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聖地巡礼についての雑感。その1 (長文です) [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

最近彦根と豊郷に行った。

彦根は彦根城、
豊郷は豊郷小学校旧校舎群をそれぞれ観に行った。

その後豊郷で「聖地サミット」に行き、
そこで基調講演を受けているときちょっとした疑問を感じた。

ここで最初にお断りしますが、
自分はコンテンツツーリズムとかコンテンツ史とか、
そういう難しいことは全然わからない人間です。
そんな素人が感じ考えたことという事で以下話は進みます。
ご了承ください。


彦根城と豊郷小学校旧校舎群を観に行くという行為。
これそのものはどちらも「観に行く」=「観光」であることに変わりない、
ではなぜ豊郷に行くそれは聖地巡礼とよばれ、
おとなり彦根に行くそれは観光になってしまうのか。

どちらも歴史的文化財であることは変わりがない。
もし違いがあるとすれば、
豊郷のそれに「けいおん」というアニメのそれが付加されているくらいだろう。

では「けいおん」を意識して豊郷に行く人のそれは聖地巡礼なのに、
それを意識せずただ豊郷の文化財を観に行こうという人の行為は、
聖地巡礼のアニメファンとやっている行為がほとんど変わらなくとも、
それを聖地巡礼とはよばないのだろうか。

ここのところが妙に気になってしまった。

このとき聖地巡礼というのは行動行為を単純にさすのではなく、
その人の動機と目的意識を含んだ包括的なものをさすものではないのかと、
当たり前のことが今になってやっとこのとき実感できた。

つまり同じ行為をしていても、
そこに「アニメ」のそれが付加されているかどうかで、
それが定義づけされるか否かが決まってくるということです。

ということは「聖地巡礼」は「観光」という巨大ジャンルの中で発生した、
「内面的」なものを基準とした観光内ジャンルということなのかなと、
このときふと思ったものでした。


ところでこれはじつに私的な感覚のもの言いなのですが、
「聖地巡礼」がかつての「アニメブーム」や「声優ブーム」のように、
明確な「ブーム」とよばれることなく、
自然発生的というか自然成長的な発展をとげたように、
じつは個人的に感じています。

これは前述した「聖地巡礼」が「観光」という大きなジャンルの中で発生したということと、
目に見える部分だけではなく、
内面的な付加が行動に加わるか否かというものがかかわっているため、
実感や実態が一般には前述したふたつのものより、
認識が明確になりづらかった部分が少なからずあるのではないかということです。

おそらく実際の聖地巡礼とよばれている行為は、
このことからこちらの想像する以前から、
けっこういろいろな場所で行われていたのかもしれません。

そして近年これらが明確になったように感じられたのは、
アニメが聖地にしている場所の特長が、
近年顕著になってきたことがあげられるのではないかということが、
ひとつあげられると思います。


それはふつうの観光の対象とは一味違う、
そんな場所が目だって登場してきたということです。


最近アニメで聖地とよばれている所をみると、
全体的にみてマイナーな所が選ばれている傾向があります。

例えば京都を舞台にした「有頂天家族」や「たまこマーケット」も、
京都の名所の中ではとびきり有名という場所ではない。

大洗だって茨城ではともかく全国的にはトップクラスというわけではない。

開拓されつくしたところよりも、
いろいろといじり甲斐のあるところ、
もしくは日常の雰囲気を色濃く残した景色が選ばれているということです。


つまりいろいろとアニメによって付加されたことにより、
訪問者がさらにいろいろと想像を付加できる余地があるような、
ある意味シンプルな場所、
もしくは「原石」のような要素が多い所が選ばれているといっていいでしょう。

北大の山村さんが「妄想にひたれる場所」と述べられたのは、
まさにその証明といっていいでしょう。

逆に言えばあまりにも開拓されつくしている所を聖地にすると、
一時的にはともかく長期に持続できづらい傾向にあるのは、
山村さんのいう「妄想にひたれる場所」ではないということなのかもしれません。

鎌倉や江ノ島が舞台になったアニメをここ数年よく目にするが、
一年以上その勢いがもった場所を自分はあまりみたことがない。

これもそんなあらわれなのかもしれません。


ただこれらの場所はアニメに頼らなくともやっていけるし、
むしろ手一杯になってそこまでかまってられないという、
そういう部分もあるように感じられたこともある。

これは冷たいともいえるが、
逆にいうと放送終了後の落ち込みによるダメージを受けないための、
しっかりとした計算もそこに働いているように感じられる。

その結果が一年経つとじつに綺麗に片付いてしまっているという、
そういうことに繋がっているのでしょう。

これはこれで長年観光地として培ってきたノウハウと、
熟練の勘所によるものなのかもしれません。

そしてこのことを思うと、
アニメ聖地の一部に番組終了後の対応が拙いというのも、
その聖地がそういうことに慣れていないということのあらわれであり、
だからこそアニメ聖地に選ばれたのかと、
妙な形で納得させられるものがありました。


ところで自分は聖地巡礼と声優に対するそれの基は同じと言う、
そういう考えがあります。

つまりともに仮想世界と現実世界との鎹(かすがい)となる部分にあたり、
そこを介し現実世界のファンが、
仮想世界のアニメを現実のものとして体感できるという、
そういう役割を担っているということです。

あまりいい例ではないかもしれないけど、
神様や仏様をアニメに例えるなら、
神社や寺院は聖地であり、
神官や僧侶は声優という、
そういう感じの立ち位置にあるといえるでしょう。

声優に必要以上の潔白や純潔性を求める傾向が一部にあるのは、
そういうところが作用しているのかもしれません。

また聖地がすでに観光地として盛大に色付けされてしまっているところより、
まだ手つかずの「無垢」な感じがより残っているところが選ばれているのも、
そういうことのあらわれなのかもしれません。

それだけに聖地の扱い方はシンプルに徹するのが吉というもの。

あくまでも自分達聖地のもつ素材を、
「粧う」ことなどせず「磨く」ことに心を砕くべきというところでしょうか。

神社や寺院におけるおみくじやお守りの売り方扱い方、
さらにはそのまわりの商店の趣や雰囲気づくり等などは、
これから聖地をつくる街のひとつの参考になるかもしれないし、
それを思うと鷲宮の成功がひとつの基本や雛型となり得たことや、
それが埼玉県全体に上手く横にフィードバックされたことは、
たんなる奇跡や偶然ではなく、
神社等のもつ特色による極めて自然な流れであったのかもしれません。

このあたりはすでに山村さんの論文でも触れられているようですが、
自分はそこにあえて声優のそれも少し付加し述べてみました。


あと聖地によっては、
アニメファン兼鉄道ファンの鉄道の部分や、
アニメファン兼歴史ファンの歴史の部分を呼び起こすような、
そんな他ジャンルとの邂逅にも繋がっていくようなものが、
その聖地にある場合もあります。

聖地となった受け手の中にはここの部分に期待し、
アニメ聖地としの鮮度がおちたとしても、
他のジャンルの「聖地」としてその価値を維持し、
地元の振興に役立てようと考えている部分があります。

これはアニメ聖地の受け手側がアニメばかりを意識しすぎ、
それにばかりに媚びてしまうことをせず、
特産品や街の名所旧跡等も紹介しているのは、
そういう部分のとっかかりを求め、
「聖地巡礼」という観光の一ジャンルだけではなく、
観光全体の受け皿に脱却するための、
ひとつの手順や段取りといっていいのかもしれません。

ただそうなるとそこはもう「聖地」ではなく、
色付けが盛大についた観光地になってしまうことのではないかと、
そう思われる方もいらっしゃると思います。

ただ最初にもいいましたが、
「聖地」は場所ではなくその人の動機と目的意識が無ければ成り立たない、
いわゆる内面的なものがそれを左右することを思うと、
それは「聖地」そのものがなくなるのではなく、
聖地と認識していたその土地の質的もしくは表面的変化によって、
その人の心の中から「聖地」という価値が消去されただけといっていいと思います。
(これは「アニメ」というジャンルだけでの性質ではもちろんありません。)

ここのところの聖地巡礼するものと聖地側の受け手のものとの微妙な感覚の問題が、
うまくコントロールされるか否かで、
聖地が長期に渡りその価値を巡礼者にもたせられるかどうかが分かれてくると思います。


とにかく聖地巡礼は自分探しの内面的な旅という要素ももった、
自分再発見のための棚卸の旅といえると思います。
(もっともただノリたいという動機もあるとは思います。)



ところで話は変わりますが、
人はある音楽を聴いた時素晴らしいとか面白くないと感じます。

この面白くないと感じた時、
その理由はいったいどこにあるのかと考えると、
自分と曲との価値観や感性、
それに人生哲学との差異によって生じる、
その曲に対しての否定的な感覚が投影され、
よって面白くないと感じられることがわかってきます。

つまりこの差異というか影こそが自分自身の姿の一部であり、
自分の感性や哲学を形成しているものの実態の断片なのですが、
聖地でも同じことで、
その場を訪ねる事により同じことが自分の内面に生じ、
音楽を聴いたときと同様な感覚を受けることがあると思います。

そんなとき「はてこの感覚はいったい何だろう」などと考えていくと、
そこに自分の「聖地」に対する感情、価値観、期待感、
「聖地とはこうあるべきものなのでは?」というもの、
そしてその「聖地」をつくる元となったアニメそのものに対する想いが、
個人個人にいろいろと湧き上がってくると思います。

特に音楽と同様、
気に入ったものより、気に入らなかったものとの邂逅の方が、
それをよく実感できるのではないかと思います。

そういう人間臭い自分自身への反応を思うと、
ほんとうに「聖地巡礼」というのは内面的なものなのだと思いますし、
山村さんの言う「自己の再認識」のそれなのだなあと思った次第です。

もっともこれは巡礼者だけでなく聖地側の人間も同じで、
地元の魅力や欠点を再認識再発見させられるのも、
つまるところそういう部分が大なんだろうなあという気もします。

「聖地巡礼」というのはそういう意味で、
観光と聖地巡礼との外面的な差異のようなものが、
地域や場所によっては最初あまり明確にみえないけれど、
時間が経つにつれ顕著化していく動きや数字的な結果、
そして自分の内面的な事柄や変化がかなりはっきりみえてくるという、
なかなか不可思議な「生き物」なんだなあと、
あらためて痛感させられた次第です。

このあたりはいろいろとすでに考察され書籍にもなっているようですが、
自分であらためてそのあたりも重複覚悟でいろいろと再構成した次第です。

このありたはまだいろいろと個人的に勉強していくことになると思います。

あとメーカー主導の聖地形成の是非とか、
一般住民と聖地はほんとうに共存できているのかとか。

このあたりもいずれは触れなければならないのかもしれません。

311で被害を受けた漁村におけるボランティアのそれをみせてもらったとき、
ボランティアの方々がおっしゃっていた苦悩と行き詰まり感をお聞きしてから、
特にこのあたりはひっかかるようになりました。

聖地巡礼にボランティア的なものを持ちこんだときの危険といっていいのでしょうか。

もしくはそういう気持ちから派生した傲慢な行為と親切の押し付けみたいな。


とにかくなかなかいろいろとあります。
まあこのあたりも山村さんがなんとかしてくれるでしょう。


…と最後はすべて山村さんに下駄を預けて〆。


(余談)

豊郷アニメサミット基調講演後初めて山村さんとお会いした。

印象として非常に情報処理に対する動体視力(的)の凄さと、
フットワークの軽さというものを感じた。

講演のときあれだけ話を硬軟とりまぜてテキパキ話され、
場内を飽きさせないのもそういうことからくるメリハリのつけと、
話の順序と構成の寸法の取り方が上手いからだろう。

90分も人を飽きさせないというのは正直至難の業だと思う。
沼辺信一さんのディアギレフと大田黒の講演とはまた違う見事さだった。

本当は後半の分科会も出たかったけど、

この基調講演を行った講堂がじつに寒かった。

途中から暖房が少し入ったものの時すでに遅く、
完全に風邪がぶり返してしまった。

このため昼の休憩時に退出し帰路につきました。

帰り河瀬駅までの徒歩、
暖かい日差しを背中いっぱいに長時間浴びつづけたことで、
その後大分回復したもののあれには正直まいりました。

それにしても豊郷の空はほんとうに広く高かったです。

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そういえば秩父、鷲宮、大洗、とみな空が広い。

アニメの聖地って空が広いこともけっこう大事な要素なんだなと、
この帰り道にひとつ感じました。

というか、
自分がいろいろと想いを繰り広げる事のできる伸びやかなスペース、
もしくは自分がしっかりと存在できる確実なスペース、
そういうものがしっかり寸法がはかられている場所、
そんなところもまた巡礼者の内面を開放し再認識できるという意味で、
聖地にとって大事な要素なのかもしれません。


以上です。


山村さん(山村高淑教授)のサイト
http://yamamuratakayoshi.com/

かなり話がとめどなくとっちらかってしまい、
分かりにくいところもあると思います。

そのあたりは自分の力不足ということでご容赦ください。

長文お付き合いいただきありがとうございました。
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金峰山 永林禅寺に行く。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

というところに行く。

京王線の京王堀之内駅から歩いてだいたい三十分の所。

江戸時代は中本寺格の寺院ったのこと。

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総門
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三門
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仏殿
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三重塔
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そこからの見晴らし
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そして仏殿の後ろにある柚木城址
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かなり壮観で見どころも多い寺院です。


で、何故行ったかといわれるとですね…、
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というこれらのシーン。

みてお分かりの方は「あれか!」と思われるかもしれませんね。

そうあの「ウルトラQ」の第一話「ゴメスを倒せ」にでてきたお寺です。

こんなに由緒正しい大寺院だったんですね。
かなりビックリです。

ただ
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は、ちょっとわからなかったです。

でも写真にはしっかりと写ってました。リトラとご対面です。
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あとあのトンネル工事の現場は分からなかったです。
もっともわかったとしてももう半世紀も前ですから、
さすがにその痕跡をみるのは難しいかもです。

アニメだけが聖地巡礼ではありません。


ただほんとうの巡礼でもありますので、
今回はかなり緊張&静寂を旨としました。


以上です。
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「アニメ探訪 聖地巡礼ガイド」購入と本屋さんの激減。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

「アニメ探訪 聖地巡礼ガイド」
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という本を買いに行った。

もっこれは日本各地にどのようなアニメ聖地があるかを、
いろいろと地域別に簡単に紹介していくもの。
昨年の12月に発売。

ただ250頁で150箇所を紹介しているものだけに、
ほとんどが概略どまりとなっている。

もっともこういう概略本があると、
聖地がどこにあるかということが一望でき、
しかも作品サイドより地域サイドからみていくような、
そんな楽しみ方もできることもあって、
なかなか個人的には興味津々な出来となっている。

けっこう家の近くにじつはみてないアニメの聖地があった…、
なんてこともこの本をみてるとけっこうあるかもしれません。


…ということでこの本を買ってきたのですが、
横浜へ出た時に購入する予定だったものの、
うっかり買い忘れてしまったため休みの日に別の所にある書店で購入。

ただ今回そのときつくづく身に染みたこと。
それは書店が激減しているということだ。

十年ほど前は自宅から五分以内のところに大小三つの書店があり、
また隣や少し先の駅の近くには、さらにあわせて大小四つの書店があった。

だが現在そのうちあるのが隣の駅前にある、
最も小さく最も古い書店があるだけだ。

つまりここ十年で六店が閉店してしまったのだ。
しかも新規出店はもちろん無し。

そういえばかつて自分が勤務していた川崎に、
四つの店舗をもった地元のチェーン店があったものの、
やはり十年ほど前にすべて閉店してしまいました。

渋谷でかつて本のデパートと自称していた、
かの大盛堂書店も一時閉店、
その後縮小して再開したものの、
こちらもなかなかたいへんなようです。

CDショップもネット配信や通販等により、
こちらもジリジリと減少しているが、
書店のそれは若者の文字離れもあってか、
より深刻の度合いがきついようです。

自分なんかは旅に行くときは音楽聴きながら、
本をのんびり読んでいくということをするため、
書店のこの状況はかなり悲しいものがあります。

昨年末の大洗大晦日の旅の時は、
コミケ最終日に購入した本があったのであれでしたが、
もしあのときいい本が無かったらと思うと、
ちょっと…というものがあります。

なんか世の中便利になっていくにつれ、
どんどん不便になっていく部分を強く個人的に感じるのは、
ただたんに自分が古いタイプの生き残りのためかもしれません。

因みに今回この本を購入するため、
結局往復二時間半の歩きを要してしまいました。

大晦日に水戸から大洗まで歩いた距離とほぼ同じ。

自分が水戸から大洗までしょっちゅう歩くいているのは、
こういうことが積み重なっての慣れからくるものなのかもしれません。

いいんだか悪いんだか…です。
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秩父に行く [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

で有名となった街だ。
ここも「あの花」放送以前から行ってみたかったところ。

池袋から西武線に乗りひたすら終点へ。
途中飯能駅で列車の進行方向が逆になった。
小田急江ノ島線の藤沢駅でのそれと同じことがここでも行われていた。
飯能をでてしばらくすると周りの景色が一変した。
いきなり山また山の山中状態の景色となった。

どんどん山の表情が険しく高くなっていき、
森の様相も深くなっていくそれをみていて、
ちょっと上越線で高崎をすぎてから水上へ向かう景色を思い出した。
あたりまえのことだが
「秩父って山の中の市なんだなあ」
とあらためて思ったものだった。

ただ秩父という名前は正直に言えば、豊郷、鷲宮、大洗よりメジャーだし、
私鉄とはいえ特急の終点にもなっている駅があるところだから、
山中とはいえさぞかし賑やかで大きな街だろうと思って行ってみた。

たしかに大きく観光にも力を入れている街だというのはわかったが、
想像以上におちついている街だった。
それは街の中に札所がいくつもあることからみてもわかるとおり、
秩父三十四ヶ所観音霊場としても有名なところだからだろう。

ついた時間が早かったこともあり、意外とすごしやすい気温で、
日差しは強く感じたものの湿気はあまり感じられなかった。

西武秩父駅前から武甲山(だと思います)を臨む。
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西武秩父駅
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ここから御花畑駅の先を左折。
踏切横断後しばらく線路沿いを歩く。

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その後最初の十字路を右折。
以下この付近の様子です。

街にはこういうものがあちこちにありました。
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全体像はこういう感じです。
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秩父の市街地
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街路灯
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途中街の街路灯に「あの花」のフラッグがあちこちに飾られており、
ポスターも多少色あせたものもあるがこれまたあちこちでよくみかけた。

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おそらくこれは同県の鷲宮からノウハウをもらったものなのだろう。
これが茨城の大洗となるとこのあたりの様相が違っているのが面白い。
地域性なのか、それともかかわっている業者の関係なのだろうか。

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西武秩父から秩父神社までの行程。
①は線路の写真をとったところ。
市街地等の写真はそこからしばらく左に行った後、
神社に向かって北上する道で撮影しています。

市街地を一路秩父神社に向う。

秩父神社
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朝の清掃をされている時間なので邪魔にならぬよう挨拶した後お参り。

途中、松竹秩父国際劇場という巨大な建築物があらわれる。

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※ちょうど本町と秩父駅入り口の交差点の中間あたり。②のあたりです。

じつに壮観な建築物でおもわず足をとめてしまった。
ここは昭和に閉館となりその後解体されるという話があったようだが、
幸いにしてその後再利用されることが決まり、
今年(2013)5月にイタリアン・レストランが開業したとか。
(イタリアンレストラン・トラゲット)

「あの花」本放送時にはまだ出店の話すらなかったはずなので、
これはファンにとっても目新しい風景のひとつとなっていることでしょう。
因みに時間が早すぎて自分は中に入れませんでした。残念。

その後本町の交差点を渡り299号沿いに北上。

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秩父駅入口交差点で左折。
その後最初の角を右折、あとはひたすら直進。

つきあたりを左折したあと、札所17番を目印にして右折、定林寺へ。
「あの花」で全員が集まっていた場所だ。

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ここでじつは分かりづらい場所がある。
「ナイスミドル」という台詞で有名なシーン。

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それがこの近くにあるがちょっとわかりづらいので図にしておきます。

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全体的にみると定林寺の少し先になります。③のあたりです。
因みに②は先ほどのレストランの位置。

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目印としては定林寺前にお地蔵さんがあり、
その手前にちよっとしたウォーキングコースの案内があります。
それに沿って左にいきます。地図でいうと以下のとおりです。

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しばらく歩くと変形十字路にあたりますが、
その右側に道路を挟んでちょっとした公園になってます。
右折するとすぐそこへ降りられます。赤いラインがその道です。
そして③のところがその部分となります。
鶴子がいたのも地図でいうとトンネルの上のその③のあたり。
二人がいたのがすぐそのトンネルをはさんで下ということです。

それにしてもいたるところの自販が「あの花」仕様になっている。
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このあとこの作品イメージとしてもっとも頻繁に登場した秩父橋へ。

途中にこんなものもありました。
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秩父橋が見える。
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ここは車道と歩道が分離していてその場所もちょっと離れている。

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橋の手前にはこんなものがかかってます。
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橋からみた下流
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そして上流
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③がさきほどの公園
④が秩父橋
⑤は全体行程図でふれます…。

ここで時間切れ。
ほんとうは川を渡り学校前の停留所から「龍勢会館」や
龍勢の打ち上げ場所に行く予定だったのですが、
ノロノロと歩いているうちにバスに間に合わなくなってしまいました。
しかも次のバスまで三時間。
歩いても二時間以上のしかも歩道のない道なのでこれは危ない。
バスには余裕でまにあうと甘くみつもった自分が馬鹿でした。

というわけで尻切れトンボでここまでです。
しかし十時をすぎると急にものすごく暑くなりました。
暑いとき体温を軽く超える猛暑になるということで、
その一端をうかがい知ることができました。

因みに今回歩いたコースの全体像。

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①が秩父神社
②が国際劇場の外観をそのまま使用したレストラン
③が定林寺
④が秩父橋
⑤が龍勢会館へ行くバスに乗るはずだった停留所の場所。先の地図の⑤もそれです。

文字通り「遠すぎた橋」でした…。

尚、龍勢関係のある場所は西武秩父駅からバスで45分ほどだそうで、
自分の乗ろうとした停留所からは25分ほどのところにあるそうです。

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①が秩父神社
②が定林寺
③が秩父橋
④が龍勢会館
⑤が龍勢打ち上げ所

それにしても秩父は落ち着いたいい場所です。
少し涼しくなったころなどはお勧めの観光スポットだと思います。
また機会があれば来てみたいところです。

(お詫び)
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
のタイトル間違えて書いてました。
ほんとうにすみません。
弁解の余地なしです。反省します。
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久しぶりに鷲宮へ行く。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

じつに四年ぶりに行った。

今日は天気もよく電車に乗る前富士山もみえた。
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横浜から快速で一時間ちょっとで久喜に。
その後伊勢崎線に乗りかえ一つ目の駅が鷲宮。
そこから歩いて十分もかからないで着く。

あいかわらず駅構内にはこれがあった。
前回の時とは絵柄が変わったような気がする。
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平日昼ということで閑散としていた。
ただ…
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↑がいたるところに設置してあった。
以前来たときはこういうものはなかったような気がする。

四年前はなんとなく巻き込まれてそのまま流されてやっていたように
なんとなくはたからみてて感じるところがあったが、
どうやらこの四年間で素材としてちゃんと利用し、
うま作品とく同居しているようだった。

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川沿いを前回と同じように歩く。
前回は菜の花畑状態だったが今はすっかり伐採されていた。
また四月には美しい菜の花の群生がみらるのだろうか。

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神社は前回と同じ佇まいだった。
変に媚びていないその姿勢がこの四年間貫かれていたのはうれしかった。

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神輿があった。
今年の初詣の参拝客があいかわらず多かったせいか、
なんかとても活き活きとしてみえた。

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やはり由緒ある社には森が必要だ。
川崎の稲毛神社も由緒ある社だが森が無くなってしまったことが痛い。
場所的にきついかもしれないがなんとか今からならないものだろうか。

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孔雀がいた。四年前と同じものかどうかは不明。

鷲宮神社
http://www.washinomiyajinja.or.jp/

今では何か「らきすた神社」みたいにいわれて
「ヲタク神社」みたいに思われいるかもしれないが、
じっさいは豊郷小学校以上にその気配は無い。
あれはあれ、これはこれという住み分けが、
神社、地元住民、ファン、の間でちゃんとできている。

じつにスマートだし、
ある意味理想的な「聖地」になっているといえるだろう。

これに比べると江ノ島などはもうかなり冷めているといっていいだろう。
年中観光客に事欠かない場所にとっては、
ひとつの一過性のお祭りに近い感覚なのかもしれない。

だけど鷲宮では「らきすた」はブームではなく日常として、
今日も鷲宮で住民と時を同じくしている。

最初は単なる町興しの手段だっただろうし、
眉をひそめる方もいたかもしれない。
だが今こうして鷲宮を四年ぶりに訪ねてみると、
それがこうして町の中に溶け込んでいる。

継続は力なりということかもしれないが、
アニメが終わりブームが去っても、
だからといってやめることなく、
作品のファンと同じく「らきすた」を大事に自然に保ち続けた。
その姿が今のこれとなっているのだろう。

最初は製作サイドや一部の関係者の炊きつけだっただろうが、
今はそれらが地元の人たちによって大事に守り続けられている。

鷲宮の人たちはついてるし幸せだなあと以前は思ったりもしたものですが、
むしろ幸せなのは「らきすた」の方だったのかもしれません。
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豊郷小学校に行く。その1。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

少し前の話で恐縮ですが、ちょっと関西に行く予定がありました。
で帰りの新幹線の中で急に思いたった、

「豊郷小学校に行きたい」

もう米原までそんなに時間がない時点での思いつき。
正直自殺行為だけれど行くルートは知っていたので躊躇なく行くことに決定。
思い立ったが吉日である。

だが現実には聞くと見るとは大違い。
まさに予想外の「けいおん道中」となってしまいました。

新幹線で米原で下車。問題はここから。

ここから豊郷小学校に行くには二つのルートがある。

ルート①は、
ここでJRを降り、近江鉄道に乗り換え豊郷駅まで行くルート。
ルート②は、
ここでJRの在来線に乗り換え、東海道線下りで河瀬駅へ行くというルート。

だがこのルート。どちらも問題を抱えている。

①は米原から豊郷までなんと三十分以上もかかるローカル私鉄で、
しかも片道520円と安くない。
割引券のようなものがあるらしいけど
午前中の時間限定販売ということですでにこの時間はアウト。
ただ駅から小学校までは十分少々の距離という利点がある。

②は米原から十分少々だが
ここから歩くとなんと四十分以上かかるとのこと。
タクシーがあれば1700円くらいで行けるらしいけど
はたしてあるかどうかはそこに行かなければわからない。
これは賭けだし、なければ歩き決定である。

結局自分は②を選らんだ。
タクシーの有る無しの確証無しだがはたして…。

結果は大はずれ。

結論からいうと河瀬駅にタクシーは無い。

たしかにタクシー乗り場はあるにはあるけど、
停留所に書いてある電話番号に電話して呼んでくれということが、
停留所に明記してあった。
http://www.ohmitetudo.co.jp/taxi/goyoumei.html
ためしにタクシーを呼んでみたが
10分たってもまるで来る気配が無い。
というより自分より早く電話している人の車すら来ていない。
ここで自分は腹をくくり徒歩に切り替えた。

幸い腰や膝の具合もいいし
大和から北鎌倉まで二時間半で歩いた実績もある。
文字どおり「人間は考える足である」作戦となった。

ここからは以前ヤフーであらかじめ検索していた地図を参考にした。

http://map.yahoo.co.jp/pl?fa=rs&ei=UTF-8&rsn0=%E6%B2%B3%E7%80%AC&lat0=35.224713333333&lon0=136.22513305556&rsn1=%E8%B1%8A%E9%83%B7%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%97%A7%E6%A0%A1%E8%88%8E%E7%BE%A4&lat1=35.2033814&lon1=136.2328822&datum=wgs

ただし最短コースは多少入り組んでいるので、
自分は安全策として多少は距離がでてしまうものの、
大きな道沿いに通るそれを選んだ。

まず駅から20号沿って南下最初の信号を左折、
そのまま8号に向かって直進
8号に出くわしたところで右折そのまま南下。

だがここは歩道が8号を渡った向こう側にしかないのに
かんじんの横断歩道がどこにも無い。
歩けど歩けどそれらしきものがない。
このため渡るのに一苦労、車が上下線とも切れた瞬間になんとか渡る。

しばらく南下すると左に「Rabbit」という看板がみえる。
ここで左折し「アキレス」の大きな敷地を左に見て直進。
ここまでですでに15分以上経過。

正直意外にかかっている。
だけど見通しがよくなんとなく雰囲気のいい風景が続いているので、
そんなに気持ち的には疲れを感じない。

ここでしばらく歩くと右に
「ニューファイナンス」と書かれたボロ(失礼)な小屋がみえる。
ここを右折し、しばらく行くと
新型?の信号と略して「SP」という会社の建物が交差点角にみえる。
ここを左折し542号沿いに直進し信号のある交差点まで歩く。
ここで中山道と合流、ここまで三十分。

そしてここを右折。
歩道がここも無いので歩くのに気を使う。
しばらく歩くが目的地がなかなか見えてこない。
道を一本間違えたかと思った瞬間、
いきなり左手にそれがあらわれた。

K1.jpg

豊郷小学校旧校舎群。
ここまでトータル35分。
40分かからなかったのでこれはよしとすべきだろう。

ようやくあえた豊崎小学校旧校舎。
だがそれをみたとき自分は数年前のあのある事件が頭をよぎった。

(下へ続く)
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豊郷小学校に行く。その2。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

豊郷小学校旧校舎群。

正面からみたそれはまさに「けいおん」そのもの。
だけど自分にはそれ以前のある事件がうかんできた。

豊郷小学校校舎改築問題がそれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E9%83%B7%E7%94%BA%E7%AB%8B%E8%B1%8A%E9%83%B7%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
(上記リンク先の「校舎改築問題」の項目を参照のこと)

このとき自分は文化的価値があるものを、
平然と踏みにじるような行為に自分は憤慨し、
現地まで行って反対運動に参加しようとしたものでした。

ですがその後いろいろと仕事の関係で行けず、
けっきょくその後問題が解決、行く予定もなくなったのですが
まさかあのときの現場が「けいおん」の舞台になっていたとは!

とにかく今こうしてその地に立ったことに自分は、
「けいおん」の聖地に来たという感慨と
「あのとき」行くことのできなかった悔恨の念のようなものが交錯し、
なんともいえない気持ちになったものでした。

とはいえ、それはそれこれはこれということで、
そぞろとその中へと入っていきました。

ドアは意外にも自動ドア。
そして当然ですが土足厳禁。
いちおう学校の校舎なので当然なんですよね。

というわけで靴をカバンにしまい
横のスリッパ置き場からスリッパを借りて中へ。

外はとても綺麗ですし
内外ともによく整備保存されてはいるものの
やはり中は随所に築七十年を越える老朽を感じ
その保存のむずかしさを感じさせられたものでしたが、
(じっさいこの日も校舎の一部を修繕していました)
随所にみられる気品のあるその重厚かつ優美なたたずまいは、
「これを壊そうとした奴はちと変なのでは?」
とあらためて思わせられるほどのものがありました。

K2.jpg

廊下の教室側の上に張り出された部分と
天井とのなんともいえないモダンで美しいコントラスト。
かつては暖房用のラジエーターがあり、
それで弁当をあたためることができ、
その場所の近くに水飲み場をつくったという、
今でも十分通用するとまでいわれたその心配りのあるつくり。

そして「けいおん」でもおなじみのうさぎとかめの階段。
何もかもが絵になる校舎でした。

そして三階。
ここに「けいおん」ファンの気持ちがつまった音楽室があるのですが、
音楽室は準備室(正式には会議室)となっており、
中にはファンの気持ちがつまったいろいろなものがありました。

そしてこの部屋の横に「唱歌室」というものがあるのですが、
ここが舞台がある音楽室で
みようによっては小さなライブハウスにもみえるつくりになっていました。

しかもさっきの準備室の右側奥の扉が、
そのまま「唱歌室」の舞台袖と直結しているという驚きのつくり。

なるほどこれならば準備室がそのまま楽屋となるというわけかと、
ほんとうに感心しきりでしたが、よく考えるとここは築70年以上の小学校。
こんなライブハウスみたいなつくりの音楽室が、
よく戦前のしかも地方の小学校にあったなと感動すらしてしまいました。

またこの準備室には懐かしい足踏みオルガンがありましたが、
その音を聴いたらなんか「けいおん」最終回で
二年生トリオが演奏していたドラムレストリオの演奏が浮かんできてしまいました。

この校舎以外では右にモダンなつくりの講堂。
(例のライヴをやった場所ですね。アニメよりモダンで重厚な気がしました。)
左には売店を兼ねた記念館がありますが、
いろいろみてると一時間くらいならあっという間にたつ場所でした。

それにしてもこの校舎。ほんとうに壊されなくてよかったです。
今ではもう「けいおん」の支えもありますので、
もうそういう心配もないでしょう。
ほんとうによかったです。

そしてここで学ぶことができた学生さん。
たしかにいろいろと不便はあったかもしれませが
それでも正直自分はうらやましいです。

これがほんとうの「学び舎」なのかもしれませんね。

余談ですが唱歌室で何人かのグループで来てた中の男性の方が、
隣接している現豊崎小学校のグランドで遊んでいる生徒たちをみながら、

「なんかまた変な人たちが来てると思ってるのかなあ。」

と一言。

心に痛い一言をこういうところで何気に言うなよな…。

(下に続く)
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豊郷小学校に行く。その3。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

こうしていよいよ帰路へ。

帰りはルート①で帰るため校舎をでてすぐ左折。
そのまま中山道を南下、
しばらくすると役所が左手にみえ、
それみながらさらにそのまま直進すると「丸善」の看板が右手にみえ、
そのすぐ先の道を左折するとつきあたりに豊郷駅なのですが…

なんと無人駅!

一日を通じて人がいるのが午前中の数時間なのだそうです。
そしてやってくる電車もこの平日午後のこの時間はワンマントレイン。
乗る乗車口も決まっていて、そこから乗車し整理券を車内の機械からとる。
そしてこの列車が1~2両編成というまさにローカル線。
(下の近江鉄道公式サイトを参照)
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/index.html

※ ここで一言いいたいが、 この地では常識かもしれないけれど この地以外の人の中にはワンマントレインの乗り方を知らない人ってけっこういるような気がする。 だからそのためにも乗り方をホームの中の屋根の下の壁などではなく、 駅入り口の料金表の横に貼るか 改札口の横に貼るなどした方がはるかに親切というものだろう。 遠くから来た人でわからない方はかなり迷うのではないだろうか。 できれば一考を要してほしい。

ただそうなると土日この電車時間によっては大混雑なのではと、
(平日のこの日もそこそこ来場者がありましたし…)
かなり心配になってしまいました。
じっさい「けいおん」にはJRを使ってほしいという声も聞いたことがあります。

正直、豊郷小学校はいいところだけれど、
この交通機関はなんとも厳しいものがあります。

もし可能ならば、
混雑が予想される土日の開館時間の時だけでも、
河瀬駅から旧校舎まで最短かつ安全な道がわかるように、
ポイントとなる場所に「けいおん」キャラの看板を、
道案内がわりにに立ててはくれないでしょうか。
全行程約三キロ半。
さわちゃん先生を入れれば全部で9人分-ほどあればいいので、
なんとかなるとは思うのですが…まあそうはいかないか。

とにかく短時間しか滞在できませんでしたが濃い内容の滞在でした。

因みにこの校舎の近くには「唯念寺」というお寺があり、
この豊郷小学校の初代校長先生は山中先生だったとか。

なんかいろいろと不思議な縁がこの学校と「けいおん」にはありそうです。

あと余談ですが、玄関の正面にある展示室には、
この学校の歴史を物語る貴重な展示品等があります。
興味のある方はぜひこちらもお立ち寄りください。

あと最後にお詫び。
一番下にリンクしてあるサイトに

>出来るだけ、交通量の少ない病院前の道を利用してください。

とありましたが、どの道をさしているのかわからす、
結果中山道を歩いてしまいました。すみませんでした。

以上です。

http://www.toyosato-elschool.net/
豊郷小学校公式サイト

http://www.toyosato-elschool.net/contribution/index.html
同上サイト内の寄付のおしらせ

http://bushitsu.blog47.fc2.com/blog-entry-22.html
今日の部室(けいおんの舞台 豊郷小学校旧校舎群)


K3.jpg

※豊郷小学校関係の写真はすべて公式サイトより許可を得て使用させていただいております。
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鷲宮神社雑感 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

鷲宮神社に行ってきました。
鷲宮神社が関東最古の大社であるということを知ったのは、
十年近く前と比較的遅く
神社仏閣巡りが趣味のひとつである自分としては
ぜひ一度行きたいと願っていたところでもありました。

当初はもっと早く行く予定だったのですが、
かの「らきすた」によって取り上げられ
ちょっとした「聖地」に祀り上げられた事で、
行くのをためらってしまっていたのです。

自分はアニメ好きですが
他のジャンルとの融合を率先している反面
各ジャンルそのものの尊重というものにも
かなり保守的ともいえる一面を持っています。

このため「らきすた」によって「らき宮」化してしまった。
そんなふうに感じられ、
さらにそれによって現地に
有形無形のご迷惑がかかっているのではないか、
ということがとても心配だったからです。

しかも今年初めに目にした雑誌には
「おちついて参拝もできない」という記事も目にし、
放送終了からかなり日にちが経っているのに、
まだこういう声があがっているのかということに、
さらに行く足が遠のいてしまったものでした。

ですが今年3月にTAFで行われたシンポジウムで
この鷲宮のことがとりあげられ、
そこでは現地とファンの間にとても幸せな関係が
自然かつ普段着なものとして築かれているということを聞き
ようやく出かける気になったものでした。

因みに鷲宮は自分の住む横浜から湘南新宿ラインを使用すると
横浜から久喜まで直通で約80分、
そこから東武線に乗り換え隣の鷲宮まで約5分とそれほど遠くはなく、
長時間収録のCD、
例えばブルックナーの交響曲第7番などを聴いていれば
聴き終わったらまもなく久喜に到着というくらいの距離にあります。

4月12日。
この日は天気もよかったこともあり、
格好の小旅行日和となりました。

鷲宮駅についてまず気がついたのは
それほど大きくない駅の
その改札に向かって右側に「らきすた」神輿があること。
たしかに目立つけど
じつにそこに自然に鎮座し収まっている。
これがある意味この町と「らきすた」の関係そのものなのかもしれません。
駅の改札を出ると
外に向かう出口の近くにある階段の側で、
アニメのシナリオライターをされているらしい方を含むグループを見かけた。
また鷲宮がらみでなにかあるのだろうか?
と考えながら一路鷲宮神社へ。

町は日曜の昼ということで鷲宮の駅前はじつに閑散としていた。
歩く人も駅から神社に向かう数人の人以外はじつにまばら。
これといった商店街があるわけではない。
素朴などこにでもある地方の駅前の風景、
これが「らきすた」が始まる前のこの町本来の空気なのでしょう。

途中川の手前で左折し川の土手沿いを歩く。
駅や神社でもみかけた桜の木々は葉桜になりかけていて
二日前の春季崇敬者大祭頃に行っていれば
おそらく満開の最後の頃だっただろうとちょっと残念だったけど、
この土手沿いの菜の花の大群生がじつに見事で、
その香りに包まれている感覚もまた心地よかったです。

十分ほど歩くと神社に。
側の駐車場にはいかにもという車が何台もみかけられ、
このあたりに「らきすた」以降が感じられたのですが、
このとき駅員の方々に神社の行く先を聞かれていた
年配のご婦人のグループがこれらの光景をみて、

「これ『らきすた』とかいう漫画のよね」
「あなた漫画好きだったけ」
「そうじゃないけどけっこう有名みたいだから」
「ああそうなの」

という感じの会話をされていた。
それだけの会話ですが、
それ以上でもそれ以下でもない。
あくまでもそれはそれこれはこれという雰囲気。
こういう気持ち的な住み分けが
一般の方にできているのがとてもうれしかったし、
こういうことにナーバスになっていた時分がちょっと恥ずかしかった。

神社の大鳥居をくぐるとまわりとの位置関係や立ち木等で
ここからは完全な「らきすた」抜きモードとなっていました。

じつに落ち着いた素朴な佇まいのその神社は
出雲大社ほどの大きさはないものの、
予想していたものよりはかなり規模が大きい。
(正直「大社」もしくは「神宮」と呼称されていてもおかしくない)
しかもその雰囲気をどことなく出雲と似たものでして、
おちついた中にも厳かさと大きさを兼ね備えたこの神社、
ぜひまた来てみたい神社のひとつとなりました。

ところでここで一番印象に残ったことのひとつに
大きな羽根を広げてお出迎えをしてくれた孔雀とともに
別棟に飾られていたお神輿があります。

このお神輿かなり重いらしく
長い期間神輿の担ぎ手不足で神輿が出せなかったのですが、
昭和の終わりにようやく担ぎ手が集まり出せるようになったという、
かなりの苦難の歴史があったとのことで、
このことは当時の鷲宮神社や鷲宮の町のそれも
おそらくいろいろとたいへんな時期が長期にわたってあったのでは?
ということが偲ばれたものでした。
それを思うと「らきすた」以降担ぎ手に心配もなく、
また町もそれなりに活気づいたことは
やはりこれはひとつの町おこしになったというべきなのでしょう。
(その住み分けと普段着によるお出迎えがうまくいっていることも
 もちろん特筆すべき事柄だと思います。)

帰り、行きと違い参道沿いに町の中を経由していくと
有名なお茶屋さんはともかく
それ以外にも「らきすた」関係の告知をしている店をみかけましたが、
その数は数軒とごく控えめ。
このあたりに放送終了からの月日を感じさせられてしまいますが、
それもまたごく自然に受け止め、
そして共存しているその姿に
この町が神社との長い歴史によって培ってきた、
「時の流れと過ごす」という姿勢を強く感じさせられたものでした。

次に鷲宮に出かけるときは賑やかなとき、
たとえば七月三十一日の夏越祭の時にぜひ行ってみたいと思います。

ただこの時期このあたりはおそろしく暑いですし、
午後はいつも大スコールがあるようなので、
行くのは午前中にしたいところです。
でもそれでも行きたいと思わせてくれたのですから、
それだけでも鷲宮の町おこしの究極の目的ともいえる
「顧客づくり」は成功していると言っていいのかもしれません。

それにしてもあのシンポジウム自分にとって本当に有意義でした。
あらためてパネリスト及び関係者の方々に深謝です。

以上です。
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「アニメにおけるロケツーリズムの可能性~聖地巡礼と観光資源~」雑感。 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

東京国際アニメフェア2009では
ビジネスデイにいくつかのシンポジウムが開かれるのですが、
その初日にあったシンポジウムのうち

「アニメにおけるロケツーリズムの可能性~聖地巡礼と観光資源~」

についてもう少しだけ…。

前のページにも書きましたが、
ここではいくつかのアニメの舞台になった実際の場所と、
放送後のファンと地元の方たちの交流と町おこしについて、
いくつかの実例をあげていろいろと検証されました。

「らきすた」の鷲宮のことと
「true tears」の富山県の城端。

アニメと地元の幸せな結びつきと「町おこし」の話等が、
じつにいろいろと語られたのですが、
こういうのって
ほんと地元の理解とファンの礼節、そして信頼というものが
じつに大事という気がしました。

それは下手をするとよそよそしさや
過ぎたるは及ばざるがごとしになってしまう危険性があります。
特に舞台となった地元は背伸びして
長屋にシャンデリアを飾るような無茶をしそうなところなのに、
上の二つにはそれがない。
普段着のまま作品のファンに接するというのは
けっこうむつかしいはずなのですが…。

これはお互いがお互いを認め尊重し
一歩踏み込まないと絶対不可能なことなのですが、
上の二例を今回見聞したところ
あまりそういうところを難渋した形跡がない。

もちろんこれにはしっかりとした旗振り役がいたからでしょうけど、
それ以上に大きかったのは
ファンが作品を
そして地元の方は自分たちの町を
とても広い視野を持ちながら愛しているからだろう。
もちろん作品が秀逸なものであることは言うまでもない。

自分も「true tears」でのむぎや祭のシーンをみたとき、
なんと風情のある美しく誌的な町なんだろうと思ったし、
本気で舞台となった城端まで行こうと思ったくらいでした。

一昔前まではアニメが町おこしに貢献するなどというのは
ちょっと考えもしないことでした。

ですが時代は変わり
アニメだからといって眉をひそめたりするというのは
もうかつての話のようです。
それはアニメで育ってきた方たちが大人になり、
いろいろな社会で活躍するような時代にさしかかったことと、
アニメそのものも一時ほど閉鎖的な印象がなく
ファンもより明るく、フットワークが軽く、
そして礼儀正しくなったこともあるでしょう。

ただしこれらは決して自然にそうなっただけでなく、
かつてコミケが幕張メッセから追い出されたことがあるように、
そうならないためにひとつの防御手段として培われたものが、
そのベースの一部にあることも忘れてはならないでしょう。

とにかくかつてのそれを思うと
ほんとうに時代が変わったという気がします。

ところでこういう聖地巡礼をみると
これってなんかかつての初期の声優さんブームを思わせるものがあります。
仮想世界における現実との実態のある接点。
それが声優さんであり聖地である。

そういえばこのサイトで「ハルヒ」使用のクラシック音源に触れた項目が
かつて48時間でアクセスが一万件を軽く超えたことがありました。
これなどもひとつの聖地巡礼なのかもしれません。

自分は前のページで、
「おそらくこれからもこういう実在の地方を舞台としたアニメが
いくつも製作されていくことでしょうが、
ぜひそれらが幸せな形で紡がれていくことを強く願うものです。」
と書きましたが、それを思うと
今後アニメと現実を結ぶものが
次々といろいろなジャンルから作品にとりこまれ、
それらがあらたな聖地を生んでいくということも
充分あると思います。
ただしそれらがあざといタイアップであれば、
たちまち背を向けられてしまうでしょうが…。

とにかくこれからのアニメにおける各種聖地巡礼。
はたしてどのような状況をこれから見せてくれるのかほんとうに楽しみです。

それにしてもほんと時代は変わった。

〆です。

※このシンポジウムで参考にされた文献等が記されているサイト。

◎アニメ聖地の成立とその展開に関する研究 : アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察  (著者: 山村高淑 )
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/35084

◎鷲宮町商工会
http://www.wasimiya.org/
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