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宇野功芳さんにいいたい砲台。 [クラシック百物語]

今年(2015)5月に85歳になられた、
音楽評論家宇野功芳さん。

正直この人の名前を聞くと、
自分はひじょうに複雑のものを感じる。

自分の約束事のひとつに、
「生きてるうちに言えるタイミングがあった人には、
死んでから墓を掘り起こすような事を言うな。」
というものがある。


というわけではじめるが、
ここでは宇野さんに対しての個人的な雑感&総括であって、
悪口大会というわけではない。

ただし後半は間違いなくそうなるのでそのつもりで。


自分にとって宇野さんは最初ひじょうに重宝できる評論家だった。

また忌憚のない意見と率直な物言いも、
個人的にとても信じられるものがあった。

実際、朝比奈隆のブルックナーを聴くようになったのは、
宇野さんの力が大だった。

そういう意味ではとてもありがたいものがあった。
その点の恩義というのは今でも感じているし、
特に朝比奈さんのそれはいろんな意味でありがたいものだった。


シューリヒトやクナッパーツブッシュが、
広く日本で人気がでたのも宇野さんのおかけだったし、
それによっていろいろなプライベート録音が陽の目をみ、
それらを聴くことができたという意味では、
自分も宇野さんの恩恵を受けたといえるだろう。


もしここまでだったら、
自分にとってはたいへんありがたい、
素晴らしい評論家だった。


だが実際そうはならなかった。


朝令暮改的な発言を平気でしながら、
それに対して何のフォローも無いという、
そういう悪癖も確かに拙いけど、
それ以上にこの人にはいろいろとある。


それは一にも二にも、
この人の独善的な物言いと、
自らの好きな演奏の素晴らしさを誇示するため、
他者を貶めるような比較話をすることだ。

また自分の好きな演奏者や作曲家を賞賛するあまり、
ほとんどそれを私物化するような発言や、
さらには評論家という肩書を持ったうえで

「この演奏の素晴らしさが分かる人は自分の感受性に自信を持つべし。」

みたいな、
人のプライドを人質にしたような、
それでいてその演奏に対する反論を許さない、
その新興宗教の勧誘にみられるような巧妙な言いまわしに、
自分は次第に不信感と不快感を強めていった。


もちろんこれは佐村河内事件のような、
確信犯的なものではなく、
ナチュラルな無意識のうちに出たものだろうけど、
それでもこれはかなり罪がでかい気がする。


そしてこういうことは聴き手から考える力だけでなく、
聴くときに意味の無い色眼鏡をかけさせてしまうという、
ひじょうに悪辣な状況も引き起こしてしまう。

音楽そのものより、
第三者の意見の方が絶対的価値があるような、
そういうおかしな誘導が行われてしまうのだ。


またその誘導する聴き方もかなり近視眼的というか、
狭い価値観のみに頑迷にとらわれている傾向が強く、
正直聴くときに聴き手にとって邪魔以外の何物でもない。


このためこの人の言う事にとらわれてしまうと、
自分の素直な感性よりも、
宇野さんの考えている音楽の方が優先されてしまい、
しかもそれに聴き手本人が満足感を何故か得てしまう。

つまり音楽評論家と同じレベルの聴き手になれたと、
おかしな錯覚と優越感に浸ってしまうということ。


音楽そのものより第三者の評論を信じると言う、
「宇野信者」の誕生といったところか。


ただ自分に言わせれば、
それがその人には何の価値も無いし、

「だいたい宇野さんはブルックナーの何なの?」

とか、

「だったら自分が音楽聴く意味があるの」

いう基本的な質問すら、
その信者に問うてもおそらくその人は耳を貸さず、
宇野さんの受け売りをわめくばかりという、
ほんと「伝染病かい」というかんじなのだ。

しかもこの人ときおり、

「そのような演奏を聴く方が悪い」

という意味不明の言うことがあるが、
聴かなければすべてははじまらないのだからこんなおかしなことはない。
完全な結果論だ。

正直こうなってしまうと、
日本の聴き手が世界から十年は遅れてしまうという、
たいへんな危機感が自分にはあったが、
幸いにして21世紀に入りネットが普及すると、
そういう類の発言に振り回される輩も、
すでに信者になってしまったような人はともかく、
もはやそれほどはいないだろうというかんじになってきたのは、
とてもありがたいことだし、
宇野さんの名誉にとってもいいことだろう。


ただこの宇野さんの手法をまねした、
一部のもう少し世代の若い評論家といわれる人たちは問題だ。

なにしろこれらの人たちは宇野さんと違い、
完全なそれ狙いの確信犯なので、
より罪は深いといわざるを得ない。


まあそういう最悪の劣化コピーを生んでしまったのも、
やはり宇野さんの問題点だし、
正直「罪」の部分といえるだろう。


そして最後にこれだけは言いたい。

とにかくこの人は人として非常識にも程がある。

朝比奈さんの最後の公式アルバムのライナーなど、
歴史に残る最悪最低の下劣文だろう。

なんで最後のアルバムに、
他者の悪口をあそこまで書きこまなければいけないのか。

朝比奈さんに有終の美を飾らせるという意味でも、
美しい文のひとつやふたつ添えるのが礼儀というもの。

それをあんな形で汚してしまうなど、
我欲が高じて人としての道を外したというくらい、
あまりにも外道なライナーだった。

もちろん好き嫌いは人それぞれだが、
それをあそこで、
しかも聴衆ひっくるめての馬鹿よばわりはないだろう。

まるで人のお葬式の最中にアジ演説しているかのような、
おそろしく超非常識な行動だった。

言いたいことがあるなら他所でやってほしい。


とにかくあれは生涯猛省を促したい。


と、いったところ。

それが宇野さんに対する、
自分の総括といったところだろうか。


最後あまりにも言い過ぎと言われるかもしれないが、
あちらも言いたい放題言って半世紀以上やってきているので、
こちらもいいたい砲台言わねば礼儀に反するというものだろう。


まあここまで言ってしまっただけに、
宇野さんにはぜひ長生きしてほしいところです。


以上で〆。


(2016 6/12 追加)

その宇野さんが去る6/10に老衰でお亡くなりになったという報せがあった。


正直いろいろとあったけど、
今はご冥福をお祈りいたします。
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コメント 5

大石良雄

拝啓 突然のお邪魔失礼お詫びし、今後ともよろしくお願いいたします。
しかしサイトヘッド様の場所は奥が深いと。非常に勉強になります。
この「音楽評論」と言う行為に対して、自分はクラシック音楽を聴きだした小学校5年の時から疑問でした。これは当時のピアノ教師から「評論屋のだれそれが良いと言っていたからレコード買う」と。これは変だろうと、、、この当時から?だったのは、はたして音楽評論とは確立されたひとつの学問なのか?否こんなものは自慰行為以外何物でも無いと断言できます。それは「他人様が汗水流してこしらえたものを、サードパーティー(当事者でも無い第三者)に、あーだこーだ言われる筋合いは無いと。例えば?そのCDなりメディアなり、お金を出して買ってくれた一般リスナー等からの「市民的なお叱り=高い、下手、納期が遅い」とか云々、、でしたらまぁ正式なクレーム?として当事者は真摯に耳を傾ける必要はあります。
しかし、そうでは無く銭金貰って(あるいは会社の銭金使ってコンサート言ったりメディア買ったり)当事者のごとく言いたい放題ほざくのは、いささかどうなのか?と。そもそも此処に「学問的な体系が整っていない、極めてあやふやな、何と言いますか音を文学的に貶める」様なある種勘違いの創造もどき?が生まれると。これがもし「音楽理論=作曲法、対位法、和声法、編曲法」等の、いわば過去の大家たちの実践に基づく学問的な体系に裏打ちされたもの」ならば納得出来るのです。確かにサイトヘッド様やご訪問の皆様なら「音楽理論」とは?正直ド屁理屈の塊?みたいなものですよねぇ。自分も基礎の基礎程度は師匠に習ったのですが、それ以上は理解できなかった、、、今でも時間見て勉強だけはしていますが未だに難しくなる一方です。こうした苦行を全く経験もせず、たった一度聴いた程度や、行きもしないコンサートの感想書いたり。また最大の納得できない点は「評論などは創造では決して無い」事。此処が最大の難点弱点欠点汚点です。つまり音楽には「此処に個人の主観や主張は必要無く、黙って事実を事実に基づき事実だけを書けば良い」のです。「自分はこう思う」等、世間は誰もそんな事聞いて無い。 サイトヘッド様は、何でもクナの件で、某が大きな役割を果たした云々言われますが、実は過去「Eプレスリーを日本に紹介したのは僕」なんてぇハゲの某がいましたが、例えば「クナッパーツブッシュ、プレスリー」にしろ、あれだけの世界の有名人ですからね。別に誰が何を言わずともに日本のリスナーには受け入れられたはずではないでしょうか?  サイトヘッド様やご訪問の皆様は、石原裕次郎の映画「嵐を呼ぶ男」で、某が演ずる「反吐が出そうなほど嫌な音楽評論屋の親父」を覚えておられますか? その台詞で「僕がもう一押しすれば云々」等と寝言ほざきながら、女に擦り寄るそのドあつかましさとスケベ根性丸出しの邪な目、、、、諸悪の根源が此処にありました。
過去、これは証拠を提出できないので残念ですが、指揮者の岩城が「作曲家になれない奴が演奏家になり、演奏家になれない奴が指揮者になる、いわば食いっぱぐれのダニみたいな奴で、それがだめなら最後の最後に評論屋となる」と。真にその通りのフレーズで、あの人良く解っておりましたねぇ。 自分も岩城嫌いでしたがこの一言で見直したと。
これも証拠が提出できないのが残念でたまりませんが過去某三流週刊誌で「都内では、マージャンが出来て音楽の批評が出来ればそれだけで食っていける」と。 嘘か本当かこれほど人を馬鹿にした世間をド甘く視た妄言放言狂言は無い、、、、確かに他人が知らない事を多少知っているのは確かでしょうが、これとて「年中金魚のフンみたくくっついて、腰ぎんちゃくの様にすりよって、タダ飯タダ酒食らって仲良」くしてれば、誰だって知らない情報位知りえるでしょうが、、、、サイトヘッド様等はまだ人間が出来ているから此処まではおっしゃらないでしょうが、、、、最後にご迷惑を知りつつお詫びしつつ本音言いますと、「評論屋なんぞに落ちぶれる位なら、河原乞食にでもなった方が、まだ気がきいている」と。評論屋の存在意義や価値など何も無いのです。しかしあの評論屋の某が「戯れに指揮?した多数の曲」、、、聞いていて反吐が出ましたね。あれは音楽では無い。恐ろしい騒音、ノイズであり子供たちに聴かせてはならない。遊び、猿真似、戯れも度が過ぎるとこれは犯罪です。
今回、サイトヘッド様のフィールドにて、言葉が過ぎた点のみお詫びいたします。   敬具
by 大石良雄 (2017-07-24 15:45) 

阿伊沢萬

かつて指揮者のクルト・ヴェスも「演奏家にも学者にもなれなかったのが評論家」と言ってるくらいなので、演奏家側からは、あまりいい気持ちで彼らの多くをみてはいないと思います。特に人の痛みが分からない今の中堅から若手の評論家の一部は個人的にすでに黙殺してますのでどうでもいいです。
by 阿伊沢萬 (2017-07-27 00:59) 

ののさき

たとえどういった論調であったにせよ自分の耳で判断せず批評家に引きづられた当人に問題があるだけです。勝手に洗脳されておいて後から恨み節をダラダラ書き連ねるなんてゲスの極みとしか言いようがない。
外道なライナーノーツと外道な記事、同族嫌悪でいい感じじゃないですか(笑)
by ののさき (2017-08-14 19:26) 

阿伊沢萬

あなたがどう発言されても、残念な事に相手がこの世いませんので自分はこの件に関してもう発言ができません。そういう前提でこの文は書かれています。

「生きてるうちに言えるタイミングがあった人には、死んでから墓を掘り起こすような事を言うな。」

ということです。

そのため今度は事実上自分が生きたまま死人に口なし状態になった訳です。悪いことはできないものです。もちろんそれも覚悟していましたが。

ののさき様コメントありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2017-08-15 01:55) 

大石良雄

拝啓 この度は、自分の下手な文章により、サイトヘッド様 ご訪問の皆様に少なからず不快感を与えてしまった点、お詫び申し上げます。陳謝
今回「死人に口無し」他厳しいお声を耳に致しますが、実は自分がこうした優れたサイト様を知ったのは極最近。またネット自体を始めたのも日が浅く、何かとコメントを書かせていただける環境になりましたのも極最近と言い訳ばかりです。しかし過去、名前は出しませんが自分は「良いにつけ悪いにつけ直接ご本人らはご連絡」いたしました。大半はアナログ書面でしたが、おそらくは先方が読んだか否かも解らず、事前で握りつぶされればそれまででしたから。決して「実弾の届かない、対岸の火事的高見の見物」等はいたしません。これは「自分の気持ちは心で思っても相手に届かないから」です。だからこそ応援しているクリエーターの皆様には、FCの会員にもなりお金も使います。大半女性ですが中には男性もおられます。この評論某にしても、もしも生前そこらで会ったなら、間違いなくとっ捕まえて議論していたでしょう。自分は必ず本人に申し立てます。今回、自分の文章を書く力量不足と表現足らずにより、サイトヘッド様やご訪問の皆様にご迷惑をおかけした事はお詫びいたしますが、決してサイトヘッド様やこのサイトに対してクレーム等をつけないで下さい。心よりお願いです。 陳謝 敬具
by 大石良雄 (2017-08-18 17:12) 

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