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ゆく河の流れは絶えずして(柴田南雄) [クラシック百銘盤]

現代音楽。

この言葉を聞くと反射的に嫌悪感を覚える。

そんな時期が自分にもかなり長い年月あった。

それは自分が学生時代に聴いた、
いくつかの日本人作曲家の「現代音楽」とよばれるもの、
それに起因するところが大きい。

意味も方向性も分からない不協和音の連続は、
自分にはまったく興味も理解もできないものだった。

正直これらの音楽は作曲家のひとりよがりで、
手段が目的になってしまった典型と感じられてしかたなかった。

またその後ある音楽関係者の方から、
「あれはただオーケストラを使っていろいろと試してるだけ」
という現場の声がある事を聞いた。

「こんなもの聴くだけ人生の無駄」
とついには切って捨てたものだった。


だが年月が流れ、
その間コルトレーンのフリージャズをはじめ、
いろいろなジャンルの古今の音楽を聴いたからだろうか、
いつしか自分の中から「現代音楽」への嫌悪感が薄れていった。


また同じころ一般には評判が悪いが、
ハイティンクがコンセルトヘボウを指揮した武満徹を聴いたとき、
「ゴミのような音楽に聴こえたのは、日本のオケが下手だったからではないか。」
という気が強くした。

そしてウィーンフィルが演奏した武満を聴いた時、
その考えは決定的となった。

幸いにして日本のオケは21世紀に入り急速に進化している。

それは在京のプロオケだけでなく、
アマオケや地方オケも例外ではない。

このためかつては現代音楽と言われていた、
三善晃や矢代秋雄の交響曲も、
これらのことも手伝って、
もはや現代の古典というくらい耳当たりのよい曲として、
演奏会でも接することができるようになった。


そんな中、
今年(2016)の9月29日に生誕百年を迎えた、
日本を代表する作曲家である柴田南雄の作品を、
若手の実力者、山田和樹が集中的にとりあげてるという。


最近演奏された、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
たいへん評判がよかったという。


じつはかつてこれが第22回尾高賞受賞したとき、
それがN響の演奏によりTVで放送されたことがあったのですが、
自分が現代音楽を「より嫌い」になった原因がそれを聴いたためだった。

このため当然柴田南雄とも疎遠になった。

だが数年前、
偶然聴いた他の指揮者とオーケストラによる、
「コンソート・オブ・オーケストラ」は、
そのときとはずいぶん印象の違うものとなった。

そしてこんなことを言っては申し訳ないが、
些か音に対する感覚の古き時代のようなものも感じてしまった。

それだけにそこのところを、
山田さんがどう描いていくかとても興味があったが、
残念なからいろいろな理由で行くことはできなかった。


そんな山田さんが11月7日に、
柴田南雄の交響曲、
「ゆく河の流れは絶えずして」
を指揮するという。

日本PO.jpg

この日付は1975年にこの曲が初演された日に当たる。


この曲は自らの体験を軸にした自分音楽史が前半、
後半は鴨長明の「方丈記」における冒頭と、
前半の平安末期にあった自然災害や世の混乱を描いた部分を、
途中コーラスのメンバーが客席にまでせり出し朗読するという、
そういうシアター・ピースも織り交ぜた、
演奏時間が60分からそれ以上にのぼるという、
大規模な作品となっている。


なぜ方丈記がテキストに選ばれたのかは、
柴田さん自身によると、
方丈記に描かれていることがこの曲を作曲していた、
1970年代の都市状況によく似ているからとのこと。


方丈記にはじつは歴史的な大災害や事件等が描かれている。

安元の大火
治承の竜巻と福原遷都
養和の大飢饉
元暦の地震(文治地震)

といったあたりである。

この間平氏滅亡もあり、
まさに時代は混迷を深めていた時代だった。


そしてその頃の日本、
つまり方丈記の安元元年から、
元暦の終わりまでの十年間という期間を、
柴田さんがこの曲を完成させる十年ほど前にてらしあわせてみると、

1974年の伊豆半島沖地震と田中首相退陣、台風第8号や多摩川水害
1973年の第1次オイルショック
1972年の浅間山荘事件
1968年の十勝沖地震
1964年の新潟地震と関東大渇水(東京砂漠)

というかんじになっている。

1973年には映画、1974年にはテレビで、
ベストセラーとなっていた「日本沈没」が映像化され、
大きな話題を呼んでいた時代でもあり、
関東地震の69年周期というものが話題となり、
多くの人たちが首都圏直下型地震に不安を抱いていた時代でもあった。

柴田さんの気持ちもよくわかります。

あとこの頃は公害も酷かった。

なにしろ静岡県の田子の浦港でのヘドロ公害をヒントに、
「ゴジラ対へドラ」が1971年に公開されたくらいですから。


ところでこの曲、
昭和50年を記念して東京新聞から委託されたらしいが、
今あらためて聴いてみると、
メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の、
柴田版というかんじもする。


もちろんあれに比べると、
あれほどの祝祭感覚は無いものの、
どこか祭儀のそれを強く感じられるものがあるし、
方丈記のカノンなどは、
まるで日本の民謡や童歌のようでもありながら、
なにか村祭りにも宮廷の宴にも感じられる、
独特の「和」の響きによって満たされている。

ただそれ以上に、
メンデルスゾーンがバッハやヘンデルといった、
過去の作品に対する研究と、
自らの創作活動をひとつにして、
古から現在までを、
自分を通してひとつの線として繋ぎ紡いだ「賛歌」同様、
この柴田さんの交響曲にも、
似た意識と感覚が強く感じられる。


ただそこに現代と過去の不安の共鳴を織り込んだのは、
柴田さんならではのものだろう。

因みに鴨長明の没後七百年にあたる年に柴田さんは生まれている。

これも何かの縁なのかもしれない。

そして今の時代。

平安末期や昭和40年代同様、
また混迷と不安の時代と化している今。

今回の山田さん指揮の柴田さんの交響曲は、
どのように響いてくるだろうか。


因みに現在自分の手元にあるのは、
1989年1月12日。

時代が昭和から平成になったばかりの東京文化会館で、
若杉弘指揮東京都交響楽団によって演奏された演奏会のライブ盤。

方丈.jpg

今度の指揮の山田さんがもうすぐ10歳の誕生日を迎えようという頃の録音。


ここでの当時50代半ばだった若杉さんの指揮は、
こういう手数の多い巨大な作品を、
じつに見事に見通しよく、
ほんとうに聴き応えのある演奏としている。

若杉さんはもともとこういう大曲、
とくに劇場風の要素のある作品には、
圧倒的な強みをみせていたこともあり、
見事な出来となっていたのだろう。


因みにこの録音をされた演奏会以来、
この曲は演奏されていないとのこと。


はたして27年ぶりのこの曲は、
はじめてのサントリーホールにどう響くのだろうか。



あと余談ですが、
柴田南雄さんは自分にとって、
じつはまったく関係ないというわけではないため、
途中から「さん」付けとなってしまいました。


それだけに、
かなり長い期間柴田さんの作品に、
あまり関心を持たなかった…、
というより冷たい聴き手だった自分に、
ちょっと悔いをもっている今日この頃です。


それにしても第4楽章と第6楽章のカノンの美しさ。

これに巡り合うまで、
ずいぶん遠回りをしてしまいました。

これも自分の未熟からきたものなのでしょう。


(2016 11/7 追加)

先週末にひいた風邪のためこの日の演奏会に行けませんでした。

ほんとうに柴田さんの音楽とは縁が無いです。
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フルトヴェングラーのブルックナーの8番 [クラシック百銘盤]

フルトヴェングラーの交響曲の録音をみると、
とにかくベートーヴェンの多さが目をひく。

そしてその次にブラームスが多い。

これに比べるとブルックナーはやはり少ない。

しかも全曲をセッション録音したものはひとつも無い。

あるのは7番の第二楽章くらいで、
あとはすべてライブか放送用の録音のみ。

これには録音時間の問題等もあったかもしれないが、
それにしても皆無というのはちょっと驚きだ。

DGに1951年の11月に、
自作の交響曲第2番をセッション録音しているので、
ブルックナーを録音するチャンスはあったと思われるだけに、
なおさらという気がする。

DGのスタッフも正直、
「できれは7番あたりを録音してほしい」
とこのとき思っていたのではないだろうか。


それとブルックナーの録音がひじょうに年代的に限られてるということ。

現在聴くことができるものとしては、
第二次大戦前にはひとつも録音がなく、
戦争中に完全な形で全曲録音が残っているものが、
5、8、9番の三曲が各一種類ずつ。

1947年5月の復帰から1951年までに、
4番が二種、5番が一種、7番が三種、8番が二種だが、
4番と7番の三種のうち二つは、きわめて時期が接近しており、
8番に至っては放送録音とその翌日のライブというぐあい。

そしてそれ以降は1954年の8番が一種という具合で、
頻繁に終始あちこちで演奏していたというわけではない。

しかも1952年以降は録音が激減している…
…というより演奏そのものが減っている。


そしてその代わりに、
1951年の末にセッション録音された、
自作の交響曲第2番の演奏が増え、
録音も1952年以降は三種類ものライブ録音が遺されている。
そして自らの最後の演奏会もこの曲が演奏されている。

これが何を意味してるのかは想像するしかないけど、
とにかくブルックナーの録音は、
ひじょうに少ないというのか実感だし、
あまり別の日との聴き比べもてきないというのが現状だ。

そんな中で、
その全曲演奏の記録が唯一1944~1954年にわたり、
しかも四種類という最多の録音数を数え、
ウィーンフィルとベルリンフィルによって、
各々ライブと放送録音が遺されている8番は、
この指揮者のブルックナーの考え方が、
ひじょうにわかりやすいものといえる。


この四つは以下の通り。

①VPO、1944年10月17日、ムジークフェラインでの放送録音。
②BPO、1949年3月14日、ゲマインデハウスでの放送録音。
③BPO、1949年3月15日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。
④VPO、1954年4月10日、ムジークフェラインでのライヴ録音。

演奏時間は上から、

15:11, 14:07, 25:08, 22:20。
15:58, 14:23, 25:27, 22:58。
15:33, 13:43, 24:55, 21:51。
16:34, 14:37, 27:21, 21:55。


この四種はありがたいことに、
フルトヴェングラーのこの種の録音としては、
年代にしてはそこそこまともなものばかり。

また四種ともひじょうに特徴的なものとなっている。

①はとても流麗かつ美しく、
とても戦争中の演奏録音とは思えないほどで、
曲の流れにのったじつに自然な演奏。
ホールの響きもなかなかうまくとらえられている。

あの凄絶なBPOとの9番の十日後の演奏とはとても思えない。


②はひじょうにガッチリとつくりこまれたというか、
セッション録音時のフルトヴェングラーのそれに近しいものがある。
フルトヴェングラーのブルックナーを
「人間的すぎる」とか「ロマンティックにすぎる」
と言われることがあるけど、
この演奏はそういう言葉からはかなり遠い演奏。

ある意味素朴であり飾り気のない演奏でありながら、
弱音や間の取り方に尋常ではない神経の細かさを感じる。

この演奏のみを翌日の演奏と混ぜることなく、
EMIが当初から発売していたら、
日本におけるフルトヴェングラーのそれは、
多少違った評価をされていたかもしれない。


③はこの時期のライブのフルトヴェングラーの特徴がよく出た、
非常に興にのった一気呵成ともいえる劇的な演奏。
基本的には②をベースにしているとはいえ、
その出来の印はかなり違い、
ここまでやるかというくらい壮絶なものとなっている。

しかもブルックナーの音楽を「広く大きく」という一般的なものではなく、
「遠く深く」という、
もうひとつの方向にもっていった稀有な演奏。

これが日本のブルックナー愛好家の多くから、
いまだ理解されがたい理由なのだろう。

ただ個人的にはこの演奏、
もしブルックナーが客席で聴いていたら
終演後舞台上の指揮者に飛びつき、
抱きしめたのではなかろうかというくらい、
作曲家を狂喜させたような気がした。

それにしても第三楽章の響きはじつに深いが、
かつて聴いたヨッフムとバンベルクの演奏と、
ちょっと相通じるものをいつも聴いていて感じてしまう。


④はフルトヴェングラー最晩年期に遺された、
唯一のブルックナー録音。

二か月前にセッション録音されたベートーヴェンの5番のような、
解説的かつ晴朗な演奏で、
勢いや劇性というものからきわめて遠い、
ある意味思考思索しながら曲から濁りをとりはらい、
曲のあるがままの姿を追求しようとしたような演奏。

そしてそこになぜか、
ベートーヴェン的な強さも感じられてしまう。

フルトヴェングラーの他のブルックナーにも、
ベートーヴェン的な強さというか、
不屈の姿勢みたいなものが感じられが、
この演奏には特にそれが感じられる。

これはフルトヴェングラーが、
ブルックナーを理解していないというのではなく、
ブルックナーが楽聖をいかに意識し、
彼と深い部分で繋がっていたかを見抜き、
それを突き詰めた結果という気が自分にはする。

1954年のハ短調の第八交響曲の演奏が、
その二か月前の楽聖のハ短調の第五交響曲の録音と、
なんとなく近しいものを感じられたのも、
そんな部分があったからなのかもしれない。

フルトヴェングラーにとって、
ブルックナーは唯一無二の存在ではあったが、
孤高の存在というより、
楽聖に深い愛を生涯捧げた巨人という、
そういう位置づけだったのではないだろうか。

そんなことを彼のブルックナー、
特に5番やこの8番からは聴きとれるような気がする。


と、ざっくりと書いてしまったが、
フルトヴェングラーによる、
ブルックナーの交響曲第8番は、
そんなかんじに四種類とも、
いろいろなことを自分に感じ考えさせてくれる。

今年(2016)の一月はフルトヴェングラーの生誕130年だったが、
十月はブルックナーの没後120年にあたるということで、
そんなこともあり、
今年はフルトヴェングラーのブルックナをよく聴いているので、
余計いろいろと考えてしまうのかも。


ということで唐突に〆
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ショルティのブルックナー [クラシック百銘盤]

ショルティが亡くなり、
来年(2017)で早くも20年が経ってしまう。

ほんとうに早い。

じつは自分にとって、
かつてショルティは最高に心酔した指揮者のひとりだった。

その持って回ったような言い方をしない、
単刀直入な音楽の捌き方が、
とにかく自分には胸のすく思いで聴きほれていた時期があった。

ただ何というのか、
次第にいろいろと他の指揮者も聴きこんでいくうちに、
ショルティに対してのそれがうすれていった。

ショルティを再度真剣に聴きかえし始めたのは、
彼の生誕百年を過ぎたころからかもしれない。

ただそれは以前聴いていたマーラーやバルトークとかではなく、
ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、
そしてブルックナーというものだった。

ぶっちゃけて言えば日本でショルティの評価の低いところだ。


だがこれらがなかなかいい。

どうしてもっと早くこのあたりを聴いていなかったのかと、
ちよっと我ながら残念に思ったりしたものでした。


その中のブルックナー。


ショルティはかつてシカゴ響赴任前に、
ウィーンフィルで7番(65年)と8番(66年)を録音している。
(この7番を録音している時にクナッパーツブッシュの訃報にショルティは接している。)

ショルティはその後クナッパーツブッシュのウィーンでの追悼コンサートで、
ブルックナーの7番の第二楽章を演奏。

その後69年のウィーンフィルとの来日公演でも7番を演奏しており、
そういう意味でまったく無縁の作曲家というわけではないのですが、
マーラーに比べるとかなり消極的だったということは否めない。


そんなショルティが1979年からブルックナーの交響曲を、
シカゴ交響楽団と録音しはじめた。

それは以下のような順番で行われた。

6番 1979
5場 1980 ※これ以降すべてデジタル録音。
4番 1981
9番 1985
7番 1986
8番 1989 ※未発売
8番 1990 ※サンクト・ペテルブルクでのライブ。
2番 1991
3番 1992
1番 1995/2月
0番 1995/10月 ※ライブ

というかんじで行われた。

これをみてると最初は10年かけて6曲、
しかも8番は未発売ということなので、
かなり慎重な姿勢でやっていたが、
1990年のサンクトでのライブで何か吹っ切れたのか、
その後は比較的順調に録音していったようだ。


自分はこれを一通り聴いたが、
最初の6番はショルティ自身の特性とあっていたのか、
なかなかの好演となっている。

その後同じゴリゴリ系の5番と、
比較的ポピュラーな4番と続いたところで、
4年ほど録音期間が空く。

そして9番7番と続くが、
一気に8番とは行かず、
89年にようやく8番を録音したものの発売はされず、
翌年サンクトでの同曲のライブ録音によって、
ようやくそれを果たすこととなる。


このようにショルティは、
ブルックナーはかなり慎重に、
そして考えながら録音していったように見受けられる。

このようになったのは彼と同い年の指揮者、
ヴァントやチェリビダッケがブルックナーを得意としていたことも、
正直あったような気がする。

また二つ年下でかつて一緒にシカゴにいたジュリーニが、
ウィーンフィルとブルックナーの後期三大交響曲を、
1984年から隔年ごとに録音をしていたこと、
しかも7番はジュリーニとショルティが同じ年に録音をしたことで、
余計比較対象のそれになったこと、
さらに1988年に録音したジュリーニの9番は、
録音と前後して行われた演奏会がたいへんな評判になったことで、
彼はさらにプレッシャーを受けていたことだろう。


だが1990年サンクトでの8番以降、
ショルティは完全に吹っ切れたかのように、
自らのブルックナーを見事に奏でることになっていった。


正直言うと最初の頃のショルティとシカゴのブルックナーは、
やや金管が細かいところがぶっきら棒なところがあり、
弦も輝かしく歌いこまれているのはいいが、
なんか最後にひと伸び足りないというか、
変な表現で申し訳ないのですが、
弦の穂先がバサバサに刈り取られて、
いささか雑然としていて揃ってないような、
そんな感じに聴こえるところが少なからずあった。

それが回を重ねるに連れ次第に影を潜め、
90年のライブ以降それがより際立っていったように感じられた。

特に感じられるのが、
91年の2番と92年の3番の録音だ。


ここで面白いのはショルティの使用楽譜。

2番が1877年のノヴァーク版
3番が1877年のノヴァーク第2稿

というもの。

つまりともに同じ年に書かれた稿で演奏しているということだ。


1877年というとベートーヴェン没後50年の年だが、
そのせいかこの頃はいろいろな作曲家による交響曲の新作が、
あちこちで前後していろいろと作曲されたり発表されたりしている。

ブラームスの交響曲第1番と第2番、
チャイコフスキーの交響曲第4番、
ボロディンの交響曲第2番、
ゴルドマルクの交響曲第1番「田舎の婚礼」

そしてブルックナーの手元には、
2番~5番までのじつに4曲の交響曲が、
完成もしくは改訂が済んだ状態でおいてあった。


1877年が敬愛するベートーヴェンのメモリアルイヤーということで、
ブルックナーがそれをどう感じていたかは分からないが、
まったく無関心であったということはとてもではないが考えられない。

おそらくその結果がこの4曲だったのだろう。
それはこの4曲の調性が、
すべてベートーヴェンの交響曲の調性と同じという、
そういうところにも見受けられる。


ショルティはそんなところに目をつけたのだろうか、
とにかくこの2曲をともに1877年版で演奏している。

そしてその出来は…。


じつに剛毅で健康的で晴朗なブルックナーだった。

ほんとうにある意味、
それはベートーヴェン的といえるほどの力強さと輝かしさをもった、
極めて劇的剛直なブルックナーだった。

もうそこに精神性がどうこうという、
そんな小賢しい評論など入り込む余地が無いほど、
とにかく圧倒的なブルックナーだった。

見事なほどの輝かしいブラス、
やや硬質なものの瑞々しい響きの木管、
光沢のある弦楽器。

特に内声の随所に聴かれる強い歌いこみはほんとうに魅力的で、
これほど曖昧さも迷いも無い、
完璧なまでに晴れ渡った、
思い切りの良い壮麗な響きのブルックナーというのも、
そうそう耳にすることはないだろう。


ただ確かにこの一点の曇りも無い輝かしい響き、
しかも田舎臭さなど微塵も無い、
洗練され切った、
それこそカッコいいといっていいくらいのこの響きは、
いわゆるブルックナーらしさから極めて遠い響きだろう。

だがこの音楽すべてを肯定しつくしたような、
強く曖昧さの無い、
それこそ楽聖の敵に対して向かっていくような、
その強靭とも剥き出しともいえるようなエネルギーが、
じつにこの二つのブルックナーではいい方向に向いている。

もしそれを狙ってショルティが1877年版を使用しているとしたら、
じつにそれは大正解だったというところでしょうか。


自分はこれを聴いていて、
かつてショルティとシカゴが1977年に初来日したときの、
その圧倒的な「ドン・ファン」で聴き手の度胆をぬくような、
それこそ天使の大群が足並みそろえて行進してくるような、
あの超弩迫力のブラス・セクションの響きを思い出した。

だが当時この演奏はその圧倒的すぎる程のパワーと輝きのため、

「あれは音楽ではない、暴力だ」

といったような言われのない中傷を一部の評論家から受けてしまった。

その評を自分は当時、

「古臭い感性と貧弱な日本のオケに慣れ過ぎたためだ」

と嘲笑したものでしたが、
このブルックナーもまた同じように、
多くのブルックナー愛好家には聴こえているのではないかと、
ふとそんな気がしたものでした。


もちろんシュトラウスとブルックナーは違うので、
一概に当てはめるのは危険なものの、
自分はこういうブルックナーもまたアリだろうという気がしたし、
ブルックナーだって古いヨーロッパの教会のオルガンと、
アメリカのピッカピカのオルガンでは、
当然彼の弾き方も変わってくるだろう。

案外アメリカのピッカピカの、
劇場用のPAみたいなものまで使った大音量の出るオルガンを前にしたら、
それこそショルティとシカゴのように、
大音量大炸裂の爆演を熱狂的にしたかもしれない。


所変われば品変わるではないけど、
そういうこともありうるかもしれないのだ。

と、そんなことをショルティのこの二つの交響曲の録音を聴いて、
想ったりしたものでした。

「運命」と同じハ短調の2番と、
「第九」と同じニ短調の3番。

フルトヴェングラーとはまた違った、
ショルティ風のベートーヴェン感覚に満ちた
そんなショルティのブルックナー賛歌に乾杯。


演奏時間

029-bruckner-2.jpg
2番 18:09、16:47、06:04、14:40

029-bruckner-3.jpg
3番 21:49、16:39、07:00、13:57
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小澤征爾さん指揮の作品にグラミー賞 [クラシック百銘盤]

アメリカ音楽界で、もっとも権威があるとされる「グラミー賞」の授賞式が15日、ロサンゼルスで行われ、世界的に活躍する音楽家、小澤征爾さんが指揮をした作品「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」が最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞しました。

ことしで58回目となるグラミー賞の授賞式が15日、ロサンゼルスで行われ、各賞の発表が続いています。
この中で、世界的に活躍する音楽家、小澤征爾さんが指揮をした作品「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」が最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞しました。受賞した作品は、2013年に長野県松本市で開かれた音楽祭、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で小澤さんが指揮をした公演のもようを収録したものです。
小澤さんは、旧満州生まれの80歳。アメリカのボストン交響楽団で30年近くにわたって常任指揮者と音楽監督を務めたほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとした世界有数のオーケストラと共演するなど、その実力は世界で高く評価されています。
作品を販売する大手レコード会社「ユニバーサルミュージック」によりますと、小澤さんは、今回を含めてこれまでに8回、グラミー賞にノミネートされていますが、受賞は初めてだということです。
.

小澤さん「仲間たちと喜びを分かち合いたい」

グラミー賞を受賞した「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」は、平成25年に長野県松本市で開かれた音楽祭で小澤征爾さんが指揮したオペラの公演を収録したものです。小澤征爾さんはこの音楽祭のホームページでコメントを発表し、「この『こどもと魔法』は僕の大事な仲間であるサイトウ・キネン・オーケストラとすばらしい歌い手たちと創った作品で、彼らのおかげで、充実した練習と公演ができてとても楽しかった。それが松本のフェスティバルの力なのだと思う。大変うれしく、みんなとこの作品を創れたことを誇りに思います。仲間たちとこの喜びを分かち合いたいです」としています。


ボストン交響楽団がお祝いのコメント

小澤征爾さんが、およそ30年間にわたって音楽監督を務めた、アメリカのボストン交響楽団は、公式ツイッターで「おめでとうございます!」とお祝いのコメントを出すとともに、ホームページでも、小澤さんのプロフィールを紹介し「クラシック音楽界で、世界有数の偉大な人物だ」として、これまでの業績をたたえています。


「こどもと魔法」とは

グラミー賞の最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞した「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」は、平成25年に長野県松本市で開かれたクラシックの音楽祭で、小澤征爾さんが指揮したオペラの公演を収録したものです。この公演は、小澤さんが恩師の斎藤秀雄さんを偲んで結成したサイトウ・キネン・オーケストラを指揮したもので、平成22年から病気の療養のため活動の休止が続いていた小澤さんが、本格的な復帰を果たした舞台としても話題となりました。


80歳迎えた今も精力的

小澤征爾さんは旧満州生まれの80歳。東京の桐朋学園で数多くの指揮者を育てた齋藤秀雄さんに指揮を学び、23歳の時に貨物船で単身、ヨーロッパに渡りました。世界的な指揮者のカラヤンやバーンスタインに師事したのち、アメリカのボストン交響楽団で29年にわたって音楽監督を務めました。
その間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする、名だたるオーケストラでタクトを振るなど世界的な指揮者として活躍しました。そして、平成14年に世界屈指の歌劇場として知られるオーストリアのウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、8年間にわたってそのポストを務めました。
80歳を迎えた今も精力的に活動を続けていて、去年12月にはアメリカの芸術や文化に貢献した人に贈られる「ケネディ・センター名誉賞」を、日本人として初めて受賞したことでも話題になりました。小澤さんがグラミー賞にノミネートされるのは、昭和44年に初めて候補になって以来8回目で、今回初めての受賞となりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160216/k10010410761000.html


まだ一度もとってなかったとは意外でした。


ただなあ…、

今まで日本でグラミー賞のクラシック部門って、
誰か話題にしてたことあったかなあ、
というくらいなかんじで、
辻井さん優勝時のクライバーンコンクールと、
ちょっと重なる部分があった。

だいたい日本の音楽評論家で、
グラミー最多受賞指揮者が誰か知ってる人ってどれくらいいるんでしょうねえ。


まあそんな皮肉はさておき、
とにかく80歳にしてやっと小澤さんがグラミー戴冠をはたした。

過去ノミネートされたものをみると、

1969年 「メシアン:トゥーランガリラ交響曲」(トロント響)
1971年 「ヤナーチェク&ルトスワフスキ」(シカゴ響)、「オルフ:カルミナ・ブラーナ」(ベルリンフィル)
1974年 「ベルリオーズ:幻想交響曲」(ボストン響)
1976年 「ベルリオーズ:ファウストの劫罰」(ボストン響)
1981年 「シェーンベルク:グレの歌」(ボストン響)
1993年 「チャイコフスキー:歌劇『スペードの女王』」(ボストン響)

http://minnano-uwasa.com/ozawaseiji-grammy2016/

と、なかなかの内容のものが揃っている。

だが相手が悪かった。

この時小澤さんを退けたのは、

1969年の初登場時は、
ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニアのドビュッシーに退けられた。

1971年は二点ノミネート。
しかもうちひとつは若き日の小澤の超名演、
あのルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」だったが、
いかんせん相手があの歴史的名演といわれている、

ブーレーズ指揮クリーヴランドの「春の祭典」

だった。

1981年の大作「グレの歌」なんかどう考えてもとりそうなのだが、
これまた当時ロサンゼルスのシェフだった巨匠ジュリーニの、
モーツァルトの「レクイエム」に敗れ去った。

そして93年「スペードの女王」は、
グラミー最多受賞指揮者ゲオルグ・ショルティの超話題盤、
ウィーンフィルとの「影の無い女」にもっていかれた。

しかもこの年ショルティは合唱部門でも「ロ短調ミサ」で受賞し二冠に輝いている。


小澤さんのいた時代、このようにブーレーズやショルティ、
さらにはバーンスタイン、ジュリーニ、レヴァイン、バレンボイム
そしてスラットキンやMTTなどが北米を中心に群雄割拠していたので、
なかなか縁がなかったのだろう。

ただ小澤さんがCBSやデッカの契約だったら、
すでに何回かとれていたかもという話はちらほらと…。

(たしかに最多受賞のシヨルティはデッカだけど、同じ時期にアメリカで活躍していたマゼールはデッカ~CBSという具合だったものの、こちらはそれほどには縁がなかったようですので、一概にそうとはいききれないかもしれませんが…、因みに今回の小澤さんは初のデッカからのノミネートでした。)

まあこのへんはいろいろとあるのかもしれませんが、
とにかくようやくここにきてまたひとつ小澤さんに勲章が増えたことを、
今は素直に喜びたいと思います。


受章おめでとうございました。


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ルドルフ大公の七重奏曲 [クラシック百銘盤]

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ルドルフ・ヨハネス・ヨーゼフ・ライナー・フォン・エスターライヒ
(1788年1月8日 ピサ - 1831年7月24日 バーデン・バイ・ウィーン)


通称ルドルフ大公とよばれている人物。


後にオロモウツ大司教と枢機卿になった人だが、
むしろベートーヴェンのパトロンとしてのそれの方が有名だろう。

生前あの気難しく激しやすいベートーヴェンと親交を結んだだけでなく、
ベートーヴェンからピアノと作曲の手ほども受けている。

特に作曲に関してはベートーヴェンは他に教えた人が見受けられないため、
彼が唯一作曲家としてベートーヴェンに師事した人物となっている。


また大公はベートーヴェンをウィーンに留まらせるために、
4000グルデンという日本では一千万円をはるかに超える額の年金を出した。

そしてそんな大公にベートーヴェンもまた、
「告別ソナタ」「大公トリオ」「ビアノ協奏曲第5番皇帝」「ミサ・ソレムニス」等々、
じつに14曲もの作品を献呈しており、
また三重協奏曲のピアノパートも大公のソロを想定して書かれたというほど、
その関係は特別なものとなっていた。

またベートーヴェンは大公への敬愛の念を書面にも遺している。


そんな大公だが生まれつき病弱だったため、
43歳でこの世を去ってしまっている。

その大公の作品が、
じつは現在いくつか音で聴くことができる。

中でも亡くなる前年に作曲された、

「七重奏曲ホ短調」

は屈指の名作と思われる。


すでにベートーヴェンは三年前に世を去り、
シューベルトもこの世を去っていた。

大公自身も要職を離れ、
悠々自適の生活をされていた時期に作曲されたというこの作品。

81ozsLwrNdL__SY355_.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=5QLWz-LuU_c

これを聴いていると、
ベートーヴェンが二十代の終わりに書いた初期のヒット作

「七重奏曲 変ホ長調 op.20」

と、その後登場したシューベルトやロッシーニを想起させるようで、
若き日のベートーヴェンと初期ロマン派が合体したような、
とても明るく聴きやすい曲となっている。

ただそこにはベートーヴェンの七重奏曲以降のスタイルや影響が、
不思議とあまり感じられない…、
というよりすっぽり抜け落ちている感じがするのが興味深い。

これがいったい何を意味しているのか。


因みにこの作品の自筆譜の最後のページには大公が、

「終結。人間的なる彷徨!」

と記していたそうです。


できればもう少し顧みられ演奏される機会が欲しい曲です。
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「ラルフ・ヴォタペック・ライブ・イン・コンサート」というCDを聴く。 [クラシック百銘盤]

最近ブラームスとレーガーのクラリネット・ソナタの、
ピアノを担当したCDが発売となったヴォタペック。

そんなヴォタペックの放送音源をまとめたCDが出た。

001.JPG

収録曲は、

シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」作品6
ラヴェルの「夜のガスパール」
バルトークの舞踏組曲
カプースチンのアンダンテ

というもので録音は最初の二つが2002年、
バルトークが2003年、
最後が2013年というもの。

2013年のものが音質がいまいちだけど、
あとはそこそこ良好なものとなっている。

十年ほど前のものがほとんどということで、
今の熟成した味わいのヴォタペックとは違うが、
勢いと目の覚めるような鮮やかな音楽が交錯する、
じつに聴いていて気持ちのいい出来となっている。


もともとライブ重視の方らしいので、
こちらの方が本領発揮といったところか。

あいかわらずペダルの使い方がうまいのか、
音色と音質の変化が素晴らしい。

特にラヴェルのこのストレートなのに、
微妙なニュアンスをちりばめた印象が残るそれは、
この人の真骨頂かもしれない。

バルトークも曲のもつ野性味には目もくれず、
(でも民族的な部分はしっかり掴まえている)
この人の感覚による二十世紀の古典として、
見事に形成されている。


なかなか日本では彼のライブは聴けないので、
こういうライブCDはじつにありがたいものがあります。

ただあまり手に入りにくいCDらしいので、
誰でも気軽に入手できるルートで販売してもらいたいものです。
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指揮者アシュケナージ [クラシック百銘盤]

ウラディーミル・アシュケナージ。

ピアニストとしての彼の実力を疑う人は少ないが、
こと指揮者としての彼は、
いかにいくつのポストを持ったとしても、
その実力をあまり高く評価する人はそれほどいない。


じつは自分もそのうちのひとりで、
彼のいくつかのCD、
さらにはN響の定期にも行くには行ったが、
酷評はしないものの、
また聴こうとかまた行こうという気に、
正直あまりなったことがない。

「あまり」

そうつまりすべてではないのです。

ではその例外となったものは何か。

それは彼がチェコフィルと日本のメーカーに録音したものがそれ。

彼は1996-2003年までチェコフィルの首席指揮者だった。
N響に在任する直前までの時期のこと。

そのとき録音したいくつかにじつはなかなかのものがある。
そのいくつかを今回紹介します。

最初は1999年に録音したドヴォルザークの「自然三部作」。
つまり交響詩「自然の中で」「謝肉祭」「オセロ」のこと。

dvowa.jpg

一緒に収録されている「新世界」が、
ひじょうに根性の入ってない腑抜けの演奏だったにもかかわらず、
その5か月前に録音したこの三部作はほとんど別人の指揮のようだ。

オケの輝き方や冴え方が尋常ではない。
しかも素晴らしく集中度の高い力感もあり、
それでいて弦の表情もじつにこまやかで瑞々しい。
録音の良さを含めれば同曲中ベスト3に入る名演だ。

この指揮者のみせるせせこましいところもないし、
力がいきなり抜けてしまうような隙も無い。

まさに圧巻といったところだろう。

この三部作の好きな人には必聴の名演だ。
それだけに「新世界」のあの腑抜けさがなんともなのですが…。


続いては翌年4月に録音した、
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」。

M7.jpg

これはじつはこの曲が好きな人には物足りないかもしれない。

だがこの曲をくどいとか取つきにくいと思っている人には、
ある意味お勧めの演奏だ。

演奏は全体で約75分だが、
速めとはいえそんなに駆け足というわけでもない。

ただとてもさらさらと音楽を気持ちよく流していく。
けっして雑にすっ飛ばしていくというわけではない、
ただとにかくさらさらさくさくと気持ちよく流れていく。

それはまるでメンデルスゾーンのような感じすらするほど、
一種の心地よさまでともなうような感じで、
誤解のないように例えれば
「お茶漬けさくさく」というかんじなのかもしれない。

これがもしオケがN響だとしょうもない演奏になったかもしれないが、
この曲を初演し、
しかもこの録音当時かなり充実していた名門チェコフィルということで、
無期的な音が皆無というなかなかの聴きものだ。

CD1枚で聴けるというのもありがたく、
個人的にはけっこうなお気に入りとなっている。

同曲のベストというかんじではないかもしれないが、
この曲の別の顔をみせてくれたような、
そんなユニークかつ爽やかな演奏だ。


そして最後がこの年の秋に録音された、
Rシュトラウスの「英雄の生涯」。

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この曲というと冒頭から劇的かつ壮麗な、
いわゆる豪華絢爛たるドラマティックな演奏こそ名演という、
そんなかんじのレッテルを貼られているような曲だが、
ここでは劇的でも豪華絢爛でもない。

ただそれにかわる素晴らしく爽やかで美しい「歌」と、
抒情的ともいえる響きの美しさがある。

指揮者がいいのかオケが凄いのか、
その理由がどちらにあるかはさておき、
とにかくこれほど交響「詩」という雰囲気満点の、
そんな「英雄の生涯」も珍しい。

美しいというとオーマンディの1978年盤も絶品だが、
それとはまた違った素晴らしさがここにはある。

またチェコフィルの持つ流動感豊かなその歌い回しが、
この曲でもかなりプラスに作用している。

特に後半の美しさは音楽細工と形容したくなるほどのもので、
それこそ国宝級の絶品の響きを聴かせてくれる。


そしてそれは翌年録音された余白の「メタモルフォーゼン」にもいえる。

この録音は初日の録音の夜に、
オケのアシスタントコンサートマスターである。
ペーター・クリスティアンが急逝してしまうという、
たいへんな事態がもちあがったという。

この録音が初日まだ彼が健在だった時のテイクか、
もしくは沈痛な雰囲気の中で行われた二日目のテイクか、
それともその両方を混ぜたテイクかはわからないが、
いずれにせよこれもまた素晴らしい響きの演奏となっている。

そしてやはりよく歌った演奏だ。


以上1999年から2001年という、
アシュケナージがチェコフィルとの、
任期のちょうど半ば位に録音されたこの三点。

まあかなりの部分チェコフィルに助けられてるとはいえ、
アシュケナージという指揮者が、
まったくダメダメの録音しか残していないというわけではない、
中にはこのようななかなかの演奏を残していることを、
今回この三つの録音の紹介ということで、
それを記しておきたいと思います。


そんなアシュケナージも今年(2015)の7月で78歳。

いやあぜんぜんそんな感じがしないですねえ。
いろんな意味で。

以上で〆。

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憲法記念日と橋本國彦の交響曲第2番 [クラシック百銘盤]

最近憲法修正云々の話がいろいろと取沙汰されている。

修正賛成派反対派の署名活動や集会もあちこちで開かれているが、
正直自分にはピンとこない。

というか今回どこをどう修正するのか、
そしてそのことでどこがどう変わるのか、
そして変わらないのかということを、
正直分かり易く国民に噛み砕いて説明してくれたマスコミや政党が、
今までいなかったということの方が、
個人的には大問題だと思っている。

なんかでかい所だけ取り出していろいろとやってはいるけど、
そんな雑な雰囲気と勢いだけで、
こういう大事な事を決めていいのかなあと、
賛成派にも反対派にも、
そしてマスコミや政党に問題大と思っている。

TVには、池上、古館、宮根という、
ひじょうに弁の立つ司会者もいる。

視聴率とれる人がこれだけいるのだから、
特番組んで「みんなで考えよう」くらいのことぐらいしないのだろうか。

正直なんか国民みな流されてるなあという気がしてしかたがない。


ところで1947年5月3日。

帝国劇場「新憲法施行記念祝賀会」である曲初演された。

橋本國彦の交響曲第2番 ヘ長調
https://www.youtube.com/watch?v=EtX9cX4jN7s

橋本國彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%9C%8B%E5%BD%A6

1940年に皇紀2600年奉祝曲として交響曲第1番を作曲した人でもある。

これをどうとらえるかはともかく、
当時はこの新憲法を歓迎する空気が国内には満ち溢れていた。

もちろんそのときからこの憲法に対する不満が国内に皆無だったわけではないが、
最近の世論調査のように四割を超える改憲賛成者がいる現在と比べると、
その雰囲気は大きく違っていたことがわかる。


だがそんな当時の空気を反映したかのような憲法を記念したこの交響曲は、
今年(2015)の4月に再演されるまで一度も初演以降演奏されることはなかった。

その理由は何故かは分からないものの、
新憲法があって当たり前みたいなその後の空気もあるだろうが、
とにかくこの曲は忘却の彼方に忘れ去られた。

その後2011年にこの曲がCDとして発売されるために演奏録音された。
311の起きる二週間ほど前の話だ。

hashimoto-sym.gif

その後この曲は同年の11月に発売されたものの
この当時の交響曲としての話題はこの橋本の曲ではなく、
その年の4月に録音そして7月に発売された
佐村河内の交響曲だった。

こうしてまた橋本の曲は時代の中に消え行くかにみえたものの、
幸いにして前述したように4月に再演が行われた。


自分は最近この交響曲をよく聴く。

それは別に憲法修正反対だからというのではなく、
あの当時の日本は憲法に何を求め何を感じていたのだろうと、
そのことが気になったからだ。


あのときと今は確かに違う、
そして憲法に対する考え方もかなり変わってきている。

それを思うとその原点となった「あのとき」の空気を、
この交響曲から少しでも感じ、
そしてそこから何か得られないだろうかと、
そう思うようになりこの曲を聴くようになった。


もちろんこの曲も一種のプロパガンダだと言われればそれまでだし、
その後演奏されなくなったのは一般の支持も薄かったのは確かだろう。

そんな曲を聴いて何になるといわれても確かに返す言葉も無い。


だけど自分は1947年の5月3日にピンポイントであわせたこの曲が、
当時のある断面を切り取り表出していたことは間違いないと思う。


この曲をどう聴くかは個人個人の主観によるものなので、
これ以上の断言は差し控えるが、
ただ憲法論議が表面的のみ過熱している今だからこそ、
こんな時代もあったのだということも含めて、
この曲を今回あえて憲法記念日当日を外した今日紹介しました。

以上です。
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ノイマンとチェコフィルのマーラー(1995) [クラシック百銘盤]

よくマーラーというとウィーンヤニューヨーク、
さらにはアムステルダムやシカゴというところが名前があがるが、
その中にプラハ、もしくはチェコというところがあまりあがらない。

これはやはりマーラーの録音史が影響しているのだろう。

マーラーがかつてトップに君臨し、
バーンスタインやワルターと深い関係にあり、
それぞれと録音もしてきたウィーンとニューヨーク。
彼の曲を20世紀初めから演奏し録音もしていたアムステルダム。
彼の曲の交響曲全集をかのデッカに録音し、
全米ナンバーワンに君臨し続けたシカゴ。

そしてカラヤン指揮で名盤を排出したベルリン。

と、これだけのオケがマーラーとなるとイコールとして、
多くのファンの間に名前が浮かんでくる。

だが録音面を度外視し、
マーラーとその歴史をちょっとでもみてみると、
そこにチェコとプラハという名前が絡んでくることに気付かれるだろう。

彼は生まれも育ちもチェコの人間である。

十代半ばからウィーンへ行ったものの、
25歳時にはプラハのドイツ劇場の楽長に就任している。

そして1908年にはチェコフィルを指揮して
自作の交響曲第7番をプラハで初演している。

マーラー自身

「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として。」

といっており、
またチェコフィもマーラーは自国の作曲家と公言してはばからない。


だがそれにもかかわらず上記したように、
チェコもプラハもマーラーではなく、
ドヴォルザークやスメタナしかうかんでこない人がやはり多数だ。

そこにはやはり録音でのハンディがあるといっていいだろう。

じっさい演奏こそいろいろとされてきたし、
ターリヒやクーベリックもマーラーは得意としていたが録音は無く、
1970年以前というとアンチェルの指揮した1番と9番くらいであり、
それ以前にはほとんど忘れられていたシェイナの4番があったくらいだ。
しかもそれが想起されるきっかけはかのNヤルヴィが、
それにふれたインタビューがきっかけというのだから、
じつに寂しいかぎりというもの。


それが改善されたのはライプツィヒ時代からマーラーに積極的だった、
ヴァーツラフ・ノイマンがチェコに戻ってきてからだった。

そしてノイマンの手によって念願のチェコフィルによる、
かつ旧東側にとっても初のマーラー交響曲全集が完成された。

だが不幸にもノイマンの一般に対する人気はあまり高くなく、
むしろ地味な存在と化していた。

これは1974年のNHKで放送された来日公演が散々だったということと、
(あるところでは「生の野菜をただバリバリたべさせられてるだけ」という言い方をされていた。もちろん悪い意味で。)
これと前後してある音楽番組で

「チェコフィルは年々やって来る指揮者がダメになっていく。」

とまるで二流扱いされオケまでもお国もの以外はダメ、
みたいな言われ方をされてしまった。
しかも不幸なことにそのお国ものには当然のごとくマーラーは含まれていない。

1979年にようやくノイマンが日本でマーラーの第一交響曲を演奏したが、
当時の日本のマーラーというと、ショルティ、ワルター、バーンスタイン、
そしてクーベリックあたりの評価が高かったということもあり、
ノイマンのそれはあまり評判として当時広く伝わることはなかったし、
このときの来日時期は当時人気絶頂のカラヤン指揮ベルリンフィルと重なっていて、
しかもご丁寧にカラヤンまでマーラーの第六交響曲を演奏していった。


だがノイマンはその後も85年には5番、88年には9番を日本で演奏した。

そして日本からの強い要請を受け、
当時かなり健康面での不安が表面化していたにもかかわらず、
91年にチェコフィルと来日し東京フィルにも客演したその翌年から、
ノイマンはチェコフィルとともに当時最高レベルの録音で
マーラーの交響曲全曲の再録音を開始した。

録音は94年の夏までに最初の5曲が完了した。
出来はオケも指揮者も好調なためか素晴らしいものになっていった。

だが1995年1月に6番を録音したまではよかったが、
6月に予定されていたチェコフィルの初演曲でもある7番が、
オケの主力奏者のひとりの急病により立ち消えとなってしまった。

だがその後急遽8月の終わりにセッションが組まれ9番が録音、
そして7番も1996年1月に録音がされることが決まった。

これであと少しと誰もが一息ついたこの録音終了の五日後、
なんとウィーンで指揮者のノイマンが急逝してしまったのだ。

この前年には日本の別レーベルによる、
アイヒホルン指揮のブルックナー交響曲全集が、
やはり指揮者の死去によって頓挫してしまったこともあって、
(けっきょくリンツ・ブルックナーオケの全集として完成はしましたが…)
当時なんと日本はついてないことかと思ったものでした。

ノイマンの亡くなった二か月後に日本では1月に録音された6番が発売された。
そしてそこにはノイマンへの哀悼の言葉と全集の夢が断たれたことも明記されていた。

そしてその翌月12月16日に、
三か月前に録音されたばかりの9番が追悼盤として急遽発売された。

因みにチェコフィルの7番はその後小林研一郎氏の指揮によって、
ノイマンの死から三年後にその録音を果たしている。


と、そんなことがあったのが今からちょうど二十年前の1995年。

あれからほんとうに随分たってしまったし、
あと5年でノイマンも生誕百年が来てしまう。
なんとも時の流れは速いものです。


そんなこともあってか自分はこのノイマン最後の年に録音された、
6番と9番を最近よく聴きかえしている。

録音は今のレベルでも優秀だし、
CD2枚組の6番も、
今やちょっとしたものに落とせば全曲を切ることなく再生できる。


それにしてもどちらも素晴らしい演奏だ。

まず6番。

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こちらはノイマンとしてはかなり気合がはいっいるし、
ノイマンとしては意外といっていいほど見栄をきってるところもあり、
なかなか大胆に表情を積極的に動かしている。

それでいて晩年の堂々としたスケール感もあり、
またバランス感覚もしっかりとしていて崩れることが無い。

だがノイマンも素晴らしいがオケもまた極上すぎる。

シルクのような弦、水も滴るような管と、
ほんとうに合奏もソロもほれぼれとするものがある。

しかも手作り感覚満点というからさらにこたえられないものがある。

それにしっかりとした質量が弦管ともにある。
ある意味オケのひとつの究極体といったかんじかもしれない。

「これがチェコのマーラー」か、

このときやっとそれが感じられた。

それはクーベリックのあの「わが祖国」と同じで、
血の流れからくる共感といっていいのかもしれない。

ただ究極までに昇華された共感というのは、
泥臭くもなければ土臭くも無い。

それは清澄で輝きにみちたものと直結したものと言っていいだろう。

それがこの6番には詰まり切っていたのだ。

そして最後の9番。

neumann-9_1995.jpg

その清澄な響きはさらにひとつ上の所まで達しているかのようだ。

ここでのノイマンはいつものノイマンだった。

見栄も大胆さも影を潜め、
音楽とじつにストレートに向かい合ったマーラー。

ノイマンはこの9番について、

「これ以上のアダージョはありえない。完全に満足した」

という言葉を残している。

これがすべてだろう。


今年はいつも以上にノイマンのマーラーを聴いていきそうです。
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カール・リヒターの日本での「マタイ受難曲」の不思議。 [クラシック百銘盤]

自分は正直「マタイ受難曲」があまり好きではない。

もう四十年以上前に、
若き日のヘルムート・リリングが、
シュトゥットガルト・バッハ・コレギウムとともに来日、
NHKホールでやった演奏をTVをみてから、
もういくつもの演奏を聴いてきたが、
どうしても好きになれない。

「ヨハネ受難曲」は最初聴いた時からすぐに愛聴するようになったが、
「マタイ」だけはどうにもとにかくダメなのだ。

メンデルスゾーン版や、
フルトヴェングラーのように大幅にカットされたものを除くと、
十年ほど前に今は亡き林達次氏がウィーンで2001年の9月に演奏した、
自主制作盤が唯一最後まで通して聴ける盤だった。

ところが最近遅まきながら入手したカール・リヒターの日本での演奏、
これがようやく二つ目の同曲愛聴盤となった。

リヒターはすでに二種類の同曲の公式セッション録音を残しているが、
正直どちらもすでに聴いてはいるものの全然記憶に残っていない。

このためこの盤も購入するのにひじょうに躊躇ったが、
中古ということで定価の二割以下の価格ということもあり、
購入しそして聴いてみた。


かつてこの演奏は1994年のクライバーとウィーンによる「ばらの騎士」と並ぶ、
日本クラシック来日公演史上最高の演奏と言われていたことがあったが、
その理由がこのとき分かった。


とにかく驚くほどそのドラマに惹きこまれた。

それはまるでオペラとも劇的交響曲ともいえるほどに、
強烈なインパクトを自分に与えてきた。

それはかつて聴いたリヒターのそれよりも、
ライブということなのか、
じつに興の乗った自然な流れと、
一気に音楽を聴かそうという一晩のコンサートの、
そういう環境下での演奏だったためなのかもしれないが、
聴きだしたら途中で中断することができなくなるくらいに、
強烈な音楽を展開していった。


だがかつての1958年のそれよりはこの演奏、
むしろ尖がった雰囲気は後退し、
穏やかで自然な感じになったといっていいような音楽で、
むしろ激しさや厳しさは1958年の方があったように感じられる。

だけどこちらのそれの方が自分には遥かに劇的要素を含んだものに聴かれた。

というよりかつてのそれが、
まるで漢文をそのまま楷書で書いているような感じなのに対し、
こちらはそれを行書にして、
しかも読み下しをつけているような感じといっていいのかもしれない。

これには本当に目から鱗というかんじだった。

おそらくこれからはより「マタイ」をじっくりと聴くことができるだろうし、
好きな曲といえる日ももうそれほど遠くない日にくるだろう。

だけどこれだけの盤が何で廃盤なのだろう。不思議だ。



ところ不思議ついでにでこの盤の録音日をみていて思ったことに、
収録日のことがある。

4月26日:日生劇場
バッハ/ロ短調ミサ

4月27日:日生劇場
[チェンバロ・リサイタル]
バッハ/ゴルドベルク変奏曲

4月27日:日生劇場
[カンタータとマニフィカトの夕べ]
バッハ/カンタータ50番「今こそ救いと力」BWV50
バッハ/カンタータ12番「涙し、嘆き、憂い、畏れ」BWV12
バッハ/カンタータ30番「喜べ、救われた群へ」BWV30
バッハ/マニフィカト ニ長調 BWV243

4月28日:東京文化会館(5月9日昼公演に順延)
バッハ/管弦楽組曲第三番
バッハ/チェンバロ組曲第1番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第2番

4月29日:東京文化会館
バッハ/マタイ受難曲

5月1日:フェスティバルホール
バッハ/ロ短調ミサ

5月2日:フェスティバルホール
バッハ/マタイ受難曲

5月4日:東京文化会館
バッハ/ヨハネ受難曲

5月5日:東京文化会館
バッハ/マタイ受難曲

5月6日:東京文化会館
[カンタータの夕べ]
バッハ/カンタータ50番「今こそ救いと力」BWV50
バッハ/カンタータ103番「おまえたちは泣き叫ぶだろう」BWV103
バッハ/カンタータ147番「心と口と行いと命」BWV147
バッハ/カンタータ31番「天は笑い、地は喜ぶ」BWV31

5月7日:神奈川県立音楽堂
バッハ/管弦楽組曲第三番
バッハ/チェンバロ組曲第1番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第2番

5月8日:東京文化会館
[カンタータの夕べ]
バッハ/カンタータ50番「今こそ救いと力」BWV50
バッハ/カンタータ103番「おまえたちは泣き叫ぶだろう」BWV103
バッハ/カンタータ147番「心と口と行いと命」BWV147
バッハ/カンタータ31番「天は笑い、地は喜ぶ」BWV31

5月9日:東京文化会館
(昼公演)※4月28日に中止になった公演の順延分。
バッハ/管弦楽組曲第三番
バッハ/チェンバロ組曲第1番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第2番

(夜公演)
バッハ/ロ短調ミサ

5月11日:武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール
[オルガン・リサイタル]
バッハ/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
バッハ/トリオ・ソナタ 6番 ト長調 BWV530
バッハ/幻想曲とフーガ ト短調 BWV542
バッハ/トッカータとフーガ ヘ長調 BWV540
バッハ/パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582


というのがこの年の来日公演の日程だが、
この「マタイ」の録音はなんと29日と5日の二日分を編集したものとなっていた。

つまり東京での二公演の両方を収録したということだ。

だがこれそのものは決して他に例が無いということではない。
問題はその二公演をひとつに編集したということだ。

この原因はよくわからないが、
マタイ東京初日の前日28日が、
あの沖縄デーにおける都内での学生と警官隊の全面衝突で、
ほとんど内戦常態にこの日の午後から夜はなってしまった。

ミュヘンバッハの一行はこの日が早々と危ないということで公演が中止、
一行は突然の休日を鎌倉見物で堪能したというのだが、
その翌日、やはりいろいろとあったのかもしれない。

特に収録関係でこの影響のトラブルが出た可能性がある。
そしてこのため急きょ5日も収録することになったということ。

ただ演奏者の一部からこれは放送しないでほしいという、
そういう希望というか強い要請が出てしまい、
そこの部分の修正込みで5日も収録をすることになったことも考えられる。

じっさい当時のNHKの放送がどういう流し方をしたかは分からないが、
このCDが1985年のバッハ生誕三百年を記念して発売されており、
その年にはすでにリヒターがこの世にいなかったことを思うと、
この編集はやはり収録後の早い段階で行われたと考えるべきだろう。

このあたりどなたかご存じの方はいないだろうか。

愛聴しているだけになんとも気になってしかたがない。

困ったものです。



因みに4月28日の中止となった公演がなぜ平日昼の5月9日昼、
他のミュンヘンバッハの上野での公演日である4日の日曜や5日の祝日に、
それをもってこれなかったかというと、
その日の昼から午後は大ホールがすでに別件で埋まっていたためのようです。

また6日と8日は主催が都民劇場で、
この公演の主催である日生劇場とは違う事などから、
最終的にこの日の昼になったようです。

しかし平日の昼にどれだけの人が行けたのでしょうか。

当時の行かれた方の証言等が聞きたいところです。
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