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「茨城交通水浜線歴史探訪スタンプラリー」をする。 [水浜線跡廃線の旅]

「茨城交通で運行していた水戸と大洗を結ぶ路面電車「水浜線」の廃線より50周年という節目を迎えました。
そこで弊社では、大洗町を舞台にしたアニメ「ガールズ&パンツァー」とコラボした「廃線跡を巡るスタンプラリー付きの1日フリーきっぷ」を平成29年3月1日より発売いたします。」
http://www.ibako.co.jp/contents/newsrelease/2017/02/13908.html
というものがあったので出かけた。

ただついでということで偕楽園にも行く。

臨時の「偕楽園」駅も開業。
梅もかなりの見ごろでした。
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このあと水戸に向かう。

水戸駅北口の「茨城交通」の窓口へ行く。

宝くじ売り場のような感じの、
ちょっとローカルな雰囲気の場所で
スタンプラリーの台紙をもらう。

因みにこれは1日フリーきっぷも兼ねているので、
ひとつ1200円となる。

この金額は水戸駅から大洗海岸までのバスの運賃が、
片道610円というところからきているのだろう。

またこのとき水浜線の小冊子ももらう。
なかなかその歴史がコンパクトにまとめられている。
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全八ページ。


台紙をもらった後ふつうはすぐにラリーにうつるのですが、
この日は弘道館正門が開門している日なので、
少し寄り道をしてまずそっちへ向かう。
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このあと水郡線と51号が重なるあたりへ向かい、
そこからいつものルートを、
指定された七か所を巡りながら大洗シーサイドホテルへ向かう。

もちろん歩き。

場所によってそのスタンプ置き場はいろいろとありますが、
いくつかは日曜ということもあり無人の場所もありました。

ただ天気がよかったので本町二ではこんなかんじでおかれていました。
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こちらは栗崎の飛田自動車。
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今回のコースは水浜線の跡地をまわれるように、
できるだけ配慮したコースどりをしていたようですが、
ただ一か所、
茨城交通の浜田営業所だけはこのコースから離れていて、
ちょっとここをまわるのが一苦労でした。
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またこのあたり一時的にかなり暑くなり、
コンビニでアイスを買ったりしたため、
時間的にいろいろとロスしてしまいました。


あとはいろいろと跡地を歩きながら、
あちこちでスタンプとのんびりやっていきました。

随所にある大洗へ向かって伸びる直線跡地がなかなかです。
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最終的に自分がどういうふうに回ったかは今回明記しませんが、
水戸を出てからいろいろと寄り道をした分もあわせて、
大洗シーサイドホテルのフロントで最後のスタンプを押すまで、
ざっと四時間十五分。

三時間半くらいで行けるかと思っていたので、
このあたりちょっと誤算でした。

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最後はスタンプを押し切ったこれをもって、
水戸駅北口の茨城交通窓口に行けば記念品がもらえるということで、
もう少し町をみてから水戸に向かおうかと思っていたら、
「大洗派出所入口」バス停の所でちょうど水戸行のバスと遭遇。

少し疲れがではじめていたので
ここでフリーきっぷを使って、
急遽予定変更水戸へ戻ることにする。

ようやく使えたという感じでバスで一路水戸駅へ。

何時間もかけて歩いた道を三十分ほどで戻っていく。

それにしても大洗に来て、
一度も臨海鉄道を使わなかったのかは今回が初めて。

これもまた新鮮だった。

水戸駅北口に就きそのまま茨城交通窓口へ。

そこでこれをもらいました。
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とにかくなかなかタフですが面白い企画でした。


ただ気になったのは。
このスタンプラリー用紙を持っている人を、
朝、何人も水戸駅付近でみかけだけど、
途中スタンプの設置場所では何人かみかけたものの、
自分のように歩いている人にはついぞ出会えなかった。

バス、自家用車、さらにはレンタサイクルといった、
そのあたりで移動されているのかも。

ちょっとそのあたりが個人的には寂しかった。


次回は好天なら3/11もしくは3/19に歩く予定です。

海楽は今回もかなりの混雑が予想されるので、
できれば晴れてほしいところです。





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水浜線をやっと歩き切りました。 [水浜線跡廃線の旅]

水浜線で自分が唯一踏破していなかった区間。

海門橋~湊までをようやく歩いた。

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那珂川を渡り対岸から大洗と海門橋を臨む。
川の中に小さく旧橋脚跡がみえる。

しかしこの橋がなかなか渡れないという、
自分の高所恐怖症がなんとも悩ましい。

自分より小さい子が嬉々として渡ってるのに…。

けっきょく往復歩いて渡りましたが…。

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橋の袂付近から湊駅があったと思われる方角を臨む。
この道沿いに走っていたと思われます。

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途中に古い社がある。
いつできたのかが

近くにある碑文の文字がよく読めないのであれなのですが、
この地を水浜線が走っていた時期かその直後にたてられたことは確かなようです。

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このあたりに終点湊駅があったと思われる。
とはいえここに駅があったのはたった10年。
しかも1938年には事実上廃線状態だったので遺構はさすがにわからない。

といったところです。

想えば2013年の初夏に磯浜から大洗を歩いて後、

水戸~磯浜
大洗~海門
上水戸~水戸

と分割的に歩き、
ようやくという感じです。3年はちとかかりすぎでした。

ただ今年(2016)の5月31日が廃線からちょうど半世紀ということで、
それまでに踏破できたのは幸いでした。

残念なことに6月1日からは旧大貫駅付近を含めて、
かなり大規模な道路工事が三か月間行われるため、
かつて歩いた大貫付近は遺構ともども消滅してしまうようです。


というわけで湊へ行く前に、
最後の見納めとして大貫付近にも立ち寄った。

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大貫へ向かう。

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北から大貫駅跡を臨む。

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今度は南から。

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大貫駅跡を背にして、水浜線跡地を海に向かって臨む。

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地面スレスレから同方向をみる。
一度大きく下っているのがこれだとよくわかります。

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大貫から仲町へ向かう途中のカープ跡。

はっきりのこっているだけに、
これが消えてしまうのはなんとも残念。

とはいえ大洗の街がこの工事で便利になるのですから、
これはもう致し方ないところです。

今はこれらをしっかりと記録しておきたいと思います。


以上です。

あといつか上水戸から湊までの写真等を、
ひとつに収めた頁をつくりたいと思っています。

そのときまで水浜線はしばらくお休みです。



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大洗ゴルフ倶楽部に行く。(ガルパンと水浜線) [水浜線跡廃線の旅]

大洗ゴルフ倶楽部場内見学ツアーに行った。

http://www.oarai-golf-club.co.jp/
大洗ゴルフ倶楽部

劇場版ガルパンの舞台になったことでの特別企画。


10時集合ということでいそいそと出かける。


この季節はアイスホッケーのジャージがいい。
メッシュで風通しが良くしかも直射日光を防ぐので最高。
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そういえばマイティダックスのジャージを着ている人もいたなあ。
アヒルさんチームがらみかな?


とにかくこの日は天気もよく桜も綺麗だった。
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途中旧大洗駅舎跡付近をみるが、
遺構等はちょっとよくわからない。
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このゴルフ場へ向かう道はかつての水浜線跡で、
祝町、海門 、湊方面へかつて向かっていた。
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当初はゴルフ場前に集まっていたが、
10時にクラブハウス近くの練習場に集合。

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大洗倶楽部のコースレイアウト。

10時15分に支配人の染谷さんをはじめ関係者の挨拶があり、
その後ツアーに出発。

参加は聞いたところだいたい280人位とのこと。

予定では、1番、6番、18番、の3ホールを、
張ってあるローブの外から、
染谷さんの解説等を聞きながら見ていくというもの。

写真撮影はもちろん自由。
ただしコース内立ち入りは厳禁。

場内に入る前にポストカードを頂く。
これは貴重。

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※画質が悪くてすみません。本体はもちろんもっと綺麗です。

まさかここの倶楽部がこういうものをつくってくれるとは思わなかった。
格式の高い所なのでこれは意外。

話を戻します。

まずクラブハウス横から入り、
1ホールと9ホールの間を通り6ホールへ向かう。
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まるでちょっとした遠足です。

ここで意外なものを見る。

なんと7ホール方向に向かって、
水浜線跡が切通として残されていた。
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地面付近からみる。
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そして反対側には当時の遺構と思われるものもあった。
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ここを設計した井上さんは素材を活かすことを旨とされていたと聞きますが、
それでもまさかこういう形で水浜線跡が遺されていたとは!

正直ちょっと涙が出かかってしまいました。


ちょっと感傷に浸っていましたが、
このままだと取り残されてしまうので自分も6ホールへ。

ここは劇場版でダーさんがバンカーにはまっていたシーンの、
その元になったといわれているコース。

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けっこう大きくしかも深いバンカー。
これハマったら選手はきついだろうなあ。

ただ戦車が四両もハマるような大きさではさすがにありませんでした。

因みにこのゴルフ場。
じつはバンカーが物凄く少なく、
18ホールで30そこそこしかないとのことで、
これはふつうのゴルフ場の三割ほどとのこと。

それにしてもこのホールの人気は素晴らしく、
とにかくみなさんシャッターを切りまくっていた。

その後一度戻るような形で18ホールに行く。

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ここがじつに素晴らしくコースから海がみえるという素晴らしいもの。
それだけ風が読みづらいということかもしれないけど、
とにかく唸ってしまうほど素晴らしい。

ここも劇中で使用されたらしいようですが、
6番ともどもそれそのままというわけではなさそうです。

こちらもかなり撮影が賑わってました。

それにしても先に観たホールも含めると
なにか美しく整備された古墳群や城跡という趣さえ感じられた。

そういえばゴルフ発祥の地のひとつといわれているスコットランド。

その南部はなだらかな丘陵地帯が延々と続く風景だとか。

ちょっと観ていてそのことも思い出してしまいました。


本当はここで終了のはずが、
急遽支配人の染谷さんの計らいで、
このゴルフ場で最も難しい17ホールもみせてもらう。

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これがまたすごいグリーンで、
洒落にならない傾斜あり、
バンカーもあり、
そして外すと外の道路行きという難コースだ。

これらのコースをみていると、
継続のミカさんなら、

「ここのコースには人生のすべてがつまっている」

とか言いだしそうなくらい濃密で、
初心者からプロまでコースレートのベスト上位に、
かならず入れてくるゴルフ場といわれるだけのじつに素晴らしいゴルフ場でした。

このあと時間になったので最初の練習場へ向う。
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このまわりの松。

ゴルフ場全体で約2万3000本。

その管理はかなりたいへんとのこと。

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このように各松ごとにチェックが入れられています。
たいへんです。

この松一本に「グリーンガードNEO」という、
殺線虫剤を11本注入しているらしい。
http://www.greenguard.jp/product/
※グリーンガードNEOの詳細↑
公表価格一本あたり2600円とのことなので、
この松一本に三万円近くかかっていることになる。

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クラブハウス前で染谷支配人が、
そのことについていろいろとお話しをされていました。

この松林の維持経費、莫大です。


こうしてほぼ一時間で終了。


意外と移動距離があるので、
けっこう密な一時間です。


尚このゴルフ場については以下のリンク先でじつに詳しくレポートされている。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20150512/1064410/

しかし、

>「シャツの裾が外に出ていると、(スタッフさんから)中に入れてくださいと注意されますよ」

には驚いた。

クラシックの外来一流どころのオペラ公演でも
いまやほとんどみられなくなった感覚だ。

ゴルフが「紳士のスポーツ」といわれていることをあらためて痛感させられた。



因みにこのゴルフ倶楽部、

1952年9月に経営母体設立、
1953年10月に開業という歴史あるゴルフ倶楽部です。

特にその松林は国内最高級といわれるほど評価が高い。

そういえば作品中でもそのあたりは印象深く描かれてました。


2006年E-Z-GO ゴルフコースランキングで全国第一位、
2010年の井上誠一設計コースランキングで全国第三位、
関東ゴルフ場ランキング ベストコースランキング関東地方第三位の★★★★★ (5つ星)



龍ヶ崎カントリー倶楽部とともに茨城県を代表する井上誠一設計の名門。識者によるランキングから一般プレーヤーによるランキングに至るまで、あらゆるランキングで日本のトップ3に入るゴルフ場です。井上誠一氏の最高傑作との声も多い。
http://www.100yardage.com/ゴルフ場ランキング-関東版/関東のゴルフ場-ゴルフコースランキング入り実績ランキング/
とのこと。


井上誠一(1908~1981年)

東京都出身のゴルフ場設計家。東京ゴルフ倶楽部朝霞コース設計のため来日した芙国の設計家、チャールズ・H・アリソンに接したことで設計家の道に入る。

日本を代表する設計家で「大洗ゴルフ倶楽部」(茨城県)「龍ケ崎カントリー倶楽部」(茨城県)など数多くの名コースを造った。

その土地の自然を生かした美しく、そしてあらゆるレベルのゴルファーが楽しめる戦略性の高さを持ったコースを造り出すゴルフコース設計の名匠です。
http://www.akr-golf.com/history.html
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水浜線を歩く(上水戸から水戸駅前)+その他 [水浜線跡廃線の旅]

水浜線の踏破は分割でやっていたが、
それでも水戸駅前~大洗~海門橋まではほぼ踏破した。

残念なのはこの間の大洗~祝町がゴルフ場敷地内のため、
踏破不可となってしまっていた。

そこで今回は残る区間、
上水戸から水戸駅前を歩くことにした。

遺構は街中ということもあり絶望的なため、
駅がどこかというよりも、
とにかく水浜線跡を辿ることを目的とした。


かつてのもうひとつの始発であり終点でもある上水戸駅付近は、
このスーパーが現在建っている。
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ここからしばらくはもうどこを走っていたか分からないが、
2~3分ほど歩くと50号線方面に向かって見事な直線道路がみえてくる。

浜田~谷田にある直線といい勝負の見事な跡地だ。
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道幅も場所によってはかなりあります。
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ここは駅跡かもしれません。
「一中前」かなあ。
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このへんから特長のあるカーブになります。
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砂久保公園
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50号と並行するようなかんじで水戸駅方面へ
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砂久保稲荷神社。ここを右折し50号に合流。
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当時の写真をみると
道路の大混雑の中を、
申し訳なさそうに走る水浜線の姿がありました。

遺構等はありませんでしたが、
ただそれらしきものや、
幅広の道やカーブのしかたなどにその名残りが感じられ、
水浜線は半世紀前に廃止されたにもかかわらず、
けっこう辿れる箇所が多いという気がしました。


これでほぼ全線に渡り歩くことができましが、
今回大洗の水浜線跡地がかなり状況が変わっていました。

まず大貫駅付近。
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このように工事の関係で、
一直線に水浜線跡が分かるようになっていました。

いつまでこのような状態かは分かりませんが、
これはちょっと嬉しい誤算でした。

ただその後の曲松へ向かうカーブは、
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このようにかなり状況がかわっていました。
ひょっとすると次回訪町時にはもうここは…。

さらに東光台駅。
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ここは家がどんどん建っており、
もうしばらくすると跡地は消えてしまいそうです。
残念ですがしかたないのかもしれません。

ただ大洗へ向かう直線跡地はずいぶんすっきりとしており、
こちらはとても明快にその雰囲気が分かるようになってました。
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また今回、東光台へ向う坂の途中に
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他にも東光台の前には福田看板があった。

このあたりでこういうものを見かけたのは今回が初めて。

今年で廃線からちょうど半世紀。

ほとんど野垂れ死にように消えて行った水浜線の跡地に沿って、
ガルパンの看板が立ち、
そしてそこに人が集まっていく。

なんとも不思議な光景であります。


これで水浜線踏破はほぼ終了です。

ゴルフ場と海門橋の北がまだですが、
このあたりはどうなりますか。

特にあの橋、
私ちょっと苦手なタイプの橋です。困りました…。

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海門橋


〆です。
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願入寺を経由してアクアワールド茨城県大洗水族館へ行く。 [水浜線跡廃線の旅]

この日は朝から天気は良かったが、
かなり冷え込みが厳しかったので
珍しくJRは各駅停車のグリーン車を使った。

グリーン車は休日だと51キロをすぎると、
乗車前にグリーン券を購入すると780円でグリーン料金が固定されるのだが、
以前は上野と東京の間に該当列車が走行しなかったため、
ここを通ると距離の計算が規定により0にリセットされてしまっていた。

ところが上野東京ライン完成後、
この間にも該当列車が走行することとなり、
横浜から水戸まで各駅停車のグリーン車が
途中複数回乗り換えしても、
この価格で行くことができるようになった。


今回これを初めて使ったてみたが、
寒さが車内に入らないのがこんなに楽だとは思わなかったというくらい、
多少座席が硬い気はするものの快適な道中を過ごすことができた。

あと今回は水戸から大洗は歩かず臨海線で移動。

大洗駅からは北上して、願乳寺とアクアワールドに歩いて向かう。

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松ケ丘集会場。
このあたりから北にかけてかつて水浜線の「祝町」駅があったらしい。
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ゴルフ場を右にみながらさらに北上。
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途中から願入寺へ向かう道へと入る。
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じつはこの道に沿って水浜線が走っていたらしいが、
大戦中に事実上廃線になっていた区間ということで、
ちょっとそのコースを確認することがもはやできない。

十字路に出るが、
ここのやや北西方向に水浜線が走り、
さらにはこの近くに「願入寺入口」駅があったという。
その廃線の跡地がかろうじてまだあった。
ただし今工事をしているようだったので、
近いうちそれも見られなくなるかも。
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願入寺へ行く。大洗駅からゆっくり歩いても一時間はかからない。
バスなら祝町停留所まで十分前後、そこから歩いて5分ちょっとといったところか。
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ここは311でかなりの被害を受けたという。
前回は雨が上がったばかりということもあり、
あまりよく見なかったがあらためてみるとかなりそれは深刻だ。

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本堂。ここもかなり被害を受けたと聞いていた。
前回工事中と自分は紹介したが、
じつはまだそれ以前のまだ誰も近づけない状況だったらしい。

そして鐘をつくそれも崩壊しておりまだこういう仮の姿。
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こちらの資料館もかなり荒廃していた。
もちろん中には入れない。
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由緒あるお寺ということなので、
ここといい磯前神社の崩落した鳥居といい、
なんとかならないものだろうか。

この近くにある天妃神社も行く予定だったが、
なんか怖くなってパスしてしまいました。

願入寺前にある店舗のガルパンの旗がとても寒く感じられた。
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このあと那珂川へ向かう。

途中に水浜線が走っていたと思われる場所をみる。
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祝町いささかりんりん通り下のガードをくぐり那珂川へ、
このあたりの地形も水浜線の名残だろうか。
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この場所の近くに遺構らしきものをみつける。
このあたりに「海門橋」駅があったらしい。
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こちらは旧橋脚跡
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釣りの人が大勢来訪して釣りを楽しまれていました。

このあとすぐ側にあるアクアワールドへ。
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中は思ったより大きく綺麗。
しかも楽しいし素晴らしい。もっと早く来ればよかったです。
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大きな水槽がいくつもあります。また場所によって上からも見れます。
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一日午前11時に一回しからやらないペンギンの散歩。
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とにかく水族館なんて何十年ぶりだろうか。

そういえば江ノ島のそれも行ったことが無い。行かねば。

因みにアクアは元日
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このあとアクアを出て海沿いに南下。
気温が上がってきたせいかとても心地よい。

神磯の鳥居
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手前にあるのが神磯顕彰の碑。
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このあと初めて大洗マリンタワーに上る。

高所恐怖症なのに何故といわれるが、
上がってはみたがあまり高く感じなかったとの、
他所のブログでの感想をみたものでつい。

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正直、しばらくしたらダメになって降りてしまいました。

高さ55mということなので、
一般の人にはそれほど滅茶苦茶高いというわけではないのですが…。

また外が見えるエレベーターが妙にまったりと上がっていくので、
これもまた高所恐怖症には真綿で首を絞められているような感覚が…。

エレベーターに乗ってる間は、
外に背を向けドアを一心不乱に睨んでました。


このすぐ下にガルパン喫茶「Panzer Vor」がありちょっと立ち寄ってみました。

ダージリン様とみほ?の戦車話が放送されていたのには笑ってしまいましたが、
ちと個人的にここでも長居は無理の高さなのですぐ降りてしまい写真も無しです。

因みにここは50m。
初代ゴジラの目の高さとほぼ同じといったところで、
ゴジラが大洗に来たらこんなかんじにゴジラからは見えるという、
なかなかたのしい体験もできます。

ですからマリンタワーのガルパン喫茶付近が初代ゴジラの高さだと、
そうおもってください。


因みに展望台から富士山は見えませんでした。
天気はよかったものの、
富士の方向だけもやっていたので無理でした。

もっと早い時間ならみれたかもしれません。

展望台下ではフリーマーケットが盛大に開かれてました。


…と、こんなところです。

アクアワールドが予想以上に楽しかったのはともかく、
願入寺のあの姿はやはり心が痛みます。

来年(2016)で震災から五年経ち、
大洗もガルパン等でしっかり復興できたと思っていただけに、
今回目にしたそれはかなり考えさせられるものがありました。


来年が願入寺にとっても被災された方々にとっても、
本当によりよい年になってほしいものです。


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「ガルパン」に描かれていた「水浜線」跡 [水浜線跡廃線の旅]

アニメ「ガールズ&パンツァー」との縁で、
水浜線とのかかわりができてしまった自分ですが、
ひとつ残念に思っていたのは、
その「ガールズ&パンツァー」で水浜線跡が描かれていなかったこと。

たしかに歩いていてそのアニメの場面と
自分が探索していたところがほとんどバッティングしてなかったことは、
アニメファンとほとんど遭遇しなかったことが、
じつに雄弁に物語っていた。

だが最近いろいろとそのときの写真を見返していて、
ひとつ気になった場所があった。
それが
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この三枚。いわゆる水浜線「大貫駅」跡付近のそれ。
地図でいうと、
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拡大すると
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で①は最初の一枚目を写した場所で②は残り二枚を写した場所。
赤いラインは水浜線が走っていたところをあらわわしていて、
一枚目と二枚目に写っている空き地が「大貫駅」跡。
そして三枚目は赤いラインを目印にしていうと、
ちょうどラインに沿って右下に向かって走っている道路を、
マリンタワー方面に向いて写したもの。

この場所が妙にひっかかったのでいろいろとガルパンを見返していたら、
なんとこの場所がちゃんと描かれていた。
それがこのシーン。第四話の大洗市街地でのシーン。

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ちょうど自販機の左向こうに大貫駅跡の空き地の一部がみえている、
そして右奥の薬局の手前の道が、
先の三枚目の写真のライン沿いの道へとなっている。

つまり航空写真でみると
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ちようどこんなかんじになっています。
因みに①と②は前述したものと同じで
③は上のアニメのシーンでマチルダがいたあたりの場所で、
④は三突に右から砲撃された場所です。

どうでもいいくらい小さいことかもしれませんが、
個人的には水浜線と結び付けてくれた作品の中に、
肝心の水浜線が描かれていなかったことに寂しさを感じていただけに、
これにはちょっとうれしかったです。

1966年に廃線になった路線跡と
2012年に放送された戦車が一瞬だけ交わった瞬間。

個人的にとても印象に残るシーンとなりました。


(2016 11/19 追加)

この風景も、
先日開通した「きらめき通り」開発の関係で、
すっかり変わってしまいました。

しかたないことではありますが。
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大洗へ向かって(水浜線に沿って水戸から大洗へ)その1 [水浜線跡廃線の旅]

以前、大洗の中を1966年に廃止になった、
茨城交通水浜線の痕跡を辿って歩き回ったことがあった。
それは以下のリンク先に書いてあります。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30-3

そして今回はいよいよ水戸から大洗へ向かって、
水浜線の痕跡を辿る旅をすることになった。
距離的には約12キロ。
普通に歩けば二時間半というところだろうけど、
写真を写したりすることもあるので、
だいたい三時間を目途として歩くこととした。

この日の気温は25度前後としのぎやすく、
しかも歩いて涼やかな風を感じることができるという、
最高のコンディションとなった。
もう少しすると湿度と気温の上昇によって、
かなりハードな状況になってしまうため、
今の時期が最適ということで決行となりました。

水戸駅の北口へ。黄門様一行のお出迎え。
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この北口正面の国道51号を挟んだ駿優教育会館の前あたりに、
水浜線の「水戸駅前」駅があったようです。
ただ当時とはかなり水戸駅やその前の道の状況も違うので、
正確にここといいきれない自分の知識欠如が悲しいです。
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ここでおことわりをしておきますが、
駅の場所はだいたいの見当です。正確な場所とはいえませんのでご了承ください。

51号に沿って水郡線の方へ向かう。
途中から登り坂となりはじめるこのあたりに「本社前」駅。
もう少し道に面したところだったかしもれません。
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ここから51号に沿って歩く。
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途中女子の高校生と何人もすれ違うが、
ちよっと挙動不審ととられている可能性があって…。
まあ厚めの地図と携帯もってウロウロしてたらそれはそうだろう。

しばらく歩いて51号から下に降りて道路下のトンネルをくぐって51号を渡る。、
このあたlり付近に「三校下」駅が位置していたのではないかと思われる。
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じつはちょっと最初かなり勘違いしてしまっていたが、
このあたりから跨線橋を含んだ専用軌道が高架線(といっていいのだろうか)構造になっていた。
当時の写真をみると「本社前」から「三校下」は専用軌道が地上を走っているが、
(ただし地上といっても崖横にスペースをつくったような場所なので、
しわゆる平地ではありません。今の51号と近しいルートかもしれません。)
「三校下」から「一校下」は専用軌道が高架橋になっていた。
そのあたりの構造物はほとんど撤去されてしまっているため遺構はみつからないので、
正直どこがどうなっていたのかは、
自分にとっては憶測の域をでないものがある。
半世紀前のことなではあるがやはり地元の方に聞くのが一番正しいのかもしれない。

51号に戻り一校あたりのそばまでくる。道を挟んだマンションの付近あたりに
「一校下」駅があったと思われる。
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そして一校のある高台の端にくると、
かつてこの場所を水浜線が走っていた高台の線路跡にぶつかった。
高架線の名残といえると思う。
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このあと水浜線はこの高台を後にして跨線橋超えで常磐線を渡り「東棚町」駅に至る。
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ここまで歩いたコースは以下の通り。
20001.png
尚、地図上の数字は以下を示しています。
①「水戸駅前」駅跡
②「本社前」駅跡
③「三校前」駅跡
④「一校前」駅跡
⑤「東棚町」駅跡
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)

ここから柳町~常陽銀行までは一本道感覚で行く。
そして途中に水浜線最大の遺構がでてくる。それが水門橋の記念碑と線路跡。
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そしてこの道を真っ直ぐと常陽銀行下市支店までいく。
この付近に「本一丁目」駅が。
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ここを左折し、ひたすら直進。それにしてもさきの道もそうだが幅が広い。
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※後でわかったのですが当時はこれより狭く、近年拡張したとのことでした。

ハミングロード513を行く。
かなりすっきりとした通りとなっている。

「本三丁目」駅は正直もう正確には自分にはわからない。
ただこの付近だということは確かなようだ。
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もう半世紀近く前の廃線。しかも市街地ではその痕跡を辿るのは、
当時それらに深くかかわっていた地元の方たちでなければ難しいのかもしれない。

尚、このあたりは陸前浜街道の起点になっている。
水浜線はこういう古の街道も走っていたようです。

そんなことを思ってる自分を道端の達磨が
「おまえさんはいったいここに何しに来たんじゃ」
と言っているようだった。
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そして道は続く。
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「本五丁目」駅付近。
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「浜田」駅付近方向をのぞむ。
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この浜田駅付近には車両基地もあったとのこと、
いまのフレッシュパワー.エコス浜田店あたりもその一部だったのかもしれません。

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この道は工事中。
この道にかつて電車が走っていたと、
はたして作業していた方たちは知っているのだろうか。
こうして次第に水浜線は遠い彼方へと消えていくのだろうか。
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ただその先をまだ水浜線は走っていた。
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そして水浜線のガーター橋。まだ残っていたことに感謝です。
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ここまで歩いたコースは以下の通り。
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尚、地図上の数字は以下を示しています。
①水門橋
②「本一丁目」駅跡
③「本三丁目」駅跡
④「本五丁目」駅跡
⑤「浜田」駅跡
※地図上の赤いラインの右下端のところにガーター橋。
尚、一部工事のため通れなかった道がありました。
⑤からガーター橋に行く途中左折したあとすぐ右折した先のその道です。今回はその地図に向かって左側を並行して走る道を最初の交差点まで行き、そこから左折、そして右折し従来の道に合流しました。工事中の道路を写したのは、この合流直前の場所からです。
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)

そして大洗へと道は続いていきます。(以下その2へ)
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-06-30
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大洗へ向かって(水浜線に沿って水戸から大洗へ)その2 [水浜線跡廃線の旅]

明治44年に出された、
押川春浪 の「本州横断 癇癪徒歩旅行」に、
「大洗水戸間三里の道は平々凡々」
という理由で横断を大洗からではなく、
水戸からにするということがここでは書かれていた。

その平々凡々の道を押川春浪の百年後に、
こうして自分が歩いているのをみたら、
押川ははたしてどう思ったことだろう。

…などと考えながら大洗への道を
水浜線のそれに沿ってさらに進む。
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この木の付近に「谷田」駅があったらしいとのこと。
菊池神社がそばにある。
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そしてこの場所の近くに境界杭があった。
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このあとさらに水浜線に沿って歩こうとしたが、
なんと草茫々で歩けないところがでてきてしまった。

ここまで歩いたコースは以下の通り。
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尚、地図上の数字は以下を示しています。
①ガーター橋(その1に明記)
②「谷田」駅跡と思われる場所。
③本来「谷田」からの道を抜けた後右折し、そしてその続きを行こうとしたところ。ほんとに草茫々でふつうの靴では歩くことなど絶対無理な状態でした。

しようがないのでしばらく並行して別の道を歩く。
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田んぼの少し向こう側に緑の土手のような盛り上がりが続いているが、
あれが水浜線跡で、ほんとうは歩くはずだったところ。

しばらくして水浜線跡地に合流。
このあたりから駅間隔がかなり空いてくる。
おそらく当時は何もない田園地帯が続いていたのでしょう。
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このあたりに「六反田」駅があったらしい。
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この田んぼの左向こうに川がありそして51号が並行して進む。

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「栗崎」駅。正直わからない。
グーグルの航空写真でみるとこの不思議な三角形の土地が、
ちょっとそれに関係しているようにもみえるのですが、
じっさいはこのやや水戸側に位置していたようです。
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このあともひたすら歩き続けます。
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「東前」駅。
あると思われた場所はおもいっきり私有地で、撮影は困難。
この道の沿線にあるとおもってください。航空写真も今回はパス。
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ここまで歩いたコースは以下の通り。
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尚、地図上の数字は以下を示しています。
①「六反田」駅跡
②「栗崎」駅跡
③「東前」駅跡
と思われる場所です。
このあたりはほんとうに駅間が長いです。

「東前」駅と同じ理由で東水戸道路下付近にある「大串」駅もパス。
地面だけ写しましたが、これじゃあ…。
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この先に水戸市役所常澄図書館があるが、
水浜線はそこを突っ切るように走っていた。
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そして玄関前広場を抜けると、また水浜線がはじまっていた。
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このあたりよくみると、線路の盛り土の上をそのまま舗装したことがわかる。
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大洗に向かってこの道は続きます。
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この途中に「塩ケ崎」駅があったがこれまた私有地。
ただ正直ここまで来ると駅云々より、
水浜線跡がこれほど道路として活用されているのがうれしかった。

ここまで歩いたコースは以下の通り。
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①「東前」駅跡※ただし当時の地図をみるともう少し大洗よりのような気がします。
②「大串」駅跡
③図書館を抜けて再度線路跡がはじまるところ。
④「塩ケ崎」駅跡
※駅跡はあくまでも推測もしくは「付近」と思われる場所です。

ここで51号に寸断されたあと、今度は農道として続く。
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あとこの国道を渡るのには苦労した。
今度からはより手前の塩崎の交差点で渡ることになると思う。
歩道らしきものが他所にあるにはあるのですが…。

そしてこれも遺構だろうか。
かなりしっかりとしたつくりにみられた。
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上空からみるとこのようになっている。
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赤いラインの少し右を水浜線は走っており、
先の遺稿(①の左横)のようなものはほぼその軌道上に位置している。
このことからこれが水浜線の通り道に存在していたことはほぼ確かなようで、
これも水浜線の遺構のひとつなのだろうと思われる。

ここまでのルートは地図でふりかえるとだいたいこのあたりのことです。
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①「塩ヶ崎」駅跡付近
②このあたりで線路跡から離れる。国道超えへ。
③国道をまたいでの線路跡続きの途中にあった橋のような遺構。
④「平戸」駅跡付近

このあたりまで来るとあきらかに心地よい海風を感じるようになった。
大洗までもう少し。
それにしても時間が予想以上にかかっている。
ここですでに三時間近く経過。

天気は完全に晴れ。
梅雨とは思えない天気となりました。

その3に続きます。
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大洗へ向かって(水浜線に沿って水戸から大洗へ)その3+いろいろ。 [水浜線跡廃線の旅]

大洗にはこれで三度目。
この町の感覚はじつに自分とあうところが多い。

それは散歩にでかける江の島あたりと、
「匂い」が近しいからなのかもしれない。
もっとも大洗はもっとローカルな感覚が濃いので、
あそこまで観光地化したそれとはかなり違うものがある。

だけどなんというのか同じ海岸沿い、
同じ海水浴場、同じ「しらす丼」等々、
いろいろとキーワードは近しいものがあるようだ。

その大洗に向かって水浜線のそれはかなり断続的になってきている。
おそらく宅地開発が進んでいるところが、
大洗に近づくにつれ増えてきているのだろう。

ただそれでも明確なそれがわかるところはある。
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平戸駅付近。
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平戸区民館と書いてある付近です。
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そしてとうとう涸沼川べりにでた。今回の終点です。
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向こう岸は大洗。そこから先は前回すでに歩きましたので今回はパス。
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それにしても水浜線は時速どれくらいで運転していたのだろう。
地元江ノ電の平均時速が20~25キロくらいだから
これと同じかそれに近い速度で運行していたのだろうか。
だとしたら今でもとても絵になる電車だったことだろう。
今更言ってもはじまらない話ですが…。

橋を渡っていると正午の時報。ここまで三時間半。少しかかりすぎ。
それにしても風がいよいよ心地よいです。
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ようこそ大洗へ。
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こうしてひととおり水浜線の旅は終了。
まだ上水戸~水戸駅前や大洗~湊という、
1966年に廃線になる前に廃止になった区間があるにはありますが、
個人的にはこれで一応一区切りです。

しかしこうしてみると起伏も少なく、
しかも分かりやすい道のりということで、
その穏やかな風景とともに完全に自分のお気に入りのコースとなりました。

これからはこのコースを「水浜街道」とよぶことにします。


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距離約11km
1 水戸駅
2 水門橋
3 塩崎交差点
4 「平戸橋」(涸沼橋)
5 大洗駅入口交差点

勝手に呼称して地元のみなさんごめんなさい。

ただこの道中でちょっと悲しかったのは、
途中車から捨てられたとみられるペットや空き缶があちこちにあったこと。
こういうのはもう止めにしてほしいなあ。


話変わりますがここで急に思い出した。
そう前回の水浜線の記事にいただいたコメントの件。
すぐに写真をとる。
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ほんとうに名前が違う。
なんで同じ橋なのに停留所と橋にかかっているそれとが違うの?
これは変でしょ…というより何故にこんなことが…。

…考えてもわからないので今回のもうひとつの目的地へ。
大洗駅の交差点を左折し直進、その後右折。

車塚古墳
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「茨城県指定文化財となっている車塚古墳。 標高約35メートル 独立丘陵上に位置しています。 規模は直径約95メートル、高さ13メートルの段を有する全国で3番目の規模の円墳です。 」
http://www.town.oarai.lg.jp/~syougai/syogai/info_g_6_294.html

というものらしい。たしかに巨大な古墳だということはすぐにわかった。
そしてそのそばにもうひとつ。

日下ヶ塚〔常陸鏡塚〕古墳
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http://www.town.oarai.lg.jp/~syougai/syogai/info_g_6_292.html

そしてそこのそばにある、
磯浜海防陣屋跡 からの眺望。絶景です。
ただこちらは古墳側から入ると足場が少々…。
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このあたりちょっと行きづらいものがあります。
もう少し整備してほしいです。

ここをおりてくるとなんかみたことがある場所に出た。
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「 割烹旅館 肴屋本店」
ちょっとのどが渇いたこともありここで小休止。
アイスティーを頼んだらチョコもついてきました。
疲れていただけにこれはとてもありがたかったです。
とてもアットホームな雰囲気のところでした。

あとこの日携帯をもって
いろいろと問題を解いている方々を、
ほんとうに大勢あちこちでみかけました。
検定試験、なかなか好評のようです。

このあと大洗磯前神社へ。

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この鳥居の破損は震災だろうか。
いずれにしてもなんとも厳しい光景です。

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この鳥居と階段は凄いです。

そしてそれは海からも一直線にみられます。
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神磯の鳥居
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その他
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今回の大洗の中で訪れたところ。
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①車塚古墳
②日下ヶ塚古墳
③割烹旅館「肴屋本店」
④大洗磯前神社
⑤神磯の鳥居

大洗駅に着く。
そして駅には新しいものが。
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もうすぐ七夕
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お休み中のラッピング車両
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というかんじで、小休止を挟んでほぼ六時間ほど歩き回りました。
歩いた歩数はだいたい3万5千前後。
廃線、古墳、神社仏閣と、
この町はほんとうにいろいろなものかありますので、
それらをみていくととても時間が足りません。
しかも今回また水族館に行けませんでした。
まだあと数回はここに来ることになりそうです。
そしてそのときもまた水戸から水浜線ルートに沿って、
この町に来ることになると思います。

今回歩いた水浜線ルートは、
たしかに平々凡々かもしれませんが、
個人的にはなんとも気持ち良い風景がたのしめました。

これから気候のよいときは、
この水浜ルートをけっこう利用することになりそうです。

以上です。

今回は写真が多いので三つに分けました。
ご了承ください。

あとこれは癖なのですが
ときおり画面が右肩上がりになってるときがあります。
この日はけっこう画面がみずらかったこともあり、
かなりこのあたり確認もせずに撮りまくってしまいました。
みずらくて申し訳ありません。

最後に今回、水戸駅~神磯の鳥居までの歩いたコースの全体。
20015.png
①水門橋
②ガーター橋
③二つの名前をもつ橋
④古墳群
⑤神磯の鳥居

約15キロ強の行程でした。

以下は1966年の全線廃止直前、
最後に水浜線が走っていたと思われるコースです。
クリックするとどちらも別ウインドで拡大表示されます。
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①水戸駅
②水門橋
③ガーター橋
④橋の名残のような遺構
⑤大洗駅跡

実際には最長で上水戸~湊という区間を走っていたそうです。
ただそれを全線踏破する予定は今のところありません。
最低でも5時間はかかりますので…。

次回は越後交通栃尾線の長岡~悠久山なんか歩こうかなと思ってます。
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大洗電車道 ~茨城交通・水浜線の旅~ [水浜線跡廃線の旅]

大洗にはかつて電化された鉄道が走ってました。
それは上水戸・水戸方面から涸沼川を渡り、
磯浜、大貫、曲松、東光台、そして大洗海岸の側まで行くというもの。

じっさいはさらにその先まであったのですが
水害で橋が流されたこと等で早々と運行が無くなってしまったそうです。

ですが残った区間も最後は1966年に全線廃止となったということなので、
じつに半世紀近く前に廃線となった古の鉄道です。

かつての鉄道(時刻表)ファンの気持ちが蘇ってきたのか、
今回はそんな古の鉄道の涸沼川から大洗海岸付近の終点まで歩いてみました。

この日は天気がよかったので大洗に行く前
ちと鹿島神宮にもよってきました。

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お参りした後臨海鉄道で大洗へ、一両編成です。

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こうして大洗へ、まずは涸沼川へ。
大洗駅からみてセブンイレブンに行く手前の道路のつきあたりから出発。
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川にはもちろん橋の残りなどありませんが、
これなどはその名残なのかもしれません。

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ここでグーグルの航空写真。
川の手前で寸断されてる(2)のマークのそばの道は先ほどの写真の場所ですが、
よくみるとその延長線上にある(1)のマークの横の道も同様に川の手前で寸断。
おそらく水戸からきた水浜線の向こう岸の名残でしょう。
(1)と(2)の間に水浜線の橋梁があったものと思われます。

で、いよいよここからかつての水浜線の跡を歩きます。
一応資料等をみてはいますが、かならずしもそのままというわけではないかもです。
間違ってたところ歩いてたら申し訳ありません。

ここの道は片側一車線というこのあたりとしては幅広の道。
しかもさっきみたように川の方面は行き止まり。
かつて走っていたところをそのまま潰したのでこの幅広なのかもしれません。

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ここで再び航空写真。ここでみて初めて気づいたのですが、
道の右側がじつはもう少し幅があったことがわかります。
この幅なら路面電車と自動車の通行も十分可能だったことでしょう。

当時は以下の江ノ電における腰越ー江ノ島間のような感じだったのかも。
もっとも専用軌道を走っていたということなので、
ここまで道のど真ん中というわけではなかったと思います。

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因みに水浜線は単線で、最後に走っていた車両は、
その後仙台市電130形として使用されたとのこと。
「仙台市電130形」で検索されるとその形はお分かりになられると思いますが、
いわゆる往年の路面電車です。

このままの道を直進、しばらくするとスーパーが目の前に。
ここが「磯浜駅」跡。

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本来ならここが大洗という名前がつきそうなものの、
じつはそうではありません。このあとこのスーパーの真反対から、
先のそれに比べると細い道が逆Sの字型で続きます。

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赤いラインに沿って右側を水浜線が走っていたと思われますが、
こうして上から見ると、スーパーを挟んでかつて「鉄道」が存在していたという、
そういう雰囲気が感じられると思います。

ここであることに気づいたのですが、
新しい家はともかく古くからある家をみていると、
この道路に面した玄関というか門や出入口らしきものがない。
昔からここが「道」としてつくられたのなら、
もっと盛大に各戸玄関がこの道に面しててよいようなもの。
やはりここをかつて電車が走っていたということなのでしょう。

そしてこの道の終点に広めの駐車場。ここが「大貫駅」跡。

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先の道を真っ直ぐに引っ張ると駐車場を超えた先に、
やはりまた道路が続く、こちらはさっきより広め。

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ここからちょっと直進した後左折。一気に消防署まで直進です。
この左折部分が直角ではなく、若干湾曲となっているのが、
ひょっとしてかつての名残なのかも。

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途中マリンタワーが右にみえます。

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それにしてもこの駅と路線の配置の仕方、
ちょっと新橋からお台場へ向かう「ゆりかもめ」を思い出しました。
今もしあったらいい観光列車になったかも。

この大洗町消防本部が「曲松駅」跡。

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当時はかなりにぎわってたそうです。商店街のすぐ近くですね。

この近くで「大洗」と書いた境界杭があった。
ただ水浜線と関係があるかどうかは不明。
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曲松を出るとここから左折し小学校を左にみるような形で坂を上り続け、
東光台の交差点方面へ向かいます。

この道に沿って右側に断続的にちょっとしたスペースが並行して続く。

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おそらくここを電車が走っていたのだろう。
ひとつここで思ったこと。
それはこのあたりの坂道のこと。けっこうここは勾配がある。
当時の車両はこれくらいの勾配はなんともなかったのでしょうか。
路面電車の性能はあまり詳しくないのであれなのですが、
このあたり「けっこうしっかりした車両」だったんだなあとちと感心。

東光台前の交差点約200m手前で右折。
しばらく直進すると右手に空地らしきものがある。ここが「東光台駅」跡。

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そのあと直進。道を渡る前にはっきりとした廃線跡と思われるスペース。

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これがおそらく最もはっきりそれとわかる水浜線の名残だろう。
これと並行して海岸方面へ。

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そして大洗海岸バス停へ。この裏手の大きなスペース。
じつはここが水浜線の「大洗駅」跡。終点です。

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今見ると現大洗駅付近を通ってマリンタワーまで100m付近を左折、
曲松商店街や役場、さらには大洗港の入り口近くまで通り、
幕末と明治の博物館の手前100m付近をかすめた後、
そのまま大洗海岸や観光情報センターのそばまでと、
なんか大洗のいいとこどりみたいなルートを通っています。
しかもかつてあったその先は願入寺やアクアワールドの側も通っていたので、
時代を先取りしすぎたコースどりの鉄道だったというところでしょうか。

まあ最後は需要がそれほどなく赤字続きだったということですので、
運が悪かったというところなのかもしれません。
昭和四十年代はどこも路面電車や軽便鉄道にとっては受難の時代でしたので。

こうして廃線跡を堪能しましたが、大洗もこういう過去の遺物を利用して、
さらに町興し等できないものかなあとちょっと考えたりしました。
例えば一部をサイクリングコースにして整備するとか…。

この後磯前神社の前を通って海沿いを経由し駅へ。

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それにしてもこの大洗磯前神社の鳥居は巨大だ。
震災の時はこのあたりも津波が押し寄せていたといいます。
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町は今、電車ではなく戦車で盛り上がってました。
多くのアニメファンが来ていましたが、
前日のイベントでの新作発表も影響しているのかも。

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駅では特別仕様の車両。

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ただし二両編成のうちの一両のみ。
ほとんどの人はアニメ仕様車両「ではない」方に乗車。
うーん、ちょっとなんといいますか…な気分でした。

といったところです。
これが今の大洗といったところでしょうか。

ただこの町、まだまだいろいろと掘り起こすものがあるような気がします。
そのうちのひとつにこの水浜線跡がなるかどうか。
ちょっとこれからが楽しみです。

次大洗に来るときは初日の出の時でしょうか。
とにかく見所もあり落ち着いたいい街でした。

あと最後にひとこと。
この日、東光台へ行く途中突然体調がおかしくなったのですが、
地元の方に無理をいって少し休ませていただきました。
この場をかりまして御礼申し上げます。
浜勘の皆様、ほんとうにありがとうございました。

今回歩いたおおよそのコース。
極力当時走っていた水浜線のそれに沿って歩きました。
ただ消防署から左折して坂を上るまでのところは、
すでにいろいろと住宅が建っているので、そこは迂回しました。
(3)から左折し北上するあたりのところです。

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航空写真であてはめると、

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数字で①磯浜駅、②大貫駅、③曲松駅、④東光台駅、⑤大洗駅。
以上のおおよその場所と思われるところです。

尚この二か月後、
今度は水戸から大洗に向かって水浜線沿いに歩くという、
そんな道中もしたりしました。
ことの顛末は以下のリンク先にあります。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-06-29

このときは以下の本が大いに役立ちました。

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現在絶版なのが残念です。
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