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フルシャの「わが祖国」に行く(7/26) [クラシック百物語]

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2017
東京都交響楽団

7月26日(水曜日) 19:00 開演
ミューザ川崎シンフォニーホール

ヤクブ・フルシャ 指揮

(曲目)
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」(全曲)


1991年の11月2日に、
クーベリック指揮チェコフィルによる「わが祖国」を聴いた時、
この曲を日本のオケが指揮するのは無理とさえ思えた。

だが2006年7月に、
ビェロフラーヴェク指揮日本フィルによる同曲を聴いた時、
日本のオケでもここまで素晴らしい演奏ができると驚いた。

だがこの日の「わが祖国」は、
そういう次元の演奏ではなかった。


かつて音楽評論家の東条碩夫さんは、
プラハフィルを指揮してフルシャが日本で「わが祖国」を指揮した時、
相性は都響の方がいいのではという前提の後、

「ブラニーク」の全曲最後の頂点では柔軟なテンポの動きを欠き、一本調子で単調な終結となった。
 このあたり、フルシャもやはり未だ若いなと思わせるゆえんだが、しかし、都響との演奏だったら、おそらくもっとはるかにしなやかな表情が音楽に生まれるのでは、という気がしてならぬ。」

というコメントを2015年にされていた。


ようするに都響ならさらにできるということだった。

自分はフルシャは2012年のプラハフィルとの演奏しか聴いておらず、
このあたりはわからなかったが、
その東条さんの言葉は前半だけでもよく理解できた。


ハープを左右45度の位置に分けて配置というのはかなり驚いたが、
演奏はそういう意表を突いた編成とは無縁の、
じつに正攻法の真正面から音楽を捉えたものだった。

冒頭から悠揚にして重厚というのだろうか、
チェコフィルよりも肉厚の弦の響きがなかなかで、
都響の特色を前面に出した形の演奏だった。


細かい描写も蔑ろにせず、
じっくりと腰を据えて描いていくそれは、
師のビエロフラーヴェクや、
以前聴いたスロヴァークと読売日響とは違うものの、
そのあたりと並べても遜色のない、
じつに堂々としたものだった。

もちろんそれだけではなく
「モルダウ」での、
農夫たちの踊りの活き活きとした表情や、
「シャールカ」での終盤の、
いきをのむような追い込みなど、
素晴らしいの一語につきるものだった。


しかしほんとうに分厚い演奏で、
オケへの負荷もかなりのものがある。

こういう解釈や狙いだと、
編成の小ぶりなプラハフィルには荷が重すぎる。

かつてこの曲をズデニェク・コシュラーや、
小林研一郎と演奏経験のある、
都響でやって大正解といったところだろう。


余談だが1981年7月に、
コシュラーがこの曲を都響と演奏したその二日後に、
この日の指揮者フルシャが生まれている。


ここで20分の休憩。
正直あの追い込みを聴くと、
そのまま後半に突入してもいいような気がするけど、
とにかくここで一息となる。


後半の「ボヘミアの森と草原から」は、
それまでの肉厚の響きをいきなりそぎ落とした、
まるで水彩画のよう澄んだ響きが心地よい。

音のひとつひとつもまるで透かし彫りのようにクリアに響いてくる、
フルシャの非凡なオケのコントロールする力が見事。


そして「ターボル」。

おそらくこれを聴いて多くの人が驚嘆した事だろう。

信じられないくらいのテンションの高さと、
音の密度と集中力が凄い。

ティンパニーの強打も、
外に発散されるというより、
その鉄槌のような響きが、
音の塊の中に凝縮されるように響いていくようで、
管弦ともにこれ以上ないくらいの、
高密度とテンションの高さを兼ね備えと、
濃密かつ絶大な緊張感をもった音楽がそこに築かれて行った・


ただこの「ターボル」が凄すぎたせいか、
ここが全体のMAXとなってしまったようで、
正直最後どうなるんだろうという、
期待よりも不安の方が先に立った。

そして最後の「ブラニーク」。

若干前の曲の濃密な響きの余韻があるせいか、
ちょっとふつうに始まったように感じられたけど、
それでもこの響きはかなり充実したものになっている。

途中都響の木管軍による水も滴るような詩的な響きが素晴らしいが、
そこから終盤に向かっての自然な高揚感がまた素晴らしい。

確かに最後の頂点に向かって一直線ではあるけど、
かつて一本調子といわれたような感じはなく、
決然とした意志の力でどんどん集まりながら、
最後そのまま圧倒的な頂点へと到達、
そして見事なまでに輝かしく大きく締めくくった。

それはまさに天から音楽が行進してくるような、
それくらい壮観で圧倒的なものだった。

今年5月に亡くなられたフルシャの師、
ビエロフラーヴェクもさぞや喜んでいるだろう。


これには都響の地力そのものも凄かったが、
フルシャの都響をこの曲に対して、
一瞬たりとも他人事のように演奏させなかった事が、
より強く印象に残った。


演奏終了直後、
指揮台上のフルシャがコンマスの矢部さんに
「どうだった?」
みたいな表情をしていたのが妙に微笑ましかった。


今回のサマーミューザ。

プログラムが発表になった時、
とにかく驚いたのが、
このフルシャと都響の「わが祖国」だった。

二日続きの都響の定期公演でやるならともかく、
一発勝負の、
しかも自分たちの公演以外で、
この真打ともいえる札をきってきたのには、
正直驚いたというか目を疑った。


もうやる前から名演好演になるのは分かっていたけど、
まさかそういうレベルとはまた違う、
文字通りの入魂の演奏になるとは思っていなかった。

確かにより完成度の高い演奏とか、
聴きやすい演奏はあるだろうけど、
ここまで日本のオケによって、
その神髄に真正面から切り込み迫って行く演奏になるとは、
正直予想していなかった。

もっと軽快というか爽快な、
胸のすく様な瑞々しい演奏になるかと思っていただけに、
本当に今回のこの演奏には衝撃を受けた。


ただ残念な事に、
フルシャと都響の関係は、
一端解消になるようだけど、
今度はまた違った形で、
また日本に戻って来てほしい。


こういう演奏ならどこのオケと来日しても、
みんな大歓迎だろう。

12月の都響との演奏。

そしてこれからのフルシャのさらなる飛躍を祈りたい。


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アレクサンドル・ガウクのインタビュー [クラシック百物語]

1958年4月。

ソ連指揮者界の大御所、
アレクサンドル・ガウク(1893-1963)が、
病気の弟子、ムラヴィンスキーに代わって、
レニングラード・フィルハーモニーの指揮者として来日した。

彼はその時、
招聘元だった朝日新聞のインタビューにいろいろと応えている。

それを以下に記しておきたい。



私の理想的な指揮者といえばアルトゥール・ニキシュである。

彼の私に与えた最初の印象はいつまでも残るであろう。
特に彼に教えられたことはオーケストラというものが、
ピアノのキイのような機械でなく、
生きている人間によって作られているということである。
たまに音楽の解釈について
オーケストラとの相違があり得るということを知らなければならない。
そこでオーケストラを圧迫してはいけない。

十九世紀後半から二十世紀にかけて指揮者に二つのタイプがあらわれた。
その一つはグスタフ・マーラーのタイプで、
もう一つはニキシュのタイプである。

マーラーは偉大な指揮者であったが、
私は残念ながら彼に会ったことがないが、
彼がオーケストラを圧迫するタイプであるという話をきいた。

一生懸命に練習してもオーケストラを圧迫すると、
演奏会当日、せっかくの練習の三割ぐらいは消滅してしまう。

ニキシュの場合はすべてを微笑をもって
オーケストラに納得させて全然圧迫することがなかった。
またクレンペラーのような指揮者も実にすばらしい演奏会をやったが、
練習の時には必ず何か大騒ぎなしにはすまなかった。
それに反してブルーノ・ワルターは
彼のやさしい指揮ぶりと微笑をもって
オーケストラを自分の思うままにさせることに成功している。

ニキシュに与えられた印象が非常に強かったとはいえ、
別に彼をまねしようとは思っていない。
特に彼のあまりにもやわらかい女性的とでもいえるような性質は
今日のわれわれの感覚にはむかない。
例えば「悲愴交響曲」の時にも聴衆を泣かすのみでなく
自分も指揮台で泣いたくらいであった。
しかし、われわれは今日、
この同じチャイコフスキーの曲をもっと堅い古典的な解釈で演奏するようになった。


ニキシュは必ず譜面をおいて指揮したが、
二十世紀になって二、三十年このかた暗譜で指揮するのがはやってきた。
私は大阪で指揮した時、
チャイコフスキーの第四番の交響曲は譜面なしであったが、
悲愴交響曲の時は譜面をおいた。

譜面をおいても実は音楽を暗記してよくのみこんでいるのはもちろんであるが、
やはり場合によって細かい点をたしかめるために譜面をおきたい時もある。
また音楽を十分に知っていても原則として必ず譜面を使う指揮者もいる。
チェコスロヴァキアの有名なターリヒもその例である。



私は現在モスクワ放送交響楽団の常任指揮者を勤めているが、
レニングラード交響楽団とは昔から深い縁があるので、
ムラビンスキー氏が急病で旅行できなくなった時、
こんどの指揮を喜んで引き受けた。
レニングラード交響楽団は世界中の有名な指揮者のもとに演奏したことがあるが、
なかでもニキシュ、フリート、クレンペラー、
ターリヒ、アンセルメ、モントゥ、ワルター、
などの名前を特にあげたい。

この交響楽団は
ソ連のオーケストラの中で一番演奏の仕上げられた団体だといえよう。
その音響が美しく、ダイナミックで熱があり、
演奏表現が細かく、またレパートリーが極めて広い。

彼らの特徴は勉強ずきで、
各楽器の技術上のことはグループが仲間同士で
首席奏者の指導のもとに細かく練習しているから、
指揮者が出てくる練習の時には、もはや技術的な問題はなにも残らず、
ただ音楽をするだけである。

このような方法では三、四回の練習で
他のオーケストラ七、八回の練習を必要とする同じ成績があげられる。



日本の聴衆はたいへん熱心で
演奏会場はまことに寺院のような静けさで感心した。
日本人は音楽が好きで、特にチャイコフスキーは人気があることを知ったが、
演奏中はピアニシモの時だけでなく、
フォルティシモの時でさえなんの音もせず、
ただ熱心にきいていてくれる。
このような聴衆は演奏する音楽家のためにも
すばらしいインスピレーションを与えてくれる。
たまには演奏中、写真機の音やフラッシュがじゃまになったが、
日本に来ている客としてあまり苦情はいうべきでないと思う。


 なお、日本の聴衆について私をびっくりさせたことは
五月十四日、一万四千人のために行う予定の大衆音楽会についてのことである。
この場合むしろ軽いプログラムを作ってシンフォニーを入れないでおいたところ、
聴衆の代表がわれわれを訪ねて、
チャイコフスキーの第四番の交響曲を入れてほしいと申し出てきた。
これは何よりも日本の音楽を楽しむ聴衆の高い教養を物語っていると思う。

尚、このとき余談として


夜中の二時にホテルの近所で、なにか食べ物を売って車を押している人が、
オーボエみたいな楽器をならしていた。


というコメントをしていました。

ガウクとレニングラードフィルが来日したこの時代、
都心のど真ん中の国際的ホテルの側で、
深夜二時に屋台のラーメン屋さんが営業をしていた時代だったことを知ったとき、
最新鋭のジェット機でやってきたレニングラードフィルと、
古きよき時代の屋台のラーメン屋さんというこのコントラストが、
なんともちょっと不思議かつ微笑ましく思えたものでした。


1958年レニングラードフィル日程
指揮者:
アレクサンドル・ガウク、
クルト・ザンデルリンク、
アルヴィド・ヤンソンス


4月15日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月16日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月18日:フェスティバルホール(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月21日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月22日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンタ゜、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

4月24日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月25日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月27日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

4月28日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

4月29日:新宿コマ劇場(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月1日:フェスティバルホール(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月2日フェスティバルホール(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月3日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

5月5日;八幡製鉄体育館(指揮/ヤンソンス)
グリエール/青銅の騎士、偉大なる都への諸歌
グリンカ/イワンスサーニン、ワルツとクラコヴィアック
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
グラズノフ/ライモンダ、組曲
カバレフスキー/コラブルニョン、序曲
ハチャトゥリアン/バレエ音楽からの組曲
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月6日:福岡スポーツセンター(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月8日:名古屋市公会堂(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月11日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
ベートーヴェン/エグモント、序曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第6番

5月12日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
チャイコフスキー/交響曲第6番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

5月14日:東京体育館
グリンカ/ルスランとリュドミラ
チャイコフスキー/白鳥の湖、序曲~白鳥の踊り~ワルツ(以上指揮/ヤンソンス)

チャイコフスキー/ロココの主題による変奏曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第15番
ハイドン/弦楽のセレナーデ
ブラームス/ハンガリー舞曲第1番(以上指揮/ザンデルリンク)

チャイコフスキー/交響曲第4番(指揮/ガウク)


尚、全公演終了後20日に帰国するまでの数日間、
オケは箱根を中心に日本での余暇をたのしみ、
ありとあらゆるところで、楽器、電化製品、服、絵葉書等のお土産を買い、
その量はトラック二台分になったそうです。
(特に広島では絵葉書を買い求める団員が多かったのですが、そのうちの一人が「こんな美しい街が一瞬に消えたことは恐ろしいことだ」というコメントを残しています。)



このときの来日公演のCDのひとつ。
08_l.jpg
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ノットの「浄められた夜」と「春の祭典」に行く。(7/22) [クラシック百物語]

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2017
東京交響楽団オープニングコンサート

7月22日(土曜日) 15:00 開演
ミューザ川崎シンフォニーホール

ジョナサン・ノット 指揮

(曲目)
シェーンベルク:浄められた夜
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」


ジョナサン・ノットは正直以前何かで聴いた時、
あまり強い印象がなかった。

というかあまりおもろしくなかった。

なのでその後日本で好評を得、
東響と長期にわたり関係を築くというニュースを聞いた時、
あまりピンとこなかった。

なのでそういうこともあり今回聴きに行った。


最初のシェーンベル

ヴァイオリン→12
ヴィオラ→8
チェロ→6
コントラバス→4

これを紙を二つ折にすると、、
左右対称に展開したような形となる配置での演奏となった。

つまりコントラバスを正面奥に一列に並ばせ、
その手前にチェロを四人がまず一列
残り二人が各々左右両端の奏者後方に第二列的な部分に位置し
ヴァイオリンとヴィオラが各々左右6、4ずつ、
指揮台を挟んで左右対称に配置されるというもの。


じつはこの曲を聴くのは40年ぶりで、
そのときはズビン・メータ指揮読売日響で聴いたが、
それはまるでRシュトラウスのような爛熟した、
濃厚ではあるが適度に洗練されたじつにドラマティックな演奏で、
ひじょうに心うたれる演奏だった。

ただ今回のそれはそのときのものとは正反対というかんじで、
辛口で厳しく
ドラマティックというより絵画的という感じの演奏で、
さらに言わせてもらえれば、
まるでブラームスの室内楽を聴いているかのような、
そういう格調の高さと透徹し結晶化したような響きが、
緊張感のある音楽を奏でていた。

これを聴いた時、
シェーンベルクがブラームスが好きだったこと、
そしてかつて聴いたムラヴィンスキーの「トリスタンとイゾルデ」が、
こういう方向性の音楽であったことを想起させられた。

終演後しばらく拍手が起きなかったのは、
その音楽の緊張感と響きの美しさを、
聴き手がしばらく味わいたかった証ではなかったか。

できれはレコーディングしてほしいところですが。


20分の休憩後「春の祭典」。


こちらもまた正攻法の演奏で、
やるべきところをキチンと決めれば、
説得力のある音楽がそこから生まれるという、
じつに基本的な事がそこでは行われていた。

そういう意味では、
かつてのコリン・デービスとコンセルトヘボウの同曲の録音と、
どこか基本的に相通じるものがあるけど、
第一部はともかく、
第二部になると「ノットのオーケストラ」の演奏ということもあり、
客演だったデービスより二歩も三歩も踏み込んだ、
なかなか強力な演奏が展開されていった。

とにかく骨太でスケールの大きなストラヴィンスキーでした。


また東響が大善戦。

かつての東響と違い、
音が大きくなっても濁りや歪もあまりなく、
曲全体のもつ大きなエネルギーを、
かなりのところまで描き出していて、
そんな東響の好調ぶりがじつに強く感じられた。


そういえばかつてスダーンの時代、
あるパートの採用試験が公募で行われた時、
東響の関係者の方が、

「細かい結果はいえないけど数年前なら全員合格していた」

と言われたほど、
東響のレベルが急速にあがっている事が、
すでにこのときおきていた。

それがおそらく現在まで続いているのだろう。


あと聴衆が東響とノットに対し、
全幅の信頼をおいていることが、
この日の演奏会からも強く感じられた。

2004年7月に開館。

その後311の影響で二年程閉館していたので、
今年で実働11年。

かつてミューザが開館したとき、
国際的ホールという知名度だけでなく、
時間はかかるがとにかく地元に根付く事が目的という、
そういう話を開館して一年程の時、
当時の支配人の方が話されていた事を思い出した。

ようやくその頃からの努力が花開き、
こういう形でも
実を結ぼうとしている。


東響はミューザを本拠にしてから、
本当に大きく変貌と進化を遂げたオーケストラ。

そしてそこにはノットヤスダーンだけでなく、
上記した通り地元との深い絆も大きく力を貸している。

これからのノットと東響にさらに期待です。



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神奈川フィルハーモニー第331回定期演奏会(7/8) [クラシック百物語]

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神奈川フィルハーモニー管弦楽団
第331回定期演奏会

7月8日(土曜日) 14:00 開演
横浜みなとみらいホール

ユベール・スダーン指揮
佐藤俊介(ヴァイオリン)

(曲目)
モーツァルト/歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲  
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219「トルコ風」
シューマン/交響曲第2番ハ長調Op.61(マーラー編曲版)


スダーンが川崎を本拠としていた、
東京交響楽団の音楽監督をされていたのが、
2004年から2014年という長期だった。

この間神奈川フィルは、
現田・シュナイト~金~川瀬と、
タイプの違う指揮者がトップに立っていった。

スダーンが当時、
神奈川フィルを意識していたかどうかは分からないが、
この当時彼が神奈川フィルを指揮することなど、
自分には想像もつかなかった。

それくらい東響=スダーンというイメージは強固で、
その指揮者がお隣のプロオケを指揮するというのは、
プロムシュテットが東フィルを指揮するくらいありえない事に思えた。

だが月日が流れ、
スダーンは東響との関係は続いているものの、
音楽監督の地位を離れ、
多少は自由にいろいろと指揮できる身になった。

その後スダーンは全国各地のオケを指揮してはいるが
関東では東響以外のプロオケをなかなか指揮しなかった。

そして今回おそらくその一番に指揮台に立ったのが、
川崎から近場にある横浜の神奈川フィル。

しかも曲目が自らが東響を指揮していた時期に、
神奈川フィルのトップにいた指揮者の、
そのレパートリーを著しく想起させられるものばかりだった。

もちろんそれらはスダーンとしても十八番なので、
意識したとはいいきれないだろうが、
ちょっと不思議なものをこのとき感じてしまった。


自分は今回二日目の公開練習にも行ったけど、
スダーンの練習はまったく無駄も妥協も無い、
ある意味執拗ともいえるなかなか厳しいものだった。

もちろんスダーンらしく、
感情的になることはなく、
今目の前で起きている事に対して、
次々と冷静に対処していった。

それはときにパート別に、
しかも何度も繰り返し行われていた。

ただこのとき、
ズダーンのそれはミスを修正するというより、
「このオケならもっとできるだろう」
みたいなものがなんとなく感じられ、
それこそオケに期待を寄せながら試しているような、
そんなかんじの練習に感じられた。

このときなぜスダーンが短期間で、
東響から自分の音を引き出すことができ、
十シーズンにわたりそのトップをつとめられたのか、
その理由の一端がわかるような気がした。


また表情の細かさ、
特に音量の強弱による表情の凝らし方がかなり念入りで、
リズムのキレとかそういうものは、
この表情さえつけきれば自然と後からついてくるように、
いろいろと考え抜かれているようにみえた。

かなり細かくいろいろと指示を出してはいたが、
ここという時の音楽の突き抜け観にもかなりこだわっていて、
なかなかオケに高いハードルを設けているようにも感じられたけど、
今の神奈川フィルにはそれにも十分対応していたようにみえた。


そして演奏会当日。

スダーンは白の背広で登場。

しかし白の背広で指揮というのも久しぶりにみた。

昔はショルティやバーンスタインも、
白の背広で指揮していたけど、
今はもうあまりみかけることもない。

なかなか手入れがたいへんなので、
オケもほとんどやめてしまったようだけど、
夏の風物詩的な感じがして、
個人的にはとてもみていて、
当時は気持ちのいいものがありました。


最初の序曲はほとんど小手調べ的な感じだったけど、
それでもスダーンの刻印のようなものは随所に感じられた。

続く協奏曲。

ますソロが素晴らしかった。

佐藤さんのソロは音量的にはさほどではないけど、
その音のしなやかさ、艶、光沢、
それらが絶妙な歌いまわしによって輝きを放っていた。

かつて往年の名ジャズトランペット奏者の、
ハリー・エディソンが、
「スイーツ」という仇名をつけられていたけど、
あの音もまた甘ったるいという類のものではなく、
しなやかさ、艶、光沢、そして力強さも兼ね備えたものだった。

佐藤さんのソロを聴いていて急にそのことが思い起こされた。


そしてスダーンのバック、
特にオケの音が素晴らしかった。

端正だけど小さくまとまることなく、
ちょっと辛口かもしれないけど、
格調高く詩的な美しさもしっかり織り込まれた、
久しぶりに極上のモーツァルトを聴いたと、
そういいたくなるような素晴らしさだった。


ここでの神奈川フィルの出来もよかったけど、
このとき自分はスダーンのあるエピソードを思い出した。

それはあるたいへん有名な指揮者が東響に客演した時、
その指揮者が体調を崩したりしたこともあり、
当初予定のリハーサルに来れなくななったため、
当時来日していたスダーンが急遽下棒を行い、
限られた時間で驚く程高い状態にオケを仕上げ、
その指揮者に渡したという話。

自分はその演奏会にも行っているが、
確かにオケはとても完成度の高い演奏をしていた。

そんなことが思い出されくらいの、
かなりのオケの出来でした。


このあと佐藤さんのアンコールの後休憩。


そして後半のシューマン。

前半は指揮台無しで指揮したスダーンも、
後半は指揮台を使用。

もうこれについては言うことはない。

飯守さんとはまた違った平衡感覚の強い、
それでいてとても表情豊かで、
マーラー版のせいもあるだろうけど、
とても見通しと風通しのいい、
力感と躍動感あふれるシューマンだった。

自分はマーラー版のシューマンというと、
どことなくメンデルスゾーンや、
ドヴォルザーク中期の交響曲を思い出すが、
今回はそれだけではなく、
マーラーそのものの表情もときおり感じさせられる、
神秘的な所や刺激的な所があった。


それにしてもこれだけテンポも表情も変化しまくる、
多くの要素をふんだんに盛り込んだ演奏を、
よく神奈川フィルもやりきったものだと、
正直拍手喝采といった感じだった。


こんなことを言ったら申し訳ないし失礼かもしれないが、
十年前だったら、
おそらく今回のスダーンの要求の半分も応えられなかっただろう。

それを思うと神奈川フィルの、
今のレベルの高さと好調さがあらためて痛感させられるものがありました。

自分は今回のこのコンサート。


いろんな意味で今年最大の注目コンサートの一つ言ってましたが、
それに違わぬ内容のある素晴らしい演奏会でした。


できればまだスダーンさんには、
神奈川フィルに定期的に客演してほしいものです。


川瀬さんも言ってましたけど、
指揮者とオケの相性もなかなかいいようです。



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ラルフ・ヴォタペックの「ラプソディ・イン・ブルー」を聴く。 [クラシック百物語]

※以前書いたものに追加情報を後半に付加。


ラルフ・ヴォタペックというアメリカのベテランピアニストがいる。

知る人ぞ知る現役最高のガーシュウィンスペシャリストのひとりでもある。


彼が17才の時ミルウォーキーで、
ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の初演を指揮した、
あのポール・ホワイトマンと共演したということを以前書いたが、
最近その彼が弾いた「ラプソディ・イン・ブルー」を聴くことができた。

といってもこれは発売されているというものではなく、
ある方がアメリカの地方オケのライブ放送をいろいろ録音したものの中に、
偶然それが入っていたものを聴かせてもらったというのがそれ。

いろいろ調べてみるとどうもこれらしい。

LFS-SEPT2013-Concert-Poster.jpg
http://lakeforestsymphony.org/past-concerts/#OpeningGala=

Rhapsody+in+Blue.jpg
http://lakeforestsymphony.org/listen-and-learn/

レイク・フォレスト交響楽団の2013年シーズンのオープニングコンサート。

そのときの前半の二曲目に演奏されたようだ。

指揮はウラディーミル・クレノヴィッチ。
かつてクルト・マズアの助手をしていたようだが、
いろいろと苦労をした人らしい。


で、聴いた感想なのですが、
シーズンオープニングということで、
オケの管がやや粗かったり、
前半エンジンがなかなかかからなかったことや、
指揮者がこの曲に不慣れなのではないかという感じがあり、
そこの部分にややピアニストが気持ちをとられたような感があるためか、
多少のライブにつきもののキズ等はあるものの、
これは今まで聴いた同曲でもなかなかユニークなものとなっていた。


なんというのか場所によって、
ここはクラシック風、ここはジャズ風、
というように曲想によってかなり弾き分けているということだ。

これはガーシュウィンのこの当時のこういう曲を書く上で、
じつはまだまだいろいろなものが混在していたということを、
弾き方で表出させているようなはなはだユニークなものだった。


ただだからといって学究的なものにこの演奏がなっていたかというと、
じつは全然そうではなく、
なかなかな愉しい雰囲気なものに全体が満ちたものとなっている。

また細かいところの表情づけがなかなか粋なセンスがあり、
ちょっとお洒落な趣や、
ノスタルジックな哀愁感も備えたものとなっていた。


ヴォタペックはこの曲をとても得意にしているようですが、
子供の頃から好きだったのか、
それとも前述したホワイトマンとの共演がきっかけかは分かりませんが、
とにかくこれはいろんな意味でユニークで、
そしてこの曲のもつ今まで気づかなかった部分をいろいろと感じさせてくれる、
なかなかの聴きものとなっています。

ただこれを聴いていると、
そろそろ同曲をできればちゃんとした状況下での公式録音でしてほしいと、
強く感じさせられた次第です。

尚、この演奏、完全全曲版による演奏のようなのですが、
これは従来ほとんどの演奏で割愛されている、
ガーシュウィン自らがカットしてしまった二か所の欠落部を、
その自筆稿から復活させたというものだそうです。


そんな彼の同曲の演奏(2017)がネットにアップされた。
ggrv.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=ywkfS0zWAA8

これは前述した演奏とは違う。

バックのオケが一般高校生によるオケということだが、
けっこう頑張っていて好感が持てる。

そして肝心のヴォタペックの方ですが、
基本的なものは前述したものと変わらないが、
明らかに今回の方が調子がいい。

最初こそオケに合わそうと気を使っていたものの、
途中からエンジンがかかり絶妙な演奏が展開されていく。

特に中間のソロが以降が秀逸で、
この曲の数ある演奏の中でも屈指のものとなっている。

今の演奏の多くがカジュアルな演奏なのに対し、
こちらは背広をちょっと着崩して着たような、
ちょっと昔気質のさりげない雰囲気の演奏で、
変に媚びず清潔で明快、
そしてちょっと小粋なニュアンスも味わえるものとなっている。


それとこの演奏、
実際聴かれた方によると音がとにかく綺麗だったとか。
(それがこの録音から分からないのが残念とのこと)

やはり一度ぜひ日本で聴いてみたいものです。
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イシュトヴァン・ケルテスのこと [クラシック百物語]

イシュトヴァン・ケルテス
(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)

彼の名前を聴くとクラシックファンの多くは、
ウィーンフィルと1961年に録音した、
同オケへのデビュー録音となった、
あのドヴォルザークの「新世界より」を思い出すと思う。

dvo9.jpg

この録音は当時まだ三十代前半だった、
若き日の颯爽としたケルテスによる、
そのじつに爽快な演奏が話題となり、
未だにウィーンフィルの「新世界」の、
代表盤のひとつといわれるほどの評価を得ている。


だがケルテスのそれ以外の盤となると、
ケルテスのファン以外の人は、
一瞬考え込んでしまう人が多いと思う。

それは当時の、
そして今のケルテスの立ち位置によるところが大きい。


ケルテスは1929年生まれというから、
プレヴィン、ハイティンク、ドホナーニ、
さらにはアーノンクールあたりと同年齢で、
デッカで同時期に活躍していたマゼールよりひとつ年上、
ロンドン交響楽団で一緒に活躍していた、
コリン・デービスより二つ年下になる。

だが彼は不幸にして、
1973年4月に海で事故により亡くなった。

彼が上記した指揮者に比べ、
知名度が低い原因のひとつはこれだが、
正直に言うとじつはそれだけではない。


ケルテスはコダーイの門下だったが、
1956年に亡命し西側で活動を本格化させる。

デッカと契約した彼は、
ウィーンフィルとの「新世界」で絶賛される。

そしてロンドン交響楽団とも良好な関係を築き、
1964年に逝去したモントゥ―の後をつぎ、
同オケの首席指揮者に就任し、
1964年のロンドン響とのi二度目の来日公演にも、
コリン・テービスとともに同行している。

このときは日本で、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
エルガー/序奏とアレグロ
モーツァルト/ホルン協奏曲第2番(バリー・タックウェル)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

コダーイ/ガランタ舞曲
ブリス/色彩交響曲(この曲のみ指揮/ブリス)
ブラームス/交響曲第1番

というプログラムを、
東京、名古屋、大阪で四公演指揮している。

だがここからが問題だった、
オーケストラとは良好な関係だったものの、
公演における聴衆の反応と入りが、
前任者ほど芳しくなかったとの理由もあり、
たった三シーズンで解雇されてしまった。

もうひとつ音楽監督をつとめていた、
ケルン歌劇場とは良好な状態だったにもかかわらず、
このメジャーオケでの「失敗」はいろいろとあったようで、
クリ―ヴランドでの楽員からの圧倒的な支持にもかかわらず、
セル亡き後定期会員の減少に苦しんでいた事務方には、
ロンドンで「失敗」したケルテスを選ぶ選択肢はなく、
オケは集客力のあるマゼールをベルリンからよんだ。

その後ケルテスは1973年に、
カイルベルト亡き後首席指揮者が空席だった、
バンベルク交響楽団のそれに就く予定だったが、
それは先の事故ではたせなかった。

だがバンベルクには悪いが、
やはりケルテスが都落ちしたという印象は否めない。

またロンドン響は彼と同い年のプレヴィンがその任に就き、
ロンドン響とはその後10シーズン以上関係が続くこととなったのも、
ケルテスの評価にプラスにはならないものだった。

だがそんなケルテスにデッカもウィーンフィルも、
その関係を断つことはなかった。

それはおそらくこの指揮者の人柄と音楽性の賜物だろう。

ウィーンフィルはケルテスと「新世界」を録音した翌年には、
モーツァルトの33番と39番を、
さらに翌年にはシューベルトの「未完成」や「グレイト」、
それにモーツァルトの36番その他。
そして1964年にはブラームスの交響曲第2番を録音した。

このあたりのモーツァルトやブラームス
さらにはドヴォルザークあたりも、
カラヤンとの組み合わせによる、
交響曲集のような企画だったのかもしれないが、
このあたりの録音が後々ケルテスにとって伏線となっていく。

ウィーンとは1965年のモーツァルトのレクイエム以降
(これもカラヤンがウイーンを去った為に代行したのかも)
ロンドン響との仕事に集中したためウィーンとの録音が途絶えるが、
ロンドン響を辞した後、
デッカはウィーンフィルとの録音を開始する。

1970年に以前録音したシューベルトのそれがらみで、
交響曲全集の企画を立ち上げ4番と5番を録音、
そして翌年に残る1番から3番と6番を録音し、
ウィーンフィル初のシューベルト交響曲全集を完成させる。

これらは全集として日本でも1972年秋には発売されている。

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さらにその1972年から今度は2番がすでに録音されているブラームスと、
やはり何曲か録音されているモーツァルトの、
その各々の他の交響曲の録音がはじまる。

1972年にブラームスの4番、
そしてモーツァルトの25.29.35.40番を11月に録音、
翌年の2月から3月にかけてはブラームスの1番と3番、
そして「ハイドン変奏曲」の終曲を除くすべてが録音された。

bra1.jpg

このころにはこれらの録音や、
ロンドン響との数々の録音によって、
ケルテスの名前や評価が、
以前よりもかなり上がっていたという。

ハイドン変奏曲の終曲のみが、
何故このとき録音されなかったのかは分からないが、
ここでいったんセッションはお開き、
これがウィーンフィルにとって、
この指揮者と最後の録音になるとは、
この時誰が想像しただろう。

ケルテスはイスラエルフィルに客演するためテルアビブに向かい、
そして公演は成功を収めたという。

事故はその直後におきた。

当時このニュースはかなり大きなものとなった。


ウィーンフィルが録音されなかった「ハイドン変奏曲」の終曲を、
5月に指揮者無しで録音したのは、
この指揮者への深い哀悼の意のあらわれだったのだろう。

これらの録音は翌年6月に日本でもセットとして発売となった。


だがケルテスの死後、
せっかく上がった名声が急速に静まっていくのを感じたのは、
自分だけではないだろう。

ウィーンフィルによる録音は、
その後アバド、クライバー、ベーム、バーンスタインが、
次々と数を重ねていった。

しかもそのレパートリーのいくつかは、
ケルテスのそれとかぶるものが多く、
ブラームスの全集もベームやバーンスタインが、
モーツァルトの数曲もベームやレヴァイン、
同じくシューベルトもベームやクライバーによって、
曲目がかぶらないものであっても、
次第に忘れられてしまうようになっていった。

また他の録音も、
他の指揮者や団体の録音が増えるにつれ、
次第に脇へと追いやられていくようになった。

さらに彼が亡くなった1973年というのが、
指揮者が多く亡くなった年というのも不幸だった。

クレッキ、ホーレンシュタイン、クレンペラー、
イッセルシュテット、アンチェル、近衛秀麿、
他にも合唱指揮者のクルト・トーマス、
そしてシゲティ、カザルス、ブルーノ・マデルナも、
みなこの年に亡くなられたため、
ケルテスのニュースが永く目立つということがなかった。


そして年月が経ち、
いつの間にかウィーンフィルとの「新世界」くらいしか、
国内盤はみかけない時期すらあった。

この頃にはケルテスは、
早くして亡くなった中堅指揮者という、
そんな地味なイメージになっていた。

そしてそれは今でもあまり変わってはいないと思う。

とても残念な話です。


だがそんなケルテスの録音を、
今あらためて聴いみると、
驚く程不出来なものがなく、
またオケのモチベーションが高いことが伺える。

ロンドン響とのものもそうだけど、
ウィーンフィルがこれほど出来不出来なく、
全力を傾注した演奏を、
ひとりの指揮者でこれほど残しているのも特筆すべき事だろう。

フラームスは四曲とも、
かなりの水準の出来となっている。

一部であまり評判のよくない一番も、
自分には外連味なく真っ向勝負でいった潔さと、
それだけではない詩的な美しさも大事にした名演に聴こえる。

他の三曲は、
一番よりもさらに気合の入った劇的な表現で切り込んでいて、
しかもそれが空回りしていない。

これだけ熱気と推進力を持ちながら、
地面にしっかりと足をつけている演奏というのも珍しい。

これはシューベルトの全集にもいえるが、
こちらは曲のせいもあるけど、
より小回りとキレのいい、
しかもパンチが随所に効いた見事な演奏となっている。

シューベルトの4番や6番など、
これほど音楽と指揮者が一体化した演奏となると、
もうどうこう言うレベルのものではないと思う。

しかもそれらが、
ときおりピリオド系の演奏を先取りしているかのような、
そんな趣もたたえているせいか、
今聴いてもまったく古さを感じさせないものがある。

この時代を超越して、
古さを感じさせないのもケルテスの特長のひとつ。

これはロンドン響とのドヴォルザークやコダーイにもいえる。

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そしてこれを当時のウィーンフィルとやったことも、
指揮者を選り好みするオケというだけでなく、
60年代から70年代というと、
ボスコフスキー、ヴェラー、ヘッツェルと、
とんでもないコンマスがいたウィーンフィルだけに、
また凄い事だといえるだろう。

因みに1973年の3月から4月にかけで、
ケルテスが最後の録音をした直後のウィーンフィルが、
日本で公演を行っている。

指揮はこれが初来日だったアバド。

もしこれがケルテスだったら、
この公演どんな評価になっていただろう。

また彼があと十年から二十年健在だったら、
彼の経歴はその後どうなり、
またどのような録音が遺されていったのか、
今考えるとほんとうに残念でならない。

また日本にも何度も来日してくれていただろうし、
バンベルク響だけでなく、
本当にウィーンフィルとも来日していたかもしれない。

そうなれば日本でのそれも、
また違ったものになっていただろう。

またもっと長生きしていれば、
ひょっとするとデュトワやベルティーニのように、
日本のオケのどこかにポストとして収まっていたかもしれない。

実際彼が客演した日本フィルでは、
ケルテスの評価は極めて高く、
そんな話があったらどこのオケも大歓迎だったろう。


だがそれはみな夢のまた夢。

今は遺された録音がすべて。

できればケルテスの録音が忘れられることなく、
末永く多くの人たちに聴き継がれる事を願いたい。


因みにケルテスが日本フィルに客演したのは、
1968年の5月でこれが再来日にして最後の来日。

当初はロンドン響との来日予定だったのが、
不況等の影響でロンドン響のラ推日が中止になったため
ケルテス単独での来日となったとのこと。


演奏されたのは二種類のプログラムで、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
バルトーク/管弦楽のための協奏曲
ベートーヴェン/交響曲第7番

コダーイ/ハーリ・ヤーノシュ、組曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(ロベール・カサドシュ)
ドボルザーク/交響曲第9番

前者の公演は映像として残っており、
現在もDVDで発売されている。

そしてこれからほどなくして、
ケルテスはロンドン交響楽団を去ってしまう。



因みに余談だが、
ケルテスがあと十年以上健在だったら
こんな音楽を奏でていたのではないかと、
個人的に思う録音がひとつある。

それは

モーツァルトの三つの行進曲より第1番ハ長調K.408の1。

00028947859284.jpg

1963年の11月という、
ケルテスとしては早い時期の録音だが、
その堂々とした風格と音楽の充実感と密度がすばらしい。

ウィーンフィルもこの録音の三年前の、
あのクナッパーツブッシュの「軍隊行新曲」を思わせるような、
そんな輝かしいベストの出来を示している。

この数分の小曲ひとつに、
ケルテスの未来が詰まっていると言っても過言ではないものがある。

ぜひひとりでも多くの方に聴いてほしい演奏です。



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「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」を聞く。 [クラシック百物語]

「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」

1916(大正5)年6月16日から三日間、東京の帝国劇場で初の「露國舞踊」公演が催されました。出演者はエレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。ピアノ伴奏による小規模な催しでしたが、彼らはペテルブルグの帝室劇場(マリインスキー劇場)バレエ団の正団員であり、このときチャイコフスキーの《白鳥の湖》の一部(「二人舞踏」すなわちパ・ド・ドゥー)や、サン=サーンスの《瀕死の白鳥》などが初めて踊られた意義は、日本バレエ史に特筆すべきものといえましょう。

 昨年の12月26日、この初来日公演100周年を記念する重要な展覧会「純粋なる芸術」が東京・狸穴のロシア大使館で開催されました。新発見の史料をふんだんに用いた展示は、マリインスキー劇場の現総裁・芸術監督ワレリー・ゲルギエフの肝煎りでまずペテルブルグ、次いでウラジオストクで公開され、最終的に東京へ巡回したものです。当日は数十名のバレエ関係者を招いた内覧会が開かれ、その様子はNHKのTVニュースでも報道されました。にもかかわらず、その後ロシア大使館は「ここは美術館ではない」との理由から展示を一般公開せず、観覧依頼や問い合わせにも応じなかったため、この貴重な展覧会は、バレエ史の専門家を含め、ほとんど誰の目にも触れずに幻のまま幕を閉じました。残念というほかありません。

 そこで今回の桑野塾では、ロシア大使館側とかけあって、この展覧会を30分間だけ観る機会を得たという沼辺信一氏に、展示内容とそこから明らかになった新事実、さらには来日公演を観た100年前の日本人たち(大田黒元雄、山田耕筰、石井漠、与謝野晶子、有島武郎ら)の反応について、詳しく報告してもらいます。

http://deracine.fool.jp/kuwanojuku/

という内容で沼辺 信一さんの講義を聞く。

以前沼辺さんの

「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」

を聞いてその情報量の多さに度肝を抜かれたが、
今回もあっという間の三時間。

濃密すぎてはたしてここに書いていいのかどうか迷う事がほとんどで、
さてどうしたものかと困るほど。


ただ今回いちばんここに書きたいこととして、
この展覧会が日本のみ異常な形での公開だったという事。

地元マリンスキー劇場ではこの展覧会、
2016年6月15日という、
100年前の日本公演初日と同じ日に
御大ゲルギエフ自らも参加しその開会式が行われ、
翌日からは一般にも開放、
7月29日からはウラジオの「マリンスキー劇場・沿海州劇場」でも、
同じように開催されたとのこと。

ところが何故か日本では、
初日に一部マスコミとバレエ関係のライターやブロガーのみ招待し、
一般にはついに公開しないまま、
しかも期間のほとんどが年末年始で閉館していたという、
ほんとになんとも不思議な事とあいなった。


これは本来これより少し前に来日した、
プーチン大統領の手土産のひとつだったものの、
窓口が大使館になってしまったため、
こういう不可思議な公開になったのではという、
そういう推測がこのときでた。

実際どうなのだろう。


ただこれには劇場側はかなり不本意だったらしく、
仕切り直しで再公開したい意志を表明しているとのこと。

今年(2017)12月にはマリンスキーがゲルギエフと来日するので、
これを知ったらさぞや落胆してしまうことだろう。

どこかなんとかしてくれないものだろうか。


さて講義の内容はこの展覧会の全貌と、
その内容についてはかなり突っ込んだ内容を前半。

後半は百年前の公演についての、
当時の反響等からの考察という構成。

この公演そのものは、
いろいろと書籍にも掲載されており有名とのことで、
来日メンバーはダンサーとして、
エレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。
それにピアノのカルル・ヴァン・ブルフというもの。

特にスミルノワとロマノフは、
バレエ・リュスにも参加していたマリンスキーの花形。

ただ当時これは急遽決まったため、
1916年6月16日から18日という週末興行だったものの、
かつてのプロコフィエフの来日公演同様、
マチネ公演となってしまったためたいへん人の入りに苦労し、
(午後一時開演)
最終日は一部演目を入れ替えると新聞発表されたものの、
会場の帝国劇場の1/3ほどしか人が入らなかったと、
当時の証言が残っている。

もっともスミルノワ一行の待遇はとてもよかったらしく、
帝劇の関係者に三越ヘ買い物に連れて行ってもらったりしています。

またスミルノワ達は日本の踊りもいくつかこのとき覚えたらしく、
「隅田川」や「北洲」あたりを取り入れた舞踊を、
日本から帰国した後演じていたようです。


因みにこの公演には、
当時の本野一郎在ロシア日本大使あたりが関係しており、
日露が蜜月期だったことや、
大正天皇即位式にロシアの大公が出席した事等の関係で、
政治的なものによりこの来日が実現。


初日の公演内容は、
前半七曲の後休憩二十分。
そして後半十曲という内容で、
だいたい二時間くらいだったらしく、
三日間おそらくこの曲数に近いもので行われたと思われます。

このときいろいろと資料が配られましたが、
さすがにそれらすべてをupするのは拙いので、
その中から当時の初日と二日目共通と思われる、
日本語プログラムのみあげておきます。

jj3.jpg

最後に、
このときの模様を日本側から撮影していたらしく、
宮内庁にそのことを問い合わせしたものの、
お答えがこなかったとのこと。


宮内庁には以前、
バックハウスの宮内庁での演奏会の件で、
丁寧に対応していただいた記憶があるので、
かなり難しい件だったのだろうか。

このあたりもいつかは明確になってほしいところ。


とにかくいろいろと勉強になる濃密な三時間でした。





余談

この公演、
当時反響がほとんど無いまま終了したというのが定説で、
はたしてそれは本当なのかという考察もあった。

金~日の三日間。
最終日ホールの1/3しか入っていなかったという事を考えると、
これは完全に興行としては失敗という意見が出た。

ただ個人的には、
まだバレエ・リュスの情報が入り始めた頃とはいえ、
バレエそのものがまだまともに演じられたことのない日本で、
この頃の帝国劇場は約1900というキャパに、
その1/3、約600人くらいは来場していたということを思うと、
交通機関も今とは違う事から、
よくこれだけの人がむしろ観に来たという気もする。

しかもその中には音楽や舞踊関係だけでなく、
与謝野晶子や有島武郎、それに高田保も来場していたのだから、
狭い範囲なりにある程度話題のあった公演だったような気がする。

このあたりさらに研究されることだろう。


尚、1916年というとロシア革命の前年ということで、
来日としてはギリギリのタイミングといえたかもしれない。


宮沢賢治がボストン交響楽団の商業用初録音となる、
チャイコフスキーの交響曲のレコードを聴いて、
その内容に驚きクラシック音楽にのめっていくよりも前、
「いとう呉服店少年音楽隊」こそ結成されていたものの、
日本にまだ本格的交響楽団どころか、
洋楽の国内盤レコードすらまともに発売されていなかった、
そんな時代の話です。


「いとう呉服店少年音楽隊」
1911年に発足し後に東京フィルハーモニーへと発展する。
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井上道義指揮大阪フィルハーモニー東京公演に行く [クラシック百物語]

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(会場)東京芸術劇場
(座席3階K列21番
(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番 ト短調 「1905年」作品103
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番 ニ短調 「1917年」作品112


井上道義さんと大阪フィルのショスタコーヴィチを聴いた。

かつての日比谷公会堂での連続演奏会以来。

大阪で同プロを二回行い、
その後二日開けてのこの東京公演。

オケはそのためこの曲に対し、
ある程度慣れみたいものがあり、
それがいい意味で表情の練れとなってあらわれていたが、
オケの蓄積された疲弊は後半いろいろとあわれていた。

これだけのハードなプロを立て続けにやったのだから、
さすがにノーミスでやれというのは無理な話なので、
仕方ないといえば仕方ないのだろう。

やってるのはサンクトのフィルハーモニーでもなければ、
シカゴやベルリンのオーケストラでもないのだ。


前半の11番は抑制のきいた演奏で
第一楽章から弦を中心とした音楽の集中度が素晴らしい。

ただ井上さんのショスタコーヴィチは、
ラザレフのような劇場型でもなければ、
北原さんのように王宮広場での事件を、
聴き手にその現場に立たせ目撃者とさせることもない、

それはまるで圧倒的に巨大な壁画に、
細部までその顛末を、
そこにいる人間の阿鼻叫喚や嘆きと絶望を含め、
とことん心血注ぎ込み描き込んだかのような演奏となっていた。

これにより音楽に込められた情報もかなり濃密かつ圧倒的で、
聴き手に強い集中を結果強いることとなった。

このため演奏する方にとっても聴き手にとっても、
かなりタフな演奏会となったようだ。

その為劇的な部分では怒涛の如く大音響が当然ながらオケに要求され、
それはそれで聴き応えがあるにはあったが、
第三楽章の冒頭の低弦のピチカートの深い響きからはじまる、
その静謐な部分の音楽の方がさらに秀逸で、
強く心に刻み込まれるような強い求心力がそこには働いていた。

ショスタコーヴィチの音楽のある意味真髄のようなものが、
垣間見られたような気がするほどだった。

20分の休憩の後、後半の12番。

正直この曲は11番より力を入れっぱなしに近いものがあり、
金管を中心にオケにかなりきているものが感じられた。

しか井上さんの音楽の激しさは、
11番よりさらに強熱的なものがあり、
その押しては引くような感情の怒涛の大波が
凄まじいばかりに第一楽章から吹き荒れていた。

その後第二楽章にためにためたエネルギーが、
第三楽章を上り詰めて第四楽章で一気に爆発するあたりで、
井上さんはこの日の二つの交響曲分のまとめをするかのような、
きわめて強大なエネルギーを音楽に注ぎ込んでいた。

大阪フィルもそのため音は濁りミスもかなり散見されたが、
井上さんにしてみればノーミスのような綺麗ごとは二の次で、
むしろそういう部分を乗り越えて放出される、
感情のふり幅やエネルギーこそこの曲に必要であって、
そこに傷だらけになりながら、
それこそ足元もふらつきよろけながらも、
自分たちの信じる明るい未来を勝ち取った人たちの姿を、
そしてじつはその後に決してそれが明るい未来ではなかったことも、
すべて描き出すことができると考えていたような気がした。


それはかつて日比谷で井上さんが聴かせた、
あの13番における姿勢とどこか重なるものがあった。


圧倒的な輝かしい音楽で幕を閉じたかのように聴こえてはいたが、
その割に歓声等が意外に少なかったのは、
ただこの重量級のプロに疲れたというだけではなかったのではないか。

何かそんな感じが最後に気持ちのかたすみに残る演奏でした。



ただ自分とってこれほどの演奏であったにもかかわらず、
この演奏会の感銘はいまいちだった。


今回のホールと自分はどこで聴いても以前から相性は悪い。
なので一番安価な席で聴いていたけど、
その割にいいかんじで聴けたのはありがたかったものの、
相性の悪さは依然としてそのままだった。

できれば日比谷公会堂で聴きたかった。


ただそれ以上にまいったのは、
演奏中に前半後半関係なく間断なく続いたある「ついてない事」。


終演後井上さんのマイクがあったようだけど、
自分は拍手鳴りやまぬ早いうちに退席したのは、
疲れたというだけではない、

今回のこの「ついてない事」は、
自分がコンサートから一時遠ざかった要因のひとつだが、
これによりまたしばらく遠ざかることになりそうだ。

これは運もからんでいてもうどうしようもない、
むしろこれから増えていくことなのかもしれない。

それを思うと
自分にとってもう演奏会は来るべき所ではないのかもしれない。


もっともこれほどの演奏を聴けたのなら、
これを最後としても悔いはあまり残らないという気もするのですが…。


最後に。

クラシック音楽はここ十数年の間に、
井上さんやラザレフによって、
超弩級のショスタコーヴィチが数多く日本で演奏された。

他にもアレクセーエフや北原幸男さんによる演奏も素晴らしかった。

特に最初の二人は良好な録音が少なからずあるのが嬉しい。

今後これらの演奏は歴史的名演として、
その録音とともに長く語り継がれることになると思う。

それはかつてのヨッフム、チェリビダッケ、朝比奈、ヴァント、
さらにその他多くの指揮者によってブルックナーの名演が多く演奏された、
日本の二十世紀最後の十数年の時代のそれと同等といってもいいと思う。


伝説的名演もすべて今のその目の前にあるひとつの演奏会からはじまる。
そしてそれと真摯に対峙した人たちによって、
後世へと誠実に語り伝えられる事でその幕があがる。

そんなこともあらためて感じさせられたこの日の演奏会でした。

尚、今回の公演も録音されているということなので、
今後もある意味生きた記録として残されるのは本当にありがたいことです。

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飯守さん指揮の神奈川フィルの演奏会に行く。 [クラシック百物語]

飯守泰次郎指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団(2/18)
(会場)みなとみらい
(座席2階RE3列1番
(曲目)
ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93 
シューベルト/交響曲第8(9)番ハ長調D944「グレート」 


神奈川フィルの演奏会を久しぶりに聴く。

前回は2014年2/22の同じく飯守さんの指揮による、
ブルックナーの7番以来。

そのときの感想は以下にあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/54054871.html

正直言うと川瀬さんの体制になって、
好評と好演を連発しているという噂を聞いてなければ、
この演奏会にはきていなかったと思う。

川瀬さんは以前まだここの常任になる前に音楽堂で演奏した、
ハイドンの90番が強烈な印象として焼き付いていて、
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/53457390.html
そのせいかその後のそれはある程度予想していたとはいえ、
やはりとても気になっていた。


ただ個人的に、
ここ数年コンサートになかなか行ける感覚ではなかったこともあり、
予想通りその後コンサートそのものから遠ざかってしまったが、
幸い昨秋あたりから少し気持ち的に持ち直してきたこともあり、
今回聴きに行った次第。

公開練習でも感じたけど、
あきらかに神奈川フィルは今が最盛期といっていいくらい状態がいい。
シュナイト時代やその前後の時期にも感じたこのオケへの不満が、
もうほとんど感じられなくなっていた。

それどころか予想もしていないくらい、
このオケの長所をそのまま活かしながら、
力強く積極性に富んだ厚みのあるオケに変貌していた。


なのでこの日のコンサートはまさに「聴くべし!」状態だった。


飯守さんの指揮をいつ聴いても思うことに、
その音楽にいくつもの平行した美しいラインがあるように感じられることがある。

それがワーグナーやブルックナーではいくつもの波紋や風紋を描きながら、
美しい音楽をそこに展開していくのですが、
これがベートーヴェンやハイドンとなると、
これが独特の様式美へと転化されていくのが面白い。


今回のプロはまさにそれで、
飯守さんのこのあたりの曲へのスタンスがとてもよくわかる、
なかなか面白い選曲となっているようです。


ベートーヴェンの8番が初演されたころ、
シューベルトは二番目の交響曲に着手しており、
それから四年の間に五曲の交響曲を書き上げた、

だがそれからのシューベルトの交響曲創作は難航を極め、
あの「未完成交響曲」を含めて、
最低でも四曲の交響曲を未完のまま放棄した形となってしまった。

このためシューベルトの最後の十年間で完成された曲は、
べーと―ウェンの第九が初演された翌年から本格的に書き進められた、
このハ長調の第8番しかない。

それを思うと、
ベートーヴェンの交響曲第8番と、
シューベルトのこのハ長調を並べて聴くことは、
聴く人それぞれにいろいろと想起させられるものがある。


また今回のこの二曲がベートーヴェンの交響曲第7番同様、
リズムというものが大きなポイントになっている事も共通しており、
これも今回の飯守さんの演奏にも強くあらわれていた。


そんないろいろと考えさせられるプロだけど、
飯守さんのそれはとにかく一貫して強い音楽がそこには描かれていた。


前半のベートーヴェン。
確かに素晴らしく勢いのある出だしだけど、
どちらかという大きなメロディの塊を奔流のように押し出したかのようで、
きっちりとした古典的な演奏という感じはしなかった。

ところが繰り返しになって再度冒頭に戻った瞬間、
今度は音楽そのものが一段高い所まで立ち上がったかのような、
じつに力強い造形美を伴った音楽として鳴り響いた。

そのときこの交響曲には、
じつはこれだけの強さと大きさが込められていたということを、
あらためて感じさせられるものがあった。

もちろんそれだけではなく、
第三楽章のトリオにおけるチェロのソロと、
ホルンを中心とした木管の美しいコラボレーションなども素晴らしく、
この曲にはこれだけ多くのものが贅沢に詰め込まれているのかと、
とにかく飯守さんのこの演奏はこの曲の魅力をいろいろと再確認させられる、
本当に素晴らしい演奏でした。


そして後半のハ長調。

飯守さんらしい個性的な部分も散見されたけど、
とにかくこれほどタフで強靭な演奏というのも稀だろう。

反復も徹底的に行ったため、
その演奏時間は60分ほどになっていたと思う。

中低音とティバニーもしっかりと連動して強いパワーを生んでいたし、
この曲独特の執拗な繰り返しも、
どんどんエネルギーに変えて突き進んでいくような、
鈍重とは無縁な推進力を兼ねていた。


ただいちばん強く感じられたのは、
この曲がシューベルトの二十代半ばに書かれた作品であるということ。

確かにシューベルト最後の完成交響曲であり、
死の二年前の作品ではあるものの、
当時のシューベルトにまだ死は遠い存在であり、
むしろこの八長調の大交響曲を出発点として、
さらに自分の世界を押し進めていこうという、
そういう作曲者の意気込みと若さがこの演奏からは感じられた。


飯守さんはかつてブラームスの第四交響曲を、
ブラームスの年齢から考えて枯れた曲というより、
壮年期の活気と覇気の方が感じられる曲として演奏していたが、
この演奏を聴いていてそれをふと思い出した。

またこの曲を作曲中に、
おそらくベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の、
少なくとも12番と15番を、
シューベルトが耳にしたであろうことも、
何故かこの演奏を聴いていて、
この曲からなんとなく感じられるような気がした。


とにかく輝かしいくらいの若さ、
ベートーヴェンからの影響、
そしてロマン派との融合と、
とにかくこの演奏も前半のベートーヴェン同様、
これまたふんだんにいろいろと盛り込まれた贅沢な演奏だった。


またこの二つの曲の、
盛り沢山の要素を表出させた飯守さんによるタッチの強いタフな音楽を、
ここまで描きつくした神奈川フィルも素晴らしかった。


これで来季からのそれもまた実り多き名演の数々が生まれるだろう。

ほんとうにいい演奏会でした。

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「巨匠不在の時代」という大嘘。 [クラシック百物語]

2002年2月にギュンター・ヴァントが逝去したとき、
それを機会に多くの音楽ゴロが、

「最後の巨匠が逝った」
とか
「巨匠の時代は終わった」
そして
「巨匠不在の時代」
とほざきはじめ、
一部では今もそれを恥知らずに公言している輩がいる。


この時点では事実上引退していた人も含めると、、
クルト・ザンデルリンク、ペーター・マーク、フルネ、サヴァリッシュ、
ジュリーニ、コリン・デービス、プレートル、プーレーズ、スイトナー、
マゼール、アバド、マリナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、シュタイン
そしてカルロス・クライバーもいた時代だ。

もちろんこれに、スクロヴァチェフスキー、ブロムシュテット、
ハイティンク、インパル、ロジェストヴェンスキー、エリシュカ、
フェドセーエフ、メータ、プレヴィン、小澤、トゥルノフスキー、シュナイト、

という現在80才を超えた指揮者も当時活躍していたし、
その下の年齢の指揮者も群雄割拠していた時期だ。


それらすべてをひっくるめてまるで総否定したようなのこの物言い。

こんな信じがたい発言など本来は許されるべきものではない、
というか常識外れもはなはだしい。

だが当時はそれを一部音楽雑誌も追従していのだから、
情けないにもほどがあるこれは話だった。


だいたい巨匠というのはかなりいい加減な物言いで、
使う人によってその意味合いはコロコロ変わる。

だからその人その人によって、
巨匠がいたりいなかったりするのは当たり前なのだ。


だが2002年のヴァント逝去時のそれと、
その後ときおりみかける音楽ゴロの発言はそうではなく、
そういう部分をも完全無視したような、
それこそ「素晴らしい指揮者はもうこの世にいない」ことが
さも世界の理であるみたいな上から目線爆発なのだから、
これはもう傲慢というか始末が悪い。


しかもこの輩の発言は、
過去の「巨匠」たちの演奏の若かりし頃のものまで、
すべて今の指揮者より格上みたいな発言をしているときがある。


正直確かにそういう演奏も取るに足らないということはないが、
後々自分たちが巨匠と思い込むような指揮者になる前、
例えばもしこの録音時からすぐこの指揮者が亡くなっていたら、
それでもこれらの演奏を今の指揮者よりすぐれていると、
そう胸を張って彼らは断言できるのかといったらそれは絶対無い。


だいたい指揮者おいて「格」などというものなど、
絶体存在などしていないし、
だいたい定義できる代物ではない。
それは「巨匠」と同じであり、
言葉遊びのひとつくらいのお飾りでしかない。


それをそういうおかしなことに使うのだから
もうこれは救いがたいものがある。


個人レベルで「巨匠不在」を唱えるのは、
それはもう自由だしその人その人の考えだから、
それをネタにいくらくだをまいたっていいだろう。


だが一部音楽ゴロの戯言を、
そのまま一部音楽マスコミがそのまま掲載し、
それを利用しておもしろおかしく今を語るのは、
百害あって一利なしということだ。


こういうイメージ先行の飾り事を、
マスコミが増長し取り返しがつかなくなった例としては、
日本の一部に蔓延る偏狭なブルックナー感の存在があるけど、
この「巨匠不在」という広くねつ造されたイメージの流布も。
同様に取り返しのつかないものになる可能性もある。


幸いネットの普及は、
そういう馬鹿な物言いも広まる例があるにはあるものの、
それ以上にそういうことに対する素直な疑問、
そしてそういうことに惑わされない、
自分自身の考えをストレートに発信させたものの方が、
はるかに多いことがここ数年はうかがえる。


もちろんそれらを精査して上でも、
自分は「巨匠」はいないというのなら、
上記したようにそれはそれでいいだろうし、
個人レベルまでこちらも頭ごなしに否定しようという気は毛頭ない。


ただそれが「その方がおもしろい」とか、
たいして精査せず適当に広めようというそれには、
自分はそれを「大嘘」として言いきってしまう所存だ。


だいたい今の時代に真摯に向き合わず耳を傾けないものに、
「巨匠時代」といっていたベームやムラヴィンスキーが来日していたその当時も、
真摯にその時代にその音に正面から向き合っていたとはとても思えない。
おそらくその心の底には、

「これがフルトヴェングラーだったら」とか「クナッパーツブッシュだったら」

といって聴いていたことだろう。違うだろうか。



こういう決めつけ。

さぞや言われた方は嫌な思いをするだろう。


それと同じことを多くの人がしているということを、
その人が少しでも感じてもらえれば、
この一文を書いた甲斐があるというものです。


因みに自分は、
今ほど最高に面白く群雄割拠した指揮者が揃った時代というのも、
かなり珍しいとおもっている。

しかも全世代に渡ってまんべんなく、
その多くが録音や放送や配信、
さらには来日公演によってリアルタイムで楽しめるのだから、
これほど贅沢な時代はない。

確かにアジアツアーで日本を素通りしてしまうことも少なくないけど、
それらの指揮者やオーケストラもちゃんと日本に、
また違う機会に来日している。

こんな時代に時代遅れの価値観や世迷言に左右されて、
イージーに聴き逃すなどほんとうにもったいない。

あとで後悔してももう遅い。


これからも音楽と長い年月付き合っていこうという人は、
ぜひ今の時代の音楽を、
大事に真正面から色眼鏡なしに聴いていってほしい。


名演など演奏される前からは存在しない。

真摯に聴いた人たちがいたからこそ名演として心の中に刻まれ、
そしてそこから各々にとっての「巨匠」もうまれた。

よく言われる「伝説的名演」も同じだ。


それが無くなってしまったらどうなるか。

自分はそこの所を特に強く念押しで唱えたい。



かつてこんな会話を演奏会場で聴いた。


「ハーディングの演奏がよかったといったら、
バーンスタインのマーラーを聴かなければダメといわれた。
ハーディングのマーラーを聴いて感動しただけではなんでダメなの?」


確かこんな内容だったと思う。

この会話を皆さまはどう感じられるだろう。


最後に余談だけど以前も書いたことをひとつ。

オーケストラ・ニッポニカにある芥川也寸志氏の発言。


「感動と言うのは精神の風車を廻すことである。たとえば、私たち音楽を愛する者が楽器の技術は拙くとも練習に練習を重ねて、僕等の拙つたない精神の風車を廻す練習をし、ある作品を舞台で演奏すると、その廻る風車の風に吹かれて客席のみなさんの精神の風車も徐々に廻り始める。さび付いた風車も、普段から手入れの行き届いた風車も勢い良く廻り始める。これが感動と言うものだと思う。だから自分の風車をまず廻そう・・・」


その風車を故意に他者が錆びつかせたり、
横から止めてしまうのだけは絶対にやめてほしい。



うーん…しかしタイトルとラストの〆が完全に変わってしまった。
あいかわらずグダグダかつまとまりが無くてすみません。

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