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バーンスタインのマーラーの9番 [クラシック百銘盤]

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レナード・バーンスタインが1985年の8/25に、
イスラエルで地元イスラエルフィルを指揮した演奏会。
曲目はマーラーの交響曲第9番。
それが最近CDとして発売された。
まともな録音で隠し録りのようなものではない、
しっかりとした録音によるもの。

このコンビは同曲を翌月の来日公演でも演奏し、
それは多くのファンに語り継がれるほどの名演となり、
バーンスタイン自身「録音すべきだった」といわせるほどのものだった。

この日本公演は曲目が発表になったときから話題となっていた。
特にマーラーの9番は1970年にニューヨークフィルとの来日公演でも演奏され、
当時これを聴いた評論家、吉田秀和氏も絶賛を極めた発言をされていた。

そしてその吉田氏はこの1985年の公演をNHKホールではなく、
大阪まで出向き、より状況のよいフェスティバルホールで聴いている。
超名演にならないほうがおかしいとそう感じていたのだろう。

演奏史譚家山崎浩太郎さんも、
生涯忘れられない演奏会のひとつにあげられていたこの演奏会。
残念ながら録音録画等されなかったために、
現在までほぼ幻の公演扱いされている。

そんな日本公演の直前、
つまり来日前に同曲を同コンビが地元で演奏した公演のライブが登場した。

ところでバーンスタインはこの曲を来日の数か月前に、
オランダで名門コンセルトヘボウと録音している。
たしかにこれも名演ではあるが、
随所にオケのもつ語法やプライドとバーンスタインの解釈がすれ違い、
ときおり妙に冷たいというか素っ気ない瞬間が散見させられるものがあり、
日本公演がこういう演奏だったらちょっとあれだなあと、
そんなことを思ったりしたものでした。

※(以下太字二行のみ後日記)
と、これを書いた後久しぶりにこのコンセルトヘボウの演奏を聴いた。
正直かなりの思い違いをしていたようだ。これについては後日書き起こしたい。

自分はじつはこの公演を聴く「はず」でした。
チケットも買い当日会場へ向かいはしました。
ですが数日前からの風邪がこの日とても悪化、
かなりの熱が朝からでてしまい夕方にはなんとかひいたものの、
NHKホールへ向かうため横浜で電車に乗る寸前ついに限界。
このままだとホールー向かう途中で倒れるか、
ふんばれても演奏中に気を失う可能性大ということで、
泣く泣くそのまま帰宅するということになりました。

そんなこともあってかこの演奏会には特別なものを感じるようになりました、

その演奏会の直前に行われた同じコンビ同じ曲目によるCDが出たのだから、
当然こちらも心中穏やかになれるわけがない。
そしてこのCDを聴いたのですが…。

演奏はほぼ予想通りのものでした。
「それってたいしたことない!っていうこと?」
と思われるかもしれないがそうではない。
むしろその正反対だ。

自分はたいてい期待するとその予想が限りなく高いものを描く傾向にある。
そしてたいてそれをなんらかの形で下回ることが多いのですが、
これはそんなことはまるでない、
とんでもないくらい密度の濃い演奏だった。
音楽とともに生きるとはこういうことを言うのだろうと思わせるほど、
この演奏は音楽の描けるひとつの限界に達した感のある演奏だった。

特に終楽章の後半。
もはや究極の人間と音楽の対話がそこでは展開されている。
こんなことを言うと冒涜かもしれないが、
マーラー自身よりもこの曲を知り尽くしているのではないか、
そんなふうに思われるほどの語り口であり
一音一音に命を削っているかのような演奏であり響きがここにはある。


おそらく日本での公演は回数を重ねたこともあり、
このCDで聴かれるような、一種の一期一会的緊張感は後退したかもしれないが、
オケも指揮者も回数を重ねより練りこんだ隙のない音楽へと昇華されていったことは、
このCDを聴いているだけでも十分想像させられるものだった。

おそらく実際にはより軽くより重く
より明るくより暗く
そして清澄かつ深遠な響きが、
巨大なスケールと室内楽的な繊細さの中で展開されていたことだろうし、
おそらくそのときのオケの音は後年やはりバーンスタインの指揮で録音された、
「画家マティス」のそれのような結晶化された響きだったのだろう。
ほんとうにとんでもなく凄いことだ。

それがなんとなく思い浮かんできただけでも自分にとってこのCDは、
27年という時を戻すだけのそれが十分すぎるほどあるように感じられた。

もちろんそういうこと抜きに聴いてもこれはバーンスタインにとって、
最高の演奏のひとつといっても過言ではないだろう。

この演奏を過去のそれとして冷静に聴ける今の人たちには
これはどのように聴こえるのだろうか。
それによってこの演奏が伝説ということに縛られたり頼ったりすることなく、
この21世紀に生きる演奏として存在できるか否かなのですが…。


余談ですが、じつは自分はバーンスタインとは縁が無い。

1974年は懐的に行くことはかなわなかったし、
1978年はバーンスタインが来日中止、
1979年は懐と相談の結果ムラヴィンスキーとヤンソンスをとり
1990年の最後の公演はどうしても都合がつかなかった。

今考えれば1985年になんとかしていればだったのですが…。
そんな自分にとってはとにかくこれはありがたい贈り物であります。
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コメント 3

サンフランシスコ人

「そしてその吉田氏はこの公演をNHKホールではなく、
大阪まで出向き、より状況のよいフェスティバルホールで聴いている。.....」

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page132.html

1970年にニューヨークフィルの演奏会はNHKホールでありませんでした....
by サンフランシスコ人 (2017-02-17 08:35) 

サンフランシスコ人

1970年のニューヨークフィルの日本公演......

http://archives.nyphil.org/index.php/artifact/4765ac91-90e6-4e43-8ea5-7af49b924536/fullview#page/1/mode/2up
by サンフランシスコ人 (2017-02-18 07:32) 

阿伊沢萬

すみません。何を言ってるのかぜんぜんわからなかったのですが、1985年の公演を吉田さんがNHKを回避して大阪で聴いたということを、1970年のそれの事を書いたと思われたので書かれたということですね。

さっき読み返してようやくわかりましたので、そこの部分を文字を追加しておきました。

NHKホールは1973年に杮落しをしており、それを自分もTVでそれに関する公演をいくつか見ており、それを前提に書いてるのですが、自分はそれを熟知した上で書いているつもりでも些か丁寧さというか慎重さがここでは欠けていたようです。

気が着くのがおそくなり申し訳あまんでした。
by 阿伊沢萬 (2017-05-08 23:19) 

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