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ムラヴィンスキーのこと [ムラヴィンスキー]

自分が学生の頃、
巨人がV9を達成し山口百恵がデビュー、
そして
宇宙戦艦ヤマトのTVが翌年に迫っていた1973年。

そんな年にムラヴィンスキーが来日した。

1903年生まれの当時のソ連を代表する指揮者というだけでなく、
世界最高の指揮者のひとりとまで称されていた人物だ。

その音楽のスケールはじつに強大で圧倒的、
二十世紀最大の指揮者のひとりとまで言う人もいた。

だが日本には1958年と1970年の二度の来日予定が直前にキャンセル、
彼の当時の手兵レニングラードフィルのみが他の指揮者と来日した。
また録音もひじょうに少なく、
さらにその多くが古いものが多数を占めていたため、
ある意味「幻の指揮者」と日本ではよばれていた。

このため健康に不安があるという情報もあいまって、
1970年の来日中止のときはもう来日は無いとまでいわれ、
多くの音楽関係者や音楽ファンを落胆させたものだった。

そんなある日突如リヒテルの来日中止の代行として、
ムラヴィンスキーとレニングラードフィルの来日が急遽決まった。
日本公演初日まであと三か月という、
ほんとうに急転直下の決定だった。

この公演はもちろんたいへんな前評判となり
TVやFMでもその様子は放映放送された。

だが、このときの評判はかなり賛否分かれるものがあり、
熱狂的な支持者を生む反面、失望と落胆を感じた人もまた多かった。
それはムラヴィンスキーの音楽が予想された以上に峻厳で、
妥協がなく苛烈なものである反面、
トスカニーニのような直情的なものでもなく、
かなり複雑な感情とスタイルを感じさせるものがあったため、
カラヤンやベームのように、
いい意味でとっつきやすいそれではなかったということがあった。

またさらには一部評論家の誤解や無理解からくる発言もあり、
ムラヴィンスキーの印象はこのときを境にかなりの変化をみせてしまった。

そんな自分にとってのムラヴィンスキーはどうだったか。

じつに幸運なことに自分が本格的にクラシックにのめった時期は、
ちょうどムラヴィンスキーが初来日公演を終了した翌月にあたり、
このあたりのことをまったく知らないまま、
その後このときのTV放送をみることとなった。

そしてそれをみて強く引き込まれた自分は、
1975、1977、1979年のムラヴィンスキーの来日公演に行くことになります。

このあたりのことは拙サイト
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page125.html
に詳しく書いてあります。

もうすでに今から十年以上前に書いた項目ですが、
過去に書いた自分のものに常に不満を感じることが多い自分なのですが、
ことこのムラヴィンスキーに関してはほとんどそう感じることがない。

ほぼ完全言いたいことは言い尽くしたということと、
これを書いていたときの強い思い入れみたいなものが、
想像以上に強かったことが今でも不満を感じない要因なのかもしれません。

ただ今年ムラヴィンスキーが初来日から40年たったということで、
あと少しだけこの機会に付け加えておきたい。

ムラヴィンスキーは自分にとってちょうどその来日が学生時代と重なっていた。
しかも前述したように音楽にのめった時期と重なっているため、
その影響力は半端なものではなかった。

しかも当時そのレコードの多くが録音は古いとはいえ、
廉価盤でしかも近くのレコード店でとても入手しやすかったこと。
そして二度目以降の来日公演の切符がかならず入手できことで、
自分にとってはとても身近で親しみやすい存在にもなった。

このため今の一部評論家が神格化しているその発言をみていて、
自分にはとてもそれが違和感ありまくりにみえてしかたがない。

当時ムラヴィンスキーはたしかに凄い演奏をし、
そして神技ともいえるほどの凄い演奏も聴かせたが、
当時の会場の雰囲気も開演前はとても穏やかで、
日本のオケの定期公演に近い雰囲気すらあった。

これは二度目以降の来日公演がいっさい放送されず、
しかもその間も新しい録音が発売されなかったこともあり、
ムラヴィンスキーの演奏会に行く人の多くが、
過去の来日公演に来たことがある人たちによって形成され、
それによってひとつの気心が知れた人たちによる、
ムラヴィンスキーの音楽を囲む会のような様相を呈していたという、
そういうところが多少あったことがそこには反映されていたと思う。

そのときの会場の雰囲気はじつに心地よいものがあり
とてつもなく凄い演奏をされても、
指揮者を神格化することなく、
音楽的な意味での「先生」もしくは「師匠」のような、
そういうより身近な存在に感じたものでしたし。

そのためムラヴィンスキーの音楽を
ただ無条件に賛美するのではなく、
その音楽をいろいろと考えようという、
そういう意識や姿勢がこちらにもできたような気がします。

そしてそのことが、
自分にとって後々とても大きな財産となっていくのですが、
それ以来ムラヴィンスキーは、
自分にとってたいへん恩義のある、
かけがえのない音楽上の先生とひとりとなっています。

だいたい無条件の賛美などというのはムラヴィンスキーに失礼極まりない。
そういう姿勢を厳しく嫌ったのが、
ムラヴィンスキーの音楽を形成した核心部分なのですから・


そりにしても最後にその実演を聴いてから、
今年(2013)でもう34年も経ってしまいました。

これがどれくらい昔のことかというのはわかっていますが、
経験したものにとってそれはたしかに34年前のものではあっても、
現在に続く生きている過去という感覚がそこにはあり、
やはり「昔の事」と簡単に切り捨てることができないものになっています。


ところでまたこの話になって恐縮ですが、
今活躍している指揮者を過去の指揮者に比べればたいしたことないとか、
そういうとんでもない発言をしている人をあいわらず多くみかける。

じつは34年前もムラヴィンスキーよりクナッパーツブッシュが上とか、
そういう好き嫌いから派生した馬鹿囃子をうんざりするほど聞かされたが、
21世紀のこの時代にまだそういうおかしな人種が存在するのには、
もう情けなさすぎて涙もでてこない。

ハーディングのマーラーで人生が変わった人がいたって当然だし、
ラザレフを音楽上の師と思っている人がいてもおかしくもなんともない。
それなのになんじゃろねえ…である。

というか今の演奏に対し真摯に向かい合えない人は、
かつてその時期の「今」だったときも同じように向き合っていなかったという気がします。
そしてそれが佐村河内氏をうんだことと関係もしているのですが…。

こういうふうに考えるようになったのも、
ムラヴィンスキーの影響といったところでしょうか。

以上です。
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