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フルトヴェングラーの交響曲第2番 [クラシック百銘盤]

フルトヴェングラーの交響曲というと、
このブログでは佐村河内氏の交響曲の時にひきあいに出した曲ですか、
そのおかけでかなり迷惑をかけてしまいました。

そういうわけでちょっとこの曲と自分の感想をここにあらためて書いておきます。

フルトヴェングラーが交響曲を書いているということを知ったのは、
古い音楽辞典にそのことがぽつんと記されているのを見てからだった。

もっともそのときはあえてこの曲を聴こうとは思ってもいなかった。

だがあるときその曲を自身がベルリンフィルを指揮して録音していると知った時は、
俄然聴きたいという欲求がもちあがった。

ただ残念ながら輸入盤はわからないが、
当時この演奏の国内盤は発売されていなかった。
おそらく当時から日本ではこの曲は黙殺されていたのだろう。

それからだいぶ経ってキング社から国内盤で、
ヘッセン放送響をフルトヴェングラー自身が指揮した二枚組のライブLPが発売になった。

録音も1952年ということである程度聴けるだろうということで即購入、
期待しながらレコード盤に針をおとした。

たがその期待は時間とともに複雑な感情を自分に抱かせた。
とにかく何を言いたいのか皆目見当がつかない曲にしか聴こえなかった。

演奏時間約80分というのは、
当時ブルックナーやマーラーにどっぷりだった自分には、
交響曲一曲の時間としてはどおってことない時間のはずなのですが、
とにかくそういう時間以上にこの曲が長くて…というより正直言って、
「退屈極まりない」曲にしか聴こえてこなかった。

たしかにオケはなかなか頑張ってるし、
指揮者の気合いもかなり感じられたが、
肝心の曲があまりにもあまりにもだった。

ブルックナーの初稿による4番やマーラーの第7交響曲を初めて聴いた時より、
はるかにしんどくて長々しい曲にしか聴こえてこなかった。

これと似た経験というと、
宮沢賢治の童話や物語しか知らなかった時、
彼の「春と修羅」を読んだ時の困惑にもちょっと似たものがあったが、
フルトヴェングラーの方がもっと不親切極まりないものに感じられてしかたなかった。


それからこの曲を何度か聴いていてしばらくして感じたことに、
フルトヴェングラーの言いたいこと伝えたいことが極めて膨大なのに、
フルトヴェングラー自身にはそういう自覚が無く、
自分が理解しているのだから、
他人も当然わかってくれるはずだという錯覚からか、
聴けば他人にもすぐ理解できるはずといわんばかりに、
己のペースだけですべてを語り尽くしてしまっているのではないかということが、
自分の中に強く生じてきたことがある。

そうなるとこの曲は指揮者がもう少しそのことに気付いてくれれば、
また少しどうにかなるのではないかという気がしたものだったし、
オケとの意思の疎通がうまく運べば、
かなり印象そのものが変わってくるのではないかという気もしてきた。

そして後者のそれが原因のひとつなら、
当然ベルリンフィルやウィーンフィルならより上手くいくだろうという、
そういう考えに至るのが自然の成り行きだった。


それからだいぶ経ち時代はCDの時代になったしばらくした頃、
その願いをかなえるかのようにようやくベルリンフィルとの盤が発売になった。

だが期待も空しく状況は好転しなかった。
むしろセッション録音のせいかフルトヴェングラー自身の指揮にも覇気が乏しく、
録音もやや音に歪があったり拡がりに乏しかったりと、
意外に冴えない音質だったのも災いした。
しかもCDになっても一度に聴きとおすことができないことにも、
ちょっと鬱陶しさを感じさせるものがあった。

ただこれと前後して発売になったウィーンフィルの1953年のライブ盤は、
ありがたいことにそういうことのない待望の一枚もの。
こちらは音質もなかなか良好でオケもかなり状態がよく、
今までよりはこの曲をなんとか聴けるようになったものだった。

ただしそれはこの曲はこれが限界なのだという気もしたものだった。
一気に聴けてしかもオケはウィーンフィルとのライブ。
しかもオケの状態も良好なのに、
やはり自分にはいまひとつピンとこないものがありまくりの曲だった。

当然このとき発売されていた朝比奈氏のライブ盤も、
当時唯一の国内ステレオ盤だったが、
このときはこのため聴く気はまるでおきなかった。


21世紀に入りワイマール州立管が来日、
フルトヴェングラーの交響曲第1番を演奏するということで、
再びこの曲を聴いてみようと思ったがやはり状況は好転せず、
新録音として登場したバレンボイムがシカゴと録音したそれが、
意外に聴きやすかったものの愛聴するという次元にまでは至らなかった。

だがそれが変わったのが佐村河内氏のあの曲を聴いたときのこと、
それと前後して聴いたシュトゥットガルト放送響との1954年のライブが、
今までとはまるで違うほど明確な演奏だったこともあるだろうが、
佐村河内氏のあの長大な曲を聴いた後にこのフルトヴェングラーの曲を聴いた時、
今までゴチャゴチャに並んでいたように見えた風景が、
すべて綺麗に整然と、そして明快かつ活き活きと見えたのだ。
そういう意味で新垣氏に自分は大きな感謝をもっている。

とにかくその瞬間から自分はこの曲が大好きになった。

かつて日本の某大物作曲家がどうこきおろし罵倒したかは知らないが、
自分にとってこの曲がかけがえのない曲にとにかくなってしまったのだ。

その後フルトヴェングラーの1948年のハンブルク盤、
1954年のヨッフム、ステレオの朝比奈、アルブレヒトと、
今まででは考えられないほどこの曲に強くのめっていった。

もちろんそれ以前に手元にあった各々の演奏も、
それまでとはまるで違って活き活きと分かりやすく、
しかもじつに魅力的に聴こえてきた。

そしてそこで強く感じたたことは、
この曲が第二次大戦によって破壊され断ち切られかけている、
偉大なドイツ音楽の歴史への危機と、
その復興と不滅を信じ願いそして歌い上げたのがこの曲であり、
フルトヴェングラー自身の激しい感情の吐露だったということだ。

ドレスデン、ベルリン、ウィーンの国立歌劇場、ゲヴァントハウス、
そしてベルリンのフィルハーモニーザールと、
深い歴史を刻み込んだホールが次々とこの世から消えていくのだから、
その気持ちはほんとうに切実なものだったと思う。


そのせいかここでの作曲家フルトヴェングラーは、
片足をベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスといった偉大な過去の巨人に、
そしてもう片方の足をマーラーやRシュトラウスといった、
自分が音楽をしてきた時期にともに時代を歩むことができた巨人に、
それそれ軸を置くことによって、
自らをその代弁者となるよう心がけているように感じられた。

そこにはこの危機的状況下で自分がやらねば誰がやるのだという、
それこそ自分が最後の砦となっているような気概がそこにはあったのかもしれない。

彼が晩年この曲を演奏会に掲げる時に、
前半ベートーヴェンの交響曲第1番をプログラムに配するようになったのは、
そんな強い自負があったからなのかもしれません。

ただそれだけに彼が9月19~20日の演奏会でこの交響曲を指揮し、
その練習時に今まで患っていた耳の病の為、
ついにこの曲冒頭の弱音によるファゴットのソロがうまく聴き取れないという、
あまりにも痛々しいその現実に遭遇したとき、
この指揮者は音楽家としてのそれにどれだけの絶望を感じたことか。


とにかくこれらのことからこの交響曲は、
ある意味フルトヴェングラーが音楽に対する強い危機意識と葛藤、
そして音楽の不滅の生命力を讃えるそれを描いた、
そんな交響曲という気がするようになりました。

作曲されたのは1944年という大戦末期から、
決死のスイスへの脱出、ドイツの敗戦、世界大戦の終結、
そして自らの演奏活動の停止が科せられた時期と重なっている。

ある意味フルトヴェングラーにとって人生最大の激動期であり、
結果的に作曲に没頭できる時期でもあった作品だけに、
そこに吐き出された情報は半端なものではなかったのでしょう。
それが自分を長い間弾き飛ばしていた要因にもなっていたのだと、
今ではそう思っています。


それにしても一度この曲がその門戸を聴き手に開いた時の、
あまりにもそこに広がっていたものは壮観だった。
そして今自分はその壮観な世界にどっぷりとした状態になっている。

確かにこの曲にはいろいろな作曲家のエコーが聴こえてくる。
それは多くの方々からも指摘をされている。
第三楽章などある意味ブルックナーの第8交響曲第二楽章を彷彿とさせるし、
そこではシューベルトの「未完成」の冒頭がそっくりあらわれてくる。
しかもとてつもなく不気味な凄みをともなってだ。

だが上の事を踏まえて聴くと、
それはじつに当然のことだという気がする。
それはショスタコーヴィチが交響曲第15番等で聴かせたものと、
ある意味本質は同じなのかもしれないが、
そのあたりはまだほんやりとしかみえてきていない。


フルトヴェングラーはこの曲を他人が指揮することをたいへん喜んだという。
1954年11月にリヒャルト・コッツがこの曲を指揮し好評だったという報を聞き、
フルトヴェングラーはたいそうそれを喜んだという。
そして12月にはヨッフム指揮による同曲の演奏も迫っていた。

フルトヴェングラーのこの曲は1948年2月初演から、
彼の最後の演奏会となった1954年の9月まで何度も演奏され録音もされている。
実際初演された日の練習時の録音も現存しているし、
最後となった演奏会のそれも録音そのものはされていた。

(フルトヴェングラーはその出来を不本意に感じ録音の消去を命じたという。ただこれはすでに自分の耳がその音楽すべてを確認できないという悲惨な事情が、フルトヴェングラーをそういう行為に走らせたのでしょう。)

それを思うとフルトヴェングラーは録音そのものは決して積極的ではないものの、
ことこの曲に関しては積極的に録音&放送されることを好んでいたようだ。

それは残されている録音のうち二つも放送局専属のオケがからんでおり、
これらのオケに客演し同曲を指揮すれば放送もされるし録音もされる。
そうすればこの曲は、よりもっと多くの人たちに聴かれることになるだろうという、
そんな計算がこの指揮者に働いていたのかもしれない。

実際1954年のシュトゥットガルト放送のものは驚くほど音質がよく、
フルトヴェングラーがもしその放送をあらためて聴き直していたら、
痛く感激しただろうというレベルの域に達している。

だがそこまで指揮者がそのすべてを注ぎ込んだこの曲も、
指揮者没後の現在はご覧通り。

日本でも1984年の朝比奈氏の演奏以降は、
少なくともプロオケの公演には2014年3月現在演奏されていない。

自分が佐村河内氏の時にこの曲を引合いに出したのは、
佐村河内氏のそれに比して、
あまりにも不憫でならなかったことがじつはある。

確かに動機としては不純だし、
しかも結果的には何の足しにもならないどころか、
むしろ足を引っ張る形になってしまったのは自分の浅知恵の為だろう。


だが正直それでもこれではちょっとどうなのだろうという気が自分はしている。
やはりこのまま消えていくにはあまりにも惜しい曲と、
自分などは強く思ってしまっているのですが…。

因みに1984年4月に朝比奈氏がこの曲の日本初演を大阪でやった翌月、
前述したように某紙でこの曲を当時日本作曲界の重鎮のひとりが、
とにかく徹底的にこきおろし酷評したという。

CDになっている朝比奈氏のライブはその数か月後の7月ということなので、
朝比奈氏がそれを読んだがどうかはわからないが、
その朝比奈氏もこの曲をその東京公演後指揮することは二度となかったようだ。


この曲は作曲者の自作自演がコンプリートな形のものが5種類。
作曲者の死後から十日ほど後に演奏されたヨッフムのライブ。

そしてステレオ録音では、
フルトヴェングラー没後三十年時に東京で演奏された朝比奈氏のライブ。
そして90年代に録音されたアルフレート・ワルター指揮のもの。
21世紀に入り、バレンボイム指揮シカゴ響。
そしてGAアルブレヒト指揮のワイマール州立管。
と録音されたものがすべてだと思う。

つまりここ十年は録音すらされていないということだ。
没後50年時には直近で二種類も新録音があったが、
60周年の今年(2014)はこのありさまなのですからなんともです。

たしかに誰にでも薦められる類のものではないが、
自分にとってはかけがえのない曲であるこの交響曲。

そしてある意味フルトヴェングラー自身のベートーヴェン等の演奏以上に、
自らのそれが剥き出しとなり、
生々しく迫りすぎるくらいに表出されているこの曲。

はたしてこの曲が作曲者没後百年頃までにさらにどう評価され、
そして演奏されたり録音されていくのか。

もしフルトヴェングラーに関心があるものの、
まだこの曲が未聴な方にはぜひ一度は聴いてほしいと、
願わずにはいられないものがあります。


最後にいくつかの同曲の演奏を簡単に。

90006.jpg
①フルトヴェングラー指揮ハンブルク・フィルハーモニー
1948年10月18日のライブ。

音質は意外と年代の割にはいいですし、
この当時のフルトヴェングラーらしい激しい演奏となっています。
当時このオケはヨッフムがトップにいたことから、
かなりヨッフムの下準備が徹底して行われていたことが想像できる演奏です。

それにしてもかなり壮絶な演奏で、
戦争中のフルトヴェングラーのライブを聴いているかのようです。

尚、カップリングにやはり自作の交響的協奏曲が全曲収録。
ピアノがエドウィン・フィッシャー、オケがベルリンフィルとのライブ録音。


f003.jpg
②フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル。
1950年11~12月録音。

同曲のフルトヴェングラーによる唯一のセッション録音。
何か吹っ切れないまま録音に突入したようなかんじの演奏。
録音もどこか抜け切れないようなところがある。
オケはじつに強力で、そういう部分は充分に感じ取れるレベルの録音。


f006.jpg
③フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル。
1953年2月22日のライブ。
http://www.youtube.com/watch?v=CE9UGyHrklc
(※YouTubeにupされている同演奏。)

拍手あり。
凄いほどの奔流のようなエネルギーが満喫できる演奏。
まるでRシュトラウスの曲を聴いているかのような、
ある意味爛熟したような響きをウィーンフィルが聴かせているのが面白い。
録音もかなり立体的にとらえられていて迫力もある。
ただ聴き手が呑まれすぎるタイプの演奏でもある。


90007.jpg
④フルトヴェングラー指揮シュトゥットガルト放送響。
1954年3月30日録音。

この時期から5月にかけて、
フルトヴェングラーの超名演がいろいろ録音として存在している。
この演奏もその一環といっていいと思う。
楽想ひとつひとつがじつにクリアに描き分けられていて、
本人の言いたいことがじつによくわかる演奏となっている。
ベルリンほどの地力は無いがオケもかなり頑張っている。
録音はモノラル録音としては最高の部類といっていいのかも。


f002.jpg
⑤オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送響
1954年12月9日~10日のライブ録音。

まさか当時自らが初代のトップとして君臨していた、
創立5周年を迎えたばかりのバイエルン放送響による同曲の演奏が、
フルトヴェングラー追悼のような形になってしまうとは。

そのせいかヨッフムの音楽への没入の仕方が凄い。
かなり激しい音楽をここでは聴かせている。
録音も先のシュトゥットガルト盤とはまた違った意味で優秀な音質。
ヨッフムの同曲の録音がこれひとつというのが惜しまれる。

それにしてもハンブルクでのフルトヴェングラーの演奏に、
この演奏はずいぶん影響を受けているように感じられた。

おそらくハンブルクでのフルトヴェングラーのこの曲の演奏が、
ヨッフムに与えた影響は想像以上におそろしく強烈なものだったのだろう。


⑥朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー
1984年7月2日東京文化会館におけるライブ録音。

おそらく同曲初のステレオ録音。
このライブは決して聴きやすいタイプの演奏ではありませんし、
オケも相変わらずという雰囲気の演奏ではありますが、
朝比奈氏としてはかなり激しい演奏を聴かせており、
終楽章のコーダなど堂々した圧巻の大きさをみせるなかなかの演奏です。
ビクター盤は廃盤になりましたがタワーから廉価再発売されています。

ただ収録時間的にCD1枚に収まるのになんで二枚組という、
ちょっと不可解な発売の仕方をしています。
こういう曲こそ一枚で一気に聴かなければという曲なのにです。

百害あって一利なしの編集ということで、
抗議的な意味も含めてこれのみ表紙をUPしません。ご了承ください。


90008.jpg
⑦ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ響。
2001年12月12日~15日に録音。

あの911アメリカ同時多発テロ事件から三か月後の録音。
まだまだアメリカ国内に緊張感が漂っていた時期の録音ではありますが、
演奏はことさらそういうことには左右されず、
むしろ静謐で見通しの良さが強く全面に出た演奏となっています。

1954年にフルトヴェングラーとあったバレンボイムと、
1949年に泣く泣くフルトヴェングラーの音楽監督就任を断念したシカゴの、
なんともいえない落ち着いた昔語り的な演奏となっています。


最後に楽章ごとの演奏時間の比較です。
拍手のあるものは拍手の時間を省いています。
一応手元のCDに表記されているものを記しておきます。

①フルトヴェングラー指揮ハンフルグフィル
②フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル
③フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル
④フルトヴェングラー指揮シュトゥットガルト放送響
⑤ヨッフム指揮バイエルン放送
⑥朝比奈指揮大阪フィル
⑦バレンボイム指揮シカゴ

① 25:03、 12:15、 15:39、 28:39
② 24:40、 12:37、 16:22、 28:42
③ 23:43、 12:00、 16:20、 27:24
④ 24:03、 12:30、 16:56、 28:38
⑤ 26:12、 13:15、 16:28、 26:58
⑥ 23:41、 10:57、 16:02、 27:29
⑦ 23:05、 12:58、 15:47、 30:13


以上です。
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阿伊沢萬

伊閣蝶さま

この曲はかつてほんとうに鬼門中の鬼門でしたが、こうしていろいろと聴いているうちに、何をいいたい曲なのかということがおぼろげながらわかってきたようにも感じます。

ただこの曲を今後日本で指揮する人はしばらくあらわれないと思います。本人は頼むから指揮してくれと向こうの世界から思ってるかもしれませんが。

nice!ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2017-03-17 02:02) 

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