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ラルフ・ヴォタペックの「ラプソディ・イン・ブルー」を聴く。 [クラシック百物語]

※以前書いたものに追加情報を後半に付加。


ラルフ・ヴォタペックというアメリカのベテランピアニストがいる。

知る人ぞ知る現役最高のガーシュウィンスペシャリストのひとりでもある。


彼が17才の時ミルウォーキーで、
ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の初演を指揮した、
あのポール・ホワイトマンと共演したということを以前書いたが、
最近その彼が弾いた「ラプソディ・イン・ブルー」を聴くことができた。

といってもこれは発売されているというものではなく、
ある方がアメリカの地方オケのライブ放送をいろいろ録音したものの中に、
偶然それが入っていたものを聴かせてもらったというのがそれ。

いろいろ調べてみるとどうもこれらしい。

LFS-SEPT2013-Concert-Poster.jpg
http://lakeforestsymphony.org/past-concerts/#OpeningGala=

Rhapsody+in+Blue.jpg
http://lakeforestsymphony.org/listen-and-learn/

レイク・フォレスト交響楽団の2013年シーズンのオープニングコンサート。

そのときの前半の二曲目に演奏されたようだ。

指揮はウラディーミル・クレノヴィッチ。
かつてクルト・マズアの助手をしていたようだが、
いろいろと苦労をした人らしい。


で、聴いた感想なのですが、
シーズンオープニングということで、
オケの管がやや粗かったり、
前半エンジンがなかなかかからなかったことや、
指揮者がこの曲に不慣れなのではないかという感じがあり、
そこの部分にややピアニストが気持ちをとられたような感があるためか、
多少のライブにつきもののキズ等はあるものの、
これは今まで聴いた同曲でもなかなかユニークなものとなっていた。


なんというのか場所によって、
ここはクラシック風、ここはジャズ風、
というように曲想によってかなり弾き分けているということだ。

これはガーシュウィンのこの当時のこういう曲を書く上で、
じつはまだまだいろいろなものが混在していたということを、
弾き方で表出させているようなはなはだユニークなものだった。


ただだからといって学究的なものにこの演奏がなっていたかというと、
じつは全然そうではなく、
なかなかな愉しい雰囲気なものに全体が満ちたものとなっている。

また細かいところの表情づけがなかなか粋なセンスがあり、
ちょっとお洒落な趣や、
ノスタルジックな哀愁感も備えたものとなっていた。


ヴォタペックはこの曲をとても得意にしているようですが、
子供の頃から好きだったのか、
それとも前述したホワイトマンとの共演がきっかけかは分かりませんが、
とにかくこれはいろんな意味でユニークで、
そしてこの曲のもつ今まで気づかなかった部分をいろいろと感じさせてくれる、
なかなかの聴きものとなっています。

ただこれを聴いていると、
そろそろ同曲をできればちゃんとした状況下での公式録音でしてほしいと、
強く感じさせられた次第です。

尚、この演奏、完全全曲版による演奏のようなのですが、
これは従来ほとんどの演奏で割愛されている、
ガーシュウィン自らがカットしてしまった二か所の欠落部を、
その自筆稿から復活させたというものだそうです。


そんな彼の同曲の演奏(2017)がネットにアップされた。
ggrv.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=ywkfS0zWAA8

これは前述した演奏とは違う。

バックのオケが一般高校生によるオケということだが、
けっこう頑張っていて好感が持てる。

そして肝心のヴォタペックの方ですが、
基本的なものは前述したものと変わらないが、
明らかに今回の方が調子がいい。

最初こそオケに合わそうと気を使っていたものの、
途中からエンジンがかかり絶妙な演奏が展開されていく。

特に中間のソロが以降が秀逸で、
この曲の数ある演奏の中でも屈指のものとなっている。

今の演奏の多くがカジュアルな演奏なのに対し、
こちらは背広をちょっと着崩して着たような、
ちょっと昔気質のさりげない粋な雰囲気の演奏で、
変にに媚びない清潔で明快、
そしてちょっと小粋なニュアンスも味わえるものとなっている。


それとこの演奏、
実際聴かれた方によると音がとにかく綺麗だったとか。
(それがこの録音から分からないのが残念とのこと)

やはり一度ぜひ日本で聴いてみたいものです。
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イシュトヴァン・ケルテスのこと [クラシック百物語]

イシュトヴァン・ケルテス
(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)

彼の名前を聴くとクラシックファンの多くは、
ウィーンフィルと1961年に録音した、
同オケへのデビュー録音となった、
あのドヴォルザークの「新世界より」を思い出すと思う。

dvo9.jpg

この録音は当時まだ三十代前半だった、
若き日の颯爽としたケルテスによる、
そのじつに爽快な演奏が話題となり、
未だにウィーンフィルの「新世界」の、
代表盤のひとつといわれるほどの評価を得ている。


だがケルテスのそれ以外の盤となると、
ケルテスのファン以外の人は、
一瞬考え込んでしまう人が多いと思う。

それは当時の、
そして今のケルテスの立ち位置によるところが大きい。


ケルテスは1929年生まれというから、
プレヴィン、ハイティンク、ドホナーニ、
さらにはアーノンクールあたりと同年齢で、
デッカで同時期に活躍していたマゼールよりひとつ年上、
ロンドン交響楽団で一緒に活躍していた、
コリン・デービスより二つ年下になる。

だが彼は不幸にして、
1973年4月に海で事故により亡くなった。

彼が上記した指揮者に比べ、
知名度が低い原因のひとつはこれだが、
正直に言うとじつはそれだけではない。


ケルテスはコダーイの門下だったが、
1956年に亡命し西側で活動を本格化させる。

デッカと契約した彼は、
ウィーンフィルとの「新世界」で絶賛される。

そしてロンドン交響楽団とも良好な関係を築き、
1964年に逝去したモントゥ―の後をつぎ、
同オケの首席指揮者に就任し、
1964年のロンドン響とのi二度目来日公演にも、
コリン・テービスとともに同行している。

このときは日本で、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
エルガー/序奏とアレグロ
モーツァルト/ホルン協奏曲第2番(バリー・タックウェル)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

コダーイ/ガランタ舞曲
ブリス/色彩交響曲(この曲のみ指揮/ブリス)
ブラームス/交響曲第1番

というプログラムを、
東京、名古屋、大阪で四公演指揮している。

だがここからが問題だった、
オーケストラとは良好な関係だったものの、
公演における聴衆が前任者ほど芳しくなかったとの理由もあり、
たった三シーズンで解雇されてしまった。

もうひとつ音楽監督をつとめていた、
ケルン歌劇場とは良好な状態だったにもかかわらず、
このメジャーオケでの「失敗」はいろいろとあったようで、
クリ―ヴランドでの楽員からの圧倒的な支持にもかかわらず、
セル亡き後定期会員の減少に苦しんでいた事務方には、
ロンドンで「失敗」したケルテスを選ぶ選択肢はなく、
オケは集客力のあるマゼールをベルリンからよんだ。

その後ケルテスは1973年に、
カイルベルト亡き後首席指揮者が空席だった、
バンベルク交響楽団のそれに就く予定だったが、
それは先の事故ではたせなかった。

だがバンベルクには悪いが、
やはりケルテスが都落ちしたという印象は否めない。

またロンドン響は彼と同い年のプレヴィンが就き、
ロンドン響とはその後10シーズン以上関係が続くこととなったのも、
ケルテスの評価にプラスにはならないものだった。

だがそんなケルテスにデッカもウィーンフィルも、
その関係を断つことはなかった。

それはおそらくこの指揮者の人柄と音楽性の賜物だろう。

ウィーンフィルはケルテスと「新世界」を録音した翌年には、
モーツァルトの33番と39番を、
さらに翌年にはシューベルトの「未完成」や「グレイト」、
それにモーツァルトの36番その他。
そして1964年にはブラームスの交響曲第2番を録音した。

このあたりのモーツァルトやブラームス
さらにはドヴォルザークあたりも、
カラヤンとの組み合わせによる、
交響曲集のような企画だったのかもしれないが、
このあたりの録音が後々ケルテスにとって伏線となっていく。

ウィーンとは1965年のモーツァルトのレクイエム以降
(これもカラヤンがウイーンを去った為に代行したのかも)
ロンドン響との仕事に集中したためウィーンとの録音が途絶えるが、
ロンドン響を辞した後、
デッカはウィーンフィルとの録音を開始する。

1970年に以前録音したシューベルトのそれがらみで、
交響曲全集の企画を立ち上げ4番と5番を録音、
そして翌年に残る1番から4番と6番を録音し、
ウィーンフィル初のシューベルト交響曲全集を完成させる。

これらは全集として日本でも1972年秋には発売されている。

71v2-uS3fuL__SY355_.jpg

さらにその1972年から今度は2番がすでに録音されているブラームスと、
やはり何曲か録音されているモーツァルトの、
その各々の他の交響曲の録音がはじまる。

1972年にブラームスの4番、
そしてモーツァルトの25.29.35.40番を11月に録音、
翌年の2月から3月にかけてはブラームスの1番と3番、
そして「ハイドン変奏曲」の終曲を除くすべてが録音された。

bra1.jpg

このころにはこれらの録音や、
ロンドン響との数々の録音によって、
ケルテスの名前や評価が、
以前よりもかなり上がっていたという。

ハイドン変奏曲の終曲のみが、
何故このとき録音されなかったのかは分からないが、
ここでいったんセッションはお開き、
これがウィーンフィルにとって、
この指揮者と最後の録音になるとは、
この時誰が想像しただろう。

ケルテスはイスラエルフィルに客演するためテルアビブに向かい、
そして公演は成功を収めたという。

事故はその直後におきた。

当時このニュースはかなり大きなものとなった。


ウィーンフィルが録音されなかった「ハイドン変奏曲」の終曲を、
5月に指揮者無しで録音したのは、
この指揮者への深い哀悼の意のあらわれだったのだろう。

これらの録音は翌年6月に日本でもセットとして発売となった。


だがケルテスの死後、
せっかく上がった名声が急速に静まっていくのを感じたのは、
自分だけではないだろう。

ウィーンフィルによる録音は、
その後アバド、クライバー、ベーム、バーンスタインが、
次々と数を重ねていった。

しかもそのレパートリーのいくつかは、
ケルテスのそれとかぶるものが多く、
ブラームスの全集もベームやバーンスタインが、
モーツァルトの数曲もベームやレヴァイン、
同じくシューベルトもベームやクライバーによって、
曲目がかぶらないものであっても、
次第に忘れられてしまうようになっていった。

また他の録音も、
他の指揮者や団体の録音が増えるにつれ、
次第に脇へと追いやられていくようになった。

さらに彼が亡くなった1973年というのが、
指揮者が多く亡くなった年というのも不幸だった。

クレッキ、ホーレンシュタイン、クレンペラー、
イッセルシュテット、アンチェル、近衛秀麿、
他にも合唱指揮者のクルト・トーマス、
そしてシゲティ、カザルス、ブルーノ・マデルナも、
みなこの年に亡くなられたため、
ケルテスのニュースが永く目立つということがなかった。


そして年月が経ち、
いつの間にかウィーンフィルとの「新世界」くらいしか、
国内盤はみかけない時期すらあった。

この頃にはケルテスは、
早くして亡くなった中堅指揮者という、
そんな地味なイメージになっていた。

そしてそれは今でもあまり変わってはいないと思う。

とても残念な話です。


だがそんなケルテスの録音を、
今あらためて聴いみると、
驚く程不出来なものがなく、
またオケのモチベーションが高いことが伺える。

ロンドン響とのものもそうだけど、
ウィーンフィルがこれほど出来不出来なく、
全力を傾注した演奏を、
ひとりの指揮者でこれほど残しているのも特筆すべき事だろう。

フラームスは四曲とも、
かなりの水準の出来となっている。

一部であまり評判のよくない一番も、
自分には外連味なく真っ向勝負でいった潔さと、
それだけではない詩的な美しさも大事にした名演に聴こえる。

他の三曲は、
一番よりもさらに気合の入った劇的な表現で切り込んでいて、
しかもそれが空回りしていない。

これだけ熱気と推進力を持ちながら、
地面にしっかりと足をつけている演奏というのも珍しい。

これはシューベルトの全集にもいえるが、
こちらは曲のせいもあるけど、
より小回りとキレのいい、
しかもパンチが随所に効いた見事な演奏となっている。

シューベルトの4番や6番など、
これほど音楽と指揮者が一体化した演奏となると、
もうどうこう言うレベルのものではないと思う。

しかもそれらが、
ときおりピリオド系の演奏を先取りしているかのような、
そんな趣もたたえているせいか、
今聴いてもまったく古さを感じさせないものがある。

この時代を超越して、
古さを感じさせないのもケルテスの特長のひとつ。

これはロンドン響とのドヴォルザークやコダーイにもいえる。

61Nbs0P34cL.jpg
dvos.jpg

そしてこれを当時のウィーンフィルとやったことも、
指揮者を選り好みするオケというだけでなく、
60年代から70年代というと、
ボスコフスキー、ヴェラー、ヘッツェルと、
とんでもないコンマスがいたウィーンフィルだけに、
また凄い事だといえるだろう。

因みに1973年の3月から4月にかけで、
ケルテスが最後の録音をした直後のウィーンフィルが、
日本で公演を行っている。

指揮はこれが初来日だったアバド。

もしこれがケルテスだったら、
この公演どんな評価になっていただろう。

また彼があと十年から二十年健在だったら、
彼の経歴はその後どうなり、
またどのような録音が遺されていったのか、
今考えるとほんとうに残念でならない。

また日本にも何度も来日してくれていただろうし、
バンベルク響だけでなく、
本当にウィーンフィルとも来日していたかもしれない。

そうなれば日本でのそれも、
また違ったものになっていただろう。

またもっと長生きしていれば、
ひょっとするとデュトワやベルティーニのように、
日本のオケのどこかにポストとして収まっていたかもしれない。

実際彼が客演した日本フィルでは、
ケルテスの評価は極めて高く、
そんな話があったらどこのオケも大歓迎だったろう。


だがそれはみな夢のまた夢。

今は遺された録音がすべて。

できればケルテスの録音が忘れられることなく、
末永く多くの人たちに聴き継がれる事を願いたい。


因みにケルテスが日本フィルに客演したのは、
1968年の5月でこれが再来日にして最後の来日。

当初はロンドン響との来日予定だったのが、
不況等の影響でロンドン響のラ推日が中止になったため
ケルテス単独での来日となったとのこと。


演奏されたのは二種類のプログラムで、

ベートーヴェン/エグモント、序曲
バルトーク/管弦楽のための協奏曲
ベートーヴェン/交響曲第7番

コダーイ/ハーリ・ヤーノシュ、組曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(ロベール・カサドシュ)
ドボルザーク/交響曲第9番

前者の公演は映像として残っており、
現在もDVDで発売されている。

そしてこれからほどなくして、
ケルテスはロンドン交響楽団を去ってしまう。



因みに余談だが、
ケルテスがあと十年以上健在だったら
こんな音楽を奏でていたのではないかと、
個人的に思う録音がひとつある。

それは

モーツァルトの三つの行進曲より第1番ハ長調K.408の1。

00028947859284.jpg

1963年の11月という、
ケルテスとしては早い時期の録音だが、
その堂々とした風格と音楽の充実感と密度がすばらしい。

ウィーンフィルもこの録音の三年前の、
あのクナッパーツブッシュの「軍隊行新曲」を思わせるような、
そんな輝かしいベストの出来を示している。

この数分の小曲ひとつに、
ケルテスの未来が詰まっていると言っても過言ではないものがある。

ぜひひとりでも多くの方に聴いてほしい演奏です。



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「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」を聞く。 [クラシック百物語]

「ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》」

1916(大正5)年6月16日から三日間、東京の帝国劇場で初の「露國舞踊」公演が催されました。出演者はエレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。ピアノ伴奏による小規模な催しでしたが、彼らはペテルブルグの帝室劇場(マリインスキー劇場)バレエ団の正団員であり、このときチャイコフスキーの《白鳥の湖》の一部(「二人舞踏」すなわちパ・ド・ドゥー)や、サン=サーンスの《瀕死の白鳥》などが初めて踊られた意義は、日本バレエ史に特筆すべきものといえましょう。

 昨年の12月26日、この初来日公演100周年を記念する重要な展覧会「純粋なる芸術」が東京・狸穴のロシア大使館で開催されました。新発見の史料をふんだんに用いた展示は、マリインスキー劇場の現総裁・芸術監督ワレリー・ゲルギエフの肝煎りでまずペテルブルグ、次いでウラジオストクで公開され、最終的に東京へ巡回したものです。当日は数十名のバレエ関係者を招いた内覧会が開かれ、その様子はNHKのTVニュースでも報道されました。にもかかわらず、その後ロシア大使館は「ここは美術館ではない」との理由から展示を一般公開せず、観覧依頼や問い合わせにも応じなかったため、この貴重な展覧会は、バレエ史の専門家を含め、ほとんど誰の目にも触れずに幻のまま幕を閉じました。残念というほかありません。

 そこで今回の桑野塾では、ロシア大使館側とかけあって、この展覧会を30分間だけ観る機会を得たという沼辺信一氏に、展示内容とそこから明らかになった新事実、さらには来日公演を観た100年前の日本人たち(大田黒元雄、山田耕筰、石井漠、与謝野晶子、有島武郎ら)の反応について、詳しく報告してもらいます。

http://deracine.fool.jp/kuwanojuku/

という内容で沼辺 信一さんの講義を聞く。

以前沼辺さんの

「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」

を聞いてその情報量の多さに度肝を抜かれたが、
今回もあっという間の三時間。

濃密すぎてはたしてここに書いていいのかどうか迷う事がほとんどで、
さてどうしたものかと困るほど。


ただ今回いちばんここに書きたいこととして、
この展覧会が日本のみ異常な形での公開だったという事。

地元マリンスキー劇場ではこの展覧会、
2016年6月15日という、
100年前の日本公演初日と同じ日に
御大ゲルギエフ自らも参加しその開会式が行われ、
翌日からは一般にも開放、
7月29日からはウラジオの「マリンスキー劇場・沿海州劇場」でも、
同じように開催されたとのこと。

ところが何故か日本では、
初日に一部マスコミとバレエ関係のライターやブロガーのみ招待し、
一般にはついに公開しないまま、
しかも期間のほとんどが年末年始で閉館していたという、
ほんとになんとも不思議な事とあいなった。


これは本来これより少し前に来日した、
プーチン大統領の手土産のひとつだったものの、
窓口が大使館になってしまったため、
こういう不可思議な公開になったのではという、
そういう推測がこのときでた。

実際どうなのだろう。


ただこれには劇場側はかなり不本意だったらしく、
仕切り直しで再公開したい意志を表明しているとのこと。

今年(2017)12月にはマリンスキーがゲルギエフと来日するので、
これを知ったらさぞや落胆してしまうことだろう。

どこかなんとかしてくれないものだろうか。


さて講義の内容はこの展覧会の全貌と、
その内容についてはかなり突っ込んだ内容を前半。

後半は百年前の公演についての、
当時の反響等からの考察という構成。

この公演そのものは、
いろいろと書籍にも掲載されており有名とのことで、
来日メンバーはダンサーとして、
エレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。
それにピアノのカルル・ヴァン・ブルフというもの。

特にスミルノワとロマノフは、
バレエ・リュスにも参加していたマリンスキーの花形。

ただ当時これは急遽決まったため、
1916年6月16日から18日という週末興行だったものの、
かつてのプロコフィエフの来日公演同様、
マチネ公演となってしまったためたいへん人の入りに苦労し、
(午後一時開演)
最終日は一部演目を入れ替えると新聞発表されたものの、
会場の帝国劇場の1/3ほどしか人が入らなかったと、
当時の証言が残っている。

もっともスミルノワ一行の待遇はとてもよかったらしく、
帝劇の関係者に三越ヘ買い物に連れて行ってもらったりしています。

またスミルノワ達は日本の踊りもいくつかこのとき覚えたらしく、
「隅田川」や「北洲」あたりを取り入れた舞踊を、
日本から帰国した後演じていたようです。


因みにこの公演には、
当時の本野一郎在ロシア日本大使あたりが関係しており、
日露が蜜月期だったことや、
大正天皇即位式にロシアの大公が出席した事等の関係で、
政治的なものによりこの来日が実現。


初日の公演内容は、
前半七曲の後休憩二十分。
そして後半十曲という内容で、
だいたい二時間くらいだったらしく、
三日間おそらくこの曲数に近いもので行われたと思われます。

このときいろいろと資料が配られましたが、
さすがにそれらすべてをupするのは拙いので、
その中から当時の初日と二日目共通と思われる、
日本語プログラムのみあげておきます。

jj3.jpg

最後に、
このときの模様を日本側から撮影していたらしく、
宮内庁にそのことを問い合わせしたものの、
お答えがこなかったとのこと。


宮内庁には以前、
バックハウスの宮内庁での演奏会の件で、
丁寧に対応していただいた記憶があるので、
かなり難しい件だったのだろうか。

このあたりもいつかは明確になってほしいところ。


とにかくいろいろと勉強になる濃密な三時間でした。





余談

この公演、
当時反響がほとんど無いまま終了したというのが定説で、
はたしてそれは本当なのかという考察もあった。

金~日の三日間。
最終日ホールの1/3しか入っていなかったという事を考えると、
これは完全に興行としては失敗という意見が出た。

ただ個人的には、
まだバレエ・リュスの情報が入り始めた頃とはいえ、
バレエそのものがまだまともに演じられたことのない日本で、
この頃の帝国劇場は約1900というキャパに、
その1/3、約600人くらいは来場していたということを思うと、
交通機関も今とは違う事から、
よくこれだけの人がむしろ観に来たという気もする。

しかもその中には音楽や舞踊関係だけでなく、
与謝野晶子や有島武郎、それに高田保も来場していたのだから、
狭い範囲なりにある程度話題のあった公演だったような気がする。

このあたりさらに研究されることだろう。


尚、1916年というとロシア革命の前年ということで、
来日としてはギリギリのタイミングといえたかもしれない。


宮沢賢治がボストン交響楽団の商業用初録音となる、
チャイコフスキーの交響曲のレコードを聴いて、
その内容に驚きクラシック音楽にのめっていくよりも前、
「いとう呉服店少年音楽隊」こそ結成されていたものの、
日本にまだ本格的交響楽団どころか、
洋楽の国内盤レコードすらまともに発売されていなかった、
そんな時代の話です。


「いとう呉服店少年音楽隊」
1911年に発足し後に東京フィルハーモニーへと発展する。
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井上道義指揮大阪フィルハーモニー東京公演に行く [クラシック百物語]

20170222.jpg

(会場)東京芸術劇場
(座席3階K列21番
(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番 ト短調 「1905年」作品103
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番 ニ短調 「1917年」作品112


井上道義さんと大阪フィルのショスタコーヴィチを聴いた。

かつての日比谷公会堂での連続演奏会以来。

大阪で同プロを二回行い、
その後二日開けてのこの東京公演。

オケはそのためこの曲に対し、
ある程度慣れみたいものがあり、
それがいい意味で表情の練れとなってあらわれていたが、
オケの蓄積された疲弊は後半いろいろとあわれていた。

これだけのハードなプロを立て続けにやったのだから、
さすがにノーミスでやれというのは無理な話なので、
仕方ないといえば仕方ないのだろう。

やってるのはサンクトのフィルハーモニーでもなければ、
シカゴやベルリンのオーケストラでもないのだ。


前半の11番は抑制のきいた演奏で
第一楽章から弦を中心とした音楽の集中度が素晴らしい。

ただ井上さんのショスタコーヴィチは、
ラザレフのような劇場型でもなければ、
北原さんのように王宮広場での事件を、
聴き手にその現場に立たせ目撃者とさせることもない、

それはまるで圧倒的に巨大な壁画に、
細部までその顛末を、
そこにいる人間の阿鼻叫喚や嘆きと絶望を含め、
とことん心血注ぎ込み描き込んだかのような演奏となっていた。

これにより音楽に込められた情報もかなり濃密かつ圧倒的で、
聴き手に強い集中を結果強いることとなった。

このため演奏する方にとっても聴き手にとっても、
かなりタフな演奏会となったようだ。

その為劇的な部分では怒涛の如く大音響が当然ながらオケに要求され、
それはそれで聴き応えがあるにはあったが、
第三楽章の冒頭の低弦のピチカートの深い響きからはじまる、
その静謐な部分の音楽の方がさらに秀逸で、
強く心に刻み込まれるような強い求心力がそこには働いていた。

ショスタコーヴィチの音楽のある意味真髄のようなものが、
垣間見られたような気がするほどだった。

20分の休憩の後、後半の12番。

正直この曲は11番より力を入れっぱなしに近いものがあり、
金管を中心にオケにかなりきているものが感じられた。

しか井上さんの音楽の激しさは、
11番よりさらに強熱的なものがあり、
その押しては引くような感情の怒涛の大波が
凄まじいばかりに第一楽章から吹き荒れていた。

その後第二楽章にためにためたエネルギーが、
第三楽章を上り詰めて第四楽章で一気に爆発するあたりで、
井上さんはこの日の二つの交響曲分のまとめをするかのような、
きわめて強大なエネルギーを音楽に注ぎ込んでいた。

大阪フィルもそのため音は濁りミスもかなり散見されたが、
井上さんにしてみればノーミスのような綺麗ごとは二の次で、
むしろそういう部分を乗り越えて放出される、
感情のふり幅やエネルギーこそこの曲に必要であって、
そこに傷だらけになりながら、
それこそ足元もふらつきよろけながらも、
自分たちの信じる明るい未来を勝ち取った人たちの姿を、
そしてじつはその後に決してそれが明るい未来ではなかったことも、
すべて描き出すことができると考えていたような気がした。


それはかつて日比谷で井上さんが聴かせた、
あの13番における姿勢とどこか重なるものがあった。


圧倒的な輝かしい音楽で幕を閉じたかのように聴こえてはいたが、
その割に歓声等が意外に少なかったのは、
ただこの重量級のプロに疲れたというだけではなかったのではないか。

何かそんな感じが最後に気持ちのかたすみに残る演奏でした。



ただ自分とってこれほどの演奏であったにもかかわらず、
この演奏会の感銘はいまいちだった。


今回のホールと自分はどこで聴いても以前から相性は悪い。
なので一番安価な席で聴いていたけど、
その割にいいかんじで聴けたのはありがたかったものの、
相性の悪さは依然としてそのままだった。

できれば日比谷公会堂で聴きたかった。


ただそれ以上にまいったのは、
演奏中に前半後半関係なく間断なく続いたある「ついてない事」。


終演後井上さんのマイクがあったようだけど、
自分は拍手鳴りやまぬ早いうちに退席したのは、
疲れたというだけではない、

今回のこの「ついてない事」は、
自分がコンサートから一時遠ざかった要因のひとつだが、
これによりまたしばらく遠ざかることになりそうだ。

これは運もからんでいてもうどうしようもない、
むしろこれから増えていくことなのかもしれない。

それを思うと
自分にとってもう演奏会は来るべき所ではないのかもしれない。


もっともこれほどの演奏を聴けたのなら、
これを最後としても悔いはあまり残らないという気もするのですが…。


最後に。

クラシック音楽はここ十数年の間に、
井上さんやラザレフによって、
超弩級のショスタコーヴィチが数多く日本で演奏された。

他にもアレクセーエフや北原幸男さんによる演奏も素晴らしかった。

特に最初の二人は良好な録音が少なからずあるのが嬉しい。

今後これらの演奏は歴史的名演として、
その録音とともに長く語り継がれることになると思う。

それはかつてのヨッフム、チェリビダッケ、朝比奈、ヴァント、
さらにその他多くの指揮者によってブルックナーの名演が多く演奏された、
日本の二十世紀最後の十数年の時代のそれと同等といってもいいと思う。


伝説的名演もすべて今のその目の前にあるひとつの演奏会からはじまる。
そしてそれと真摯に対峙した人たちによって、
後世へと誠実に語り伝えられる事でその幕があがる。

そんなこともあらためて感じさせられたこの日の演奏会でした。

尚、今回の公演も録音されているということなので、
今後もある意味生きた記録として残されるのは本当にありがたいことです。

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飯守さん指揮の神奈川フィルの演奏会に行く。 [クラシック百物語]

飯守泰次郎指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団(2/18)
(会場)みなとみらい
(座席2階RE3列1番
(曲目)
ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93 
シューベルト/交響曲第8(9)番ハ長調D944「グレート」 


神奈川フィルの演奏会を久しぶりに聴く。

前回は2014年2/22の同じく飯守さんの指揮による、
ブルックナーの7番以来。

そのときの感想は以下にあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/54054871.html

正直言うと川瀬さんの体制になって、
好評と好演を連発しているという噂を聞いてなければ、
この演奏会にはきていなかったと思う。

川瀬さんは以前まだここの常任になる前に音楽堂で演奏した、
ハイドンの90番が強烈な印象として焼き付いていて、
http://blogs.yahoo.co.jp/orch1973/53457390.html
そのせいかその後のそれはある程度予想していたとはいえ、
やはりとても気になっていた。


ただ個人的に、
ここ数年コンサートになかなか行ける感覚ではなかったこともあり、
予想通りその後コンサートそのものから遠ざかってしまったが、
幸い昨秋あたりから少し気持ち的に持ち直してきたこともあり、
今回聴きに行った次第。

公開練習でも感じたけど、
あきらかに神奈川フィルは今が最盛期といっていいくらい状態がいい。
シュナイト時代やその前後の時期にも感じたこのオケへの不満が、
もうほとんど感じられなくなっていた。

それどころか予想もしていないくらい、
このオケの長所をそのまま活かしながら、
力強く積極性に富んだ厚みのあるオケに変貌していた。


なのでこの日のコンサートはまさに「聴くべし!」状態だった。


飯守さんの指揮をいつ聴いても思うことに、
その音楽にいくつもの平行した美しいラインがあるように感じられることがある。

それがワーグナーやブルックナーではいくつもの波紋や風紋を描きながら、
美しい音楽をそこに展開していくのですが、
これがベートーヴェンやハイドンとなると、
これが独特の様式美へと転化されていくのが面白い。


今回のプロはまさにそれで、
飯守さんのこのあたりの曲へのスタンスがとてもよくわかる、
なかなか面白い選曲となっているようです。


ベートーヴェンの8番が初演されたころ、
シューベルトは二番目の交響曲に着手しており、
それから四年の間に五曲の交響曲を書き上げた、

だがそれからのシューベルトの交響曲創作は難航を極め、
あの「未完成交響曲」を含めて、
最低でも四曲の交響曲を未完のまま放棄した形となってしまった。

このためシューベルトの最後の十年間で完成された曲は、
べーと―ウェンの第九が初演された翌年から本格的に書き進められた、
このハ長調の第8番しかない。

それを思うと、
ベートーヴェンの交響曲第8番と、
シューベルトのこのハ長調を並べて聴くことは、
聴く人それぞれにいろいろと想起させられるものがある。


また今回のこの二曲がベートーヴェンの交響曲第7番同様、
リズムというものが大きなポイントになっている事も共通しており、
これも今回の飯守さんの演奏にも強くあらわれていた。


そんないろいろと考えさせられるプロだけど、
飯守さんのそれはとにかく一貫して強い音楽がそこには描かれていた。


前半のベートーヴェン。
確かに素晴らしく勢いのある出だしだけど、
どちらかという大きなメロディの塊を奔流のように押し出したかのようで、
きっちりとした古典的な演奏という感じはしなかった。

ところが繰り返しになって再度冒頭に戻った瞬間、
今度は音楽そのものが一段高い所まで立ち上がったかのような、
じつに力強い造形美を伴った音楽として鳴り響いた。

そのときこの交響曲には、
じつはこれだけの強さと大きさが込められていたということを、
あらためて感じさせられるものがあった。

もちろんそれだけではなく、
第三楽章のトリオにおけるチェロのソロと、
ホルンを中心とした木管の美しいコラボレーションなども素晴らしく、
この曲にはこれだけ多くのものが贅沢に詰め込まれているのかと、
とにかく飯守さんのこの演奏はこの曲の魅力をいろいろと再確認させられる、
本当に素晴らしい演奏でした。


そして後半のハ長調。

飯守さんらしい個性的な部分も散見されたけど、
とにかくこれほどタフで強靭な演奏というのも稀だろう。

反復も徹底的に行ったため、
その演奏時間は60分ほどになっていたと思う。

中低音とティバニーもしっかりと連動して強いパワーを生んでいたし、
この曲独特の執拗な繰り返しも、
どんどんエネルギーに変えて突き進んでいくような、
鈍重とは無縁な推進力を兼ねていた。


ただいちばん強く感じられたのは、
この曲がシューベルトの二十代半ばに書かれた作品であるということ。

確かにシューベルト最後の完成交響曲であり、
死の二年前の作品ではあるものの、
当時のシューベルトにまだ死は遠い存在であり、
むしろこの八長調の大交響曲を出発点として、
さらに自分の世界を押し進めていこうという、
そういう作曲者の意気込みと若さがこの演奏からは感じられた。


飯守さんはかつてブラームスの第四交響曲を、
ブラームスの年齢から考えて枯れた曲というより、
壮年期の活気と覇気の方が感じられる曲として演奏していたが、
この演奏を聴いていてそれをふと思い出した。

またこの曲を作曲中に、
おそらくベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の、
少なくとも12番と15番を、
シューベルトが耳にしたであろうことも、
何故かこの演奏を聴いていて、
この曲からなんとなく感じられるような気がした。


とにかく輝かしいくらいの若さ、
ベートーヴェンからの影響、
そしてロマン派との融合と、
とにかくこの演奏も前半のベートーヴェン同様、
これまたふんだんにいろいろと盛り込まれた贅沢な演奏だった。


またこの二つの曲の、
盛り沢山の要素を表出させた飯守さんによるタッチの強いタフな音楽を、
ここまで描きつくした神奈川フィルも素晴らしかった。


これで来季からのそれもまた実り多き名演の数々が生まれるだろう。

ほんとうにいい演奏会でした。

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「巨匠不在の時代」という大嘘。 [クラシック百物語]

2002年2月にギュンター・ヴァントが逝去したとき、
それを機会に多くの音楽ゴロが、

「最後の巨匠が逝った」
とか
「巨匠の時代は終わった」
そして
「巨匠不在の時代」
とほざきはじめ、
一部では今もそれを恥知らずに公言している輩がいる。


この時点では事実上引退していた人も含めると、、
クルト・ザンデルリンク、ペーター・マーク、フルネ、サヴァリッシュ、
ジュリーニ、コリン・デービス、プレートル、プーレーズ、スイトナー、
マゼール、アバド、マリナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、シュタイン
そしてカルロス・クライバーもいた時代だ。

もちろんこれに、スクロヴァチェフスキー、ブロムシュテット、
ハイティンク、インパル、ロジェストヴェンスキー、エリシュカ、
フェドセーエフ、メータ、プレヴィン、小澤、トゥルノフスキー、シュナイト、

という現在80才を超えた指揮者も当時活躍していたし、
その下の年齢の指揮者も群雄割拠していた時期だ。


それらすべてをひっくるめてまるで総否定したようなのこの物言い。

こんな信じがたい発言など本来は許されるべきものではない、
というか常識外れもはなはだしい。

だが当時はそれを一部音楽雑誌も追従していのだから、
情けないにもほどがあるこれは話だった。


だいたい巨匠というのはかなりいい加減な物言いで、
使う人によってその意味合いはコロコロ変わる。

だからその人その人によって、
巨匠がいたりいなかったりするのは当たり前なのだ。


だが2002年のヴァント逝去時のそれと、
その後ときおりみかける音楽ゴロの発言はそうではなく、
そういう部分をも完全無視したような、
それこそ「素晴らしい指揮者はもうこの世にいない」ことが
さも世界の理であるみたいな上から目線爆発なのだから、
これはもう傲慢というか始末が悪い。


しかもこの輩の発言は、
過去の「巨匠」たちの演奏の若かりし頃のものまで、
すべて今の指揮者より格上みたいな発言をしているときがある。


正直確かにそういう演奏も取るに足らないということはないが、
後々自分たちが巨匠と思い込むような指揮者になる前、
例えばもしこの録音時からすぐこの指揮者が亡くなっていたら、
それでもこれらの演奏を今の指揮者よりすぐれていると、
そう胸を張って彼らは断言できるのかといったらそれは絶対無い。


だいたい指揮者おいて「格」などというものなど、
絶体存在などしていないし、
だいたい定義できる代物ではない。
それは「巨匠」と同じであり、
言葉遊びのひとつくらいのお飾りでしかない。


それをそういうおかしなことに使うのだから
もうこれは救いがたいものがある。


個人レベルで「巨匠不在」を唱えるのは、
それはもう自由だしその人その人の考えだから、
それをネタにいくらくだをまいたっていいだろう。


だが一部音楽ゴロの戯言を、
そのまま一部音楽マスコミがそのまま掲載し、
それを利用しておもしろおかしく今を語るのは、
百害あって一利なしということだ。


こういうイメージ先行の飾り事を、
マスコミが増長し取り返しがつかなくなった例としては、
日本の一部に蔓延る偏狭なブルックナー感の存在があるけど、
この「巨匠不在」という広くねつ造されたイメージの流布も。
同様に取り返しのつかないものになる可能性もある。


幸いネットの普及は、
そういう馬鹿な物言いも広まる例があるにはあるものの、
それ以上にそういうことに対する素直な疑問、
そしてそういうことに惑わされない、
自分自身の考えをストレートに発信させたものの方が、
はるかに多いことがここ数年はうかがえる。


もちろんそれらを精査して上でも、
自分は「巨匠」はいないというのなら、
上記したようにそれはそれでいいだろうし、
個人レベルまでこちらも頭ごなしに否定しようという気は毛頭ない。


ただそれが「その方がおもしろい」とか、
たいして精査せず適当に広めようというそれには、
自分はそれを「大嘘」として言いきってしまう所存だ。


だいたい今の時代に真摯に向き合わず耳を傾けないものに、
「巨匠時代」といっていたベームやムラヴィンスキーが来日していたその当時も、
真摯にその時代にその音に正面から向き合っていたとはとても思えない。
おそらくその心の底には、

「これがフルトヴェングラーだったら」とか「クナッパーツブッシュだったら」

といって聴いていたことだろう。違うだろうか。



こういう決めつけ。

さぞや言われた方は嫌な思いをするだろう。


それと同じことを多くの人がしているということを、
その人が少しでも感じてもらえれば、
この一文を書いた甲斐があるというものです。


因みに自分は、
今ほど最高に面白く群雄割拠した指揮者が揃った時代というのも、
かなり珍しいとおもっている。

しかも全世代に渡ってまんべんなく、
その多くが録音や放送や配信、
さらには来日公演によってリアルタイムで楽しめるのだから、
これほど贅沢な時代はない。

確かにアジアツアーで日本を素通りしてしまうことも少なくないけど、
それらの指揮者やオーケストラもちゃんと日本に、
また違う機会に来日している。

こんな時代に時代遅れの価値観や世迷言に左右されて、
イージーに聴き逃すなどほんとうにもったいない。

あとで後悔してももう遅い。


これからも音楽と長い年月付き合っていこうという人は、
ぜひ今の時代の音楽を、
大事に真正面から色眼鏡なしに聴いていってほしい。


名演など演奏される前からは存在しない。

真摯に聴いた人たちがいたからこそ名演として心の中に刻まれ、
そしてそこから各々にとっての「巨匠」もうまれた。

よく言われる「伝説的名演」も同じだ。


それが無くなってしまったらどうなるか。

自分はそこの所を特に強く念押しで唱えたい。



かつてこんな会話を演奏会場で聴いた。


「ハーディングの演奏がよかったといったら、
バーンスタインのマーラーを聴かなければダメといわれた。
ハーディングのマーラーを聴いて感動しただけではなんでダメなの?」


確かこんな内容だったと思う。

この会話を皆さまはどう感じられるだろう。


最後に余談だけど以前も書いたことをひとつ。

オーケストラ・ニッポニカにある芥川也寸志氏の発言。


「感動と言うのは精神の風車を廻すことである。たとえば、私たち音楽を愛する者が楽器の技術は拙くとも練習に練習を重ねて、僕等の拙つたない精神の風車を廻す練習をし、ある作品を舞台で演奏すると、その廻る風車の風に吹かれて客席のみなさんの精神の風車も徐々に廻り始める。さび付いた風車も、普段から手入れの行き届いた風車も勢い良く廻り始める。これが感動と言うものだと思う。だから自分の風車をまず廻そう・・・」


その風車を故意に他者が錆びつかせたり、
横から止めてしまうのだけは絶対にやめてほしい。



うーん…しかしタイトルとラストの〆が完全に変わってしまった。
あいかわらずグダグダかつまとまりが無くてすみません。

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新日本フィル・ニューイヤー・コンサートに行く。 [クラシック百物語]

原田慶太楼指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
(ニューイヤー・コンサート 2017)

1.3(火) 14:00 開演/すみだトリフォニーホール

J.シュトラウスⅡ:喜歌劇『こうもり』序曲
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル『雷鳴と電光』
J.シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ
J.シュトラウスⅡ:新ピッツィカート・ポルカ
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル『観光列車』
J.シュトラウスⅡ:ワルツ『美しく青きドナウ』
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇『ジプシー男爵』序曲
アッペルモント:トロンボーンのための『カラーズ』(オーケストラ版)
※トロンボーン山口尚人(新日本フィル 副首席トロンボーン奏者)
外山雄三:管弦楽のためのラプソディー

司会/田添菜穂子

◎三階11列37番。


自分は人の話を聞いてないようで聞いてることがままある。

この指揮者の名前は以前から知ってたけど、
さして気にとめてはいなかった。

だが数か月前ここにその指揮者をとりあげるコメントをみかけた。

そのときはそれほど興味の無い素振りをしていたが、
少しこのことから気になっていろいろと調べていたら、
まもなく来日することが分かった。


日にちが微妙なところなので、
なかなか購入に踏み切れなかったが、
かなり残席がすくなくなっていたため、
12/27の夜に見切り発車で購入したのがこの演奏会。


曲目的に指揮者のセンスが問われる部分があり、
けっこうおもしろいプログラムでもあった。


ワルツがほとんどないけど、
明るく晴れやかという意味ではこういう選曲も◎。

で、肝心の演奏ですが、
指揮者はかなり自由に、、
しかも聴かせどころを上手く押さえた演奏をしていて、
どの曲もまったく飽きさせない。


どの曲も気持ちいいくらい明るく、
そしてちょっと詩的でチャーミングな部分もあって、
賑やかな部分でもただの喧騒にならないのがまたいい。

音が大きくなってもギスギスしたり力みかえったこともなく、
洗練された響きがとにかく心地よい。

指揮者のセンスのよさが最初から全開。


ただそれ以上に驚いたのが、
久しぶりに聴いた新日本フィルの弦の良さ。

以前聴いたときよりも各段にふくよかで艶があり、
これがまたとても聴いていて気持ちいいものがあった。

ただそれはウィーン風というより、
テラークの録音で聴く「シンシナティ・ポップス」のそれに似ていて、
シンシナティが活躍している指揮者だからかなと、
ちょっとこのあたり興味深い響きとなっていた。

それとも新日本フィルはここ数年弦が充実しているのだろうか。


後半は抽選会などもあり、
かなりこれまた愉しいものとなっていた。

指揮者の原田さんは、
トークをはじめとして場もちも上手く、
このあたりはアメリカで培ったものなのかなあと思ったけど、
この世代は川瀬さんもそうだけど物おじしない人が多い。

若い世代の粋の良さと逞しさをあらためて痛感した次第。

最後もちょっとしたサプライズを用意したり、
外国のポップスオケがよくやるクロージングの一発ものありと、
手慣れた感じで休憩時間20分を挟んでの二時間かっきりに、
見事にコンサートをまとめあげていた。


今回はこういう小品集を聴かせてもらったけど、
なるほど評判がいいのはごもっともというかんじで、
いろいろとまた聴かせてもらいたし、
特にリヒャルト・シュトラウスのオペラなど聴いてみたいとかんじさせてくれた。


というのもこの日演奏されたアッペルモントの曲。

なんでも管弦楽版をプロオケが演奏したのは、
今日が日本初ということらしいのですが、
これをじつに素晴らしく絶妙に聴かせてくれたからだ。


曲としてはハリウッドの映画音楽や、
劇場版の大作アニメに使われてもおかしくないようなかんじで、
そういうとても聴きやすいものだけど、
それだけに指揮者の手綱捌きが大事。

原田さんはこの曲の聴きどころを明確に、
しかもソロもとりやすいスペースをとりながら、
冗漫になることもなく、
じつにうまく山あり谷ありに聴かせてくれていた。

尚、この曲、、
じつは四つの部分に曲が分かれているらしく、
各々「黄色」「赤色」「青色」「緑色」がイメージされているため、
舞台の壁ではその部分ごとに、
該当する色を映し出すというなかなか粋な演出をしてくれていた。

因みに「青」の部分はジェームズ・ホーナー風、
「緑」はアラン・シルヴェストリ風の曲調だった。

ソロの山口さんもかなり頑張っていて、
これはこの日の掘り出し物というかんじだった。



とにかく新春コンサートらしい楽しさと華やかさ、
そして指揮者のしっかりとした実力も伺える、
とても得したいいコンサートでした。


原田さんにはまた近いうち来日してほしいものです。

…と思ってたら2017年7/29に、
神奈川フィルの指揮台に立つとのこと。

昨年の海老名のコンサートが、
横浜市民は聴けないという悲しい縛りがあったので、
これはほんとうにありがたいです。


あともちろん司会をされた田添さんも良かったから、
とてもいいコンサートになったと思います。

何も触れなかったのでダメ出しと勘違いされそうなので、
最後にあえて一言でした。



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ブルックナーと自分 [クラシック百物語]

というタイトルで語る前に、
自分が初めて聴いたブルックナーをあげておく。

自分が初めてブルックナーを聴いたのは、
NHKで放送されていた、
1973年に来日したカラヤン指揮ベルリンフィルによる7番。

特にその第三楽章の、
あのトランペットのテーマが耳に残った。

そういえばこの当時のカラヤンの人気はすさまじく、
今では考えられないだろうが、
この来日と前後して、
民放の夜10時以降だったと思うが、
カラヤンが映像用に当時制作していた、
ベートーヴェンの「第九」や「英雄」、
それにブラームスの交響曲第1番などが放送されていた。


とにかくそれをきっかけにまず7番を購入した。

ただ指揮にワルターのものを選んだのは、
この曲がLP1枚に収まっていたことにより、
これが一番価格が安かったから。


当時国内盤では同曲の廉価版は
ほとんど存在していなかったので、
消去法の選択だったといえる。

いまならティントナーの7番をCD購入といったところだろうか。

この後どういう順番で購入したかは失念したけど、
以下のものが最初に購入したものだった。

0番、ハイティンク指揮コンセルトヘボウ
1番、マズア指揮ゲヴァントハウス
2番、ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団
3番、ベーム指揮ウィーンフィル
4番、ベーム指揮ウィーンフィル
5番、クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル
6番、カイルベルト指揮ベルリンフィル
8番、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル
9番、アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団

なのでこれらの指揮者のブルックナーには、
その後もひじょうに愛着がある。

ただ演奏会の方が自分の好みがもろに出たものとなっている。

最初の10年のみですが聴いただいたいの順番としては、

1978年、7番、スイトナー指揮SKB
1981年、4番、ブロムシュテット指揮SKD
1982年、8番、ヨッフム指揮バンベルク交響楽団
1983年、7番、マズア指揮読売日響
1984年、8番、マタチッチ指揮N響
1986年、8番、朝比奈指揮大阪フィル
1986年、7番、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ
1986年、7番、プロムシュテット指揮N響
1986年、5番、チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
1986年、8番、スイトナー指揮N響
1987年、4番、朝比奈指揮NDR
1987年、4番、マズア指揮ゲヴァントハウス
1987年、5番、インバル指揮フランクフルト放送

といったかんじになっている。

マタチッチと朝比奈のそれは宇野さんの影響が多少はあるが、
あとはそうでもない。

こういうかんじで自分のブルックナー体験は築かれて行った。


そのせいかもしれないけど、
自分のブルックナーに対する好みや感覚は、
宇野さんあたりがつくりあげたブルックナー像とはかなり違う。


ブルックナーは神をこよなく愛し信じ切っていたが、
それは深山幽谷的な静的なものではなく、
没我的ともいえるほどの狂喜を内蔵した、
きわめて動的なものだったと自分は考えている。



また彼にとっての神はキリストだけが唯一無二ではなく、
楽聖ベートーヴェンもまた違った意味で信仰の対象だったと思っている。


楽聖没後50年にあたる1877年に、
彼の手元に完成もしくは改訂中だった交響曲が、
じつに四つもあったのはたんなる偶然ではないだろう。

確かにブルックナーは偉大であり唯一無二ではあるけど、
まったく誰にも影響されなかった、
もしくはまったく他の作曲家と独立して存在していたわけではない。

特に彼の楽聖に対するそれは、
1877年というだけでなく、
ニ短調への強い思い入れや、
執拗な繰り返しによる強調と拡大等にも、、
ベートーヴェンを意識したそれを垣間見ることができる。


このことを踏まえて、
ベートーヴェンに高い評価を得ていた指揮者によるブルックナーを聴きだしたら
今までみえていたブルックナー像とはかなり違うそれがみえてきた。


なんというのだろうか、
ベートーヴェンが権力や運命に対しての渾身の闘いがひとつのテーマだとしたら、
ブルックナーのそれは神や楽聖に対する渾身の力を込めた無償の愛、
それがテーマだったという気が、
それらを聴いているとより強く感じられるような気がした。

しかもそれは静的なものではなく、
きわめて動的かつこちらから踏み込んでいく狂熱的な類のものだ。

これがそういう指揮者の演奏からとにかく強く感じられる。


フルトヴェングラーのベルリンフィルとのライブの5番や8番を聴くと、
聴衆を熱狂させたというオルガン演奏時のブルックナーの姿が、
ひどく重なってみえてきてしかたがない。


フルトヴェングラーのブルックナーが、
ベートーヴェンを指揮したときに似た勢いとノリを感じるのは、
たたフルトヴェングラーの芸風だからといって片づけられないと、
自分はとにかくそう思えてしまう。


ショルティのブルックナーにもやはり同じことを感じるし、
ワルターの特にモノラルのライブ録音、
さらにベームやヨッフムにも同じようなものを感じる。


考えてみればまわりからいろいろと言われながらも、
推考に推考を重ねて改訂をしながら最終稿に至るものの
基本姿勢は頑として崩さず、
新しい交響曲を書くたびに、
過去の他人からの進言や忠告を、
ほとんど毎回初期化していたブルックナーのそれは
何事にも屈しなかったベートーヴェンのそれと重なるものがあり、
ブルックナーこそベートーヴェンの後継者ではなかったのかと、
そんなことさえ感じられてしまう。


そのせいか、
自分は多くのブルックナーマニアと違って、
ドイツ・オーストリア系の指揮者や団体のそれや、
年齢をある程度重ねた指揮者じゃないと云々とか、
そういう意見をほとんど黙殺している。


だいたいブルックナー自身、
自分の曲が演奏されることを第一に考え、
そこに分け隔てがなかったことを考えると、
何で聴く側が作曲者を無視して、
勝手に塀作ったり囲い設けたりして、
演奏を狭い範囲の解釈しか許さないような考え方に押し込むのか、
自分にはまったくといっていいほど理解できない。


というより、
それはブルックナーに対して、
ひどく無礼というか、
「また小さく見積もりやがって」
という感じでじつに失礼極まりないという気がする。



確かにブルックナーの音楽には、
オルガン風の分厚い響きや、
敬虔なカトリック教徒であるというくくりはあるが、
それをすべてにしてブルックナーの音楽を縛るのは、
はたしてどうなのだろう。


自分は最近ティルソン・トーマスの指揮したブルックナーの7番を聴いたとき、
かつてCDで聴いたクナッパーツブッシュの同曲の演奏を思い出した。

このとき自分には、
この二人に見えていたものはほとんど同じものであり、
その方向性もかなり似たものだったように感じられた。


もちろんその演奏スタイルに両者ほとんど互換性はなく、
本来は相いれないはずの二つの演奏なのだが、
この曲の巨大な枠の中で、
同じ方向を指し示すものとして、
ちゃんとひとつの世界に二つとも存在させられたため、
このような感覚を覚えたような気がしてならなかった。


それを感じたとき、
自分はなんてブルックナーって巨大な世界をもった、
とてつもない作曲家だったのだろうと、
あらためてその大きさに驚嘆し畏敬の念をもったものでした。


おそらくブルックナーの音楽は、
一時言われたような、
特定のスタイルでしかその良さが分からないというものではなく、
どのようなスタイルにおいてもその曲のいろいろな面をみせるという、
とてつもなく巨大で多様な音楽を内包した怪物的な音楽なのだろう。


そういう意味ではベートーヴェンと、
これまた似た世界をもった作曲家だったといえるだろう。

というかブルックナーは、
生涯そんな巨大なベートーヴェンを慕い、
そして追いかけ追い求め、
その世界に少しでも近づけたらという、
そういう想いを生涯抱いていたのかもしれない。


不器用な人間であり、
不器用な語法による不器用な作曲かもしれないが、
そんな人間がひとりの人間に私淑し、
熱狂とも純粋ともいえる姿勢によって、
生涯を通してとことん祈り焦がれ追い続けた作曲家、
それがブルックナーの本質であり、
その音楽を支えたエネルギーだった。


と、自分はブルックナーを現在そうとらえている。


ブルックナーを聴くとき、
ひじょうにその無垢な部分を感じるのは、
そんなひたむきで一途な姿勢からくるのかもしれない。


ならばその音楽に真摯に対峙するときは、
こちらもせめてその方向性に沿った姿勢で耳を傾けても、
自分は罰は当たらないと確信している。


少なくとも自分はそういう聴き方をするよう心掛けてからは、
この作曲家から、
以前よりいろいろな事を感じられるようになった。


ブルックナーとは、
そんなことまで考えさせられる作曲家のひとりなのかもしれない。


そんな考えや思いが今現在の
ブルックナーと自分との間にある
ひとつの基本となっています。


いささか特異な考えなので、
今流行りの日本で主流となっているブルックナー感と、
大きく隔たっているのはこのためなのでしょう。



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巨匠の響きよ永遠に!藝大に遺されたレコード2万枚の危機を救う [クラシック百物語]

2013年に、世界的なSPレコード研究家、クリストファ・N・野澤氏(1924-2013)が半世紀以上にわたって収集したクラシック音楽のSPレコードコレクション2万枚以上と、愛用の蓄音機が東京藝術大学附属図書館に寄贈されました。

このコレクションは、クラシックでは国内最大級の規模を誇り、歴史的に貴重な音源が多数含まれています。しかも、SPレコードを蓄音機で聴くと、とても豊かでリアリティのある、素晴らしい音がします。

現在、コレクションの1割程度が利用可能な状態で、これらを使用して蓄音機コンサートを開催しています。しかし、残った9割のSPレコードは段ボールに入ったまま地下倉庫や図書館事務室に積んだままになっています。

2017年から2018年にかけて、現在、書架が満配の図書館が改築・改修され、レコードを保管する場所の目処が立ちました。これを機会にレコードを棚に並べたいのですが、重く、割れやすく、反りやすいSPレコードは、LPと違い縦置きの保存ができません。横向きに10数枚ずつ積んで保存する必要があるため、保存箱に収納して書架に並べる予定です。しかし、2万枚のSPレコードを保存するには、保存箱1箱に15枚入れたとしても1300箱が必要な上、何箱か重ねて収納できる丈夫さも求められます。

SPレコードを段ボール箱から保存箱に入れ替えることができれば、レコードリストを作る作業を始められます。また、リストが完成すれば、様々なテーマで蓄音機コンサートを開催することができます。2015年から蓄音機コンサートを10回以上開催していますが、使用したいレコードが見つからないことが頻繁にあります。

全てのレコードが使えるようになれば、蓄音機コンサートが開催できるだけでなく、演奏史の研究や、演奏家の研究に役立てることができるようになります。

そしてそういった活動や研究を通して、SPレコードと蓄音機というメディアの素晴らしさ、過去の大演奏家や忘れられた演奏家の素晴らしさを多くの方に知っていただきたいと考えています。


「 巨匠の響きよ永遠に!藝大に遺されたレコード2万枚の危機を救う」(クラウドファンディング - Readyfor のサイトへ)にぜひともご支援をお願いいたします。


(photo : 東京藝術大学 デザイン科 視覚伝達研究室 叶子萌)

http://geidainozawa.tumblr.com/


SPレコード2万枚という物凄さは、
ちょっと想像を絶するものがある。

しかもSPはひじょうに割れやすいし欠けやすい。

保存には細心の注意が必要だ。


しかもSPの多くは、
CDはもちろんLPにも復刻されていないものが山ほどある。

野澤さんのコレクションはあまり把握していないけど、
宮沢賢治のクラシック本の音源を提供してくれたのが、
他でもない野澤さんだったことを思うと、
その内容の貴重さはもう言わずもがなだろう。


それにしてもこのコレクションが藝大に行ってたことさえ、
自分はぜんぜん知らなかった。

とはいえ知っていたとしても、
何か自分にできていたとはとても思えない。


とにかく現状をこのように伝えるのが、
今自分ができることのひとつ。


ただ本当はレコードはどんどん消耗していくので、
できれば同時進行で、
CDに復刻されていないものだけでも、
どういう媒体でもいいから、
音だけでも保存したいところ

中にはひょっとして、
世界にこれが最後の一枚みたいな、
とてつもなく貴重な音源もあるかもしれない。


ほんとうは藝大だけでなく、
NHKや国会図書館、
さらには東京文化会館資料室あたりと共同して、
保存データ化すべきではないだろうか。


まあ外野の意見なのであれなのですが、
とにかく現時点での最良の保存状況をなんとか確保したいものです。


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カメラータ・ザルツブルクの演奏会に行く。 [クラシック百物語]

34251_1.jpg

【日時】
11月26日(土)会場:神奈川県立音楽堂
【演奏】
カメラータ・ザルツブルク
【指揮】
ハンスイェルク・シェレンベルガー

【曲目】
モーツァルト:ディヴェルティメント第11番ニ長調 K.251
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622(CL / アレッサンドロ・カルボナーレ)
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550


井上道義さんのショスタコーヴィチと最後まで迷ったものの、
横浜でこちらに行くことに決める。

ホールは8~9割ほど入っていたようにみえたが、
横浜の映画館に慣れた自分にとってこのホールの座席は小さく、
また前の座席の間隔とも狭いためちょっと座りにくい。

だが演奏がはじまるとそんなことを忘れさせるほど、
そこにはまさに「楽興の時」とよびたくなるほどの、
じつに見事な音楽が展開されていった。


最初のセレナーデは終曲にあたる第6曲を最初に演奏、
その後は楽章通りに演奏というちょっと変わったものだったが、
最後がにぎやかな第五楽章で終わるということで、
これはこれでなかなかの感があった。

編成はオリジナルの七重奏ではなく、
6-5-4-3-2
という弦編成(対抗配置)。

演奏はしなやかかつ腰の強い響きが軸となり、
かなり聴き応えのある響きだったけど、
だからといって大柄なものではなく、
室内楽的な愉悦さも兼ね備えた、
少し辛口だけどニュアンスに富んだ、
生命感あふれる素晴らしいものだった。

これにはオーボエソロを担当した、
シェレンベルガーのそれも大きかった。

シェレンベルガーは指揮者の立ち位置に椅子を置き、
観客席を向きながらオーボエを吹き、
そして身体をゆらしたりアイコンタクトを交えたりしながら指揮を執ったが、
これがオケとの呼吸とじつうまくあい、
まさに「ディヴェルティメント」といった感じだった。

特に第五楽章の柔軟なテンポの変化や歌いまわしは、
これぞモーツァルトと言いたくなるほどのものがあった。

そのすばらしさを感じたのは自分だけではなかったようで、
この曲の二曲目となった第一楽章が終わると同時に、
観客席の前の方から拍手が巻き起こった。

すぐにそれをシェレンベルガーが両手で制したが、
その演奏のすばらしさに思わず拍手が出てしまったのだろう。
これは自分にもものすごく頷ける拍手だった。


それにしてもこのオケとこのホールの相性は抜群で、
最初はちょっと響きが少なく乾いた感じがしたものの、
耳が慣れてくるとむしろ音が温かくクリアに聴こえはじめ、
それがまた曲とマッチし相乗効果をあげていた。


この後、すぐにクラリネット協奏曲。

最初はちょっとクラリネットとオケが、
異質な組み合わせ的な感じがしたものの、
途中からそういうかんじはなくなっていった。

おそらくスタイルは違うものの、
狙っているものが近しいことで、
自然とある程度調和していったのだろう。

絶品だったのは第二楽章。

ソロのカルボナーレも見事だけど、
それにバックでつけるオケがこれまた美しい。

特に弱音はホールに響くのではなく、
ホールに染みわたっていくような絶妙な響きとなり、
このホールが「木のホール」であることを、
あらためて実感させてくれる演奏となった。

木管も弦楽器も、
そしてこのホールそのものも「木」からつくられている。

その邂逅と共鳴、そして調和。

まさにこのホールと演奏者でなければ不可能な演奏といえるものだった。


この見事な協奏曲の後、
カルボナーレの超絶かつノリノリなアンコールでホールが沸きに沸く。
さすがかつてはフランス国立管弦楽団、
そして現サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の首席奏者。

名前がうまそうだけど実際うまかった。

KO01.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=_Z-aP2Ie3Xo
※昨年のカルボナーレによる同曲の演奏。

このあと20分の休憩の後、後半の交響曲へ。


第一楽章はやや速めなものの、
雑に飛ばしたというものではなく、
辛口で哀しみを心の底に秘めた熱い演奏となっていた。

詩情豊かな第二楽章もよかったけど、
第三楽章のちょっと個性的なそれはなかなかのものだった。

特にやや大きめな間をその前後に置いたトリオは、
まるで風のように軽やかに流れていき、
かつてアーノンクールが日本公演で演奏した
「ポストホルン」を想起させられるものがあった。

そして熱気のこもった第四楽章。

ここで驚いたのは、
ここというときに響く中低音の力強い弦の音。

それは人数からは考えられないくらい、
大きく豊かで力強さも兼ね備えた響きで、
この演奏を大きく下支えするものとなっていた。


この素晴らしい演奏が終わり、
拍手の中アンコールで演奏されたのが、
なんとこの日最初に演奏された.K.251の終曲。

なるほどこのために曲順を変えたのかと、
このときようやくわかりました。


この後演奏会終了後サイン会があったが、
自分はこのまま帰途につきました。


この団体も指揮者も実演ははじめてでしたが、
とにかくこれまた大満足の演奏会でした。


そにしても最初にいいましたが、
ほんとこのオケとこのホールの相性がいい。

特にこのホールが「木のホール」であることを、
今日ほど実感させられた演奏会というのも、
個人的にはあまりなかったという気がします。

今回このホール初登場ということだったらしいのですが、
これを機会にぜひまたこのホールで演奏してほしいと思う次第です。
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