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ブルックナーと自分 [クラシック百物語]

というタイトルで語る前に、
自分が初めて聴いたブルックナーをあげておく。

自分が初めてブルックナーを聴いたのは、
NHKで放送されていた、
1973年に来日したカラヤン指揮ベルリンフィルによる7番。

特にその第三楽章の、
あのトランペットのテーマが耳に残った。

そういえばこの当時のカラヤンの人気はすさまじく、
今では考えられないだろうが、
この来日と前後して、
民放の夜10時以降だったと思うが、
カラヤンが映像用に当時制作していた、
ベートーヴェンの「第九」や「英雄」、
それにブラームスの交響曲第1番などが放送されていた。


とにかくそれをきっかけにまず7番を購入した。

ただ指揮にワルターのものを選んだのは、
この曲がLP1枚に収まっていたことにより、
これが一番価格が安かったから。


当時国内盤では同曲の廉価版は
ほとんど存在していなかったので、
消去法の選択だったといえる。

いまならティントナーの7番をCD購入といったところだろうか。

この後どういう順番で購入したかは失念したけど、
以下のものが最初に購入したものだった。

0番、ハイティンク指揮コンセルトヘボウ
1番、マズア指揮ゲヴァントハウス
2番、ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団
3番、ベーム指揮ウィーンフィル
4番、ベーム指揮ウィーンフィル
5番、クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル
6番、カイルベルト指揮ベルリンフィル
8番、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル
9番、アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団

なのでこれらの指揮者のブルックナーには、
その後もひじょうに愛着がある。

ただ演奏会の方が自分の好みがもろに出たものとなっている。

最初の10年のみですが聴いただいたいの順番としては、

1978年、7番、スイトナー指揮SKB
1981年、4番、ブロムシュテット指揮SKD
1982年、8番、ヨッフム指揮バンベルク交響楽団
1983年、7番、マズア指揮読売日響
1984年、8番、マタチッチ指揮N響
1986年、8番、朝比奈指揮大阪フィル
1986年、7番、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ
1986年、7番、プロムシュテット指揮N響
1986年、5番、チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
1986年、8番、スイトナー指揮N響
1987年、4番、朝比奈指揮NDR
1987年、4番、マズア指揮ゲヴァントハウス
1987年、5番、インバル指揮フランクフルト放送

といったかんじになっている。

マタチッチと朝比奈のそれは宇野さんの影響が多少はあるが、
あとはそうでもない。

こういうかんじで自分のブルックナー体験は築かれて行った。


そのせいかもしれないけど、
自分のブルックナーに対する好みや感覚は、
宇野さんあたりがつくりあげたブルックナー像とはかなり違う。


ブルックナーは神をこよなく愛し信じ切っていたが、
それは深山幽谷的な静的なものではなく、
没我的ともいえるほどの狂喜を内蔵した、
きわめて動的なものだったと自分は考えている。



また彼にとっての神はキリストだけが唯一無二ではなく、
楽聖ベートーヴェンもまた違った意味で信仰の対象だったと思っている。


楽聖没後50年にあたる1877年に、
彼の手元に完成もしくは改訂中だった交響曲が、
じつに四つもあったのはたんなる偶然ではないだろう。

確かにブルックナーは偉大であり唯一無二ではあるけど、
まったく誰にも影響されなかった、
もしくはまったく他の作曲家と独立して存在していたわけではない。

特に彼の楽聖に対するそれは、
1877年というだけでなく、
ニ短調への強い思い入れや、
執拗な繰り返しによる強調と拡大等にも、、
ベートーヴェンを意識したそれを垣間見ることができる。


このことを踏まえて、
ベートーヴェンに高い評価を得ていた指揮者によるブルックナーを聴きだしたら
今までみえていたブルックナー像とはかなり違うそれがみえてきた。


なんというのだろうか、
ベートーヴェンが権力や運命に対しての渾身の闘いがひとつのテーマだとしたら、
ブルックナーのそれは神や楽聖に対する渾身の力を込めた無償の愛、
それがテーマだったという気が、
それらを聴いているとより強く感じられるような気がした。

しかもそれは静的なものではなく、
きわめて動的かつこちらから踏み込んでいく狂熱的な類のものだ。

これがそういう指揮者の演奏からとにかく強く感じられる。


フルトヴェングラーのベルリンフィルとのライブの5番や8番を聴くと、
聴衆を熱狂させたというオルガン演奏時のブルックナーの姿が、
ひどく重なってみえてきてしかたがない。


フルトヴェングラーのブルックナーが、
ベートーヴェンを指揮したときに似た勢いとノリを感じるのは、
たたフルトヴェングラーの芸風だからといって片づけられないと、
自分はとにかくそう思えてしまう。


ショルティのブルックナーにもやはり同じことを感じるし、
ワルターの特にモノラルのライブ録音、
さらにベームやヨッフムにも同じようなものを感じる。


考えてみればまわりからいろいろと言われながらも、
推考に推考を重ねて改訂をしながら最終稿に至るものの
基本姿勢は頑として崩さず、
新しい交響曲を書くたびに、
過去の他人からの進言や忠告を、
ほとんど毎回初期化していたブルックナーのそれは
何事にも屈しなかったベートーヴェンのそれと重なるものがあり、
ブルックナーこそベートーヴェンの後継者ではなかったのかと、
そんなことさえ感じられてしまう。


そのせいか、
自分は多くのブルックナーマニアと違って、
ドイツ・オーストリア系の指揮者や団体のそれや、
年齢をある程度重ねた指揮者じゃないと云々とか、
そういう意見をほとんど黙殺している。


だいたいブルックナー自身、
自分の曲が演奏されることを第一に考え、
そこに分け隔てがなかったことを考えると、
何で聴く側が作曲者を無視して、
勝手に塀作ったり囲い設けたりして、
演奏を狭い範囲の解釈しか許さないような考え方に押し込むのか、
自分にはまったくといっていいほど理解できない。


というより、
それはブルックナーに対して、
ひどく無礼というか、
「また小さく見積もりやがって」
という感じでじつに失礼極まりないという気がする。



確かにブルックナーの音楽には、
オルガン風の分厚い響きや、
敬虔なカトリック教徒であるというくくりはあるが、
それをすべてにしてブルックナーの音楽を縛るのは、
はたしてどうなのだろう。


自分は最近ティルソン・トーマスの指揮したブルックナーの7番を聴いたとき、
かつてCDで聴いたクナッパーツブッシュの同曲の演奏を思い出した。

このとき自分には、
この二人に見えていたものはほとんど同じものであり、
その方向性もかなり似たものだったように感じられた。


もちろんその演奏スタイルに両者ほとんど互換性はなく、
本来は相いれないはずの二つの演奏なのだが、
この曲の巨大な枠の中で、
同じ方向を指し示すものとして、
ちゃんとひとつの世界に二つとも存在させられたため、
このような感覚を覚えたような気がしてならなかった。


それを感じたとき、
自分はなんてブルックナーって巨大な世界をもった、
とてつもない作曲家だったのだろうと、
あらためてその大きさに驚嘆し畏敬の念をもったものでした。


おそらくブルックナーの音楽は、
一時言われたような、
特定のスタイルでしかその良さが分からないというものではなく、
どのようなスタイルにおいてもその曲のいろいろな面をみせるという、
とてつもなく巨大で多様な音楽を内包した怪物的な音楽なのだろう。


そういう意味ではベートーヴェンと、
これまた似た世界をもった作曲家だったといえるだろう。

というかブルックナーは、
生涯そんな巨大なベートーヴェンを慕い、
そして追いかけ追い求め、
その世界に少しでも近づけたらという、
そういう想いを生涯抱いていたのかもしれない。


不器用な人間であり、
不器用な語法による不器用な作曲かもしれないが、
そんな人間がひとりの人間に私淑し、
熱狂とも純粋ともいえる姿勢によって、
生涯を通してとことん祈り焦がれ追い続けた作曲家、
それがブルックナーの本質であり、
その音楽を支えたエネルギーだった。


と、自分はブルックナーを現在そうとらえている。


ブルックナーを聴くとき、
ひじょうにその無垢な部分を感じるのは、
そんなひたむきで一途な姿勢からくるのかもしれない。


ならばその音楽に真摯に対峙するときは、
こちらもせめてその方向性に沿った姿勢で耳を傾けても、
自分は罰は当たらないと確信している。


少なくとも自分はそういう聴き方をするよう心掛けてからは、
この作曲家から、
以前よりいろいろな事を感じられるようになった。


ブルックナーとは、
そんなことまで考えさせられる作曲家のひとりなのかもしれない。


そんな考えや思いが今現在の
ブルックナーと自分との間にある
ひとつの基本となっています。


いささか特異な考えなので、
今流行りの日本で主流となっているブルックナー感と、
大きく隔たっているのはこのためなのでしょう。



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阿伊沢萬

徹底的にいいたい砲台してしまいました。でもそういう立ち位置なんだからしょうがないのであって、自分はおそらく死ぬまでこういう方向性でこの作曲家とつきあうんだろうなあと思ってます。

はじめてのDORAKEN様、nice!ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-12-16 03:21) 

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