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イシュトヴァン・ケルテスのこと [クラシック百物語]

イシュトヴァン・ケルテス
(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)

彼の名前を聴くとクラシックファンの多くは、
ウィーンフィルと1961年に録音した、
同オケへのデビュー録音となった、
あのドヴォルザークの「新世界より」を思い出すと思う。

この録音は当時まだ三十代前半だった、
若き日の颯爽としたケルテスによる、
そのじつに爽快な演奏が話題となり、
未だにウィーンフィルの「新世界」の、
代表盤のひとつといわれるほどの評価を得ている。


だがケルテスのそれ以外の盤となると、
ケルテスのファン以外の人は、
一瞬考え込んでしまう人が多いと思う。

それは当時の、
そして今のケルテスの立ち位置によるところが大きい。


ケルテスは1929年生まれというから、
プレヴィン、ハイティンク、ドホナーニ、
さらにはアーノンクールあたりと同年齢で、
デッカで同時期に活躍していたマゼールよりひとつ年上、
ロンドン交響楽団で一緒に活躍していた、
コリン・デービスより二つ年下になる。

だが彼は不幸にして、
1973年4月に海で事故により亡くなった。

彼が上記した指揮者に比べ、
知名度が低い原因のひとつはこれだが、
正直に言うとじつはそれだけではない。


ケルテスはコダーイの門下だったが、
1956年に亡命し西側で活動を本格化させる。

デッカと契約した彼は、
ウィーンフィルとの「新世界」で絶賛される。

そしてロンドン交響楽団とも良好な関係を築き、
1964年に逝去したモントゥ―の後をつぎ、
同オケの首席指揮者に就任し、
1964年のロンドン響とのi二度目来日公演にも、
コリン・テービスとともに同行している。

このときは日本で、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
エルガー/序奏とアレグロ
モーツァルト/ホルン協奏曲第2番(バリー・タックウェル)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

コダーイ/ガランタ舞曲
ブリス/色彩交響曲(この曲のみ指揮/ブリス)
ブラームス/交響曲第1番

というプログラムを、
東京、名古屋、大阪で四公演指揮している。

だがここからが問題だった、
オーケストラとは良好な関係だったものの、
公演における聴衆が前任者ほど芳しくなかったの理由もあり、
たった三シーズンで解雇されてしまった。

もうひとつ音楽監督をつとめていた、
ケルン歌劇場とは良好な状態だったにもかかわらず、
このメジャーオケでの「失敗」はいろいろとあったようで、
クリ―ヴランドでの楽員からの圧倒的な支持にかかわらず、
セル亡き後定期会員の減少に苦しんでいた事務方には、
ロンドンで「失敗」したケルテスを選ぶ選択肢はなく、
オケは集客力のあるマゼールをベルリンからよんだ。

その後ケルテスは1973年に、
カイルベルト亡き後首席指揮者が空席だった、
バンベルク交響楽団のそれに就く予定だったが、
それは先の事故ではたせなかった。

だがバンベルクには悪いが、
やはりケルテスが都落ちしたという印象は否めない。

またロンドン響は彼と同い年のプレヴィンが就き、
ロンドン響とはその後10シーズン以上関係が続くこととなったのも、
ケルテスの評価にプライにはならないものだった。

だがそんなケルテスにデッカもウィーンフィルも、
その関係を断つことはなかった。

それはおそらくこの指揮者の人柄と音楽性の賜物だろう。

ウィーンフィルはケルテスと「新世界」を録音した翌年には、
モーツァルトの33番と39番を、
さらに翌年にはシューベルトの「未完成」や「グレイト」、
それにモーツァルトの36番その他。
そして1964年にはブラームスの交響曲第2番を録音した。

このあたりのモーツァルトやブラームス
さらにはドヴォルザークあたりも、
カラヤンとの組み合わせによる、
交響曲集のような企画だったのかもしれないが、
このあたりの録音が後々ケルテスにとって伏線となっていく。

ウィーンとは1965年のモーツァルトのレクイエム以降
(これもカラヤンがウイーンを去った為に代行したのかも)
ロンドン響との仕事に集中したためウィーンとの録音が途絶えるが、
ロンドンを辞した後、
デッカはウィーンフィルとの録音を開始する。

1970年に以前録音したシューベルトのそれがらみで、
交響曲全集の企画を立ち上げ4番と5番を録音、
そして翌年に残る1番から4番と6番を録音し、
ウィーンフィル初のシューベルト交響曲全集を完成させる。
これらは全集として日本でも1972年秋には発売されている。

さらにその1972年から今度は2番がすでに録音されているブラームスと、
やはり何曲か録音されているモーツァルトの、
その各々の他の交響曲の録音がはじまる。

1972年にブラームスの4番、
そしてモーツァルトの25.29.35.40番を11月に録音、
翌年の2月にはブラームスの1番と3番、
そして3月には「ハイドン変奏曲」の終曲を除くすべてが録音された。

そしてこのころにはこれらの録音や、
ロンドン響との数々の録音によって、
ケルテスの名声はおどろくほど上がったという。

ハイドン変奏曲の終曲のみが、
何故このとき録音されなかったのかは分からないが、
ここでいったんセッションはお開き、
これがウィーンフィルにとって、
この指揮者と最後の録音になるとは、
この時誰が想像しただろう。

ケルテスはイスラエルフィルに客演するため、
テルアビブに向かい、
そして公演は成功を収めたという。

事故はその直後におきた。

当時このニュースはかなり大きなものとなった。


ウィーンフィルは、
3月に録音されなかった「ハイドン変奏曲」の終曲を、
5月に指揮者無しで録音したのは、
この指揮者への深い哀悼の意のあらわれだったのだろう。

これらの録音は翌年6月に日本でもセットとして発売となった。


だがケルテスの死後、
せっかく上がった名声が急速に静まっていくのを感じたのは、
自分だけではないだろう。

特にウィーンフィルとの録音は、
その後アバド、クライバー、ベーム、バーンスタインが、
次々と録音を重ねていった。

しかもそのレパートリーのいくつかは、
ケルテスのそれとかぶるものが多く、
ブラームスの全集もベームやバーンスタインが、
モーツァルトの数曲もベームやレヴァイン、
同じくシューベルトもベームやクライバーによって、
曲目がかぶらないものであっても、
次第に忘れられてしまうようになっていった。

また他の録音も、
他の指揮者や団体の録音が増えるにつれ、
次第に脇へと追いやられていくようになった。

さらに彼が亡くなった1973年というのが、
指揮者が多く亡くなった年というのも不幸だった。

クレッキ、ホーレンシュタイン、クレンペラー、
イッセルシュテット、アンチェル、近衛秀麿、
他にも合唱指揮者のクルト・トーマス、
そしてシゲティ、カザルス、ブルーノ・マデルナも、
みなこの年に亡くなられたため、
ケルテスのニュースが永く目立つということがなかった。


そして年月が経ち、
いつの間にかウィーンフィルとの「新世界」くらいしか、
国内盤はみかけない時期すらあった。

この頃にはケルテスは、
早くして亡くなった中堅指揮者という、
そんな地味なイメージになっていた。

そしてそれは今でもあまり変わってはいないと思う。

とても残念な話です。


だがそんなケルテスの録音を、
今あらためて聴いみると、
驚く程不出来なものがなく、
またオケのモチベーションが高いことが伺える。

ロンドン響とのものもそうだけど、
ウィーンフィルがこれほど出来不出来なく、
全力を傾注した演奏を、
ひとりの指揮者でこれほど残しているのも特筆すべきだろう。

フラームスは四曲とも、
かなりの水準の出来となっている。

一部であまり評判のよくない一番も、
自分には外連味なく真っ向勝負でいった潔さと、
それだけではない詩的な美しさも大事にした名演に聴こえる。

他の三曲は、
一番よりもさらに気合の入った劇的な表現で切り込んでいて、
しかもそれが空回りしていない。

これだけ熱気と推進力を持ちながら、
地面にしっかりと足をつけている演奏というのも珍しい。

これはシューベルトの全集にもいえるが、
こちらは曲のせいもあるけど、
より小回りとキレのいい、
しかもパンチが随所に効いた見事な演奏となっている。

71v2-uS3fuL__SY355_.jpg

シューベルトの4番や6番など、
これほど音楽と指揮者が一体化した演奏となると、
もうどうこう言うレベルのものではないと思う。

しかもそれらが、
ときおりピリオド系の演奏を先取りしているかのような、
そんな趣もたたえているせいか、
今聴いてもまったく古く感じさせないものがある。

この時代を超越して、
古さを感じさせないのもケルテスの特長のひとつだ。

これはロンドン響とのドヴォルザークやコダーイにもいえる。

そしてこれを当時のウィーンフィルとやったことも、
指揮者を選り好みするオケというだけでなく、
60年代から70年代というと、
ボスコフスキー、ヴェラー、ヘッツェルと、
とんでもないコンマスがいたウィーンフィルだけに、
また凄い事だといえるだろう。

因みに1973年の3月から4月にかけで、
ケルテスが最後の録音をした直後のウィーンフィルが、
日本で公演を行っている。

指揮はこれが初来日だったアバド。
もしこれがケルテスだったら、
この公演どんな評価になっていただろう。

また彼があと十年から二十年健在だったら、
彼の経歴はその後どうなり、
またどのような録音が遺されていったのか、
今考えるとほんとうに残念でならない。

また日本にも何度も来日してくれていただろうし、
バンベルク響だけでなく、
本当にウィーンフィルとも来日していたかもしれない。

そうなれば日本でのそれも、
また違ったものになっていただろう。

またもっと長生きしていれば、
ひょっとするとデュトワやベルティーニのように、
日本のオケのどこかにポストとして収まっていたかもしれない。

実際彼が客演した日本フィルでは、
ケルテスの評価は極めて高く、
そんな話があったらどこのオケも大歓迎だったろう。


だがそれはみな夢のまた夢。

今は遺された録音がすべて。

できればケルテスの録音が忘れられることなく、
末永く多くの人たちに聴き継がれる事を願いたい。


因みにケルテスが日本フィルに客演したのは、
1968年の5月でこれが再来日。

当初はロンドン響との来日の予定だったのが、
不況等の影響で中止になったため
単独での来日となったとのこと。

彼がこのオケを去る直前の事。

演奏されたのは二種類のプログラムで、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
バルトーク/管弦楽のための協奏曲
ベートーヴェン/交響曲第7番

コダーイ/ハーリ・ヤーノシュ、組曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(ロベール・カサドシュ)
ドボルザーク/交響曲第9番

前者の公演は映像として残っており、
現在もDVDで発売されている。


因みに余談だが、
ケルテスがあと十年以上健在だったら
こんな音楽を奏でていたのではないかと、
個人的に思う録音がひとつある。

それは

モーツァルトの行進曲 K.408。

1963年の11月という、
ケルテスとしては早い時期の録音だが、
その堂々とした風格と音楽の充実感と密度がすばらしい。

ウィーンフィルもこの録音の三年前の、
あのクナッパーツブッシュの「軍隊行新曲」を思わせるような、
そんな輝かしいベストの出来を示している。

この数分の小曲ひとつに、
ケルテスの未来が詰まっていると言っても過言ではないものがある。

ぜひひとりでも多くの方に聴いてほしい演奏です。



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「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」を聞く。 [クラシック百物語]

「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」

1916(大正5)年6月16日から三日間、東京の帝国劇場で初の「露國舞踊」公演が催されました。出演者はエレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。ピアノ伴奏による小規模な催しでしたが、彼らはペテルブルグの帝室劇場(マリインスキー劇場)バレエ団の正団員であり、このときチャイコフスキーの《白鳥の湖》の一部(「二人舞踏」すなわちパ・ド・ドゥー)や、サン=サーンスの《瀕死の白鳥》などが初めて踊られた意義は、日本バレエ史に特筆すべきものといえましょう。

 昨年の12月26日、この初来日公演100周年を記念する重要な展覧会「純粋なる芸術」が東京・狸穴のロシア大使館で開催されました。新発見の史料をふんだんに用いた展示は、マリインスキー劇場の現総裁・芸術監督ワレリー・ゲルギエフの肝煎りでまずペテルブルグ、次いでウラジオストクで公開され、最終的に東京へ巡回したものです。当日は数十名のバレエ関係者を招いた内覧会が開かれ、その様子はNHKのTVニュースでも報道されました。にもかかわらず、その後ロシア大使館は「ここは美術館ではない」との理由から展示を一般公開せず、観覧依頼や問い合わせにも応じなかったため、この貴重な展覧会は、バレエ史の専門家を含め、ほとんど誰の目にも触れずに幻のまま幕を閉じました。残念というほかありません。

 そこで今回の桑野塾では、ロシア大使館側とかけあって、この展覧会を30分間だけ観る機会を得たという沼辺信一氏に、展示内容とそこから明らかになった新事実、さらには来日公演を観た100年前の日本人たち(大田黒元雄、山田耕筰、石井漠、与謝野晶子、有島武郎ら)の反応について、詳しく報告してもらいます。

http://deracine.fool.jp/kuwanojuku/

という内容で沼辺 信一さんの講義を聞く。

以前沼辺さんの

「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」

を聞いてその情報量の多さに度肝を抜かれたが、
今回もあっという間の三時間。

濃密すぎてはたしてここに書いていいのかどうか迷う事がほとんどで、
さてどうしたものかと困るほど。


ただ今回いちばんここに書きたいこととして、
この展覧会が日本のみ異常な形での公開だったという事。

地元マリンスキー劇場ではこの展覧会、
2016年6月15日という、
100年前の日本公演初日と同じ日に
御大ゲルギエフ自らも参加しその開会式が行われ、
翌日からは一般にも開放、
7月29日からはウラジオの「マリンスキー劇場・沿海州劇場」でも、
同じように開催されたとのこと。

ところが何故か日本では、
初日に一部マスコミとバレエ関係のライターやブロガーのみ招待し、
一般にはついに公開しないまま、
しかも期間のほとんどが年末年始で閉館していたという、
ほんとになんとも不思議な事とあいなった。


これは本来これより少し前に来日した、
プーチン大統領の手土産のひとつだったものの、
窓口が大使館になってしまったため、
こういう不可思議な公開になったのではという、
そういう推測がこのときでた。

実際どうなのだろう。


ただこれには劇場側はかなり不本意だったらしく、
仕切り直しで再公開したい意志を表明しているとのこと。

今年(2017)12月にはマリンスキーがゲルギエフと来日するので、
これを知ったらさぞや落胆してしまうことだろう。

どこかなんとかしてくれないものだろうか。


さて講義の内容はこの展覧会の全貌と、
その内容についてはかなり突っ込んだ内容を前半。

後半は百年前の公演についての、
当時の反響等からの考察という構成。

この公演そのものは、
いろいろと書籍にも掲載されており有名とのことで、
来日メンバーはダンサーとして、
エレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。
それにピアノのカルル・ヴァン・ブルフというもの。

特にスミルノワとロマノフは、
バレエ・リュスにも参加していたマリンスキーの花形。

ただ当時これは急遽決まったため、
1916年6月16日から18日という週末興行だったものの、
かつてのプロコフィエフの来日公演同様、
マチネ公演となってしまったためたいへん人の入りに苦労し、
(午後一時開演)
最終日は一部演目を入れ替えると新聞発表されたものの、
会場の帝国劇場の1/3ほどしか人が入らなかったとのこと。

もっともスミルノワ一行の待遇はとてもよかったらしく、
帝劇の関係者に三越ヘ買い物に連れて行ってもらったりしたとか。

またスミルノワ達は日本の踊りもいくつかこのとき覚えたらしく、
「隅田川」や「北洲」あたりを取り入れた舞踊を、
日本から帰国した後演じていたようです。


因みにこの公演には、
当時の本野一郎在ロシア日本大使あたりが関係しており、
日露が蜜月期だったことや、
大正天皇即位式にロシアの大公が出席した事等の関係で、
政治的なものによりこの来日が実現したとのこと。


初日の公演内容は、
前半七曲の後休憩二十分。
そして後半十曲という内容で、
だいたい二時間くらいだったらしく、
三日間おそらくこの曲数に近いもので行われたと思われます。

このときいろいろと資料が配られましたが、
さすがにそれらすべてをupするのは拙いので、
その中から当時の初日と二日目共通と思われる、
日本語プログラムのみあげておきます。

jj3.jpg

最後に、
このときの模様を日本側から撮影していたらしく、
宮内庁にそのことを問い合わせしたものの、
お答えがこなかったとのこと。


宮内庁には以前、
バックハウスの宮内庁での演奏会の件で、
丁寧に対応していただいた記憶があるので、
かなり難しい件だったのだろうか。

このあたりもいつかは明確になってほしいところ。


とにかくいろいろと勉強になる濃密な三時間でした。





余談

この公演、
当時反響がほとんど無いまま終了したというのが定説で、
はたしてそれは本当なのかという考察もあった。

金~日の三日間。
最終日ホールの1/3しか入っていなかったという事を考えると、
これは完全に興行としては失敗という意見が出た。

ただ個人的には、
まだバレエ・リュスの情報が入り始めた頃とはいえ、
バレエそのものがまだまともに演じられたことのない日本で、
この頃の帝国劇場は約1900というキャパに、
その1/3、約600人くらいは来場していたということを思うと、
交通機関も今とは違う事から、
よくこれだけの人がむしろ観に来たという気もする。

しかもその中には音楽や舞踊関係だけでなく、
与謝野晶子や有島武郎、それに高田保も来場していたのだから、
狭い範囲なりにある程度話題のあった公演だったような気がする。

このあたりさらに研究されることだろう。


尚、1916年というとロシア革命の前年ということで、
来日としてはギリギリのタイミングといえたかもしれない。


宮沢賢治がボストン交響楽団の商業用初録音となる、
チャイコフスキーの交響曲のレコードを聴いて、
その内容に驚きクラシック音楽にのめっていくよりも前、
「いとう呉服店少年音楽隊」こそ結成されていたものの、
日本にまだ本格的交響楽団どころか、
洋楽の国内盤レコードすらまともに発売されていなかった、
そんな時代の話です。


「いとう呉服店少年音楽隊」
1911年に発足し後に東京フィルハーモニーへと発展する。
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沼津の旧東海道(川廓通り)を行く。 [沼津~内浦(Numazu~Uchiura)]

というわけで今回は沼津にある、
旧東海道の一部「川廓通り」を行く。

といってもそんなに大規模なものではなく、
東海道からさんさん通りへ行く近道みたいな通りで、
狩野川と中央公園に挟まれたような形で道が形成されている。

さんさん通りを沼津港方向にしばらく歩くと、
「浜忠」さんがみえてくる。

その通りを隔てた静岡銀行の横に、
狩野川方面に伸びている石畳風の道がみえるが、
それが川廓通り。

その入口付近。
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反対方向をみると、
通りの向こうに浜忠さんがみえる。
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通りを中央公園方面に歩く。
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途中にこの通りの解説がある。
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中央公園を見上げる位置。
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逆側の狩野川の堤防越しの景色
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そして川廓通りのもうひとつの入口、
東海道側からみた川廓通り。
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地図でみるとこんな感じです。
aa14.jpg

ここを歩くと、

「東海道ってこんなに狭いの」

と思われるかもしれないけど、
当時としてはそこそこ大きな道だと思うし、
あまりデカすぎても、
謀反を起こして江戸に攻め上られた場合、
大軍を一気に移動させないために、
この程度というかんじだったのだと思います。

因みに神奈川県川崎市川崎区の砂子から、
京浜急行の八丁畷駅前まで伸びている道も旧東海道で、
これもそんなに幅のある道ではありません。

ここからスルガ銀行本店のある場所へ。

そこには沼津宿の碑があります。
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その近くにある町の解説。
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けっこう歴史に触れるという意味でも、
なかなかの場所だと思います。


因みにこの旧東海道、
何度も地震による大津波に遭遇したため、
津波の来ない場所にコースがどんどん変更されていったとか。

このため旧東海道より北側、
つまり内陸には津波の来ない場所が多く、
沼津市はほぼすべてが該当していると思われます。

特に市内の永代橋付近で、
東海道は西に向きを変えますが、
このあたりから港に向かって、
ゆるやかに下り坂になっていきますが、
このことからも、
旧東海道より内陸部は、
少し海抜が上がっているのです。

永代橋そばの交差点が海抜5メートル以上なのに、
それより通りに沿って南にある第二小学校の側では、
海抜2メートルもありません。

このあたりがけっこう津波の時は大きなポイントなります。

旧東海道の地図
https://ssl.gpscycling.net/tokaido/tokaido.html

このあたりの話はまたいつかということで。


あと今回初めて欧蘭陀館さんに行きました。

時間的にかなりおちついた時間帯だったこともあって、
のんびりとくつろがせていただきました。

机の絵鬼あるアンティーク風な照明が味があって好きでした。

あとアイスティーの量が半端じゃなかった。
味も好みのそれだったので、
あれだけでもけっこう満足してしまいました。

しかしなんか不思議だったのは、
ここでみた看板娘の曜さん関係のそれ。

ふつうだとあんなにおいてあると、
オタクっぽい感じになってしまうはずなのに、
なんというのかとてもアットホームというか、
ここの家族の一員みたいな趣すらあって、
微笑ましい感じすらしました。

いいなあこういう雰囲気。


〆です。
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神田祭に行く [小さな旅(Japan small travel)]

というわけで今年の神田祭のようすをひとつ。

自分は日曜日のみということで。

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とにかく凄い人でした。
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いつも行くケバブ店の前もこれこのとおり。
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近くにあった休憩中の御神輿。
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神田明神前
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境内の中
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とにかくこんな感じで大混雑でした。
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二年に一度ということで、
そのためたエネルギーが一気に発散されたような、
そんなかんじでした。

大阪の「天神祭」京都の「祇園祭」とならぶ、
さすが日本三大祭のひとつといわれるだけのことはあります。

この人も初めての神田祭に大喜びのようです。
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しかし秋葉原でみる神田祭。

まあこれも今の日本のひとつの縮図かと。

偶然秋葉原に来ていた外国人さんたちも、
けっこう大喜びでした。



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輪廻のラグランジェ原画展、開催決定! [アニメ]

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 鴨川市郷土資料館では、ラグランジェ・プロジェクト(製作委員会)と輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会の協力のもと、鴨川市を舞台にしたTVアニメ『輪廻のラグランジェ』の原画展をこの夏に開催します。

 2012年にアニメが放送されると、市内にはファンが訪れる数々のスポットが生まれています。以来、アニメに登場した「鴨川エナジー」の販売や、主人公のキャラを鴨川ふるさと特別大使に任命するなど、2032年10月17日のタイムカプセル開封に向けて地域おこし的な活動が続けられています。

2014年夏に市郷土資料館で開催した「輪廻のラグランジェ展」では、市外からの来館者は1000人を越えています。

また、2015年には、アニメ先進国の我が国において、文化的にも貴重な製作資料が輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会に移管され、鴨川市内で保管されていることは、業界内でも注目を浴びています。

そこで、放送5年となる本年2017年に、原画をはじめとする製作資料を展示し、アニメ文化と鴨川の魅力を紹介します。

 なお、その他詳細については、決定し次第、順次お知らせします。



 開催日時 : 平成29年7月4日~9月24日

 場所   : 鴨川市郷土資料館


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とのこと。

問い合わせは

http://www.city.kamogawa.lg.jp/soshiki_ichiran/kyoiku/shogaigakushu/oshirase/1415781284131.html

のページの下記のところまで。


この作品、確かに聖地観光としては失敗だったかもしれないけど、
作品的には傑作だし、
こういう形で資料が手厚く保管されていることを思うと、
これはこれで「聖地」として、
じつに幸せな形のひとつとなってるんじゃないかと個人的に思ってます。

これは行かねば。

鴨川市郷土資料館
http://www.city.kamogawa.lg.jp/gyoseijoho/shisetsuichiran/kyodoshiryokan_bunkacenter/1412774122567.html


大洗や沼津はこういう事に関してどう思っているのだろう。

ちょっと気になってます。
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神明塚古墳と興国寺城に行く。 [沼津~内浦(Numazu~Uchiura)]

以前から行ってみたかった沼津にあるに史跡に行く。

ひとつは片浜駅近くの「神明塚古墳」。
もうひとつは原駅から歩いて30分程の所にある興国寺城。


最初はまず「神明坂古墳」から。

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沼津駅の隣の片浜駅から歩いて数分の所にある。

沼津にある高尾山古墳や長塚古墳と並ぶ、
大型の古墳とのこと。

古墳の上に神明宮が祀られていることから、
神明塚古墳とよばれているとのこと。

神明宮
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この神明宮は1616年頃にここに創建されたらしいが、
今の建物は1919年に建てられたとのこと。
10月17日が例祭。

お隣にある八幡宮。
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長さ54mということでかなり大きかったです。
しかし沼津は高尾山古墳といいここといい、
ほんとに大きな古墳が点在しています。


続いてさらに隣の原駅に移動し興国寺城へ。

バスもありますが、
ちょっと時間があわなかったので徒歩で行く。
だいたい30分程の行程。

途中にある浅間神社。
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しばらく行くと興国寺城通りにでる。
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ここを真っすぐ突き当りまで行ったところに興国寺城がある。

興国寺城手前にある弁天社。
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ようやく到着。興国寺城です。
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現地にあった興国寺城の図。
※グーグルマップより

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※同じくグーグルマップの3D地図より。

建造物は残念ながらありません。
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最寄りのバス停。原駅だけでなく沼津からも来れます。
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とにかく予想よりかなり巨大。
このあと本丸方面に向かう。
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本丸跡にあった穂見神社。
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このあと天守跡のある高台へ行く。
けっこう急。
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大空堀方面。
かなり深く行ったら帰ってこれなくなりそうなくらい。
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大空堀は今回パスして天守台へ。
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おそらく石垣などはほとんど組まず、
しっかりとした館のようなものが建っていたのではないだろうか。
そんなに広くはありません。

しかしここからみる風景は圧巻。
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海へ向かう大通りがほぼ正面に。
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とにかく見通しがいい。
今は木々が鬱蒼としているけど、
当時はもっとこのあたりさっぱりしていたのだろう。

後ろは大きな堀、
そして前方は見通しの良い、
攻め方には身の隠しようがない地形だけに、
守り易い城という気がした。

しかし高い土塁だし、
想像以上に規模の大きな城だ。

百年程の間に、
あちこちと領主が変わった城のようで、
最後は戦ではなく、
部下をかばう形で大将が出奔、
そのまま廃城になるという幕切れを迎える。

そしてそれから400年が経ちに今に至る。

今、ここをいろいろと整備しているらしいけど、
完成したらとてもいい感じになるような気がする。

この後帰路に着く前に沼津中央公園に。

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こんなかんじでした。


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沼津から西浦まで歩く [沼津~内浦(Numazu~Uchiura)]

というわけで沼津駅から西浦まで歩く。

だいたい18キロ四時間ほどかけての散歩。

七時に沼津駅着。

今回は終盤山越えがあるので、
前半負担を軽くするため蛇松や沼津港を経由せず、
そのまま中央公園から狩野川を渡り、
一気に木負までの最短を行ったのち、
山越えをして西浦に下り、
らららビーチ付近まで行く行程。

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狩野川を渡る時こいのぼりがみえた。
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この時間はまだ凪いでいたせいかこんな状態。

連休初日ということで車もガンガン三の浦に行く。

痛車がみえはじめたのは八時過ぎくらいからか。

ちなみにラッピングタクシーは二年生の三台は各々みかけたが、
それ以外は全行程一度もみかけなかった。

県外にでも遠征しているのかも。

御用邸を過ぎたあたりで八時。
ほぼ予定通り。

この日は気温は上がったけど、
午後から少し曇ったことと、
涼しい風が吹いていたので心地よいものがあった。

口野放水路前あたりで九時。

木村土木さんの所の前を抜けて海沿いを歩く。
ここからの富士もじつはお気に入り。
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三の浦総合案内所より少し先からの富士。
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ここで十時を少し過ぎたあたりとなる。

木負の海のステージさん付近からの富士。
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赤崎の西寄りからみた富士。
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じつは赤灯台もみようと思ったのですが、
とにかく太公望ラッシュで釣りの迷惑になりそうなので今回は断念。
遠くからうかがうだけになってしまいました。

このあと、鮑玉白珠比咲名神社に向かう。

じつはこの山越えの道が
どういうものか心配していたのですが
しっかりとした農道だったので一安心。

足もけっこう残せました。

鮑玉白珠比咲名神社。
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思ったより大きな神社でちょっと驚きました。

それにしてもこの鮑玉白珠比咲名神社、
長井崎の西にある島の上の弁天社、
その長井崎を挟んで東にある弁天島頂上の社、
シーパラの南の丘の上にある長濱神社。

これらがほぼ直線上に位置してるのは偶然?
陽の上がる方角と関係があるのかも。

高尾山古墳と富士山や三島大社の旧位置との関係もひっかかるし、
このあたり調べるとなかなか面白いかも。

この山越え途中からの眺めも最高でした。
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このあと山を下るがここがたいへんな急坂。

雨などで濡れてたりすると危険極まりない。

こうして西浦に到着、
JA南駿西浦みかん支店前に午後11時着。

ほぼ四時間だけどここで当初の目的を思い出した。
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ここまで歩いての目的が山にあるみかん畑ウォーキングとか、
頭おかしいだろうと我ながら思いながらも、
初志貫徹でこのまま参加。

ここからの富士も絶景でした。
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途中浦の星女学院キッチンカーをみかける。
よくここまで登ってきたなあと感心しきり。

このあとアンケートに答え飲み物をもらった後下山。

このまま帰るのもあれなので、
らららサンビーチに向かう。

先の西浦みかん支店も混んでたけど、
ここもけっこう賑わってました。

ここもいい眺めです。
ベンチもあるのでのんびりできました。
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このあとさらに歩いて西浦小学校前の停留所付近にある、
歩道橋の上から一枚。
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ここまで18キロとはいうものの、
マラソンコースの半分もない、
沼津と往復してもマラソンより距離が短い…。

マラソンランナー凄すぎます。


近くの平沢バス停の時刻表をみると、
まもなく江梨から沼津行のバスが来る事がわかった。

ラッピングバスという事が時刻からみてわかったので、
ここでバスに乗ると即断。

そのままバスで沼津まで戻りました。
バスは所要時間一時間で運賃980円。

木負農協前、木負東口、長浜、
伊豆・三津シーパラダイス、あわしまマリンパーク、
そして沼津駅では、
とにかくこのバスは人気者でした。

今回はバスの前や後ろから撮るという、
そういう事をする人はいませんでした。

このあと歩きで沼津市街地もいろいろとまわる。

ネットでよくみかける「浜忠 上土町店」さんや、
「つじ写真館」「欧蘭陀館」さんも拝見。

特に時間的な事もあってか、
「欧蘭陀館」さんと「浜忠」さんは、
かなり混んでいるように見えました。
そういえば西浦の「やま弥」さんも混んでました。

しかもみてるとだいたいそれ関係で訪問されている方がほとんど、
やっぱりネット配信って効果あるなあ。

欧蘭陀館側の堤防上からの富士。
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因みにこの堤防は7mくらいあるようなので、
もしこのあたりで大きな揺れを感じたらまずは堤防の上に、
あとは出来る限り上流方向に行くのがベストかと。


なんかここに来てからこの一年で富士山を観た回数が、
過去自分が今まで富士山を見た回数よりもはるかに多い気がする。

それれくらい沼津からはほんとうに富士山がよくみえます。
特に曇ってても見えるというのが凄い。

横浜ではあまりそんな経験がないんです。

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ここで渡し舟をみかける。

おそらく中央公園付近から、
沼津港側の船着き場に行くそれだろう。
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いつか乗りたい。

帰りに再度こいのぼりをみたら、
今度は風が潤沢に出ていて景気よく泳いでいました。
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このあと帰路につくけど、
駅も電車も大混雑。

特に三島と熱海は凄いのなんの。
熱海駅の改札付近は
ラッシュ時の新宿駅より混んでいたかも。

電車も軒並みラッシュ時に近いそれでした。


以上で〆です。
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不公平!いい加減にすぎるNHKの「ベストアニメ100」 [アニメ(2017放送開始)]

視聴者によるWEB投票で「ベスト・アニメ100」「ベスト・アニソン100」を選出するとともに、関連の番組を放送します。
http://www.nhk.or.jp/anime/anime100/

というのがある。


ここで眼を疑うようなものを見てしまった。

それは…
http://www.nhk.or.jp/anime/anime100/article/mybest02.html
でのそれ。

なんと「この世界の片隅に」があげられている。


じつはこの投票、
昨年10月以降のアニメは投票対象から外されていて、
「この世界の片隅に」は投票できないシステムになっていた。

自分はこのことを何度も追加してほしいと懇願したけど、
けっきょくそれは黙殺された形になってしまった。

ふつうなら2016年末まで、
もしくは対象以外の作品が出てきたら、
それを追加して集計するような、
そういう柔軟な対応がベストなはずなのだが、
なぜかここの部分、
とても硬直化した対応をNHKはしていた。


だがそれで通すならまだしも、
一般投票者は口を塞いで
結果氷川さんだけ特別扱いみたいな、
こういう対応はすべきではないと思う。

おそらく氷川さんはこのことを知らなかったと思うけど、
それだけになんともやるせない。

怒るよりも情けなくなってしまった。

まあこちらは、
たかがアニメの少し外側から、
アニメに四半世紀かかわったくらいの一般人なので、
そんな人の意見などどうでもいいかもしれないが、
おそらくこの不公平極まりないやり方には、
自分以外からもかなり不満が出たのではないかと思う。

というより、
これはもう「この世界の」だけの問題ではない、
この時期に公開されたがために対象から外された、
他の作品にとっても酷い話だ。

「ユーリ!!! on ICE」

これもかなり被害を受けた作品かもしれない。

「けものフレンズ」

これだって締め切り前に放送はかなり進んでいたので、
投票対象にしたってバチは当たらないだろう。


せっかくの企画を、
こういう公平性を書いた対応でケチをつけるとは、
本当にもうどうしようもないとしか言いようがない。


5月3日放送の特集番組を愉しみにしていたのに、
ほんとこれでドッチラケになってしまった。

NHKが最近アニメに本腰を入れていると聞いたけど、
こういうことやってちゃあ…ねえ…。


ただあまり騒ぐと氷川さんには何の罪もないから、
そこのところもいろいろとあれですし、
ひょっとしたら氷川さんのそれは、
異議申すという意味も少し込められていたのかもしれませんし…。

ほんと何といいますか…です。


唐突に〆

※5/4に若干修正等入れました。
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