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「シン・ゴジラ」の好きなシーン [ゴジラ]

ちょっとマニアックもしれないけど、
じつはこの―シーン。

好きというか最も怖かったというか…。

すでにツィッターでも書いているけど、
それはこのシーン。

sg0002.jpg

じつは下に分かり易く矢印で示しているけど、
なんとここにゴジラがいる。

SG0011.jpg

もうすぐそこまで来てるのに、
マンション等の建造物で視覚、
避難放送等で聴覚が阻害され、
ほとんどの人がそれに気づかず、
ただダラダラと緊張感もなくけだるく避難しているという、
このシーン。

311での津波のエピソードを思い出してしまうが、
このときの避難放送も、
津波襲来時の避難放送を想起させられて、
かなり重くのしかかられるような怖さを感じた。


そしてもうひとつがこのシーン。

sg0005.jpg

自分がよく行く由比ヶ浜商店街でのシーンだけど、
ちょっとわかりにくいが、
じつは左下端を人が断続的に、
ゴジラのいる所から走りながら逃げている。

SG0010.jpg

これをはじめて気づいた時、

「うわー、これは怖すぎる」

と思うと同時に、
このシーンのエキストラやりたかったなあと、
ここに映っている人にかなり羨望の念を感じてしまいました。

正直あのときエキスストラやっていた人の多くが、
こういうシーンをやりたがっていたので、
これやった人は映りは小さいけど個人的には、

「大当たり」

という気がしました。

ただ鎌倉ロケの日は、
今にも雨が降りそうな曇天だったので、
これは合成かもしれません。

でもやっぱりこういうの…やりたかったなあ。
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「かわいいゴジラ」について。 [ゴジラ]

何故かゴジラはその様式美や怖さという魅力だけでなく、
「かわいさ」のようなものが常に語られる。

ゴジラの原作を書いた香山滋氏をはじめ、

「ゴジラが殺されるのがかわいそう」

と多くの関係者が言っていたように、
東京を焼き払い奥の人命を奪った狂暴な怪獣なのに、
何故かとにかくその第一作からそのキャラクターは愛された。

第二作の「ゴジラの逆襲」では、
最初に比べるとずっとゴジラの恐怖感は後退し、
とにかく大きく強い怪獣という感じで描かれていた。

放射能や被爆のこともここではほとんどふれられていない。


この後ゴジラは7年間の冬眠に入る。

この間ゴジラに対するそれは随分ぶん変わっていった。


あいかわらず原爆実験や東西対立の構図は変わらなかったが、
ゴジラはいつの間にか放射能や核の恐怖の代名詞ではなくなっていった。

そしてプロレスブーム真っ只中の1962年。

「キングコング対ゴジラ」が公開された。

ここでのゴジラはほんとうに愛敬もあるし、
妙に可愛いところもある。

例えばキングコングに口の中に木を突っ込まれたシーン。
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この焦ってバタバタしてるシーンが、
なんともかわいい。

ファーストゴジラの頃とはもはや完全に変わっている。

この二年後の「ゴジラ」公開から十年経った年に公開された、
「モスラ対ゴジラ」では、
最初の二作品の各主役を演じた宝田&小泉両氏の共演、
そして久しぶりに放射能云々が取り上げられ、
ゴジラは完全ヒールとなった…はずだった。

だがこの十年間はゴジラの完全ヒール化を許さなかった。

モスラに引っ張られ卵の上でバフンとなるシーン。
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尻尾で鉄塔を引っ張ろうとしたら、
尻尾が外れてオットットになったシーン。
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名古屋城の濠で足を滑らして名古屋城に激突。
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この城が硬いんだこれが。

ゴジラがぶつかっても壊れないという堅牢さ。

まあゴジラにとってこれはかなり痛かったらしく、
けっきょく意地で名古屋城も壊しましたが、
ゴジラはその後お城が嫌いになりましたとさ。

それまでは大阪、熱海、と壊していたのですが…。


またモスラの幼虫に糸でグルグル巻きにされるときの、
イヤイヤポーズみたいなのが、
なんともかわいらしい。

かつてのゴジラには考えられないシーンが続出したせいなのか、
この作品を最後にゴジラの完全ヒール化は二十年ほど封印される。

そしてこの年の秋に公開された

「三大怪獣地球最大の決戦」

ラドンに頭を突かれたり、
尻尾をかまれたりしたときのその表情もコミカルだけど、
下のシーンにおけるゴジラの岩の上に腰を下ろしている、
その座り方。
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このあたりで
もう完全にそのへんのおっさんになってしまいました。

しかもこの作品で、
とうとうゴジラは会話ができる、
分からず屋だけど仲間想いのキャラになってしまった。


もう怪獣というより、
かぎりなく恐竜の姿をした人間みたいなかんじで、
しかもちょっと犬っぽい頭のせいなのか、
頭が妙になでたくなるようなところがあり、
それがペット感覚的な可愛さを醸し出すようになっていった。

「怪獣大戦争」でのシェーはもはや当然の流れだろう。


本来恐怖の対象として出発したゴジラは、
その高度成長時代のそれもあったかもしれないけど、
「キングコング対ゴジラ」で、
ライトでコミカルなものに順応できると証明したことで、
何をやっても大丈夫だし受けるという、
そういうキャラに認知されシフトチェンジさせられてしまった。

ボブ・サップの一時の流れと、
このあたりよく似ているけど、
このときゴジラの無類の強さまで薄めてしまったことが、
のちのちゴジラにとって不遇の時代を迎えてしまうことになる。


本来ゴジラは愛され可愛がられてもいいが、
強さとしては座頭市や花山大吉のように、
徹底的に強くなければいけない存在だった。


そこのところが作品を重ねるにつれ、
ゴジラが相手に苦戦するようになりはじめ、
どんどん脆弱化していった。

ウルトラマンや仮面ライダーは苦戦しても絵になるが、
本来ゴジラはあまり絵にならない。

そうう意味ではガメラよりも大魔神に近い存在なのだ。


そのあたりが、
当時いささか誤解されていたような気がするけど、
あの時代そこまで無敵な怪獣って、
はたして需要があったかといわれるとどうだろう。


ただ1984年の復活「ゴジラ」は、
やはり強さの復権をかなり意識したものになっていた。

このあたりは時代の変化かもしれないけど、
とにかくゴジラは再度軌道修正が施された。


そして2016年の「シン・ゴジラ」は、
ファースト以降に付加された要素を、
かぎりなくそぎ落としたゴジラ像をつくりあげた。


だがファーストの頃あった、

「ゴジラを殺すのはかわいそう」

というそれもここにはなかった。


そういう意味では、
リスペクトしたうえで新構築された、
まさしく今回のは「新・ゴジラ」というとろころか。

だがそのため見る人にとってそれは
「新」ではあるが「真」ではないし、
「神」かもしれないが「真」とは思えないという、
そういう複雑な感想も抱かせることになった。


結局のところ、
ゴジラはそれだけ長い年月、
いろいろな時代の変化にあわせてキャラを変え、
多様なストーリーに順応し、
我々の前に現れ続けたため、
これだけ多種多様の価値観を、
各自がもつキャラになってしまった。


「シン・ゴジラ」で、
ゴジラのひとつの形が描かれ、
それにより多くのファンが歓喜し、
新しいファンも生まれた。


アニメは別として、
次回作はほんとうに難しい。

はたして今回不満を感じたファン層の意図を組んで、
かつて来た道をまた歩むのか。


それとも新しいファンを開拓したことで、
今までとは違う一手をうってくるのか。


「シン・ゴジラ」の評価は、
これから問われるのかもしれません。


ただ個人的には、
異常に強くてしかも可愛気のあるゴジラというのも一度みてみたい。


「シン・ゴジラ」での
あのラストの尻尾の先から、
2メートル位の強いけど大人しいゴジラが出てきて、
町中大騒ぎなんてのもみてみたいですが…

…それやると庵野さんの努力がすべて水泡に帰すからなあ。



あと余談ですが自分が子供の時のゴジラのイメージ、
それは…

気が短くて力持ち

というものでして、
まあ性格の悪い金太郎みたいなものです。


これじゃあ正義の味方のゴジラを受け付けないわけです。


以上で〆
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ゴジラの聖地、静浦へ行く。 [ゴジラ]

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ゴジラ映画史上屈指の名作であり人気作のひとつ、

「モスラ対ゴジラ」(1964)

そのロケ地となった静岡県沼津市静浦に再訪する。


じつは映画の中ではここは「静ノ浦」といわれ、
三重愛知近辺あたりという設定だったようだ。

だがこのモスラの卵が流れ着き、
最後ゴジラまでがやってくるこの「静ノ浦」は、
実際は静岡県沼津市の静浦、獅子浜でロケがされていた。


多くははロケ地イコール作品での場所なのですが、
こういうケースもあるにはあるので、
そのためちょっとこの場所はあまりクローズアップされていない、
ゴジラ聖地の中でもマイナーなものとなってしまっているようだ。


というわけで今回はこの静浦獅子浜へ。

交通は沼津駅の南口バス乗り場7番から出ている、
多比や長岡方面に行くバスに乗り、
途中の志下公会堂前で降りる。

場所がよくわからないので、
獅子浜より手前から歩く。

途中の八幡宮ではお祭り。
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その後海沿いに南下した後、
海沿いの道へ向かう。

途中にあった津島神社にお参り。
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津島(ヨハネ)善子ファンならお参りすべき神社かも。

しかしゴジラの聖地に津島神社。

まさにこういう図か?
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この津島神社から下りようとしたとき、
ふと左の山をみて、
思わず飛び上がってしまった。

すぐに下に降りて、
もう少しこの山がよく見える所を探そうと、
よりいい場所を海沿いの道中心に探す。

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この近くにいい場所がありました。

そして一枚。
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これが映画ではこのシーンに。
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まさにゴジラ山。

ここから覗いてきたか!
というくらいの場所だった。

とにかくなかなか絵になる場所だし、

「でてこないかなあ…」

とバカなことを思わずおもってしまうくらい、
いい雰囲気の場所だった。

因みに津島神社からみえたゴジラ山はこういうかんじ。
ゴジラ山.jpg
電線がちと邪魔だったんですね。

じつはゴジラが山から顔を出すシーンというのは意外と少ない。

第一作ゴジラの大戸島のシーン(ロケ地は石鏡)や、
「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」の、
箱根あたりが比較的有名なくらいで、
お城や電車、それに高圧線を含む電線よりは、
かなり頻度は少ないといっていいと思う。

※あと「メカゴジラ」の時もあった。

それだけにとても貴重なのです。


その後ゴジラはこの山の向こう側からやってきます。
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逃げる人々、
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そして現在、
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かなり雰囲気が違うし、
しかも同じ場所で撮ることもほとんどかなわない。

というのも当時は獅子浜は海岸線が砂浜だったのが、
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上のような防波堤が築かれ、
その外もこのように様変わりしている。
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ただそれでも淡島もみえるし、
映画冒頭のこのシーンも、
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現在でも山はこのとおり。
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このあたりの山を含めて、
沼津アルプスというらしい。

するとこの山は小鷲頭山と鷲頭山なのだろうか。

このあたりは勉強不足でよくわかってません。


閑話休題

海岸沿いの道の海側も、
かつてここが砂浜だったことを想起させるものがあるし、
この道もおそらくあのゴジラから逃げるシーンの、
あの道だったのだろう。


あと家の間の細い道を、
町民が海に向かうシーンがあるが、
家はもちろんかわってしまっているけど、
道は今でもそれをとどめている。
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ところで自分がなぜ静浦がゴジラの聖地と気づいたかというと、
以前沼津から内浦まで歩いた時にみえた淡島の姿が、
じつは自分にはとても印象として強く残った。

その後「モスラ対ゴジラ」をみてたら、
「あれ?」となった。

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「この右のそれ、淡島だよね。」

というこれがきっかけだった。

そして決め手がこれ。

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右端の船の浮き輪にしっかり「沼津」の文字が…。

おいおいここ名古屋近辺じゃないの?

というかんじなのだが、
かつてこの頃のTVの時代劇で、
侍の足元近くにプラスチック製の柵が映ってたという、
そういうなかなかのシーンもあったので、
これも気づかないまま完成になったのだろう。

大らかな時代です。


ほんとはこれ以外に、
淡島で撮られたというこのシーン。
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これがどこかもハッキリさせたかったのですが、
ちょっとこれは難航しそうです。

というわけで以上です。


しかし静浦で「モスラの卵」とか「ゴジラ焼き」とか、
そういうものつくってくれないかなあ。




因みに場所としては、
「獅子浜北」の停留所から「獅子浜」の間くらいの、
堤防前の海沿いの道と、
そこから見える山々といったところです。
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ゴジラが来るぞ 映画見ながら「その時、どうする」を読んで。 [ゴジラ]

突然現れた巨大不明生物が街やビルをぶっ壊し、政府は右往左往する。大ヒット中の映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)はそんな作品だ。虚構のゴジラに立ち向かう人間の描き方は妙にリアルで、日本の危機対応は大丈夫か?と思わせる。ならば専門家に聞いてみた。本当にゴジラが来たら、あなたならどうする?
http://mainichi.jp/articles/20160906/dde/012/040/003000c

という記事があった。

いろいろ書いてるけど最後に、

「論争を政治家や専門家だけに任せず、権力乱用をどうチェックするか、私たちも自問してみよう。ゴジラが来たら、一市民として何ができますか−−。 」


答えはじつに簡単シンブル、

「原則、即逃げ!」

しかないでしょ。


考えるも自問もくそもない。

来ちゃったらもう逃げるしかない。

単純にかなう相手じゃないし、
そこそこの飛び道具ももってるので、
距離もある程度とらなきゃいけない。

しかも近くにいると被ばくしてしまう。


ただ地震と違って姿がみえるので位置はわかる。
また台風じゃないので高気圧や低気圧の配置で進路が変わることはない。

この怪獣、原則陸上では直進が基本なので
後ろからラドンがぶつかってこないかぎり、
一度通り過ぎるとカーブして戻ってくるということはまずない。

なので後ろをとればある程度被害からは逃げられるので、
あとは通ったところに近づかないということくらいだろう。

あとは山根博士のいうように、
光を当てると怒るのでそれもやめる。


とにかく一市民レベルなら政治もくそもない、
ゴジラがそばにいるのに、
国会の前でデモするバカがいたらこちらがお目にかかりたい。

とにかく逃げる!とにかく離れる!

これ常識。これ基本。


まあいなくなるか消滅するか、
それともどこかの島にいついて定住したら、
そのときいろいろと考えるかもしれません。

以上です。
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「ゴジラ」(1954)公開時の新聞評いろいろ。 [ゴジラ]

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「シン・ゴジラ」が1954年の「ゴジラ」をリスペクトしているというけど、
じゃあそのファーストゴジラが公開された時はどうだったのだろう。

以前書いたこの項目を、
中盤以降大幅に追加加筆し改訂してupしなおしました。


この作品が公開されたのは1954年の11月3日の文化の日。

このころの日本…というか世界は、
正直一寸先は闇というかんじだった。

それは一にも二にも核兵器の存在だ。

アメリカやソ連、
それにイギリスが、
特に1950年代に入ってから毎年のように核実験を、
しかも地上でやっていたのだから、
大気圏内の放射能濃度は今の比ではなかった。

じっさいこの年の11月の新聞をみると、
金沢では連日高濃度の放射能に汚染された雨が降り、
四国高知では新米からやはり放射能が検出されている。

第五福竜丸が被ばくしたのはこの年の3月、
そしてその影響による死者が出たのは9月だった。
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※福竜丸を巻き込んだキャッスル計画の実験名「ブラボー」。

前年朝鮮戦争が休止したものの、
同年3月にスターリンが死んだソ連の方向性は、
54年になってもはっきりとみえてはいなかった。


このように時代は核の恐怖に覆われ、
そして深刻な影響が出始めていた、
「ゴジラ」の公開された同月には、
東京で放射能に関する日米会議が開かれた。


映画もアメリカでは、
1953年には「ゴジラ」の元にされたという、
核実験で蘇った恐竜がアメリカを襲う、
「原子怪獣現る」、
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翌年には核実験で巨大になった蟻が人間を襲う
「放射能X」
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が完成上映された。
核のそれはそこまで身近になっていた。

そんな中、
水爆大怪獣と呼称された「ゴジラ」は公開された。


「銀座大通りに暴れ狂うゴジラ」
「日本を猛襲する水爆大怪獣」
「大東京ビル街全滅!」
「怪獣ゴジラの猛威」
「全国東宝系一斉歴史的大公開」


といううたい文句や、
山本嘉次郎、マキノ雅弘、高木彬光、
といった人たちの誉め言葉が散りばめられた告知が、
公開直前に新聞に掲載されていた。


そしてよく知られている通り、
それは歴史的大ヒットとなり、
半年も経たないうちに続編が公開されることとなるのですが、
新聞雑誌の評は総じて芳しくなかった。

以下、当時の主要新聞六社に掲載された評をみてみよう。

どれがどの新聞によるものなのかは、ここでは先入観が出ないようあえて伏せます。



◎企画だけの面白さ

水爆実験によって海底にひそんでいたゴジラという怪獣が、東京を攻撃して来たという空想映画。

アメリカでは「放射能X」などが作られたが、日本のは科学映画的なものに乏しい。かといって、空想的な面白さもない。

とくにゴジラという怪獣が余り活躍せず「性格」といったものがないのがおもしろさを弱めた。「キングコング」の時代と比べてもなんとかなりそうなものであったし、「放射能X」のアリのような強烈さに及ぶべくもない。

ただ企画だけの面白さはあり、一般受けはするだろう。宝田昭と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった。


◎「みもの」は特殊撮影だけ

一昔前の「キング・コング」なみの怪獣映画で、一応「放射能X」同様に話の裏づけを科学的にもってゆくため水爆実験がからむ。

南太平洋の海底深く今なお生息していると伝えられる二百年前の怪獣が、水爆実験でその住まいを破壊されて登場、東京の中心地を襲うという話である。ネライは怪獣の大あばれで身のたけ五十メートルという巨大なゴジラが、恐るべき怪力と、身につけた放射能のエネルギーで、銀座を焼きはらい、議事堂をこわし、テレビ塔をひとたたきで倒すシーンが見せ場である。

特殊撮影の技術は合格点。アメリカ映画の技術とさしておとらぬ出来である。戦後日本の特殊撮影の技術がここまで復活、発達したかくれた努力はたたえたい。

欠点の第一はゴジラに性格がないことである。キング・コングには何かその動きに愛敬があり、一方またどれだけ大あばれしようとも、キング・コングそのものの悲劇がにじみでていた。悪意のある大あばれでもなく、何も知らずに環境のちがう世界でとまどっている結果の破壊として、むしろ同情さえもてた。しかしゴジラはぜんぜん無愛敬。ゴジラ自身に水爆実験のため平和な住まいを追われた悲劇味が何一つ出ていない。

映画はゴジラ対策の人間側でいろいろと芝居をもりこむが、この処理がまったく拙い。荒唐無けいなものにせず、科学的な面をみせようという手段も実に不手際。特殊撮影だけがミソの珍品である。


◎ちょっとスゴイ!? 放射能の「怪獣ゴジラ」

六千万年から二億年ぐらい以前に地上を横行していたと考えられている恐竜の一種を模した怪物である。海底にひそんでいたのが水爆実験の騒ぎでノソノソと地上に現れて暴れ回るという着想は、これと前後して公開されたアメリカ映画「原子怪獣現れる」とあまりチエのちがいはない。香山滋の原作はむしろ「ゴジラ」というふしぎな名前そのものの魅力を最大とする。

特殊撮影の円谷英二。多くのすぐれた実績をもつ人だが、この映画でも十分に実力をうかがわせる。身の丈五十尺という怪物が口から強烈な放射能の白光をはき出して東京の目ぬきの街を焼き払い、ビルディングを軽く押し倒し、国電を食いちぎったりしながら再び海中に去る。このあたり見せ物のヤマとなっているが、あらゆる怪物映画と同じで、ゴジラが最初にどこかの漁村に上陸する部分がいちばんの興味。あらしのシカケもよくできていてちょっとスゴイ。

志村喬の学者以下人間のお話がついているが、こっちはあまりうまくない。最後にナントカという新発明の一物をもって若い学者が海底に潜って行き、ゴジラが一休みしているところへぶっつけるところなんか、やたら決死隊みたいでかえってナンセンスである。人物はどれもセンチメンタルでミミッちく人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。何となく科学的で何となく学者らしいという程度でいいわけだが、その程度の人間を出すのにも日ごろの教養ということになりそうだ。その点外国製はやはりもっともらしい。


◎トリック撮影の面白味

興味の中心は怪獣ゴジラが都内を暴れ回るというトリック撮影だが、一応作りものながらうまく出来ている。水爆の恐怖ということをゴジラの話を通して描いているわけだが、少々理屈っぽいところが嫌味。

[※この評は前半が映画のあらすじのみの記述。終盤は出演者と監督の名前を記しているだけなので、その部分は割愛しました。]


◎怪獣スペクタクル和製版

古くは「ロスト・ワールド」「キング・コング」さいきんでは「放射能X」「原子怪獣現わる」などアメリカ映画の一手専売だった怪獣スペクタクル映画の和製版日本ではじめての試みというのがミソである。ただし怪獣の形や動作、それに筋書きも、アメリカ映画の模倣を出ず、珍奇な見世物映画にとってもっとも大切な奇抜な空想力や奔放な創造力の働きが乏しいのは弱みで、今後大いに工夫してもらいたいところ。

海底から出現したこの原始怪獣ゴジラはまず船舶を沈め、漁村をひともみにして、東京まで焦土と化すすさまじい暴れ方をお目にかけようというのが、最大のねらいでもあるが、もともと荒とう無けいなものだけに緊迫感よりも、滑稽な感じがさきに立つ。スリルよりもご愛敬といったところである。

特殊撮影技術はまだまだ不備なところが多いが、第一回の試みとしての努力は認めてもいい。けれど、かんじんの水底でのゴジラ退治のクライマックスがアッ気ないのは失敗である。着想を具体化する撮影技術が伴わなかったのだろう。

ゴジラ征服の研究が破壊兵器に利用されることを恐れる科学者の悩みやゴジラ退治を反対する生物学者を配合する傍筋は、いかにも当世流のとってつけたようなものである。従って見世物的興味以外は期待できない。


◎突飛すぎる空想

題名がユーモラスで話題となった空想科学映画。監督は本多猪四郎。特殊技術が円谷英二。同じく水爆異変を扱ったアメリカ映画が公開された後なので、技術も比較され損をしている。それにゴジラの吐く放射能や背びれの電光などは説明不十分で突飛すぎる。やはり見せ物映画でも常識的な科学の裏付けは必要なのだ。巨大なゴジラが東京に上陸して議事堂や銀座界わいのビルをたたきこわし、放射能を吐いて焼き払い、自衛隊三軍もゴジラに対しては全く無力で、都心を廃きょと化してしまう。ようやく水中酸素破壊剤で窒息死させるのだが、その発明者(平田明彦)はみずから命を断って武器に使用されるのを防ぐ。この辺が原爆の洗礼を受けた日本の映画らしい。それにゴジラを殺すことに反対する生物学者(志村喬)やその娘(河内桃子)とサルベージ所長(宝田明)の恋が織り込まれている。


以上主要六社のそれですが、
さらに主要スポーツ新聞三社のそれも以下に付け加えます。


◎秀れた特殊技術

日本で初の本格的空想映画であるというところに興味が集められたが、マアマアの成績で期待は今後にといったところ。水爆実験で二百万年の夢をさまされた怪獣ゴジラが日本に上陸しての大暴れがこの作品のみせ場。これに付けたりのように考古学者(志村喬)の娘(河内桃子)とサルベージ会社社員の恋愛が色どりとなっている。

この種の米国作品にくらべて余りソン色のない出来栄えを示した特殊撮影(円谷英二)の効果は、とかく遅れがちのわが映画界のために誉めて良い。話は余り面白くないのが当然だが、多分に説教臭が強いのは良くない。むしろ徹底的にゴジラに話を集中させた方が良かった。ただ水爆うんぬんのセリフが妙に耳ざわりだが、それならやはり水爆の被害?のゴジラにもっと性格を加味したら変わった面白味が生まれただろう。


◎”着想”と”努力”を買う 意表に出る凄みが欲しい

(前半はあらすじのみの記述なので割愛)

原作は香山滋、脚本は村田武雄と本多猪四郎。この映画の狙いは戦争反対、原、水爆の使用反対をうたったもので、それゆえに、こんな目先を変えた奇想天外の映画を作ったと想像される。

その着想は幾分買えるが、これまで洋画でいやというほど空想科学映画をみせつけられてきた我々としては、少しも驚かないし、感心するトリックのなにもにない。たしかに東宝技術陣の努力や苦労は買えるが、それとても外国映画に比べると未だしの感がある。どうせ思いきったゲテモノ映画を作るなら、もっともっと我々の意表にでるようなものを作って欲しかった。少しもすごみがなく、みていてバカバカしさが先に立つのはなんといっても失敗である。


◎劣っていない特殊技術

◇空想科学映画というのがアメリカでは大分盛んなようだが、これを一つやってみようというので企画されたのがこれ。原爆や水爆の実験と結びついているところも御同様だ。原作は探偵作家の香山滋、監督は本多猪四郎で、本多監督と村田武雄が脚本を書いている。特殊技術は円谷英二ほか三名。

(ここから中盤はあらすじのみの記述なので割愛)

◇…この間に博士の娘と若い技師の恋が描かれ、話がゴジラから外れてしまったりするが、日本映画の特殊技術がアメリカのそれに対して、余り劣っていないことを実証するだけの効果はあった。しかし本当は理屈ぬきの見せもの映画にした方がもっと効果的だったろう。最後の博士のいう「ゴジラがあの一匹だけで死にたえたとは思えない」というセリフで辛くも水爆実験反対の意図を表明しているが、これはどうも苦しい。あくまで空想の面白さを主体にすべきだろう。

◇志村喬の博士は悠々とやっており、新人宝田明が新▲で男性的な若さを生かされている。平田明彦の芹沢は少々怪奇味が邪魔。
(上の▲の部分は字が一文字欠損していて読めませんでした。)




以上です。

主要六社内訳は、
朝日、産経、東京、日本経済、毎日、読売。

スポーツ三社は、
スポーツニッポン、日刊スポーツ、報知新聞。


掲載は一般主要紙が公開当日11月3日の夕刊から5日まで。
(一社のみ11月7日)
スポーツ紙は11月5日から7日と、
一般紙より若干遅く書かれています。


それにしても、
どこも驚くほど壮大なネタバレ大会だ。

これから映画を見ようという人には、
はたしてこれはどうなのよという感じなのだが、
当時はこういうことに大雑把だったのだろう。


だがそれ以上に壮大なのはその映画評の内容。

正直かなりの酷評、
ハッキリ言えば特撮以外は駄作という感じのどれも表現だ。

まさにコテンパンだ。

もちろん評価していた著名人もいたけど、
映画館からかつてみたことが無いほどの大行列ができた映画も、
当時の新聞評はこうだったのだ。

今ある不朽の名作という評価など、
どこにもその欠片すら見当たらない。


そしてこのあたりは東宝も多少気にしたのか、
翌年の「ゴジラの逆襲」は、
一部これらの意見を参考にしたような部分もあるのが面白い。

このあたりのことを念頭に入れて「ゴジラの逆襲」をみると、
またちょっと違ってこの作品をみれるかも。


尚、ここに出てくる「放射能X」は6月に全米公開、
日本では8月10日という、
長崎の原爆の日の翌日に公開された。

「ゴジラ」がクランクインして十日ほど後のこと。

この映画じつはけっこう「ゴジラ」との共通点があるが、
この作品を本多監督やスタッフが意識したかどうかはわからない。

ただ正直言うと
「原子怪獣」はもちろんだけど、
この「放射能X」が「ゴジラ」に与えた影響も、
少なからずあったのではないかという気がする。


もし興味のある方は、
「原子怪獣」「放射能X」「ゴジラ」と、
続けてみることをお勧めしたい。


けっこういろいろと発見があるかもしれませんし、
「シン・ゴジラ」もまた違って見えるかもしれません。


それ以外にも東京大空襲から十年も経たないうちに東京をまた火の海にしたり、
(「また疎開か」という映画内の台詞がそれを物語っています)
この年の7月に創設されたばかりの自衛隊の攻撃もすべてブロックするなど、
当時の日本を描きながらも
いろいろと怖いもの知らずというところもある映画だったとも思います。



しかしこれを見たアメリカの映画関係者はおそらく

「やられた!」

と当時思ったことだろう。

たしかに恐竜の類は今までもあったけど、
あそこまで大きく、
あそこまで強くて無敵で、
しかも口から放射能を吐いて火の海にしてしまうというとてつもない破壊力。

ドラキュラや狼男はもちろん、
キングコングでさえここまでの規格外ではない。


だがその後の愛敬あるキュートなゴジラには、
さらにまいってしまったことだろう。

http://rocketnews24.com/2012/01/27/176365/


ただそのため、
ゴジラの本来の怖さとカッコよさが
次第に失われて行ったのも確かだったし、
あまり強くないゴジラというイメージができあがったのも、
また事実だった。

ゴジラは所詮ウルトラマンでもなければ仮面ライダーでもないのだ。

最大の売りが弱まっては、
その人気が低迷していくのも当然のことだった。


このため何度かその原点回帰、
強くて怖くてカッコいいゴジラを試みたものの、
その多くはいまいち戻りきれないものが感じられた。


庵野監督の今回のゴジラは、
この原点回帰を最大の目標にし、
さらにはゴジラの当初の存在意義を洗い出すという、
そこの部分にも力をとにかく注いでいた。


ただ面白いのは、
今回の庵野監督のそれが、
上記した1954年当時の「ゴジラ」に対する酷評に対して、

「じゃあこれならどうなんだ」

と言わんばかりのものになっているということだ。

人間ドラマを削ぎ落し、
科学の部分を強く補強し、
特撮的な見どころを押し上げるというこのやり方。

なんともじつに面白いという気がするし、
ひょっとして庵野監督自身も、
このファーストゴジラに対し、
当時のこれらの新聞評と近しい感覚をもっていた。

もっと砕いて言えば、
ファーストゴジラは名作とは思っているけど、
じつはかなり不満をもっていたのではないかと、
「シン・ゴジラ」を見て、
そしてこれらの半世紀前の評と照らし合わせると、
そういうものがみえてくるような気がしてしかたがない。


じっさい上記の九つの映画評を読んでから
「シン・ゴジラ」をみると、
ひょっとして「シン・ゴジラ」は、
ファーストゴジラをリスペクトしながらも、
大胆にその作品そのものにも異議を唱えるという、
ゴジラファンにとってタブー視されていることを、
正面きってやってしまった作品なのかもと思えてしまうところがある。


はたして、みなさまはどう感じられるだろうか。




最後に、余談ですが、
翌年四月に公開された「ゴジラの逆襲」のキャッチコピーのひとつが、

「喰うか喰われるか」

いやあ…確かにそうかもしれないけれど…、
はたしてこれはどうだろうか。

食い倒れの大阪にでもひっかけたのだろうか。

謎。
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共通テーマ:映画

8月11日は… [ゴジラ]

「山の日」ということですが、
ゴジラフリークにとってこの日は、

「キングコング対ゴジラ」

が1962年に封切りされた記念すべき日なのです。

ですがまあ第一回ということなので。

KG112.jpg

因みに山の日のロゴは
http://sozaiya3.net/%EF%BC%98%E6%9C%88%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88/post-1230/
からお借りしました。
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「またじい様のゴジラか」と言われそうな「シン・ゴジラ」超長大雑感。 [ゴジラ]

img_visual_jp-1.jpg
http://shin-godzilla.jp/

ここまでやってしまったか!

というかんじ。


そしてある意味過去のゴジラ映画をリスペクトしながら、
庵野監督の個性を投影させていたかんじの作品。


特撮的にはハリウッドとは見せ方の違う、
日本の特撮の味わいを色濃く残したつくりで、
いかにも「特撮」というかんじだった。


だが見せ方というか、
アングルのこだわりが凄い。

おそらく
「こうみせたかった」、
「こういのがみたかった」、
というのを前面に出したかんじで、
その意気込みが強く伝わってきた。

ストーリーとしては、
最初ややぎこちないというか流れが悪く、
ドラマなのかドキュメントなんか微妙なつくりで、
いくつもの素材がそのまま出されているような、
そんな不器用さを感じたけど、
途中からそれらのいびつなブロックが、
綺麗に重なっていったのをみると、
このあたりは監督の目論見だったのかも。


人間ドラマはほんとに必要最低限。

しかもセリフの量が半端じゃないので、
ダレることはなかった。


そして戦闘シーン。

おそらく過去のゴジラシリーズでも、
かなり凄まじいものとなっていて、
泥臭くとことんやりつくすという意味では
説得力とリアルなアイデアという点で、
ハリウッド版二作品をも凌駕している。

個人的には過去のゴジラ作品における自衛隊との戦闘シーンは、
常に欲求不満が残る代物だったので、
今回のそれはかなり溜飲が下がるものがあった。


そしてその相対する「ゴジラ」そのものに関しては、
最初は違和感があったものの、
途中からはそういうものがなくなった。

この違和感は、
今回のゴジラの存在そのものが、
ある程度「必然的」に詰められているせいだと思う。

おそらく今までのゴジラファンの一部には、
これが違和感としてでてしまうかもしれないが、
それはもうしかたないことだろう。


音楽はいろいろと考えさせられるというか、
ここに落ち着いてしまわざるを得なかったという、
なんかそんな感じがしてしまった。

悪いとかいいとかではなく、
やはり自分がいちばん危惧していた部分に対し、
制作側もいろいろと考えたんだなあという感じか。

ただ既存の伊福部さんのゴジラ関係の曲が、
オリジナルの意図に即して使用されていたのは◎。


俳優陣は概ね好演。

一部の俳優さんにかなりの負荷のかかるものとなっていたけど、
実力者揃いなのかこのあたりはクリアしていた。

ただひじょうに細かく場面を区切り、
台詞を膨大にくみこむことで、
本来なら俳優個人の癖が薄まりそうな感じがするのに、
結果として逆に個人の個性が強く感じられたのは面白かった。

もっともそのため、
作品の色合いと個性が若干乖離したようなところもあり、
演技がつたなく感じられてしまう人がいたのは残念。

あと冒頭石原さんはもう少し自然な服装にした方がよかった気がしたけど、
これはもう個人の好みと感覚の問題。


で、全体としてザックリとした感想としては、
「巨神兵」と初代「ゴジラ」、
そして84年の「ゴジラ」。

それに他の「ゴジラ」作品のオマージュもまぜながら、
庵野監督のこだわりを盛り込んで、
それを二時間に切り詰め凝縮したような作品といったかんじだろうか。


ただ時間的な制約からか、
ちょっと時間切れみたいな部分や、
粗削りなところが散見されており、
そのあたりがちょっと残念だけど、
あえて気にするというほどでもないかも。


そして放射能や核兵器に関しては、
しっかりと織り込まれていた。

公開が広島や長崎の原爆投下の日に近いこともあり、
そのあたりも意識していたのだろう。


今のところはこんなところです。

まだ一度しかみてないのであれですが、
自分はかつて今回のゴジラに対して、

-----------------------------------------------

両監督とも他人の目を気にせず、
好き放題やりたい砲台とにかくやってほしい。
それこそ出し惜しみなんかとんでもないというくらいにです。

だいたいゴジラは百人が百人、
理想のイメージが強固にバラバラなキャラなので、
どうつくろうが絶対批判や罵倒が、
少なからずガンガンとんでくると思います。

ですけど、

にもかかわらず一分でも

「おお、ここなかなかやるなあ」

と思わせたら、それでOK、それで勝ちなのです。

ゴジラ映画って自分はそんなものだとも思っていますから。

----------------------------------------------

と言っている。


なので今のところの自分のこの作品への印象も、
それに沿ったものというところですし、

庵野監督が

「絶対いい映画をつくってみせる。」

といっただけの映画ではありました。


尚今回みたのは、
横浜初のIMAX導入をした劇場。

あんまり意識はしなかったけど、
今後通常のスクリーンでみるとその差がわかるのかも。


あと余談ですが、
じつは自分はこの作品にエキストラとして参加してます。

まあとにかく現場の熱気とエネルギーの凄さに圧倒され、
これだけのエネルギーがないと映画はつくれないのかと、
とても貴重な体験をこのときさせていただきましたし、
樋口監督の「熱さ」も間近でみさせていただきました。

あの「熱さ」がこの「ゴジラ」生む、
原動力のひとつだったことは間違いないでしょう。


このときのことの詳細はすべて他言無用ということなので、
今はこれ以上は話せないのですが、
とにかくあのときのエネルギーがこれを生み出したのか、
という今は感慨をもっています。


とにかく久しぶりに何度か劇場に足を運びたくなる「ゴジラ」でした。


以上でいったん〆です。


それにしてもほんと「ニッポン対ゴジラ」だったなあ。


(2016 7/29)


ここから下は別の日に他の独立したものとして当初書き込んだものも、
こちらに移植したためおそろしく長大なものになっています。
その点あらかじめご了承ください。


(以下ネタバレ込みの追加です)


(2016 8/1 追加)

いよいよネタバレ込みで行きます。

もうけっこう出回っているからいいでしょう。

この後、
かなり長大になります、
ご了承ください。


冒頭いきなりゴジラらしきものがあらわれたようなシーンが来る。
これほど早々にこういうシーンが来るゴジラも珍しい。

そしてこの映画のオープニングをみても分かるとおり、
過去のゴジラ作品を思わせるセリフやシーンがいくつもでてくる。

尻尾が海中からドカーンとあらわれるのは、
「モスラ対ゴジラ」のオマージュだろう。
同じ作品からは川崎のコンビナート越しにみえる歩くシーンが、
やはりオマージュとして描かれている。

このあと上陸してきたゴジラは、
ファーストゴジラが深海からあらわれたという部分を意識したのだろうか、
まるで陸上にあがった深海魚のような様相を呈している。

このときまるで死んだ魚のような目をしていたが、
この作品のゴジラはすべて目の表情が皆無なため、
その無表情ぶりが際立っている。

またいつものゴジラは尻尾が感情表現豊かだったのに、
今回は尻尾が本体もしくは別人格のように、
ちょっと異様な動きに見えたのは、
ただその長さだけの理由ではない。


それに加え、
歯並びの悪さや海を歩いてるシーンをみていると、
初代ゴジラだけでなく、
「逆襲」の二代目ゴジラの雰囲気も感じられ。
初期モノクロ二作品と庵野さんの解釈を含んだ、
一種のハイブリッドゴジラという感じもした。

この後ゴジラは立ち上がり品川の八ツ山橋に到達するが、
ここではファーストゴジラで同じ場所に現れたときの、
その音楽を使用している。


この後ゴジラはいったん海上へ逃れた後、
数日後再度今度は江の島から鎌倉にかけて上陸する。

このときゴジラはさらに大きくなっていて、
いわゆるゴジラの姿となっていた。

このあたりでだいたい映画の50分が終了。

自衛隊と総力戦。
SG02.jpg

ゴジラの狂気をみるシーン。
SG03.jpg

その後東京駅前で停止するあたりでだいたい80分すぎ。

ヤシオリ作戦が100分前後からはじまるという、
そういうかんじになっている。

因みにこのヤシオリ作戦時に2027年完成予定の、
まだできてないビルをぶっ壊すという凄いことをやっている。

201508231mitsubishi-1.jpg
http://ryutsuu.biz/store/h083102.html

全体約二時間。

ハリウッド版を除けば、
「FINAL WARS」に次ぐ長さ。


前半は流れがゴツゴツしていて、
これが政府対応の遅さともどかしさをあらわしているが、
ドラマともドキュメントともつかないような、
独特の空間がそこでは展開されている。

ただシーンによって、
会話があまりにも不自然で、
かえって興を削がれるように感じられたりするところがあり、
ちょっと感覚的についていけないシーンもあった。

またゴジラが最初の上陸後海に消えた後日、
ふつうに学校にかよっているシーンには違和感があった。

あれだけの被害が出て、
しかもまだその元凶が健在な状態で、
どうして学校が再開できるのかととても不思議に感じられた。

これだけの大災害時、
現場付近でそんなに早く日常に戻るというのは、
ちょっと自分には考えられないものがある。

(これをある種の皮肉として描写したとも考えられますが…。ただ最初の上陸から半月くらい経ってるというのなら話は分かります。でもそれはどこで演出されていたんだろう。法整備のあたりのことかなあ。)


また伊福部さんの音楽をオリジナルそのままで使用しているが、
音源がモノラルの場合、
ちょっと音が狭く響いてしまうところがあり、
それがIMAXだと顕著にあらわれてしまい、
そこだけひじょうに音楽が貧弱に聴こえてしかたがなかった。

ただ通常スクリーンではそういうことがほとんど感じられなかったので、
このあたりはIMAXの特性が裏目に出たというところなのかも。


と、不満は全体では今のところこれくらい。

EVAの音楽が使われていて興ざめとか、
EVA色が強すぎるという批判がでているけど、
総監督が庵野さんがやってるという段階で、
そうなることくらいふつうは予測がつくだろうし、
むしろこの程度なら自分は何とも思わない。


むしろやりつくし感の方が強いせいで、
溜飲が下がった方が多いくらいだ。

自衛隊のタバ作戦での攻撃もそうだけど、
ヤシオリ作戦における電車爆弾や、
高層ビルを倒壊させてゴジラを倒そうとするなどなかなかで、
特に後者は他の作品にもあったものの、
今回の説得力それらをかなり凌ぐものだった。

またこのヤシオリ作戦における、
一気呵成の叩き込み方というかノリの良さは、
過去のゴジラ映画の中でも屈指のもので、
庵野監督の感覚も凄いけど、
これを視覚化した樋口監督の凄さにも恐れ入った。

このシーンたけでもこの映画は後世に残るだろう。


それにこのあたりは庵野さん色というより、
かつてのゴジラシリーズにみられたシーンを、
推し進めやりつくすとこうなるという、
そんなかんじに自分はみえた。

EVAで似たシーンがあったかもしれないけど、
それは庵野さんの特撮体現からきたもので、
これらのシーンはEVAからの流用ではない。

EVAはその経由地にすぎなかったというべきだろう。


しかし今回のゴジラは米軍に爆撃されるまで、
歩く以外の行為をほとんどみせていない。

特に鎌倉上陸以降はじつに静かというかんじだ。


今回の動きは野村萬斎さんが協力したというけど、
そのせいか鎌倉から武蔵小杉までが能舞台の橋掛かり、
そして東京が舞台そのものという、
なんかそんなかんじにみえてしまった。


とにかくゴジラそのものの動きが少ないせいか、
怪獣というより、
歩く災害という趣も感じられた。

特にゴジラの側を、
前方から後方に向かって見上げるように映していくシーンでは、
ゴジラがかつての雲仙普賢岳における、
火砕流を含む大規模噴火のそれのようにみえてしまった。

g001.jpg

このためヤシオリ作戦は、
怪獣映画というより災害と戦う映画のようにみえて、
かつてみた「ボルケーノ」という、
ロスのど真ん中で火山が爆発する映画を思い出したほどだった。


ただこの映画では災害だけでなく、
放射能について核をからめて徹頭徹尾こだわっており、
これが311以降初めてつくられた日本製ゴジラ映画であることを、
強く感じさせていた。


そのためラスト仁王立ちで凍結されたゴジラは、
ちょっと福島第一原発を想起させられるものがあり、
ひじょうに考えさせられるものがあった。

福島原発で使った放水車も作中で登場していましたし、
ひょっとしたらゴジラは福島へ向かっていたのかも。


さて俳優陣。

長谷川さん石原さん竹之内さんの好演、
高良さん松尾諭さんをはじめとした脇をしっかりと締めた存在感等々、
とても印象に残るものが多かったけど、
いちばん印象に残ったのは、
森文哉課長を演じた津田寛治さん。

sg05.jpg

ほとんどの人が大量の台詞を早く言うため、
いささか立てノリのリズム感で映画が進む傾向があるが、
津田さんの場合、
その高く強い声質と若干レガート系の、
長いフレーズを基本としたようなしゃべり方のせいか、
この人がしゃべりだすと、
映画に流れと「動き出し感」のようなものが生じて、
それが独特のアクセントとなり、
台詞のやりとりが単調になることを防いでいた。

監督もそれをわかっていたのだろう、
津田さんがしゃべるシーンの多くは、
話が動き出すきっかけとなるシーンで、
津田さんのその特性を活かしていたのかも。

また津田さんの台詞はけっこう負荷のかかるものもあったので、
今回は津田さんの好演はとても光るものがありました。


あと今回の出演者。

じつは過去ゴジラ映画に出演した人がほとんどみあたらない。
「ガメラ」や「ライダー」の出演経験はあっても、
なぜか「ゴジラ」の経験者がほとんどいない。

主要キャラで経験者は財前統合幕僚長役の國村さんくらいかも。

このあたりはあえて人選を意識したのだろうか。

あと渡部哲さんもそうなんだけど、
他のゴジラ作品での印象が低くてわかってませんでした。


それと監督さんの出演が多い。

塚本さん、松尾スズキさんもそうだけど、
犬童、緒方、原の三氏の出演も驚いた。

この三人が富野、宮崎、高畑 、の三監督のパロディらしいけど、
じつは自分は全然違う人を思ってたので、
「ふーん」という感じだった。

※緒方監督のそれなどは玉木正之さんのパロディかと思ってました。わからなくてすみません。


ただこの三人のパロディを使ったということは、
庵野さんはこの作品を見に来る層というのを、
かなり予想し意識してたんだろうなあということが、
このときあらためて感じられた。


しかし、
犬童監督、樋口監督、野村萬斎さん…、
なんか「のぼうの城」を思い出してしまいました。


そういえば樋口監督で思い出したけど、
今回とても好きだったシーンのひとつに、
里見総理代行と赤坂補佐官の対話で、
核使用を話すところでの赤坂補佐官の表情。

樋口監督の好きな森谷版「日本沈没」での、
箱根における渡老人と話す山本総理のそれを思い出してしまった。

そしてラスト付近での尾頭課長補佐のみせた涙。

けっこう心に残るいいシーンも多かった映画です。


ただそれ以上に…

個人的な話題で恐縮ですが、
ふだん自分のよく歩いてる日常風景に、
こんだけゴジラが登場した映画というのはかつてない。

鎌倉などもうどうしようかというくらいだ。


稲村ケ崎公園からみる、
ゴジラが上陸しようと向かってくるシーン。

上陸してくるゴジラから逃げ惑う鎌倉海浜公園の人たち。
Ck5xuhvUYAAYiWN.jpg

由比ヶ浜商店街横を通るゴジラ。

御成通り付近のゴジラ。
SG01.jpg
※みんなの逃げてる方向にちと疑問…
でもパニックになっちゃうとこんなものなのかなあ。

亀ヶ谷の切通から源氏山へ行く途中の、
横須賀線のガードをくぐった先の角からみるゴジラ等々。
SG04.jpg


「人の散歩コースを壊さんでくれえ!」

と思ってしまうほどのもので、
これからここ通るたびに上見上げちゃうんだろうなあ…と。

このあたりのことは、
「ゴジラ、江の島~鎌倉を歩く。」にもう少し詳しく書いています。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-08-04


今回のゴジラ。

庵野監督が「様式美」にこだわってくれたのもうれしかった。

偶然とはいえ自分とかなり似たような感覚を、
ゴジラに対し庵野監督が持っていたことも、
この映画に自分がかなり共感できた要因なのかも。

しかもただゆっくり動くだけでなく、
熱戦を吐くあたりはかなり俊敏に動いていて、
2014年のゴジラのような鈍重感がなかったのも、
個人的には大歓迎だった。

重厚と鈍重は別物なんですよね。


とにかく、
ファーストゴジラを基に、
過去のゴジラ映画をリスペクトし、
そこに少し新しいというか踏み込んだ要素を組み込んだ、
今回の「シン・ゴジラ」。


そういう意味では、
ちょっとあたらしく踏み込んだ要素を盛りこみながらも、
全体的にはオーソドックスなものをベースとしていた「EVA」と、
この作品よく似ているし、
そういう意味では庵野さんらしい作品といえるのかも。


予想通り危惧した部分もあったし、
感覚的にあわないところももちろんあるけど、
自分的にはかなり満足度の高いゴジラでした。


それ以上にかつてもいいましだか、
あえて火中の栗を拾いに行った、
庵野樋口両監督にあらためて敬意を払いたい。

そしてこれほどのゴジラをみせてくれたことに素直に感謝したいです。

ありがとうございました。


最後にパンフをみてて気づいたのですが、
制作のメインスタッフの年齢がかなり近しい人が多い。

特に昭和30年代に生まれた人が多い。

このあたり、
けっこう作品に影響を与えているのかも。


しかしなんでゴジラは上陸してきたんだろう。


放射能の影響で苦しくなり上陸してきたのだろうか。

もしそうだとしたらその後のそれは悲劇ともいえるだろう。




(考察)


とにかく台詞が多い。

しかもかなり早く喋ることが多いため、
時間以上に濃密なものとなっている。

ふつうこれだと流れが悪くなるところですが、
あるときは台詞とカメラをリレーのようにつないで、
それそのものをひとつのフレーズにしようという、
そういう演出などもみられ、
極力そういうことを防いでいた。

特撮がメインとなる作品で、
台詞が膨大というのはなかなか面白いけど、
それによって余計なドラマが差し挟まれなかったのはよかった。

ただ内容的に一般市民目線の描写や、
現場の悲惨さが希薄になった感もするが、
過去の作品では、
それがあざとい演出に繋がったり、
余計なドラマを生んだりする弊害もあったので、
これはこれで良しと自分は思うし、
二時間緊張感が持続できたのは、
そういう部分を削ぎ落したからという処もある。


これを頭でっかちでドライという感想を持たれるかもしれないが、
無味乾燥でメッセージ色が希薄なものとは明らかに一線を画した、
ひじょうに熱い部分がその根底にあったことも確か。

このあたりの感覚や感想は、
各人の立ち位置からみえる風景によるところが大だろう。


まあ例えはマニアックですが、
フルトヴェングラーやバーンスタインの演奏に耳が慣れた人が、
いきなりトスカニーニやムラヴィンスキーを聴くのと、
なんなく今回のゴジラは似てると思います。



この作品のネットでの評判をいろいろとみた。

つまるところ伝統と慣習に対する考え方、
そして十人十色のゴジラ感があらためて確認できた。

ただそれを思うと、
庵野監督が伝統と慣習というものを、
明確に意識し別個に考えているのかが気になった。

ちょっとこのあたり聞いてみたいものですが…。



かつて自分は
今回のゴジラはカッコよさや怖さをどうするかという、
そんなことを書いている。

で、このことに関していうと、
怖さはもうご覧になった方はお分かりのように、
これはもう十分なものがそこにはあった。

そしてカッコよさに関しては、
様式美という部分にこだわることで、
そこの部分を巧妙に描いていたといえるだろう。

そして赤くただれたようなそれは、
放射能というか被ばく、
もしくは核のそれを描写していたことは言うまでもない。

この要素が三位一体となったゴジラが、
今回のそれだった。

そういう意味で、
今回のゴジラはずいぶん贅沢に、
いろいろな要素を盛り込まれていたゴジラだったし、
庵野監督のゴジラに対するそれを、
かなり具現化したものだったといえるだろう。


このため当然、
このゴジラに対する人間側のそれも、
庵野監督の心象を代弁しているような、
そういう台詞等が多かった。

ただそれは政治的なものというより、
もっと素朴な感情から派生しているようなものが多く、
そのためこれらのメッセージは、
ひじょうにストレートに伝わるものがあった。

そういう意味で、
今回のゴジラはひじょうにわかりやすい、
そして無駄がなく、
メッセージがひじょうにシンプルで明快だったという気がする。


ただシンプルなものはひじょうに奥が深く、
各人がいろいろとそこから考えくみ取るこができる。

今回のゴジラはそんなものではないだろうか。



冒頭のボートに残されていた宮沢賢治の「春と修羅」。

教授の「私は好きにした」と、
賢治の「俺はひとりの修羅」とが対になっているのかも。

あとは修羅が戦いの神をあらわし、
ゴジラが大戸島の神の化身から名前がきてることを思うと、
奥さんか放射能の影響で死んだことに恨みをもち。
自分がゴジラに食われることで、
ゴジラを依り代とした修羅になり、
自らのメッセージを発する意図があったとも考えられる。

何かそれを思うと、
牧教授は劇場版「パトレイバー」の帆場暎一が、
情念と憎悪をもったような人だったのかも。

この件については次の項目にも続きを記します。



今回この作品では「怪獣」という言葉が出てこない。

代わりに
「巨大不明生物」という言葉が使用されている。

つまり、
「怪獣」という概念無き時代のこれは物語なのだ。

「怪獣」という言葉は確かに江戸時代からあったらしいが、
それは今我々が抱いてるそれとはかなり違う。

このためこの映画は、
ファーストゴジラ等のリスペクトをしながら、
従来の「怪獣映画」というイメージとはいささか異なる、
「巨大不明生物」による「災害映画」という、
そういう色合いがかなり濃いものになっている。

ゴジラが火山の噴火にみえたり、
ヤシオリ作戦が「ボルケーノ」と似た感覚を覚えたのも、
こういう部分のこだわりからきているのだろうし、
最後ゴジラが福島原発に見えたのもそれだろう。

それはあたかも「ゴジラ」という名前の災害が、
日本に降りかかってきたといってもいいようなかんじだった


「ニッポン対ゴジラ」
いいかえれはば
「ニッポン対大災害」
だったのかも。


そういえばファーストゴジラで尾形が山根博士に

「ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのもの」

という台詞があった。

ファーストゴジラも、
そう意味ではゴジラという災害に対する映画という、
そういう要素を込みでつくられた映画だったといえるだろう。


そんなファーストゴジラの引き金が核実験のそれだったのに対し、
今回のそれは核の不法投棄や原発事故という、
まだ違った核のそれをゴジラのそれとしていることを重ねると、
こういう映画ができたことは、
1954年当時同様、
ある意味とても不幸な今は時代なのかもと、
そんな気もしてしまった。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14
※この頃のことは「「ゴジラ」(1954)公開時の新聞評+いろいろ。」にもう少し詳しく書いてます。


ラストのゴジラの尻尾の先にあった人の形のようなもの。

あれが核による支配の人類の行き着く先の姿として、
庵野監督がそれを見せていたとしたら、
これはひじょうに厳しい映画だったといえる。

ネットではこれをゴジラが、
人こそが最も恐ろしいものと認識し、
薬剤の効き目がいちばん遅いと思われる尻尾から、
人に自らの一部を進化させ切り離そうとした表れと、
そう表現したものもあった。

これはなかなか秀逸な発想で
そういうことへの伏線もたしかにあったので、
それもありかなとは思った。

しかもこれを推し進めると、
ゴジラは食した牧教授の遺伝子を利用し、
尻尾のそれをつくりあげたという説が成り立つし、
さらにはそれ以前、
ゴジラが牧教授を食した直後、
その影響(もしくは思念に影響され)で狂暴化し上陸、
そしてついには人のように立ち上がり、
最後大戸島の神の化身として、
戦いの神、修羅として暴れまわったという風にこじつければ、
このあたりの伏線がかなり回収できる。

放射能を憎み日本をも憎んだ教授が、
人類の8倍もの遺伝子情報をもったゴジラに、
己を投じてその怒りの遺伝子を注ぎ込み、
これまた憎んだ日本でその放射能に身をまとい修羅のように暴れる。


このような構図が、
もしこの作品の背後にあるとしたら、
これはたんなる災害映画というだけでなく、
ある意味人災映画ということになる。


ただそうなると尻尾の人型は、
人型へ分裂小型化しようとしたその名残りとも、
牧教授が
「お前たち人間の未来はこれだ!」
と、廃墟と醜く変貌した人間をそこに見せつけたとも、
どちらともとれることになる。


まあどちらにせよまさに人類の犯した罪への糾弾という、
これはそういう大きな情念の物語というところか。

庵野監督は情念もの好きだからなあ。


また他にも、
「ナウシカ」の巨神兵への伏線という説も見かけたけど、
ただそうなると
「ゴジラ」が「ナウシカ」に迎合したようにみえて、
個人的にはちょっとこれは受け入れがたいものがある。

このあたりはゴジラファンとしては、
ちょっと譲れないプライドみたいなものがあります。

同じような意味で、
この作品をエヴァンゲリオンと関連付けするのも、
じつは個人的には芳しく思ってない。

確かに庵野監督がつくれば、
その影響が出ることはすでに自分も認めてるけど、
あまりにもなんでもかんでもそれをしてしまうと、
それこそ「エヴァ」をみなければ、
この作品の真の意味が理解ができないという、
この作品そのものが、
ひとつの作品としては自立も独立もできない、
それこそ他の作品のための、
杖払いということになりかねないものがある。

正直つくられた作品と、
その作品の影響を語る時、
すべてを他の本来関係の無い作品と関連付けさせてしまうと、
その作品の存在意義そのものが揺らぎかねないものがある。

めんどくさいことかもしれないが、
自分などはけっこうこういうものにこだわってしまうときがある。

いささか考えすぎだろうか。



話を戻しますが、
この映画は上記したような、
人類の犯した罪への糾弾だけに終始したわけではない。

知恵を結集すれば、
いかなる大災害の被害も食い止めることができるという、
今の福島をはじめとした多くの災害の被災者の方々への、
これはエールというものも含まれている。

そういう意味で、
この映画は今の混沌としたニッポンとそのまわりの世界を、
ゴジラの出現を通し、
巧みにその絶望と希望を描いた作品ともいえるだろう。

ただ…

これは自分のみの個人としての感想ですし、
この映画のテーマやそのラストは、
見たそれぞれの人によって考え込まれる類のものなのかも。

上の発言と矛盾したものいいかもしれないけど、
これもまた偽らざる自分の本音です。


以前、インタビューを受けたときにも感じたけど、
けっこうゴジラ絡みで、
自分の考え方の矛盾に直面するときがあります。

まあそれだげ自分にとって、
ゴジラは愛すべき存在であり、
こだわりがすぎる存在でもあるのかも。



この映画で特に好きな台詞が二つある。

ひとつが、高良健吾さん演じる志村内閣官房副長官秘書官が、
巨大生物があらわれてるのに会議に継ぐ会議で、

「こんなことやってる場合かよ」

というセリフと、
竹野内豊さん演じる赤坂内閣総理大臣補佐官が、
「ゴジラ」という名前がついたことに、

「名前なんてどうだっていいでしょう」

というセリフ。

特に後者、

「これって過去の全怪獣映画の総否定かあ?!」

というくらい強烈なものだった。

確かに前者もそういう傾向があるけど、
後者はあまりにも直球勝負でさすがにこれにはまいってしまった。

台風の名前じゃあるまいし、
というかんじなのかもしれないけれど、
赤坂補佐官のそれはまさに正論。

庵野監督、
いろいろといろんな意味で、
いいたいことがたくさんあるんだろうなあ。

次つくったら何を誰に言わすことやら…です。


(追加)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160812-00061026/

を読んだ。

いろいろ興味深かったけど、
「日本のいちばん長い日」はちょっと意外。

まあこの映画は自分も好きな映画で、
サントラの入ったCDまで購入したくらいだげと、
正直その影響はあまり感じなかった。

確かにあの映画もドキュメント風だし、
カット割りも細かいし
言われてみればそうかもしれないけど、
序盤意外と無駄な台詞が多かったので、
そこの部分が邪魔して、
あの作品ほどの緊張感を序盤感じなかったため、
そういう感じを自分はあまり受けなかったのだろう。

あとゴジラとウルトラマンに対しての考え方が、
自分と正反対というのも面白かった。

おそらく自分とこの作品における、
感覚の差異が生じている原因が、
このあたりなんだろうなという気がした。



(音楽についてもう少しだけ)

今回の音楽が鷺巣詩郎さんになったというのを聞いて、
もうだいたいの音楽の方向性がみえてしまった。

庵野監督とのコンビは、
もう宮崎&久石やスピルバーグ&ウィリアムズのように、
切っても切れないような関係にある。

このため音楽は極めて予想通りで、
EVAでも聴かれたような曲をときおり挟み、
さらには宗教音楽のような趣のサウンドをも織り込むという、
これまたEVAでも使用していたやり方がここでもおこなわれていた。

だがそれらは予想以上にハマっていたし、
感覚的にあわない箇所もあるにはあるけど、
今迄のゴジラ映画の音楽の中でも出色だったと確信している。

またここではEVAがポイントで既存のクラシックを使ったのに対し、
この作品では伊福部さんの既存の曲の使用という手法を使っていた。

これそのものは決して悪くはないし、
オリジナル音源をそのまま使用したことは、
確かに気持ちはわかるし下手なアレンジを施すよりは、
100倍も1000倍もましのなことは確かだ。

だが元音源がモノラルのため、
いささかそこだけ浮いてしまったことは残念。

このあたり製作費に負荷が思いっきりかかるが、
作曲者のもとで指揮をし録音をした経験のある、
井上道義氏や広上淳一氏あたりを起用して、
再度録音という手もあったような気がしてならない。

じっさいこの二人の伊福部作品の演奏は、
現存する指揮者でも最高峰のもののひとつだろう。

オリジナルの良さとフィーリングを活かした演奏をといえば、
そのとおり見事な演奏をしてくれたのではないだろうか。


また場所によっては伊福部作品に頼らずとも、
鷺巣さん自身の力で対応できたようなシーンもあった。

例えばヤシオリ作戦の出撃から電車攻撃と無人機攻撃のあたり。

確かに伊福部作品込みでもいいかもしれないけど、
鷺巣さんなら自分自身の語法によって、
同じような方向性の曲を新たに作り対応できたと思う。

このあたり、
伊福部さんのそれがモノラルだけに、
なんかとにかくとても気になってしまった。


それと「怪獣」の概念無き映画をつくるという方向性からいくと、
伊福部さんの曲を使うというのは、
ある意味諸刃の剣なんだなあということも、
見るたびに強く感じるようになってしまいました。


オリジナルもたしかにいいんだけど、
やっぱり無理なのかなあ、
こういうのを一度実演を通して、
オリジナルと比較し試すというのは。

難しいものです。


と、思ったらこれと似たようなことを鷺巣さんや庵野監督も考えてたとのこと。
(サントラじつはある理由でまだ買ってないので知らなかったです)


このあたり、
トスカニーニやフルトヴェングラーの演奏を使いたい、
というのと同じレベルの考えなんでしょうけどね。

それだけ伊福部昭という人が、
巨大だし化け物みたいだということなのでしょう。


まあ庵野監督もそういうこと了承済みの判断なので、
ここではそれを尊重ということで〆。


(お詫び)

最初に書いた文面が、
鷺巣さんにかなり失礼な物言いとなっていました。
鷺巣さんには謹んでお詫びし、
一部文面を変更させていただきました。
申し訳ありませんでした。


さらに
「鷺巣」さんが「鷲巣」さんになってました。
しかもすべてそうなってるという酷さ。
もうお詫びの言葉もありません。
ほんとうに申し訳ありません。


(ネットでみた二つの感想)


今からわしが描く「シン・ゴジラ」の批評は、「ネタバレ」充満だから、まだ観てない人、観ようと思っている人は、絶対読まない方がいい。
注意喚起しておく。「ネタバレ」だぞ。「ネタバレ」!

「シン・ゴジラ」はレビューでは大好評のようだ。だがわしは期待が大きすぎたのか、失望してしまった。そこでトッキーの評価を聴いてみたら、やっぱり高評価だった。

人は幼いころ観たゴジラのどこに魅力を覚えたか、自分が育っていくうちに、ゴジラに何を求めるようになったか、各人全然違ってしまう。
だから、どんな感想があってもいいのだ。正しい感想なんかない。

わしの期待したゴジラの見せ方と、作品としてのゴジラへの期待が「シン・ゴジラ」では両方裏切られた。

第一に、官僚VSゴジラの構図が感情移入できない。あの政治家や官僚のペラペラ早口は退屈すぎて、聞いていられない。
まるで緊急事態法が必要と言っているようで、政治的すぎる。いくら緊急事態の法整備が現代の日本に出来てないからと言っても、危機を前にしてあれほど政治家や官僚が硬直した議論をするとは思えない。

第二に、アメリカ帰りの女性の実在感がなくて笑ってしまう。
ガッジーラなんて言わなくてもいい。

第三に、あんな姿の芋虫がゴジラになってはいけない。あんな変態をもしハリウッドがやったらボロクソに文句言ったはずである。本家・日本があんな反則をやって、日本人が許すのは疑問だ。
ゴジラは初めからゴジラの姿で出現しなければならない。なぜなら、「神秘性」が失われるからだ。

第四に、あんな無敵の光線が出るようになってもいけない。どんどんハイパーになっていったら、いずれ翼が生えて飛ぶこともアリになってしまう。

第五に、超絶な力を持つゴジラに対して、あんなに原始的な攻撃でぶっ倒して、しかもその隙に口から凝固剤注入なんて、そんな幼稚な作戦が成功するわけがない。

第六に、多国籍軍の核攻撃という緊迫感が全然伝わらない。

第七に、突っ立ったまま終わるというのが、まるで原発を暗示しているようでシラケる。

第八に、大人向けの映画になり過ぎていて、新たな子供のファンを増やせない。

第九に、ゴジラの心理的な怖さを感じない。

こう書くと、ボロクソな評価だが、まったく一個人の評価なので無視してくれ。
ゴジラを語ると、クソマニアがぎゃんぎゃん言って来るので、ウザい。
一人、一人、別々の感想があってよい。

http://yoshinori-kobayashi.com/10929/


『シン・ゴジラ』を見た。

これではゴジラがあまりにもかわいそうだ。

最新兵器を駆使して、寄ってたかってゴジラを殺すだけの映画ではないか。

ゴジラに何のドラマもない、と言ったら、いや、あれは大災害を表徴しているのだ。庵野秀明監督は東北大震災や原発事故を頭において、その時、政治がどう動くか、政府がどう対処するかを克明に、かつリアルに描いている傑作だと反論されてしまった。ゴジラという国難を乗り越えた人々の映画だと。

それなら、相手は何もゴジラでなくたっていいではないか。台風でも大地震でもいい、その時の政治、その時の政府の対応ぶりを描けばいいのだ。

ただ単にゴジラをなぶり殺すだけなら、ゴジラを出してほしくなかった。

リアル、リアルというけれど、石原さとみ演じるカヨコ・アン・パターソンとかいう日系三世の大統領特使?ありゃいったいなんだい。年齢が何歳に想定されているのか知らないがあんな、大統領特使なんているわけないだろう。

小学生の時にリアルタイムで見た『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』こそ最高のゴジラ映画と思っている僕にとっては辛く、腹立たしい、『シン・ゴジラ』であった。

https://socialnews.rakuten.co.jp/link/974973



この二つの感想、
前者は1953年生まれ、
後者は1942年生まれの方。

自分や庵野監督よりも年上で、
しかも後者の方はリアルタイムで最初のゴジラをみている。


なので当然世代の差からくるそれはあるけど、
それでもなんか痛いほどその気持ちが分かる気がする。

そしてゴジラが好きだということも伝わってくる。

お二方とも今回のゴジラも、
かつての作品同様のめり込んでみたからこそ、
ここまでハッキリ物言いができるのだろう。


しかも嫌いといってはいるけど、
両者ともこの作品の特徴というか見どころを、
結果的にしっかりと把握し、
その上で持論を展開しているので、
読んでいてなんか清々しい感じすらする。

自分はこの作品を支持している側だけど、
けっこう見ているところ感じているところは同じで、
ただそれが好きなのか嫌いなのか、
許せるか許せないかの、
ただそれだけの違いという気がした。


そしてその違いのどこが分岐点になってるのかも、
なんとなくだがわかるような気がした。

それにしても後者の方。

「ゴジラの逆襲」を高評価してくれている。

もうそれだけでも自分はうれしいことこのうえない。

またゴジラをなぶるという表現をしていたけど、
これなんか裏を返せば、
庵野監督得意のノリというか、
「これでもか!」
という宮崎駿監督にもみられる、
一気呵成の畳み込みがそう感じさせるのだろう。


意見や世代は違ってもみんなどこかで、
「ゴジラ」というキーワードで繋がってる。

それがこの上記お二方の意見で、
じつに立体的に再確認させられたものだった。


正直「ゴジラ」は、アメリカでいえば、
「キングコング」と「007」をくっつけたような存在だ。

十人十色の感想があってあたりまえ。

しかも「古典」であり「現在進行形」であり、
それこそ「一人温故知新」であり、
「シン・ゴジラ」の中でも言われていたように、

「単独で進化し、死すら超越する存在」

なのだ。



ああ、

そうなるとあのときのあれが庵野監督のゴジラのイメージの根っこなのか。

と、なんとなく今そう感じました。

そういえばファーストゴジラでも、
山根博士がゴジラを、

「海生爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型生物」

と言っていたのでまさにそれをそのまま、
しかもひとつの作品でやってしまったということだったのかなと、
今頃気が付きました。

なんか「日本沈没」で、
本来なら途方もなく長い年月をかけておきる地殻変動を、
短期間でやってしまったことを思い出してしまいました。


とはいえ、
どれも文字通り、空想映画ならではの私的発想。

自分も含め多くの人の空想と感想が、
とにかくとんてせもなく飛び交う「シン・ゴシラ」。


庵野監督と樋口監督の努力は報われたようです。


(この映画はなぜヒットしたか)

理由は簡単。

みんながみたいゴジラがそこにあったから。

もっと砕いて言えば、

みんなが初めてゴジラをみたときから、

「自分だったらこう作戦をたてて迎撃する」
「もっとここはこうする」
「ここはこういう体制をとって万難を排す」

みたいな空想の、
その最大公約数的なところを実現したからということに他ならない。

そしてみんな

「変な人間ドラマではなくゴジラそのものがみたい」

という強い渇望をつねに抱いていたということだろう。

もちろんそこには時代の流れによる感覚の変化、
そして価値観の変貌もあるだろうけど、
とにかくその期待と希望を、
リアルに即して描き、
そしてかなえたということだ。


だからみんな、
今までためにためてたものが堰を切ったように、
いろいろな考察を書いているのだと思う。


もちろんそこに、
庵野監督が撒いたエヴァの種が、
鼻を咲かせていたことも大きい。

もうエヴァがTVで放送されてから、
二十年以上経つのだから当然といえば当然か。


だけどやっぱり、
不特定多数の幅広い世代で、

「みたくても見れなかったゴジラをみれた」

という部分のそれがいちばん大きいところだと思う。


もうそれにつきるだろう。


(ガルパンとゴジラ)

gg1.jpg

考えてみると昨年の春から今に至るまで、
なんかこのサイトはこの二つばかりというかんじになった。

時系列でこの二つの流れをザックリだけどみていきたいと思います。

[2013年]
4月28日
「ハートフル・タンク・カーニバル」で「ガルパン」OVAと劇場版制作発表。

[2014年]
11月16日
あんこう祭りにて「ガルパン」劇場版、2015年夏に公開延期発表。

12月8日
日本版「ゴジラ」新作制作発表。

[2015年]
3月15日。
「ガルパン」劇場版の公開が大洗の海楽フェスタで11月21日決定と発表。

4月1日
「ゴジラ」新作、総監督・脚本庵野秀明氏、監督樋口真嗣氏に。
ボランティアエキストラメルマガ登録者募集開始。

8月頃
エキストラがらみの撮影が始まる。

9月23日
タイトル『シン・ゴジラ』。出演者の一部発表。

11月上旬
「シン・ゴジラ」エキストラがらみの撮影がほぼ終了。

11月15日
あんこう祭りでガルパンが無事公開に間に合うとの報告。

11月20日
「ガルパン」先行上映。

11月21日
「ガルパン」公開。

12月9日
「ガルパン」序盤の一部を配信開始。

12月10日
「シン・ゴジラ」公開日が7月29日決定と発表。
ゴジラの大きさはシリーズ最大の118.5メートル。

[2016年]
4月14日
予告編、ゴジラの全身像、キャスト、スタッフ発表。

5月27日
「ガルパン」劇場版、DVD、ブルーレイ発売。

7月25日
「シン・ゴジラ」ワールドプレミア。TOHOシネマズ新宿にて開催。

7月29日
「シン・ゴジラ」公開。

8月28日
「ハートフル・タンク・カーニバル」で「ガルパン最終章」劇場版制作発表。


というかんじになっている。

去年からほんとこの二つが、
自分にとっては交互に話題の中心になっている。

またこれとは別に、
昨年5月下旬には、
AP通信からゴジラについての取材を自分は受けている。

これがじつは未だに謎で、
なんで自分にこれがきたのかわからないが。
このあたりからほんと、
「ゴジラ」と「ガルパン」が、
自分のブログの中核になってしまった。

そしてご存じのように
「シン・ゴシラ」のエキストラも
自分も9月から10月までちょこっとやっている。

ほんとうにドップリといった感じです。



ところでこの二つ、
とても大きな共通点がある。

それはリピーターが多いこと。

「賛辞」がひじょうに多いこと。

そして見た人が「語らずにはいられない」ということだ。



これは潜在的にマニアが多い部分を、
ピンポイントについてきたというだけでなく、
いろいろな要素が理詰めに盛りだくさん詰め込まれているため、
みんながみんな、
自分のもつこのジャンルだけでなく、
他のジャンルに対する蘊蓄まで動員して、
自分自身のすべてをもって語れる気持ちになれるという、
そういう要素が大きいことがあると思われる。


また何度もみると新しい発見、
さらにそこからまた新しい感想と考察が構築でき、
そしてまたそれを上乗せして語ることができるという、
そういう楽しさへと誘われることもあり、
ネット上でみんなが熱っぽく語るということに繋がっているのだろう。


正直両作品とも設定等がおそろしく細かく、
またマニアックに細部にまで凝らされ、
しかもかなり妥協無く理詰めでやっている。

ただし大きなところでは、
けっこう野放図であっけらかんとしたとこもあるので、
それがまた魅力にもなっているのが面白い。


まあ戦車を武道の一環とした「戦車道」といい、
「核分裂」をエネルギーにする超巨大生命体といい、
どちらも非常識甚だしい大前提の上になり立ってはいるけど、
ここまで真剣にやられては、
見る方も納得するし楽しむしかないだろう。

しかもそこに「見つけ、考え、導き出す」という、
そういう究極の思考娯楽の要素もあるのだから、
こんなに楽しいものはない。


リピーターが増え、
サントラCDが売れまくるのも当たり前だ。

おそらく「シン・ゴジラ」の映像商品もかなり売れるだろう。


この二つは、
今後映像作品で、
どういうものが大きなヒットに繋がるのかという、
ひとつのそれをみせてくれたような気がする。


自己完結して御終いというのではなく、
誰かにその良さをストレートに語りたい、
または自分の蘊蓄を作品と整合させ盛り込みそして語りたいという、
とにかく、
誰かとこの面白さを分かち合いたい知らしめたいという、
または自分のそれを思いっきり披露したいという、
そういうことを誘発させる作品。

といったところでしょうか。


ただそのためには素材の魅力も大切だけど、
それを誘発させるだけの、
作り手の理詰めの蘊蓄と情報量、
そしてこだわりもカギ。

さらにそれを実現するだけの、
腕扱きのスタッフも勿論大事だけど、
それ以上に、
誰もが踏み込みやすいところまで仕切りを下げ、
間口を大きく開いておくこと、
そして二歩も三歩も、
観客を置き去りにして前へ進まないということも、
けっこう大事な要素だと思う。

そういう姿勢を妥協とか堕落というかもしれないし、
自己に徹するのが美学かもしれないけど、
自分だけ勝手に先に走るのは誰でもできるし、
そういうものにはなかなか大人数はついてこない。

大事なのは、
まわりをみながら半歩先を確実に歩み、
そこに深く広く根をはることにより、
多くの観客を惹きつけ、
参加し考えてもらい感じてもらうことだろう。


リピーターを生み反響を大きく呼ぶヒット作品とは、
そういうものではないだろうか。


対象が「戦車」や「ゴジラ」という、
ファン層の広いものだから当たったというかもしれないが、
決してそれだけの話ではない。


「ガルパン」と「シン・ゴジラ」


いろんな意味で大きな示唆と可能性をみせてくれた、
ちょっと新しい古典的作品だったと思います。


それにしても自衛隊がどちらにも関わっている。

昔なら反発もかなりあっただろうけど、
311以降そういうことも少なくなったし、
ある意味自衛隊を自分目線で見聞し、
己の立ち位置で精査できるきっかけにもなっているのかも。


ゴジラの身長の変化同様、
自衛隊の扱い方にも時代のそれが反映されているようです。


あとこの二つの作品の共通項として

「上の上」

を狙ってくるところがある。


「ガルパン」はTV版の10話から12話にかけての、
あの戦車戦と高揚感、そしてノーサイド的なカタルシスを超えないと、
劇場版をつくった意味がない。

多くのファンの期待と予想の上の上を狙いにいったという、
そういう部分が大きかった。


「シン・ゴジラ」。

前例のない、
それでいてファーストに敬意を払うという、
このきわどい綱渡りの上でのあの作品。

まさにこれもまた、
ファンや初心者の想像の上の上を行くものだったといっていいだろう。

ひとつの例をあげると、
ラストの「ヤシオリ作戦」での定置爆破によるピルの倒壊シーン。

ゴジラの上に次々と倒れてくる巨大なビル、
そしてとどめとばかりにゴジラの倍以上ある巨大なビルが、
巡航ミサイルによって倒れてくるあのたありは、
もう庵野監督のノリというか、

「これでもか!」「人類なめんなよ!」

みたいな一種の狂気が爆発したみたいで、
まさにこちらの上の上を行くシーンだったし、
二度目の電車爆弾も、
すべての軌道を使い切って、
最大編成ともいえる電車が次々とゴジラの体の上によじのほぼり、
そして爆発していくそれも、
まさにこちらの想像の上の上をいくといった感じだった。


スーパーなにがしみたいな子供騙しなチンケな兵器ではなく、
手持ちの今ある駒をこれでもかと、
それこそ出し惜しみなしに使い切ったそれは、
まさに人海物量作戦そのものだが、
じつは日本のゴジラ映画で一番欠けていた部分でもあっただけに、
そこを徹底的についたことが、
上の上を行くことに繋がったのだろう。


水島監督といい庵野監督といい、
我々の期待と予想を上へ上へと裏切り続けられる人たち。


こういう時代に生きている自分がほんと幸せ。


樋口監督の語った庵野監督の話を読んで

ところでちょっと面白い記事と遭遇したのでその感想をひとつ。


今回の「シン・ゴジラ」には、
自分のお気に入りの
「高圧電線による撃退」
というシーンがなかった。

リアル志向の庵野監督がはじいたということは、
実際には実現性が乏しいのだろうかということを、
記事で検索しようとした矢先にいきなり以下のタイトルの記事がでてきた。

【シン・ゴジラ】樋口真嗣監督がエヴァンゲリオンの盟友・庵野秀明総監督を語る
「破壊しながら前に進む。彼こそがゴジラだった…」
http://www.sankei.com/premium/news/160821/prm1608210020-n1.html

というもの。

これがなかなか興味深いものだった。


それを読むと「ゴジラの逆襲」ではないが

「あらゆる想像の中で最も悪い場合」

が、どうもそこで起きていたようだ。



ただそれにもかかわらず、
樋口監督の語る庵野監督は、
破壊者や独裁者というより、
ユニークという印象を受けた。


音楽の世界ではこういうタイプの人はよくいる。

マーラー、トスカニーニ、
クナッパーツブッシュ、クレンペラー、ムラヴィンスキー等々、
みな庵野監督のもつ要素をふんだんにもった人たちだ。

特に最初の二人は庵野監督とよく似た感じを受ける。


とにかく徹底的に自分のやり方で自己を妥協無く押し通す。

伝統は重んじるが慣習にはとらわれない。

ドミネーターである。


といったとこだろうか。

またこういう人はひじょうに複雑な性格を持ち、
尊大な割には人の言うことを気にするとか、
パラノイアとまではいかないけど、
とにかくかなり難しい性格の持ち主といえるだろう。

庵野監督にもこういう部分が見え隠れしていて、
そういう点ではマーラーに近しいものがある。

また記憶力の良さと正確さというものでは、
トスカニーニを想起させるものがある。


マーラーとトスカニーニは、
ともにウィーンとスカラというオペラハウスで、
ひとつの最盛期をつくりあげている、

ともに大人数の人たちを率い、
オペラという総合芸術を作り上げているが、
その手法がかなり激しく苛烈だったことと、
上記した性格的なものが加わり、
常に大多数の人たちと衝突していたという。


またマーラーは録音が無いのでわからないが、
トスカニーニの指揮するオペラは、
歌手の自由を許さない、
無駄な誇張や過剰な表現を削ぎ落し、
楽譜のみから真実のドラマを追求するという、
妥協無きスタイルによるのもので、
曲によってはオペラというより、
オラトリオや劇的交響曲というかんじの要素の強い、
厳しいスタイルに貫かれたものが多かった。


このあたりは宮崎駿監督にも通じるものがあるけど、
庵野監督のそれも、
トスカニーニのそれをひどく想起させるものがある。


また樋口監督の言う、
現場との衝突や敵に回すというそれは、
詳細は語られてはいないが、
いわゆる映画業界の常識や慣習といったものを、
かなり無視し価値も意味も無いものと切り捨て、
自らのやり方を推し進めていたためなのではという気がする。


「ゴジラ」、特にファーストゴジラのもつ伝統みたいなものは、
ちゃんとリスペクトしてはいるものの、
それ以外の慣習的なものはバッサリ切り捨ててる作風が、
そのまま現場でのやり方にもでているとしたら、
それはスタッフとの軋轢は半端なものではないだろう。


マーラーがウィーンを去るとき、
そのコメントが貼られていた紙が、
あっという間に誰かに破り捨てられたというそれと、
かなり似た状況になっていたのではないだろうか。


だがマーラーはウィーンで、
トスカニーニはスカラやニューヨークで、
聴衆から圧倒的な支持と賛辞を受けた。


樋口監督の

「撮影中、「やっぱり庵野はすげえな」と思うこともあれば、「ああはなりたくないな」と思うこともあった。」

というのは、
まさにこのあたりを指しているのではないだろうか。


またテイク云々というのも、
よくジャズのプレイヤーにはよくあることで、
そういう意味では、
庵野監督の「演奏家感覚」のようなものが、
このあたり垣間見られるような気がしたものだった。


あと樋口監督の実務的な上手さというものも、
なんとなくこのインタビューで感じられた。

実直な仕事ぶりというか、
現場を知った誠実さとでもいうのだろうか。


庵野監督とこれだけ長く続いてるのも、
そういう部分に信頼を置かれているからだろう。


ただ個人的には、
樋口監督が「シン・ゴシラ」のある撮影中、
かなりの大人数のエキストラがいる現場にもかかわらず、
遠くにいた一人のエキストラのもつ、
リュックのその置き場所まで細かく指示していたのをみて、
「この人も妥協無いなあ」という気がしたもので、
そういう意味では樋口監督がいなければ、
この作品は絶対できなかったんだろうなあということも、
あらためて強く感じられたものでした。

ただその後、
そのとおりにキチッとやったエキストラに、
笑顔でOKサインを送っていたそれをみて、
このあたりのフォローもしっかりしてるなあと、
あたりまえのことかもしれないけど、
これまた感心してしまったものでした。


今回の「シン・ゴジラ」

確かに作品を設計指揮したのは天才庵野かもしれないけど、
その意図を増幅し全体をリードし演奏させたのは「匠」樋口。


そういえばマーラーがいた時代のウィーンのオーケストラには、
ロゼーという不世出の大コンサートマスターが存在していた。


庵野監督と樋口監督は、
そういう関係なのかもしれない。


尚、上であげたマーラーとトスカニーニは、
指揮者としては対照的で仲も良くはなかったとか。

その二人との共通項を個性としてあわせ持つ庵野監督。

最初にも言いましたが、
本当にユニークという感じです。
※現場はその一言では片づけられなかったとは思いますが…。


しかし樋口監督にとって今回の現場、
「シン・ゴジラ」の映画同様、
それこそ、

「どう考えても、ただ事じゃねえぞ。」

だったのかも。


◎今回なかったお約束

今回のゴジラはけっこう「お約束」がなかった。

それを思いつくままにあげていくと…

※高圧電線がらみの攻防がなかった。

※博士が出てこなかった。

※TVのリポーター等のマイクを向けてくるシーンがなかった。

※ゴジラを指さして焦る一般市民がいない。

※それを含めて一般市民目線の描写や会話がほとんどなかった。

※やはり同じようにゴジラの移動状況を放送するシーンが無い。

※恋愛がらみ、各キャラの家族、親族の描写が無い。

※ゴジラをみて怯む警官や自衛官がいない。


…というあたりだろうか。

これらのありきたりのことが、
バッサリ切られるとどうなるかというのが、
今回のこの映画の見どころでもありました。


つまり今回の映画は、
多くのお約束や慣習を無視したため、
描いている幅は過去の映画とは比べ物にならないほど、
狭くそして限定的なものとなっているため、
人間ドラマを展開するスペースが最初から空いてない、
というかんじだった。

このため、
シュミレーションとメッセージを詰め込んだ世界に、
ゴジラがポンと放り込まれると、
どうなってしまうのかという、
そんなかんじすらする作品となっていた。

今ネット等で語られているゴジラは、
このあたりから派生した内容がほとんどで、
そのせいかその多くの内容も、
映画同様驚くほど狭く限定的な内容を、
深く、しかもオタクっぽく掘り下げているものが多い。

今回の映画を、
オタクが世界を救ったような映画と、
揶揄し嘲笑てる人もいるようだが、
ある意味それは作品の核心を突いてはいるけど、
その人自身もそのペースにまんまとはめられているという、
そういうところがかなり見受けられるのも確か。

庵野監督は、
ときおり見ている人に、
平気で罠をしかけてくるところがある。

自分も含め、
けっこう今回もその罠にかかった人が、
そこそこ多いような気がするのは気のせいか。

まあそれもまた一興なんですけどね。


◎エキストラのこと

この映画、
エキストラとして自分も少しかかわっているので、
そこのあたりをもう少しだけ。


このエキストラ公募。

じっさいはこの作品が庵野樋口体制でつくられるという、
その発表があった2015年4月からだったけど、
自分が気づいたのは6月というからかなり遅い。

はやい人はこの発表と同時に応募していたというし、
中には過去のゴジラ作品にもエキストラで応募し、
そして出演していたという。

それに比べれば自分はほんと駆け出しだ。


今回のエキストラには以下の決まりがある。

・ストーリーや内容、シーン、キャストなどに関する事柄、ロケ地に関する事柄は今後全インターネット上への掲載、投稿を厳禁。
・自分自身のみの写真などは上記の状況に触れなければ上映後はアップしてもOK。
・セットなどが映りこんでいる写真は、今後もインターネット上への掲載、投稿は厳禁。
・エキストラ記念品やお弁当の写真はアップOK。

というもの。

またそれ意外にも、
髪型や長さや色、
その他いろいろと時と場合によって決めごとがあり、
当日髪の長さに問題のあった人は、
当人の了解を得た上で散髪ということにあいなった。


とにかくいろいろと決まりがありましたが、
かなりの部分は本編公開でほとんど開示されてしまってるけど、
それでも今現在もいろいろと縛りがあるみたいです。


ネットでほとんど情報が公開前に洩れなかったのはこれを皆が遵守したからで、
今回のエキストラ参加者の意識の高さがうかがわれる。

それは撮影前に配布された断り書きや、
スタッフの方々の説明が、
極めて熱意のこもったものであったことも大きかった。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1470208802196.html

しかもスタッフが素人集団のエキストラに対し、
とてつもなく気をつかっていることが感じられたし、
特にエキストラ担当の方のたいへんさは、
もうただただ頭が下がる思いでした。

(これには映画がはじまれば、これらの人たちが皆「観客」というお客様になるという意識があったことも確かだろう。)

担当だった清末さんと安藤さん、
そしていろいろと気をつかっていただいたスタッフの皆さまに、
この場を借りてあらためて深く感謝の意を表したいと思います。


ただ、
それにもかかわらず、
エキストラというより社会人としてどうなのよという、
そういう行為をされたエキストラがいたのは残念だった。

あの場の真剣な雰囲気がその人にはわからなかったのだろうか。


こういう例外もあるにはあったのですが、
とにかく全員真剣そのもので、
エキストラという人間背景を演じていました。


自分はエキストラを三十年ほど前にもやってるが、
そのときも感じたが、
映像作品を作るときの現場の熱気は半端ではない。


特に今回は大作映画ということで、
なおさらそれはものすごいものがあった。


命削ってるというか、
人生をこれにかけているという、
そういう真摯なものがとにかく強く感じられ、
これほどのエネルギーを生み出さないと映画はできないものなのかと、
あらためてその凄さに驚かされたものでした。


ただこういうエキストラをやってしまうと、 映画をみてて、
中の撮影シーンがなんとなくわかってしまって、
ときとぎ
「ああ、こりゃたいへんだわ」
と思ってしまうことも多々あることは事実です。

これはしかたない話ですが…。


しかしほんとたいへんでした。

やってる方も力入りすぎちゃうときがあって、
それをスタッフの人がみかねて、

「絶対無理しないでください」

とかなり心配されていた。

ですが…にもかかわらず頑張っちゃうんですよね。

シーンによっては、
ハッキリいって気を緩めたらケガしちゃうということで、
ものすごく全員集中していました。

このときの、

「本番!」

の声が聞こえた時の、
ピーンとした緊張感がとにかくすごかった。

大勢のスタッフも、
大人数のエキストラの動きひとつひとつを、
一期一会的なノリで撮影していましたが、
現場で特に印象に残ったのが樋口監督。

とにかく動くしとにかく細かくみている。


あれだけの大人数が動いてるのに
よくそんなことにまで気づくなあという、
そういうことにも何度かでっくわした。

よほど凄い動体視力をもってるか、
恐ろしいほど集中してるか。

とにかくほんとうに驚いてしまった。

今回の「シン・ゴジラ」は、
庵野監督の手腕ばかりが大きくクローズアップされてるけど、
個人的には樋口監督の現場を引きずるバイタリティと、
その職人的手腕ももっと絶賛されてしかるべき。

映画を見てはいないのでなんともいえないけど、
「進撃の巨人」のことで、
いつまでも鬼の首をふりまわしているのはどうかと思うなあ。


しかし撮影現場は、
撮影時以外はほんとエキストラ同士和気藹々だった。

撮影現場で親しくなった人や、
待ち時間でゴジラ話やアニメ話をした人、
さらには現場から駅まで一緒に朝帰りしたり
暑くてまいってる人に風を送ったり、
記念写真を撮ってあげたりと、
いろんなことがあったけど、
あれからみんなどうしてるかなあ。


九州や北海道からも来てたし、
車で泊まり込みで来てる人もいたし、
ロケ場所に近いところにわざわざ宿をとった人もいたし、
まあみんな、

「ゴジラに踏み殺されるなら本望」

という感じの人が多くて、
ほんとちょっとしたお祭りでした。


それだけにスタッフもたいへんだったでしょうけど…。


今となってはほんと楽しい思い出です。

それになかなかな普段行けないところにも行けましたし。


因みにエキストラは、
全体的になんかけっこう年齢層が高く、
若い人があまりいないという感じがしましたけど気のせい?


この時知り合った人との会話で

「ゴジラはやっぱり若い人からみると過去のものなのかなあ。」

と、ちょっと寂しそうに話されていたのが印象的。


「シン・ゴジラ」の大ヒットに、
きっと大喜びしていることでしょう。


ただもちろん若い人も中にはいましたが、
そのときいろいろ聞くと、
その人には「平成」以降のゴジラの方がしっくりして、
初期もののそれはピンとこないということだった。

やっぱり世代が違うと、
ゴジラに対する価値観も違うんだなあと、
このときあらためて感じさせられました。

若い人たちには、
この先祖返りしたようなゴジラは、
いったいどう目に映ったことでしょう。


とにかくそんな人たちとともに、
楽しくエキストラをさせていただきました。


ただ楽しいだけではなく困ったことも…。


今回の映画はかん口令が敷かれていたので、
「ゴジラ」なる単語はご法度。

このためこちらもそれを心がけていたのですが、
問題は外で衆人環視の中での撮影時。

とにかく

「これなんの撮影ですか?」

とよく聞かれる。
そしてみんな困ってしまう。

自分などは

「タイトルはわからないけどとにかくたいへんなんです。」

などと言って逃げていました。

にもかかわらず数日前に、
現地で「ゴジラの撮影のため」という、
とんでもない文章が、
某交通機関の停留所に貼られていたりと、
なんかそのへんはいろいろと?な感じではありましたが…。


他にもエキストラの中に、
いつの間にか一般の人が入り込みそうになっていたり、
中には通行してる人に、

「邪魔だどけ!」

と言われてしまったりともうなかなかたいへんでした。


エキストラ、
決してただ歩いてるだけではありません。

けっこう修羅場みてます。



ところで、これはどうしても言っておきたいのですが、

この映画のある撮影現場でのこと。
(ネットではすでにいろいろとでていますが)

ほんとにたいへんな「走る」撮影だったのですが、
それが一応無事終了した直後、
総監督の庵野さんがメガホンをもって、
参加者全員に撮影の謝辞を述べたあと、

「絶対いい映画にしてみせます!」

と力強く大きな声で宣言された。

そしてそれを横で聞いていた樋口監督も凄い目つきをしていた。


このときその場にいた全員から、
一斉に大きな拍手が巻き起こった。

自分は比較的監督に近い場所にいたけど、
これはもうちょっと言葉にならない光景で
万感胸に迫るものがあった。

あの瞬間スタッフの方たちはもちろんだけど、
ほとんどのエキストラの人たちも気持ちがひとつになったのではなかろうか。

(じっさいにはそう単純な状況ではなかったようですが…)


とにかく暑さ対策あり
寒さ対策ありと、
いろいろとたいへんでしたが、
貴重な体験をいろいろとさせていただきました。


その後昨年(2015)クランクアップし、
そして今年(2016)夏無事公開された。

滑り出しも評判も好調ということでほんと何より。


大勢の気持ちの丈がつまった今回のゴジラ。

ほんといろいろな意味で忘れることのできない作品となりました。


記念品もいくつかもらいましたので、
これらも大事にしていきたいと思います。


あと今回のエキストラ参加者は延べ四千人超。

突然予定が変わったり、
日にちが変更したり内容が変わったり、
いろいろとたいへんだったのに、
三か月ほどの間にこれたけの人数が今回は参加していました。
(他にも別の時期には声だけの収録もありましたが)


それとほんとどうでもいい話なのですが、
今回この業界では夜11時になると、
エキストラも含め、
全員に夜食を出すのが仕来りということを初めて知りました。


ほんとたいへんな世界です。脱帽。


あとじつは某駅構内での撮影時。

かなりハードな撮影だったのですが、
そのときけっこう危ない状況になりそうになり思わず、

「押すなよ」

とかなりきつい口調で大声を出してしまいました。

近くにいた人にはカチンときたかもしれません。
ちょっと大人気なく無気になってしまいました。

不快にあのとき思われた方には、
かなり遅くなりましたが深くお詫びいたします。

もっと早くこのことは書きたかったのですが、
上映前に撮影時のことを言うのはすべてご法度だったので。


因みに本編でも「押すなよ」という声が聞こえますが、
声は何となく似てるんですけどどうなんでしょうね。



以上ですが、
ほんとうはもっといろいろ書きたいものの、
約束事に違反してしまうのが残念。

本一冊かけるぐらいいろいろと面白かったです。

あれはいったいどうなったの?とか。


◎「シン・ゴジラ」の興味深い評


自分がよく参考にさせてもらっている、

「山崎浩太郎のはんぶるオンライン」
http://www.saturn.dti.ne.jp/~arakicho/

その中の、
9月30日更新の「可変日記」8.22掲載と8.23掲載のところに
「シン・ゴジラ」のことが書いてある。

これが面白い。


というか山崎さんの体験した、
昭和のそれがものすごく感じられる内容となっている。

そしてあらためて、
ゴジラが昭和を三十数年歩いてきたことを、
再認識させられるものがあった。


自分が「シン・ゴジラ」のいろいろいな人の評を読んいて、
いちばん楽しいのは、
その人の専門性とのそれもあるけど、
その人の歩いてきた昭和や平成が、
ゴジラを通してみえてくるというのがある。


もちろんそれは人によってそのみえるボリュームの違いはある。


そんな中でも山崎さんのは、
思いっきり昭和がハッキリとみえてきて興味深い。

山崎さんは庵野監督と樋口監督と、
ほぼ同じ世代の方なので、
ある意味両監督のみてきた風景、
そして意識してきた風景と、
かなり互換性があると思われる。


なので、
今まできづかなかったこの両監督の一面が、
なんか山崎さんの話から推測できるような気がしたものだった。

特に三笠の露天艦橋のことなど、
この両監督なら「あるだろうな」という気がした。


考えてみると三笠は違うけど、
日露戦争の十年前にあった日清戦争、
その黄海海戦で北洋艦隊と連合艦隊の撃ち合った距離が、
じつは矢口とゴジラがヤシオリ作戦時に対峙した距離と、
かなり近しいものがある。

もっと違う例を言えば、
東京駅から秋葉原駅くらいといえばもっとわかりやすいかも。

めちゃくちゃ至近距離だ。

泉が矢口を止めたのもこれならわかる。
止めて当たり前だ。

行く方がどうかしてる。


矢口役の長谷川さんが、
矢口を「狂気」と形容していたけど、
それがとてもわかるこれは距離感だった。


そんなことに気づかせてくれたのも、
山崎さんのこの評だった。


とにかく「シン・ゴジラ」がらみのそれはほんとうに面白い。

強者が書いてるケースが多いからかな。


「シン・ゴジラ」のサントラを聴いて

自分は映画のサントラを公開前はもちろん、
公開後も早期には聴かないことにしている。

それはサントラが耳に馴染んでしまうと、
その音楽が本編に出てくるたびに気になってしまい、
映画に対して集中できなくなってしまうからです。


というわけで公開から、
五か月近く経ってようやく聴く。


まず聴いて思ったことに、
音楽を聴くたびに映画のシーンや印象が、
じつに鮮明に蘇ってくるのにビックリ。


それだけでもこのサントラの完成度の高さがうかがえる。


EVAの雰囲気が強すぎるという、
そういう声もあるにはあるけど、
個人的には伊福部さんを除けば、
最もゴジラ映画の音楽とし成功した感がここにはある。


まあ伊福部さんも、
自分の他の作品からの転用を盛大にやっていたので、
むしろその精神を引き継いだともいえるのかも。


自分が特に感心したのは、
トラック20番のヤシオリ作戦時にかかった音楽。


最初この音楽を聴いたとき、
じつにスカスカな音に聴こえ、
思わず「えっ?」と思ってしまったが、
すぐにその理由が分かった。


映画本編時には、
この音楽と同時に大量の車両の動く大音響の音や、
叫び指示を出す声が飛び交うという、
物凄いほどの緊迫したシーンなのだが、
あのとき車両音や人の声が、
意外なほどクリアに聴こえていたのは、
この音楽がスカスカだったからだ。


これらの凄絶な現場の音に、
この音楽が上からかぶさると、
そのスカスカな部分にこれらの音がうまくはめこまれ、
じつにすべての音が邪魔しあうことなく、
ひとつの方向に向けて凄いまでのエネルギーを出すことができるようになり、、
それが映画に圧倒的な迫力と緊張感を生みだす力となっていった。


これが下手に音が敷き詰められていたら、
何が何だかわからないグチャグチャな音塊になってしまい、
おそらくあれほどのドラマを生まなかったのではないだろうか。

鷺巣さん快心の作とこれは言えると思う。


場所によってたまに「薄く」感じるところがあるけど、
庵野監督の感覚的なものもあるので、
一概にダメとはいえない難しいものがある。


ただとにかく全体的に、
とてもこれは聴き応えのあるサントラでした。


あと伊福部さんの音楽のこと。


伊福部さんの音楽は、
例えばショスタコーヴィチのように、
音が裸でいきなり飛び出してきたりとかすることはなく、
ソロのメロディでも、
ほとんど複数の楽器が関わって奏でられるため、
音楽全体が巨大な音の塊のようになって、
スクラム組んで突進してくるような凄さがある。


このため伊福部さんの曲は、
日本のオーケストラの楽器が、
まだ今日のようにいきとどいたものではなく、
貧弱なものばかりだった時代に演奏されていたにもかかわらず、
驚くほどそういう弱さを見せないという強みがある反面、
音のエネルギーが真ん中に集中するきらいがあるという面がある。

特にテンポの速い劇的な曲にその傾向がある。

なので伊福部さんの曲を、
無理やりステレオ化しようとすると、
その中に向かって集約しようとするエネルギーが緩んで拡散してしまうため、
オリジナルのようなドスの効いた響きになってこない。


もしそういう効果を狙うとしたら、
ステレオ録音でオリジナルとまったく同じ演奏を、
まったく同じテンションでやるしかないが、
やはりそれは無理というもの。


それにモノラル録音には、
狭い空間で響くことによって生まれる、
本来にはない凄みも付加されることがあり、
さらにそのハードルが高くなってしまう。


だからこのあたりのオリジナル使用は、
ある意味拙速案ではあるがしかたないのかもしれない。


ただトラック02は、
楽器が少ないためこれはステレオで録り直してよかったと、
今でもそう思ってる。

ここはピアノの録音の仕方でなんとかなったような気がする。
ストコフスキーの録音した「幻想交響曲」の鐘の効果などを聴くと、
特にそう思えてしかたがない。

それともやはりこれは素人考えということで無理なのだろうか。


最後に庵野さんが音楽に「重たすぎる」と言った言葉。


おそらくゴジラの重さと対比するためにも、
そういう部分の感覚を必要としたのかもしれないが、
作品全体が重厚になるのはともかく、
鈍重になることだけは避けたかったのだろう。


それは今回のゴジラそのものにもいえることで、
様式美を追求したことにより、
動きが緩やかになったため、
重厚なキャラが鈍重に至る危険性を回避したかったのではと、
そんなことも音楽の使い方にも感じてしまったものでした。


それを思うとさっきのストコフスキーの鐘も、
この作品で応用すると重すぎるということなのかも。


シン・ゴジラ」のDVDをみて

普段みている他のゴジラシリーズのDVDと、
同じ条件でみる「シン・ゴジラ」は、
やはり今までとかなり違ってみえた。

台詞が映画館でみているより早く感じたのは、
スピーカーやみている空間の小ささからくるものか?


また映画館でみたときには、
かなり見落としているシーンもあり、
そのせいかいろいろと感想が浮かんできた。

前書いたものと重複する部分も多いけど
今現在の感想として再度感想をここに書きます。


まずそのひとつに、
庵野監督は「ゴジラ」に強い思い入れがないせいか、
ゴジラに対して、
ふつうのゴジラファンには考えられないような、
とても斬新な解釈を施している…、
…というより疑問や不満に思ったことや、
こうしたらもっと面白くなるだろうという、
そういう部分を優先し、
かつての慣習をすべて無視したということにある。


ただその中には。
結果としてかもしれないけれど、
1954年の「ゴジラ」公開時に酷評された内容に対して、
(特にドラマや日常のそぎ落としは、
本人は時間や予算の関係といっているものの)
かなりいろいろと答えているような感じもある。


それにしてもここまで無表情というか、
無機質な感じのゴジラというのも珍しい。

これはファーストゴジラのそれを、
さらに推し進めたものだろうけど、
ファーストが最後哀れな最後があったことで、
最後に悲劇性が付加されたのに対し、
こちらは最後まで不気味な生命体として描かれていた。


特に尻尾の動きがはなはだ異色で、
ファーストも確かにゆっくりだったけど、
ここではさらに悠揚としていて、
まるで本体と別人格、
もしくは尻尾の方が本体かもというくらいの、
そんなかんじの動きを常に感じた。


第一形態が尻尾のみだったのは、
そういうことのあらわれだったのかもしれないし、
最後も尻尾の先で終わったのもそうだったのかも。

あと今回は形態を変える前に、
かならず一度動きを停止している。

それを思うと東京駅で停止したとき、
次に動くときは第五形態を尻尾からまき散らしながら、
暴れ回った可能性がある。


その前に攻撃されたために、
おそらくその機会を逃したのだろう。

また背中に貫通弾を受けたため、
このゴジラは万が一のことを考え、
尻尾にも本体の一部機能を動かした形跡がある。

尻尾から光線を出したのも、
そのあたりが関係しているのだろう。


そんなこともあり、
今回のゴジラは怪獣というより、
得体の知れない生命体という、
そんな感じを強く受けた。


背中や尻尾の先から光線を放出するなど、
口から放射能を吐いて空を飛ぶより斬新だ。


もし庵野監督がゴジラ大好き人間だったら、
ここまでゴジラを再構築することはなかったと思うし、
第二形態のようなゴジラを登場させることも、
おそらくなかったと思う。

またこの第二形態のシーンでは、
かつてみた「帰ってきたウルトラマン」でみたような、
そんな雰囲気がなんとなくあって、
ウルトラマンがここで登場しても何ら違和感がないような、
そんな感じがしてしかたなかった。


なので、
これはこれである意味新鮮だったけど、
時間が経つにつれ会わない部分も感じられるのは、
自分が昭和のゴジラ好きだからだろう。


またリアル志向というわりには、
石原さん演じるカヨコには、
過剰なまでの演技を要求してるし、
それによってドラマが単調になることは防がれてるけど、
なんかちょっと粗削りな気がする。


粗削りというとゴジラ第一形態出現前後の、
ネットアップの前後に流れていた、
それがらみの一般人と思われる短い台詞。

このあまりの棒読みは今でも違和感ありまくりで、
これでOKなのかあと、
ちょっとこのあたり不思議なものがあった。


ひとつひとつの画面の完成度は確かに高いけど、
ときおりなんか
目的より手段が前に出てしまったような感じを受けたり、
ちょっと素材のままの粗さを感じたりするのは
こういう部分にそれを感じているのかもしれない。


あと鎌倉の空の色に一貫性が無いのは、
もうそこまでやる時間がなかったのだろうけど、
このあたりDVDでも修正しなかったのは、
あまり大きな問題ではないと思ったのかも。

また同じ鎌倉での進行シーンも、
その現場とあわせてみると、
内容的に辻褄が合わないところがあるので、
このあたりはシーンの組み合わせの良さを優先させたのかも。


徹頭徹尾庵野監督色の濃い作品だけど、
ちょっと粗い部分が散見されるのをみると、
もう半年の期間ともう少しの製作費があったら、
この作品どうさらに変化したのかという、
そういう気持ちももたせるような、
そんな作品にもDVDをみてて感じさせられた。


そしてもうひとつ。

sg0002.jpg

このシーン。

後ろにゴジラが遠くではあるけど、
こちらにゆっくりと近づいているのに、
建物や放送等で誰も気が付かない。

さすがにこれには恐怖した。
自分がもしここにいたらと思うと、
もうかなりたまらないものがあった。

映画館では目があまりよくないせいもあって、
何かが動いているとしかみえなかったけど、
家でDVDをみて愕然としてしまった。

これにはまいりました。


一言でいうと今回のゴジラはドライなゴジラだし、
余計なものを徹底的にそぎ落としたところに、
庵野風の独自のドラマをつくりあげたという事は、
ハッキリ言って賞賛すべきことだと思う。


確かに合わないところは多々あるけど、
誰がみてもかならず不満がでてきてしまう、
作り手にとっても観客にとっても、
自分をみる鏡となってしまうようなこういう題材に、
よくぞ火中の栗を拾うがごとく挑んでくれたと、
今は感謝の気持ちの方が大きい。


もちろん本人にそんな気持ちは無かったかもしれないけど、
これで以降誰もが自由にゴジラを作れるという、
ひとつの閉そく感を打破し突破口を開いたことも、
これまた大いに評価すべきだと思う。


しかし光明寺からのゴジラ鎌倉上陸シーン。
あそこは富士山入れたかっただろうなあ庵野監督。
天候に前半恵まれなかったからなあ。


あと尾頭さんが「一番怖いのは人間」というセリフを受けて、
ラストのゴジラの尻尾に人間型第五形態がでていたのは、
原子力を弄ぶ今の日本人への警鐘や嘲りだろうか。

謎。


また大河内内閣がどういう派閥や力関係で成り立ち、
矢口と赤坂がどういう関係なのかもなんとなくだがわかった。

おそらく官房長官が大河内の後ろ盾で、
かつては矢口の父親に世話になったか親友だったのだろう。

赤坂は大河内の懐刀みたいな立ち位置で、
もちろん官房長にも評価されているが、
矢口の力は評価しているがあまりしっくりとはいっていない。

矢口も赤坂が敵か味方か微妙な位置にいるので、
あまり得手なタイプではないのだろう。


このようにけっこうありそうなパターンなので、
このあたりよく考えているなあと思った。


「シン・ゴジラ」は静かな映画

最近「シン・ゴシラ」を観ていて、
この映画けっこう静かな映画だという気がしている。


会議のシーンが多いということもあるけど、
BGMが想像以上に少ないことや、
大きな声のシーンが意外と少なく、
しかもみなやや速めに喋るため、
台詞の音量的な抑揚があまりない。


また派手なアクションシーンもなく、
ゴジラの動きも静的なものなのだし、
尻尾の動きも巨大なわりに悠揚としている。


また会議のシーンも、
みな座ったままのシーンが多いため動きが少なく、
音的にも動き的にも、
静的な印象がつきまとうシーンが多い。


当初予定されていたカースタントのシーンや、
多くの人が焼き殺されるシーンをはじめ、
動きのあるシーンの多くがカットや縮小されたため、
余計さらにそういう印象が強くなっているのだろう。


自衛隊とのバトルやヤシオリ作戦のシーンがあるので、
そう思われていないのかもしれないが、
前者は約七分、
後者は約八分半、
これにゴジラが東京駅付近を炎上させるシーンの3分半、
第三形態の蒲田上陸からの一連の暴れるシーンが、
会議シーンを込みで約4分、
第三形態の立ち上がりシーンから東京湾脱出までの3分半
第四形態鎌倉上陸から会議等が続くシーンまであたりまでが3分と、


これら全てを合わせても、
ゴジラがらみのバトル&破壊シーンは全体の1/4強といったところなので、
いかに会話や会議、
さらには現場以外のシーンが多いかが分かる気がする。

これが結果的に
全体的にはかなり静かなゴジラ映画という、
そういう印象に繋がっているのだろう。


またBGMも蒲田上陸のシーン、
つまり15分近くまでまったくなく、
会議のシーンもあまり流れているシーンが多くないため、
印象的な音楽が多い割には、
これもけっこう抑制されているという気がする。


その分短い間に一気に音楽も見せ場も放り込んだのだろうけど、
ひょっとすると庵野監督のいう時間や予算の少なさが、
こういう所にあらわれているのかもしれない。


また正直この静かなシーンの中には、
あまり必要とは思えないシーンがあったり、
カットを細かくしたがために、
やはり静かに感じられるような部分が、
戦闘シーンにも見かけられた。


庵野監督はかなり細部に渡り、
各カットひとつひとつにこだわったというが、
それが逆に話の流れというか動きをとめ、
静的なものの連続に感じられる所が、
結果散見されたようにも感じられる。

素晴らしいシーン、
説得力あるシーンの連続は確かに素晴らしいけど、
観ている方がそこの部分に気持ちを置いていくような、
それくらい見事すぎたためなのかもしれない。


これはこちらの頭や気持ちの切り替えの問題なのだろう。

庵野監督には当たり前でも
ふつうの人には新鮮すぎる場合が多々あるのです。


というわけで、
下手な人間ドラマを切り捨てたことも
そういうことに繋がったのかもしれないけど、
最近見るたびに、
このゴジラは静かな映画という気が強くする。


そういえば鷺巣さんの音楽も、
ことこの作品に関しては、
他の作品からの転用等を除けば
静かな曲に印象的なものが多くあるように感じられた。


これはひょっとすると庵野監督が意識した、
様式美云々と関わっているからなのかもしれませんし、
野村萬斎さんの動きを軸にしたゴジラが成立した、
大きな理由のひとつなのかもしれません。


まあかなりドキュメンタリー色が濃いので、
煩くなったり色彩的にならないのは当然なのですが…。



最後に、最近こんなブログをみた。

E1472339032312_9825_4.jpg
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160828/E1472339032312.html

目から鱗だった。

なるほど、
ゴジラを知らない人には、
ファーストゴジラはこういうかんじに映るのかと、
なんか感動すらしてしまいました。

もっとも最後の〆はなんか笑ってしまいましたが…


以上です、

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

お疲れさまでした。


(最終改訂 2017 5/24 04:05 )


※(追補)

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14
上記でも一度リンクしているその項目を書いてるときにふと思った。

それは1954年のファースト・ゴジラの、

「ゴジラの吐く放射能や背びれの光は説明不十分で突飛すぎる。」

という当時の新聞評が庵野監督の頭にあっとしたら、
ゴジラのビーム風の放射能や背中や尻尾からのそれも、

「ならば!」

…となったのかも。

だとしたらなんともこれはユニークという気がします。

ほんとうのところはどうなんでしょうね。

もっともこれを可能というかできたのは、
かつて「ゴジラ対ヘドラ」で坂野監督が、
掟破りのゴジラ飛行をやったことで、
ゴジラにタブーは無いということを実践していたからなのかも。


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ゴジラ、江の島~鎌倉、そして丸子橋をいく。 [ゴジラ]

というわけで、
「シン・ゴジラ」では、
江の島~鎌倉にかけてゴジラが闊歩する。

自分にとっていつも歩いてるコースなので、
このあたりをあらためてチェックしてみました。


最初ゴジラは江の島方向から稲村ケ崎に向かって歩いてくる。
ゴジラが相模湾にあらわれたという直後のシーンだ。

現地に行ってみて、
そのときのシーンに近い場所から撮ってみた。
映画におけるこのときの撮影位置は、
おそらく稲村ケ崎公園の山側の上に上がる階段付近からだろう。

g06.jpg

この左の木と正面にある江の島の間から、
こちらに向かって歩いてくるかんじたった。

SG0007.jpg

それ以前のシーンは無いが、
おそらく江の島横あたりから出現したのではないだろうか。
g07.jpg

ちなみに江の島の展望台最頂部の海抜高度は、
ほぼ今回のゴジラの身長と同じくらいです。

因みに稲村ケ崎公園の場所は地図のの所。
g08.jpg
江ノ電「稲村ケ崎」駅から歩いて5分くらいです。


この後ゴジラは稲村ケ崎をかすめて鎌倉へ。
由比ヶ浜の鎌倉海浜公園付近から上陸する。
(稲村ケ崎の近くにも同名の公園があるのでお間違えのないよう)

Ck5xuhvUYAAYiWN.jpg

おそらく角度からいって、
この公園「芝生の広場」最頂部の丘の上より、
高い位置にカメラがあったようです。

公園最頂部より上陸地点をみる。
g04.jpg
右にみえる地下道入口の屋根がみえる付近の、
その向こう側あたりに上陸します。

地図上にのあるところです。
g09.jpg
江ノ電「由比ヶ浜」駅からだいたい歩いて7分くらいのところ。


しかしこりゃ怖いわ。

というかどっちに逃げるか判断が割れるところ。

極楽寺へ行くか逗子方面へ行くか難しいところです。

このあとゴジラはやや向きを一度北に変え、
その後すぐ東に転じたようです。

途中、由比ヶ浜商店街の、
「文学館入口」交差点付近を歩くシーンがあります。
g03.jpg

このほぼ正面のやや向こう側を、
江ノ電に沿って鎌倉駅方面に向かっていきます。

sg0005.jpg

g10.jpg
「松沢松林堂」という字の上にある付近です。


途中にある御成通り商店街付近を通過。
SG01.jpg

位置的にみて、
江ノ電と横須賀線が並行しているあたりを、
ゴジラは通過していると思います。

そして現地。
g02.jpg
g11.jpg

このあたり上空をゴジラの尻尾が通過します。
sg06.jpg
撮った写真が失敗したのでGoogleより現地写真を。
sg07.jpg
右の家がひとつ上の現地写真の左端にある家です。


ここで困ったことが起きた。

じつは映画では先に御成通り、
続いて由比ヶ浜とシーンが続いていることに今更気づいた。

これだとどう考えても上陸地点から考えると、
辻褄があわないし、
コースとしても不自然極まりない。

だいたいこんな江ノ電の沿線ばかりを、
意味もなくウロウロほっつき歩かれたら、
それこそ近所迷惑もはなはだしいし、
映画も遅々として進まない。

それこそ

「ゴジラに江ノ電をみせてはいけません。ますます喜ぶばかりです。」

になってしまう。

まあ庵野監督のゴジラらしいといえばらしいのですが…。


おそらく演出の関係でこうなったんだろうけど、
走ってる江ノ電を見たくてそわそわしてるのならともかく、
現実には映画の順でゴジラが歩くことはまず無い。


なのでここの二か所は、
場所特定のみでコースはこの通りではないというこを、
ちよっと書き添えておきたいと思います。


駅を通過したゴジラは今度は横須賀線沿いに北上。
今度のゴジラはどうもかなりの鉄オタのようです。

ラストのヤシオリ作戦は、
さぞ本人にとってご満悦のひと時だったことでしょう。

横須賀線「扇ヶ谷ガード」付近のゴジラ。
SG04.jpg

現地です。
g01.jpg
g12.jpg

さっきより北鎌倉に近いです。


あとゴジラは映っていませんが、
江ノ電が右折しながら消えていったあと、
避難する人達が映るシーン。
2016-01.jpg

最初これは長谷駅と御霊神社前の踏切の間の区間で、
長谷駅の方から写したものと思っていました。
god01.jpg

ちょっと写真が映画のそれと似てないものの、
映画では少し編集してると思っていましたが、
上記のそれはその後誤りがあることが分かりました。

この件につきましては、
https://twitter.com/bakasazu/status/828262141681479680
をご覧ください。

正直驚きました。

最初に間違った情報を流して申し訳ありませんでした。


映した場所はより鎌倉・由比ヶ浜方向よりで、
おそらくこのあたりからかと。
2016-02.jpg

これを遠近圧縮編集すると上記のシーンになるとか。

今の技術、もう凄すぎて分かりません。


こうしてゴジラは鎌倉を闊歩していきました。

因みにこの後のルートですが、
おそらくゴジラは亀ヶ谷坂の切通付近を通り、
北鎌倉から大船方面へ向かうものの、
途中、六国見山を沿うようにして右折し北上、
大長寺のあたりからまた右折し桂台上郷方面へ。

g13.jpg
桂台付近のゴジラ。

その後の描写はあまりありませんが、
映画では釜利谷を通ったという台詞があるので、
その後釜利谷を通り洋光台付近を通過し、
sg0002.jpg

横浜あたりを蹂躙、
川崎の工業地帯に接近、
go102.jpg

それから南武線沿いに北上、
途中から府中街道を少し歩いた後、
綱島街道沿いに北上し武蔵小杉に到達。

という感じで移動していったと思われます。

武蔵小杉の高層ビル群突入寸前のゴジラ。
SG02.jpg

その後自衛隊の攻撃を受けながら丸小橋へ。
g14.jpg

自衛隊を一蹴した後、
多摩川浅間神社を左にみながら多摩川を渡河し、
世田谷区目黒区を通過後、
新橋銀座霞が関永田町付近を火の海にし、
東京駅付近へ到達というかんじで進んでいったのではと、
個人的に推測しています。


とにかくこの映画をみてから、
該当地区を歩くたびに、
しょっちゅう上の方をみるようになってしまいました。

困ったものです。

鎌倉でもゴジラ焼きとか出してくれないかなあ。


あと完全なこれは与太話ですが、
鎌倉幕府は以前「1192年」にできたというのが、
今は「1185年」の方が説として本命になっているようです。

1185…今回のゴジラの体長は118.5メートル。

まさかそれで?


後日、光明寺に行く。
バスで光明寺というバス停で降りてすぐ、
歩くと30分ほどで着く場所にある。

a05.jpg

ここの本堂右横に高台に行く道がある。
a06.jpg

その高台に簡易な展望台。
a10.jpg

そしてそこからみた風景。
a07.jpg

そう第四形態上陸寸前時のシーンがここ。
圧倒的なスケール感を感じる場所。

神奈川の景勝50選にも選ばれた場所。

a09.jpg
富士山も正面にみえる。

映画ではよく見えなかったけど、
おそらく庵野監督は富士山をバックしたゴジラを、
撮影したかったのかもしれない。

それこそ「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏.」のゴジラ版みたいな。

ゴジラは富士山大好きですし。



別の日に武蔵小杉に行く。

タバ作戦の行われた場所だ。

武蔵小杉の高層ビル群。
ks01.jpg

丸子橋、ゴジラにぶっ飛ばされた橋です。
ks02.jpg

ちょっとファーストゴジラで壊された、
隅田川の勝鬨橋を思わせるような形状です。

ただファーストの時は
「はい、ちょっくらごめんなさいよ。」
というかんじでいそいそとひっくり返されてましたが、
こちらの方は問答無用で、
思いっきり下からぶっ飛ばされてた違いはありますが。


指揮所のあった多摩川浅間神社。
http://www.sengenjinja.info/
ks03.jpg
ks04.jpg
ks09.jpg

ここには多摩川方面を臨める展望台があります。かなり広いです。
ks05.jpg
この場所に基地がおかれ、
ここから指示が直接出されていたようです。
映画ではここの赤い柵も映ってました。

その展望台から丸子橋方面を臨む。かなり近くみえます。
ks06.jpg
最後この展望台真横をゴジラは通過していきます。
この場所で下からゴジラを仰ぎ見るシーンもあります。

因みにこの展望台は、社務所の屋上のことです。
ここには本殿のある場所から行くことができます。

丸子橋の先にある多摩川河川敷。戦車隊がいたところ。
ks08.jpg

対岸の小杉方面を臨む。
ks07.jpg

想像以上に奥行きのある場所での展開となってます。

因みにこの丸子橋と浅間神社は武蔵小杉駅から歩くと、
意外と距離がありますので、
東急の「多摩川」駅の方がはるかに近くて便利です。

ks00.jpg
地図です。この下の方にかかっている橋が丸子橋です。

それにしても、
ゴジラはどこへ行こうとしていたのでしょう。

やはり福島なのだろうか?

まあ偶然なんでしょうが、
ゴジラが姿をみせた江の島付近から、
最後に到達した東京駅を直線で結ぶと、
その延長線上に福島第一原発があります。

tizu.jpg
tizu2.jpg
(ただこれだと由比ガ浜とか武蔵小杉は通りませんが…)

ここでエネルギーを再度吸収、
最終第五形態にでも移行し、
分裂でもしようとしたのかも。

そうなると続編があるとしたら…。


というわけで以上です。


間違ってるところがあったらすみませんが、
聖地巡りの参考になったら幸いです。



尚、この映画の雑感・考察は↓
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-07-29
かなり長いですが、よろしければどうぞ。
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ゴジラのテーマ [ゴジラ]

title.jpg

ゴジラのテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=WcT5u7y2_yA

と呼ばれている曲がある。


これは作曲者、伊福部明が尊敬していたフランスの作曲家、
モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲より第3楽章
https://www.youtube.com/watch?v=fOpwKs9qZEo
上記の28秒付近から聴かれるメロディ、
これからインスピレーションを受けたといわれている。

その後1944年の幻の作品といわれた「寒帯林」の第3楽章「山神酒祭樂」、
続いて「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」の第一楽章で、
https://www.youtube.com/watch?v=HpE_mfajOGU&spfreload=10
※9:11より

そして同1948年制作の「社長と女店員」のテーマにあらわれている。
https://www.youtube.com/watch?v=NklvxiHk6sE

このようにいくつかにこのメロディは転用され、
そして「ゴジラ」のそれへとなっていく。


だがよく知られているように、
これは当初「ゴジラ」のテーマとして使われたものではない。

http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E

にも書いてあるけど、

「今でこそゴジラのテーマ曲として定着しているが、元々はゴジラのテーマ曲ではなく、ゴジラに立ち向かう人類のテーマとして作曲されたものである。実際、この作品で本楽曲が使用されたのは、自衛隊の戦車が出動したり、戦闘機がゴジラに攻撃を加えるシーンなどだったりする。 」

ということ。

それを考えてみると、
今回の「シン・ゴジラ」はそういう意味で、
最も「ゴジラのテーマ」が、
当初使用された目的として合致する作品だったといえるのかも。


ところでこの曲、
1954年のファーストに使用それた後、
ゴジラ・シリーズに長い間登場しない。

「キンゴジ」にも「モスゴジ」にも「三大怪獣」にもでてこない。
「怪獣大戦争」ではあの有名なマーチはでてくるものの、
このゴジラのテーマはでてこない。

むしろよく登場するのはこの曲。
https://www.youtube.com/watch?v=BTdUPnjmZdI

これは「キングコング対ゴジラ」から使用されているが、
これこそゴジラ登場時に多くの作品で使用されている、
文字通りゴジラのテーマといわれてもいい曲だ。

だがご存じのとおり今では最初のあの曲がテーマといわれ、
上の登場時によくかかるテーマと合体させよく使用されている。
https://www.youtube.com/watch?v=wr3Ehj3wycY

それにしてもこれが「ゴジラのテーマ」として普及したのはいつからだろう。

1980年代のゴジラのリバイバルからだろうか、
1983年の「SF交響ファンタジー」からだろうか。

どうもこのあたりが判然としない。


ただとにかく当初の目的とはかなり違うというか、
いつのまにか「ゴジラに対する人間のテーマ」が、
「ゴジラ」のテーマになってしまった。

おそらく1954のファーストゴジラが再評価され、
それで冒頭にかかっていたこの曲が、
そのまま「映画ゴジラ」のテーマとして広まり、
以降「ゴジラ」のテーマとして横滑りしたのだろう。

因みに1983年に発売され大ヒットした「ゴジラ伝説」には、
すでに「ゴジラのテーマ」としてこの曲がクレジットされている。

案外これがきっかけだったのかも。


自分も当時ゴジラにはまっていたのだが、
どうもこのあたり明確な記憶がない。

いつの間にかとにかくあの曲は「ゴジラのテーマ」だった。

不思議なものです。



どなたかご存知の方がいたらぜひご教示願いたいです。


尚、1954ゴジラが登場するときに頻繁に使用される、
チューバ―のソロとピアノを中心とした音楽。

これを聴いてると、
いつもムソルグスキーの曲をラヴェルが編曲した、
「展覧会の絵」から「ビドロ」を思い出してしまう。

ここでもまたラヴェル。

ラヴェルがゴジラをみたら何と言っただろうか。

因みにこの音楽は、
のちに「キンゴジ」にも「モスゴジ」にも使用されていて、
自分はかつてこちらの方を「ゴジラのテーマ」と思っていました。



尚、この映画を担当したのはNHK交響楽団。

本来なら1951年まで東宝交響楽団と名乗っていた、
現在の東京交響楽団が担当しそうなものだが、
とにかくこのときはN響が担当した。
このとき黒柳守綱氏が演奏に参加していたというが、
当時黒柳氏は東響のコンマスだったような気がしたのだが、
このあたりいろいろとあったのかも。

またこの年の四月には、
かのヘルベルト・フォン・カラヤンが初来日し、
N響を指揮している。

カラヤンとゴジラの両方に同じ年に直接かかわったことで、
N響にとってこの年はけっこうな年になったようです。




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シン・ゴジラの大きさ [ゴジラ]

cap00089.jpg

ゴジラ史上最大という「シン・ゴジラ」の大きさ。

身長118.5メートル。

だけど実感がわかないのも事実。

というわけでこんなサイトがあります。
http://www.blue-style.com/database/scale-100-120/

因みにゴジラの今回の身長の118.5という数字。

最初これ上映時間にひっかけたのかと思ったら、
軍用艦の全長からきてるらしいとのこと。

知りませんでした。

あと「牛久大仏」が120メートルということなので、
これもかなり近しいかと。

以下のサイトの牛久大仏をシン・ゴジラにみれば、
だいたいの大きさはさらにわかりやすいかと。
https://tower-ten.jp/

以上です。
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