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アニメ聖地雑感 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

大洗に行きだして四年半、
沼津も初めて「聖地」として訪ねてから1年程たつ。
ここまででちょっと「聖地」について纏めを書いておきたいと思う。

かなり長く、
しかもとっちらかった内容なので、
飽きたらそこでもう終了していただいてけっこうです。

それでは始めます。


自分は以前「聖地」に対して、
二次元と三次元を繋ぐ鎹という意味で、
「声優」とその立ち位置が酷似していると言った事がある。

その事はいくつかの聖地に通い、
そこでの発信や反応をみていくにつれ、
よりそれらを強く感じられるようになっていった。


また聖地の多くはその作品や土地柄によって、
その取り組み方捉え方がいろいろと違うため、
各地状況がいろいろと多様化しているものの、
訪れる多くのファン側の感覚としては、
アイドル声優に対するそれと同じような、
それこそ聖地をひとつのアイドルとして捉え、
聖地巡礼はアイドルのコンサートに出かけるそれと同じと、
最近そう思えるようになってきた。


訪問者の見る目がそういうものになっていると、
当然聖地そのものにも変化がではじめる。

ビジターの訪問とそういう感覚による行動が起き始めると、
それにより聖地となった現地の人達が、
次第に状況の変化に気づき始める。

当然最初は当惑するだろうが、
次第にその原因が分かり始めると、
それらを活用する…というより、
自分達に何ができるのかという事を探り出す。

そこでビジターとの会話が生まれるが、
これらは最初からそれが目的というより、
お店等では接客における日常のそれによるものなので、
このあたりは会話が好きな人達と長けた人達による、
多くは自然発生的に生じた日常的なものといえるだろう。


こういうときの普段着での接し方がうまくいくと、
それが顧客づくりへとうまく連動、
結果その人達がリピーターとなってくれる。

その後そういうリピーターとの
さらなるそこでの会話の中身などから、
自分たちが何をするべきかをさらに洗い出し、
その過程で自分たちの仕事や街の良さを再発見、
何が「売り」になるかを見極めながら、
そこに磨きをかけ粧いを施す事により、
次第に街本来のある力によって、
自分自身の力で勝手に活性化されていくというのが、
アイドル化した聖地がとるひとつのケースだと思う。


ここで誤解してほしくないのは、
聖地のアイドル化は無理して場違いに着飾ったり、
厚化粧を華美に施すというものを指しているわけではない。

上記したように、
あくまでも自分達本来の売りや魅力を、
ビジターからの情報も吸い上げ最大限に活かし、
そこを磨き上げ発信するという事であって、
無理していろいろと花火をあげろというわけではない。

無理なイベントや場違いなそれは、
ビジターにとって虚飾ととられかねないし、
そうなるとかえってアイドルとしての魅力も低下してしまう。

こういう時のファンのそれはかなりシビアなものがあり、
最も忌み嫌う部分でもある。

ビジターが期待しているものと、
街が行ったイベント等の内容にギャップが出るのは、
極力避けねばならない要素でもあるのです。
(そのためには前述したビジターとの会話とその分析はとても大切なのです。)

なのでこういう事で一度失望してしまうと、
それっきりとなる危険性が高い。
(このあたりも声優に対するファン気質と似ている所がある)

一度失ったビジターを呼び戻すのは至難の業なのです。


また幸いにしてそうならなかったとしても、
無理したり犠牲を強いたりするイベントを続けても、
それらは決して長続きしないし、
また持続的な部分での成果も思うようにはでないだろう。


イベントを企画するならあくまでも無理せず、
自分たちも楽しめる範囲でやらなければ長続きしないし、
リピーターも生まれにくくなってしまう。

そこのところは勘違いしないでほしいし、
今のアイドルの「売り方」をみていれば、
そのあたりはけっこうお分かりいたただけるのではないだろうか。

アイドルがネットで普段の自分の生活や仕事、
そして趣味を頻繁に発信しているのはそういう事が、
ベースとして大事というふうに理解しているからに他ならない。

それらと同じ事なのですから。


自分が訪問した事がある土地で、
「鷲宮」「豊郷」「秩父」「大洗」「沼津」なども、
それらに該当するように感じられた。

もちろんこれには作品内容とそのパワーも関係しているけど、
上記したように現地の対応のしかたによって、
けっこう左右されてしまう部分がある。

上記五つは中でもそれらがある程度うまく機能し、
それによってスーパーアイドル化したように思われる。


特に大洗と沼津は、
いきなり特定の街の名前が前面に出たという事で、
他の多くとは若干内容が異なるが
それでもこれらは順調にアイドル化したわけではなく、
当初は他の聖地同様かなり試行錯誤し、
決してうまくすべてが運んでいるようにはみえなかったが、
今では自分たちの本来の売りとパターンがみえてきたのか、
ひじょうにいい方へいい方へと活況を呈し、
今ではそれに商店や役所も積極的に絡み、
かなり大規模になった事でさらに多くのビジターを呼び込み、
リピーターを増やしながら現在に至っている。

それは普段着姿の売りと、
特別な日を設けてのサービスをからめての、
いろいろな装いを施す事によってビジターを飽きさせない、
そういう地道な「アイドル活動」も含めた努力の賜物だろう、

現在行っている会話や接客、
またいろいろな面での鮮度への意識や、
ネットを中心とした情報発信の数々、
これらも常に多くの人からみられているという裏返しで
みな「アイドル活動」の一環といっていいと思う。


またこれらの聖地は、
聖地としての受け入れ処とそれとは無関係という所が、
ある程度うまく住み分けができているのも特徴で、
それがまた「アイドル」という処を、
明確に浮き上がらせているのかもしれない。

また大洗と沼津は、
等身大パネルとラッピング車輛を積極的に展開している。

A012.jpg

前者は大量の等身大パネル、
後者はラッピングバスやタクシーが、
街の多くの場所で活躍しており、
これが街のアイドル聖地化というだけでなく、
本来アニメのキャラである作品のキャラが、
あたかも地元に根付いた新手のゆるキャラのような、
それこそロコドルみたいな感じで、
地元に認識されるという事も生じている。

沼津で当のラッピングバスに乗った時、
そのバスをみる人達のリアクションや、
バスに乗って来た人達のそれをみると、
よりそれが強く感じられたものでした。


だがそれらはすべての人達に、
決して好意的に受け入れられてるわけではない。


街が聖地になった事で「アイドル化」していく事に、
強い不満をもつ人達も存在している。

これらの人達は昔からその街を知っている人で、
聖地化する事によりアイドル的な人気を博し、
それ目的で大勢のビジターが訪問するうちに、
その街がかつての姿と違う形に変貌し、
ビジターに対し媚びた装いを行っているようにみえる事が、
我慢ができなくなっているという事がある。


確かに今まで見慣れた風景に、
いきなり異質なものがそこかしこにあふれたら、
それをいきなり受け入れろというのは無理がある。

だがだからといって、
自分が気に入らないからとそれを否定するのは、
さてそれはどんなものだろうという気が強くする。

もちろんそこに住む人達にとって、
迷惑このうえないというのであれば、
それは一考し対応を協議するのは当然だが、
地元にとっても活性化のひとつとなっていた場合、
恩恵を受ける人達が限定的になったとしても、
実害が起きていない場合、
それらを頭ごなしに否定するのはやはり問題だろう。

(ただこの実害というものにもいろいろと各人の基準というものがあり、一概にどうこうと決めつけられないものがある事も、この問題を複雑にしている事は確かだと思う。)


またこれらに対して拒否反応を起こし否定する人は、
なぜそう思うのかという事を、
自分自身に対しその要因を精査した事があるだろうか。


この土地は昔から変化や変貌を積極的に拒絶してきた街なのか。
ここの人達はこれらの変化をどう考えているのか。
これらを拒否する考えは自分を納得できるか否かだけの問題ではないのか。

等々。

特に最後に書いたそれは、
下手をすると自己全否定になりかねないので、
そう簡単においそれとできるわけはない。

でもそのあたりをしていかないとこの話は先に進まない。
大事なのは自分ではなく現地そのものである事を思うと、
そんな事は二の次三の次なのだ。

精査されつくしていない自分の考えや価値観を、
その街と心中させてはいけないのです。


あと今の聖地のアイドル化がダメな人で、
「昔」のその街のイメージを大事にしたい人は、
自分がもっとも強くイメージを刷り込まれたその時代から、
脱する事ができないのだろう。

もちろん好き嫌いはその人のそれだから、
それは全然かまわない。

だがそれが理由で、
その価値観を押し付けるのはやはりいけない。

好き嫌いと良し悪しは、
自由と無秩序のように異なるものだ。

価値観をおしつける前に、
この時代のこの街はこうだった、
そして聖地だったころのこの街はこうだったと、
それを見つめ記録し、
そこで起きた変化から学び街とともに前へ進むのが、
本筋というべきではないだろうか。

そうでないと街本来の進むべき道が、
アイドル化するしないに関わらず、
不自然に曲げられた道へと進んでしまうかもしれない。

変化しないことによる不自然な変化は、
ひじょうに誰も気づかない事が多いのです。


とにかく街が変化をしていくとき、
その過程でいろいろな事が起きる事を、
過去がああだったからと否定ばかりしていては、
その先に街が進む事はできない。

また失敗も成功も山の上り下りみたいなものなのだから、
前へ進むためへのそれと思わないと、
これまた前へ進む事はかなわない。

もちろん街の伝統等を守るのはけっこうだし、
大事な事ではあるけれど、
それを自分の中の慣習や刷り込みと取り違えてはいけない、
それは街にとっても迷惑だし不幸な事だと思うし、
そんな事をしたら、
将来の展望すら開けてこないのではないだろうか。

(ただ聖地化に否定的な人たちの中には、それ以前の聖地になる前のその街に「憧れ」、また違った意味でアイドルとして見ていた人達もいるんじゃなかろうかという気がしています。アイドルには好き嫌いはつきものですから、当然といえば当然なのかも。)


ところでアイドルというものにもいろいろある。

短期間に強烈な輝きを放ち消えていったもの。
長期間に渡り輝き続け今もなお光を絶やさないもの。

等々。

聖地の多くは後者を目指し、
前述した事を地道に続ける事により、
今をできるだけ長く紡ぎながら、
同時に種を撒き次の時代に備えていく。


おそらく沼津も大洗も、
「ラブライブ」や「ガルパン」が静まった後の、
街の将来の展望も視野に入れているだろうし、
この景色も長い年月における、
ひとつのそれとすでに考えていると思う。

だから尚更街にとって否定ばかりして、
立ち止まる事は決して得策ではないのです。

今やれる事をやり、
次に備える…もしくは種を撒く事をはじめる事は、
本当にとてつもなく大事な事。

そしてそのひとつの過程として、
街のアイドル聖地化も利用し糧としているのです。


繰り返しますが、
聖地のアイドル化は街本来の活力を呼び戻したり、
地元も忘れていた街本来の魅力の再発見に繋がったりと、
これはある意味街の棚卸をしながら、
いろいろと多くの副産物がそこに生まれてくるという、
街にとってとても大切なイベントなのです。

沼津の「のっぽパン」の売り上げ増なども、
そのいい例だと思います。


聖地となった街は、
そこに住む多くの人達によって、
今日もアイドルとしての鮮度を保ちつつ、
(鮮度を保つのもまた粧いの一種だと自分は思っている)
多くのビジターを受け入れている。

自分はそういう活動を高く評価したいし、
そんなアイドルたちがこれからどうなっていくのか、
それらがしっかりとした成果に結びつく事を祈りながら
自分も可能な限りそれを見守り続けていきたいと思います。


ただそれだけに、
何度も何度も繰り返すようで申し訳ないですが、
最近よくみかける「聖地協会」のようなものが、
観光ばかりに特化せず、
聖地となった街の悩みや問題への相談の窓口となったり、
過去に起きた事への参考のようなものを閲覧できたり、
聖地同士の横の繋がりのパイプ役になったりと、
そういう部分の事にも力を注いでいかないと、
いつの日か聖地観光も廃れてしまうかもしれないと危惧している。


アイドルが輝くにはプロデュースする力が必要だが、
それはただ話題づくりだけという事ではない。

こういうバックアップシステムのようなものも形成しないと、
そのうち「こんなものいらない」という事が、
いつか大きな不満となって各地で炸裂してしまうかもしれない。

それだけに「~協会」というものをこしらえるのであれば、
そういう足元を踏み固めるという事にも、
地味だし継続というなかなか辛抱を強いられる事ではありますが、
ちゃんと力を注いでほしいと最後にここで言っておきたい。

特にこのあたりの風潮は、
今のアニメ制作現場に通じる「悪しき」ものも感じられるので、
より強く念押しで最後に言っておきたいと思います。


長文拙文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

深謝。


[余談1]

自分は大洗や沼津に行くと、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団や、
ウィーンやベルリンのフィルハーモニー管弦楽団のような、
長い歴史を持った楽団を想起する事が多い。


これらのオーケストラは19世紀やそれ以前からある団体だ。

多くのオケは自分たちの伝統や良さを守るべく、
いろいろな努力を長年し続けてきた。

だが楽員は年年歳歳、引退と入団が常に繰り返される。
それによって使用している楽器も変わる事だってあるし
今まで使用していたホールが何等かの理由で使用できなくなり、
新しい響きのホールでその後演奏しなければならない事もある。

他にもガット弦から金属弦への変更や、
常任指揮者の交代によって生じる奏法の変更、
さらに教育システムや楽団の方針変更等もあり、
多くのオーケストラは昔からのサウンドを、
そのままの形で維持できているわけではない。

なのでオーケストラによっては楽器を代々受け継いだり、
奏法を代々受け継がせるといった、
そういう形で伝統を守っていく団体もあったが
それでも完全にそのままというわけにはやはりいかない。

そのためそれらによって生じた変質や変貌を、
昔からのファンは全てを受け入れる事ができず、
「昔はよかった」
という言葉で片づけてしまうケースが少なくない。


ただ個人個人の技術は今の方があがっており、
そのためあきらかに今の方が、
オケ全体としても上手くなっているケースも多く、
音質や音色等は変貌したが、
むしろ今の音の方が好みというという人も多くいる。

ハッキリ言ってしまうと、
どういう理由で生じたにせよ何かを得れば何かを失う、
だから変質や変貌が起きる。

それの細かい積み重ねの変化が必然のオケの場合、
自分がいつの時代にそれに慣れ親しみ、
そして影響を強く受け刷り込みとなったかで、
けっこうこのあたりの感覚や価値観は変わってしまうと、
自分はそう思っている。

むしろ1950年代のこのオケはこうだった、
2000年代のこのオケはこうだったと考える方が、
よりその時代時代のそれを明確にとらえ、
そして愉しめるのではないかと自分は考えている。
(これはゴジラにも言える事かもしれない。)

昔はよかったばかりでは、
今ある良さを愉しむどころか、
これからの可能性をも殺しかねない危険性があるのです。

かつて数百年の歴史を誇る、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団について、

「ゲヴァントハウスの運動をおこし、育てていったものは常に各時代の進歩的勢力であった。」

という言葉があった。

この言葉、
自分は今の沼津や大洗にもあてはまると思っています。


[余談2]

大洗の変化は2013年春と2017年夏では、
もう街の雰囲気そのものが場所によっては大きく変わっているし、
また全然変わっていないところもある。

おそらくこれから全然変わっていないところも変わっていくだろうし、
逆に今大きく変わった所はこれからしばらく変わらないだろう。

そんな今の時代にこの環境で育った人には、
今この時代が何十年後の「昔はよかった」の「昔」になってしまう事も、
じゅうぶんありうる事。
(そこには今から少し前に消えた景色は含まれていない)

そしてそれは今の沼津にもあてはまると思う。


そんな繰り返しが過去現在未来と繰り返されていくのだろうし、
そこで生き続けていくいろいろなものは、
その時代時代で必要とされていたからなんだろうなあと、
大洗や沼津をみるたびにいろいろと感慨にふけってしまいます。

そんな事を考えながら、
これからも自分は聖地を歩く事になるでしょう。



A012.jpg
※マリンタワー前の広場とステージ。
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「用心棒」の歩いた道へ再び行く。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

2014年の12月にJR韮崎駅から歩いて30分程のところにある、
黒澤明監督作品「用心棒」のロケ地跡へ行った。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-12-10&pagename=nice

今回は二年半ぶりに再訪。

そしてもうひとつの場所も見に行った。

あいかわらずのどかだけど、
山々がとにかくすばらしい。

a-09.jpg
茅ケ岳

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白根三山

富士山もうっすらと見えていたけど、
さすがに自分のボロ携では映らなかった。

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三十郎が歩いていった道。

ここには写っていませんが、
けっこうあいかわらず車の通りが激しいです。

この道から右手奥に見える白根三山。
a-02.jpg

そしてこの道。
a-03.jpg

これが映画ではここにあたります。
a-11.jpg

映画に近い角度でこの道をみます。
a-17.jpg

三十郎は棒の向いたこの道へ行きます。
a-08.jpg

映画でも映っていた石塔。
a-04.jpg

新しく作り直したのではという意見もあり、
再度そのあたりもみましたが、
土台と頂部は古そうなのですが、
真ん中部分が妙にスッキリして、
なおかつちょっと新しい感じがするので、
ひょっとすると真ん中の部分だけつくりなおしたのかも。

a-14.jpg
映画での石塔

a-13.jpg
実際のそれを映画で見えていた方向から。


このあとこの場所を離れ別のものを探索。

そしてみつけました。

あの本間先生が走って逃げる桑畑の中の道。

a-05.jpg

これは本間先生の近くにみえる石碑?と、
右へ伸びている道が目印でした。

用心7.jpg
用心6.jpg

これがその石碑。
a-06.jpg

写真でみると小さくみえますが、
けっこうそこそこの大きさがあります。

このとき本間先生がすたこら逃げた方向へしばく歩き、
そして振り返って一枚。

a-07.jpg

この写真中央にある木の場所あたりが、
位置関係からいくと清兵衛の本陣があった所かと。

そうなるとこのあたり一帯に、
馬目宿が作られていたのだろうか。


因みにこのあたりは今はこんなかんじです。
a-15.jpg

ただこんな巨大な石が先の石碑の少し先にありました。
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位置的には映画に映っているはずなのですが、
当時はかなり草茫々だったため、
なんかシーンによっては、
うっすらとみえるようなみえないようなかんじで、
ちょっと何ともいえないかんじでした。


とにかくこんなかんじでした。

しかしほんと何もないところです。

だからこれだけまだいろいろと残っていたのかも。


例えば「天国と地獄」のロケ地は地元なのですが、
いろいろと開発等でかなり分からなくなりつつあります。

半世紀前の映画の遺構が、
これだけ残っているのはとても幸福なのかもしれません。

何とか末永くこの状態を維持してほしいものです。


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不可解な内容のツイート (ラブライバーと沼津) [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

よくラブライバー云々という芳しくない内容のものが流れるけど、
お店での発信等を別とすれば、
正直自分の目で確かめないかぎり
事の真偽が判別できないものにはあまり反応しない事にしている。
もしガセだったらそんなものに加担した自分が許せないし、
沼津や真面目なファンの方に申し訳がたたない。

でっちあげやなりすましも日常茶飯事の今日この頃。
人に躍らされることだけはしたくない。
だからといってダメな行為はダメ。
ここのところは毅然としたい。
もちろん大前提は「沼津ファースト」なので、
このあたりも度が過ぎると拙いので難しい。
大洗もかつてはこういうことで苦労したんだろうなあ。

-----------------------------------------------------


という内容のツイ―トをこのまえしたら、
それとほぼ時を同じくして、


「1日中こんな奴らがいたし一般客が泊まりに行く気にならないのは当然…」

という発言とそれ関係の二つの写真がツイートされ、
さらにそれに呼応するかのように、

「この写真頂いても良いですか?
ブシロードにアニメ企画の即時停止と沼津市への協賛中止を要請する材料に使いたい」

という内容のそれがついた。


正直「またか」と思った。

写真を観てて、
ほんとうにしょうもないことばかりしてる、
残念なファンたちだなあと悲しく思ったが、
暫くしてなんともいえない違和感がわきあがり、
以下のような発言を立て続けにツイッターに投稿した。


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このツイートに掲載されていた二つの写真。
片方は「いいかげにしろ」だけど、
もう方方はちょっと「一日中」という表現に違和感があるのと、
自分ならここのお店にまず報告し、
それでお店さんがバンダイなりブシロードなりに
厳重抗議するというのなら筋も通るし当然だけど、
なんかこの流れがスッキリしない。

さらに言わせてもらえば、
このお店さんをすっ飛ばして抗議しちゃうと、
お店さんのあずかり知らぬとこで火の手があがって、
別の意味でご迷惑がかかるかもしれないけど、
このあたりの事もちゃんと考えているのかなあ。
当事者を蔑ろにすると悪質ライバーと同じレベルとみられかねない危険性がある。

まあ写真に写ってる人たちの行為については個人的には好意は持てないけど、
それに対する対処の仕方がとにかく?で、
お店さんをすっ飛ばして事を起こそうとしているように見えるのがとても心配。
あとこれだけ反応があるのはある意味いいことだと思う、
あとは個人がそれをどう冷静に捌き落とし込むか。

ようするにまず現地の人に任せるという事が抜けてるようなやりとりがとにかく不安。
これって受けてによっては
「現地の人ではダメなので俺たちが代わりに」と言ってるように感じられ、
傲慢と受け取られかねないじつに危険なやりとりだ。
事が現地のお店の敷地内で起きてるのだから、まずお店にだよなあ。

さらにさらに言えば。
お店さんに言わないでいきなりネットにあげているのだとしたら、
自分がそのお店さんなら「なぜ一言言ってくれない」となります。
これを写している人がお店さんに縁もゆかりもないのは分かるけど、
いきなり拡散するんじゃなくて、
まずそこの人たちに連絡して指示を仰ぐのが筋。

こういう形で情報が拡散し巻き込まれをされるのって接客業がいちばん嫌う事。
何度もいうけど順序が違うよなあ。
どう考えてもここのところだけはおかしい。
注意喚起みたいなものではなく、
単純に煽っていろんなもの巻き込んで愉しんでるとしか思えない。
なんか嫌な話になってきたのでこの話終了!


--------------------------------------------


というもの。

ツイッターでは実際にお店さんの名前を出していますが、
ここではあえて「お店」としています。


多少内容が重複したりくどくなってしまったものの、
ようするに一見これを写した人たちは、

「自分たちはこの酷いライバーたちの行為を糾弾する」

みたいな錦の御旗をたてて言ってるようにみえるが、
それにしてはお店への配慮があまり感じられないし、
そもそもこの内容を拡散することに、
お店の許可を得ているのかという疑問もある。

そのあたりがまったく触れられていないので、
お店にとばっちりがいくのではないかと、
こちらはとても不安を感じる。


一部ではこれはただラブライブが嫌いなだけで、
沼津やそのお店などなんとも思っていない人たちの、
ただの嫌がらせというふうに言っているものもあり、
自分もひょっとして、
これそのものがじつはねつ造ではないかと、
そんな疑念さえもつようになっていった。


ただ正直これの真偽よりも、
上でもさんざん述べたけど、
現地のお店にちゃんとまずお伝えし、
こういう内容で発信していいかと、
事前に御伺いを立てたのかというのがとにかく心配。

ラブライブをけなそうが叩こうが、
それはその人の自由だろうけど、
自分たちの考えや価値観のためだけに、
地元を巻き込むような形で利用していたとしたら、
これはもう絶対許せない蛮行だし、
自由と無秩序を履き違えたような、
一種のテロ行為と言ってもいいかもしれないほど酷いもの…

…と受け取られかねない危険性をともなった、
とにかくなんとも不可解な発信だった。


これに対していろいろと反応があったけど、
良識あるファンが多かったことが救いとはいえ、
無責任な物言いがあったことも否定できないので、
正直これはかなり考え物のそれだった。


自分はその後あるツイートで、

----------------------------------------

「最近思うんだが
自分より豊かな人、幸せな人を見た時、まず
「自分もああなりたい」と思うのでなく
「あのやろう、悪い点見つけて引き摺り下ろしてやる」と思う
僻みの文化が蔓延してると思う
いつから日本はこんな風潮になったのか

-----------------------------------------------


というものをみた。

まったくの正論で、
しかも今回のそれの根っこにある部分のひとつを、
適格に言い当てたもののように感じられてしかたなかった。



今回自分ははじめて「ラブライブ」という、
外からみていた台風の中に突っ込む形をとっているが、
現地は驚く程穏やかだし、
大洗のガルパン初期の頃とそれほど差は感じられない。


むしろ作品やファンを叩くことに手段を選ばない風潮が、
少しずつ強くなっているように感じられ、
地元に対して何のそれも払われていない事を思うと、
思わず「テロ」というキツイ言葉を使ってしまうくらい、
自分にはそっちの方がえげつなく酷い行為に感じられてしまった。


もちろんファンの方の行為の一部にも、

「さすがにこれは」

と思ってしまうこともあるけど、
だったらそれに対してはまず地元に伝えるなりして、
(それは後日にメールでもいいと思う)
「報告」場合によっては「意見」を言うのが筋で、
地元を飛び越えてあまり踏み込みすぎたそれをすることは、
正直やりすぎだし自己満足や売名行為ととられ危険性がある。


上でも言ってるけど自分たちはあくまでも観光者であって、
「俺様」や「殿様」ではない。

「俺たちが代わりにやってやる」

などと本気で思っている人がいるとしたら、
ほんとうにこれは傲慢以外のなにものでもない。


発言は慎重にと冒頭に書いたけど、
今回の場合ちょっとどうしても踏み込んであえて発言をしたくなり、
またツィッターではすぐに流れてしまうので、
後々までいろいろと考え込むべき内容の事柄ということで、
こちらにもこういう形で書き込みました。


あと今回の件。

大元の情報量が写真込みにもかかわらず、
あまりにも少ない。

自分が断定を随所で避けているのはそのせいです。



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御願い。ほんと危ないから。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

言葉が通じないから注意できなかったけど、
台湾を含む諸外国からきてるアニメファンのみなさん。

鎌倉高校前駅横のこの踏切で、
車道に出て写真とか撮るのは危ないからやめてください。

T-01.jpg

車もクラクションならしてたし、
事故起きてからでは遅いです。


正直気持ちは分かるのですが、
けっこう死角からも車がやってくる場所ですし、
そこそこ交通量も多い。

遮断機が下りてる時に撮ってるみたいだけど、
もう危なっかしくみてられない。

怪我とかそういう次元じゃなくて、
最悪のケースすら考えられる状況だ。

せっかく気持ちよく来日してるのに、
取り返しのつかない事故が起きて、
最悪の気持ちで帰国するなんてことはしてほしくない。


テンション上がっちゃうのは、
日本人でも大洗や沼津でもけっこうみてるので、
個人的にはある程度は寛容にできるのですが、
来てもらってる人に何か起きる危険が大の場合、
さすがにこれを見過ごせというのは無理。


何か起きてしまう前に、
あえてここで言わせていただきます。

どういう理由があっても車道に出てはダメです。

みんなが気持ちよく楽しめるよう、
マナーだけは守ってほしい。


自分は日本語でしか書けないので、
誰か訳して注意してあげてください。


ほんと超危険!

怖いです。
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内浦と大洗 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

このふたつ、
今話題の作品のアニメ聖地だけど、
「漁港」という部分以外は、
じつはかなり対照的といっていいのかもしれない。


それは街の形状やいろいろなものの配置にもあると思う。

大洗は漁港だけでなくフェリーターミナルや海水浴場が、
かなり長い距離で展開されており、
しかも街はその沿線上に半円形に大きく広がっている。

これに対して内浦は湾内に楕円状に展開しており、
山が背中にせまってきているせいか、
大洗のように大きなスペースがあまりない。

しかも漁港も海水浴場も狭い範囲にコンパクトに収まっているため、
大洗のような大量な交通量や、
大勢の人たちを動員してのイベントも対応しかねる部分がある。
(その大洗も時として飽和状態になっていますが…)


また大洗は茨城屈指の観光を生業としているせいか、
宿泊をはじめ街全体かせかなりそれに沿って賑わっているのに対し
内浦も確かに三津シーや淡島マリンのような水族館が、
比較的近しい距離に存在していて、
それの間を中心に賑わっているような感じになっている。


だがその賑わい方は、
大洗に比べるともっと素朴で、
自分が「サンシャイン」放送直前の6月に行った時は、
一部のファン以外は、水族館の入場者と太公望以外、
じつはあまりみかけない感じだった。


ただ内浦に秋に再訪したとき、
大洗に初めて行ったときとかなり雰囲気が酷似していたことも確か。

どちらも本放送終了後ということだったけど、
大洗は今よりも巡礼者は少なく。
肴屋さんの前も仲町の商店街も、
ごくふつうの港町の昼下がりという感じで、
のんびりとした雰囲気が横溢した、
写真を撮るのもちょっと退ける部分があった。


だがその後大洗はご存知の通り、
映画がはじまるまでも人足が落ち込むこともなく、
確実にファンを顧客化し、
さらには新規開拓もしてきた。

これはその観光地としてのノウハウを、
各自のネット発信で活かしたり、
企画を次々と打ち出すことによって、
大洗の鮮度をつねに磨いてきたことにも、
このあたりとてもよく活かされていた。

以前あるところから聞いたことに、
「店づくり」「人づくり」「(顧)客づくり」
というのを聞いたことがある。

特に三番目が大事で、
「固定」ではなく「顧みられる」ことが大事という、
その言葉は今でも強く印象に残っている。

大洗はそれを街ごと今回実践し、
その成果が今の状況だという気がする。


これに対して内浦はというと、
今のところ「ガルパン」の初期状況と、
じつはそんなに変ってはいない。


大洗もじつは最初期いろいろと問題がやはり出てきた。

それは今内浦でも問題になっている部分と重なっているようだけど、
今はどうにかこうにかその部分は外見上収まっているようだ。

自分はここもそうだけど、
秩父、鷲宮、といった聖地も同じような問題を経験してることを思うと、
このあたりからいろいろと意見を聞き、
研究と対応をすべきではないかと思っている。
(すでにされているのならそれは素晴らしい事です)


特に規模や質は違うが同じ観光地であり漁港の「大洗」や、
内浦同様あまり大きく場所が展開できない「鷲宮」のやり方も、
真似をするのではなく、
内浦にあって使えそうなものは、
いろいろと試しいくべきではないかという気がする。


特に観光とは無縁の部分が「聖地」になった場合の、
そこへのフォローとビジターへの周知徹底はかなり大事で、
このあたりでぬかると、
あとあとまで街の中で亀裂が走る場合がある。

街にとってありがたいことが、
街を割ってしまう要因にだけには絶対させては拙い。


ローカルルールというものはどこにもあるはずなので、
このあたりを広くこちらにも知らせてくれると、
こちらもそれを現地の方と同じレベルでのマナーとして、
恙なく行動できると自分は思う。


訪ねる方も訪ねられる方も、
誰だって嫌な顔や気持ちで終わりたくはない、
そこの部分の認識はどちらも一致しているので、
あとはそれをどうするかということ。


このあたりは公式サイトがいちばん発信力が高いのだろうが、
「ガルパン」ではこのあたりは地元サイトの力が大きい。


このあたりの役割分担や、
どこが「内浦の顔」として発信していくのかという部分、
特にネットでのそれをどうしていくかというそれは、
焦る必要はないかもしれないけど、
そのあたりも今後詰めていってほしいと思う。


偉そうな事を言ってしまったし、
地元に地元のやり方やご苦労があるので、
そうは簡単にいかないというのが現状だと思うけど、
とにかくひじょうに魅力的、
特に自然環境が素晴らしすぎる所でもあるので、
その魅力を発信し地元が無理なく賑わうことを願う一人としては、
今後このあたりをうまくやっていってほしいと願う次第。


近いうち大洗と内浦を、
そういうことを思いながら再訪したいと思います。

そこでもしまた気づいたことがあれば、
またここに書いていきたいと思います。


あと地震の時の津波等の対応も、
内浦の観光の要所各地では、
紙媒体で配るものがあるとほんとうはいいような気がするけど、
このあたりは以前も述べているので、
ここでは提案のひとつとして。


最後にこれはそれ以前の問題だけど、
自分たちはあくまでも、

「その場所を借りて楽しませてもらっている」

のであって、

「来てやってるんだ!」

という感謝の気持ちがごっそり欠落してるようなのは絶対ダメです。

せめて食事をする時「いただきます」というのと同じくらいの、
そういう最低限の感謝の気持ちは常に心掛けたいものです。


あいかわらず偉そうなことばかり言ってすみませんでした。


ただなあ、
これ書いて今のクラシックのコンサートでの、
ときおりみかける惨状をみると、
まだ「聖地」へのビジターの方がまともなんだよなあ。


どんだけ荒んでんだか、クラシックは。


以上で泣きながら〆。

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「一般社団法人アニメツーリズム協会」設立、に一言。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

アニメ・漫画の舞台やモデルになった「聖地」を認定し、観光活性化を図る「一般社団法人アニメツーリズム協会」が16日、設立され、「機動戦士ガンダム」シリーズなどを手がけたアニメ監督の富野由悠季理事長らが都内で記者会見した。富野理事長は「アニメは好奇心を喚起する。好奇心を抱いた若者に土地の風土、習俗を知ってもらうのは文化交流そのもの」と説明。「アニメツーリズムは一つの組織で完結できない。総力をもって特別な魅力を海外の人にも知ってもらい、相互協力で花を咲かせてもらえれば」と語った。


 現在大ヒットしている映画「君の名は。」など人気作が出るたび、熱心なファンが作品の舞台を訪れる「聖地巡礼」は盛んになる。これまで大きな効果をもたらした事例として、「らきすた」の埼玉県鷲宮町(現久喜市)などが知られる。同協会は、「聖地」を▽舞台・モデルになった地域や場所▽作家ゆかりの街や生家、記念館▽作品に関連する博物館、建造物、施設−−と定義。海外でも日本アニメ・漫画ファンの「聖地巡礼」へのニーズも高まりを見せているとみている。

 一方で、「聖地」で何かビジネスを展開するには作品の権利関係の問題が発生するほか、熱心なファンが集まるその場所が本当に「聖地」なのか、「公式」の見解がない場合も多い。国内のファンに比べ、簡単には現地に行けない海外からの誘客にはそうした点がネックとなる。訪れる人のマナーの問題などで地域住民とあつれきが生まれてしまうこともあり、観光面では受け入れ態勢の整備も課題となる。

 同協会は、まずネットでファンから「おすすめの聖地」を募るアンケートを実施。「霊場巡り」にちなんで88カ所を選定しPRする。また「聖地巡礼」の広域観光モデルルートを官民連携で作ったり、受け入れ態勢の整備などで企業や地域との間の仲介、調整をしたりする予定。特にアジア圏を中心に海外発信に力を入れる。選定などは来年中が目標で、2020年にはアニメツーリズムで政府目標の訪日外国人数4000万人の10%に相当する400万人を誘客することを目指す。

 同協会は、KADOKAWAの角川歴彦会長が副理事長を務めるなど、コンテンツホルダーとしてはKADOKAWAを中心に発足した形となっている。JTBや日本航空の役員らが理事会のメンバーに加わった。協会事務局は「他の出版社などコンテンツホルダーにも参加を呼びかけている。そこでしか買えない土産物を作るなどツーリズムには多くの業種が不可欠。広く企業・団体の参加を募りたい」としている。【最上聡】

http://mainichi.jp/articles/20160917/k00/00m/040/053000c

http://shadan.animetourism88.com/
一般社団法人アニメツーリズム協会公式サイト



ひじょうにいいニュースである反面、
正直長続きするのかどうかという心配がある。

ようするに
途中で協会の「顔」がみえなくなってしまうのだ。

何してるの?
一般に意味はあるの?

という問題もあるけど、
それ以上にこういうことにかかわっている人たちが、
一本化できるというか、
ひとつの方向性に向かってどれだけ集結、
そして継続できるかということだ。


なんか散発的な打ち上げ花火的なものが多いので、
このあたり一考を要してほしい。

また年一で、
どこかの会場でこういうものを、
講座や展示等を一堂に集めたフェスをやるとか、
(「AnimeJapan」時の同時開催などがいいかも。)
たいへんかもしれないが、
そういうことも念頭に入れてほしい。


十年もてばひとつの軌道にはのるだろうけど、
最近三年くらいで息切れするもの、
けっこういろいろみてるからなあ。


頑張ってほしいです。

とにかく継続とにかく活動です。
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聖蹟桜ヶ丘に行く (「耳をすませば」の聖地散策) [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

午前中山梨で午後聖蹟桜ヶ丘。

いくら時間が無いとはいえちょっときついなあというのが本音。

聖蹟桜ヶ丘駅
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青春のポスト
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その横にある「耳をすませば」のモデル地案内板。
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場所としては駅入口のすぐ側。
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ここは「耳をすませば」の聖地巡礼。

…といいたいのですが、
日大の毛利さんがおっしゃっているように、
それは聖地というにはあまにも慎ましやかという佇まいで、
ジブリ云々というのもあるだろうけど、
大洗とも秩父とも鷲宮とも違う、
この街のもつ独特の雰囲気がそういうものを形成しているといっていいと思う。

ただしそのことがつまるところ、
ひとつの聖地としての理想形をこの街なりに築いているという、
その証ということにもなると思うのですが。

いろは坂方面に向います。
これ以降「耳をすませば」関係を紹介するようなボード等はありません。

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しかし、いろは坂とはよく言いました。
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さらに坂を上っていきます。
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坂上の金毘羅神社。ここも舞台のモデルとなりました。
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それにしてもここは今までの聖地によくみられた、
空の広さがあまり感じられない。

…というより森と木々のそれがじつに印象として残る。
これはジブリの他の作品でもよく見かけるシーンでもあるし、
ある種のモティーフやテーマにもなっている。

ジブリというのは
「サハラ砂漠に吹く熱風を意味するイタリア語」
とジブリのサイトには書いてありますが、
砂漠なのに印象として残るのは木や森というのも、
何かその裏に深いメッセージがあるのかなと、
「日本のアニメーション界に熱風を起こそうという思いを込めたネーミング」
以外の何かをちょっと考えさせられる光景でした。

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それにしてもこの街はこういう景色が多い。

あの飛行シーンもこういう景色からヒントを得たのだろうか。

郵便局
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この街の中心にあるロータリー付近。
ここも映画のそれになってます。
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そしてこの付近では有名なノア洋菓子店。
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なんか男性一人では入りにくいということらしいが、
けっこう素朴なつくりなので自分としては無問題。

中へ入るといきなり本名さんの「カントリーロード」が流れていた。

「午前が『三十郎ード』で午後が『カントリーロード』とはこれいかに」

とくだらないことを考えもそこそこいろいろと拝見。

意外にもお煎餅なども販売していて微笑ましかったが、
ここは二個一袋で税抜260円のアップルパンを購入。
(※アップルパイではない。)

お店を出て写真をもう一枚。

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そしてここで携帯をしまう。

このあたり一帯は静かな住宅街。
さすがにこれ以上のことは平日の午後ということで差し控えた。


鷲宮あたりとは違いじつに静かな聖地だった。

まあ神社にも明治神宮のようなものもあれば、
家の近くにある稲荷神社氷川神社のようなこじんまりとしたものもありと、
いろいろあるのでこれはこれでとても落ち着いたいい雰囲気のものでした。

ただここもかつてはやや賑やかにすぎて問題が起きたとのこと。

なかなかこのあたりのそれはほんと難しいものです。


このあと歩いて小田急永山駅に行く。

そういえばここはかつて多摩大学のゼミが、
「多摩地区にクラシック音楽を広める活動」
の一環としてコンサートを開いた場所があるところだ。

多摩大学は「耳をすませば」のそれで、
この聖蹟桜ヶ丘は大学の近場ということもあり、
多少関わったことがあるとのこと。

具体的ではないけれど、
音楽から多摩大学とこの桜ヶ丘とで、
このあたりをからめた企画なども、
かつてはあったのかもしれないけれど、
来年(2015)は「耳をすませば」公開二十周年ということもあるので、
(また監督の近藤喜文さんの生誕65周年にもあたります。)
あらためて一考されてはどうでしょうなどと思ったりもした。

もちろんそれは一過性のものではなく、
定期公演へとつなげていければというかんじでです。


とにかく大洗や鷲宮等と違う、
じつにひっそりとした静かな時間を大切にする聖地でした。

もっとも土日は多少雰囲気も変わると思われますし、
ちょっとしたいいかんじの散歩道にもなることでしょうが…。

とにかく聖蹟桜ヶ丘から小田急&京王永山へ向かう、
ちょっとしたウォーキングコースとしてもなかなかの場所でした。

タイトルが「聖地巡礼」ではなく「聖地散策」となってるのはそのためです。

最後に。

ノア洋菓子店で購入したアップルパン。

帰宅後食したところ、
中にリンゴがけっこう入ってるし、
甘さも抑え目で全然しつこくない素朴な味わいで、
とてもおいしくいただきました。

日曜祝日が定休日なのは残念ですが、
また来る機会がありましたらまたここのパン等を食してみたいと思います。


以上で〆。
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「用心棒」の歩いた道。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

黒澤明監督の名作「用心棒」(1961)。

じつは自分も大好きな映画なのですが、
偶然あるサイトでその撮影現場を知った。

そんな中で特に印象深いシーンのそれをどうしてもみたくなった。

「用心棒」の道を歩く!

…というわけで行ったのですがここが凄い。

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もういきなり富士山がお出迎え。
角度の関係で宝永山がみえないので、
横浜あたりからみる少し右肩をいからせた富士山とは違う。

本当に左右対称の美しい富士山だ。

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余談ですが甲府につくあたりからだろうか、
前に座っていたこれから冬山登山に行くようなかんじの女性の方が、
なんか外をずっとみていたのですが、
帰りの電車に乗っていてこの富士山をみていたことがわかりました。
まあたしかにこれは見惚れてしまいます。

この富士の反対側には遠いけど八ヶ岳らしいものがみえる。
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こちらで拡大できます。
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そして背後には白根三山。
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そうこの白根三山があの「用心棒」冒頭に出てくる山なのです。
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全景
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そうか、こんなところから映してたのかとなんか感激してしまいました。

そして富士山も壮大です。

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もうこれだけでも満足なのですがさらにもうひとつ。

三十郎が宿場に向かうこのシーン。
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この道がなんと近くにあった。
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この中央付近にある緩い登り道が今のそれ。
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当然歩きました。半世紀前に三船敏郎演ずる用心棒の歩いた道。
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いかん。我ながらちょっと興奮気味。
このシーンで横にあった石塔も未だ健在なのにはもう感激です。

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実際映画で映ってるのはここまでですが、そのまま歩いてみた。
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けっきょく何もありませんでした。

因みにこの冒頭オープニングの後、
このポーンと三十郎が木の枝を上に放るシーン。
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このシーンがあったのはこの道に入る手前の交差点に当たります。

わかり辛い写真で申し訳ありませんが、
三十郎の背中にみえる登り坂風の道は、
この写真では右に伸びている道にあたります。
そして中央が先ほど歩いた道です。
この右の道、けっこう車の通りが多くて歩くとき要注意でした。
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じつはもっと分かり易い角度からも撮ったものがあったのですが、
興奮したのか保存してませんでした。
グーグルのそれをお借りしておきます。
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しかしそれにしてもここを見つけロケ地にしたスタッフは凄いです。

正面には茅ヶ岳
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左手に遠く八ヶ岳
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右手には富士山
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そして背後には白根三山。
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五十年前は何もなかったと思われる場所なので、
このあたりの山々のそれはさぞやより壮観にみえたことでしょう。

じっさいはこのあたりにもまだいろいろとロケの跡地があるようですが、
時間の都合でそこまではみませんでした。

ただロケ地云々抜きにして、ここの風景は最高でした。

すごいです。


因みに場所は山梨県甲斐市ですが、
JR韮崎駅から徒歩三十分強程の場所です。


帰り際韮崎駅から「平和観音」方面を臨む。
この「平和観音」は高崎や大船のそれらとあわせて、
関東三観音と呼ばれているとのこと。
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聖地巡礼についての雑感。その2 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

最近ある場所である光景出くわした。
具体的には言えないが今回はそれに関係したことを書きたい。

聖地巡礼というと、
アニメファンの多くがその舞台となった場所を探訪する。

というのが外側の現象だ。


で、この外側の現象からもたらされた結果、
特に数字的なもので著しいそれがあらわれ、
それが成果としてニュースとなり発表なりされると、
それに飛びつくものがあるのは昔からのあれなので、
それはそれでしかたがない。


だが正直その現象をはたしてどこまで理解、
そしてその功罪の「罪」の部分まで理解しているのかを、
はたしてそのとびついた人たちは理解しているのかということ。

そこがとても正直心配だ。

例えて言えば
風邪をひいてその結果お腹が不調をきたしているのに、
「たのむから整腸剤をください」
としか言わないで大元の風邪を治そうとしない…、
といっていいのかもしれない。


なんかそんな感じがとても感じられることが最近あった。

じゃあそれに対してどうすればいいのかというと、

「聖地巡礼は町おこしではない」

ということからなかなかいい案はそう簡単にはでてこない。



たしかに飛びつく人は「町おこし」の手段や道具として使用したい。
地方へ行くと、その気持ちは痛いほわかるときがある。


だけどそれに飛びつく方が考えているような、

「アニメの舞台になればいい」

という、そういった簡単な問題ではない。

だいいちそのアニメが極めてマニアックな場合、
果たして地元のその他大勢がどれだけ理解賛同してくれるのか、
さらには本編をみて眉をひそめる人だっているかもしれない。


本放送中に数字として利益がもたらされている場合はまだしも、
それが過ぎ去った場合の祭りの後の寂しさに直面したとき、
結局街のもった風邪は治るどころか、
先に述べたような心的な問題等により深刻化していることだってありうる。

さらにその効き方が優しいか激しいかも未知数なところがある。

優しすぎて全然利益に反映しないものもあれば、
激しくて現地が受け入れ不可能な状況に陥る可能性だってある。

ある意味ひじょうに扱いが素人には難しい。

いや専門家だって読み切れない部分が多々あるといっていいだろう。


理想としては漢方薬的な、
適度な効き目と長続きする効果、
そして何よりも街そのものが持つ生まれつきもった強さと良さの回復にという、
自然治癒による街の復興だろう。

だがアニメそのものはどちらかというとその真逆の要素がある。
特に深夜アニメは短いスパーンで強いインパクトを狙って来るので、
その傾向が強い。

例えばその使用されたOPやEDがどれくらい売れ続けているか、
そのあたりの統計をとれば何となくお分かりになるのではないだろうか。

逆に言えばそのOPやEDが長く売れ続けるようなアニメの聖地は、
やりようによっては「漢方的」な効き目を期待することも可能だろう。

あと最終回の評判や最終回放映後のBDの販売の落ち込み量なども、
これらの目安になるのではないだろうか。

だが放映前のアニメに聖地が投資するということは、
正直先物取引でもかなり危険な部類に属するかもしれない。

特にオリジナル作品はそうだろう。

いくらP.A.WORKS がやろうが茅野愛衣さんが出ようが、
鉄板とはだれも言い切れないものがある。

にもかかわらずそれでも強い効き目の「整腸剤」を要求するような、
そんな人がやはりいることは確かなのだ。


街おこしではない「聖地巡礼」。
劇的かつ短期的な効果を起こしやすい「アニメ」による聖地効果。
少しでも早く効果があらわれることを期待する一部の聖地に関わる人々。

この三すくみの関わり、
何ともアンバランスで怖いものがあるが、
逆に言えばあともうひとつ、
これらを中和して「漢方的」な効き目ももたらしてくれるものが加われば、
多少なりともいい方向へ進むことは確かだ。


だがそれが見えそうでみえないのもまた事実で、
それがみつからない、
またみつかったとしてもそれを一般の人に納得できるよう噛み砕けなければ、
それはそれで単なる無用不要なものと化してしまう。

ほんとうになんとも悩ましい事だと思う。


そのことも含めて多くの研究者の方々が、
「聖地巡礼」のことを研究しているのだろう。


そんな中で最近じつはジブリ系アニメの聖地研究で、
じつにおもしろいものを見かけた。

それはその聖地になっている聖蹟桜ヶ丘で実施した意識調査で、
これはなかなか面白いものがあった。

そしてその結果は深夜アニメのそれとは明らかに違う、
こちらの予想に近いものが数字としてあらわれてきた。

確かにやや定点観測的にすぎる部分や、
ここだけの一本釣りで聖蹟桜ヶ丘に来たのかとか、
どういうアニメが他に好きなのかという部分が若干弱い部分もあるにはあるが、
(もし「プリキュア」が好きな人が多かったら個人的に興味深いものがあるのですが…)
これはこれでじつにおもしろいものがあった。

そしてそこから「アニメ」と「ジブリ」の違いというものが、
じつによく感じられるものがあった。

それはこの発表の後の登壇者と一部の人の質問のやりとり(一悶着?)からも、
逆の意味でよりそれを強く感じさせるものがありました。

人はよくアニメというとジブリも深夜アニメも全部ひとくくりにしてしまうような、
そんな傾向があるようだけど、
例えばオペラでモーツァルトの「フィガロの結婚」を観に来た人に、
リヒャルト・シュトラウスの「ナクソクス島のアリアドネ」や
ベルクの「ルル」のことを同じオペラだからといっていきなり質問するのとこれは同じで、
どうせ聞くならビゼーの「カルメン」やヴェルディの「椿姫」、
さらにはロッシーニの「セヴィリヤの理髪師」というところの方が筋というものだろう。

…といってはたしてクラシックが好きではない人に、
今の上にあげた文が果たして理解できる人がどれくらいいるだろう。

つまりジブリと今様の特にTVの深夜アニメというのは、
それらを詳し知れば知るほどその違いが明確になるわけで、
同じアニメだからといってその性質はかなり違う、
同じ球技だからといってサッカーとアイスホッケーが違うように。

でもだからといってそこの部分ばかりをクローズアップしてしまうと、
正直この貴重な研究成果が無にされかねない。

むしろジブリと今様のアニメの違いをここの部分から読み取り、
それを聖地の研究にうまく昇華するのがこれまた筋というものだろう。

それをジブリとアニメは違うといって最初から色眼鏡をかけてみてしまっては、
いくつかの可能性を最初から放棄してしまうことにもりかねない。

だからこそこの研究はとても貴重だと思うし、
正直とても興味深くうつってみえた。

しかもこれを突き詰め応用すれば、
なぜジブリアニメから声優が消えたかとか、
声優と聖地の「鎹」以外の共通項などもみえてくるのでは?
というものもなんとなくだが感じられた。

これは個人的にこの手の研究で最も興味深いもののひとつでした。


最後に。

自分は大洗に行くとき水戸から大洗まで水浜線の廃線沿いを歩くことにしている。

ここで面白いのは、大洗におけるアニメのそれはコンテンツツーリズム。
水戸から大洗における廃線のそれはエコツーリズムになってしまうらしいということ。

ただそうなると鷲宮一帯を「らきすた」がらみで歩くことはコンテンツツーリズム。
ただし鷲宮神社をそういうこと抜きで参拝することはエコツーリズム。

となってしまうのではないかと思われてしかたがない。

正直どうでもいいことなかもしれないが、
なんかコンテンツツーリズムとエコツーリズムって区別する必要あるのかなあ?と、
ちと考えるようになってしまった。

そりゃ各々の学界の人はいろいろと言い分があるだろうけど、
なんかコンテンツツーリズムを紐解くためには、
まずエコツーリズム対象地の定義が、
コンテンツーリズムの対象地の定義とどれだけ重なり、
どれだけ重なってないかと言う事が大事。

たけど本当にその違いがどこまであれなのかということが、
ひょっとするとどちらの人たちも明確に定義できてないのでは?
という気もじつはしている。

たしかにこれは明確にコンテンツツーリズム、
こちらはエコツーリズムと言い切れるものはあるだろうけど、
それが明確に言い切れないものもあるだろうし、
またその二つが密接にからみあってるものもあるだろう。

そういう場合はいったいどう横で連絡をとり研究してるんだろうと、
とにかくこのことがとても気になってしかたがなかった。

ひょっとするとこのあたりはもう当事者同士で、
いろいろと話し合いがもたれてるのかもしれないが、
何か新しい要素と分野を開拓するはずが、
じつは袋小路に入りそうな危険性に直面しているような、
なんかそんな感じもしたものでした。

それだけに先の「耳をすませば」のような、
ジブリとそれ以外のアニメというものに既存の価値観を持ち込み、
最初から分けていろいろと凝らすということをせず、
この二つをあえて向い合せたそれに自分はとても新鮮なものと、
その向こうにある大きな可能性のようなものに強く惹かれるものがありました。


まあとにかくこのジャンルはかなりその中身だけでなく、
それを取り囲むものもなかなか複雑なものがあるようです。

以上で〆。
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秩父に行く。(その後の「あの花」聖地・聖地巡礼編) [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

秩父夜祭の日、ちとかつて行った聖地再訪を行う。

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

因みに「心が叫びたがってるんだ。」がらみのそれではないし、
夜までいなかったので「あの花スターマイン」を観に来たわけでもない。

「あの花夏祭」が今年(2014)で終了した今を、
ちょっと秩父夜祭がらみで見に来た次第。

駅につくと
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街の中にも
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そして夜祭が賑わっていたこの日、
あちこちに以前ほどではないが他にも「あの花」のそれがまだあった。

ただ中には色あせたものもあり、
それがある人にはまだこの街の「新しい住人」、
またある人には「すでに過去のもの」という、
そういう部分も見え隠れしていた。


このあと屋台の牽引の前にかつて訪れた秩父橋へ行く。
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以前歩かなかった橋の下へ。
以前は夏の、しかも猛烈に暑い日だったので、
ここへ行く前に帰路についていたのでちと心残りだった。
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再び橋へ。
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※自分にはやれと言われても無理です。

このあとそのまま駅に向うつもりが、
いつの間にかかつて訪れた場所へと足が向く。
いちどしか来てないのに我ながらよく道筋を覚えていたものです。
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かつてのあの花仕様一色だった自販機の今。
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一部だけ名残。
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定林寺
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すべてが以前のまま。


というか以前どおりの自然体であり日常風景でした。

それにしても例えば
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ここなどはふつうの地元住民の為の憩いの公園。

そんなところにかつては見知らぬ人たちが写真を撮ったりしていたのですから、
事情を知らない人たちには

「人さらい?」

なんて心配に思ったり怪訝に思ったりした人もいたことだろう。

それを思うと
「聖地巡礼」の危うさというものも、
この日ふと感じさせられたものでした。


この一か月で大洗、豊郷、秩父と歩いた。

三者三様の「聖地」の今をみて、
正直じつはいろいろなことを考えている。

なんというのか「聖地」のもつ温度差というか、
価値観の相違というかなんといいますか…。

このことについてはいろいろと今後書いていきたいと思います。


以上で〆。




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