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アメリカのオーケストラによる三種の「メサイア」 [クラシック百銘盤]

ヘンデルの「メサイア」というと、
今は小編成のピリオドによるものが主流で、
モダン楽器で演奏するそれはもはや時代遅れということで、
ほとんど顧みられていない。

ここではまだそういう正しい正しくないという、
そういことにとらわれなかった時代のものも含めた、
アメリカのメジャーオケによる「メサイア」をあげてみたいと思う。

歌唱はもちろんすべて英語版。


最初は当時38歳だった若きバーンスタインが、
1956年の大晦日に録音したもの。

メサイア0.jpg

アデーレ・アディソン(ソプラノ)
ラッセル・オバーリン(カウンターテノール)
デイヴィッド・ロイド(テノール)
ウィリアム・ウォーフィールド(バリトン)
ウェストミンスター合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック

というもので、
同曲初ステレオ録音というだけでなく、
バーンスタインがNYPOを指揮した初の商業用録音であり、
初のステレオ録音でもあるようです。

ただし手持ちのCDを聴くと「パストラール」のように、
一部音質がモノラルとなっているところもあります。


これはバーンスタインが1956年の12月にあった、
「メサイア」を連続して演奏した演奏会の後、
年もおしつまった大晦日に録音したもの。

当時NYPOはミトロプーロスの時代で、
バーンスタインはNYPOの音楽監督どころか、
まだ首席指揮者にもなっていなかった。

オケはミトロプーロス時代末期とはいえ、
なかなかしっかりとした演奏をしている。

合唱は上手いというより、
一生懸命心を込めて真摯に歌っているという感じで、
ひじょうにバーンスタインらしい演奏となっている。

だがこの演奏の最大の特長は、
この曲の構成だ。

使用しているのがプラウト編曲版ということで、
ただでさえカットが多いのだがそれだけではなく、
この三部構成のオラトリオをバーンスタインは、

第一部と第二部の後半をくっつけて
「クリスリス・セクション」

第ニ部の前半と第三部をくっつけて
「イースター・セクション」

と再構成し演奏している。

このため「クリスマス」では「ハレルヤ」で終わるため、
これはこれでなかなかいい雰囲気になっている。

またこれは「マタイ」でも感じた事だけど、
ストーリーテラーとしてのバーンスタインのそれも、
強く感じさせるものがある。

もともと「メサイア」は、
宗教音楽というよりは祝典劇場音楽みたいな所があり、
しかもやったもの勝ちみたいなところもあるので、
バーンスタインのこれなどは、
まさにそこの部分を衝いたものといえる。

またバーンスタインのそれはじつにロマンチックで、
情感豊かにたっぷりと歌い込んだり、
素晴らしく快適に運んだりと、
もう縦横無尽といった感さえある。

最後の「アーメンコーラス」など、
もう心躍り点に向かって駆け上がっていくような、
そんな爽快感さえ感じられる。

スキの無いすべてに行き届いた演奏とは対極の、
ある意味スキだらけの演奏だけど、
これは若き日のバーンスタインの、
ありったけの思いの丈を「メサイア」にぶつけた、
快心の演奏といえると思う。

この録音は1958年に発売になったが、
これは翌年がヘンデル没後200年にあたることから、
それにあわせての発売となっていたようです。

そういえばベイヌムの「水上の音楽」も、
1958年の録音ということなので、
同じ趣旨の録音だったのかも。

1950年のバッハ没後200年は、
まだ大戦が終わって五年ほどしか経っておらず、
ステレオ録音も登場してなかったこともあり、
1959年のこれは業界にとって、
ひとつのビッグイベントだったのかもしれません。



そんなバーンスタインの「メサイア」が発売された年に、
CBSはオーマンディとフィラデルフィアによって、
再度「メサイア」を録音します。

メサイア1.jpg

アイリーン・ファーレル (ソプラノ)
マーサ・リプトン (アルト)
デイヴィス・カニングハイム (テノール) 
ウィリアム・ワーフィールド (バリトン)
ギルバート・ジョンソン(トランペット)
リチャード・P・コンディモルモン指揮・タバナクル合唱団
フィラデルフィア管弦楽団
                      

1958年と1959年の3月とに分かれて録音されており、
これだとヘンデルの命日は間に合わないが、
これも一応200年の年にあわせて録音されたものだろう。

CBSがなぜ連続して「メサイア」を録音したかは不明だが、
ひょっとするとバーンスタインの二部構成ものなので、
オリジナルの三部構成ものも録音しようとしたのかもしれない。


ただこのオーマンディのものは確かに三部構成ではあるが、
第一部こそバーンスタインとほぼ同じ曲数を収録しているものの、
第二部と第三部はかなりカットしており、
全32曲104分というかんじになっている。

※因みにバーンスタインは全39曲で117分。

しかもそのうち18曲は第一部なのだから、
いかに残りがバッサリやられたかお分かりだろう。

第三部など四曲しかない。

ただそれでも演奏そのものは、
かなり大きな編成で賑やかな編曲ではあるものの、
それによって肥大したり、
喧騒に走るということもなく、
安定感と古典的ともいえる美しい造形と安定感、
それにバランスをもった演奏となっている。

雰囲気としてはバーンスタインのような劇場型ではなく、
むしろ声楽付き交響曲のような趣の演奏となっている。

またかなりフォルムにこだわったような演奏で、
第二部以降の大幅なカットは、
レコードの収録時間の関係だけということではなく、
オーマンディのフォルムに対する感覚からきた、
必要なカットだったのかもしれない。


この演奏のもうひとつの聴きものは、
やはりフィラデルフィアの演奏だろう。

この録音当時フィラデルフィアは、
全米ナンバーワンと言われていたほどのスーパーオケで、
多くの名手が揃っていたという。

弦の響きひとつひとつとっても絶品ものだし、
ときおり聴かれる管楽器もじつに華やかではあるが、
それでいてどこか落ち着いた響きで統一されていて、
聴いていて心が洗われるよう。

そして「The trumpet shall sound」における。
名手ギルバート・ジョンソンのそれがまた素晴らしい。

決して華美になったり派手になったりせず、
それでいてオケと絶妙にブレンドされた、
温かな光にみちた見事なソロを聴かせてくれている。

因みにバーンスタインはここの部分三部構成の最初第一部しかないが、
ここでは三部すべてが演奏されている。

ここが名手の聴かせどころということで、
しっかりとコンプリートで演奏したのかも。

輝かしい演奏ではあるが表情に強く抑制をきかせてはいるため。
器楽的傾向の強い演奏と聴こえるかもしれないが、
音楽そのものはしっかりと歌い込まれているし、
音のキレもしっかりとしていて、
ダラダラと惰性で音楽が進むことがない。

1950年代全米最高の、
というより当時世界最高のオーケストラによるヘンデルということで、
これまたいろいろと聴きどころのある演奏となっています。



この約四半世紀後、
今度はヘンデルの生誕300年が近づいてきた。

そしてそれに合わせて録音されたもののひとつがこれ。

メサイア2.jpg

キリ・テ・カナワ(ソプラノ)
アンヌ・イェヴァング(アルト)
キース・ルイス(テノール)
グウィン・ハウエル(バス)
アドルフ・ハーセス (トランぺット)
マーガレット・ヒリス指揮シカゴ交響楽団合唱団
シカゴ交響楽団

指揮はもちろんゲオルグ・ショルティ。

1984年の録音。

この録音時、ショルティはスコア選定等を含め、
クリストファー・ホグウッドに助言を求めている。

彼としてはこのセッションに、
より万全をもってのぞみたかったのだろう。

使用版はトービン校訂版。

先の二人の使用している版よりはるかにオーソドックスだが、
これはショルティのオリジナル版志向に沿ったものといえるかも。

※しかしヘンデルのこの許の版の問題はとても複雑。ブルックナーどころのさわぎではないくらいです。

オケの編成もそれに準じており、
十二型の弦編成に、
オーボエとバスーンが各二名。
ブラス三名とティンパニーとチェンバロで、
計49名のオケと約100名の合唱団というもの。

因みにこの100名はオケとのバランスだけではなく、
シカゴ響合唱団の中のプロメンバーの人数なのだそうで、
メンバーを精鋭に絞り込んでのそれだとか。

そんなメンバーでのぞんだこの演奏。


とにかく演奏が小気味いい。

ショルティというと、
いつも剛腕の分回しみたいにいわれているが、
こういう小回りを要求される曲でも、
ショルティは驚く程の適正を発揮する。

やってることはいつものショルティだけど、
編成を刈り込んでいるせいか、
とても軽快でさわやかな感じさえする。

またその持ち前の古典的演奏スタイルのせいか
印象が現代のピリオド系に近いものがあり、
古臭さや仰々しさも感じさせない。

もっともオケの基礎体力が半場ではないので、
そのパワーは現代の室内オケとは桁外れで、
随所にフルオケ並みの迫力を聴かせている。

とにかくなんともストレートなヘンデルだ。


ただ面白いのはオケや合唱に比べ、
ソリストの四人はむしろ歌謡的で、
まるでオペラのような感じさえする。

ショルティはこのことにより、
宗教音楽と世俗音楽の合体ともいえる「メサイア」の、
その二つの面を同時に描こうとしていたのかもしれない。

おそらくショルティはどちらかひとつに重心をかけることを、
この曲では良しとしなかったのだろう。

ただこういうやり方はショルティだけではなく、
ピリオドでもたまに耳にするやり方だが、
ショルティのそれはシカゴというデカいキャンパスでやったため、
余計その対比が目立つことになったように感じる。

とにかく指揮者の個性とオケの凄さがあらわれた、
これまた素晴らしいメサイアだが、
中でも使っている版のため登場場面は少ないが、
あのハーセスが参加した曲はどれもが聴きものだ。

特に「The trumpet shall sound」は絶品。

先のジョンソンがオケと絶妙にブレンドされた音を出していたが、
ハーセスはオケの中から輝かしい一筋の光が立ち上るかのようで、
ヘンデルがもしこれを聴いたら、
随喜の涙を流したのではないかと思われる程だ。

当時63歳のハーセスによるこれは本当に見事な演奏です。


以上アメリカのオケで演奏された、
三種類の「メサイア」を紹介したけど、
正直このどれもが日本での評価はひじょうに低い。

特に最初の二つは現在の価値観からみると、
はなはだ異端かもしれない。

ただ自分は「メサイア」では、
こういうのもいいのではないかという気がするし、
むしろこれらの演奏によって、
かえってヘンデルの強かさというえ、
「メサイア」という曲の懐の深さというものを、
強く感じさせられてしまう。


「メサイア」が現在でも多くの人に歌われ演奏され、
そして聴き継がれているのは、
そんなところにも大きな理由があるのかもしれません。


ヘンデルは自分たちが考えている以上に、
途方もない天才であり怪物だったのかも。



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ドラティとコンセルトヘボウの「くるみ割り人形」。 [クラシック百銘盤]

アンタル・ドラティというと、
バルトークやストラヴィスキーや、
ドヴォルザーク、スメタナ、
といったところが浮かんでくる人が多いが、
チャイコフスキーも同じように、
ドラティとして定番のレパートリーだった。


そんなドラティが69才の時に、
オランダの名門、
ロイヤル・コンセルトヘボウを指揮して録音した、
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」全曲がある。

MI0000975191.jpg

これがじつはたいへんな名演。

演奏は1975年に録音されたもので、
内容としては、

1975年6月30日-7月5日 アムステルダムのコンセルトヘボウでの録音。

共演として、
ヤン・ヴァルケステイン指揮
ハールレム聖バーフォ大聖堂少年合唱団。

と、なっている。

コンセルトヘボウはこの前年、
ハイティンクとチャイコフスキーの交響曲第5番を録音、
さらに前後して他の交響曲もいろいろと録音しており、
チャイコフスキーの録音が目立った時期でもある。

そんな中で録音されたこのチャイコフスキー。

録音はアナログながら当時としてはかなり良好で、
聴きやすくしかもそこそこレンジも大きく、
コンセルトヘボウののオケの素晴らしさも、
あますところなく録らえている。


だがそれ以上に素晴らしいのはドラティの指揮。

ドラティの指揮は音に力が十分に込められていて、
緊張感が途切れることがない。

また音楽の懐が大きく、
間の取り方がうまく安定感があるため、
音楽が小さく感じられることもない。

そういう意味ではクナッパーツフッシュ指揮の、
「くるみ割り」の組曲と相通じるものがあるが、
こちらの方がキレがあり、
尚且つパンチが効いている。

また音楽の流動観がすばらしく、
気付いたら
「もうここまで曲が来ている」
という事がしょっちゅうだ。


これにはドラティの力だけでなく、
コンセルトヘボウのオケの力もある。

その地力もそうだけど音の美しさが半端ではない。

チャイコフスキーの録音が伝統的に活発なオケだけど、
ことバレエの全曲となると経験はほとんどなく、
全曲録音もおそらくこれが初めてではないかと思われる。

※ハイライトなら名銀の誉も高いフィストラーリとの「白鳥の湖」がありましたが…。


にもかかわらず、
もう随所で聴き惚れてしまうほどの、
じつに瑞々しい音がそこには横溢している。

さすがコンセルトヘボウといったところだし、
ドラティの力量もこの点さらに評価されるべきだと思う。


演奏時間は全体で83分ほどだが、
上記のように聴きどころが多く、
美音が溢れかえる程なのに決して甘口ではなく、
むしろ辛口でありながら聴かせ上手であるためか、
正直自分にとってはいつもあっという間という感じだ。


これはドラティにとっても、
コンセルトヘボウにとっても快心の名演といえるだろう。

その後このコンビは1979年から1981年にかけて、
今度は「眠れる森の美女」全曲を録音している。

全体で2時間半を超す長丁場だけど、
こちらもじつに見事な演奏を同様に展開している。


尚、ドラティの「くるみ割り」のLPが日本で初発売された時、
当時の国内盤における「くるみ」の全曲盤というと、

アンセルメ、プレヴィン、ボニング、ロジェストヴェンスキー

といったところが発売されていたが、
オケも録音もこの盤が図抜けていたにもかかわらず、
何故か上記四点よりも評判になったという記憶がない。

確かに雑誌の評価は高かったが、
ドラティの当時の日本での評価がいまいちだったことも、
そこにはあるかもしれない。


ドラティが評価されたのは、
デッカとの録音がいろいろと話題となったことや、
1981年に読売日響客演の為の来日、
そしてコンセルトヘボウとのバルトークが出て、
その名前があらためて知らしめられた頃だろうか。

これほどドラティのそれが遅かったのは、
彼がマーキュリー時代に名前が出始めた頃、
彼の招聘の話が東響であったものの、
度重なる交渉のゴタゴタでけっきょくドタキャンとなったことで、
他の日本のオケがブラックリストに載せてしまったことと、
その後1963年のロンドン響との来日公演が、
本人の体調不良もあっていまひとつの日があったりして、
その評価が良くなかった事が尾を引き、
しかもその後ドラティの録音そのものが目立たなくなったため、
このような事が起きたのだろう。


そんな中でのこの「くるみ」の発売なので、
いささかしかたない部分はあるかもしれない。

自分も当時はやはりドラティに強い印象は無く、
この「くるみ」のLPは購入リストにはあったものの、
ついに購入することはなく、
CDとして手に入れたのはドラティ没後から、
さらに十年以上も後の事になる。

このため前出した貴重な来日公演、
結果的にも聴き逃すことになってしまった

じつに情けない話です。


そんな事もちょっと聴く度に思い起こさせる、
この名盤「くるみ割り人形」。

今はそういうこともありけっこう大事に聴いています。


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ドヴォルザークの四つの交響曲全集 [クラシック百銘盤]

ドヴォルザークの交響曲ほど、
その人気のばらつきと格差がある人も珍しい。

チェコの名指揮者トゥルノフスキーも、
このあたりのことをかつて指摘していたことがある。

そのせいかドヴォルザークの交響曲を複数録音した、
そのほとんどの人が、
9番「新世界より」と8番、
そして7番といったところのみの録音となっている。

特にチェコ以外の指揮者にそれが顕著で、
セル、オーマンディ、シルヴェストリ、バルビローリ、
そしてジュリーニ、デービスのコンセルトヘボウとの共演等々、
バーンスタインも9番と7番を録音している。

このように6番より前は全集にでもならないかぎり、
録音されるということはなかなかない。

だが1960年代半ばになると、
突然その全集が次々と発売されることとなった。

まずイシュトヴァン・ケルテスがデッカに録音をはじめる。
オケはロンドン交響楽団。

dvos.jpg

1961年ウィーンフィルと9番を録音していこともあり、
1963年にその次に人気のある8番から全集録音を開始、
1964年ロンドン響と来日した年に7番、
1965年に5番と6番、
そして1966年に残り四曲と9番の再録音となる。

ところがここでちょっと面白い事がおきる。

同じロンドン響を今度はフィリップスが、
ヴィルド・ロヴィツキの指揮で全集録音を開始した。

DVOSYM.jpg

1965年に6番。
1967年に5番
1969年に8番と9番、
1970年に1番、2番、4番、8番、
1971年に3番、7番。

ロンドン響はなんと1965年に、
交響曲第6番を二人の指揮者で録音することになってしまった。

これは一悶着おきたような気がする。

なにしろデッカが全集の録音をはじめた三年目に、
いきなり同じオケを違う指揮者で、
フィリップスが同じ全集の録音を開始するというのだから、
これは穏やかな話ではない。

結果的にフィリップスが譲歩するような形となり、
ケルテスの全集録音終了後に
第二弾の5番を録音するという、
全集企画としてはスローなペースに一時なったが、
1968年にケルテスがロンドンを去ったことで状況が一変、
翌1969年初頭に8番9番という人気曲を立て続けに録音、
その後1971年にかけて一気に残り5曲を録音した。


時同じくドイツ・グラモフォンが、
当時グラモフォンの四人の看板指揮者のひとり、
(ベーム、ヨッフム、カラヤン、クーベリック)
ラファエル・クーベリック指揮、
ベルリンフィルによる録音を開始する。

51MenQoaQLL.jpg

こちらも滑り出しに、
1966年に8番を録音する。

これは1964年にカラヤンがベルリンフィルと
「新世界」を録音したことが影響していたのかも。

ただ次が1971年まで開いてしまう。

このことから当初は全集を意図しておらず、
この8番の出来がよすぎた事から、
急遽全集にする事を決めたのか、
それとも何らかの理由で、
一曲のみでストップせざるを得なかったかは分からないが、
どちらにせよベルリンの御大カラヤンにいろいろとお伺いをたて、
続きが1971年からの録音とあいなったような気がする。

ただ決まれば仕事は早い。

1971年に7番、
1972年に2番から6番と9番、
1973年に1番。

因みにベルリンとの「英雄」は1971年に録音されており、
この時期を最後にクーベリックとベルリンフィルの組み合わせによる、、
グラモフォンにおける録音はすべて終了となる。

またカラヤンもこれ以降、
ベルリンとグラモフォンにドヴォルザークは録音せず、
ベルリンフィルとはEMIに、
そしグラモフォンへはウィーンフィルとの録音という事になる。


この動きに黙っていられなくなったのが、
ドヴォルザークの故郷チェコのスプラフォン。

チェコ・フィルハーモニーを当時のトップ、
ヴァーツラフ・ノイマンの指揮で録音を開始。

98707.jpg

1971年に8番、
1972年に5番から7番と9番
1973年に1番から4番と、
約一年三か月で一気に録音を完了、
1973年の9月に全集が日本で発売になり、
その年のレコードアカデミー賞の、
交響曲部門を獲得した。

同年に完了したクーベリックの全集は、
12月に登場したため賞を獲るには遅かったというところか。

因みに翌年の交響曲部門は、
ベーム指揮ウィーンフイルによるブルックナーの4番。


しかしみな8番を早い時期に録音をしている。
1977年から録音を開始した、
スイトナーもやはり8番は早かった。
このあたりはちょっと面白い。


演奏はみなそれぞれの指揮者やオケの特長が出た、
どれも聴き応えのある演奏。

自分はこれらの中で、
ケルテス、クーベリック、ノイマンをよく聴き、
そしてそれがひとつの刷り込みになっていった。
ロヴィツキはそれらよりも聴いたのは少しあと。


ケルテスはとにかく熱い。
どの曲も只事ではないくらい、
血の通いきった思いの丈が詰まった演奏となっている。

ケルテスのドヴォルザークというと、
ウィーンフィルとの新世界ばかり有名だけど、
このロンドン響との全集もじつに素晴らしい。

当時まだ三十代だったケルテスの、
これが初めての交響曲全集。

ロンドン交響楽団とはこの録音の最中、
首席指揮者に就任するという、
最高の蜜月状態を迎えていただけに、
その演奏のモチベーションの高さが半端ではない。

もしこの組み合わせが十年続いたら、
イギリスのそれも、
かなり状況が変わっていたのではないだろうかというくらい、
素晴らしい出来となっている。


余談ですが、
6番はこの演奏で開眼させてもらい大好きな曲となったが、
未だ実演に接していないという体たらく。

情けない限りです。


クーベリックは初期の曲の場合、
ベルリンフィルそのものが持つ大きな器が、
ちと曲に対して小回りが利かないよう所が散見し、
いまひとつ好きになれなかったけど、
3番以降は文句なく見事な演奏となっている。

こちらはケルテスとはまた違った、
やや乾いた響きの中から、
強い意志の塊のような音楽が鳴り響く、
これまた熱い演奏だった。

この全集が日本で発売されてから一年半ほど後、
クーベリックはバイエルン放送と再来日し、
ドヴォルザークの8番を演奏していったが、
これもまた素晴らしく気合の入った演奏だった。

この来日時、
クーベリックは偶然東京にいたムラヴィンスキーと再開、
後日ムラヴィンスキーから公演の成功を祝った祝電が送られてきた。

尚このときの演奏はバイエルン放送に保管されており、
一時CD化の話があったものの、
その後途絶えてしまったのはじつに残念。

現在は会場変更などで当初ゴタゴタがあった、
東京文化会館でのマーラーの9番のみがCD化されている。


ノイマンはこれらに比べるともう少し落ち着いた、
ある意味オケの良さに音楽をまかせた部分が多く、
またそれがかなりいい方に働いているが、
それでも活気溢れる、
見事な音楽の流れを感じさせる名演が揃っている。

それにしてもこの時期のチェコフィルの響きは絶品で、
アンチェル時代後期を支えた名手たちが健在だったこともあり、
管も弦も水が滴るような素晴らしさを誇っている。

この全集の出た翌年の5月に、
ノイマンとチェコフィルも来日したが、
初日のNHKホールでのTVで中継されたそれは、
長旅の疲れとなれない大ホールでの演奏ということで、
あまり本調子とはいえない「新世界」を演奏していたが、
その後しだいに本来の調子を取り戻し、
最後の頃はFM東京により実現した
「わが祖国」全曲の演奏会におけるそれのように、
じつに素晴らしい演奏を行っていった。


これら三つで、
だいたいドヴォルザークの全集のイメージができてしまった自分に、
少し遅れて聴くことになったロヴィツキのそれはかなり新鮮だった。

その音楽のキレというか叩き込みが凄い。

タイプとしてはケルテスに近いかもしれないが、
例えはあまりよくないけど、
チェコフィルとプラハ響のドヴォルザークの違いみたいな、
そんな感じがこの二つには感じられた。

熱い演奏だけどケルテスの思いの丈の歌心というより、
音楽の芯に向かって切り込み詰めていくような、
そんな感じの演奏となっている。

特に木管の表情と弦のピッツィカートのそれが、
他の演奏にはない絶妙な表情をみせており、
これだけでもとても新鮮に聴こえたものだった。

また初期の若書きの二曲が、
これほど充実して聴こえたのは稀というべきで、
そういう意味でもロヴィツキの感覚の鋭さが活きた、
とても素晴らしい全集という気がする。

オケがケルテスからプレヴィンの時代へと移行する、
そういう時期とも重なっているが、
オケの状態にほとんど差が無いのも、
指揮者の力量によるところが大きいと思う。


因みにロヴィツキもワルシャワフィルとともに、
この全集が完結した二年後の1973年の5月に来日しているが、
同時期に急遽初来日したムラヴィンスキーに話題を取られたのは、
些かついておらず可哀そうだった。

ドヴォルザークは演奏されていないが、
ブラームス等の演奏はかなり好評を博したとか。


自分にとってこの四つのドヴォルザークの全集は、
そういう意味込みで、
ドヴォルザークの交響曲云々というだけでなく、
音楽をいろいろと積極的に聴き始めた自分に、
強い影響を与えてくれたものとなっていった。


今でもこれらはCDとなって、
比較的容易に聴く事が可能なのはじつに幸いで、
さすがに最新録音と同じというわけにはいかないものの、
当時としては良好な音質として聴くことができる。


日本にドヴォルザークの交響曲全曲が、
どんなかんじて音として入ってきたかという事に、
ちょっとでも興味のある方は、
ケルテス、クーベリック、ノイマン、
そしてロヴィツキの演奏をぜひ一度お聴きになってみてください。


以上で〆

※当初の内容に手を加えタイトルも変更しました。やはり聴いた時期が少しズレてるとはいえ、ロヴィツキを外したままというのはちょっと片手落ちという気がしましたので。

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忘れられた二つの交響曲。 [クラシック百銘盤]

ということで今回は、
かつてはよく知られた曲だったのに、
今はまったくといっていいほど知られなくなった曲のことを。


最初はルイーズ・ファランク(1804-1875)の、
交響曲第3番 ト短調 Op. 36。


フランスの女流作曲家で、
パリ音楽院のピアノ教授となったが冷遇されたものの、
後に自らの力で正規の待遇を勝ち取ったという。

この交響曲第3番は初演後から高く評価され、
彼女の教授の地位も向上させる要因になったという。

だがこのシューマンやメンデルスゾーンを想起させるような、
ロマン派のそれと古典派の良さも兼ね備えた作品も、
彼女の死後急速に忘れられてしまったという。


同じ女流作曲家でもクララ・シューマンや、
ファニー・メンデルスゾーンに比べると、
現在でもその名はほとんど知られていないが、
彼女がもし有名な大作曲家の身内だったら、
おそらく今でもその曲とともに知られていただろう。

https://www.youtube.com/watch?v=4ZeYHeXnNdo&t=1412s

それにしてもとても聴きやすく、
そしてしっかりとした聴き応えもある曲だ。

どうしてこの曲が演奏されなくなったのか、
こちらがその理由を聴きたいくらいだが、
やはり作曲家が忘れられてしまったのが最大の原因だろう。

じつに残念なことだ。



もうひとつはチャールズ・スタンフォード(1852-1924)の、
交響曲第3番ヘ短調 op.28「アイリッシュ」

エルガー以前、
サリバンやパリ―と並んで、
イギリス作曲界に大きな足跡を残した、
ブラームスを深く敬愛した作曲家だが、
この人もやはり生前に比べるとかなり知名度は低い。


この交響曲第3番は1887年に初演されてから好評で、
ビューローによりハンブルグやベルリンで演奏し評価されたり、
マーラーにも取り上げられ指揮されたという。

さらには1888年のコンセルトヘボウ管弦楽団の初コンサートで、
ベートーヴェンの「献堂式」序曲
ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」
ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲
サン=サーンスの交響詩「フェントン」
以上の四曲と一緒にウィレム・ケスの指揮で演奏されている。

前年作曲されたばかりの曲に、
いきなりこの大役を任したのだから、
いかに当時この曲が高く評価されていたかを知る事ができるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=sJ71SCI6ua0&t=688s

だがこの曲も演奏される機会が今は激減している。

作曲者がやはり死後忘れられたのが原因だろうが、
最初に書いたファランクの曲ともども、
一度は実演で聴いてみたい曲です。


ただ幸いにして、
今は昔と違い優秀な録音の音盤があるので、
完全に忘れられるということはないだろう。


いつかはこれらの曲を耳にし興味を持った指揮者が、
この曲を日本で指揮してくれることを願いたい。




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ワルターのブルックナーの9番 (書き足し) [クラシック百銘盤]

b9.png

今から10年前、
ブルーノ・ワルターが1959年の11月に録音した、
コロンビア交響楽団とのブルックナーの9番について、
いろいろと思うところを書きなぐったことがある。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2007-06-23-1

今それを読みながら、
同じ年の2月にコロンビア交響楽団を指揮した、
ブラームスの4番とシューベルトのグレートを聴き比べしながら、
この演奏を聴いた。


はっきりいって別団体といっていいほどオケの力が違う。

オケの基本的な厚さと音の密度、
そしてその落ち着いた響き、
ときおりいつものコロンビア響が聴かせる、
弦や金管の高音域の安っぽい音もここでは聴かれない。


同じホールで同じジョン・マックルーアの制作だから、
条件もほぼ同じでこれというのはやはり違いすぎる。

しかも以前に書いたとおり、
練習日程もこちらの方がかなり短い。


やはりこれはロサンゼルス・フィルハーモニーの演奏だろう。


この時期の同オケはちょうど音楽監督が不在だつた。

それは同年四月に当時の音楽監督ベイヌムが急逝してしまったためだ。

もっともベイヌムはこの年の6月には退任する予定だったようで、
いずれにせよこの時期は監督不在ではあったらしい。

ただこの当時のロサンゼルスフィルはたいへん状態がよく、
のちにメータが着任し一世を風靡した時期でさえ、
ベイヌム時代を高く評価する声が聴かれたというのだから、
それはかなりのものだったのだろう。

またこの当時は名コンマス、
デヴィッド・ フリシナも活躍していたのだから猶更だ。


確かにときおりアンサンブルが綻びる瞬間もあるが、
これがいつものコロンビア響なら一気にバラけて録り直しになるところだけど、
ここでは音の中核ががっしり座っているため、
そういうこともなく気迫でのりきっている。


また弦の響きも後のメータ時代のロスフィルのような音質感があり、
これもいつものコロンビア響と違う雰囲気となっている。


それ以上にいつものコロンヒア響よりも音がくすんでいるのも、
この演奏に聴かれる特長で、
このあたりちょっとベイヌムが指揮したロンドンフィルのそれを、
なんとなくだけど思わせるものがある。


そんなオケを指揮してのワルターだから、
当然悪かろうはずがない。


しかも数日前にはコンサートにかけて一度は仕上げているのだから、
いつものように一からつくる必要もない。

後にワルターはこの録音をひじょうに気に入っていたらしく、
自らのベスト録音のひとつにあげていたとのこと。

当然だろうという気がした。


この緊張感、音の張り、密度と充実感、
これほどのステレオ録音のワルターはそうそう聴けるものではない。

尚、Bruno Walter Home Page、によると、
この録音の三日前と四日前にロサンゼルスフィルは、
ブルックナーの9番を演奏しているが、
前半にはブラームスの悲劇的序曲とモーツァルトの38番も演奏している。

そしてこの二曲もブルックナーの翌月に38番、
そしてその翌月に悲劇的序曲がコロンビア響とともに録音されている。


これらもかなり見事な演奏だけど、
ただこちらはもういつものコロンビアという感じが強い。

もう70年近く前の録音だが、
そのわりには今聴いても音質はそこそこ良好。

因みにこの演奏はYouTubeにもupされています。
https://www.youtube.com/watch?v=LX3Ug5C4I9Y

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イッセルシュテットのベートーヴェンの7番 [クラシック百銘盤]

ハンス・シュミット=イッセルシュテットという名前は、
今の若い世代の方にどううつっているのだろうか。

1900年生まれというから、
19世紀最後の年に生まれたベルリン生まれのドイツの指揮者で、
いくつかの録音によって日本でも知られていた指揮者だったが、
戦後はハンブルクの北ドイツ放送響の母体オケを創設、
ドイツを中心に活動をしたにもかかわらず、
あまり継続的なレコーディングに恵まれなかったためか、
日本では地味な存在の指揮者となっていった。

だが1958年からバックハウスのピアノによる、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の指揮者に抜擢され、
ウィー・フィルを指揮した頃からまたよく知られるようになる。

だがそれも一時的なもので、
デッカとはそれ以降録音が途絶えてしまう。

この後も録音が散発的にはあったものの、
当時は各大手メーカーがカタログを増やすために、
大量な音盤が次々と発売されていた時期にも重なり、
彼の録音はあまりとりたてて話題になることはなかった。


だがデッカによって1965年にはじまった、
ウィーンフィル初のベートーヴェン交響曲全集の指揮者に任命されたことで、
彼の名前は急速に知られそして注目されるようになった。

ただ日本ではその前年の1964年に初来日し、
好評を博していたことで、より知られた存在となっていた。

その時の来日公演は、

読売日本交響楽団

10月14日:東京文化会館
モーツァルト/交響曲/第31番「パリ」
ヘンツェ/舞踏音楽「ウンディーネ(水の精)」組曲第2番
チャイコフスキー/交響曲第4番

10月16日:厚生年金会館
シューベルト/交響曲第7番「未完成」
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第1番


大阪フィルハーモニー交響楽団

10月23日:フェスティバルホール
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
エック/フランス組曲
ベートーヴェン/交響曲第5番


というものだった。


これをみてもお分かりのように、
彼の得意とした二つの柱、
モーツァルトとブラームスがすべての日に一曲演奏されている。

彼の本領はこの二人の作曲家だったとよく言われており、
実際この翌年には、
若きアシュケナージとモーツァルトの協奏曲を録音している。


ただこの二人の作曲家は、
当時まだこのあたりを得意としていたベームやクレンペラー、
さらにはカラヤンやセルあたりも活発に録音演奏し、
N響にも後に同オケの名誉指揮者となったカイルベルトが客演して、
このあたりを指揮し放送されていたせいか、
その陰に隠れてしまっていたことは否めない。


そんな中1965年から1969年にかけて、
イッセルシュテットはウィーンフィル初のベートーヴェン交響曲全集を完成させ。
翌1970年のベートーヴェン生誕200年記念の目玉として発売された。


さらに同年12月には再来日し、
再び読売日響の指揮台に立った。

12月8日/厚生年金会館ベートーヴェン荘厳ミサ
12月11日/厚生年金会館ベートーヴェン荘厳ミサ
12月16日/日本武道館ベートーヴェン交響曲第9番

という日程だったはずだが他の公演日もあったかもしれない。


この公演はたいへんな評判と高い評価を受け、
当時読響の団員だった方が後に、

「あれは素晴らしい公演だった。」

と話されていたように、
当時読響創設史上最高の演奏だったとの評価すらあり、
後には1977-78のチェリビダッケの公演や、
1990年のクルト・ザンデルリンクの公演と並んで、
読売日響の歴史的名演と言われただけでなく、
日本のオケ史上まれにみる超名演だったとさえいわれている。


そんなイッセルシュテットがその来日の前年、
1969年にベートーヴェン全集の最後に録音したのが交響曲第7番。

この全集、
交響曲第8番がワインガルトナー以来の、
同曲最高の名演と突出した評価を得ているが、
個人的にはこの7番も極めて素晴らしい演奏だと思っている。

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この7番より四年前の1965年、
全集最初に録音された「英雄」と比べると、
指揮者の円熟がこの間に深まったことも聴きとることができる。

だがこの全集は数年後に同じウィーンフィルがベームの指揮によって、
ベートーヴェン全集を出したことによりその陰に隠れてしまい、
さらに7番に至ってはカルロス・クライバー指揮の同曲が、
発売されて時が経つにつれ大きな評価を得ていったため、
バーンスタインとウィーンフィルによるベートーヴェン全集が出たころには、
ほんとうに過去の録音という感じになってしまった。

しかも指揮者のイッセルシュテットも三度目の来日を果たすことなく、
1973年5月に、指揮者としてはまだまだこれからという時期に急逝したため、
さらにそういう印象に追い打ちをかけてしまった。
これは本当に不幸なことだった。


余談だがデッカは1950年代末から1969年まで、
この7番をウィーンフィルで、
ショルティ、カラヤン、アバド、イッセルシュテットと録音、
グラモフォンにウィーンフィルが移籍してからも、
ベーム、クライバー、クーベリック、バーンスタインと、
二十年ほどの間に8人もの指揮者で録音を残している。


だがそれでもイッセルシュテットのこの7番、
やはりこれも名演だ、
しかも超のつく最高級の演奏だ。

演奏としてはクライバーのようなキレや新鮮さとは真逆の、
重厚でベームより重心の低い、
それでいて端正でしっかりとしたリズムをもって進められるため、
鈍重といった感がまったくといっていいほどない、
とにかくオーソドックスなスタイルの演奏といっていいだろう。

しかもティンパニーがオケにうまくブレンドさせながら、
やや硬めでしっかりと打たれているため、
ウィーンの明るいオーケストラの音に、
北ドイツ風ともいえるような打ち込みが加わるという、
聴きようによってはかなり腹の座った演奏となっている。

またオケの張りと光沢が素晴らしく、
美麗というのとはまたちがった、
じつに落ち着いた、
それこそ総檜造りと形容したくなるような質感が随所にあり、
オケの音を聴いてるだけでもほれぼれとしてしまう。

それに音楽の活気というか熱気もあり、
没我の状態で荒れ狂い、
聴き手を熱狂させるということは皆無だが、
聴いていて思わず力が入ってしまうという、
そういう内側に強い力を秘めた、
内的に強靭さと熱気を秘めた演奏となっている。

なるほどこんなかんじの演奏を、
日本でやったらそれは歴史的な演奏と言われて当然と、
そんな感じの出来になっている。

演奏時間は、
13:11、10:14、8:24、9:22
比較的オーソドックスなタイムといえるだろう。


一見淡々としていて面白味は少ないかもしれないが、
内側に素晴らしいほどに強い力を込めている、
何度聴いても飽くことのないイッセルシュテットの7番。

もし聴く機会があったらぜひ耳にしてほしい演奏です。


そしてこの演奏スタイルがベストの形で引き継がれた、
バンベルク交響楽団と1972年に録音された、
モーツァルトの交響曲第31番と35番。

そして亡くなる数日前の1973年5月に録音された、
コンセルトヘボウを指揮しブレンデルと共演した、
ブラームスのピアノ協奏曲第1番も、
ぜひ耳にしてほしい名演です。


特に後者の第二楽章は、
この指揮者の白鳥の歌ともいえる、
清澄の限りを尽くした演奏となっています。


ハンス・シュミット=イッセルシュテット、
今一度顧みられてほしい指揮者ですし、
このウィーンとのベートーヴェン7番も、
一人でも多くの方に聴いてほしい演奏です。

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井上道義ショスタコーヴィチ交響曲全集 [クラシック百銘盤]

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井上道義/ショスタコーヴィチ:交響曲全集 at 日比谷公会堂(12CD)

【井上道義とショスタコーヴィチが日比谷公会堂にて伝説と化す!】
「今はショスタコーヴィチは僕自身だ!」と語る井上道義が、2007年に成し遂げた大偉業が遂にパッケージとなりました。
昭和のクラシックの殿堂として多くのコンサートが行なわれてきた日比谷公会堂にて、2007年に行なわれた「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会 at 日比谷公会堂」。当公演では計1万人を上る観客を動員し、国内外の各オーケストラが競うように快演を生み、各方面で絶賛の嵐を受け、大成功を収めました。
当アルバムは一部2016年の公演を入れて、全集となりました。

【井上道義の全てをかけたショスタコーヴィチへの挑戦】
「ショスタコーヴィチが経験してしまったような戦争に、われわれが再び妨げられるようなことになりませんように北の国を含むすべての国々との文化の交流を!」と語る井上道義。
日本人指揮者では、まだ誰も成し遂げていない一大プロジェクトをぜひお聴き下さい。(メーカー資料より)

【収録情報】
ショスタコーヴィチ:
● 交響曲第1番ヘ短調 op.10 ※2種類演奏を収録
● 交響曲第2番ロ長調 op.14『十月革命に捧げる』
● 交響曲第3番変ホ長調 op.20『メーデー』
● 交響曲第4番ハ短調 op.43
● 交響曲第5番ニ短調 op.47
● 交響曲第6番ロ短調 op.54
● 交響曲第7番ハ長調 op.60『レニングラード』
● 交響曲第8番ハ短調 op.65
● 交響曲第9番変ホ短調 op.70
● 交響曲第10番ホ短調 op.93
● 交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』
● 交響曲第12番ニ短調 op.112『1917年』
● 交響曲第13番変ロ短調 op.113『バビ・ヤール』
● 交響曲第14番ト短調 op.135『死者の歌』
● 交響曲第15番イ長調 op.141

セルゲイ・アレクサーシキン(バリトン:第13番、第14番)
アンナ・シャファジンスカヤ(ソプラノ:第14番)

栗友会合唱団(第2番、第3番)
東京オペラシンガーズ男声合唱(第13番)
サンクト・ペテルブルク交響楽団(第1,2,3番、第5,6,7番、第10番、第13番)
千葉県少年少女オーケストラ(第1番)※
東京フィルハーモニー交響楽団(第4番)
新日本フィルハーモニー交響楽団(第8番、第9番、第15番)
名古屋フィルハーモニー交響楽団(第11番、第12番)
広島交響楽団(第14番)
井上道義(指揮)

録音時期:
2007年
11月3日(第1,2,3番)、
11月4日(第5,6番)、
11月10日(第1番※、第7番)、11月11日(第10,13番)、
11月18日(第14番)、
12月1日(第4番)、
録音場所:東京、日比谷公会堂

録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

2016年11月18日発売→12月10日に延期⇒さらに2017年02月28日予定に延期。

OVCX00100 (Octavia Exton)

12枚組 ¥16,200(税込み)


以上、
HMVのサイト
より。



しかし十年近くまつことになるとは思ってもみませんでした。

全公演は聴いてませんが、
当時の感想を書いたもののリンク先を記しておきます。

11/11の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/38111946.html

11/9の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/38067056.html

11/4の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/37933212.html


どんなかんじになってるんだろう。
楽しみです。

しかしどんどん発売がのびる、大丈夫かあ~?
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ゆく河の流れは絶えずして(柴田南雄) [クラシック百銘盤]

現代音楽。

この言葉を聞くと反射的に嫌悪感を覚える。

そんな時期が自分にもかなり長い年月あった。

それは自分が学生時代に聴いた、
いくつかの日本人作曲家の「現代音楽」とよばれるもの、
それに起因するところが大きい。

意味も方向性も分からない不協和音の連続は、
自分にはまったく興味も理解もできないものだった。

正直これらの音楽は作曲家のひとりよがりで、
手段が目的になってしまった典型と感じられてしかたなかった。

またその後ある音楽関係者の方から、
「あれはただオーケストラを使っていろいろと試してるだけ」
という現場の声がある事を聞いた。

「こんなもの聴くだけ人生の無駄」
とついには切って捨てたものだった。


だが年月が流れ、
その間コルトレーンのフリージャズをはじめ、
いろいろなジャンルの古今の音楽を聴いたからだろうか、
いつしか自分の中から「現代音楽」への嫌悪感が薄れていった。


また同じころ一般には評判が悪いが、
ハイティンクがコンセルトヘボウを指揮した武満徹を聴いたとき、
「ゴミのような音楽に聴こえたのは、日本のオケが下手だったからではないか。」
という気が強くした。

そしてウィーンフィルが演奏した武満を聴いた時、
その考えは決定的となった。

幸いにして日本のオケは21世紀に入り急速に進化している。

それは在京のプロオケだけでなく、
アマオケや地方オケも例外ではない。

このためかつては現代音楽と言われていた、
三善晃や矢代秋雄の交響曲も、
これらのことも手伝って、
もはや現代の古典というくらい耳当たりのよい曲として、
演奏会でも接することができるようになった。


そんな中、
今年(2016)の9月29日に生誕百年を迎えた、
日本を代表する作曲家である柴田南雄の作品を、
若手の実力者、山田和樹が集中的にとりあげてるという。


最近演奏された、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
たいへん評判がよかったという。


じつはかつてこれが第22回尾高賞受賞したとき、
それがN響の演奏によりTVで放送されたことがあったのですが、
自分が現代音楽を「より嫌い」になった原因がそれを聴いたためだった。

このため当然柴田南雄とも疎遠になった。

だが数年前、
偶然聴いた他の指揮者とオーケストラによる、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
そのときとはずいぶん印象の違うものとなった。

そしてこんなことを言っては申し訳ないが、
些か音に対する感覚の古き時代のようなものも感じてしまった。

それだけにそこのところを、
山田さんがどう描いていくかとても興味があったが、
残念なからいろいろな理由で行くことはできなかった。


そんな山田さんが11月7日に、
柴田南雄の交響曲、
「ゆく河の流れは絶えずして」
を指揮するという。

日本PO.jpg

この日付は1975年にこの曲が初演された日に当たる。


この曲は自らの体験を軸にした自分音楽史が前半、
後半は鴨長明の「方丈記」における冒頭と、
前半の平安末期にあった自然災害や世の混乱を描いた部分を、
途中コーラスのメンバーが客席にまでせり出し朗読するという、
そういうシアター・ピースも織り交ぜた、
演奏時間が60分からそれ以上にのぼるという、
大規模な作品となっている。


なぜ方丈記がテキストに選ばれたのかは、
柴田さん自身によると、
方丈記に描かれていることがこの曲を作曲していた、
1970年代の都市状況によく似ているからとのこと。


方丈記にはじつは歴史的な大災害や事件等が描かれている。

安元の大火
治承の竜巻と福原遷都
養和の大飢饉
元暦の地震(文治地震)

といったあたりである。

この間平氏滅亡もあり、
まさに時代は混迷を深めていた時代だった。


そしてその頃の日本、
つまり方丈記の安元元年から、
元暦の終わりまでの十年間という期間を、
柴田さんがこの曲を完成させる十年ほど前にてらしあわせてみると、

1974年の伊豆半島沖地震と田中首相退陣、台風第8号や多摩川水害
1973年の第1次オイルショック
1972年の浅間山荘事件
1968年の十勝沖地震
1964年の新潟地震と関東大渇水(東京砂漠)

というかんじになっている。

1973年には映画、1974年にはテレビで、
ベストセラーとなっていた「日本沈没」が映像化され、
大きな話題を呼んでいた時代でもあり、
関東地震の69年周期というものが話題となり、
多くの人たちが首都圏直下型地震に不安を抱いていた時代でもあった。

柴田さんの気持ちもよくわかります。

あとこの頃は公害も酷かった。

なにしろ静岡県の田子の浦港でのヘドロ公害をヒントに、
「ゴジラ対へドラ」が1971年に公開されたくらいですから。


ところでこの曲、
昭和50年を記念して東京新聞から委託されたらしいが、
今あらためて聴いてみると、
メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の、
柴田版というかんじもする。


もちろんあれに比べると、
あれほどの祝祭感覚は無いものの、
どこか祭儀のそれを強く感じられるものがあるし、
方丈記のカノンなどは、
まるで日本の民謡や童歌のようでもありながら、
なにか村祭りにも宮廷の宴にも感じられる、
独特の「和」の響きによって満たされている。

ただそれ以上に、
メンデルスゾーンがバッハやヘンデルといった、
過去の作品に対する研究と、
自らの創作活動をひとつにして、
古から現在までを、
自分を通してひとつの線として繋ぎ紡いだ「賛歌」同様、
この柴田さんの交響曲にも、
似た意識と感覚が強く感じられる。


ただそこに現代と過去の不安の共鳴を織り込んだのは、
柴田さんならではのものだろう。

因みに鴨長明の没後七百年にあたる年に柴田さんは生まれている。

これも何かの縁なのかもしれない。

そして今の時代。

平安末期や昭和40年代同様、
また混迷と不安の時代と化している今。

今回の山田さん指揮の柴田さんの交響曲は、
どのように響いてくるだろうか。


因みに現在自分の手元にあるのは、
1989年1月12日。

時代が昭和から平成になったばかりの東京文化会館で、
若杉弘指揮東京都交響楽団によって演奏された演奏会のライブ盤。

方丈.jpg

今度の指揮の山田さんがもうすぐ10歳の誕生日を迎えようという頃の録音。


ここでの当時50代半ばだった若杉さんの指揮は、
こういう手数の多い巨大な作品を、
じつに見事に見通しよく、
ほんとうに聴き応えのある演奏としている。

若杉さんはもともとこういう大曲、
とくに劇場風の要素のある作品には、
圧倒的な強みをみせていたこともあり、
見事な出来となっていたのだろう。


因みにこの録音をされた演奏会以来、
この曲は演奏されていないとのこと。


はたして27年ぶりのこの曲は、
はじめてのサントリーホールにどう響くのだろうか。



あと余談ですが、
柴田南雄さんは自分にとって、
じつはまったく関係ないというわけではないため、
途中から「さん」付けとなってしまいました。


それだけに、
かなり長い期間柴田さんの作品に、
あまり関心を持たなかった…、
というより冷たい聴き手だった自分に、
ちょっと悔いをもっている今日この頃です。


それにしても第4楽章と第6楽章のカノンの美しさ。

これに巡り合うまで、
ずいぶん遠回りをしてしまいました。

これも自分の未熟からきたものなのでしょう。


(2016 11/7 追加)

先週末にひいた風邪のためこの日の演奏会に行けませんでした。

ほんとうに柴田さんの音楽とは縁が無いです。
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フルトヴェングラーのブルックナーの8番 [クラシック百銘盤]

フルトヴェングラーの交響曲の録音をみると、
とにかくベートーヴェンの多さが目をひく。

そしてその次にブラームスが多い。

これに比べるとブルックナーはやはり少ない。

しかも全曲をセッション録音したものはひとつも無い。

あるのは7番の第二楽章くらいで、
あとはすべてライブか放送用の録音のみ。

これには録音時間の問題等もあったかもしれないが、
それにしても皆無というのはちょっと驚きだ。

DGに1951年の11月に、
自作の交響曲第2番をセッション録音しているので、
ブルックナーを録音するチャンスはあったと思われるだけに、
なおさらという気がする。

DGのスタッフも正直、
「できれは7番あたりを録音してほしい」
とこのとき思っていたのではないだろうか。


それとブルックナーの録音がひじょうに年代的に限られてるということ。

現在聴くことができるものとしては、
第二次大戦前にはひとつも録音がなく、
戦争中に完全な形で全曲録音が残っているものが、
5、8、9番の三曲が各一種類ずつ。

1947年5月の復帰から1951年までに、
4番が二種、5番が一種、7番が三種、8番が二種だが、
4番と7番の三種のうち二つは、きわめて時期が接近しており、
8番に至っては放送録音とその翌日のライブというぐあい。

そしてそれ以降は1954年の8番が一種という具合で、
頻繁に終始あちこちで演奏していたというわけではない。

しかも1952年以降は録音が激減している…
…というより演奏そのものが減っている。


そしてその代わりに、
1951年の末にセッション録音された、
自作の交響曲第2番の演奏が増え、
録音も1952年以降は三種類ものライブ録音が遺されている。
そして自らの最後の演奏会もこの曲が演奏されている。

これが何を意味してるのかは想像するしかないけど、
とにかくブルックナーの録音は、
ひじょうに少ないというのか実感だし、
あまり別の日との聴き比べもてきないというのが現状だ。

そんな中で、
その全曲演奏の記録が唯一1944~1954年にわたり、
しかも四種類という最多の録音数を数え、
ウィーンフィルとベルリンフィルによって、
各々ライブと放送録音が遺されている8番は、
この指揮者のブルックナーの考え方が、
ひじょうにわかりやすいものといえる。


この四つは以下の通り。

①VPO、1944年10月17日、ムジークフェラインでの放送録音。
②BPO、1949年3月14日、ゲマインデハウスでの放送録音。
③BPO、1949年3月15日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。
④VPO、1954年4月10日、ムジークフェラインでのライヴ録音。

演奏時間は上から、

15:11, 14:07, 25:08, 22:20。
15:58, 14:23, 25:27, 22:58。
15:33, 13:43, 24:55, 21:51。
16:34, 14:37, 27:21, 21:55。


この四種はありがたいことに、
フルトヴェングラーのこの種の録音としては、
年代にしてはそこそこまともなものばかり。

また四種ともひじょうに特徴的なものとなっている。

①はとても流麗かつ美しく、
とても戦争中の演奏録音とは思えないほどで、
曲の流れにのったじつに自然な演奏。
ホールの響きもなかなかうまくとらえられている。

あの凄絶なBPOとの9番の十日後の演奏とはとても思えない。


②はひじょうにガッチリとつくりこまれたというか、
セッション録音時のフルトヴェングラーのそれに近しいものがある。
フルトヴェングラーのブルックナーを
「人間的すぎる」とか「ロマンティックにすぎる」
と言われることがあるけど、
この演奏はそういう言葉からはかなり遠い演奏。

ある意味素朴であり飾り気のない演奏でありながら、
弱音や間の取り方に尋常ではない神経の細かさを感じる。

この演奏のみを翌日の演奏と混ぜることなく、
EMIが当初から発売していたら、
日本におけるフルトヴェングラーのそれは、
多少違った評価をされていたかもしれない。


③はこの時期のライブのフルトヴェングラーの特徴がよく出た、
非常に興にのった一気呵成ともいえる劇的な演奏。
基本的には②をベースにしているとはいえ、
その出来の印はかなり違い、
ここまでやるかというくらい壮絶なものとなっている。

しかもブルックナーの音楽を「広く大きく」という一般的なものではなく、
「遠く深く」という、
もうひとつの方向にもっていった稀有な演奏。

これが日本のブルックナー愛好家の多くから、
いまだ理解されがたい理由なのだろう。

ただ個人的にはこの演奏、
もしブルックナーが客席で聴いていたら
終演後舞台上の指揮者に飛びつき、
抱きしめたのではなかろうかというくらい、
作曲家を狂喜させたような気がした。

それにしても第三楽章の響きはじつに深いが、
かつて聴いたヨッフムとバンベルクの演奏と、
ちょっと相通じるものをいつも聴いていて感じてしまう。


④はフルトヴェングラー最晩年期に遺された、
唯一のブルックナー録音。

二か月前にセッション録音されたベートーヴェンの5番のような、
解説的かつ晴朗な演奏で、
勢いや劇性というものからきわめて遠い、
ある意味思考思索しながら曲から濁りをとりはらい、
曲のあるがままの姿を追求しようとしたような演奏。

そしてそこになぜか、
ベートーヴェン的な強さも感じられてしまう。

フルトヴェングラーの他のブルックナーにも、
ベートーヴェン的な強さというか、
不屈の姿勢みたいなものが感じられが、
この演奏には特にそれが感じられる。

これはフルトヴェングラーが、
ブルックナーを理解していないというのではなく、
ブルックナーが楽聖をいかに意識し、
彼と深い部分で繋がっていたかを見抜き、
それを突き詰めた結果という気が自分にはする。

1954年のハ短調の第八交響曲の演奏が、
その二か月前の楽聖のハ短調の第五交響曲の録音と、
なんとなく近しいものを感じられたのも、
そんな部分があったからなのかもしれない。

フルトヴェングラーにとって、
ブルックナーは唯一無二の存在ではあったが、
孤高の存在というより、
楽聖に深い愛を生涯捧げた巨人という、
そういう位置づけだったのではないだろうか。

そんなことを彼のブルックナー、
特に5番やこの8番からは聴きとれるような気がする。


と、ざっくりと書いてしまったが、
フルトヴェングラーによる、
ブルックナーの交響曲第8番は、
そんなかんじに四種類とも、
いろいろなことを自分に感じ考えさせてくれる。

今年(2016)の一月はフルトヴェングラーの生誕130年だったが、
十月はブルックナーの没後120年にあたるということで、
そんなこともあり、
今年はフルトヴェングラーのブルックナをよく聴いているので、
余計いろいろと考えてしまうのかも。


ということで唐突に〆
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ショルティのブルックナー [クラシック百銘盤]

ショルティが亡くなり、
来年(2017)で早くも20年が経ってしまう。

ほんとうに早い。

じつは自分にとって、
かつてショルティは最高に心酔した指揮者のひとりだった。

その持って回ったような言い方をしない、
単刀直入な音楽の捌き方が、
とにかく自分には胸のすく思いで聴きほれていた時期があった。

ただ何というのか、
次第にいろいろと他の指揮者も聴きこんでいくうちに、
ショルティに対してのそれがうすれていった。

ショルティを再度真剣に聴きかえし始めたのは、
彼の生誕百年を過ぎたころからかもしれない。

ただそれは以前聴いていたマーラーやバルトークとかではなく、
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、
そしてブルックナーというものだった。

ぶっちゃけて言えば日本でショルティの評価の低いところだ。


だがこれらがなかなかいい。

どうしてもっと早くこのあたりを聴いていなかったのかと、
ちよっと我ながら残念に思ったりしたものでした。


その中のブルックナー。


ショルティはかつてシカゴ響赴任前に、
ウィーンフィルで7番(65年)と8番(66年)を録音している。
(この7番を録音している時にクナッパーツブッシュの訃報にショルティは接している。)

ショルティはその後クナッパーツブッシュのウィーンでの追悼コンサートで、
ブルックナーの7番の第二楽章を演奏。

その後69年のウィーンフィルとの来日公演でも7番を演奏しており、
そういう意味でまったく無縁の作曲家というわけではないのですが、
マーラーに比べるとかなり消極的だったということは否めない。


そんなショルティが1979年からブルックナーの交響曲を、
シカゴ交響楽団と録音しはじめた。

それは以下のような順番で行われた。

6番 1979
5場 1980 ※これ以降すべてデジタル録音。
4番 1981
9番 1985
7番 1986
8番 1989 ※未発売
8番 1990 ※サンクト・ペテルブルクでのライブ。
2番 1991
3番 1992
1番 1995/2月
0番 1995/10月 ※ライブ

というかんじで行われた。

これをみてると最初は10年かけて6曲、
しかも8番は未発売ということなので、
かなり慎重な姿勢でやっていたが、
1990年のサンクトでのライブで何か吹っ切れたのか、
その後は比較的順調に録音していったようだ。


自分はこれを一通り聴いたが、
最初の6番はショルティ自身の特性とあっていたのか、
なかなかの好演となっている。

その後同じゴリゴリ系の5番と、
比較的ポピュラーな4番と続いたところで、
4年ほど録音期間が空く。

そして9番7番と続くが、
一気に8番とは行かず、
89年にようやく8番を録音したものの発売はされず、
翌年サンクトでの同曲のライブ録音によって、
ようやくそれを果たすこととなる。


このようにショルティは、
ブルックナーはかなり慎重に、
そして考えながら録音していったように見受けられる。

このようになったのは彼と同い年の指揮者、
ヴァントやチェリビダッケがブルックナーを得意としていたことも、
正直あったような気がする。

また二つ年下でかつて一緒にシカゴにいたジュリーニが、
ウィーンフィルとブルックナーの後期三大交響曲を、
1984年から隔年ごとに録音をしていたこと、
しかも7番はジュリーニとショルティが同じ年に録音をしたことで、
余計比較対象のそれになったこと、
さらに1988年に録音したジュリーニの9番は、
録音と前後して行われた演奏会がたいへんな評判になったことで、
彼はさらにプレッシャーを受けていたことだろう。


だが1990年サンクトでの8番以降、
ショルティは完全に吹っ切れたかのように、
自らのブルックナーを見事に奏でることになっていった。


正直言うと最初の頃のショルティとシカゴのブルックナーは、
やや金管が細かいところがぶっきら棒なところがあり、
弦も輝かしく歌いこまれているのはいいが、
なんか最後にひと伸び足りないというか、
変な表現で申し訳ないのですが、
弦の穂先がバサバサに刈り取られて、
いささか雑然としていて揃ってないような、
そんな感じに聴こえるところが少なからずあった。

それが回を重ねるに連れ次第に影を潜め、
90年のライブ以降それがより際立っていったように感じられた。

特に感じられるのが、
91年の2番と92年の3番の録音だ。


ここで面白いのはショルティの使用楽譜。

2番が1877年のノヴァーク版
3番が1877年のノヴァーク第2稿

というもの。

つまりともに同じ年に書かれた稿で演奏しているということだ。


1877年というとベートーヴェン没後50年の年だが、
そのせいかこの頃はいろいろな作曲家による交響曲の新作が、
あちこちで前後していろいろと作曲されたり発表されたりしている。

ブラームスの交響曲第1番と第2番、
チャイコフスキーの交響曲第4番、
ボロディンの交響曲第2番、
ゴルドマルクの交響曲第1番「田舎の婚礼」

そしてブルックナーの手元には、
2番~5番までのじつに4曲の交響曲が、
完成もしくは改訂が済んだ状態でおいてあった。


1877年が敬愛するベートーヴェンのメモリアルイヤーということで、
ブルックナーがそれをどう感じていたかは分からないが、
まったく無関心であったということはとてもではないが考えられない。

おそらくその結果がこの4曲だったのだろう。
それはこの4曲の調性が、
すべてベートーヴェンの交響曲の調性と同じという、
そういうところにも見受けられる。


ショルティはそんなところに目をつけたのだろうか、
とにかくこの2曲をともに1877年版で演奏している。

そしてその出来は…。


じつに剛毅で健康的で晴朗なブルックナーだった。

ほんとうにある意味、
それはベートーヴェン的といえるほどの力強さと輝かしさをもった、
極めて劇的剛直なブルックナーだった。

もうそこに精神性がどうこうという、
そんな小賢しい評論など入り込む余地が無いほど、
とにかく圧倒的なブルックナーだった。

見事なほどの輝かしいブラス、
やや硬質なものの瑞々しい響きの木管、
光沢のある弦楽器。

特に内声の随所に聴かれる強い歌いこみはほんとうに魅力的で、
これほど曖昧さも迷いも無い、
完璧なまでに晴れ渡った、
思い切りの良い壮麗な響きのブルックナーというのも、
そうそう耳にすることはないだろう。


ただ確かにこの一点の曇りも無い輝かしい響き、
しかも田舎臭さなど微塵も無い、
洗練され切った、
それこそカッコいいといっていいくらいのこの響きは、
いわゆるブルックナーらしさから極めて遠い響きだろう。

だがこの音楽すべてを肯定しつくしたような、
強く曖昧さの無い、
それこそ楽聖の敵に対して向かっていくような、
その強靭とも剥き出しともいえるようなエネルギーが、
じつにこの二つのブルックナーではいい方向に向いている。

もしそれを狙ってショルティが1877年版を使用しているとしたら、
じつにそれは大正解だったというところでしょうか。


自分はこれを聴いていて、
かつてショルティとシカゴが1977年に初来日したときの、
その圧倒的な「ドン・ファン」で聴き手の度胆をぬくような、
それこそ天使の大群が足並みそろえて行進してくるような、
あの超弩迫力のブラス・セクションの響きを思い出した。

だが当時この演奏はその圧倒的すぎる程のパワーと輝きのため、

「あれは音楽ではない、暴力だ」

といったような言われのない中傷を一部の評論家から受けてしまった。

その評を自分は当時、

「古臭い感性と貧弱な日本のオケに慣れ過ぎたためだ」

と嘲笑したものでしたが、
このブルックナーもまた同じように、
多くのブルックナー愛好家には聴こえているのではないかと、
ふとそんな気がしたものでした。


もちろんシュトラウスとブルックナーは違うので、
一概に当てはめるのは危険なものの、
自分はこういうブルックナーもまたアリだろうという気がしたし、
ブルックナーだって古いヨーロッパの教会のオルガンと、
アメリカのピッカピカのオルガンでは、
当然彼の弾き方も変わってくるだろう。

案外アメリカのピッカピカの、
劇場用のPAみたいなものまで使った大音量の出るオルガンを前にしたら、
それこそショルティとシカゴのように、
大音量大炸裂の爆演を熱狂的にしたかもしれない。


所変われば品変わるではないけど、
そういうこともありうるかもしれないのだ。

と、そんなことをショルティのこの二つの交響曲の録音を聴いて、
想ったりしたものでした。

「運命」と同じハ短調の2番と、
「第九」と同じニ短調の3番。

フルトヴェングラーとはまた違った、
ショルティ風のベートーヴェン感覚に満ちた
そんなショルティのブルックナー賛歌に乾杯。


演奏時間

029-bruckner-2.jpg
2番 18:09、16:47、06:04、14:40

029-bruckner-3.jpg
3番 21:49、16:39、07:00、13:57
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