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「巨匠不在の時代」という大嘘。 [クラシック百物語]

2002年2月にギュンター・ヴァントが逝去したとき、
それを機会に多くの音楽ゴロが、

「最後の巨匠が逝った」
とか
「巨匠の時代は終わった」
そして
「巨匠不在の時代」
とほざきはじめ、
一部では今もそれを恥知らずに公言している輩がいる。


この時点では事実上引退していた人も含めると、、
クルト・ザンデルリンク、ペーター・マーク、フルネ、サヴァリッシュ、
ジュリーニ、コリン・デービス、プレートル、プーレーズ、スイトナー、
マゼール、アバド、マリナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、シュタイン
そしてカルロス・クライバーもいた時代だ。

もちろんこれに、スクロヴァチェフスキー、ブロムシュテット、
ハイティンク、インパル、ロジェストヴェンスキー、エリシュカ、
フェドセーエフ、メータ、プレヴィン、小澤、トゥルノフスキー、シュナイト、

という現在80才を超えた指揮者も当時活躍していたし、
その下の年齢の指揮者も群雄割拠していた時期だ。


それらすべてをひっくるめてまるで総否定したようなのこの物言い。

こんな信じがたい発言など本来は許されるべきものではない、
というか常識外れもはなはだしい。

だが当時はそれを一部音楽雑誌も追従していのだから、
情けないにもほどがあるこれは話だった。


だいたい巨匠というのはかなりいい加減な物言いで、
使う人によってその意味合いはコロコロ変わる。

だからその人その人によって、
巨匠がいたりいなかったりするのは当たり前なのだ。


だが2002年のヴァント逝去時のそれと、
その後ときおりみかける音楽ゴロの発言はそうではなく、
そういう部分をも完全無視したような、
それこそ「素晴らしい指揮者はもうこの世にいない」ことが
さも世界の理であるみたいな上から目線爆発なのだから、
これはもう傲慢というか始末が悪い。


しかもこの輩の発言は、
過去の「巨匠」たちの演奏の若かりし頃のものまで、
すべて今の指揮者より格上みたいな発言をしているときがある。


正直確かにそういう演奏も取るに足らないということはないが、
後々自分たちが巨匠と思い込むような指揮者になる前、
例えばもしこの録音時からすぐこの指揮者が亡くなっていたら、
それでもこれらの演奏を今の指揮者よりすぐれていると、
そう胸を張って彼らは断言できるのかといったらそれは絶対無い。


だいたい指揮者おいて「格」などというものなど、
絶体存在などしていないし、
だいたい定義できる代物ではない。
それは「巨匠」と同じであり、
言葉遊びのひとつくらいのお飾りでしかない。


それをそういうおかしなことに使うのだから
もうこれは救いがたいものがある。


個人レベルで「巨匠不在」を唱えるのは、
それはもう自由だしその人その人の考えだから、
それをネタにいくらくだをまいたっていいだろう。


だが一部音楽ゴロの戯言を、
そのまま一部音楽マスコミがそのまま掲載し、
それを利用しておもしろおかしく今を語るのは、
百害あって一利なしということだ。


こういうイメージ先行の飾り事を、
マスコミが増長し取り返しがつかなくなった例としては、
日本の一部に蔓延る偏狭なブルックナー感の存在があるけど、
この「巨匠不在」という広くねつ造されたイメージの流布も。
同様に取り返しのつかないものになる可能性もある。


幸いネットの普及は、
そういう馬鹿な物言いも広まる例があるにはあるものの、
それ以上にそういうことに対する素直な疑問、
そしてそういうことに惑わされない、
自分自身の考えをストレートに発信させたものの方が、
はるかに多いことがここ数年はうかがえる。


もちろんそれらを精査して上でも、
自分は「巨匠」はいないというのなら、
上記したようにそれはそれでいいだろうし、
個人レベルまでこちらも頭ごなしに否定しようという気は毛頭ない。


ただそれが「その方がおもしろい」とか、
たいして精査せず適当に広めようというそれには、
自分はそれを「大嘘」として言いきってしまう所存だ。


だいたい今の時代に真摯に向き合わず耳を傾けないものに、
「巨匠時代」といっていたベームやムラヴィンスキーが来日していたその当時も、
真摯にその時代にその音に正面から向き合っていたとはとても思えない。
おそらくその心の底には、

「これがフルトヴェングラーだったら」とか「クナッパーツブッシュだったら」

といって聴いていたことだろう。違うだろうか。



こういう決めつけ。

さぞや言われた方は嫌な思いをするだろう。


それと同じことを多くの人がしているということを、
その人が少しでも感じてもらえれば、
この一文を書いた甲斐があるというものです。


因みに自分は、
今ほど最高に面白く群雄割拠した指揮者が揃った時代というのも、
かなり珍しいとおもっている。

しかも全世代に渡ってまんべんなく、
その多くが録音や放送や配信、
さらには来日公演によってリアルタイムで楽しめるのだから、
これほど贅沢な時代はない。

確かにアジアツアーで日本を素通りしてしまうことも少なくないけど、
それらの指揮者やオーケストラもちゃんと日本に、
また違う機会に来日している。

こんな時代に時代遅れの価値観や世迷言に左右されて、
イージーに聴き逃すなどほんとうにもったいない。

あとで後悔してももう遅い。


これからも音楽と長い年月付き合っていこうという人は、
ぜひ今の時代の音楽を、
大事に真正面から色眼鏡なしに聴いていってほしい。


名演など演奏される前からは存在しない。

真摯に聴いた人たちがいたからこそ名演として心の中に刻まれ、
そしてそこから各々にとっての「巨匠」もうまれた。

よく言われる「伝説的名演」も同じだ。


それが無くなってしまったらどうなるか。

自分はそこの所を特に強く念押しで唱えたい。



かつてこんな会話を演奏会場で聴いた。


「ハーディングの演奏がよかったといったら、
バーンスタインのマーラーを聴かなければダメといわれた。
ハーディングのマーラーを聴いて感動しただけではなんでダメなの?」


確かこんな内容だったと思う。

この会話を皆さまはどう感じられるだろう。


最後に余談だけど以前も書いたことをひとつ。

オーケストラ・ニッポニカにある芥川也寸志氏の発言。


「感動と言うのは精神の風車を廻すことである。たとえば、私たち音楽を愛する者が楽器の技術は拙くとも練習に練習を重ねて、僕等の拙つたない精神の風車を廻す練習をし、ある作品を舞台で演奏すると、その廻る風車の風に吹かれて客席のみなさんの精神の風車も徐々に廻り始める。さび付いた風車も、普段から手入れの行き届いた風車も勢い良く廻り始める。これが感動と言うものだと思う。だから自分の風車をまず廻そう・・・」


その風車を故意に他者が錆びつかせたり、
横から止めてしまうのだけは絶対にやめてほしい。



うーん…しかしタイトルとラストの〆が完全に変わってしまった。
あいかわらずグダグダかつまとまりが無くてすみません。

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阿伊沢萬

また言い過ぎてしまいました…。ただいつまでも声だけが大きな人による無責任かつ目立つためだけの馬鹿囃子がひとり歩きするのはとにかく面白くないです。

こういう聴き手の耳と心を人質にとって金稼ぐ道具にすることへの罪悪感ってああゆう人たちにはないのでしょうか。ほんとカチンときます。

ハムサブロー 様、いつもnice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2017-01-16 23:32) 

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