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今の全日本プロレスに一番不満なこと。 [スポーツ]

自分は全日本プロレスが好きだけど、
最近かなり盛り返し始めているこの団体に、
ひとつものすごく不満なことがある。


それは現在GAORAのベルトを持っている秋山選手に、
なぜ、ジェイク、野村、青柳、といった若手が、
その挑戦に名乗りをあげないのかということ。

こんなチャンスそうそうないし、
自分は当初この北海道ツアーの間に、
三人が次々と挑戦していくのかとおもったけど、
大森選手が名乗りをあげたくらいで、
まったくその動きさえみえなかった。

正直言うと、岩本選手や鈴木選手みたいに、
ジュニアの選手が挑戦したっていいだろう。

このあたりの壁を、
CCで鷹木選手がぶち壊し衝撃を与えていったのだから、
それに今続いてもバチが当たるとは思えない。

ただそれ以前に、
やはり最初にあげた三選手のそれがとにかく不満。

今この時期を逃すと、
こんな貴重かつ美味しいことはもうないだろう。

NOAHもようやく世代交代をする気が起きたようで、
4K(北宮、清宮、小峠、拳王)あたりが動いたけど、
全日本も宮原選手が三冠の常連になったからといって、
それにおんぶにだっこではやはりいけない。

秋山選手にもそうだし大森選手にもそうだけど、
この三人はそろそろこのあたりのクラスに本気で立ち向かわないと、
これからの全日本は正直心もとないという気がして仕方がない。

というより全日本のバトンを受け取るのをただ待つのではなく、
こっちからとにかく奪い取ろうという、
そういう気概を一刻も早く見せてほしい。

おそらく秋山選手は社長としても、
このあたりのことをかなり意識していると思う。

じっさい発言の端端にも感じられる。


紋別の勝者にぜひその場で誰でもいいから、
即その場で次期挑戦者に名乗りをあげてほしい。

場合によっては三人が同時に名乗りをあげて、
後日三人で三つ巴戦をやって決めたっていいだろう。


互いのことをけん制しあうのもけっこうですが、
まずやるべき事が目の前にはあるはず。

三人にはぜひ動いてほしいし、
この不満を早期に解消してほしいです。

もうこの三人にとって、
秋山選手はその背中を見つめるだけの存在ではないはずなのですが…。




余談

あとこれは希望ですが、
一度「六人タッグリーグ戦」を開催してほしい。
ただし三人の総体重を350キロ未満と限定して、
ひとりはジュニアを入れるような形にするというもの。

ある意味全日本色の強いものになると思うのですが…。
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コンテンツツーリズム学会研究会で考えさせられたこと。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

「当研究科所属の増淵教授が会長を務めるコンテンツツーリズム学会では、このたび新しい試みとして研究会を開催することになりました。
これは毎回お一人報告者を募り、比較的少人数でコンテンツツーリズム研究について深いディスカッションをしようというものです。」
http://chiikizukuri.gr.jp/blog/2018/05/28/2337/

という会があった。

そしてこの日発表があったのは、
岩本洋一久留米大学准教授による、

「学生によるまちなかブランディング」
概要:コンテンツツーリズムを広義の文脈で位置づけ、これまで久留米で取り組んできた映画などのコンテンツ作品を活用した学生のまちづくりの実践活動を紹介。

というもの。


これがかなりいろいろと難しい問題をあらためて直視させられる、
なかなか厳しい内容だった。

自分はふつうこういう物に対し、
数時間後にはだいたの意見が固まるのですが、
今回はなかなかそれがみえてこない。

というよりいろいろな要素が多岐にわたり枝分かれしていて、
それがいろいろなものにかすったり結びついたりしていて、
かえって全体が自分の力では見通しきれないというかんじになっている。

ただその中でもかなり考えさせられるものというか、
気付かされたことがあった。

そのうちのひとつに、

「誰が地域の価値を評価するのか」
「誰が地域の価値を商品化するのか」
「それによって誰が利益を得るのか」

という論点があった。

確かにこれは大洗や沼津でも疑問に思ったし、
それぞれの街が聖地される前からみている人からも、
そこの部分に強い疑念を抱き、
決して好意的ではないそれも聞いていた。

さらに続けて岩本氏は、
地域の価値を広めるにあたってそれを「単純化」してしまい、
結果「劣化」したものを伝えている事があるという指摘をされた。

ようするに発信者のバイアスが悪い意味でかかり、
結果劣化した情報が発信されてしまうということ。

これを聞いた時、
自分は大洗と沼津が聖地になった直後の、
なんともいえない違和感というか、
異質な物が入り込んで来たかのような、
地元の「冷たい」反応の正体が、
じつはこれが要因だったのではないかという気がした。

つまりビジターは劣化した情報を基に現地に行く。

確かにそこはアニメキャラのいた舞台かもしれないけど、
あくまでもそれと同じ景色がそこにあるだけであって、
この街がどういう街なのかという事はあまり興味を持たず、
ただただキャラの足跡をたどる事が最優先となり。
あまり現地とのそれが深化しなかったのは、
劣化した情報だけでは踏み込みようもなく、
街そのものにも感情移入も価値感もそれほど持ちようが無かったことで、
そういう雰囲気がそれをみていた現地の人にも感じられ、
なんともいえない違和感ができていたのかもしれない。

ただしこれはその人その人の心の問題も大きく、
まったくそれがそのままになってしまうということでもない。

確かに最初は単純化し劣化した情報のみだったかもしれないけど、
地元がそれらの情報しか持たないビジターに対して、
すべてがすべて余所余所しく対応していわけではなく、
当然商店あたりは「客づくり」という基本から、
「顧客」をつくるための対応を行っていたはずだ。

最初はビジターの中でお客様として訪店してくれた、
一人一人との対面的な何気ない接客から始まり、
そのときの好感からその中でまたその店に再訪してくれた人たちと、
今度はアニメを介しての簡単な会話も織り込まれるようになり、
次第にリピーターへの流れへと地道に移行していき、
その積み重ねとそのエピソードのネットでの発信等により
結果的にその街本来の姿の発信に繋がり、
キャラや作品あっての街というだけでなく、
好きな店の有る街、または「そのものが好きな街」という、
そんな感じにビジターの価値観が変貌していく。

つまり現地の人たちが単純化するために削ぎ落されたものを、
ビジターと接し発信し続けていったことが、
結果的に情報の劣化を後退させ、
今の賑わいへと繋がって行ったのかなあと、
そんなことを考えさせられてしまった。


これにはアニメファンが確かに個人としてて独立しがちだけど、
本質的には「話好き」という部分がくすぐられたことも、
結果としていい方向に動く要因になったのかもしれません。
(もっともこのあたりはクラシックファンも同じではありますが…)


またその発信も地元の商店からだけではなく、
次第にビジターからみたそのお店の事の発信、
さらに街の何気ない日常や祭事の様子が、
ネットでどんどんupされていった。

中には人気のない、
ただ夜の商店街が写ったものがupされたりしているが、
それもまたこの街の雰囲気、
そして魅力のひとつとして発信されていた。

ここまで来ると単純化され劣化した情報が、
結果的ひとつの誘導剤となり、
その後にいろいろと付け足された肉厚な情報が重なって、
それこそ地元の人ですら気づかない事までも織り込まれた、
極めて濃厚で密度の濃い情報が発信されることになる。


それを思うと、
大洗や沼津に関わるある意味双方向の人たちの力で、
単純化され劣化した情報を、
本来のあるべき情報に仕立て直していく作業みたいなものが、
聖地の成功や賑わいに繋がっていくのかなあと、
このとき何となく感じさせられたものでした。


今回の会は他にもいろいろとあった。

それらひとつひとつはこれからも課題になるだろうけど、
あとひとつ。

コンテンツツーリズム学会の増淵教授が、
戦争で多くの街が空襲によって焼けた事に触れられたけど、
それを聞いて、
街のもつ語法についても考えさせられた。


街はそこに住む人たちの使い勝手の良さ等で、
その形を形成し成長させていく部分があるが、
これはオーケストラとホールの関係にも似ている。

オーケストラが成長するとそこに自分たちのホールを持つが常、
それによってオーケストラはそのホールが作り出す理想の響きを、
いろいろとその語法を考察しながら探りそして育てていく。

これをオーケストラを住民、
そしてホールを街に例えると、
住民がまずその街を自分たちの使い勝手のいいようにつくる一方、
その作りにあった語法を住民たちが考えながら、
それにより生活基盤や成長過程を確立させ、
街の特長や個性へとなっていったといえるのではないだろうか。


たが戦争によって街が空襲により大打撃を受けると、
せっかくつくりあげたホールは当然その姿を消し、
語法もそれと同時に機能を失う。

問題はその後の街を、
以前の語法が通用する街として再建するか、
それとも新しい語法が出来るような街として復興させるかという、
そこの部分に人々は直面する。

戦後しばらくすると、
空襲を受けた街は各々の方針で街を再建していった。

うまくいった街もあれば、
今見返すといまいちだった街もある。

だが年月が経つとそれらすべての街が、
みな遅かれ早かれ経年劣化していく。

そうなるとそこでは結果的に空襲直後の街と同じように
今までの語法を守り街をリニューアルするか、
それともまったく違う語法に対応できる街へと造り変えるかという、
かつてと同じ問題に直面する。

それを思うと、
そのタイミングで「聖地」となってしまった街は、
はたしてどう対応すべきなのかということも、
自分はいろいろと考えさせられてしまった。

特に沼津ではそういう感がある。

沼津がこのままでいいというのは、
聖地巡礼が目的のビジターくらいで、
地元としてはいろいろと問題を感じているし、
その諸問題が市全体の問題とまではなってないことも、
この駿河湾沿いに長く伸びたような沼津市に、
小さくない問題として横たわっていることもまた事実。

もちろんこの半世紀、
もしくは平成以降それまでの語法が通用しなくなっているのは、
沼津市民からもいろいろ指摘されているし、
いくつかの交通機関の消滅もそれを感じさせるものがある。

ラブライブで大いに賑わっているようにみえる沼津でさえ、
依然としてそれら諸問題が解決しているわけではない。

それはそれこれはこれなのです。

だけどじゃあそんな沼津に、
ラブライブなんかが落下傘で降りてきても意味はないし、
今の沼津にはなかった方がよかったかというと、
最初期はともかく、
今はあまりそういう意見は大きなものとはなっていないようです。

その理由がじつは沼津の持っている語法のひとつに、
じつはラブライブが途中から引っかかったことが要因としてあり、
それが結果的にファミリー層を含む全体に波及することになっているとしたら、
これはとても興味深い展開になっていくのですが…。


ただ残念ながらそれがどういう語法に引っかかっているのかは、
今もって皆目見当もつかず、
あくまでもイメージ的なものにそれはとどまっています。


とにかくいろんなことが断片的ではありますが、
多くのことに対しいいヒントとなり勉強になったという気がします。

そのためここでのそれも、
かなりとっちらかったようなものになってしまいましたが、
それらをさらにまとまったものにするためにも、
今後もこの会にいろいろと勉強しに参加していきたいと思います。



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今回の地震であらためて感じたこと。 [いろいろ]

まず最初に今回の地震で被害にあわれた皆様にはお見舞いを、
そしてお亡くなりになられた方々には深くお悔やみを申しあげます。


自分は地震をボクシングにおける相手の放つパンチに例える事がある。

つまり見えるパンチに対しては、
衝撃に対してもある程度耐えることができるし準備も可能。

また試合前にいろいろと鍛えたり備えたりすることで、
例え避け切れないものが来たとしても、
それを受けてもある程度対応できるだろう。

だけど見えないところから飛んできたパンチに対しては、
とてもそんな綺麗ごとではすまされない。

確かにボディ等はある程度鍛えられるかもしれないけど、
あごの先端やこめかみ、
さらには鼻のてっぺんやその下部の急所を含む、
首より上からとなると、
瞬時に顔をパンチが撃たれる方向へと向け、
その力を受け流すという高等テクニックもあるかもしれないが、
それでも見えないところからくるそれに対してどこまで反応できるだろう。


今回の直下型地震はまさにそれ。

毎日新聞の以下の記事はそれをまさに物語っていた。


18日朝に大阪市北区などで震度6弱を観測した地震で、気象庁は初期微動の地震波を検知してから3.2秒後、最大震度5弱以上の揺れへの警戒を促す緊急地震速報を出した。しかし、大阪府北部や京都府南部など震源に近い一部地域では、大きな揺れの到達時刻に間に合わなかった。

今回の地震は震源が地下13キロと浅かったため、地震の初めに小刻みに揺れる速い波(P波)を観測してから短時間で、被害をもたらす強い揺れの主要動(S波)が伝わった。大阪管区気象台は「技術的な限界」と説明している。【松本光樹】
https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00m/040/018000c


今回のような直下型の場合、
それこそ土木的な技術云々だけで被害を抑えることなど、
もはや無理以外の何物でもない。
むろし地下にある断層すべてを詳細に地図上に明記できるような、
そういうシステムや技術の向上に資金と人材をより投入すべきだろう。

土木にせよ調査検証にせよ、
人命第一という最終目的さえ同じなら同等に重視し、
持てる力を注ぐべきかと。

だけどその両輪がうまく噛み合ったからといって、
すぐに状況が好転するかというと、
これまたそうはいかないというのが現状。

そうなってくるともはや対応のしかたというのは、
現実問題としてそういう上頼みだけではなく、
むしろ個人対応のレベルが命運を握っているといっていいのかも。


ただこれに関しても、
こういう災害が起きる度に、
同じような注意喚起が一般レベルでなされているけど、
やはりいつも同じような事故や過ちが起きている。

もちろんだからといって、
それを起こした人間全てが愚かだというのではなく、
まったく予想だにしなかったことで、
そういうことが誘発されたしまったケースもあり、
ほんとうにどうしよもないケースがあることも確かなのだ。

よく「備えあれば憂いなし」というけど、
備えあってもダメな時はダメ、
そんなときさらにどうするかという、
考えられるかぎりのケースを想定する。

そしてあまりにもマニュアル化したものではなく、
ある意味大雑把だけど方向性だけはしっかりした、
そういう避難訓練や非常時における決まり事や対応等。

ダウンしてもいいからKOされないような、
そういう粘り腰のある考え方が、
今後はより必要になってくるのかもしれません。


あと最後にこれは酷かった。



地震の発生後、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では「電車が脱線した」「シマウマ脱走」など、さまざまなデマが相次いで投稿され、瞬く間に拡散した。在日外国人への差別をあおるような書き込みもみられ、「安易に拡散しないように」と注意を呼びかけるメッセージも広がっている。

 18日朝の地震発生直後から、SNSのツイッターには「乗ってる京阪電車が一部脱線してます」などの書き込みが。「脱線ってマジ?」などとすぐ拡散したが、脱線の事実はなかった。

 「外国人がコンビニ強盗を始める」などと、差別を扇動するような投稿も目立った。東日本大震災などでも同様のデマが広がり、各警察がホームページなどで注意を呼びかけた。

 シマウマの写真を添えて「大阪府北部の震度6弱の地震でシマウマ脱走って」との投稿も。この写真は、2016年に愛知県の農場から逃げたシマウマを撮影したものとみられる。

 16年の熊本地震では「動物園からライオンが放たれた」とのデマを投稿したとして、偽計業務妨害容疑で男が逮捕される事件も起きた。熊本市の大西一史市長はこの日、自身のツイッターで「情報の発信元には十分注意して」「未確認の情報をむやみにリツイート(拡散)せず、真偽を確かめてから責任をもってツイートしてください」と呼びかけた。【千脇康平、茶谷亮】

https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00m/040/046000c


さすがにこれは頭の中がお花畑ではすまない、
(人格否定発言をして申し訳ありませんが…)
とてつもなく愚かである意味卑劣な行為といっていいし、
中にはこれが本当なら、

「関東大震災時の東京じゃあるまいしふざけんな!」

と言いたくなるような、
それこそ日本そのものを貶め汚すようなものさえある。

事実なら最初の発信元を特定し厳罰に処してほしい。

ただRTした人まで連帯責任ということで罰するのは反対、
せめて厳重注意くらいにとどめてほしいところ。


それにしてもこういう卑劣な行為に加担したくはないもの、
互いに気を付けていきたいものです。
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「日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館」! [いろいろ]

14世紀中ごろの室町時代(南北朝時代)に描かれたとみられる、本州から九州のほぼ全域が記された日本地図がみつかった。広島県福山市の県立歴史博物館が15日発表した。現存する最古の日本地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けており、全体が残った地図では最古級。日本地図の変遷をたどるうえで重要な発見と注目される。

 博物館によれば、確認されたのは「日本扶桑(ふそう)国之図」(縦122センチ、横57センチ)。広島出身の収集家から博物館に寄託された。国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積、寺の数なども記された。近畿を中心に九州を上に描き、京都から各地へ街道が伸びている。当時は「琉球(りゅうきゅう)」と呼ばれ、日本と中国などとの中継ぎ貿易で栄えた沖縄も記されている。沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と表現する鎌倉時代の地図の特徴と、港町の地名が多く記されるなど室町時代の特徴を備え、さらに文字の書体の古さなどから14世紀中ごろの作と判断した。

 博物館の久下(くげ)実(みのる)・主任学芸員は「鎌倉時代と室町時代の特徴がある地図は知られていなかった。空白の期間を埋める資料という点でも重要だ」と話す。

何のため作られた?

 そもそも、日本地図はいつ、何のためにつくられたのか。

 国内で初めて地図がつくられた記録が残るのは飛鳥時代。「日本書紀」は、大化改新で中央集権国家づくりを目指した孝徳(こうとく)天皇が646年、新たな土地制度を始めるため地方の国々の境界を図などで提出するように命じたと記す。「続日本紀(しょくにほんぎ)」にも、738年に諸国の地図を集めたとの記述がある。だが、現存しないため、詳細は不明だ。

 今回の「日本扶桑国之図」には、奈良時代に諸国を巡って社会事業に尽力し、大仏造営に協力した僧行基(ぎょうき)(668~749)の名が記され、行基が原型をつくったとの伝承が残る「行基図」の一種とされる。一部が欠けるが、最古の地図とされる仁和寺と称名寺(しょうみょうじ)(横浜市)所蔵の地図も「行基図」と言われる。

 だが、多くの専門家は、都と地方を結ぶ街道が奈良ではなく、京都を起点に描かれる点などから、いずれの地図も行基のつくった可能性は低いとみる。

 黒田日出男・東京大学名誉教授(歴史図像学)は「行基図に描かれた日本列島は、密教の法具の形を意識している。行基の名が使われたのは宗教的な意味合いが強く、中世の宗教思想によってイメージされた国土を示したものだったのでは」。小野田一幸・神戸市立博物館学芸課長は「行基図の多くは寺に所蔵される。国家鎮護を目的とした祈りのために地図がつくられ、奉納された可能性もある」とみる。

戦国時代には西洋地図や地球儀も

 中世には行基図が改良されながら使われたとみられるが、南蛮船が渡来する戦国時代には西洋の地図や地球儀も伝わった。江戸時代になると、測量技術も発達し、宿場や街道情報を盛り込んだ「流宣(りゅうせん)図」、各地の地図や情報を集めて正確性を高めた「赤水(せきすい)図」などが登場。交通の発達や国防意識の高まりから精度の高い地図が求められ、1821年に伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818)らが海岸線を実際に歩いて測った「大日本沿海輿地(よち)全図」をつくり、現代の地図とほとんど変わらない日本地図が完成した。

 小野田さんは「地図は用途と目的にあわせてつくられるもので、必ず進歩するわけではない。その時代、時代で求められる要素を盛り込み、変わってきたと言える」と話す。

 地図は7月19日~9月24日、博物館(084・931・2513)で公開する。月曜休館(9月17、24日は開館)。(橋本拓樹、渡義人)

https://digital.asahi.com/articles/ASL6H36LKL6HPTFC009.html

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正直ビックリ!

国の名前と位置、
それに街道がメインとして描かれているようだけど、
群名も細かく外に付記されている。

沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と明記してあるし、
かなり興味深いものがある。

伊豆の「田方」「那賀」「賀茂」、
駿河も「駿東」「志太」をはじめとした七郡の名前が見受けられる。


ぜひ実物をみたいけどから7月から公開とのこと。

場所は広島県福山市の、
JR福山駅から歩いて十分程のところにある、

「ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

そういえば福山は「かみちゅ!」でも聖地として有名になったし、
「たまゆら」の「竹原」や、
「この世界の片隅に」の「呉」も在来線で行ける。

そして広島にもさらに多少足を延ばせば行けるので、
夏休みを利用していくのもいいかもしれません。



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「声優ユニット「WUG」突然の解散発表」についての雑感。 [声優]

同名アニメの出演声優で結成された女性7人組声優ユニット「Wake Up,Girls!」(WUG)が来年3月いっぱいで解散することが15日、分かった。同日、公式サイトで発表された。

 今年4月1日に結成5周年を迎え「皆さまのあたたかい声援、支えがなければ辿り着くことはできなかったと思います」とまずは感謝の言葉を記し「本日は皆さまへ大切なお知らせがあります。声優ユニット『Wake Up, Girls!』は、2019年3月をもって解散することとなりました」と発表した。

 アニメ作で監督を務めた山本寛氏(43)は同日、自身のツイッターを更新。「今ごっつ腹立ってる。」「奪い取って、挙句に殺す気か!」「ハラワタ煮えくり返るのに身体中の血液が持ってかれて手が痺れてる。」とユニット解散についての反応とみられるつぶやきを行った。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/15/kiji/20180615s00041000275000c.html


正直このニュースを聞いて、
意外というそれと当然というそれが去来した。

「新章」のあの終わり方をみると、
こういう流れなど想像もつかなかったし、
当然まだ続くだろうとは思っていた。

だけどその反面、
「新章」での「RGR」との扱いの温度差というか、
動かし方の違いをみていた時、

「やっぱりWUGは他人の娘なのかなあ」と、
「新章」スタッフのそれを強く感じてしまった。

逆にいうとそれくらい山本監督の色が、
動かしたとき想像以上に強く縛りとしてあったのかもしれない。


ただやはりだからといって、
「新章」がいきなり「最終章」になってしまったのはいただけない。

これではただ「RGR」の踏み台と最後なっただけで、
新しいスタイルもつくれないままに解散という、
メンバーにとってもはなはだ不本意というか、
消化不良なそれとしか言いようがないだろう。

いまさら山本監督のところで再出発できるわけでなし、
退路を断っての出発どころか、
梯子を外され道まで閉ざされたという、
ほんとうに「こんなはずでは」というところだろう。

もっとも「こんなはずでは」は、
「新章」をやっていた時も、うすうす感じていたとは思うので、
そういう意味ではまったく意外ではなかったかもしれないけど、
それでもせめてもう一度くらいチャンスは欲しかったのではないだろうか。

それともそれも出来ないくらい、
それこそ「WUG」のメンバーの中で、
修復できない亀裂ができてしまったとでもいうのだろうか。

とにかく正式発表したということで、
泣いても笑ってもあと一年も無いけど、
最後位は自分たちが今までやりたくても出来なかったような事を、
思い残すことなく好き放題やってほしい。

それが功を奏して

「Wake Up, Girls!」が、
「Get Up, Girls!」として再出発することになったら、
それはそれでファンもまたついてきてくれることだろう。

これで終わりか、これからが勝負かは彼女たちが決める事、
ただどちらに向かうにせよ、
ぜひこれからの数か月を思い残すことなく走り切ってほしいです。


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シェーンベルクの「私的演奏協会」のブルックナー。 [クラシック百物語]

私的演奏協会

1918年秋にウィーンにおいて、アルノルト・シェーンベルクによって旗揚げされた音楽団体。純粋に同時代の音楽に興味をもつ人々のために、入念なリハーサルのもとに良質な演奏を行うことをうたった。1919年2月から、1921年12月にオーストリア共和国の超インフレのため活動停止を余儀なくされるまでの3年間、117回のコンサートを行い、154作品を上演した。

と、wikiに書いてあるが、
同時代の作曲家の作品だけでなく、
それ以前の作曲家の曲や、
後期ロマン派の大編成の作品を、
ビアノや室内楽編成に編曲して演奏するという、
なかなか意欲的なそれであったといわれている。


これがそのひとつ。
https://www.youtube.com/watch?v=X4pj0Z-Rv10&t=744s

編曲はシェーンベルクの弟子、
エルヴィン・シュタインによるもの。

とにかく編曲が巧妙で原曲の良さをよく引きだしながら、
新鮮な感覚も随所にみせたものになっている。

またなんとなくですが、
どこか「浅草オペラ」を思わせるような、
妙に懐かしい響きも感じさせられるものがあります。

まあ師匠も編曲は上手かったので、
弟子も当然そういう技術には長けていたのだろう。

そんな中でいちばん驚いたのが、
エルヴィン・シュタイン、ハンス・アイスラ、カール・ランクルという、
三人のシェーンベルクの弟子たちが、
各々ひとつないしふたつの楽章を担当した、
ブルックナーの交響曲第7番の室内楽版。


しかも編成が先のマーラーより小さく、
ヴァイオリンが二人以外は、
ヴィオラ、チェロ、コントラバス、
ホルン、クラリネット、ピアノ、ハルモニウムが各一名という、
打楽器がまったくいないという9人編成。

この曲本来の編成が、

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、
ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、
ワグナーチューバ4(テノール2とバス2)、
コントラバス・チューバ、
ティンパニ、シンバル、トライアングル、弦五部。

そして弦も最低でも四十人以上が動員されるという、
とにかく大編成の曲。


こういうこともありかなり心配したけど、
聴いてみるとこれがなかなか素晴らしい。

たしかに迫力とかはないけど、
その美しく詩的で清澄な瑞々しい響きに、
とにかく魅了されてしまった。

しかもそこには、
まぎれもないブルックナーの響きがある。
これには驚いた。

ただ残念なことにこの編曲が1921年に完成されたものの、
演奏される前に「私的演奏会」が活動停止を余儀なくされたため、
公開演奏されることなくお蔵入りしてしまったとか。


1200x630bb.jpg

現在は上記の録音があるので、
もし機会があればぜひ聴いていただきたい内容です。


尚、今年(2018)の秋は、
この「私的演奏会」が開催されてからちょうど100年という、
記念すべき年に当たりますので、
できれば実演で聴いてみたいなあと思っていたらなんと、



バラホフスキーとともに
バイエルン放送交響楽団の名手たちを迎えて
ブルックナー交響曲第7番(室内楽版)
http://www.kioi-hall.or.jp/20181205k1900.html

というコンサートがあるとのこと。

最後はこの嬉しい情報を書いて〆。
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死者・不明695人「阪神大水害」の情報求める [いろいろ]

神戸市や阪神間一帯に大きな被害をもたらした阪神大水害から80年となるのを前に、関係自治体や有識者らでつくる実行委員会が、体験談や関連資料などの情報提供を求めている。集めた情報はインターネット上に「デジタルアーカイブ」(電子資料館)として保存・公開する予定で、実行委は「わずかな情報でも貴重な時代になった。断片的な記憶でも寄せてほしい」と呼びかけている。

 阪神大水害は1938年7月3~5日に発生。降り続いた大雨により六甲山麓で無数の山崩れ、土石流が起こり、兵庫県の神戸、芦屋、西宮、宝塚の4市などで、695人の死者・行方不明者を出し、被害家屋は約12万戸に達した。

 水害を契機に、国直轄の砂防事業を行うために設置された国土交通省六甲砂防事務所(神戸市東灘区)や関係自治体によると、水害関連の記録や資料は一定量、公的に保存、管理されている。ただ発生から80年となり、当時を知る世代は急速に減少。個人の記憶や所蔵写真などを社会の教訓として引き継いでいこうと、実行委を結成し、情報収集に乗り出した。

 アーカイブには、これまでに関係機関で収集、保存してきた写真や文書など約2600点を保存。これらに、水害の体験談や地域の被害状況、伝承を聞き取る様子を撮影した動画や、写真・日記・手紙など個人の手元に残る資料を加えた形で公開を検討している。

 公開方法については、「地理情報システム(GIS)」を活用し、資料とゆかりのある場所を関連づけて地図上に表示する仕組みとし、自治体のホームページなどを経由して閲覧できるようにする予定だ。個人利用のほか、小中学校での防災・地域学習、研究者の基礎資料としての活用などを想定している。

 また、撮影場所などが不明な写真は、実行委の研究者らが位置の特定作業も行う。アーカイブ公開に合わせて、シンポジウムなどの記念行事も計画していく。

 実行委事務局を担う六甲砂防事務所の岸本健司副所長は「阪神大水害を知らない次世代が過去の災害を知るための、使いやすい道具としたい。当時を知る本人だけでなく、災害の様子を伝え聞いた家族や知人の皆さんにも協力してもらいたい」と話している。

 体験談や資料の募集は8月31日まで。問い合わせは実行委事務局(平日の午前9時半~午後5時、0120・123・464)へ。(安田弘司)

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180612-OYT1T50087.html?from=ytop_main6


この災害についてはかつて戦前の新聞を調べていた時に、
偶然この記事をみてかなり驚いたという記憶がある。

その後都賀川水難事故でもこの件が扱われていた記憶があるが、
あらためてすさまじい水害だったことが感じられる。

詳しい写真等は、
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%98%AA%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E6%B0%B4%E5%AE%B3&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjY-KKDi9DbAhUGv7wKHTRIBhYQ_AUIDCgD&biw=1112&bih=651



http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/flood/flood03_01_00.html
という 神戸市サイト内にある上記コーナー等をご覧ください。

情報のある方は上記連絡先へお寄せください。

よろしくお願いいたします。
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神奈川フィルで聴きたい作品・ソリスト・指揮者とは [演奏会いろいろ]

「神奈川フィルで聴きたい作品・ソリスト・指揮者とは」

というものが募集されている。

https://twitter.com/kanagawaphil/status/1006011071398678531

神奈川フィルのツィッターにもありますが、
以下のページで募集しているようです。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc3k1qsvMq9xw4tjrYYp_t9kvf6mTVgaM1YRvbvInQVvc2kGQ/viewform


自分はすでに書き込みましたが、

交響曲は、
https://www.youtube.com/watch?v=tCV0miiH4rI
ツェルニーの交響曲第1番

https://www.youtube.com/watch?v=FyKgDcXgols
ルイーズ・ファランクの交響曲第2番

https://www.youtube.com/watch?v=sJ71SCI6ua0
スタンフォードの交響曲第3番


協奏曲は、
https://www.youtube.com/watch?v=QKYon9rUWyk
アンタイルのジャズ・シンフォニー


その他では、
https://www.youtube.com/watch?v=dM4QQo6SoWU
スタンフォードの「アイルランド狂詩曲」第6番

指揮者では、

アンドレイ・アニハーノフ
アラン・ブリバエフ
ドモンコシュ・ヘーヤ


ソリストでは、
ラルフ・ヴォタペック
フランス・ヘルメルソン

と書いて送りました。
皆様も送ってみてはいかがでしょうか。

因みにその後も再度内容の違うものも送りましたが内容は秘密ということで。
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なぜ聖地研究から大洗と沼津は外されるのか。+余談 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

これは自分の誤解もあるかもしれないので、
あくまでも自分のイメージということを前提にしておきます。


よく「聖地」がらみのことを研究している本、
または研修会などに行ったり発表会に行くと、
「鷲宮」「飯能」「秩父」という埼玉圏や、
北陸、甲信越をはじめとして、
とにかく全国津々浦々の場所が取り上げられている。

だがそこでは「大洗」や「沼津」という、
ここ数年大きな話題となった二つの聖地があまり絡んでこない。

これは今の若手や中堅音楽評論家にもある傾向だけど、
あまりにもメジャーになったものを今更とりあげるより、
いまひとつマイナーなものを取り上げることで注目され、
自らの存在感を示すという、
それがこれらを研究している人たちの間にも、
同じようにあらわれているのかなと思ったり、
また何か派閥意識みたいなものがあって、
そことは何か疎遠になるようなものがあるのかとも、
とにかくいろいろと勘繰ってしまった。


ただいろいろみていると、
この二つは大きなメーカーが仕掛けた、
いわゆる「狙ってつくられた」聖地であって、
自然な流れで育っていったそれではないという、
そういうものがどうも研究にする方にはあるようで、
成立過程にそこの浅さを感じ、
研究のし甲斐が無いと思われているような感じがした。


もっとも似たような過程を経ていた「安房鴨川」は、
聖地として失敗したという烙印を押されたため、
そういうひとつの稀な例として研究されているようです。


確かに「大洗」も「沼津」も、
「豊郷」や「鷲宮」とはその出発点が違うし、
そもそも「大洗」と「沼津」が、
最初から大きく名前として全面に出ている。

いかにも「聖地」を上から仕掛けたのがみえみえと、
そう感じられてもしかたないだろう。

ただ実際がその通りだったかというとどうだろう。

まず大洗がこの作品が放送される以前、
確かに311で死活問題になりかねない打撃を受けたことで、
藁にも縋るような状況だったとはいえ、
あのキャラとあの設定のアニメを、
よくそれだけで乗る気になったものだと正直今でも驚いている。

しかも本放送はBS以外現地では放送されなかったため、
最終回放送から一か月後に現地に行った時は、
前年の「あんこう祭り」が311以前より、
放送の関係で動員数が多かったにもかかわらず、
何か町全体はどこか冷めたような雰囲気というか、
街に「異物」が入り込んで来たかのような、
どこか作品と街とが乖離しているようなそれが商店街でも感じられた。

だがそれから四年経ち状況は大きく変わった。

特に今年(2018)の海楽では、
地元の子供たちが積極的にガルパンの痛車や戦車に対し、
触れそして愉しんでいる光景を目にした。


沼津も同様に最初はどうしよもなく鈍かったけど、
今は全年齢層にそのキャラがまるで熊本の「くまモン」のように浸透し、
以前からあった他のゆるキャラともじつに自然に融合してしまっている。


ともに決して楽な道のりではなく、
特に沼津など鴨川と同じ道を辿りそうだったことを思うと、
この二つの街がどう「聖地」として現在のそれに至ったかを研究するのも、
自分はかなり有意義だし、
他の聖地にも参考になる事がそこにあるのではないかという気がする。

話が脱線したので元に戻しますが、
「大洗」や「沼津」はたしかに他の聖地とは違うかもしれないが、
だからといって研究対象から外してしまうのは、
現在に至るまでの紆余曲折や,
特に「沼津」のその予想の斜め上を行く展開を思うと
なんとももったいない気がする。


また一部ラブライバーを名乗る卑劣なフーリガンの行為等も、
その行動心理を研究する人たちにはもってこいの素材だろうけど、
それはまた別ジャンルの話。


とにかく何故外されるかは憶測の範囲なので、
これ以上のそれは避けるけどとにかくもったいない話だ。

できればこの二つの街も、
特に若い人たちの視線であらためて精査し研究してほしいものです。


(余談)

多くの方々が「聖地」を熱心に研究するけど、
それを現地に研究者の方々が落とし込みはするが、
それらをさらに横に広くフィードバックするという、
そういうシステムが無いのが本当に歯がゆい気がしてしかたがない。

多くの企業が観光に聖地の研究を利用するが、
聖地になる過程で起きた「成功例」「失敗例」というものを、
他の聖地、もしくは聖地になったばかりのところに、
共通の認識や参考として広めるというシステムがこの国には無い。

そういう機関があり、
そこにそれらの研究の成果が一覧でき、
さらに具体的に個別例の相談を受けられる窓口が開設された、
そういうサイトが無いのが本当にダメだと思う。

これでは無意味に同じようなトラブルが各地でこれからも起きるだろうし、
それがより不幸な結果を地元やビジターに招く可能性もある。

また無意味に遠回りして正解に辿り着くような愚行も避けられる。

ただそれ以上に誰からも気軽に、
これらの研究が読まれ知られる事はさらに重要だと自分は思う。

とにかくそういうシステムが無いのは本当に悲しいし、
観光ばかり美味しいところにばかり先行投資してるようでは、
聖地をただ食い荒らすだけ食い荒らし、
そのうち枯渇し飽きられ朽ち果てていくだろう。

いくら水をやっても土を腐らせては意味が無いのです。

因みに何故こんなことを最後に書いたかというと、
以下の記事を目にしたからです。

最後にそれをあげておきます。


アニメ「ゆるキャン△」、ファンが無断立ち入り写真撮影 「聖地」山梨のキャンプ場管理人が激怒

テレビアニメ「ゆるキャン△」の舞台だとされる山梨市内のキャンプ場の管理人が、「聖地巡礼」に来る一部ファンのマナーの悪さに怒っているとツイッター上で紹介され、様々な意見が出ている。

夜景がきれいと人気のあるパインウッドオートキャンプ場で、管理人は、J-CASTニュースの取材に対し、「常識が分からない人が多すぎる」と不満をぶつけた。

ファンが撮影を断られたとツイッターで報告

「ゆるキャン△」は、キャンプが好きな女子高生たちの日常を描いた漫画が原作で、月刊漫画誌「まんがタイムきららフォワード」(芳文社)に2015年7月号から連載が続いている。アニメ化されて、TOKYO MXテレビで18年1~3月に毎週放送されるなどした。

パインウッドオートキャンプ場には、ファンが「聖地巡礼」で訪れているが、ファンの1人は2018年6月9日、この日に訪問して管理人に写真撮影の許可を求めたものの、ファンのマナーが悪いとして断られたとツイッター上で報告した。

ファンが無断で敷地に入って撮影していくとして、管理人は、かなり怒っていたという。このファンは、管理棟に出向いてあいさつし、撮影を断られたので、キャンプ場の雰囲気だけ味わい、お礼を言って帰ったとしている。

このツイートは、ネット掲示板上などでも話題になり、無断で敷地内に入るファンらに厳しい声が相次いでいる。

「ひとんち勝手に入って写真撮ったらそりゃ怒るだろ」
「敷地内には普通の客もいるのに写真撮られて良い気分はしない」
「普通にキャンプ料金払ってキャンプすればいい」...

「常識が分からない人が多すぎます」

一方で、「良い宣伝になってシーズンの利用客が増えるのに」とキャンプ場はもっとファンを有効利用すべきだといった声や、「マナーの悪い一部のファンのせいで楽しみが減ってしまうのは残念」との不満も漏れていた。

パインウッドオートキャンプ場の管理人は6月11日、取材に対し、9日の土曜日はキャンプ利用者が定員に達しており、ツイート主には写真撮影を断ったかもしれないと答えた。

そのうえで、聖地巡礼に訪れるファンについては、怒りをぶつけた。

「常識が分からない人が多すぎます。無断で入る人は、土日を中心にこれまで数十件もあり、夜中だって来る人はいます。『こんにちは』などと言ってあいさつに来る人は、10人に1人ぐらいですよ。ペットボトルなどのゴミを捨てていったりして、迷惑しています。物置や自販機の物や、お客さまの所有物がなくなったりしたこともありました」

あいさつに来れば撮影をOKしたいと言うが、ケースバイケースで対応しているそうだ。マナーが悪い人が多いとして、行政が観光マップに載せたいなどと言って来ても、断っているのが現状だという。

https://www.j-cast.com/2018/06/11331077.html?p=all


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沼津に航路は不要なのか [沼津~三の浦]

自分が沼津から三の浦まで歩くようになったのは、
2016年からだいたい十回くらいだと思うけど、
その間いつもおもうことに、

「これだけ綺麗な景色と海をもちながら何故航路がないんだろう。」

という疑問だった。

そのことをある人に聞いたところ、
かつては確かにあったけど今はたまに臨時便がある程度ということだった。

確かにネットでみるとかつては、

沼津〜大瀬〜戸田〜土肥〜松崎、という航路があり、

それが廃止された後にも

沼津〜戸田〜土肥、という航路が臨時としてあったようです。


自分は沼津の地図や実際歩いてみた時感じたのは、

木負~ららら、あたりまではなんとなく沼津から
「続いている」
というイメージがあるけど、

歩くという意味ではそこから先、
さらにバスという感覚からみても
大瀬から南は別世界というか沼津というイメージが希薄だった。

最近はその大瀬まではバスが少し増えたので、
大瀬に関しては少しイメージが強くなったけど、
戸田より先は沼津市役所 戸田庁舎があるとはいえ、
やはり個人的には沼津から直接の交通手段が無いことから、
正直自分には「沼津市」というイメージはあまりない。

沼津駅近辺に住んでる人にとっても、
三島はもちろん、
清水や静岡の方が在来線で行っても、
時間も金額も半分程で着いてしまう。


じゃあバスを戸田まで常時延長させるかと言うと、
これまた二時間程かかるし、
金額も二千円近くなってしまうことを思うとはたしてどうなんだろうと、
正直疑問に思ってしまう。

因みに戸田から沼津に行く場合は、
バスで修善寺まで出てそこから電車で三島、
あとはそこから乗り換えて沼津というのが最短らしい、

他にもバスで伊豆長岡から沼津へ向かうルートもあるけど、
こちらの方がやや時間がかかってしまうようだ。

ただそれ以上に問題なのは採算性だろうか。

あまり参考にはならないかもしれないけど、
自分が朝平日伊豆箱根バスで「口野口」まで乗った時、
沼津ではけっこう混んでいたけど、
「獅子浜」をすぎると三人くらいしか乗っていなかった。

さらに日曜日の朝、「多比」行のバスに乗った時は、
「志下」をすぎたあたりから自分ひとりになってしまい、
そのまま終点まで貸し切り状態になってしまった。

それに比べると東海バスはラブライブ特需というかんじで、
三津シーあたりまでかなりいつも混んでいるようだった。

もっとも伊豆箱根バスも、
伊豆長岡から三津シーに行くそれはそこそこ盛況という話を聞く。

ただやはりそこ止まりで、
自分も歩いてみた限りでは木負~ららら付近までが、
ラブライブ特需の南限かなあという感じがした。

だけど沼津に訪問した人でこの街に好感をもち興味を持った人は、
大瀬岬や戸田ありも訪問したい気持ちを持った人は少なくないはずだ。

だが車やバイク等で訪問された人以外、
つまり公共交通機関でしか訪問手段が無い人には、
なかなかこのあたりが難しい。

特に戸田はかなりしんどい。

それを思うと毎日は無理としても、
土日祝だけでも沼津航路を常時再開設しほしいところ。

そしてできればそれは、

沼津~三津~大瀬~戸田

というコースで行ってほしい。


これをどこが運行するかはあれだけど、
沼津市がかなりそれを負担するという形での、
どこかの民間企業への委託という形がベストだと思う。

また土肥や松崎まで延長するのなら、
伊豆市や賀茂郡も一部負担になるかもしれないけど、
そのあたりも考えていいのかもしれない。

そしてできればそこは小型のフェリーでもいいけど、
個人的にはジェットフォイルが理想。

Tokaikisen-Yume.jpg
※wikiより

これは時間的な部分もあるけど、
これだけでも人が呼べるという、
そういう魅力的なものであるということ。

これはLRTと同じ感覚といっていいと思う。

ただもちろんこれも問題がある。

ジェットフォイルに各港が対応できるかということと、
それへの準備等を含めた採算性と市の負担額の大きさがそれ。

因みに来年度には土肥~清水にあった、
駿河湾フェリーが廃止されることが発表されているため、
想像以上ににかなり厳しい部分はある。

ただ沼津や内浦の活気を戸田にさらに流し込み、
よりビジターを呼び込むという意味では、
戸田そのものをより元気にするという意味ではありだろうし、
もともと海水浴客が多い地区なので、
季節によってはより活況を呈するだろう。


戸田往きだったかどうかは分からないけど、
かつては明治の頃から、
三津からの航路があったことが分かる絵もあり、
そういう意味では再度このあたりの航路に一考を要してほしいところ。
三津2.jpg

陸路での移動も確かにあれだけど、
これだけ海に沿った地域ということを考えると、
やはり航路は必要なのでは?と言う気が強くします。


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