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ショルティのブルックナー [クラシック百銘盤]

ショルティが亡くなり、
来年(2017)で早くも20年が経ってしまう。

ほんとうに早い。

じつは自分にとって、
かつてショルティは最高に心酔した指揮者のひとりだった。

その持って回ったような言い方をしない、
単刀直入な音楽の捌き方が、
とにかく自分には胸のすく思いで聴きほれていた時期があった。

ただ何というのか、
次第にいろいろと他の指揮者も聴きこんでいくうちに、
ショルティに対してのそれがうすれていった。

ショルティを再度真剣に聴きかえし始めたのは、
彼の生誕百年を過ぎたころからかもしれない。

ただそれは以前聴いていたマーラーやバルトークとかではなく、
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、
そしてブルックナーというものだった。

ぶっちゃけて言えば日本でショルティの評価の低いところだ。


だがこれらがなかなかいい。

どうしてもっと早くこのあたりを聴いていなかったのかと、
ちよっと我ながら残念に思ったりしたものでした。


その中のブルックナー。


ショルティはかつてシカゴ響赴任前に、
ウィーンフィルで7番(65年)と8番(66年)を録音している。
(この7番を録音している時にクナッパーツブッシュの訃報にショルティは接している。)

ショルティはその後クナッパーツブッシュのウィーンでの追悼コンサートで、
ブルックナーの7番の第二楽章を演奏。

その後69年のウィーンフィルとの来日公演でも7番を演奏しており、
そういう意味でまったく無縁の作曲家というわけではないのですが、
マーラーに比べるとかなり消極的だったということは否めない。


そんなショルティが1979年からブルックナーの交響曲を、
シカゴ交響楽団と録音しはじめた。

それは以下のような順番で行われた。

6番 1979
5場 1980 ※これ以降すべてデジタル録音。
4番 1981
9番 1985
7番 1986
8番 1989 ※未発売
8番 1990 ※サンクト・ペテルブルクでのライブ。
2番 1991
3番 1992
1番 1995/2月
0番 1995/10月 ※ライブ

というかんじで行われた。

これをみてると最初は10年かけて6曲、
しかも8番は未発売ということなので、
かなり慎重な姿勢でやっていたが、
1990年のサンクトでのライブで何か吹っ切れたのか、
その後は比較的順調に録音していったようだ。


自分はこれを一通り聴いたが、
最初の6番はショルティ自身の特性とあっていたのか、
なかなかの好演となっている。

その後同じゴリゴリ系の5番と、
比較的ポピュラーな4番と続いたところで、
4年ほど録音期間が空く。

そして9番7番と続くが、
一気に8番とは行かず、
89年にようやく8番を録音したものの発売はされず、
翌年サンクトでの同曲のライブ録音によって、
ようやくそれを果たすこととなる。


このようにショルティは、
ブルックナーはかなり慎重に、
そして考えながら録音していったように見受けられる。

このようになったのは彼と同い年の指揮者、
ヴァントやチェリビダッケがブルックナーを得意としていたことも、
正直あったような気がする。

また二つ年下でかつて一緒にシカゴにいたジュリーニが、
ウィーンフィルとブルックナーの後期三大交響曲を、
1984年から隔年ごとに録音をしていたこと、
しかも7番はジュリーニとショルティが同じ年に録音をしたことで、
余計比較対象のそれになったこと、
さらに1988年に録音したジュリーニの9番は、
録音と前後して行われた演奏会がたいへんな評判になったことで、
彼はさらにプレッシャーを受けていたことだろう。


だが1990年サンクトでの8番以降、
ショルティは完全に吹っ切れたかのように、
自らのブルックナーを見事に奏でることになっていった。


正直言うと最初の頃のショルティとシカゴのブルックナーは、
やや金管が細かいところがぶっきら棒なところがあり、
弦も輝かしく歌いこまれているのはいいが、
なんか最後にひと伸び足りないというか、
変な表現で申し訳ないのですが、
弦の穂先がバサバサに刈り取られて、
いささか雑然としていて揃ってないような、
そんな感じに聴こえるところが少なからずあった。

それが回を重ねるに連れ次第に影を潜め、
90年のライブ以降それがより際立っていったように感じられた。

特に感じられるのが、
91年の2番と92年の3番の録音だ。


ここで面白いのはショルティの使用楽譜。

2番が1877年のノヴァーク版
3番が1877年のノヴァーク第2稿

というもの。

つまりともに同じ年に書かれた稿で演奏しているということだ。


1877年というとベートーヴェン没後50年の年だが、
そのせいかこの頃はいろいろな作曲家による交響曲の新作が、
あちこちで前後していろいろと作曲されたり発表されたりしている。

ブラームスの交響曲第1番と第2番、
チャイコフスキーの交響曲第4番、
ボロディンの交響曲第2番、
ゴルドマルクの交響曲第1番「田舎の婚礼」

そしてブルックナーの手元には、
2番~5番までのじつに4曲の交響曲が、
完成もしくは改訂が済んだ状態でおいてあった。


1877年が敬愛するベートーヴェンのメモリアルイヤーということで、
ブルックナーがそれをどう感じていたかは分からないが、
まったく無関心であったということはとてもではないが考えられない。

おそらくその結果がこの4曲だったのだろう。
それはこの4曲の調性が、
すべてベートーヴェンの交響曲の調性と同じという、
そういうところにも見受けられる。


ショルティはそんなところに目をつけたのだろうか、
とにかくこの2曲をともに1877年版で演奏している。

そしてその出来は…。


じつに剛毅で健康的で晴朗なブルックナーだった。

ほんとうにある意味、
それはベートーヴェン的といえるほどの力強さと輝かしさをもった、
極めて劇的剛直なブルックナーだった。

もうそこに精神性がどうこうという、
そんな小賢しい評論など入り込む余地が無いほど、
とにかく圧倒的なブルックナーだった。

見事なほどの輝かしいブラス、
やや硬質なものの瑞々しい響きの木管、
光沢のある弦楽器。

特に内声の随所に聴かれる強い歌いこみはほんとうに魅力的で、
これほど曖昧さも迷いも無い、
完璧なまでに晴れ渡った、
思い切りの良い壮麗な響きのブルックナーというのも、
そうそう耳にすることはないだろう。


ただ確かにこの一点の曇りも無い輝かしい響き、
しかも田舎臭さなど微塵も無い、
洗練され切った、
それこそカッコいいといっていいくらいのこの響きは、
いわゆるブルックナーらしさから極めて遠い響きだろう。

だがこの音楽すべてを肯定しつくしたような、
強く曖昧さの無い、
それこそ楽聖の敵に対して向かっていくような、
その強靭とも剥き出しともいえるようなエネルギーが、
じつにこの二つのブルックナーではいい方向に向いている。

もしそれを狙ってショルティが1877年版を使用しているとしたら、
じつにそれは大正解だったというところでしょうか。


自分はこれを聴いていて、
かつてショルティとシカゴが1977年に初来日したときの、
その圧倒的な「ドン・ファン」で聴き手の度胆をぬくような、
それこそ天使の大群が足並みそろえて行進してくるような、
あの超弩迫力のブラス・セクションの響きを思い出した。

だが当時この演奏はその圧倒的すぎる程のパワーと輝きのため、

「あれは音楽ではない、暴力だ」

といったような言われのない中傷を一部の評論家から受けてしまった。

その評を自分は当時、

「古臭い感性と貧弱な日本のオケに慣れ過ぎたためだ」

と嘲笑したものでしたが、
このブルックナーもまた同じように、
多くのブルックナー愛好家には聴こえているのではないかと、
ふとそんな気がしたものでした。


もちろんシュトラウスとブルックナーは違うので、
一概に当てはめるのは危険なものの、
自分はこういうブルックナーもまたアリだろうという気がしたし、
ブルックナーだって古いヨーロッパの教会のオルガンと、
アメリカのピッカピカのオルガンでは、
当然彼の弾き方も変わってくるだろう。

案外アメリカのピッカピカの、
劇場用のPAみたいなものまで使った大音量の出るオルガンを前にしたら、
それこそショルティとシカゴのように、
大音量大炸裂の爆演を熱狂的にしたかもしれない。


所変われば品変わるではないけど、
そういうこともありうるかもしれないのだ。

と、そんなことをショルティのこの二つの交響曲の録音を聴いて、
想ったりしたものでした。

「運命」と同じハ短調の2番と、
「第九」と同じニ短調の3番。

フルトヴェングラーとはまた違った、
ショルティ風のベートーヴェン感覚に満ちた
そんなショルティのブルックナー賛歌に乾杯。


演奏時間

029-bruckner-2.jpg
2番 18:09、16:47、06:04、14:40

029-bruckner-3.jpg
3番 21:49、16:39、07:00、13:57
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阿伊沢萬

最近ショルティ、カラヤン、フルトヴェングラーと日本であまり評判のよくないブルックナー演奏を聴きかえしています。で、これがけっこういい演奏が多く、評判ってほんとあてにならないとあらためて痛感しています。最後は評判でなく自分の耳がすべて。あたりまえのことですが…。

ハムサブロー様、banpeiyu様、剛力ラブ様、mangahara様、nandenkanden様、dougakunen様、shingeki様、モグラたたき様、宝生富貴様、mentaiko様、コミックン様、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-06-24 20:44) 

じじい

学生時代、ショルティが一番好きでした。 ケルテス、ベーム、ムラビンス
キーなどを聴いていました。 再生システムにホーンを入れ、アンプをチュ
ーンしてケルテスの素晴らしさに気がついてしまい、アンサンブルに粗雑
さが見られるショルティは辛くなっています。 レニーでマーラー耳を獲得
、テンシュテットで聴いていますがドイツ文化圏では嫌われていると聞き、
驚きました。 ブルックナーはヴァント 8番で入門を果たしましたが、
ヴァント ベリリン 9番 では面食らいましたし、ケルテス LSO 4
番で安心したりもありました。 カラヤン ウィーンフィル 7番が高評価
なのだと聞いて理解できずにいます。 
ショルティ晩年の取り組みでアンサンブルへの変化があるようには感じます。 とまれ聞いてみようと思います。
by じじい (2016-08-01 04:57) 

阿伊沢萬

ショルティは70年代は中低音に重心を置いた音楽づくりをしていたのが、80年代あたりからそれを抑制しフォルムを滑らかにし高音の美しさとしなやかさに重きを置くようになっていきました。

このブルックナーも80年代の趣を残しているのですが、同時期の他のベートーヴェンの演奏より活気と熱気にあふれています。ノリがいいといっていいかもしれません。フルトヴェングラーにもときおりそういう傾向が見受けられるので、このあたりちょっと興味深いものがあります。

じじい様、コメントありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-08-02 01:37) 

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