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NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」雑感。 [スタジオ・ジブリ]

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3年前、突然引退を宣言したアニメーション映画監督・宮崎駿さん。世捨て人のような隠居生活を送り、「もう終わった」と誰もが思っていました。でも実は終わっていなかったのです。手描きを貫いてきた宮崎さんが、75歳にしてCGで短編映画に初挑戦。それは長年夢見た幻の企画でした。新たなアニメーションとの格闘を繰り返すなかで、下した大きな人生の決断!「残された時間をどう生きるのか」。独占密着!知られざる700日
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586742/


宮崎監督のドキュメントを今頃みた。


内容は短編づくりにはげむ監督。
CGというツールに向き合う監督。
新作長編に動き出す監督。


という姿を描いたもので、
そこには年齢からくるいろいろなものと向き合いながら、
「物創り」をおこなう監督の姿が描かれている。


これをみててまず思ったこと。


以前、監督が長編をやめたのは、
狭心症のためだったという記事を読んでいたので、
かなり心配をしていたが、
(正直自分にとって他人事ではない)
にもかかわらずたばこを吸っていたのをみると、
少しは治まっているのかなという気がして、
きもち安堵したこと。


またしばらく休んでいて、
やりたいことをいろいろやってはいるものの、
予想以上に気力体力とも残っていたのか、
物創りのそれが抑えられなくなってしまったということ。


そして何といってもCGに手を出し、
それを自分の表現ツールにくわえようという、
その貪欲な気持に脱帽といったところか。


宮崎さんの場合、
手書きにこだわっていたのは、
その微妙な表現、
指先の感覚の微妙な調整で千変万化する表情や世界を、
完璧に描けるのは自分の指先の技術だけという、
そういう自負があったことは確かだろう。

ただCGの技術も驚くべき進歩を果たしていることを、
うすうす感じていたのだろう、
それを自分がやったらどうなるかという、
そういう部分の好奇心というか、
俺だったらもっとこのツールをうまく使いこなせるという、
そういうところもあると同時に、
ひょっとしたらまだ見ぬ世界がそこに広がっているのかもという、
そういう期待があったのではないかという気がする。

それはあたかも、
チェンバロしか弾いたことがない人の目の前に、
突然88鍵のピアノがあらわれたような、
そんなかんじだったのではないだろうか。


ただ「なかなかうまくいかない」と、
予想以上にこのツールが、
自分の手先指先のようにコントロールできないもどかしさに、
かなり苦戦していたのは、
しかたないといえばしかたないのかも。


またこれはこちらの勝手な想像だが、
監督は自分の指先で直接いろいろと書きながら、
その描かれていくものだけでなく、
そのときのリズムや感覚などから、
自然といろいろなインスピレーションが沸くタイプで、
新しいツールではその部分が欠落してしまい、
それがいつもと違う何かとなってしまったのではないだろうか。


このため監督自らいつものスタイルでいろいろやりだし、
それをCGとのそれをうまくミックスさせだすと、
いつもの、
そしてちょっと違う宮崎ワールドがあらわれた。
それがあの「夜の魚」なのだろう。


おそらくあの場にいた、
多くの若いCG関係の人が、
それまではかなり神経をすり減らしていただろうが、
あのときだけは、
その天才に脱帽したことだろう。


じっさいそれより前にも、
監督の絵コンテをみてかなり度肝をぬかれていたようだが、
それをみてたら、
なんかU2のボノとBBとの邂逅を思い出した。


ただ監督のそれはBBのようなものとは違う。


ここから先はちと嫌なことを書く。

監督はとにかくすべての動きに理由と意味と、
その先にある目的としているものを明確化させるため、
それに応えるというのは現場の人にとって半端ないものがある。

ある意味杉下右京にも通じるものがある。

だからといってジブリが人材の墓場というわけではない。


もともとジブリは高畑&宮崎両監督のためにつくられたものだ。

音楽でいえば、
トスカニーニのためにつくられたNBC交響楽団みたいなもので、
そこでは両監督のそれが絶対なのだ。

ジブリの中では、
各人駒としてしか動くことができないシステムであり、
宮崎監督もそれだからこそ、
あれだけの作品を次々と作り出せたのだ。

番組内で監督が「食べる」と表現したことと、
このあたり多少抵触してるかもしれない。


だからあのTVで映っていた人たちは、
みなそれこそたいへんな思いをしていたことだろう。。

正直歩き方ひとつひとつに対しても理由付けを求められたら、
その姿勢に慣れてない人にはかなりまいってしまうだろう。


天才や職人には一瞬にこたえが導き出せても、
普通の人にはなかなかそこまではできない、
昔気質の親方のところで、
ぶん殴られながらつかえている弟子という、
そんな感じになっていたような気がしたのだがどうなのだろう。


ただこれはしたかないことで、
宮崎監督の育った時代、
そして見て感じてきた時代が、
今の若い人たちとはまるで違うことがここでは大きい。


戦後の焼け跡で、
米一粒のありがたさ、
「いただきます」
というその言葉の意味で深く考え、
そして身に沁み込ませていた、
監督はそんな世代なのだ。


その人たちと今の若い人たちが、
同じものをみても、
当然みえている風景も感じ方も違ってきてしまう。


番組後半でドワンゴの人たちと対立したあのあたりなど、
まさにそれが極まったというべきだろう。


もっともあそこでの監督の怒りはそれだけでなく、
またたんに身障者に対する云々というだけではない。


最初のころ魔法の小箱のようにみえていた、
それこそ使いようによっては素晴らしい夢のようなツールが、
ただの面白半分のためにこれといった意味もなく、
その場の面白さのためだけに使われているように見えたという、
そういうことも大きく作用していたような気がする。


「おれの夢をぶち壊すな」


そんな気持ちがあそこにはあったのではないだろうか。

そしてそれはCGのもつ危うさというか、
目先の面白さばかりに気をとられ、
素晴らしい可能性を追求しようとしいない、
使う人によっては心ない遊び道具になってしまうと、
そこでは感じられたのではないだろうか。


これを年寄りの柔軟性に欠けた癇癪、
または今の若い人の無頓着さ、
と片付けてしまうことも可能だろうけど、
はたしてそれはどうだろう。


自分にはこれがどちらにとっても、
決して間違ってはいないという気がする。

お互い表現の可能性と夢を追求するという、
そういう立場はまったく同じだと思う。

ただそこには互いの育ってきた土壌によって育まれた、
哲学というか価値観の違いがある。

監督はあれを身障者に対する侮蔑ととられたが、
ドワンゴ側にはもちろんそういう意識などない。

そこに至る発想や経験が、
互いにそういう意識をもたせたといえるだろう。


ただここでひとつ強く感じたことに、
想像以上に監督にとって短期間で
CGというものが自分にとって大きなものになっていたことを、
このときの怒りで強く感じられたものでした。

監督は性格的にはあれかもしれないけど、
根は愛情が深いんだなあとこのときちょっと感じたものでした。

錯覚かな?


ところでこの後監督は「もう終わり」みたいな怒りを口にしていたが、
ドワンゴ側はおそらく釈然としないままだっただろう。

「ああ、そういう意見もあるのか。」

と、思いはしたが、内心

「もっと言い方があるだろう。」

と絶対そっちの方にドワンゴ側は気持ちはいっていたことだろう。

多少言い返しはしたが、
その後の沈黙に自分はそれを強く感じてしまった。


このときこれが宮崎監督なんたろうなあと、
自分は強くそれをここに感じてしまった。

言いたいことを言う。
だけど言った相手がそれをどう思うかという、
そういう部分は監督にはない。


あれだけ作品における理由付けと終着点を明確にする人が、
ひとつの言葉を放ったことが、
どう相手に波紋を起こし、
そして自分の真意を真っすぐ受け取ってくれるかという、
本来の終着点というか目的を無理なく理解してくれるかという、
そういう部分の計算や手段というのものを、
この人は持ち合わせていないのだ。


物凄い矛盾のような気がするが、
相手がどう受け取るかというより
そう考えるより以前に、

「今言ったことが分からないのなら、どう説明しても無駄。」

というその絶対の自信というか信念というか、
それが宮崎駿という人であり、
それがまたこの人を支えるポリシーでもあるのかなあと、
そんな気がこのときしたものだった。

それは最初に記した、
この人の手書きへのこだわりの要因と、
相通じるものでもあるのですが。


そう言ってしまうと宮崎駿はパラノイアだと、
そう思われてしまうかもしれないが、
このあたりの定義は自分も曖昧なので今は保留にしておく。


とにかく宮崎駿監督の、
いろんな面を確認もしくは発見した50分でした。


かつて某作曲家を現代のベートーヴェンと言っていたけど、
監督の方がよっぽどその言葉があうような気がした。


とにかく作品がすべてにおいて大事。
そして受け手へのメッセージが最も大事と。


これじゃあなかなか人間がそこに入るのはたいへんです。

まあそういう人は他にもいますので、
決して珍しいことではないのですが…。


以上で〆。


保田道世さんが亡くなられていたことを初めて知った。
また日本アニメから大きな方が去られてしまった。
心より哀悼の意を表します。

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サンフランシスコ人

宮崎駿監督の下で『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』を手がけた木原浩勝が、11/12サンフランシスコの日本町に来ました...
by サンフランシスコ人 (2016-11-16 03:47) 

サンフランシスコ人

5/6 宮崎駿監督のアニメ....サンフランシスコの日本町の映画館で公開....

http://www.newpeopleworld.com/schedule/2017/5/6/2-anime-1-day-spirited-away-princess-mononoke


by サンフランシスコ人 (2017-04-26 02:00) 

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