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忘れられた二つの交響曲。 [クラシック百銘盤]

ということで今回は、
かつてはよく知られた曲だったのに、
今はまったくといっていいほど知られなくなった曲のことを。


最初はルイーズ・ファランク(1804-1875)の、
交響曲第3番 ト短調 Op. 36。


フランスの女流作曲家で、
パリ音楽院のピアノ教授となったが冷遇されたものの、
後に自らの力で正規の待遇を勝ち取ったという。

この交響曲第3番は初演後から高く評価され、
彼女の教授の地位も向上させる要因になったという。

だがこのシューマンやメンデルスゾーンを想起させるような、
ロマン派のそれと古典派の良さも兼ね備えた作品も、
彼女の死後急速に忘れられてしまったという。


同じ女流作曲家でもクララ・シューマンや、
ファニー・メンデルスゾーンに比べると、
現在でもその名はほとんど知られていないが、
彼女がもし有名な大作曲家の身内だったら、
おそらく今でもその曲とともに知られていただろう。

https://www.youtube.com/watch?v=4ZeYHeXnNdo&t=1412s

それにしてもとても聴きやすく、
そしてしっかりとした聴き応えもある曲だ。

どうしてこの曲が演奏されなくなったのか、
こちらがその理由を聴きたいくらいだが、
やはり作曲家が忘れられてしまったのが最大の原因だろう。

じつに残念なことだ。



もうひとつはチャールズ・スタンフォード(1852-1924)の、
交響曲第3番ヘ短調 op.28「アイリッシュ」

エルガー以前、
サリバンやパリ―と並んで、
イギリス作曲界に大きな足跡を残した、
ブラームスを深く敬愛した作曲家だが、
この人もやはり生前に比べるとかなり知名度は低い。


この交響曲第3番は1887年に初演されてから好評で、
ビューローによりハンブルグやベルリンで演奏し評価されたり、
マーラーにも取り上げられ指揮されたという。

さらには1888年のコンセルトヘボウ管弦楽団の初コンサートで、
ベートーヴェンの「献堂式」序曲
ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」
ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲
サン=サーンスの交響詩「フェントン」
以上の四曲と一緒にウィレム・ケスの指揮で演奏されている。

前年作曲されたばかりの曲に、
いきなりこの大役を任したのだから、
いかに当時この曲が高く評価されていたかを知る事ができるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=sJ71SCI6ua0&t=688s

だがこの曲も演奏される機会が今は激減している。

作曲者がやはり死後忘れられたのが原因だろうが、
最初に書いたファランクの曲ともども、
一度は実演で聴いてみたい曲です。


ただ幸いにして、
今は昔と違い優秀な録音の音盤があるので、
完全に忘れられるということはないだろう。


いつかはこれらの曲を耳にし興味を持った指揮者が、
この曲を日本で指揮してくれることを願いたい。




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ワルターのブルックナーの9番 (書き足し) [クラシック百銘盤]

b9.png

今から10年前、
ブルーノ・ワルターが1959年の11月に録音した、
コロンビア交響楽団とのブルックナーの9番について、
いろいろと思うところを書きなぐったことがある。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2007-06-23-1

今それを読みながら、
同じ年の2月にコロンビア交響楽団を指揮した、
ブラームスの4番とシューベルトのグレートを聴き比べしながら、
この演奏を聴いた。


はっきりいって別団体といっていいほどオケの力が違う。

オケの基本的な厚さと音の密度、
そしてその落ち着いた響き、
ときおりいつものコロンビア響が聴かせる、
弦や金管の高音域の安っぽい音もここでは聴かれない。


同じホールで同じジョン・マックルーアの制作だから、
条件もほぼ同じでこれというのはやはり違いすぎる。

しかも以前に書いたとおり、
練習日程もこちらの方がかなり短い。


やはりこれはロサンゼルス・フィルハーモニーの演奏だろう。


この時期の同オケはちょうど音楽監督が不在だつた。

それは同年四月に当時の音楽監督ベイヌムが急逝してしまったためだ。

もっともベイヌムはこの年の6月には退任する予定だったようで、
いずれにせよこの時期は監督不在ではあったらしい。

ただこの当時のロサンゼルスフィルはたいへん状態がよく、
のちにメータが着任し一世を風靡した時期でさえ、
ベイヌム時代を高く評価する声が聴かれたというのだから、
それはかなりのものだったのだろう。

またこの当時は名コンマス、
デヴィッド・ フリシナも活躍していたのだから猶更だ。


確かにときおりアンサンブルが綻びる瞬間もあるが、
これがいつものコロンビア響なら一気にバラけて録り直しになるところだけど、
ここでは音の中核ががっしり座っているため、
そういうこともなく気迫でのりきっている。


また弦の響きも後のメータ時代のロスフィルのような音質感があり、
これもいつものコロンビア響と違う雰囲気となっている。


それ以上にいつものコロンヒア響よりも音がくすんでいるのも、
この演奏に聴かれる特長で、
このあたりちょっとベイヌムが指揮したロンドンフィルのそれを、
なんとなくだけど思わせるものがある。


そんなオケを指揮してのワルターだから、
当然悪かろうはずがない。


しかも数日前にはコンサートにかけて一度は仕上げているのだから、
いつものように一からつくる必要もない。

後にワルターはこの録音をひじょうに気に入っていたらしく、
自らのベスト録音のひとつにあげていたとのこと。

当然だろうという気がした。


この緊張感、音の張り、密度と充実感、
これほどのステレオ録音のワルターはそうそう聴けるものではない。

尚、Bruno Walter Home Page、によると、
この録音の三日前と四日前にロサンゼルスフィルは、
ブルックナーの9番を演奏しているが、
前半にはブラームスの悲劇的序曲とモーツァルトの38番も演奏している。

そしてこの二曲もブルックナーの翌月に38番、
そしてその翌月に悲劇的序曲がコロンビア響とともに録音されている。


これらもかなり見事な演奏だけど、
ただこちらはもういつものコロンビアという感じが強い。

もう70年近く前の録音だが、
そのわりには今聴いても音質はそこそこ良好。

因みにこの演奏はYouTubeにもupされています。
https://www.youtube.com/watch?v=LX3Ug5C4I9Y

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イッセルシュテットのベートーヴェンの7番 [クラシック百銘盤]

ハンス・シュミット=イッセルシュテットという名前は、
今の若い世代の方にどううつっているのだろうか。

1900年生まれというから、
19世紀最後の年に生まれたベルリン生まれのドイツの指揮者で、
いくつかの録音によって日本でも知られていた指揮者だったが、
戦後はハンブルクの北ドイツ放送響の母体オケを創設、
ドイツを中心に活動をしたにもかかわらず、
あまり継続的なレコーディングに恵まれなかったためか、
日本では地味な存在の指揮者となっていった。

だが1958年からバックハウスのピアノによる、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の指揮者に抜擢され、
ウィー・フィルを指揮した頃からまたよく知られるようになる。

だがそれも一時的なもので、
デッカとはそれ以降録音が途絶えてしまう。

この後も録音が散発的にはあったものの、
当時は各大手メーカーがカタログを増やすために、
大量な音盤が次々と発売されていた時期にも重なり、
彼の録音はあまりとりたてて話題になることはなかった。


だがデッカによって1965年にはじまった、
ウィーンフィル初のベートーヴェン交響曲全集の指揮者に任命されたことで、
彼の名前は急速に知られそして注目されるようになった。

ただ日本ではその前年の1964年に初来日し、
好評を博していたことで、より知られた存在となっていた。

その時の来日公演は、

読売日本交響楽団

10月14日:東京文化会館
モーツァルト/交響曲/第31番「パリ」
ヘンツェ/舞踏音楽「ウンディーネ(水の精)」組曲第2番
チャイコフスキー/交響曲第4番

10月16日:厚生年金会館
シューベルト/交響曲第7番「未完成」
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第1番


大阪フィルハーモニー交響楽団

10月23日:フェスティバルホール
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
エック/フランス組曲
ベートーヴェン/交響曲第5番


というものだった。


これをみてもお分かりのように、
彼の得意とした二つの柱、
モーツァルトとブラームスがすべての日に一曲演奏されている。

彼の本領はこの二人の作曲家だったとよく言われており、
実際この翌年には、
若きアシュケナージとモーツァルトの協奏曲を録音している。


ただこの二人の作曲家は、
当時まだこのあたりを得意としていたベームやクレンペラー、
さらにはカラヤンやセルあたりも活発に録音演奏し、
N響にも後に同オケの名誉指揮者となったカイルベルトが客演して、
このあたりを指揮し放送されていたせいか、
その陰に隠れてしまっていたことは否めない。


そんな中1965年から1969年にかけて、
イッセルシュテットはウィーンフィル初のベートーヴェン交響曲全集を完成させ。
翌1970年のベートーヴェン生誕200年記念の目玉として発売された。


さらに同年12月には再来日し、
再び読売日響の指揮台に立った。

12月8日/厚生年金会館ベートーヴェン荘厳ミサ
12月11日/厚生年金会館ベートーヴェン荘厳ミサ
12月16日/日本武道館ベートーヴェン交響曲第9番

という日程だったはずだが他の公演日もあったかもしれない。


この公演はたいへんな評判と高い評価を受け、
当時読響の団員だった方が後に、

「あれは素晴らしい公演だった。」

と話されていたように、
当時読響創設史上最高の演奏だったとの評価すらあり、
後には1977-78のチェリビダッケの公演や、
1990年のクルト・ザンデルリンクの公演と並んで、
読売日響の歴史的名演と言われただけでなく、
日本のオケ史上まれにみる超名演だったとさえいわれている。


そんなイッセルシュテットがその来日の前年、
1969年にベートーヴェン全集の最後に録音したのが交響曲第7番。

この全集、
交響曲第8番がワインガルトナー以来の、
同曲最高の名演と突出した評価を得ているが、
個人的にはこの7番も極めて素晴らしい演奏だと思っている。

UCCD-9613.jpg

この7番より四年前の1965年、
全集最初に録音された「英雄」と比べると、
指揮者の円熟がこの間に深まったことも聴きとることができる。

だがこの全集は数年後に同じウィーンフィルがベームの指揮によって、
ベートーヴェン全集を出したことによりその陰に隠れてしまい、
さらに7番に至ってはカルロス・クライバー指揮の同曲が、
発売されて時が経つにつれ大きな評価を得ていったため、
バーンスタインとウィーンフィルによるベートーヴェン全集が出たころには、
ほんとうに過去の録音という感じになってしまった。

しかも指揮者のイッセルシュテットも三度目の来日を果たすことなく、
1973年5月に、指揮者としてはまだまだこれからという時期に急逝したため、
さらにそういう印象に追い打ちをかけてしまった。
これは本当に不幸なことだった。


余談だがデッカは1950年代末から1969年まで、
この7番をウィーンフィルで、
ショルティ、カラヤン、アバド、イッセルシュテットと録音、
グラモフォンにウィーンフィルが移籍してからも、
ベーム、クライバー、クーベリック、バーンスタインと、
二十年ほどの間に8人もの指揮者で録音を残している。


だがそれでもイッセルシュテットのこの7番、
やはりこれも名演だ、
しかも超のつく最高級の演奏だ。

演奏としてはクライバーのようなキレや新鮮さとは真逆の、
重厚でベームより重心の低い、
それでいて端正でしっかりとしたリズムをもって進められるため、
鈍重といった感がまったくといっていいほどない、
とにかくオーソドックスなスタイルの演奏といっていいだろう。

しかもティンパニーがオケにうまくブレンドさせながら、
やや硬めでしっかりと打たれているため、
ウィーンの明るいオーケストラの音に、
北ドイツ風ともいえるような打ち込みが加わるという、
聴きようによってはかなり腹の座った演奏となっている。

またオケの張りと光沢が素晴らしく、
美麗というのとはまたちがった、
じつに落ち着いた、
それこそ総檜造りと形容したくなるような質感が随所にあり、
オケの音を聴いてるだけでもほれぼれとしてしまう。

それに音楽の活気というか熱気もあり、
没我の状態で荒れ狂い、
聴き手を熱狂させるということは皆無だが、
聴いていて思わず力が入ってしまうという、
そういう内側に強い力を秘めた、
内的に強靭さと熱気を秘めた演奏となっている。

なるほどこんなかんじの演奏を、
日本でやったらそれは歴史的な演奏と言われて当然と、
そんな感じの出来になっている。

演奏時間は、
13:11、10:14、8:24、9:22
比較的オーソドックスなタイムといえるだろう。


一見淡々としていて面白味は少ないかもしれないが、
内側に素晴らしいほどに強い力を込めている、
何度聴いても飽くことのないイッセルシュテットの7番。

もし聴く機会があったらぜひ耳にしてほしい演奏です。


そしてこの演奏スタイルがベストの形で引き継がれた、
バンベルク交響楽団と1972年に録音された、
モーツァルトの交響曲第31番と35番。

そして亡くなる数日前の1973年5月に録音された、
コンセルトヘボウを指揮しブレンデルと共演した、
ブラームスのピアノ協奏曲第1番も、
ぜひ耳にしてほしい名演です。


特に後者の第二楽章は、
この指揮者の白鳥の歌ともいえる、
清澄の限りを尽くした演奏となっています。


ハンス・シュミット=イッセルシュテット、
今一度顧みられてほしい指揮者ですし、
このウィーンとのベートーヴェン7番も、
一人でも多くの方に聴いてほしい演奏です。

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井上道義ショスタコーヴィチ交響曲全集 [クラシック百銘盤]

988.jpg

井上道義/ショスタコーヴィチ:交響曲全集 at 日比谷公会堂(12CD)

【井上道義とショスタコーヴィチが日比谷公会堂にて伝説と化す!】
「今はショスタコーヴィチは僕自身だ!」と語る井上道義が、2007年に成し遂げた大偉業が遂にパッケージとなりました。
昭和のクラシックの殿堂として多くのコンサートが行なわれてきた日比谷公会堂にて、2007年に行なわれた「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会 at 日比谷公会堂」。当公演では計1万人を上る観客を動員し、国内外の各オーケストラが競うように快演を生み、各方面で絶賛の嵐を受け、大成功を収めました。
当アルバムは一部2016年の公演を入れて、全集となりました。

【井上道義の全てをかけたショスタコーヴィチへの挑戦】
「ショスタコーヴィチが経験してしまったような戦争に、われわれが再び妨げられるようなことになりませんように北の国を含むすべての国々との文化の交流を!」と語る井上道義。
日本人指揮者では、まだ誰も成し遂げていない一大プロジェクトをぜひお聴き下さい。(メーカー資料より)

【収録情報】
ショスタコーヴィチ:
● 交響曲第1番ヘ短調 op.10 ※2種類演奏を収録
● 交響曲第2番ロ長調 op.14『十月革命に捧げる』
● 交響曲第3番変ホ長調 op.20『メーデー』
● 交響曲第4番ハ短調 op.43
● 交響曲第5番ニ短調 op.47
● 交響曲第6番ロ短調 op.54
● 交響曲第7番ハ長調 op.60『レニングラード』
● 交響曲第8番ハ短調 op.65
● 交響曲第9番変ホ短調 op.70
● 交響曲第10番ホ短調 op.93
● 交響曲第11番ト短調 op.103『1905年』
● 交響曲第12番ニ短調 op.112『1917年』
● 交響曲第13番変ロ短調 op.113『バビ・ヤール』
● 交響曲第14番ト短調 op.135『死者の歌』
● 交響曲第15番イ長調 op.141

セルゲイ・アレクサーシキン(バリトン:第13番、第14番)
アンナ・シャファジンスカヤ(ソプラノ:第14番)

栗友会合唱団(第2番、第3番)
東京オペラシンガーズ男声合唱(第13番)
サンクト・ペテルブルク交響楽団(第1,2,3番、第5,6,7番、第10番、第13番)
千葉県少年少女オーケストラ(第1番)※
東京フィルハーモニー交響楽団(第4番)
新日本フィルハーモニー交響楽団(第8番、第9番、第15番)
名古屋フィルハーモニー交響楽団(第11番、第12番)
広島交響楽団(第14番)
井上道義(指揮)

録音時期:
2007年
11月3日(第1,2,3番)、
11月4日(第5,6番)、
11月10日(第1番※、第7番)、11月11日(第10,13番)、
11月18日(第14番)、
12月1日(第4番)、
録音場所:東京、日比谷公会堂

録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

2016年11月18日発売→12月10日に延期⇒さらに2017年02月28日予定に延期。

OVCX00100 (Octavia Exton)

12枚組 ¥16,200(税込み)


以上、
HMVのサイト
より。



しかし十年近くまつことになるとは思ってもみませんでした。

全公演は聴いてませんが、
当時の感想を書いたもののリンク先を記しておきます。

11/11の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/38111946.html

11/9の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/38067056.html

11/4の感想
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/37933212.html


どんなかんじになってるんだろう。
楽しみです。

しかしどんどん発売がのびる、大丈夫かあ~?
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ゆく河の流れは絶えずして(柴田南雄) [クラシック百銘盤]

現代音楽。

この言葉を聞くと反射的に嫌悪感を覚える。

そんな時期が自分にもかなり長い年月あった。

それは自分が学生時代に聴いた、
いくつかの日本人作曲家の「現代音楽」とよばれるもの、
それに起因するところが大きい。

意味も方向性も分からない不協和音の連続は、
自分にはまったく興味も理解もできないものだった。

正直これらの音楽は作曲家のひとりよがりで、
手段が目的になってしまった典型と感じられてしかたなかった。

またその後ある音楽関係者の方から、
「あれはただオーケストラを使っていろいろと試してるだけ」
という現場の声がある事を聞いた。

「こんなもの聴くだけ人生の無駄」
とついには切って捨てたものだった。


だが年月が流れ、
その間コルトレーンのフリージャズをはじめ、
いろいろなジャンルの古今の音楽を聴いたからだろうか、
いつしか自分の中から「現代音楽」への嫌悪感が薄れていった。


また同じころ一般には評判が悪いが、
ハイティンクがコンセルトヘボウを指揮した武満徹を聴いたとき、
「ゴミのような音楽に聴こえたのは、日本のオケが下手だったからではないか。」
という気が強くした。

そしてウィーンフィルが演奏した武満を聴いた時、
その考えは決定的となった。

幸いにして日本のオケは21世紀に入り急速に進化している。

それは在京のプロオケだけでなく、
アマオケや地方オケも例外ではない。

このためかつては現代音楽と言われていた、
三善晃や矢代秋雄の交響曲も、
これらのことも手伝って、
もはや現代の古典というくらい耳当たりのよい曲として、
演奏会でも接することができるようになった。


そんな中、
今年(2016)の9月29日に生誕百年を迎えた、
日本を代表する作曲家である柴田南雄の作品を、
若手の実力者、山田和樹が集中的にとりあげてるという。


最近演奏された、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
たいへん評判がよかったという。


じつはかつてこれが第22回尾高賞受賞したとき、
それがN響の演奏によりTVで放送されたことがあったのですが、
自分が現代音楽を「より嫌い」になった原因がそれを聴いたためだった。

このため当然柴田南雄とも疎遠になった。

だが数年前、
偶然聴いた他の指揮者とオーケストラによる、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
そのときとはずいぶん印象の違うものとなった。

そしてこんなことを言っては申し訳ないが、
些か音に対する感覚の古き時代のようなものも感じてしまった。

それだけにそこのところを、
山田さんがどう描いていくかとても興味があったが、
残念なからいろいろな理由で行くことはできなかった。


そんな山田さんが11月7日に、
柴田南雄の交響曲、
「ゆく河の流れは絶えずして」
を指揮するという。

日本PO.jpg

この日付は1975年にこの曲が初演された日に当たる。


この曲は自らの体験を軸にした自分音楽史が前半、
後半は鴨長明の「方丈記」における冒頭と、
前半の平安末期にあった自然災害や世の混乱を描いた部分を、
途中コーラスのメンバーが客席にまでせり出し朗読するという、
そういうシアター・ピースも織り交ぜた、
演奏時間が60分からそれ以上にのぼるという、
大規模な作品となっている。


なぜ方丈記がテキストに選ばれたのかは、
柴田さん自身によると、
方丈記に描かれていることがこの曲を作曲していた、
1970年代の都市状況によく似ているからとのこと。


方丈記にはじつは歴史的な大災害や事件等が描かれている。

安元の大火
治承の竜巻と福原遷都
養和の大飢饉
元暦の地震(文治地震)

といったあたりである。

この間平氏滅亡もあり、
まさに時代は混迷を深めていた時代だった。


そしてその頃の日本、
つまり方丈記の安元元年から、
元暦の終わりまでの十年間という期間を、
柴田さんがこの曲を完成させる十年ほど前にてらしあわせてみると、

1974年の伊豆半島沖地震と田中首相退陣、台風第8号や多摩川水害
1973年の第1次オイルショック
1972年の浅間山荘事件
1968年の十勝沖地震
1964年の新潟地震と関東大渇水(東京砂漠)

というかんじになっている。

1973年には映画、1974年にはテレビで、
ベストセラーとなっていた「日本沈没」が映像化され、
大きな話題を呼んでいた時代でもあり、
関東地震の69年周期というものが話題となり、
多くの人たちが首都圏直下型地震に不安を抱いていた時代でもあった。

柴田さんの気持ちもよくわかります。

あとこの頃は公害も酷かった。

なにしろ静岡県の田子の浦港でのヘドロ公害をヒントに、
「ゴジラ対へドラ」が1971年に公開されたくらいですから。


ところでこの曲、
昭和50年を記念して東京新聞から委託されたらしいが、
今あらためて聴いてみると、
メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の、
柴田版というかんじもする。


もちろんあれに比べると、
あれほどの祝祭感覚は無いものの、
どこか祭儀のそれを強く感じられるものがあるし、
方丈記のカノンなどは、
まるで日本の民謡や童歌のようでもありながら、
なにか村祭りにも宮廷の宴にも感じられる、
独特の「和」の響きによって満たされている。

ただそれ以上に、
メンデルスゾーンがバッハやヘンデルといった、
過去の作品に対する研究と、
自らの創作活動をひとつにして、
古から現在までを、
自分を通してひとつの線として繋ぎ紡いだ「賛歌」同様、
この柴田さんの交響曲にも、
似た意識と感覚が強く感じられる。


ただそこに現代と過去の不安の共鳴を織り込んだのは、
柴田さんならではのものだろう。

因みに鴨長明の没後七百年にあたる年に柴田さんは生まれている。

これも何かの縁なのかもしれない。

そして今の時代。

平安末期や昭和40年代同様、
また混迷と不安の時代と化している今。

今回の山田さん指揮の柴田さんの交響曲は、
どのように響いてくるだろうか。


因みに現在自分の手元にあるのは、
1989年1月12日。

時代が昭和から平成になったばかりの東京文化会館で、
若杉弘指揮東京都交響楽団によって演奏された演奏会のライブ盤。

方丈.jpg

今度の指揮の山田さんがもうすぐ10歳の誕生日を迎えようという頃の録音。


ここでの当時50代半ばだった若杉さんの指揮は、
こういう手数の多い巨大な作品を、
じつに見事に見通しよく、
ほんとうに聴き応えのある演奏としている。

若杉さんはもともとこういう大曲、
とくに劇場風の要素のある作品には、
圧倒的な強みをみせていたこともあり、
見事な出来となっていたのだろう。


因みにこの録音をされた演奏会以来、
この曲は演奏されていないとのこと。


はたして27年ぶりのこの曲は、
はじめてのサントリーホールにどう響くのだろうか。



あと余談ですが、
柴田南雄さんは自分にとって、
じつはまったく関係ないというわけではないため、
途中から「さん」付けとなってしまいました。


それだけに、
かなり長い期間柴田さんの作品に、
あまり関心を持たなかった…、
というより冷たい聴き手だった自分に、
ちょっと悔いをもっている今日この頃です。


それにしても第4楽章と第6楽章のカノンの美しさ。

これに巡り合うまで、
ずいぶん遠回りをしてしまいました。

これも自分の未熟からきたものなのでしょう。


(2016 11/7 追加)

先週末にひいた風邪のためこの日の演奏会に行けませんでした。

ほんとうに柴田さんの音楽とは縁が無いです。
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フルトヴェングラーのブルックナーの8番 [クラシック百銘盤]

フルトヴェングラーの交響曲の録音をみると、
とにかくベートーヴェンの多さが目をひく。

そしてその次にブラームスが多い。

これに比べるとブルックナーはやはり少ない。

しかも全曲をセッション録音したものはひとつも無い。

あるのは7番の第二楽章くらいで、
あとはすべてライブか放送用の録音のみ。

これには録音時間の問題等もあったかもしれないが、
それにしても皆無というのはちょっと驚きだ。

DGに1951年の11月に、
自作の交響曲第2番をセッション録音しているので、
ブルックナーを録音するチャンスはあったと思われるだけに、
なおさらという気がする。

DGのスタッフも正直、
「できれは7番あたりを録音してほしい」
とこのとき思っていたのではないだろうか。


それとブルックナーの録音がひじょうに年代的に限られてるということ。

現在聴くことができるものとしては、
第二次大戦前にはひとつも録音がなく、
戦争中に完全な形で全曲録音が残っているものが、
5、8、9番の三曲が各一種類ずつ。

1947年5月の復帰から1951年までに、
4番が二種、5番が一種、7番が三種、8番が二種だが、
4番と7番の三種のうち二つは、きわめて時期が接近しており、
8番に至っては放送録音とその翌日のライブというぐあい。

そしてそれ以降は1954年の8番が一種という具合で、
頻繁に終始あちこちで演奏していたというわけではない。

しかも1952年以降は録音が激減している…
…というより演奏そのものが減っている。


そしてその代わりに、
1951年の末にセッション録音された、
自作の交響曲第2番の演奏が増え、
録音も1952年以降は三種類ものライブ録音が遺されている。
そして自らの最後の演奏会もこの曲が演奏されている。

これが何を意味してるのかは想像するしかないけど、
とにかくブルックナーの録音は、
ひじょうに少ないというのか実感だし、
あまり別の日との聴き比べもてきないというのが現状だ。

そんな中で、
その全曲演奏の記録が唯一1944~1954年にわたり、
しかも四種類という最多の録音数を数え、
ウィーンフィルとベルリンフィルによって、
各々ライブと放送録音が遺されている8番は、
この指揮者のブルックナーの考え方が、
ひじょうにわかりやすいものといえる。


この四つは以下の通り。

①VPO、1944年10月17日、ムジークフェラインでの放送録音。
②BPO、1949年3月14日、ゲマインデハウスでの放送録音。
③BPO、1949年3月15日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。
④VPO、1954年4月10日、ムジークフェラインでのライヴ録音。

演奏時間は上から、

15:11, 14:07, 25:08, 22:20。
15:58, 14:23, 25:27, 22:58。
15:33, 13:43, 24:55, 21:51。
16:34, 14:37, 27:21, 21:55。


この四種はありがたいことに、
フルトヴェングラーのこの種の録音としては、
年代にしてはそこそこまともなものばかり。

また四種ともひじょうに特徴的なものとなっている。

①はとても流麗かつ美しく、
とても戦争中の演奏録音とは思えないほどで、
曲の流れにのったじつに自然な演奏。
ホールの響きもなかなかうまくとらえられている。

あの凄絶なBPOとの9番の十日後の演奏とはとても思えない。


②はひじょうにガッチリとつくりこまれたというか、
セッション録音時のフルトヴェングラーのそれに近しいものがある。
フルトヴェングラーのブルックナーを
「人間的すぎる」とか「ロマンティックにすぎる」
と言われることがあるけど、
この演奏はそういう言葉からはかなり遠い演奏。

ある意味素朴であり飾り気のない演奏でありながら、
弱音や間の取り方に尋常ではない神経の細かさを感じる。

この演奏のみを翌日の演奏と混ぜることなく、
EMIが当初から発売していたら、
日本におけるフルトヴェングラーのそれは、
多少違った評価をされていたかもしれない。


③はこの時期のライブのフルトヴェングラーの特徴がよく出た、
非常に興にのった一気呵成ともいえる劇的な演奏。
基本的には②をベースにしているとはいえ、
その出来の印はかなり違い、
ここまでやるかというくらい壮絶なものとなっている。

しかもブルックナーの音楽を「広く大きく」という一般的なものではなく、
「遠く深く」という、
もうひとつの方向にもっていった稀有な演奏。

これが日本のブルックナー愛好家の多くから、
いまだ理解されがたい理由なのだろう。

ただ個人的にはこの演奏、
もしブルックナーが客席で聴いていたら
終演後舞台上の指揮者に飛びつき、
抱きしめたのではなかろうかというくらい、
作曲家を狂喜させたような気がした。

それにしても第三楽章の響きはじつに深いが、
かつて聴いたヨッフムとバンベルクの演奏と、
ちょっと相通じるものをいつも聴いていて感じてしまう。


④はフルトヴェングラー最晩年期に遺された、
唯一のブルックナー録音。

二か月前にセッション録音されたベートーヴェンの5番のような、
解説的かつ晴朗な演奏で、
勢いや劇性というものからきわめて遠い、
ある意味思考思索しながら曲から濁りをとりはらい、
曲のあるがままの姿を追求しようとしたような演奏。

そしてそこになぜか、
ベートーヴェン的な強さも感じられてしまう。

フルトヴェングラーの他のブルックナーにも、
ベートーヴェン的な強さというか、
不屈の姿勢みたいなものが感じられが、
この演奏には特にそれが感じられる。

これはフルトヴェングラーが、
ブルックナーを理解していないというのではなく、
ブルックナーが楽聖をいかに意識し、
彼と深い部分で繋がっていたかを見抜き、
それを突き詰めた結果という気が自分にはする。

1954年のハ短調の第八交響曲の演奏が、
その二か月前の楽聖のハ短調の第五交響曲の録音と、
なんとなく近しいものを感じられたのも、
そんな部分があったからなのかもしれない。

フルトヴェングラーにとって、
ブルックナーは唯一無二の存在ではあったが、
孤高の存在というより、
楽聖に深い愛を生涯捧げた巨人という、
そういう位置づけだったのではないだろうか。

そんなことを彼のブルックナー、
特に5番やこの8番からは聴きとれるような気がする。


と、ざっくりと書いてしまったが、
フルトヴェングラーによる、
ブルックナーの交響曲第8番は、
そんなかんじに四種類とも、
いろいろなことを自分に感じ考えさせてくれる。

今年(2016)の一月はフルトヴェングラーの生誕130年だったが、
十月はブルックナーの没後120年にあたるということで、
そんなこともあり、
今年はフルトヴェングラーのブルックナをよく聴いているので、
余計いろいろと考えてしまうのかも。


ということで唐突に〆
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ショルティのブルックナー [クラシック百銘盤]

ショルティが亡くなり、
来年(2017)で早くも20年が経ってしまう。

ほんとうに早い。

じつは自分にとって、
かつてショルティは最高に心酔した指揮者のひとりだった。

その持って回ったような言い方をしない、
単刀直入な音楽の捌き方が、
とにかく自分には胸のすく思いで聴きほれていた時期があった。

ただ何というのか、
次第にいろいろと他の指揮者も聴きこんでいくうちに、
ショルティに対してのそれがうすれていった。

ショルティを再度真剣に聴きかえし始めたのは、
彼の生誕百年を過ぎたころからかもしれない。

ただそれは以前聴いていたマーラーやバルトークとかではなく、
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、
そしてブルックナーというものだった。

ぶっちゃけて言えば日本でショルティの評価の低いところだ。


だがこれらがなかなかいい。

どうしてもっと早くこのあたりを聴いていなかったのかと、
ちよっと我ながら残念に思ったりしたものでした。


その中のブルックナー。


ショルティはかつてシカゴ響赴任前に、
ウィーンフィルで7番(65年)と8番(66年)を録音している。
(この7番を録音している時にクナッパーツブッシュの訃報にショルティは接している。)

ショルティはその後クナッパーツブッシュのウィーンでの追悼コンサートで、
ブルックナーの7番の第二楽章を演奏。

その後69年のウィーンフィルとの来日公演でも7番を演奏しており、
そういう意味でまったく無縁の作曲家というわけではないのですが、
マーラーに比べるとかなり消極的だったということは否めない。


そんなショルティが1979年からブルックナーの交響曲を、
シカゴ交響楽団と録音しはじめた。

それは以下のような順番で行われた。

6番 1979
5場 1980 ※これ以降すべてデジタル録音。
4番 1981
9番 1985
7番 1986
8番 1989 ※未発売
8番 1990 ※サンクト・ペテルブルクでのライブ。
2番 1991
3番 1992
1番 1995/2月
0番 1995/10月 ※ライブ

というかんじで行われた。

これをみてると最初は10年かけて6曲、
しかも8番は未発売ということなので、
かなり慎重な姿勢でやっていたが、
1990年のサンクトでのライブで何か吹っ切れたのか、
その後は比較的順調に録音していったようだ。


自分はこれを一通り聴いたが、
最初の6番はショルティ自身の特性とあっていたのか、
なかなかの好演となっている。

その後同じゴリゴリ系の5番と、
比較的ポピュラーな4番と続いたところで、
4年ほど録音期間が空く。

そして9番7番と続くが、
一気に8番とは行かず、
89年にようやく8番を録音したものの発売はされず、
翌年サンクトでの同曲のライブ録音によって、
ようやくそれを果たすこととなる。


このようにショルティは、
ブルックナーはかなり慎重に、
そして考えながら録音していったように見受けられる。

このようになったのは彼と同い年の指揮者、
ヴァントやチェリビダッケがブルックナーを得意としていたことも、
正直あったような気がする。

また二つ年下でかつて一緒にシカゴにいたジュリーニが、
ウィーンフィルとブルックナーの後期三大交響曲を、
1984年から隔年ごとに録音をしていたこと、
しかも7番はジュリーニとショルティが同じ年に録音をしたことで、
余計比較対象のそれになったこと、
さらに1988年に録音したジュリーニの9番は、
録音と前後して行われた演奏会がたいへんな評判になったことで、
彼はさらにプレッシャーを受けていたことだろう。


だが1990年サンクトでの8番以降、
ショルティは完全に吹っ切れたかのように、
自らのブルックナーを見事に奏でることになっていった。


正直言うと最初の頃のショルティとシカゴのブルックナーは、
やや金管が細かいところがぶっきら棒なところがあり、
弦も輝かしく歌いこまれているのはいいが、
なんか最後にひと伸び足りないというか、
変な表現で申し訳ないのですが、
弦の穂先がバサバサに刈り取られて、
いささか雑然としていて揃ってないような、
そんな感じに聴こえるところが少なからずあった。

それが回を重ねるに連れ次第に影を潜め、
90年のライブ以降それがより際立っていったように感じられた。

特に感じられるのが、
91年の2番と92年の3番の録音だ。


ここで面白いのはショルティの使用楽譜。

2番が1877年のノヴァーク版
3番が1877年のノヴァーク第2稿

というもの。

つまりともに同じ年に書かれた稿で演奏しているということだ。


1877年というとベートーヴェン没後50年の年だが、
そのせいかこの頃はいろいろな作曲家による交響曲の新作が、
あちこちで前後していろいろと作曲されたり発表されたりしている。

ブラームスの交響曲第1番と第2番、
チャイコフスキーの交響曲第4番、
ボロディンの交響曲第2番、
ゴルドマルクの交響曲第1番「田舎の婚礼」

そしてブルックナーの手元には、
2番~5番までのじつに4曲の交響曲が、
完成もしくは改訂が済んだ状態でおいてあった。


1877年が敬愛するベートーヴェンのメモリアルイヤーということで、
ブルックナーがそれをどう感じていたかは分からないが、
まったく無関心であったということはとてもではないが考えられない。

おそらくその結果がこの4曲だったのだろう。
それはこの4曲の調性が、
すべてベートーヴェンの交響曲の調性と同じという、
そういうところにも見受けられる。


ショルティはそんなところに目をつけたのだろうか、
とにかくこの2曲をともに1877年版で演奏している。

そしてその出来は…。


じつに剛毅で健康的で晴朗なブルックナーだった。

ほんとうにある意味、
それはベートーヴェン的といえるほどの力強さと輝かしさをもった、
極めて劇的剛直なブルックナーだった。

もうそこに精神性がどうこうという、
そんな小賢しい評論など入り込む余地が無いほど、
とにかく圧倒的なブルックナーだった。

見事なほどの輝かしいブラス、
やや硬質なものの瑞々しい響きの木管、
光沢のある弦楽器。

特に内声の随所に聴かれる強い歌いこみはほんとうに魅力的で、
これほど曖昧さも迷いも無い、
完璧なまでに晴れ渡った、
思い切りの良い壮麗な響きのブルックナーというのも、
そうそう耳にすることはないだろう。


ただ確かにこの一点の曇りも無い輝かしい響き、
しかも田舎臭さなど微塵も無い、
洗練され切った、
それこそカッコいいといっていいくらいのこの響きは、
いわゆるブルックナーらしさから極めて遠い響きだろう。

だがこの音楽すべてを肯定しつくしたような、
強く曖昧さの無い、
それこそ楽聖の敵に対して向かっていくような、
その強靭とも剥き出しともいえるようなエネルギーが、
じつにこの二つのブルックナーではいい方向に向いている。

もしそれを狙ってショルティが1877年版を使用しているとしたら、
じつにそれは大正解だったというところでしょうか。


自分はこれを聴いていて、
かつてショルティとシカゴが1977年に初来日したときの、
その圧倒的な「ドン・ファン」で聴き手の度胆をぬくような、
それこそ天使の大群が足並みそろえて行進してくるような、
あの超弩迫力のブラス・セクションの響きを思い出した。

だが当時この演奏はその圧倒的すぎる程のパワーと輝きのため、

「あれは音楽ではない、暴力だ」

といったような言われのない中傷を一部の評論家から受けてしまった。

その評を自分は当時、

「古臭い感性と貧弱な日本のオケに慣れ過ぎたためだ」

と嘲笑したものでしたが、
このブルックナーもまた同じように、
多くのブルックナー愛好家には聴こえているのではないかと、
ふとそんな気がしたものでした。


もちろんシュトラウスとブルックナーは違うので、
一概に当てはめるのは危険なものの、
自分はこういうブルックナーもまたアリだろうという気がしたし、
ブルックナーだって古いヨーロッパの教会のオルガンと、
アメリカのピッカピカのオルガンでは、
当然彼の弾き方も変わってくるだろう。

案外アメリカのピッカピカの、
劇場用のPAみたいなものまで使った大音量の出るオルガンを前にしたら、
それこそショルティとシカゴのように、
大音量大炸裂の爆演を熱狂的にしたかもしれない。


所変われば品変わるではないけど、
そういうこともありうるかもしれないのだ。

と、そんなことをショルティのこの二つの交響曲の録音を聴いて、
想ったりしたものでした。

「運命」と同じハ短調の2番と、
「第九」と同じニ短調の3番。

フルトヴェングラーとはまた違った、
ショルティ風のベートーヴェン感覚に満ちた
そんなショルティのブルックナー賛歌に乾杯。


演奏時間

029-bruckner-2.jpg
2番 18:09、16:47、06:04、14:40

029-bruckner-3.jpg
3番 21:49、16:39、07:00、13:57
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小澤征爾さん指揮の作品にグラミー賞 [クラシック百銘盤]

アメリカ音楽界で、もっとも権威があるとされる「グラミー賞」の授賞式が15日、ロサンゼルスで行われ、世界的に活躍する音楽家、小澤征爾さんが指揮をした作品「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」が最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞しました。

ことしで58回目となるグラミー賞の授賞式が15日、ロサンゼルスで行われ、各賞の発表が続いています。
この中で、世界的に活躍する音楽家、小澤征爾さんが指揮をした作品「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」が最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞しました。受賞した作品は、2013年に長野県松本市で開かれた音楽祭、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で小澤さんが指揮をした公演のもようを収録したものです。
小澤さんは、旧満州生まれの80歳。アメリカのボストン交響楽団で30年近くにわたって常任指揮者と音楽監督を務めたほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとした世界有数のオーケストラと共演するなど、その実力は世界で高く評価されています。
作品を販売する大手レコード会社「ユニバーサルミュージック」によりますと、小澤さんは、今回を含めてこれまでに8回、グラミー賞にノミネートされていますが、受賞は初めてだということです。
.

小澤さん「仲間たちと喜びを分かち合いたい」

グラミー賞を受賞した「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」は、平成25年に長野県松本市で開かれた音楽祭で小澤征爾さんが指揮したオペラの公演を収録したものです。小澤征爾さんはこの音楽祭のホームページでコメントを発表し、「この『こどもと魔法』は僕の大事な仲間であるサイトウ・キネン・オーケストラとすばらしい歌い手たちと創った作品で、彼らのおかげで、充実した練習と公演ができてとても楽しかった。それが松本のフェスティバルの力なのだと思う。大変うれしく、みんなとこの作品を創れたことを誇りに思います。仲間たちとこの喜びを分かち合いたいです」としています。


ボストン交響楽団がお祝いのコメント

小澤征爾さんが、およそ30年間にわたって音楽監督を務めた、アメリカのボストン交響楽団は、公式ツイッターで「おめでとうございます!」とお祝いのコメントを出すとともに、ホームページでも、小澤さんのプロフィールを紹介し「クラシック音楽界で、世界有数の偉大な人物だ」として、これまでの業績をたたえています。


「こどもと魔法」とは

グラミー賞の最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞した「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」は、平成25年に長野県松本市で開かれたクラシックの音楽祭で、小澤征爾さんが指揮したオペラの公演を収録したものです。この公演は、小澤さんが恩師の斎藤秀雄さんを偲んで結成したサイトウ・キネン・オーケストラを指揮したもので、平成22年から病気の療養のため活動の休止が続いていた小澤さんが、本格的な復帰を果たした舞台としても話題となりました。


80歳迎えた今も精力的

小澤征爾さんは旧満州生まれの80歳。東京の桐朋学園で数多くの指揮者を育てた齋藤秀雄さんに指揮を学び、23歳の時に貨物船で単身、ヨーロッパに渡りました。世界的な指揮者のカラヤンやバーンスタインに師事したのち、アメリカのボストン交響楽団で29年にわたって音楽監督を務めました。
その間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする、名だたるオーケストラでタクトを振るなど世界的な指揮者として活躍しました。そして、平成14年に世界屈指の歌劇場として知られるオーストリアのウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、8年間にわたってそのポストを務めました。
80歳を迎えた今も精力的に活動を続けていて、去年12月にはアメリカの芸術や文化に貢献した人に贈られる「ケネディ・センター名誉賞」を、日本人として初めて受賞したことでも話題になりました。小澤さんがグラミー賞にノミネートされるのは、昭和44年に初めて候補になって以来8回目で、今回初めての受賞となりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160216/k10010410761000.html


まだ一度もとってなかったとは意外でした。


ただなあ…、

今まで日本でグラミー賞のクラシック部門って、
誰か話題にしてたことあったかなあ、
というくらいなかんじで、
辻井さん優勝時のクライバーンコンクールと、
ちょっと重なる部分があった。

だいたい日本の音楽評論家で、
グラミー最多受賞指揮者が誰か知ってる人ってどれくらいいるんでしょうねえ。


まあそんな皮肉はさておき、
とにかく80歳にしてやっと小澤さんがグラミー戴冠をはたした。

過去ノミネートされたものをみると、

1969年 「メシアン:トゥーランガリラ交響曲」(トロント響)
1971年 「ヤナーチェク&ルトスワフスキ」(シカゴ響)、「オルフ:カルミナ・ブラーナ」(ベルリンフィル)
1974年 「ベルリオーズ:幻想交響曲」(ボストン響)
1976年 「ベルリオーズ:ファウストの劫罰」(ボストン響)
1981年 「シェーンベルク:グレの歌」(ボストン響)
1993年 「チャイコフスキー:歌劇『スペードの女王』」(ボストン響)

http://minnano-uwasa.com/ozawaseiji-grammy2016/

と、なかなかの内容のものが揃っている。

だが相手が悪かった。

この時小澤さんを退けたのは、

1969年の初登場時は、
ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニアのドビュッシーに退けられた。

1971年は二点ノミネート。
しかもうちひとつは若き日の小澤の超名演、
あのルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」だったが、
いかんせん相手があの歴史的名演といわれている、

ブーレーズ指揮クリーヴランドの「春の祭典」

だった。

1981年の大作「グレの歌」なんかどう考えてもとりそうなのだが、
これまた当時ロサンゼルスのシェフだった巨匠ジュリーニの、
モーツァルトの「レクイエム」に敗れ去った。

そして93年「スペードの女王」は、
グラミー最多受賞指揮者ゲオルグ・ショルティの超話題盤、
ウィーンフィルとの「影の無い女」にもっていかれた。

しかもこの年ショルティは合唱部門でも「ロ短調ミサ」で受賞し二冠に輝いている。


小澤さんのいた時代、このようにブーレーズやショルティ、
さらにはバーンスタイン、ジュリーニ、レヴァイン、バレンボイム
そしてスラットキンやMTTなどが北米を中心に群雄割拠していたので、
なかなか縁がなかったのだろう。

ただ小澤さんがCBSやデッカの契約だったら、
すでに何回かとれていたかもという話はちらほらと…。

(たしかに最多受賞のシヨルティはデッカだけど、同じ時期にアメリカで活躍していたマゼールはデッカ~CBSという具合だったものの、こちらはそれほどには縁がなかったようですので、一概にそうとはいききれないかもしれませんが…、因みに今回の小澤さんは初のデッカからのノミネートでした。)

まあこのへんはいろいろとあるのかもしれませんが、
とにかくようやくここにきてまたひとつ小澤さんに勲章が増えたことを、
今は素直に喜びたいと思います。


受章おめでとうございました。


UCCD-1403_jmj_extralarge.png
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ルドルフ大公の七重奏曲 [クラシック百銘盤]

Rudolf-habsburg-olmuetz.jpg
ルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフ・ライナー・フォン・エスターライヒ
(1788年1月8日 ピサ - 1831年7月24日 バーデン・バイ・ウィーン)


通称ルドルフ大公とよばれている人物。


後にオロモウツ大司教と枢機卿になった人だが、
むしろベートーヴェンのパトロンとしてのそれの方が有名だろう。

生前あの気難しく激しやすいベートーヴェンと親交を結んだだけでなく、
ベートーヴェンからピアノと作曲の手ほども受けている。

特に作曲に関してはベートーヴェンは他に教えた人が見受けられないため、
彼が唯一作曲家としてベートーヴェンに師事した人物となっている。


また大公はベートーヴェンをウィーンに留まらせるために、
4000グルデンという日本では一千万円をはるかに超える額の年金を出した。

そしてそんな大公にベートーヴェンもまた、
「告別ソナタ」「大公トリオ」「ビアノ協奏曲第5番皇帝」「ミサ・ソレムニス」等々、
じつに14曲もの作品を献呈しており、
また三重協奏曲のピアノパートも大公のソロを想定して書かれたというほど、
その関係は特別なものとなっていた。

またベートーヴェンは大公への敬愛の念を書面にも遺している。


そんな大公だが生まれつき病弱だったため、
43歳でこの世を去ってしまっている。

その大公の作品が、
じつは現在いくつか音で聴くことができる。

中でも亡くなる前年に作曲された、

「七重奏曲ホ短調」

は屈指の名作と思われる。


すでにベートーヴェンは三年前に世を去り、
シューベルトもこの世を去っていた。

大公自身も要職を離れ、
悠々自適の生活をされていた時期に作曲されたというこの作品。

81ozsLwrNdL__SY355_.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=5QLWz-LuU_c

これを聴いていると、
ベートーヴェンが二十代の終わりに書いた初期のヒット作

「七重奏曲 変ホ長調 op.20」

と、その後登場したシューベルトやロッシーニを想起させるようで、
若き日のベートーヴェンと初期ロマン派が合体したような、
とても明るく聴きやすい曲となっている。

ただそこにはベートーヴェンの七重奏曲以降のスタイルや影響が、
不思議とあまり感じられない…、
というよりすっぽり抜け落ちている感じがするのが興味深い。

これがいったい何を意味しているのか。


因みにこの作品の自筆譜の最後のページには大公が、

「終結。人間的なる彷徨!」

と記していたそうです。


できればもう少し顧みられ演奏される機会が欲しい曲です。
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「ラルフ・ヴォタペック・ライブ・イン・コンサート」というCDを聴く。 [クラシック百銘盤]

最近ブラームスとレーガーのクラリネット・ソナタの、
ピアノを担当したCDが発売となったヴォタペック。

そんなヴォタペックの放送音源をまとめたCDが出た。

001.JPG

収録曲は、

シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」作品6
ラヴェルの「夜のガスパール」
バルトークの舞踏組曲
カプースチンのアンダンテ

というもので録音は最初の二つが2002年、
バルトークが2003年、
最後が2013年というもの。

2013年のものが音質がいまいちだけど、
あとはそこそこ良好なものとなっている。

十年ほど前のものがほとんどということで、
今の熟成した味わいのヴォタペックとは違うが、
勢いと目の覚めるような鮮やかな音楽が交錯する、
じつに聴いていて気持ちのいい出来となっている。


もともとライブ重視の方らしいので、
こちらの方が本領発揮といったところか。

あいかわらずペダルの使い方がうまいのか、
音色と音質の変化が素晴らしい。

特にラヴェルのこのストレートなのに、
微妙なニュアンスをちりばめた印象が残るそれは、
この人の真骨頂かもしれない。

バルトークも曲のもつ野性味には目もくれず、
(でも民族的な部分はしっかり掴まえている)
この人の感覚による二十世紀の古典として、
見事に形成されている。


なかなか日本では彼のライブは聴けないので、
こういうライブCDはじつにありがたいものがあります。

ただあまり手に入りにくいCDらしいので、
誰でも気軽に入手できるルートで販売してもらいたいものです。
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