった。

もちろん富士山など望むべくもない。

だとしたら庵野監督、
このあたりけっこう心残りだったかも。


そしてゴジラ第四形態の上陸第一歩となった海岸シーン。
SG0008.jpg

このシーンの場所は由比ヶ浜海岸の坂の下ビーチ。

ポイントとしては坂ノ下交差点直近の、
海岸へ降りられるスロープを降り切った付近と思われます。
a04.jpg

ここからみる海岸は砂浜がとても広いので、
上陸第一歩にひじょうにふさわしい場所かと。

江ノ電「長谷」駅から徒歩5分程の所に当たります。

a12.jpg
※左下にある星印の付近です。

鎌倉に旅行、もしくは修学旅行等で訪れた際に、
もしろよろしければ参考にしてください。


こうしてゴジラは鎌倉を闊歩していきました。

しかしこの映画をみてから、
該当地区を歩くたびに、
しょっちゅう上の方をみるようになってしまいました。

困ったものです。

鎌倉でもゴジラ焼きとか出してくれないかなあ。


あと完全なこれは与太話ですが、
鎌倉幕府は以前「1192年」にできたというのが、
今は「1185年」の方が説として本命になっているようです。

1185…今回のゴジラの体長は118.5メートル。

まさかそれで?


因みにこの後のルートですが、
おそらくゴジラは亀ヶ谷坂の切通付近を通り、
北鎌倉から大船方面へ向かうものの、
途中、六国見山を沿うようにして右折し北上、
大長寺のあたりからまた右折し桂台上郷方面へ。

g13.jpg
桂台付近のゴジラ。

その後の描写はあまりありませんが、
映画では釜利谷を通ったという台詞があるので、
その後釜利谷を通り洋光台付近を通過し、
sg0002.jpg

これは洋光台五丁目のバス停から歩いて少しの所で撮影されたようで、
地元ではけっこう有名なポイントのようですが、
角度的にみて一般の人には撮影できないポイントかと。


このあとゴジラは横浜あたりを蹂躙、
川崎の工業地帯に接近、
go102.jpg

それから南武線沿いに北上、
途中から府中街道を少し歩いた後、
綱島街道沿いに北上し武蔵小杉に到達。

という感じで移動していったと思われます。

武蔵小杉の高層ビル群突入寸前のゴジラ。
SG02.jpg

その後自衛隊の攻撃を受けながら丸小橋へ。
g14.jpg

自衛隊を一蹴した後、
多摩川浅間神社を左にみながら多摩川を渡河し、
世田谷区目黒区を通過後、
新橋銀座霞が関永田町付近を火の海にし、
東京駅付近へ到達というかんじで進んでいったのではと、
個人的に推測しています。


後日この武蔵小杉に行く。

タバ作戦の行われた場所だ。

武蔵小杉の高層ビル群。
ks01.jpg

丸子橋、ゴジラにぶっ飛ばされた橋です。
ks02.jpg

ちょっとファーストゴジラで壊された、
隅田川の勝鬨橋を思わせるような形状です。

ただファーストの時は
「はい、ちょっくらごめんなさいよ。」
というかんじでいそいそとひっくり返されてましたが、
こちらの方は問答無用で、
思いっきり下からぶっ飛ばされてた違いはありますが。


指揮所のあった多摩川浅間神社。
http://www.sengenjinja.info/
ks03.jpg
ks04.jpg
ks09.jpg

ここには多摩川方面を臨める展望台があります。かなり広いです。
ks05.jpg
この場所に基地がおかれ、
ここから指示が直接出されていたようです。
映画ではここの赤い柵も映ってました。

その展望台から丸子橋方面を臨む。かなり近くみえます。
ks06.jpg
最後この展望台真横をゴジラは通過していきます。
この場所で下からゴジラを仰ぎ見るシーンもあります。

因みにこの展望台は、社務所の屋上のことです。
ここには本殿のある場所から行くことができます。

丸子橋の先にある多摩川河川敷。戦車隊がいたところ。
ks08.jpg

対岸の小杉方面を臨む。
ks07.jpg

想像以上に奥行きのある場所での展開となってます。

因みにこの丸子橋と浅間神社は武蔵小杉駅から歩くと、
意外と距離がありますので、
東急の「多摩川」駅の方がはるかに近くて便利です。

ks00.jpg
地図です。この下の方にかかっている橋が丸子橋です。

それにしても、
ゴジラはどこへ行こうとしていたのでしょう。

やはり福島なのだろうか?

まあ偶然なんでしょうが、
ゴジラが姿をみせた江の島付近から、
最後に到達した東京駅を直線で結ぶと、
その延長線上に福島第一原発があります。

tizu.jpg
tizu2.jpg
(ただこれだと由比ガ浜とか武蔵小杉は通りませんが…)

ここでエネルギーを再度吸収、
最終第五形態にでも移行し、
分裂でもしようとしたのかも。

そうなると続編があるとしたら…。


というわけで以上です。


間違ってるところがあったらすみませんが、
聖地巡りの参考になったら幸いです。



尚、この映画の雑感・考察は↓
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-07-29
かなり長いですが、よろしければどうぞ。
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ヤルヴィの「レニングラード」に行く。 [クラシック百物語]

NHK交響楽団
第1864回 定期公演 Aプログラム

9月17日(日曜日) 15:00 開演
NHKホール

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮

(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60
「レニングラード」



パーヴォ・ヤルヴィがN響の当主になるという、
そんなニュースを聞いたのが2012年夏。

その時自分は以下のような事を書いている。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2012-07-11

確かに将来には期待してはいるけど、
正直かなり不安の方が大きかった。


ただその放送を観たり聴いたりしていると、
確実にヤルヴィがN響を手中に収め、
このオケからかつて聴いたことがないほどの統一感と、
無駄のない覇気に富んだ響きを弾ぎだしている事に驚いた。

なのでそろそろ実演をということで、
今回のそれとあいなりました。


台風接近と秋雨前線の活発等で、
オケ的にはベストコンディションではなかったかもしれない中での、
今回のショスタコーヴィチとなりましたが、
ひじょうに見事な演奏だったという気がしました。

オケは大編成の18型、
しかもそれプラス対抗配置ということで、
N響としてはあまりみかけないスタイルによる演奏。

これだけをみると大音量勝負のようにみえるのですが、
第一楽章冒頭の音でその予想は消し飛んでしまいました。


とにかくバランスがよく、
明快かつ柔軟で力強い、
そして明るく繊細な響きも湛えたそれには響きでした。

この後音楽が進むにつれ、
その見通しの良さ、
そして弱音の美しさとその濁りの無い響きが際立っていき、
さらにそこにひじょうにしっかりとした造形感覚とバランスが加わり、
この曲としては驚く程の美しさと端正さをもった、
標題を抜きにしてもしっかりと成立してしまうような、
純粋な「交響曲」として鳴り響いていった。


自分はこの曲はある意味「劇的交響曲」、
もしくは「交響詩」のような交響曲というイメージが強く、
仕掛けの大きなドラマティックな曲だと、
そう思い込んでいたところがある。


だけどこの日のヤルヴィのそれは、
そういう部分よりも、
「革命」という標題を取り去った交響曲第5番のような、
そういうスタイルをこの曲で実行したかのようで、
聴いていて本当に気持ちいいくらいの音楽がそこにはあった。


それは大編成のオケが怒涛のように演奏する所より、
弦の歌や弱音における美しさと清澄なそれの方が、
むしろ強く印象として残ったことにもそれはあらわれていたと思う。

とにかく目から鱗のような演奏だった。


ただだからといって綺麗ごとで終わってしまっているとか、
小さくまとまっているとかというとそういうことはなく、
怒涛のごとく鳴り響く部分も、
過不足なく見事に大きな音楽を形成していた。


例えはあまりよくないけど、

「巨大かつ迫力にも事欠かない室内楽」

を聴いているような感じさえした。


とにかく今までこの曲で経験したことのない、
本当に新鮮で大音量に下手に頼らない、
極めて説得力のある見事な演奏でした。


そして何よりも驚きは、
それを演奏しているのがN響であるということ。


自分のN響のイメージというと確かにひとりひとりは上手いが、
パート別には各々まとまるけど、
楽団全体としてはやや統一性や方向性に欠け、
そのためその音楽の表情が常にぼやけてしまう、
それこそ「顔のみえない」オーケストラという、
そういうものが昔からあった。


だが今回はそういう部分はほとんどなく、
ちゃんと全員がひとつの方向を見、
ひとつのオケとして統一がしっかりとれ、
そしてそこにははっきりとした「顔」がみえていた。


これがヤルヴィの力であることは、
その出来上がった音楽のスタイルからも明白で、
これだけでも今日来た価値があったけど、
それに加えてのあの「凄い」演奏だっただけに、
さすがにこれにはもうまいってしまった。


とにかくこの日はいろんな意味で大満足の演奏会でした。


それとこの日の演奏で、
自分はNHKホールというハンディをまるで感じなかった。

それは大編成のオケを余裕をもって無駄なく鳴らしたという、
そういう部分も大きかっただろうけど、
はたしてそれだけだろうか。

そういえばムラヴィンスキーをNHKホールで聴いたときも、
NHKホールというハンディをまるで感じなかった。

あのときも巨大な響きもさることながら、
清澄かつ美しい弱音のコントロールが素晴らしかった。


かつてラザレフは、
弱音に聴き手の耳を強く引きつけることで、
大きな音を、
より大きく効果的に聴かせることができるという、
そういう意味の事を発言されていた。

今回はそれがムラヴィンスキーレベル、
もしくはそれに近いものが行われていたのかもしれません。

明晰かつバランスのとれた、
それでいて懐の深い大きな音楽。

「凄い」演奏とは音量やパワーのみが決めるものではない。


当たり前のことですが、
ちょっとそんな事も思った演奏会でした。


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「にっぽんアニメーションことはじめ」をみる。 [アニメ(20世紀)]

川崎市民ミュージアムで開かれている、

国産アニメーション誕生100周年記念展示 
「にっぽんアニメーションことはじめ」 
~「動く漫画」のパイオニアたち~
日本1.jpg
https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/8738/

を観に行った。

日本2.jpg

内容ははチラシの裏にもあるように、

下川凹天、北山清太郎、幸内純一、前川千帆

この四氏の足跡と、
この四人がアニメをつくった1917年という時代、
そして漫画と浅草を多くの貴重な資料とともに取り上げた、
とても勉強になるし分かりやすい好企画だった

今は展示中心だが、
10月からはいろいろと企画もあるようなので、
そのあたりは市民プラザのそれを参考にどうぞ。


現存する最古のアニメ
「塙凹内名刀之巻」がここでみられるのも嬉しい。


ただひとつ残念なのは、
浅草をとりあげるのなら、
もう少し他の方面の方から、
この企画における浅草について思う事なども、
少しは聞いてもらっていたら、
さらにユニークでダイナミックなものになったような気がする。

アニメだからといって、
その方面だけからだと些か窓口が狭くなるし、
他方面の方がみたら、
こちらが思いもよらぬ新鮮な発見をしてくれたかもしれない。

そういう部分の弱さがちょっと残念だった。

山崎浩太郎さんや大島幹雄さんがこの企画をみたら、
どういう感想をもったことだろう。

とても興味があるだけに、
このあたりへの踏み込みが無かったのがちょっと寂しかった。


ただ企画としてうまくまとまっているので、
ぜひ一度興味のある方は見聞されることをお勧めします。


しかし若き日の下川の気の強そうというか、
怖いもの知らずで肩で風を切るような表情!

好きだなあ。


それと戦前の日本のミッキーマウスの無許可使用と思われるもの。

某国のそれをみているようで苦笑ものだけど、
のらくろとの共演はなんか嬉しかった。
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静岡県沼津市総合防災訓練(2017)に行く。 [震災]

平成29年度静岡県・南駿地域総合防災訓練に行く。

これは静岡県各地で行われたが、
自分が行ったのは一般が見学できる、
静浦小中一貫校で行われた、
津波避難訓練と緊急物資受け入れ訓練。


静浦小中一貫校は、
自分が沼津~内浦・西浦まで歩く時、
その途中にある学校で、
全行程で沼津からみて四割くらいのところにある、
かなり目立つ建築物だ。

a-01.jpg

初めて見た時からそのすぐそばにある、
静浦地区センタ同様津波避難ビルも兼ねているようにみえていた。

今回はそこでの訓練ということで、
ときおりその前を歩いているものとしては、
一度はみておかねばという気かし、
今回見学させてもらった。

もっとも地元以外の一般の人間で、
今回のこれをに参加したのは自分だけだったようにみえた。

まあふつうはそうだろう。


この日は学校の生徒さんも多く参加されていた。

余談ですが、
ここは一貫校なので、
中学生にあたる人たちは
ここでは七年生、八年生、九年生とよばれている。

この日は幅広い学年で参加されていたようです、


午前九時になると近くから放送で、
自身が発生したという訓練の放送が流れる。

このとき自分は上記の写真よりも、
やや校舎に近い所にいた。

この日県と市からも担当の方がいらっしゃっていて、
県の方の指示でしゃがんで上からの落下物に備えて頭をかばうようにという、
そういう指示があった。

ただ正直言うとふつうはそれでいいけど、
これだけ校舎に近いと、
むしろ校舎の中に避難した方がガラス等の落下物を思うと、
まず校舎の中に避難すべきというのが、
実際は正解とおもうけど、
ここは基本姿勢の徹底という事でこういう指示だったのだと思う。


このとき防災無線の指示等で、
地区センターから外に机が搬出され、
受け入れ準備がされていたようだけど、
自分のところからは校舎の陰になっててみえなかった。


このあと全員で津波到来に備えて校舎屋上にいく。
ビルでいうと五階にあたる場所だ。

a-02.jpg
校舎にある屋上へ行ける外階段の入口。

a-03.jpg
外階段。段差が小さく幅広い年齢層に配慮されている。
とにかくなかなか上りやすい段差と階段で、
五階まで上ったという感じがあまりしなかった。

ただ年齢の高い人にはそれでもなかなかたいへんかも。

屋上。
a-04.jpg

見晴らしがとてもよく、
海や街の状況がはっきりと見渡せる。
a-05.jpg

ここにライブカメラを海や414、
さらには注意すべき崖のある方向などに向けておくと、
三の浦全体だけでなく駿河湾方面もかなり見渡せるので、
現状を掌握するには最高の場所のひとつという気がする。

できればここにもカメラを備え、
その画像が地区センターだけでなく、
県庁、各市役所、そして気象庁等ににもリアルで配信されると、
ひじょうに大きな力となるような気がする。

それともどこかにもうすでに設置されているのだろうか。


このあとヘリによる救出訓練が、
この屋上で行われた。

a-07.jpg
a-12.jpg

ヘリのピタリと空中で静止するそれに感心。


その後場所を変えて、
自衛隊のトラックから積んできた緊急支援物資を、
地区センターの倉庫まで運ぶ訓練が行われた。

a-08.jpg

最初はトラックからセンターの前まで、
そしてそこで個数チェック後、
センター内の倉庫までと、
二度にわたるバケツリレー方式による搬入が行われた。

a-09.jpg
地区センター

自分もこれに参加したが、
トラックの大きさからみてそんなり量があるとは思えなかったが、
これが想像以上にあり、
けっこういい運動になりました。

じっさいは余震との戦いにもなるので、
なかなかこううまくはいかないかも。


こうして物資はすべてセンター内にある備蓄倉庫へ。

センター内備蓄倉庫の状況。
a-10.jpg

今回はエクアドルからの視察団の方々も来ていました。

エクアドルもここ70年間に、
少なくとも七回の大きな地震に見舞われているので、
いろいろと日本のシステムで、
参考になるものはどんどん取り入れようという、
そういう姿勢が強くあらわれての今回の視察なのだろう。

といったところで一通り終了。

地元の放送局の方も来ていて、
関係者の方や地元の方にインタビューをされていました。


なかなかな密度の濃い訓練でしたが、
ちょっと一部進行がよくわからないところがあり、
一時的に?というところがあった。

たしかに事前に訓練個表を熟読すればある程度はわかるけど、
このあたりもう少しわかりやすくなったのでは?
という気が少しだけしました。


ただそれ以外は得ることが多く、
とにかくいろいろと参考になる訓練でした。

ただこのとき見たり聞いたりしたことで、
少し気になるとろこがあったので、
それだけを最後にここに記しておきたいと思います。



津波避難用の外階段が狭い。
a-13.jpg

一斉にここに集中した場合がとても怖い。

以前、津波が来て特定の避難ビルに避難が集中、
このため階段の下の部分で溺死者がでたという、
そういう話をここのブログで伺ったことがある。

それを考えるとちょっとこのあたり怖いものがある。

当日どれだけ迅速かつ冷静に動けるかという、
そういうこに尽きるかもしれないが、
三階や四階に校舎内に行けるドアがあるので、
当日はそこのドアを開放してもらえると、
中から屋上にも行ける階段があるので、
そことうまく併用し、
階段でのそれを多少緩めることができるかもしれません。



山や高台に逃げられる避難路やマウントが、
足の弱い方や車いすの方には無理というお話を聞いた。

たしかにここの階段もそうだし、
また避難路でも、
内浦の弁天島神社の道を挟んで反対側にある、
山側へ行ける避難路などはまるで獣道のようで、
ここを逃げるのはかなりしんどい気がした。

こういうところがけっこう他にもあるとしたら、
この話はとても心配だ。

また獅子浜付近の414号だけでなく、
三の浦の17号でも感じたが、
歩道の幅が狭いということ。

これだと車椅子で、
この二つの道沿いに避難するということはかなり厳しい。

近くにこれらの道とは無縁に、
高台への避難ルートがある場合は、
付き添いの方がいればなんとかなるかもしれないけど、
このあたりはいったいどうなっているんだろうと、
かなり心配になってしまった。

観光者目線でみていた自分としては、
やはりこのあたりへの注意が希薄になっていたことに反省。



津波発生後のライフラインの確保が不透明ということ。

これは現地でも聞かれたけど、
津波発生後の414の状況。

予想では吉田町以南は津波浸水域で、
御用邸以南はさらに浸水域が大きくなるし、
志下以南は明確に津波浸水深が深くなる。

そうなると東海道方面からくる支援物資が、
少なくとも志下あたりで止まる可能性がある。

また来たとしてもどれだけの規模の物資がくるかもわからない。

そうなると一定期間は籠城戦、
それこそ豊臣軍の小田原攻めを、
北条方からみたようなかんじになる覚悟も必要かも。

そのときここにどれだけの人が避難しているのか、
また今回は役所の人や消防の人も大勢いたけど、
沼津市消防本部南消防署静浦分遣所があるとはいえ
当日こんなに潤沢な状況とは思えない。

そのときの対応やシステムはどうするのか。

このあたりもいろいろと課題となると思うが、
今から細かくきっちりと決めるというより、
もっと基本部分だけ大きく方向性を決めるという、
そういうものにした方が、
次々とおきる想定外の出来事に
柔軟に物事に対処できるような気がしたがはたして。



じつはこの裏にあたる場所に、
南部浄化センターがある。

ここも避難ビルに指定されているかなり大きな所だけど、
この浄化センターとこの学校とは、
地震発生以降連動することになるのだろうか。

じつはこの二つの避難ビルを通り過ぎると、
もう淡島の先まで避難ビルはひとつもない。

ここより以南は、
江浦湾においては避難した人は、
みんな避難路を山に向かって各自避難することになる。

それだけにここは、
その周辺の津波否浸水域を含むと、
もっとも大きな拠点になる可能性が高いため、
それを基にした避難計画によって、
この二つを連動させた、
より大規模な避難訓練もいつかは行ってほしいと、
そういう気持ちが強くしました。



内浦の長井崎中学が避難ビルに指定されていないのが不思議。

近くにはヘリの着陸できそうなグランドがあるけど、
何か問題でもあるのだろうか。

津波到来以降港はすべて機能していないと思われるので
空路からの受け入れの可能な場所が、
内浦小学校と西浦小学校との間にないようにみえるのは、
現実問題としてちょっと不安に感じられる。

じっさいのところどうなのだろう…と思っていたら、
ここは津波の指定緊急避難場所と指定避難所になっていた。

ただこのあたりいろいろと複雑に指定があるので、
いまいちわからない。

ここを今度一覧にしようと思うる



静浦にはかなりの長さの堤防がある。

御用邸付近~静浦小中一貫学校くらいまでの間を、
高さ6メートル以上の堤防が続いている。

a-14.jpg

ただここに到来する津波予想よりは若干低く、
最終的に最大波は乗り越えてくるだろうが、
乗り越えてきた押し波のかなり多くは、
堤防が破損しないかぎり、
引き波になったときは多少そこでせきとめられ、
比較的長い期間滞留することになると思われる。

これもまた漂流物とともに道の開通を、
長期にわたって妨げる要因になってしまうかもしれない。

ただ先の訓練場所だった一貫校の先でそれは切れているため、
一貫校付近ではあまり津波の引き波が残る事はないと思われるけど
その分波が予想外の動きをするかもしれないのでそこが心配。



最後に夜間にもし地震が起きた時。
照明関係がこのあたりどうなるのか。

深度5以上の地震にみまわれ、
停電等が発生した場合、
地区センターに照明が自動的に入り、
それがまわりへの目安になるとか、
そういものが備わっているのだろうか。

学校が深夜等で開いてなかったとしても、
地区センターへはたどり着けることが可能なので、
そういうものがあるととても助けになると思う。

明治と昭和の三陸地震は、
前者は午後七時半すぎ、
後者は午前二時半と、
どちらも夜の時間帯に発生し、
ともに津波で甚大な被害を生じている。

特に明治は311に近い死者行方不明者を出している。

もし414沿いにある全電柱に非常灯がそなわっていて、
それが地震後の夜間停電時に即点灯するようなシステムがあれば、
それを目印に避難場所へ行く助けになるだろう。

電気の無い夜の道が、
想像以上にたいへんなのは自分も311で経験していますので。


費用や管理的に、
かなり難しいかもしれないけれど。
あくまでも「心配事」に対する提案のひとつとして、
ここにあげておきたいと思います。

以上です。



余談

バケツリレーによる物資移動。
今になってあちこち身体が痛い。
運動不足を痛感しています。
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片瀬諏訪神社例大祭と湘南ねぶた祭 [小さな旅(Japan small travel)]

片瀬諏訪神社例大祭と湘南ねぶた祭に行く。

比較的近場で大きな祭りが行われた。

最初が片瀬江ノ島駅から歩いて十数分の所にある、
片瀬諏訪神社の例大祭。

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公式サイトには

「当神社は今から一二八〇年余り前(奈良時代)養老七年(七二三年)に信濃国(長野県)諏訪大社からの御分霊として上下両社に鎮座されました。」

http://katasesuwajinja.com/
※片瀬諏訪神社公式サイト

とあるかなり歴史のある社で、
諏訪大社と同様に、上社と下社があります。

下社
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上社
この日は御神輿がその前におかれていました。
a-03.jpg

自分が上社に行くと、
ちょうど各地からの山車が集結、
その後移動していく所だったのでそれについていきました。

途中から467沿いに移動し、
龍口寺前の交差点に山車や神輿等が集合。

これはかなり壮観でした。

a-12.jpg

しかも江ノ電もここは路面電車として運行するので、
いろんな意味で賑やかなかんじでした。
a-11.jpg
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このあと神輿や山車が練り歩くことになるのですが、
自分はこのあともうひとつみたいものがあったので、
小田急片瀬江ノ島から六会日大前へここで移動。


今年(2017)で第21回を迎えた、六会での湘南ねぶた祭。

http://shonan-nebuta.com/
※公式サイト

本場青森からねぶたをお借りし指導を受け運行するというもの。

もちろん規模も人手も本家とは比べ物にはならないけど、
これはこれでけっこう楽しいし賑やかだ。

駅前ロータリーを完全封鎖、
さらに駅前から駅入り口の交差点までの通りを、
300m以上封鎖するというもの。

また近くの駐車場にはねぶたや太鼓も展示されていた。

a-06.jpg

そしてよる19時出発。

a-07.jpg

こういうものもあります。
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a-15.jpg

この二つは途中で記念写真がとれるように運行されます。

駅前ではこんなかんじでした。
a-09.jpg
a-10.jpg

ここ駅前でねぶたをはじめ、
参加した踊りや太鼓等も二週した後、
またさっき来た通りへ戻っていきます。

最後はこれがトリ。
a-14.jpg


この間約四十分。

このあとさらに盛り上がったようですが、
自分はここまでで終了、帰途につきました。


しかしねぶたも凄いけど、
三連の太鼓の音が凄い。

長めのバチでしかも先が丸く固めてあるせいか、
音がデカく重くしかも硬い。

a-16.jpg

これがいちばん大きな青森から来たねぶたの後からついてくる。

もちろんPAも使っているけど、
とにかくこれがかかなりの弩迫力。

しかも自然にこちらもノッてくるし高揚してくる。

自分はまだ青森や弘前で、
ねぶたやねぷたを観たことがないけど、
一度くらい見た方がいいかなあと、
さすがにこれを体験するとそういう強い誘惑にかられてしまう。


とにかくとても楽しめたお祭りでした。


ただ一部で資金不足から、
今年でひょっとすると最後になるかもという、
そういう話をたまにネットでみかけるので、
できればそうならないよう続けてほしいと強く願う次第。

来年は最後までぜひ見てみたいものです。




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ゴジラ(1954)最初の一週間 [ゴジラ]

1954年の「ゴジラ」はじつは明確に、
これがいつ起きたかという日にちが、
作品中明確に描かれている。

ひとつは、
8月13日19時05分の栄光丸遭難の報。
そしてもうひとつは、
8月20日16時30分にゴジラが観音崎沖にいるという放送。

今回はここからゴジラのこの最初の七日間をみてみる。


8月13日。

栄光丸遭難の報。19時05分。
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続いて備後丸も遭難する。


8月14日。

大戸島の漁船が生存者を救助という報を発表。
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ちとわかりにくいけど時計の針が8時をさしている。

このあとこの日の夕方近くで政治が大戸島に漂着。


問題はここからでかなり無理があるけど、
8月20日から逆算する形で以下のようになると思われる。


8月15日。

シケ続き、古老がゴジラかもと発言、取材陣が来て、夜の神楽。
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※政治の回復が早すぎるのが難。

そしてゴジラついに大戸島上陸。
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このことから、
ゴジラの上陸は8月15日の終戦記念日のようです。


8月16日

大戸島の陳情団が国会へ。
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※大災害の割に到着早すぎという点に難。


8月17日

朝、東京から大戸島へ。
竹芝~大島くらいの距離なら六時間ほどで着くと思われる。
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そして午後、ゴジラ出現。
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緊急事態のため空路帰京したと思われる。


8月18日

国会でゴジラ審議、夜、遊覧船横にゴジラ出現。
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8月19日

ゴジラ東京上陸(一回目)
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8月20日

16時30分観音崎沖にゴジラがいることが放送される。

ゴジラ二度目の上陸。東京炎上。
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という感じになっており、


8月21日

芹沢邸でオキシジェン・デストロイヤーの使用を懇願。

という流れになる。


このあとはわからないがゴジラが三度目の上陸が描かれていないことと、
オキシジェン・デストロイヤーを砲丸大の量生産していることから、
数日後に東京湾でゴジラと対峙したとみるべきなのかも。

それを考えると十日ほどの間に、
ゴジラの物語は起こったことになる。


ただ正直※印でも書いたように、
かなり無理のある部分もあるので、
あくまでも明記されている二つの日付を軸に推測したという、
そういうものとお考え下さい。

もっとも8月20日の方は実際は「20日」としか言っていないので、
ひょっとすると9月20日かもしれません。

もしそうだとかなり大戸島と東京間の移動、
政治の回復なども無理なく運びそうですが、
ただそうなるとゴジラが大戸島から東京まで、
一か月近くかかって移動するということになるので、
今度はそれもまたどうなんだろうという気はしますが、
さてじっさいはどっちなんでしょう。


以上です。


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三嶋大祭りと大洗八朔祭りに行く。 [小さな旅(Japan small travel)]

今年の夏はいろいろとついてなかった。

7月の初め頃に風邪と熱中症、
終りには再度風邪をこじらせ、
8月上旬まで体調は最悪だった。

そしてそれが良くなり始めたと思ったら、
今度は天候不順の連続で、
予定もいろいろと潰れてしまった。

幸い気温が下がった事で体調は幾分よくなったけど、
なんか冴えない夏になってしまいました。


そんな中、
かろうじて三嶋大祭りと大洗八朔祭り最終日に行く事ができました。

8月17日三嶋大祭り三日目は「踊り」の日。

前日伝統芸能の日は武者行列のとき、
雨が上がり天気が持ち直したということで、
この日少し安堵して三島入りしました。

今回はじめて「踊り子」を使って三島へ。

横浜から三島まで特急だとほぼ一時間。
上野から水戸まで特急で行くのとほぼ同じだけど、
なぜか沼津の方が近く感じるのは気のせい?

三島は横浜より天候もよく気温も少し高い。

駅前のこれをみてお分かりのように、
この町はほんとうに「水」が印象に残る。
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桜川沿い
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それより手前にある愛染院跡の熔岩塚
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といろいみていると途中山車に出会う。
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そして三嶋大社、お祭り一色です。
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境内では流鏑馬をやってました。
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これがけっこうたいへんで、
特に的が小さくなるとなかなかきついようで、
テレビでみるように次々的中とはなかなかいかない時もありました。

あとここで昔懐かしいお化け屋敷をやってましたが、
ここの呼び込みがなんともいえない名調子。

けっこうお年の方が椅子に座りながされてしいましたが、
まだこういうのがあるんだなあとちょっと嬉しかったです。
撮影不可だったのがなんとも残念。

このあと少し歩いて広小路駅方面へ。

このあたりは延々と歩行者天国で、
いろいろとお店も出ていましたが、
その道を大社から広小路に向かって次々と、
「農兵節パレード」と「サンバパレード」が通っていくので、
もう賑やかこのうえなしでした。

このパレードはかなり一般の人が参加しているので、
ここには掲載しません。

そして広小路付近。
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駅の横は昔沼津まで走っていた路面電車のホームが、
そのままタクシー乗り場等に使われています。
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その広小路駅方面から大社方面をみると、
これはこれでなかなか人人人…で壮観でした。
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これは「サンバパレード」の復路の様子です。

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この電車もちょうど駅に入ってきていました。

とにかく賑やかな一日でした。

このときみかけた三島のいろいろ。
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といったところです。
最後の写真は伊豆国分寺塔跡で、
これは七重の塔だったとか。

今健在だったら素晴らしかったでしょう。

とにかくかなり活気のある大きなお祭りでしたが、
観光の面もあるものの、
地元の人達の祭りという雰囲気がとても色濃く、
いい意味でローカル色の強い大きな祭りといった感じでした。


そして二日あけて20日に大洗の八朔祭りに行く。

だがいきなり蹴躓いた。
常磐線が松戸で信号故障を起こし不通になってしまった。

しかたなく品川駅で様子をうかがうと、
水戸迄行く各駅や快速はなんかどんづまりで、
ほとんど出発の目途が立たない状態だったけど、
特急はどうも動くらしい。

このためこのとき品川駅に停まっていた特急を利用する。

水戸へ行くのに特急なんてほんと久しぶりだ。

だがこの特急もこのときすでに三十分遅れで、
いつ出発するか不明という心もとない状況だったが、
意外にも数分後には品川を発車、
上野で再度かなり停車したが、
上野を出て柏を過ぎたあたりからは通常走行となり、
50分程遅れての水戸着となったが、
自分にとっては二十分遅れのような形だった。

しかも遅延等のこともあってかガラガラで、
のんびりと足をのばすことができたのはうれしかった。

こういう楽なのもたまにはありがたい。

ここでさらに申し訳ないことに、
水戸駅ではりんかい線がこの電車の到着を待っていてくれたため、
結果的には遅延の影響を受けずに大洗までくることができました。

大洗駅で初めてみたポスター。
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この後で磯前神社でしっかりとお参させていただきました。

しかしとても涼しい。
夏とは思えないくらいの気候でした。

大洗まいわい市場でメロンパンアイスを食べたけど、
とてもおいしかったものの、
もうちょっと暑かったらよかったのにと思った次第。

因みにアウトレットは今もこんなかんじ。
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経営努力を破棄した証そのものですが、
幸いにして経営者が変わったことでリニューアルするようで、
11月にはプレオープン、
来年3月にグランドオープンとか。

まずは一安心。

ここからみる「さんふらわあ」も、
次来る時はもっと明るくみえることでしょう。
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このあと磯前神社へ。

そこで山車をみかけました。
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参拝したあと曲松商店街方面へ。

もうこのあたりは大混雑でしたし、
神輿も山車もいろいろとでてましたが、
逆に人が多くてけっきょく写真はほとんど撮れず、
のんびりとお祭りを楽しみました。

途中大洗連の山車もありました。
これはなかなか賑やかなでした。
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そしてこの日みたいちばんのお気に入り。
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午後四時からという流しそうめん。

じつはほんとは夜までみていくつもりでしたが、
常磐線がどうもあやしいので、
少し早めに退散することになってしまいました。

いやあ流しそうめん食べたかったなあ。


「八朔祭り」は「あんこう祭り」や「海楽フェスタ」と違い、
地元の信仰と密着した祭りという感じで、
これもまた「三嶋大祭り」同様、
いい意味でローカルな祭りであり、
「ガルパン」がやってくる前の大洗というか、
大洗の素の顔が垣間見られるお祭りという気がしました。


三嶋といい大洗といい、
とてもいいお祭りをみることができましたし、
冴えない今年の夏でしたが、
この二つでようやくそれも払拭できました。




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