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フルトヴェングラーのブルックナーの8番 [クラシック百銘盤]

フルトヴェングラーの交響曲の録音をみると、
とにかくベートーヴェンの多さが目をひく。

そしてその次にブラームスが多い。

これに比べるとブルックナーはやはり少ない。

しかも全曲をセッション録音したものはひとつも無い。

あるのは7番の第二楽章くらいで、
あとはすべてライブか放送用の録音のみ。

これには録音時間の問題等もあったかもしれないが、
それにしても皆無というのはちょっと驚きだ。

DGに1951年の11月に、
自作の交響曲第2番をセッション録音しているので、
ブルックナーを録音するチャンスはあったと思われるだけに、
なおさらという気がする。

DGのスタッフも正直、
「できれは7番あたりを録音してほしい」
とこのとき思っていたのではないだろうか。


それとブルックナーの録音がひじょうに年代的に限られてるということ。

現在聴くことができるものとしては、
第二次大戦前にはひとつも録音がなく、
戦争中に完全な形で全曲録音が残っているものが、
5、8、9番の三曲が各一種類ずつ。

1947年5月の復帰から1951年までに、
4番が二種、5番が一種、7番が三種、8番が二種だが、
4番と7番の三種のうち二つは、きわめて時期が接近しており、
8番に至っては放送録音とその翌日のライブというぐあい。

そしてそれ以降は1954年の8番が一種という具合で、
頻繁に終始あちこちで演奏していたというわけではない。

しかも1952年以降は録音が激減している…
…というより演奏そのものが減っている。


そしてその代わりに、
1951年の末にセッション録音された、
自作の交響曲第2番の演奏が増え、
録音も1952年以降は三種類ものライブ録音が遺されている。
そして自らの最後の演奏会もこの曲が演奏されている。

これが何を意味してるのかは想像するしかないけど、
とにかくブルックナーの録音は、
ひじょうに少ないというのか実感だし、
あまり別の日との聴き比べもてきないというのが現状だ。

そんな中で、
その全曲演奏の記録が唯一1944~1954年にわたり、
しかも四種類という最多の録音数を数え、
ウィーンフィルとベルリンフィルによって、
各々ライブと放送録音が遺されている8番は、
この指揮者のブルックナーの考え方が、
ひじょうにわかりやすいものといえる。


この四つは以下の通り。

①VPO、1944年10月17日、ムジークフェラインでの放送録音。
②BPO、1949年3月14日、ゲマインデハウスでの放送録音。
③BPO、1949年3月15日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。
④VPO、1954年4月10日、ムジークフェラインでのライヴ録音。

演奏時間は上から、

15:11, 14:07, 25:08, 22:20。
15:58, 14:23, 25:27, 22:58。
15:33, 13:43, 24:55, 21:51。
16:34, 14:37, 27:21, 21:55。


この四種はありがたいことに、
フルトヴェングラーのこの種の録音としては、
年代にしてはそこそこまともなものばかり。

また四種ともひじょうに特徴的なものとなっている。

①はとても流麗かつ美しく、
とても戦争中の演奏録音とは思えないほどで、
曲の流れにのったじつに自然な演奏。
ホールの響きもなかなかうまくとらえられている。

あの凄絶なBPOとの9番の十日後の演奏とはとても思えない。


②はひじょうにガッチリとつくりこまれたというか、
セッション録音時のフルトヴェングラーのそれに近しいものがある。
フルトヴェングラーのブルックナーを
「人間的すぎる」とか「ロマンティックにすぎる」
と言われることがあるけど、
この演奏はそういう言葉からはかなり遠い演奏。

ある意味素朴であり飾り気のない演奏でありながら、
弱音や間の取り方に尋常ではない神経の細かさを感じる。

この演奏のみを翌日の演奏と混ぜることなく、
EMIが当初から発売していたら、
日本におけるフルトヴェングラーのそれは、
多少違った評価をされていたかもしれない。


③はこの時期のライブのフルトヴェングラーの特徴がよく出た、
非常に興にのった一気呵成ともいえる劇的な演奏。
基本的には②をベースにしているとはいえ、
その出来の印はかなり違い、
ここまでやるかというくらい壮絶なものとなっている。

しかもブルックナーの音楽を「広く大きく」という一般的なものではなく、
「遠く深く」という、
もうひとつの方向にもっていった稀有な演奏。

これが日本のブルックナー愛好家の多くから、
いまだ理解されがたい理由なのだろう。

ただ個人的にはこの演奏、
もしブルックナーが客席で聴いていたら
終演後舞台上の指揮者に飛びつき、
抱きしめたのではなかろうかというくらい、
作曲家を狂喜させたような気がした。

それにしても第三楽章の響きはじつに深いが、
かつて聴いたヨッフムとバンベルクの演奏と、
ちょっと相通じるものをいつも聴いていて感じてしまう。


④はフルトヴェングラー最晩年期に遺された、
唯一のブルックナー録音。

二か月前にセッション録音されたベートーヴェンの5番のような、
解説的かつ晴朗な演奏で、
勢いや劇性というものからきわめて遠い、
ある意味思考思索しながら曲から濁りをとりはらい、
曲のあるがままの姿を追求しようとしたような演奏。

そしてそこになぜか、
ベートーヴェン的な強さも感じられてしまう。

フルトヴェングラーの他のブルックナーにも、
ベートーヴェン的な強さというか、
不屈の姿勢みたいなものが感じられが、
この演奏には特にそれが感じられる。

これはフルトヴェングラーが、
ブルックナーを理解していないというのではなく、
ブルックナーが楽聖をいかに意識し、
彼と深い部分で繋がっていたかを見抜き、
それを突き詰めた結果という気が自分にはする。

1954年のハ短調の第八交響曲の演奏が、
その二か月前の楽聖のハ短調の第五交響曲の録音と、
なんとなく近しいものを感じられたのも、
そんな部分があったからなのかもしれない。

フルトヴェングラーにとって、
ブルックナーは唯一無二の存在ではあったが、
孤高の存在というより、
楽聖に深い愛を生涯捧げた巨人という、
そういう位置づけだったのではないだろうか。

そんなことを彼のブルックナー、
特に5番やこの8番からは聴きとれるような気がする。


と、ざっくりと書いてしまったが、
フルトヴェングラーによる、
ブルックナーの交響曲第8番は、
そんなかんじに四種類とも、
いろいろなことを自分に感じ考えさせてくれる。

今年(2016)の一月はフルトヴェングラーの生誕130年だったが、
十月はブルックナーの没後120年にあたるということで、
そんなこともあり、
今年はフルトヴェングラーのブルックナをよく聴いているので、
余計いろいろと考えてしまうのかも。


ということで唐突に〆
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コメント 4

阿伊沢萬

録音は古いですがいい演奏なんですけどね。なんか日本って声が大きい人の言うことに流されやすいです。もう少し自分の耳で判断してほしいものです。

banpeiyu様、剛力ラブ様、nandenkanden様、dougakunen様、shingeki様、モグラたたき様、宝生富貴様、mentaiko様、コミックン様、nice!ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2016-07-15 02:28) 

サンフランシスコ人

フルトヴェングラーはニューヨーク・フィルの演奏会で4番を指揮しました...

http://archives.nyphil.org/index.php/artifact/6d1daf05-8819-49e2-a6e6-537a8c4139cf/fullview#page/1/mode/2up
by サンフランシスコ人 (2016-07-16 06:06) 

阿伊沢萬

さすがにこの年代では録音は無いでしょうが、フルトヴェングラーはこの演奏会の前後にNYPOから常任の依頼を受けたのを多忙を理由に断っています。もしこれを受けていたら彼の生涯はその後どうなったことでしょう。人の運命とはほんとうにわからないものです。
by 阿伊沢萬 (2016-07-16 15:58) 

サンフランシスコ人

「さすがにこの年代では録音は無いでしょうが...」

メンゲルベルク&ニューヨーク・フィルの録音はありますが...
by サンフランシスコ人 (2016-07-28 02:32) 

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