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女性が土俵に上がることについて。 [スポーツ]

兵庫県宝塚市で6日に開かれた大相撲春巡業で、中川智子市長が「女人禁制」とされている土俵でのあいさつを認められず、土俵下から「女性だからという理由で認められないのは悔しい。伝統を守りながらも、変えるべきものは変えていくべきではないか」と訴える一幕があった。

 中川市長は、昨年4月に同市で行われた春巡業でも土俵下からあいさつ。その際は疑問を持たずに受け入れたが、4日の京都府舞鶴市での巡業で多々見良三市長が土俵でのあいさつ中に倒れたことが報道され、「男性市長は土俵に上がっている」として、日本相撲協会側に5日、土俵上でのあいさつを要望。しかし、「伝統に配慮してほしい」として土俵下でのあいさつを求められたという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180406-OYT1T50112.html?from=ytop_main7


大相撲の女人禁制については、
かつては土俵上どころか、
見る事も禁止されていた時代があったらしいけど、
明治期に人気回復のためそれを撤廃したという、
神事の割には人間臭い理由で、
女性にそれを解放したという歴史があったとか。

それとこれとは違うかもしれないけど、
女性を土俵にあげる事は、
スポーツレベルではともかく、
大相撲という神事にかかわるものでは、
どうもそれはダメらしい。


ただ何故あげていけないのかというと、
その伝えられている理由があまりたいしたものではなく、
慣習に適当な理由をつけて伝統にしたような、
そんな感じがしてしまった。

ただだからといって、
じゃあすぐに取っ払えという気もしない。

というより自分はそれ以前に、
確かに土足ではないにせよ、
力士が裸足、
それ以外の協会の人たちも裸足か足袋を履いてる事を思うと、
力士や協会以外の人が土俵の上に上がる場合は、
能舞台でも一般の人があがる約束事としてあるように、
まず赤い絨毯を敷き、
そのうえですべての人たちが、
黒系か白の足袋をかならず履いて土俵に上がるよう、
そう義務づけるべきではないかと思ってる。

そしてその上で、
男女とも土俵に上がれるようにしたらいいと思う。

それでもダメなら、
どこかに参拝するとか、
行事に参加するという縛りをつくってもいいだろう。

とにかく霊峰富士でさえ今は女性も登山をしている。

公益財団法人を返上するならともかく、
そうでないのなら、
自分は前述した条件の上、
男女とも土俵に上がれるようにした方がいいと思う。

出雲大社や伊勢神宮も、
女性の参拝を禁止してはいない。

雰囲気やなんとなくだけというのは、
はたしてどうなんだろうという気はする。


ぜひ協会には力士も含めて一考を願いたい。
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チェリビダッケのブルックナーの4番(1989)ライブ盤 [クラシック百銘盤]

チェリビダッケのブルックナーの4番を初めて耳にしたのは、
かつてLPの海賊盤でシュトゥットガルト放送響を指揮したものだった。

それはモノラルの音質でややぼやけたものではあったけど、
その悠揚たる音の流れと、
そして終楽章のコーダーにおける特長のある弦の表情が、
極めて強く印象に残った。

それから何年も経ち、
ようやく彼の指揮によるブルックナーの4番の実演に接した。

1990年10月6日:オーチャードホールでのそれ。

だがこれは自分が聴いた場所が悪く印象がいまいちだった。

このため10月16日:サントリーホールで、
再度この曲の演奏を聴きに行った。

そしてそのとき自分は生涯忘れられないような、
凄まじい経験をしたものだった。


それから月日が流れ、
チェリビダッケが亡くなった後あたりから、
彼のライブ盤が遺族の許可を得て大量に発売された。

そしてその中に1988年にミュンヘンフィルと演奏された、
同曲のライブも含まれていた。

それは来日公演の二年前に収録されたもので、
ギリギリCD枚に収まるという長大な演奏だったが、
自分はこれを聴いた時、
実演に比べずいぶん聴きやすくなった印象があった。

もちろん基本的なものは、
実演の時とイメージはそれほど変わらないものの、
若干コンパクトなものに感じられたものだった。

そしてチェリビダッケの生誕百年の年に、
この1989年にウィーンで録音されたライブが登場した。

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これは聞いた話によると、
本来はチェリビダッケ存命時に、
レーザーディスクでの発売として画像ととものに収録したものの、
そのカメラワークに指揮者が不満を表明し、
発売が急遽中止になったそのときの音源だというらしい。

自分はこの話を複数の方から聞いた記憶があるが、
ついに確定には至らなかったので、
あくまでもここでは「らしい」という程度にとどめておきたい。

演奏時間は前年のものよりかなり遅くなり、
ついにCD2枚組となった。

22:41、18:16、11:20、30:05、という、
全体で約82分になるものとなっていた。

そしてそれは自分がサントリーで聴いたそれに、
以前の1988年盤よりかなり近しいものに感じられた。

このときのチェリビダッケの演奏は、
膝の状態のアッカにより椅子に腰かけるようになったため、
そのテンポが遅くなりはじめたころのものだという。

そして遅くなった分、
表情はさらに細かく凝らされ、
聴く側により強い集中と緊張を与える傾向が強くなった。

また1986年の来日時に演奏したブルックナーの5番が、
それこそ最初から最後まで、
指揮者がすべてをコントロールをし尽していたのに対し、
こちらは随所にオケに音楽を任せているように感じられた。

特に第一楽章の出だしなど、
まるでチェリビダッケが最初の一振りのあと、
音楽がどういう方向に流れていくのかを、
じっとみつめているような感じが強くした。

それはあたかも水面に軽くふれ、
そのとき生じた水紋がどう水面に拡がっていくかを、
しっとみつめその様子を観察しているかのようだった。

もっともこれはオケ任せとはいっても、
そのオケがチェリビダッケ自身によって、
その音楽や精神を芯から刻み込まれている団体ということで、
何か今の自分と過去の自分との対話と協調を、
時間をかけて行っていたような、
そんなふうにも感じられた。

それはいわばこの頃の彼の儀式だったのかもしれないし、
オケにより自分の考えを浸透させる術のひとつだったのかもしれない。

そんなことがこの演奏を聴いて強く感じられた…、
というより1990年のサントリーホールでの感想が、
あらためて蘇って来たかのように感じられた。


ただ自分のように彼の実演を聴いた事のある者はともかく、
そうでない方にはこの演奏全体はひどく遅く、
些か間延びしたように感じられるかもしれない。
(それこそがチェリビダッケが録音を嫌った理由であり、
後世への誤解を恐れた結論だったのかもしれないのですが…)


このあたりがこの演奏の好き嫌いが分かれるところだろう。

だがそれでも第二楽章終盤に聴かれる、
驚く程表情の深いティンパニーの響きは、
すべての聴き手に強い感銘を与えるはずだと自分は確信している。


そして終楽章のコーダ。

弦の独特のアクセントをともなった強靭な刻みに支えられながら、
じりじりと高みへと上りつめていく管楽器の雄大な響きが、
この曲を極めて危険な領域にまで踏み込ませようとしていく。

それはまさに奇跡としかいいようのない瞬間であり、
終演後はその超弩級の音楽に圧倒しつくされたためか、
拍手も歓声もしばらく起きる気配がなく、
ようやく起きたそれらも演奏の呪縛から逃れられるまでは、
ひどく呆然とした腑抜けのようなものに感じられた。

人はあまりにも圧倒しつくされると、
声も拍手もできなくなってしまうのだろう。

それはサントリーホールでも同じだった。


あのときは正直何が起きたのか分からないという、
そういう感じの人がほとんどだったと思う。

もちろん自分もその一人だった。

ただ正直に言うと、
この優秀な録音をもってしても
あのサントリーホールでの、
それこそ身体中に深く刻みこまれるように、
強靭なリズムを刻んだ弦のそれは再現されていない。


素晴らしい録音だからこそ、その限界を感じてしまったという、
なんとも皮肉な感じに最後なってしまったが、
それでもこの演奏は自分にとってとても有難いものになっている。

これはいろんな意味でチェリビダッケの音楽が、
かなり明確に収録された音盤と言える。

誰にでも勧められる類のものではないが、
不世出の名指揮者の偉大な記録として、
永久に忘れ去られる事が無いよう願いたいこれは名盤です。

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大指揮者コーツによる1929年録音のバッハのロ短調ミサ。 [クラシック百銘盤]

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ソリストーエリザベート・シューマン(S)
マーガレット・バルフォー(A)
ウォルター・ウィドップ(T)
フリードリヒ・ショア(B)
フィルハーモニア合唱団
アルバート・コーツ指揮ロンドン交響楽団

1929年9月、ロンドンにて録音。


この録音はEMIが世界初の同曲全曲録音だったとのこと。

なぜこの曲がこの時録音されたかは分からないが、
前年日本からの要請で、
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が他社により録音、
それが日本で驚く程予約が入った事がきっかけになったのかもしれない。
(このベートーヴェンは宮沢賢治も購入している)


このバッハに登場した歌手も当時としては有名で、
エリザベート・シューマンはもちろんだけど、
フリードリヒ・ショールやウォルター・ウィドップなど、
当時かなりオペラで活躍したり、
マーガレット・バルフォーのように、
エルガーのオラトリオの録音に参加していたりという、
そういうメンバーがソリストとして登場した。

オペラ畑の人が目立つのは、
コーツがオペラを得意として名声を博していた事もあったと思われる。
実際ウィドップなどは特にコーツとよく仕事をしていたという。

そして指揮のコーツ。

1882年にロシアで生まれ、
その後ニキシュに師事、
第一次大戦後はイギリスで活躍した指揮者で、
ロンドン響のトップを四シーズンつとめ名声を博したが、
当時の新作をいろいろと紹介したり、
(その中にはホルストの「惑星」のロンドン初演もある)
録音も同様に活発に行った事で人気もあった。

またオペラに非凡な力量を見せていたことから、
協奏曲でもその実力を買われ、
ホロヴィッツ透とも共演し録音を行っている。

プロコフィエフも自作の第三協奏曲を録音したとき、
コーツを希望する指揮者としてあげていたようだった。

そんな彼が47歳の時、
ある意味最もその活動がピークを迎えていた時に録音されたのが、
このバッハだった。


演奏は当時のコーツの特長が良く出た、
早めのテンポでぐいぐい熱く押していきながら、
この大曲を緊張感と誌的な美しさを両立させながら、
見事にまとめあげていくそれがじつに素晴らしく、
多少歌唱的に古く感じられ部分があるものの、
今聴いても素晴らしいほどに説得力のある演奏に仕上がっている。

このあたりは彼がワーグナーのようなオペラの大曲を得意としていた事も、
かなり活きていたのではないかと思われます。

演奏時間は「キリエ」と「グロリア」が約62分。
それ以降が約61分となってます。

録音も当時としてはかなり聴きやすく良好です。


現在はあまり店頭でもみかけませんが、
ネットでは全曲聴けるようなのでぜひ一聴をお勧めしたい。

今(2018)から約90年前の録音です。


尚、指揮者コーツの音盤はかなり多く、
そのため戦前からかなり広く出回り、
日本でも宮沢賢治がいくつもその演奏の音盤を購入していました。

ただこのバッハは賢治が購入したという記録が無く、
もしこれを賢治が聴いていたら、
彼の作品にどう影響を与えたのかとても気になるところではあります。


ところでそのコーツですが、
50歳を過ぎた頃に録音契約が完了すると、
急速にその存在が記録上希薄になっていく。

そして第二次大戦後はイギリスを離れ南米に移住し、
1953年に71歳で亡くなられた。

このため戦後も活動していにもかかわらず、
何か戦前で活動を終了したように感じられ、
現在も古い録音で、
しかも協奏曲における指揮者くらいしか見かけなくなったため、
器用な伴奏指揮者みたいなイメージが定着しているのが残念。

そういう意味では、
レオ・ブレッヒと似たようなイメージで、
現在多くの方からみられているのかもしれません。


ただこれは日本だけではないようで、
イギリスでもオペラはともかく、
古典派を中心とした音楽を積極的に録音していたにもかかわらず、
どうもそのあたりのコンサート指揮者としての評価が低く、
それが戦後イギリスを去る要因となったようです。


そんなある意味不遇な指揮者だったコーツですが、
このバッハを聴くと、
なんでこんな凄い指揮者が、
という気持ちにもあらためてなってしまいます。

確かに小品では荒っぽい演奏もありますが、
「死と変容」やチャイコフスキーの交響曲第3番のように、
素晴らしい緊張感に充ちた演奏もあることから、
このバッハとあわせて再評価されてもいいのでは?と、
個人的には考えています。

カール・リヒターやギュンター・ラミン以前の、
ひとつのバッハの演奏の記録ということでも、
貴重な資料のひとつだと思います。


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東京芸術劇場における三つのライブ盤。 [クラシック百銘盤]

池袋の東京芸術劇場。

このホールでかつて行われた演奏会のライブ盤が、
ここ数年いくつか発売されている。

~東京芸術劇場アーカイヴ・シリーズ~

というものだけど、
その中から三点のオケものを今回取り上げます。

最初が、ペーター・マーク指揮の「第九」

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ペーター・マーク指揮東京都交響楽団
小濱妙美(S)、郡愛子(Ms)、市原多朗(T)、福島明也(Br)
尚美学園第九合唱団(合唱指揮:松下耕)

1990年12月21日 東京芸術劇場

自分この数日後、
東京文化会館でマークと都響の第九を聴いている。

その時は最初に「フィンガルの洞窟」が演奏され、
これがまた絶品だったが、
第九はそれを超える素晴らしいものだった。

特に第三楽章は、
フルトヴェングラーのバイロイトの第九を想起させるほどのもので、
自分にとって生涯忘れることのできない名演だった。

もっともこのときの演奏はちょっと普段と違う状況の演奏だったため、
CD化にはあまり向かないものだったことも確かで、
無類の感動は与えられたけど、
完成度や繰り返し聴くという意味では、
今回の池袋でのライブの方がいいような気がした。

ペーター・マークというと、
小味というイメージを持たれる方がいらっしゃるかもしれないけど、
1986年に都響と録音された「真夏の夜の夢」や、
1990~1995年にライブ録音されたシューマンの交響曲、
そしてこの第九はそういうイメージを一掃してしまうほどの、
深さと奥行きをもった熱く真っすぐに聴き手に迫る名演揃いだった。

この第九もぜひ多くの人に聴いてもらいたい名演。


続いての一枚は、ギーレン最後の来日公演ライブ。

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ミヒャエル・ギーレン指揮バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団
カルメン・ピアッツィーニ(Pf)

1992年11月25日東京芸術劇場

①ウェーベルン:パッサカリアOp.1
②モーツァルト:ピアノ協奏曲第16番ニ長調K.451
③マーラー:交響曲第10番より第一楽章「アダージョ」
④モーツァルト:交響曲第38番ニ長調「プラハ」K.504


じつはこの公演は当初行く予定だったが、
当日体調不良のため断念したもの。

もっともこれには当時池袋に行くには、
今のように湘南新宿ラインがあるわけでもなく、
高所恐怖症には辛いエスカレーターがホールに多々ありと、
体調の芳しくないものにとっては些か厳しいものだった。

それだけにそのコンサートがこうして聴けるというのは、
じつに嬉しい限りだった。

演奏はどれも素晴らしかった。
ウェーベルンがこんなに聴きやすく聴こえたのは初めてだし、
マーラーもじつに密度の濃い演奏だった。

ただそれ以上に驚いたのはモーツァルト、
協奏曲もよかったけど、
それ以上に「プラハ」が圧巻だった。

当時この演奏は超高速演奏などと言われていたけど、
いざ聴いてみるとそこまでのものとは思えず、
心地よい爽快感の方が印象として先に立った。

それだけにあの時の自分の体調の悪さが悔やまれる、
なかなか聴き応えのある演奏会だった。

因みに「プラハ」の演奏時間は、12:07、6:29、7:35。


尚、録音のせいか金管や玄がややローカルな響きに聞こえたけど、
オケそのものは指揮者のそれに充分応えているように感じられた。

この演奏会のCD化を実現させてくれた、
すべての方たちに深く感謝の意を表したい。

本当にいい時代になったものです。


最後がスヴェトラーノフのロシア音楽。
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エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団
1995年5月19日東京芸術劇場

①ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1945年版)
②ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

この公演はツアー初日のもので、
自分はこの二日後のサントリーホールでの「法悦の詩」を聴いている。

ここでの演奏もそのときとだいたい基本ラインは同じで、
ショスタコーヴィチもスヴェトラーノフの手にかかると、
ソビエト音楽ではなくロシア音楽になってしまうのが面白い。

そして今回のそれは、
スヴェトラーノフ晩年のそれが顕著にあらわれている。

スヴェトラーノフはご存知のように作曲家としても著名で、
本人も作曲は余技とは考えていなかったようだ。

そのせいかライブでは楽興の愉しさをオケともども楽しむ傾向があったが、
録音となるとその姿勢が一変し、
楽曲第一主義を通し解説的ともいえる演奏を心がけていた。

またライブでのスタイルが、
時代によって奔放になったり手堅くなったりとけっこう流動的なのに対し、
録音に関してはこの姿勢は一貫していた。

もっともこの録音に対しての印象は確かに生涯一貫してはいたが、
年々そこにライブでも感じられる熱気や気迫もあらわれはじめ、
充実感がただ事ではないものになっていった。

そしてライブのスタイルもかつての奔放さが次第に影を潜め、
録音時のそれを感じさせるものに傾いていった。

それはスヴェトラーノフと同様に、
指揮者としても作曲家としてもピアニストとしても非凡だった、
かのフルトヴェングラーを思わせるものがあった。

今回収録されたこの二曲は、
それらがひじょうによくあらわれた演奏で、
会場ノイズさえなければセッション録音と言われても納得してしまうような、
そんな感じの演奏となっているが、
これはこれで当時のスヴェトラーノフらしい演奏といえると思う。

彼は決して爆演至上主義の指揮者というだけではなく、
作曲家として同業の作曲者の心情を汲むこともできる、
切り替えのかなりハッキリした、
それでいてけっこうシンプルな思考をもった指揮者と言えるだろう。


とにかくここではそんな彼の、
当時のベスト・ライブパフォーマンスがあり、
彼が1990年代にセッション録音として遺した、
チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービンの交響曲全集と繋がる、
ひじょうに味わい深く内容の濃いものとなっています。

それはフルトヴェングラーがウィーンフィルと1950年代にセッションで遺した、
ベートーヴェンの交響曲集と基本理念に相通じるものがあるように感じられた。

派手ではないが何度も聞き返したくなる演奏です。


(余談)

ところで最後に余談ですが、
演奏家にレッテルを貼ってから聴くという行為は、
その演奏家の本質を聴き落とす危険な聴き方だと思っている。

ただそれは聴き手自身に跳ね返るだけなので、
自分がどうこう言う筋合いはないけど、
評を自分の生業としている人が、
自分の貼ったレッテルと違う演奏、
言い換えれば自分のイメージや「こうあるべき」という思い込みを、
その演奏が違ったからといって、
それを「何々が不足している」「踏み込みが足りない」「見当違い」
などと決めつけ評としてばらまくのは、
演奏家に対してのリスペクトが甚だしく欠けているというだけでなく、
聴き手として目の前にある音楽に対し、
些か拙劣な姿勢にすぎるのではないかと自分は思っている。

Aという演奏家が明るく楽しくフォルムに心を砕いて音楽をしているのに対し、
それを聴いて頭ごなしに「深刻さが不足し形にとらわれすぎている」
などと言ったらあまりにも滑稽かつお門違いもいいとこに感じられるだろう。

ふつうは「何故Aはそうしたのだろう。」
とまずは理解しようと考えるのが順序というもの。

いきなり否定したらどこまでも平行線に終始してしまうだろう。

そういう部分の、
まず目の前にあるものを受け入れるという、
広さと大きさ、
そして思慮深さというものもある程度持つべきではないだろうか。

自分至上主義の聴き方も確かに気楽で愉快な部分はあるけど、
いわれのない傷をつけて名を売るとはいうのは、
決して読んでいて楽しいものではない。

評を生業にしている人たちは、
このあたりの事に対して真摯に向き合い一考を要してほしいです。



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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」10&11話をみて。 [アニメ(2018放送開始)]

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http://violet-evergarden.jp/

第10話 「愛する人はずっと見守っている」
第11話 「もう、誰も死なせたくない」

を続けてみた。

それまでのこの作品は戦士として生きた主人公の、
「愛」
というものをさがす心の旅のような趣だった。

だがこの二つの話はそれだけではなかった。

10話では人の想いが年月を超えてそれを伝える話。
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11話では戻る事の叶わぬ地へ想いを伝える話。
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ともに送り手が二度と会う事の無い最愛の人へ、
その想いを年月や距離を超えて伝えていくという内容ですが、
そこには人の「命」というものと正面から向き合うという、
そういう部分が「愛」と絡めながら話の前面に出て来るというもの。

だが話はそれだけではすまないものだった。

それを仲介し伝える事になったのが、
かつてはたしかに環境的な問題等があったとはいえ、
その当時かけがえのない「命」を、
機械的といえるほどに奪いつづけた主人公だという事。

しかしその当時とは違い、
本人は少しずつ人としての感情を呼び起こされ、
心の立ち位置が大きく変わってきている。


このためこの二つの話は、
「命」を奪い続けてきた者が、
「命」の大切さを心に刻み込まれていくという、
「命」という物に対しての劫罰と贖罪の物語という、
そういう面が強くあらわれていたように感じられた。

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そのためこの両話での主人公の涙は、
ただ悲しくて泣いたというだけでなく、
「命」というものに対するそれを魂に刻み込まれていく、
ひとつの痛みからくるそれのようにも感じられた。

こう感じられるのは、
おそらくさらにひとつ前の話、

第9話 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

が大きく影響している事は確かだと思う。

この話がおそらくみている人の心に深い感銘を与えるのは、
そういう部分があるからかもしれない。

自分は原作を読んでないので、
この考えは的外れなものかもしれないけど、
アニメをここまで見たそれとしては、
以上のような事が感じられた。

けっこう愛情深く、そして厳しい一面も併せ持つ名作です


しかしこういう作品、
「宇宙よりも遠い場所」もそうだけど、
もう少し早い時間帯での再放送もしてほしい。


あと深夜アニメだから質が低いとおもっている人たちにも、
ぜひこれらの作品をじっくりと見てほしいと思った次第です。




余談

そういえば第11話に須藤祐実さんがマリア役で出ていたけど、
須藤さんのTVアニメなんて何年ぶりにみただろうか。
近年はハーマイオニー役という印象が強かったのでとても新鮮だった。

ドゥーニャからもう15年かあ。
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大洗海楽に行く。 [大洗とその周辺 (oarai)]

今回はいつもより少し遅めに水戸に着く。

この日は気温が上がって暖かくなるという話だったけど、
朝の6時すぎの品川駅はけっこう寒かった。

水戸駅には9時前に着いたけど、やはり思った程気温は上がっていなかった。

今回は備前掘り経由で最初は行く。
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ここを歩くとなんとも落ち着いた雰囲気がありとても和む。
そういう意味では沼津の蛇松緑道と似た感じかも。

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伊奈忠次の像。
このあたりの備前掘りは忠次の官位「備前守」に由来しているとのこと。

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備前堀三叉水門付近にて。

このあと水浜線跡と合流。

谷田駅跡付近の先で、
水戸空襲の時が車輛が避難した場所。

以前はもっと草茫々だったけど、
季節的な事もあったかもしれないけど、
かなり綺麗に整備されていた。
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以前よりかなり水浜線跡がしっかりと確認できた。

そこから少し歩いた水浜線跡から大洗方面を臨む。
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途中で梅の匂いが満喫できました。
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栗崎付近での境界杭。
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この後、水浜線跡から51号沿いを歩く。

道の宿 水戸ラドン温泉。
すでに廃墟となっているが、この朽ち果て方は心が痛む。

完全に撤去する資金が無いのだろう。
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大洗につく。

途中で陽が出た時はそこそこ暖かかったけど、
途中からけっこう雲が出てきたため予想よりは肌寒いものがありました。
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新しいボードもありました。
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海楽の会場ではこれもありました。
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大洗シーサイドステーションにて。
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あまり今までは人が行かなかった部分にも、
かなりいろいろと出店されていました。

こういう工夫は後々より大きなそれを生むと思います。
4月28日のグランドオープン以降がたのしみです。

歩行者天国にて。
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今回この歩行者天国、
声優さんたちがイベントをされていた時間だったせいか、
いつもよりあまり混雑をしていませんでした。

そのためかここでじつはここである事に気づいた。

今までは人が多すぎて気づかなかったのかもしれないけど、
意外な程いわゆるガルパンの普段イベントでみかける人たちより低年齢層、
それも中学生以下と思われる人たちがとても目についた。

しかも嬉々として戦車に乗っていたり、
ボコをみつけてそっちに寄っていったりしていた。

また家族連れもけっこうみかけ、
沼津程明確なそれではないにしても、
今まであまり大洗でこういうハッキリと、
しかも戦車やガルパンキャラに対してアクションを起こしていたのを、
これほどいろいろと短時間で見た記憶が無いので、
これらのそれはかなり印象に残った。

大洗の場合はラッピング電車はあるけど、
沼津のようにタクシーやバスがバンバン走ってるわけではない。

優っているのはキャラクターボードの数くらいだろうか。

なので定点観測とかしていないこともあって、
なかなかこういう明確なアクションを、
個人的にただ見る機会が無かっただけなのかもしれないけど、
とてもこれは印象に残った。

考えてみれば大洗にガルパンが降臨して以来、
今年でもう足掛け七年目となる。

なので中学生以下の方たちにとっては、
すでに小学低学年か、
もしくはもの心がついた年ごろには、
すでにこういうボードが店先に立ち並び、
年に数回は他所から見かけない人たちが大挙してあらわれ、
コスプレや戦車が街にあふれるという事が、
半ば茶飯事となり日常となっていたと思われる。

たしかに「あんこう踊り」や「ボコ」のように、
低年齢層向けのそれもあるにはあるけど、
やはり継続は力なのかなあと思ったりした。

もちろんみかけたこの層の人たちが、
すべて地元の人だったかどうかは分からないし、
そう決めつけるのは早計かもしれないけど、
このあたりはけっこう今後どう推移していくのか、
とても気になったものでした。

もし地元にもこういう形で根付いていくと、
町としてもとてもいい事だとは思いますので。

それと商店の方たちも年々積極的にこういうイベントに、
それこそ自分たちのスタイルで参加しているようで、
年々幅広くいろいろなものが目につくようになりました。

このあたりもまたガルパンによって、
大洗本来の良さがいろいろと引き出された結果なのかもしれません。


大洗駅駅舎横。
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なぜこれが構内ではなく外の駅舎横にあるのだろう。

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駅構内にて。

到着した大洗始発水戸行三両編成の先頭車両。
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まるで戦車の撃ち合いに巻き込まれたようだった。
なんか上手く塗り方を演出すると、
痛々しい物ではなく愉しいものになるような気がするのですが。

その後帰路へ。
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スカイツリー。観るのは好きなんですが、上るのは…。


以上です。

因みに今回で水戸→大洗全行程踏破を終了し、
今後は鉄道か一部区間のみバスに変更しようかと思ってます。

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興国寺城跡発掘調査現地説明会に行く [沼津~三の浦]

平成29年度興国寺城跡発掘調査現地説明会に行く。

原駅から歩いて30分ほどのところにある興国寺城跡。

ここの発掘調査もすでに15年経っているらしいが、
聞いたところではあともう少し調査をすれば一応終了とのこと。

今回は北曲輪付近における障子堀の発見にからんでのそれ。

配布された資料。
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↑見開きの為一度にコピーできなかったので中央付近が一部欠損しています。ご了承ください。

そのため説明も北曲輪の堀2付近で行われた。

ここで全体の概略説明を受けた後、堀2の東端で発掘された障子堀をみるような形。

いろいろと勉強になったけど、
自分が今回勉強になったのは、

①興国寺城は早雲がゼロから作ったものではなく、それ以前にここにあったといわれる興国寺が、おそらく当時の大きな寺院によくみられた、武装化されたものだったそれを利用したものではないかという事。

②この城は何度も戦闘によって城主が変わっているが、そのたびに再度攻められた場合手の内が知られている城の要所要所を、簡単に攻め込まれないよう相手にとって未知の状態にするため改装を施していたということ。

③場所によっては堀の下から堀がみつかっているが、それもその一環らしいとのこと。

④この城がいちばん大きかったのは天正年間の頃で、その後はまた小さくなった。今みている姿は1607年に廃城になった段階でのそれであって、早雲時代の城をみるためには、かなりの深さまで全体を掘らないといけないということ。


そして中でもいちばん興味深かったのは、
この城の北曲輪を中心とした北側が武田や徳川の時代に増設されたものが多いということ。

自分はこれをみて、
攻め落とした方は城の弱点を突いて攻めてる可能性が高いため、
これらの繰り返しで、
城主が戦闘で変わるたびに弱点が補強され、
そのたびに城が大きくなっているのではないかと思った。

だが聞いたところでは、
城へ割かれる人員やそれに対する兵糧等を考えると、
ただ大きくなるというだけでなく、
弱い所をあえて捨ててるところもあるので、
一概に戦闘の度に大きくなったというわけではないとのこと。

おそらくその場合は、
さすがにそのままというわけにはいかないので、
堀がめぐらされたり、
水をはって沼沢地のようにして、
建造物などを設けない、
もしくは取り壊すということをしたのかもしれない。

とにかく城というものは生き物だなあと思った次第。

おそらくこれらの発掘をすることで、
この城がどう攻められたか、
またその攻め方はその攻撃した側の常套手段的戦術なのか、
それともこの城のみの特殊なものだったのかも、
判明していくのだろう。

とにかく奥の深い作業であり調査だと痛感させられました。

できれは高尾山古墳も早い段階で市がこういう対応をしてほしかったです。

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興国寺城跡前の交差点から。車が駐車しているスペースは三の丸跡。

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本丸跡から天守台方面を臨む。

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北曲輪から天守台を臨む。

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三日月堀付近から堀1を臨む。

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今回発掘された障子堀。

A06.jpg
左上の人の大きさからみてかなり深いのがお分かりになるかと。

A07.jpg
本丸跡から二の丸跡、そして原の中心部と興国寺城通りを臨む。

以上です。

今回は天守台には登りませんでした。

前回上ったらけっこう高くて、
高所恐怖症の自分にはあまり得手な場所ではありませんでしたので、今回はパス。



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マスコミに捨てられた東京大空襲 [ひとりごと]

かつて毎年3月10日が近づいてくると、
かならずどこかの局や新聞で、
昭和20年の東京大空襲が特集されていた。

310.jpg

だが2011年の大震災以来、
突如としてマスコミから東京大空襲の文字が消えた。

確かに最初の数年はそれでもしかたない部分はあった、
というか当然という気がした。

だが2015年のあれから70年経った年も、
この傾向はあすかわらずだった。

確かに311も忘れてはいけない、
というより未だそこから時計の針が動かない方たちも、
まだまだ多くいらっしゃる事を思うと、
これに対しての特集を少なくする理由は何もない。

だがだからといって、
310の東京大空襲を忘れていいという理由にはならない。

たしかに自然災害と戦禍をひとくくりにはできないけど、
それでも311の四倍以上の方がこの空襲で亡くなられている。

まだこの空襲を経験された方も少なからずいらっしゃる事を思うと、
311が翌日だからといって決して風化させていい話ではない。


自分はこのここ数年のそれは、
マスコミが東京大空襲ではもはや話題性が乏しい、
視聴率も311に比べてとれないしネタも出し尽くしたという事で、
事実上「捨てた」ととらえている。


表向きはそんな事は無いとか、
そういう対象ではないとマスコミは言うかもしれないけど、
現状はご覧の通りということ。


所詮、東京大空襲も飯のタネに過ぎなかったというところだろうか。


まだ十年も経たない事と、
すでに七十年以上経った事を同一視できないのは確かだが、
310も311も日本の歴史上稀に見る大災禍なのだ。

それをちゃんとバランスよく、
どちらも風化させないように報道していくことも、
自分は日本のマスコミの義務だと思う。

それをいかなる理由があるにせよ、
「捨てられる」という事は断じてあってはならない。

日本のマスコミは、
もう少し目先の事や面白さや刺激ばかりを追わず、
自分たちが日本という国に根差した存在であるという事を、
もう少し自覚し行動すべきではないだろうか。
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高尾山古墳見学会に行く。 [沼津~三の浦]

先日開かれた、

「高尾山古墳見学会」

にでかけた。

当日は最初は曇っていたものの、
富士山こそみえなかったが途中から好天に恵まれた。

北口から出るとこれがあった。
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近くで家族でそれをみていた方たちがいて、
そのとき父親らしい方が、
「どの子が好きななの?」
という言葉をかけていた。

沼津とこのグルーブがファミリー層に、
とても自然に浸透している事が感じられた。

このように外からは喜ばれ、
地元から支持され愛されるキャラとなったことは、
本当によろこばしいものだと思った。

これには地元の人達が
ある意味「楽しみながら」アクアとその道を歩んでる事も、
それらの事に大きく影響を与えていると思う。


そんな事を考えながら高尾山古墳に行く。

駅から歩いて三十分ほどのところ。

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ラブライブとはあまり関係の無い地域なので、
このあたりのファンには馴染みのない地域だと思う。

ここへ行くには国道一号を渡ることになるが、
今回はここの渋滞も遺跡問題に絡んでいる。

しかしここの歩道橋の痛み方はかなり酷い。
高尾山古墳も見えるなかなかの場所にあるけど、
もし一号の上に落下したら大惨事だ。

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国交省の管轄らしいがこういうのを見るにつれ、
この国はお金があるのかないのか分からない時がある。


さてこの日の見学会は午前九時から始まったが、
今回のテーマは遺跡の歴史云々ではなく、
ここが今後どうなるかという事を現地で説明するもの。

これについては、
http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/436299.html
静岡新聞のそれにもあるけど、ようするに、

「片側をトンネル構造にして古墳を回避する2本の2車線道路を整備する」

というものらしい。

ここで上空からグーグルマップでみた現地のそれをみてみる。

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これをみると分かり易いと思われますが、
新幹線の高架橋を抜けて新しい四車線分の道が右から、
そして左にはより幅広の道が予定されているような空きスペースと、
従来からある二車線が江原公園交差点から伸びている。

そしてそのど真ん中に高尾山古墳がある。

ここはぶっ壊して一気に道路を通そうと、
そういう考えだったのがじつによくわかる。

a-07.jpg
高尾山古墳の手前で工事が中断している新しい道路。
片道二車線、往復四車線です。

だがすでにご存知のようにこの古墳は東日本でも極めて珍しく、
しかもひょっとした考古学史上というか、
日本の歴史に大きな発見をもたらす可能性のある。
まれにみる巨大古墳であることが判明した。

だがそれでも当時の市側が取壊し姿勢を覆さなかったため、
その後いろいろとこの問題が取り上げられ、
2015年7月にはテレビ朝日の夕方のニュースで大々的に取り上げられた。

自分はその翌日時間があった事でそれを観に行ったが、
腰を抜かすくらいその規模の大きさに驚かされた。

このときこのあたりを専門とされている方もいらっしゃり、
いろいろと話を聞かせてもらいましたが、
その方もかなりこの古墳に驚かれていたし、
取壊しという姿勢をとっている市側のそれにかなり憤慨されていた。

その後この問題はいろいろと真摯に取り上げられるようになり、
上記した静岡新聞のそれに落ち着こうとしているようだ。

今回の見学会はほぼそれに沿っての説明を、
用意していただいた資料を基にしていただいた。

この日の高尾山古墳。
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で、実際どのようになるかというと、
ここからは渡された資料やネットに載ってるものから推測すると、

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のように道路ができるらしい。

左右に走っている白とやや灰色がかった白色の道路が、
新しくつくられる予定のもので、
左右に走っている上のそれは途中から地下トンネルになるため、
地下部分を白抜きにしてあります。

そして左右に走っている下のそれはやや高架的に作られ、
古墳の平地の部分から三メートルの高さを走るとのことで、
一部橋脚を使用してのそれになるとのこと。

a-09.jpg
この写真でみると、
古墳本体の左端にみえる枯れた白い老木の中ほどの左横あたりから、
写真左端の神社付属の建築物の屋根の右横あたりを、
抜けていくものと思われます。

幅と車の流れについては、
上のそれは二車線で地図の右側へ。

下のそれは途中から二車線が四車線になり右側から左側へと、
それぞれ流れる予定になってます。

この変則的なそれの理由は、
道交法によるもので、
安全等の基準からこうならざるを得なかったとのこと。

本来は上下ともトンネルならよかったのでしょうが、
地図から観て下の道路が、
古墳を出るとすぐに交差点になってしまうという所が、
トンネルにするといろいろと基準にひっかかってしまうらしい。

なかなか難しい問題ですが、
最初を慎重に入らなかったツケがここにきて響いてるといっていいだろう。

だがここでそれを今更嘆いてもはじまらない。


あと縦に走っている白い太線は、
以前からある細い道路を前面改装して新しい道路にするもので、
(通称?東西道路)
途中下の新しい道路と交差する予定。
片道一車線の往復二車線。

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因みにその交差点の高さはこの神社のお社の手前にある、
青いフェンスの上あたりになるとのこと。

尚、新設される道路には歩道は、
今の所古墳周辺には予定されていないようです。


正直えらいものができてしまうなあという気持ちが先に立ち、
景観的に古墳のそれは台無し、
朝から午前中にかけて日の当たりも悪くなるし
騒音もあるしトンネルからの振動が古墳に与える影響も心配で、
何十億かけてつくるものがこれかというかんじになり、

「古墳が壊されなかっただけましのレベル」

という気持ちになってしまい、軽い失望を覚えてしまった。

そういう意味では、
悪い意味で泉岳寺の景観問題を思い出してしまった。

あの悲劇に比べればまだ少しはマシですが…。


だがしばらくずっとこれを眺めていて、

「待てよ」

という気になった。

それはこのとき「今後古墳敷地内にも人が入れるようにする」
という事がヒントになった。


自分は本質的に
「まわりにあるものは使えるものはすべて使う」
というところがあるせいか、
次第にこれはこれで使いようがあるという気がしてきた。

まず浮かんだのがこれ。
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確かに古墳は今までのように隣接する神社や、
古墳の北側(上の地図では右)にある東西道路からの、
今までよく見れた場所からのそれは、
この道路が開通するともう見れなくなる。

だが新しい道と東西道路が交差する部分、
上の地図に記した黄色い場所に
そこそこの広さがある古墳を眺められる展望台を、
張り出すようにつくったらどうなるか。

さらに可能なら、そこに少し高めの台を設置したり
小さなベンチや、上に屋根などをつくり、
展望台を設けてはどうかという事だ。

そうなると我々は初めてこの古墳を、
今までにない高さから、
しかも至近距離からみる事ができる。

じつはこれは鎌倉の永福寺(ようふくじ)跡がヒント。

ここもふつうにみるとなんとも平板で全貌が分からないのですか、

a06.jpg
a11.jpg

近くのちょっとした高台に展望台が作ってあり、
上ったらごらんのとおりとなった次第。

古墳を上から見れるというのは、
けっこうありそうでそんなにないような気がするので、
そこそこ話題にもなるような気がするのですが。

これも交差点付近が、
結果的に高台のような感じになった事でできる代物で、
ある意味使えるものは使えという発想。

ただそのためにはもちろんそこへ行く道が必要。

希望としては東西通りの古墳よりの端に沿って歩道をつくってもらい、
それによって展望台へ行けるようにし、
展望台のもう片側には、
新しい道路沿いに古墳内に下っていく道をつくるというもの。

またそれと並立させるように、
東西道路から展望台に行く道の途中の、
あまり高さの無いあたりから古墳内に入れる道もつくる。

そして古墳本体の周りは柵などで囲うものの、
そのまわりを周回できる遊歩道をつくり、
そこに先の東西道路からの道と、
展望台から降りてくる道を合流させるというもの。


ただし遊歩道は古墳の東側、
地図でいう上側にはスペース上出来ないと思います。

また遊歩道から熊野神社方向に抜けられる道を作ったり、
多少細めだが大きく江原交差点方向に開いているスペースの先端部分から、
JA南駿やその反対側に行ける歩道橋かトンネルを完備すれば、
地元にとって交通事故のリスクが極端に少ない、
それでいてひじょうに便利なルートが東西南北全方向に確保される。

※↑この歩道橋の意見は他の参加者の方から最初に出たものです。

このことは静岡新聞にも切実な事として扱われている。
http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/436697.html


また自分は昨年沼津の宝にも選出されている、
高尾山祭典をここに観に来たけど、
普段じつに静かなこの地が、
物凄い人であふれかえっているのをみて、
これが新しい道路で寸断されるのは悲しいし、
むしろこの人たちすべてを公園化された古墳に集約し、
文字通り高尾山祭典にするのも有りだと思った。

さらには古墳のすくそばまで高架道路が来ているのなら、
その道路の下部付近から遊歩道を照らす照明を取り付ければ、
夜間の通行も心配をあまりすることがない。

またその照明にライトアップができるようにすれば、
クリスマスや高尾山祭典などの時に、
華やかな古墳のライトアップも可能になるだろうし、
観光客を呼ぶことも可能だろう。

照明が近くに住まわれる皆さんのご迷惑にならないよう、
もちろん角度は調節されるだろうが、
古墳の反対側には古墳本体が光を遮ってくれるので、
このあたりは心配はないと思う。

また東西道路が全通した場合、
そこにもしバスが通ることになったら、
最寄りに「高尾山古墳前」というバス停をつくるのもいいだろう。


もし道路が予定と違わずつくられるか、
もしくは多少なりとも古墳にやさしい作り方をさらにしてくれれば、
より地元にとってひじょうに便利な環境になるし、
観光客にとっても繰り返し再訪したくなるような場所になるはず。

※この繰り返し、つまり「顧みられる」事がとても重要。


このように地元から支持され愛され、
外からは喜ばれる古墳になれば、
本当によろこばしいものだと思う。

市側もどうせ大枚をはたいてつくるのなら、
いやいや抗議を受けて拙速案的なものをつくるというのではなく、
作ったらいろんな意味で二度おいしい物、
そしてみんなが楽しめるものをつくった方が気持ちいいし、
前向きにいろいろな方たちの意見をききながらできるというもの。

確かに完成したら、
すぐにいろんなものが形としてはねかえってくるかは、
今度は維持する側管理する側にもかかってくるので、
このあたりはなかなか見通しがつきにくいけど、
ただ作るよりは絶対まともなものができる事は確か。

最初に記した沼津にムーブメントをもたらしたアクアも、
ここまで幅広く支持された大きな要因には、
たしかにアクアのファンが聖地巡礼として大挙訪れたことや、
それに対して敏感に反応した商店の方たちの動きも大きいけど、
その支持層が低年齢層を含むファミリー層に広く拡大した事が大きい。

ようするに地元から支持され愛されたという事だ。

この古墳も同じような過程をもし辿っていくことができれば、
地元から愛されビジターからも愛され顧みられる、
とても幸せな財産となるだろう。


自分がその完成をみるまて元気かどうかは分からないけど、
ぜひこの古墳に関わる事業のすべてが、
いい方向へと流れる過程の糧となることを期待したいです。

以上で〆


余談ですが、
上の地図でみると東西道路の右下にある空き地は、
どうも駐車場になる予定らしい。

そういうものをつくるのであれば、
やはりそれ相応に受け入れるだけの、
器となる古墳そのものの整備は必要かと。

それと誤解無いよう強調しますが、
個人的に目指しているのはシンブルなもので、
こてこてとした装飾は極力排したいというのが本音。

古墳の案内板やベンチは必要だけど、
それ以外の余計なものは極力避けるというのが姿勢。

先に例としてあげた永福寺跡をはじめとした鎌倉全般にみられるそれや、
横浜市都筑区の、大塚・歳勝土遺跡公園がよいお手本かと。

https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/koudou/see/iseki_kouen/
大塚・歳勝土遺跡公園

沼津の市側の関係者で、
このあたりを未訪の方はぜひ一度行かれる事をお勧めしたい。

もっともあそこまでやるのは規模的に無理なので、
あくまでもその中から参考になるもの使えるものを、
いろいろと考察し精査しチョイスしてほしいという事が目的です。
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「巨匠の時代は終わった」という酷い発言の話。 [クラシック百物語]

かつて朝比奈やヴァントが相次いで逝去された時、

「巨匠の時代は終わった」

と大声で叫んだ一部評論家の為、
そういう酷い空気ができた時代があった。

当時存命していた指揮者陣が、
稀に見る超豪華版だったにもかかわらずです。

しかもそれに一部雑誌も追従した為余計それに拍車がかかり、
昔はよかったみたいな懐古趣味ばかりが先に立ち、
今の指揮者に対して真摯に向き合おうとする、
そういう姿勢が著しく欠如してもOKみたいな、
とにかく今を生きる演奏家を侮辱し愚弄した、
そういう発言が大手を振っていた時代があった。

最初にことわっておくけど、
巨匠というのは何も年をとらなければなれないわけでなく、
若くても並みはずれた素晴らしい演奏をしていれば、
それを巨匠とよんでも何ら問題はない。

前述の最初のそれは、
そこの部分も無視した、
単なる老人指揮者礼賛至上主義に立脚しての発言であり、
じつは巨匠云々とは全然別次元の事を、
巧妙にすり替えイメージとして刷り込ませるという、
たいへん狡猾な発言だったのだ。

ひょっとすると単純に思い違いだったのかもしれないけど、
どちらにしても質が悪い発言と断言して問題ない。

21世紀に入り、
とくにここ数年かなり世代交代が進んでるいるが、
それでも全世代に渡って、

「巨匠」

とよばれていい指揮者が群雄割拠している。

こんな時代は自分もあまり経験が無い。


おそらく今後は今のこの恵まれた時代によって、
こういう馬鹿発言は淘汰され、
忘却の彼方に消えていくだろうけど、
二度とこういう無責任な、
ある意味言ったもの勝ちのような発言は控えてほしい。

(これが売名目的だったら絶体許せない。)


聴き手にとってこれは百害あって一利なしなのだ。

またこれに流されるように同調した、
一部音楽雑誌も今後はこういう発言に同調しないでほしい。

確かに毒のある発言は人を惹きつける力が強く、
雑誌としても美味しいネタかもしれないけど、
そういう目先の事ばかり追い続けていると、
そのうちそういう雑誌は飽きられ淘汰されていくだろう。


少子高齢化が進む昨今、
雑誌は年々どんどん厳しくなっていくだろうけど、
聴くパイをネガティブな発言により狭くする愚行を避け、
より広く聴き手に可能性を提示し、
パイを広げていくことこそこれからの雑誌の命題だと自分は確信している。

真面目な書き手と真面目な読者は、
想像以上にまだまだたくさん存在しているのですから。


繰り返しますが「評論家」という肩書をもった人が、
今の演奏家を愚弄し侮辱するような発言は、
コンゴ絶対慎んでほしい。


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