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サンフランシスコ交響楽団の演奏会に行った。 [クラシック百物語]

【日時】
平成28年11月22日(火)
開場:午後6時 開演:午後7時
会場:NHKホール
【指揮】
マイケル・ティルソン・トーマス
【曲目】
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21 (ピアノ)ユジャ・ワン
シューベルト(リスト編) :糸を紡ぐグレートヒェン(アンコール)

~休憩~

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 (ハース版)


一か月後に68才の誕生日を迎えるマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)。

この指揮者を聴くのは実に29年ぶり、
しかもアメリカ西海岸のオーケストラを聴くのは今回が初ということで、
かなり新鮮なものがあった。

MTTがこのオーケストラの音楽監督になって今年で21年。

近年ではまれにみる長期政権で、
その評判も評価も安定した高いものを受けており、
ある意味北米で最も安定したコンビといわれていたので、
一度聴いてみたいと思っていたが今回までなかなか聴く機会がなかった。


MTTというとマーラーというイメージが強いが、
自分はかつてロンドン響を指揮しての「ジークフリート牧歌」が、
とにかく素晴らしくいいイメージが残っていて、
ブルックナーあたりやってくれないものかといつも思っていたが、
ようやく今回その夢がかなった。


前半のショパンは、
ユジャ・ワンの小回りの利く爽やかなソロに対して、
MTTのそれはこの曲にしては器がきもち大きい気がしたけど、
弦の弱音の美しさを軸としたとても丁寧な音楽運びに、
このコンビのすばらしさを早くもみたような気がしたものでした。


そして後半のブルックナー。


決して凄みがあるとか圧倒的とかそういうものではないけど、
良心的というか丁寧かつ一点一画たりとも曖昧にしない、
明確明晰かつ洗練されてはいるが素朴な詩情も大切にした、
すべてに行き届いたとても神経の細やかなブルックナーがそこにはあった。

しかもじつに落ち着いた音質と音色で穏やかにすすめられてはいくものの、
テンポはむしろ全体的には速めなものとなっていて、
全体で70分かかっていなかったと思う。

ただそれがためにせかせかしたというところはなく、
むしろ音楽ひとつひとつを丁寧に紡いでいく趣が強い。

それでいて神経質な感は皆無で、
音楽は何事もなくさらさらと、
しかも運動的の要素も含みながら流れていくような、
ところどころ個性的な部分はあるものの、
ほんとうに自然体の穏やかな美しさをもつブルックナーとなっていた。


第二楽章もそのため深刻に過ぎることはなく、
ひじょうに淡々とすすめられているように感じられたが、
その見通しはいいものの、
どこか薄く霧がかかったような響きが、
独特のクリアな音の世界を展開させていく。

このため第二楽章終盤の美しさがひじょうに映えたものに感じられ、
かつて聴いたヨッフムとはまた違った感銘を与えてくれた。

その後第三楽章の快活な表情も素晴らしかったのですが、
第四楽章がほんとうに見事。


速めのテンポではじめ緩急を大きくつけたようにはじまったものの、
次第にその緩急の差が小さくなっていき、
いつのまにかじつに自然な高揚感をもった流れへと、
音楽が運ばれていった。

またところどころでマーラーの出現がもうすぐそこまで来ているような、
そんな雰囲気が感じられるところがあった。

これはメロディを美しく歌いぬく部分と、
金管の堂々としたコラールの対比が、
マーラーのもつ対極から対極へという部分と重なっていのかもしれないが、
これはMTTのつくりあげたクリアな響きが、
そういうふうに一部聴かせているのかもしれない。


だがそれ以上に特に素晴らしく感じたのは、
そのコーダに向かっていく目の覚めるような高揚感。

こんなに自然体でありながら、
活き活きとした高揚感に満ちたブルックナーというのも珍しい。

クリアでバランスもよく、
丁寧で洗練されていながらも、
綺麗事にまるでとどまることなく、
じつに心惹き込まれる見事な演奏だった。


第二楽章でワーグナーの死を悲しんだブルックナーが、
この楽章ではその悲しみから立ち直り、
再び前へ前へと歩みだすという、
そんな気持ちがこちらに伝わってくるかのような、
ブルックナーという人間を見事に肯定しきった、
じつに明るく元気と活力に満ちたそれは音楽だった。

そのためなのか、
ブルックナーというと聴いてヘトヘトになってしまうことがよくあるが、
ここではそういうことはなく、
むしろとても音楽から元気を与えられ、

「明日もがんばるぞ」

というそんなかんじの演奏に聴こえてきた。


これを聴いて、
なるほどこのコンビが二十年以上続き、
多くの人たちから支持されている理由なのかと、
大納得なものがありました。


月並みな言葉ではありますが、

「アメリカの良心」

といったものすら
そこには感じられたほどでした。


ただ今回のMTTのブルックナー。

日本の今のブルックナー好きには、
あまり好意的には受け取られない、
もしくは食い足りないととられかねない演奏かもしれませんが、
自分にはブルックナーの新たな一面というか、
ブルックナーのもつ幅広さのようなものが感じられ、
ある意味で目を覚まさせられるものがあった。


編成は14型という小ぶりではありましたが、
まるでそんなかんじがしないほど豊かな音があのNHKホールに響いていました。

次のこのコンビの来日が今から楽しみです。


繰り返しますが本当に素晴らしいブルックナーでした。


尚、第二楽章でシンバルとトライアングルあり。


因みに、
サンフランシスコ交響楽団が1968年に初来日したとき、
大阪で唯一演奏されたブルックナーの7番も、
これまた賛否両論だったとか。

当時の指揮はヨゼフ・クリップス。

1968年4月13日:フェスティバルホール
ワーグナー/トリスタンとイゾルデ、前奏曲と愛の死
ワーグナー/ジークフリート牧歌
ブルックナー/交響曲第7番

というプログラム。

歴史は繰り返される…のかな?


あと今回の日本公演。

このオーケストラとしては珍しく、
粗い部分が散見されたという記事をあちこちでみかけた。

アジアツアーの疲れという意見もあったけど、
確かに多少ほつれたような傷が自分の行った日にもあるにはあったが、
そんなに粗かったかなあという感じで、
このあたりはどうもよくわからない。

聴いた場所にもかなり印象を左右されるサウンドなのかも。
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パリ管弦楽団の演奏会に行った。 [クラシック百物語]

2002年のプレートルの指揮以来、
14年ぶりにこのオーケストラを聴く。

曲目は、

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」から 「4つの海の間奏曲」作品33a」
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 (バイオリン)ジョシュア・ベル
ブリテン:「セレナード 作品31」(テノール)マーク・パドモア
ドビュッシー:「歌劇“ペレアスとメリザンド”組曲」(ラインスドルフ編曲)

そして指揮は今シーズンからこのオケの監督となったダニエル・ハーディング。


最初このプログラムをみたとき、

「本当にこれでやるのか」

と、正直我が目を疑った。

四千人のホールで、
前半こそ一般受けするかもしれないが、
後半は長いわりにかなり地味な曲目で、
はたしてこれで日本の聴衆に受けるのかと、
かなり不安な気持ちになった。


実際前売りはあまり芳しくはなかったようで、
当日のNHKホールも
満員御礼とはとてもいえないかんじだったが、
これがかえって後半はいい方向に作用したのかも。


前半のブリテンを聴いた時、
驚くほどその音が渋くくすんだ響きに感じた。

これが曲のせいなのかホールのせいなのか指揮者のせいなのか、
そのあたりはわからなかったけど、
かなりの変わりように正直驚いた。

ただこのブリテンは、
ちょっと指揮者とオケに詰めの部分で、
微妙に気持ちがズレていたように感じられたが、
これはまだ来日して間もなかったためなのかも。

続くメンデルスゾーンはソロともども、
じつに過不足ない詩情をちりばめた演奏で、
渋いながらも小気味いい演奏で、
聴いていて気持ちよかった。


ただこのとき第一楽章終了時に、
演奏が続けて第二楽章に滑り込んでいくにもかかわらず、
その弱音の美しい部分で、
いきなり遅れてやってきて外で待機していた観客を、
問答無用にホールの中に、
係りの人が誘導していたのには驚いた。

しかもその時のパリ管の音が、
また素晴らしかっただけに余計これにはまいってしまった。

自分は入口からは遠かったので、
入場時のその雑音は感じなかったけど、
近くにいた人は大迷惑以外の何物でもない。

ふつうなら待たせるのが常識。

遅れた人も確かにお客様だが、
時間通り来て音楽に集中している人もまたお客様。

ちょっとこのホールの係りの人の感覚というか常識が、
自分にはちょっと理解できない。

よくある完全に楽章間で演奏者が構えをといて、
少し休みをいれているのなら、
こういうことも当たり前のこととして理解できるのですが…。

自分が神経質にすぎるというのなら、
このホールにこなければいいだけなのだが、
あのときその近くにいた人たちはどうだったのだろう。

これが心配になって、
けっきょくこの後のことはあまり記憶にないまま前半終了。


気持ち的にもやもやしてしまったので、
外の空気を吸いに出て少し気持ちを落ち着かせる。


そして後半。


これはもう言葉もないほどの演奏だった。

音色的にも音質的にも、
理想的といっていいほどのブリテンだしドビュッシーだ。

二曲で50分前後かかっていたと思うけど、
まるで休憩を入れてひとつの曲を聴いたような、
そんな不思議なかんじすらした後半だった。


ブリテンを聴いていると、
あらためてハーブィングがイギリスの指揮者だというかんじで、
静的な詩情を込めたその音楽は、
指揮者の深い共感なしにはありえないくらい、
心動かされるものがあった。

特に終曲で、舞台裏から吹かれたホルンのソロは、
じつに心に染み入るものだった。


最後のドビュッシーも、
「海」を想起させる幻想的雰囲気のものだけど、
この凹凸の少ない長大な幻想曲ともいえる組曲を、
指揮者もオーケストラも、
まったく飽きさせることなく見事に聴かせてくれた。

特にパリ管のそれは絶品で、
パリ管のドビュッシーというと色彩的にすぎるという理由で、
この演奏するラヴェルほどの好評を博してはいないが、
今日はそのくすんだ響きもあいまって、
そういう評価を完全に一掃するほどの、
理想的といっていいくらいのドビュッシーが奏でられた。


自分はかつてこの曲を聴いた時、
掴みどころのない曲ということで、
今までこの曲と距離をとっていたが、
この日の演奏はその距離を一気に取っ払ってしまうほど、
とにかく見事な演奏だった。

しかしハーディングの指揮。

この静的で幻想的な曲を、
その美しさを壊すことなく、
その音楽の底に「熱い火」をともしながら、
凄いまでの静かな情熱をこの曲に注ぎ込んでいた。

ほんとうに熱い指揮者です。


この演奏が収録されたのはじつ幸運なことだが、
後半のこの二曲が、
この日のみ演奏だったということはあまりにも残念。

ぜひもう一度実演で聴いてみたい演奏でした。


始動したばかりのハーディングとパリ管弦楽団。

今後の日本ツアーも素晴らしいことになるでしょうし、
間違いなくこれから大注目のコンビとなりそうです。


それにしてもこういうプログラムで勝負できるこのコンビがほんとうに羨ましい。

半世紀前のパリ音楽院管弦楽団の演奏に絶賛を惜しまなかった人たちの、
その気持ちがちょっとわかった気もした演奏会でした。


因みにこの日は対抗配置。
パリ管では初めて聴きました。
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南西ドイツ放送交響楽団 [クラシック百物語]

すっかり忘れていたけど、
先月(2016年9月)シュトットガルトで、
南西ドイツ放送交響楽団の第一回演奏会が行われたという。



このニュースを聞いて

「?」

と思われた方も多いかもしれないが、
じつは今年の7月をもって、
「シュトゥットガルト放送交響楽団」
(Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)
「南西ドイツ放送交響楽団  バーデン=バーデン・フライブルク」
(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg)
この二つが合併
南西ドイツ放送交響楽団
「SWR Sinfonieorchester」
となった。

ようするに南西ドイツ放送の傘下のオケが、
ひとつになったということだ。

かつては三つあったというこの放送局のオケは、
これでついにひとつとなった。


かつてこのオケの合併に反対、
著名な指揮者を含む多くの反対署名が行われたが、
けっきょく経費削減のそれには勝てず、
こういうことになってしまったとか。


両オーケストラとも録音も多く、
また来日公演もしたことがあり、
おなじみのオケだっただげに、
この合併は正直ショックの方も多いだろう。


これにより音楽という面での文化が、
この地域にどう変化をもたらすかはわからないが、
未だ音楽監督が不在というのが、
今のこのオーケストラり現状を物語っているといっていいのかも。

第一回の演奏会はエトヴェシュ・ペーテルが指揮したらしいが、
彼が就任するのかというとどうなのだろう。

ステファヌ・ドヌーヴやフランソワ=ザヴィエー・ロトの、
どちらも続投しなかったのは正直いたいことだろう。


とにかく早くこのオーケストラの次の舵取りを決め、
再度この地域の主軸となってほしいところです。

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マーラーの「復活」の自筆譜競売へ。 [クラシック百物語]

m5.jpg

【8月18日 AFP】クラシック音楽界の巨匠グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911年)の希少な直筆の楽譜が競売にかけられることになり、香港(Hong Kong)で17日、公開された。

 競売を主催するサザビーズ(Sotheby's)によると、この全232ページの楽譜は交響曲第2番「復活(Resurrection)」の完全な自筆譜。英ロンドン(London)で年内に競売にかけられ、落札予想価格は手書きの楽譜としては史上最高値の350万ポンド(約4億5600万円)。

 オーストリアの作曲家・指揮者マーラーは10曲の交響曲を手掛けたが、サザビーズによると、完全な楽譜が競売にかけられたことはこれまでに一度もないという。「これは本当に優れた歴史上の偉人の手書きの楽譜を手にする一生に一度あるかないかというチャンス」と担当者はコメントしている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3097863?pid=


凄いニュースだけど、
こういのって、
国と企業等がお金出し合って然るべきところで保管、
資料館等で常設展示、
中身をすべてネットでみることができるという具合に、
人類全体の遺産として管理公開すべきではなかろうか。

凄いニュースだけど、
ちょっと複雑な気持ちです。

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バカどもに蹂躙される演奏会 [クラシック百物語]

音楽評論家の東条碩夫さんが、
その演奏会のリポートを書き込んでいくサイトがある。

自分のように演奏会に行かなくなった人間にとって、
それはとてもありがたいサイトで、
いつもけっこう楽しく読ませていただいている。


だが最近その東条さんの文に、
ここ数年一部の聴衆のマナーに言及することが増えてきている。


しかもときおり、
かつてみられることのない厳しい発言もみかけるようになった。

そして最近ついにこういう発言があった。

「「トリスタン和音」が解決し、消え去るように終ったあとの感動的な静寂を破った狂気じみた下品な声のブラヴォーの主は、全く人間性を疑われるべき、音楽テロリストと称してもいいほどの輩だが、不快な体験の記憶は早く消し去り、演奏の素晴らしさだけを心に残すことにしよう。」
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-2483.html

クラシック音楽の聴衆のマナーとモラルの低下は、
ここ数年特にいろいろと言われるようになっている。


しかもその問題行為をしている人は、
初心者や若い人たちではなく、
すでに中高年といわれる人であり、
クラシック音楽をある程度聴いている人たちがほとんどと聞く。

こういう人たちは、
そこそこプライドが高いせいか、
あまり人の意見を聞かない傾向がある。

だがだからといってやっていいことと悪いことがある。


自由と無秩序を単純にただはき違えているのか、
それとも「精神の叫び」ならすべてが正当化されると、
本気で勘違いしてるのかはわかりませんが、
鉄オタが線路内に不法侵入して列車を止める蛮行とこれはまったく同じ。

いやもっときついことを言わせてもらうなら、
炎上覚悟で言ってしまうが、
これはオウムのサリンやISの自爆テロと、
正直行動原理はまったく同じといっていいと思う。

自分がスッキリすればあとはどうなってもいいのか。

他人の感動をぶち壊し、
心の中を土足でズケズケと踏み込むような、
そういう行為をしてもいいのか。

自分以外はみんなクズとか、
自分は他人より感受性豊かな優れた聴き手だからしかたないとか、
そういう傲慢な思考がベースにあるから、
他人のことなどおかいましなのではないか。

そんな人としておかしな考えに凝り固まった、
自分よければすべてよしみたいな、
そんなバカで非常識な考えで演奏会になど絶対来るな。

聴衆というより、
それ以前に人としてやりなおしてから来い。

おととい来やがれだ。


多くの評論家がこういうことに対し、
「声明」を連名で出さなければいけないのかもしれないが、
ただそれはそれで情けないし救いがたい話ではありますし、
ごくごく一部のおかしな人たちへのメッセージということを思うと、
そんなことしても肝心の当人たちには、
まったく効果が無いのは火をみるより明らかだ。


いったいいつまで、
こういう一部の輩の暴挙に、
その他大勢の真面目な聴き手が巻き込まれ、
我慢しなければならないのか。

サッカーみたいに、
こういう人はフーリガンとみなして出禁にしなければならないのか。

ただそうするにしても、
こういうものの線引きってとても微妙でデリケートな問題だし、
そう簡単にできないのはこちらも分かっているし、
だからこそこの問題が今の今まで、
手がなかなかつけられないということにもなっている。


それにしてもどうしてこんなことになってしまったのだろう。

おそらくどこかにそういう聴き手に共通した、
致命的な勘違いの元凶があるような気がするのだが、
それがなかなかわからないというのも我ながら情けない。

一度こういうこに関して、
精神医療の関係の方から意見を聞いてみたいものです。


ああしかし、
こんなことを言わなければならない時代になったとは…
東条さんの嘆きが聞こえてきそうです。
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戸田弥生&野原みどりデュオ・リサイタル [クラシック百物語]

2016 5/20 19:00
会場/MUSICASA(ムジカーザ)

(曲目)
ドビュッシー : 亜麻色の髪の乙女
ラヴェル : ツィガーヌ
プロコフィエフ :バレエ 「ロメオとジュリエット」からの10の小品、より二曲。
ショパン : ワルツ 第5番 Op.42
ショスタコーヴィチ : ヴァイオリン・ソナタ


戸田弥生(Vn)
野原みどり(Pf)


コンサートは昨年11月の浜松でのチェコフィル以来。


まず面白かったのはこの二人の音楽。

戸田さんは熱く聴き手まで燃えつくそうとするのに対し、
野原さんは熱いがその炎は冷たく感触は正反対といっていい。

この二人がひとつの目標に向かってひたすらスパークする。

それ丁々発止といっていいのかもしれないし、
隙あらば自分がという、
まさに「せめぎあい」という言葉がピッタリの演奏だった。

前半の「ツィガーヌ」などまさにそれ。
戸田さんが前半ソロで激しいまでの情念全開で音楽をたたきつける。

もうはっきりいってこれで終わってもおかしくないくらいの、
白熱的なソロをとりまくった。
こうなってしまうと野原さんの第一音が大注目だったが、
野原さんは決然と、
それこそ腹をくくったかのような強い音で音楽をはじめた。

まさにこれぞせめぎあいだ。

これは戸田さんのリサイタルではない。
戸田さんと野原さんのデュオによるリサイタルだ。

なのでソロと伴奏という単純な図式のリサイタルではない。
だからこれは当然の結果といえるだろう。

それは冒頭のドビュッシーから明白だったし、
ピアノの蓋が大きく開けられていたことからも、
その意図がみてとれたものでした。


じつは自分は左からヴァイオリン
右からピアノが聴こえるという面白い座席にいた。

このため二人が前後になってというのではなく、
左右に対峙したような感じで聴くことになったため、
よりその対象が明確に聴き取ることができた。

それはまるでひとつの共通したお題による、
二つのリサイタルを同時に聴いているかのようで、
過去あまり例のないこれは経験だった。


そんなデュオの後、
野原さんがプロコフィエフとショパンを弾く。

この中で特にプロコフィエフは素晴らしかった。
ひじょうに力強い、
ただしそれでいて一筋縄ではいかないプロコフィエフの、
その独特のどこ冷めていながらも詩情あふれる響きには、
野原さんの音質はじつによくあっていた。

ここで15分の休憩。

前半約30分。
時間は短いがひじょうに濃密な時間だった。

後半はショスタコーヴィチ。

これが凄かった。

というより前半とこの二人の関係に変化が起きた。

前半はそれこそせめぎあいとなったこの二人だが、
ここではこの二人の間に一種の間合いが生じていた。

それは剣道における間合いに近いもので、
とにかく互いの間に、
これ以上は半歩たりとも踏み込めないという、
ひじょうに緊張感のある間合いができていた。

このためこのショスタコーヴィチは、
この間合いを境に二つのまったく異質の音楽が、
ただひとつの頂点を目指すかのように展開していった。

それは互いの音楽を横目でみながら、
ひたすら己のスタイルによって、
音楽の核へ踏み込んでいくというかんじで、
息詰まるほどのそれは緊張感にみなぎった音楽を形成していった。


これがもし前半と同じせめぎあいに徹していたら、
ショスタコーヴィチにしてはやや単調になっていたかもしれない。

二人がこの緊張感にみちた間合いをつくったことによって、
この演奏はとにかく驚くほどこの曲を多面的かつ、
ダイナミックなものに仕立て上げて行った。

正直これほどの緊張と大胆を兼ね備えたショスタコーヴィチは、
ムラヴィンスキー、ラザレフ、井上道義といった、
巨匠名匠によるそれくらいしか記憶に無い。

考えてみるとこの日の翌日5月21日は、
自分がまだショスタコーヴィチ在世時に、
彼の交響曲第5番をムラヴィンスキーの指揮で聴いた日でもある。

あのときショスタコーヴィチはリアルタイムの人間だった。
だが今年ですでに彼が無くなり41年が経った。

この間ショスタコーヴィチの演奏の多くは、
ソ連当時の旧態依然なものに引きづられたものが多かった。

だが今日のそれは、
そういうものから解放された、
旧ソ連の怨念や情念とは関係の無い、
21世紀に足場をもった純然たる音楽そのものだった。


自分がこの日の演奏に大きく感銘を受けた理由のひとつに、
そういう部分があったことも確かだろう。

とにかくこの日のコンサートはひじょうに濃密で、
深く心に刻み込まれるものだった。

因みにアンコールが一曲あったけれど、
自分はそれがまったく記憶に残っていない。

ショスタコーヴィチ終了後、
自分はここで演奏を聴くことを、
無意識のうちにストップしてしまったようです。

できればショスタコーヴィチ終了後退出したかったのですが、
ホールの関係上それが無理だったのが残念でした。

できれば今度はこのお二人で、
フランクのソナタをぜひ聴いてみたいものですがはたして。

以上です。


それにしてもちょっと眠れそうにないくらい、
気持ちが高揚させられました。

凄いです。
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ニューヨークフィルの次期音楽監督にヤープ・ファン・ツヴェーデン決定 [クラシック百物語]

864x486.jpg
Jaap van Zweden wordt dirigent van het New York Philharmonic, een van de meest gerenommeerde symfonie-orkesten ter wereld. Van Zweden (55) volgt Alan Gilbert op, die het orkest sinds 2009 leidt en eind volgend jaar terugtreedt. Over zijn opvolging werd al bijna een jaar lang gespeculeerd. Van Zweden begint in het seizoen 2017-2018 en wordt een jaar later chef-dirigent.

http://nos.nl/artikel/2083173-jaap-van-zweden-naar-new-york-philharmonic.html


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとは驚いた。

現在いくつかポストを持っているが、
そこから一足飛びでアメリカのトップオケのひとつのシェフになった。


そんなに派手ではないけど実力のある指揮者という、
そんなかんじを受けていたけど、
かなりアグレッシブな感じの演奏もしているということなので、
そういう意味では面白い人選なのかもしれないが…。


しかしこのオケとの客演はともかく、
果たしてトップに立つとなるとどうなんだろう。


ひじょうに興味深い、
正直にどっちに転ぶか分からないけど、
とにかくここはひとつじっくりと様子をみたいところです。


MTTじゃなかったんですねえ。

とにかくちょっと驚いてます。


http://nyphil.org/
NYPOの公式サイト
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年末に第九を聴くと…。 [クラシック百物語]

いつもあることを思い起こしてしまう。

それはシューベルトとブラームスのこと。


ブラームスはシューベルトがとても好きだったという。
ドヴォルザーク、グリーグ、ヨハン・シュトラウス二世も好きで、
親交ももっていた。

こうしてみると彼はメロディメーカーにとにかく惹かれ、
少しでも彼らのようになりたいと思っていたんだろうなあという気がするが、
残念ながらシューベルトのみ自分が生まれる前に亡くなったので、
会う事すらできなかった。

そんなブラームスの第一交響曲の第四楽章、
例の第九のメロディに似た部分があるが、
シューベルトのグレイトの第四楽章にも第九のメロディに似たところがある。
で、この二つをよく聞くと、
シューベルトは第九のメロディの前半、
ブラームスはその後半が似ている。

それを思ったら、
この曲に込めた両者のベートーヴェンへの敬愛の念もそうだけど、
ブラームスのシューベルトに対する限りない敬愛の念もとても強く感じられた。

そういえばベームがウィーンフィルと1975年に来日したとき、
この二曲を日本公演にもってきていた。

このあたりをベームは意識していたのだろうか。


第九を聴いた翌年に完成したシューベルトのグレイト。
ベートーヴェンの没後50年を翌年にひかえた年に初演されたブラームスの第一。

年末の第九の時期に、
自分がいつも思い起こしてしまう事柄です。






年末に書き込むつもりがすっかり忘れてました。
あと350日も書き込むのを待つのもあれなので、
三が日に書き込んでしまいました。
かなりケッタイな感じとなってますがご了承ください。
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オペラ講座 「日本オペラ事始」に行く [クラシック百物語]

オペラ講座 「日本オペラ事始」

というのがあった。

全五回
の内容は以下のとおり。

幕末横浜の外国人居留地にはじまって、上野、丸の内、赤坂、浅草、日比谷と舞台を移しつつ発展する、日本のオペラ上演。帝国劇場から浅草オペラをへて藤原歌劇団、二期会の創立にいたる歴史を、具体的に学びます。

(概要)

まず欧米のテノール歌手の歴史をとりあげ、オペラにおけるその重要性を学びます。続いて、日本の興行界に大きな影響を与えたアメリカの、そのプリマドンナの典型として、ソプラノ歌手ベヴァリー・シルズの生涯を追います。後半は前2回を踏まえ、日本にオペラがどのように根づいたかを、丸の内と浅草、女性歌手の登場、そして日本初のスター・テノール、田谷力三と藤原義江の生涯から追います。

opera.jpg

とても興味深い内容がならんでいる。

自分のようなオペラ音痴が興味津々というからさぞや盛況…

…と思ったらこれがちょっと寂しいことになってしまった。


正直これは内容に対しての
発信先との感覚のズレがうんだもののような気がする。

つまり日本における初期のオペラ動向、
特に浅草あたりがからんできたものは、
レベルとして拙劣下品、
内容としては色物同然という、
そういうかんじに多くのクラシック、
そしてオペラファンはみているのではないかという、
そんな感じが強くしたものだった。

だからもし今回の講師に、
昭和初期の芸能や浅草の演芸史の専門家が加わり、
そちらの分野に情報を発信していたら、
おそらく満員御礼になっていただろう。

藤原義江が「我らのテナー」といったのは、
別にクラシックファンにむけてではなく、
あれこそ一般大衆に向けてのそれだったからだ。


そういう歴史もひとつの歴史であり、
そういう部分にも目を向け興味を抱けないというのは、
これもまた日本の音楽土壌の限界というか、
西欧(特に独墺)への礼賛過多というか、
そういうものに対する劣等感みたいなものが、
影響しているといっていいのかもしれない。


日本のアニメが隆盛を誇ってるのは、
例え半世紀前の、
今よりはいろんな意味で劣っているものにさえ、
どこかで強いリスペクトを、
作品もしくは制作関係者に持ち続けているという、
そういう部分が作り手にも受け手にもある。

だけど日本のクラシックはどうかというと、
作り手はまだそうでもないかもしれないが、
受け手にあたる聴衆にはどこかそういうものが希薄だ。

技術的に劣るもの古いものは価値なしというのか、
減点法的な価値観というのだろうか、
なにかあるところから、
ズバッと切り捨てているような感じがする。

そしてそれが、
日本のクラシック音楽が、
外付けされただけの文化みたいな、
そういう感じを受けてしまう原因なのかもしれない。

かつて外国の評論家とのシンポジウムで、
日本の音楽は「形」ばかりにこだわりすぎで…
みたいな発言があり、
音楽評論家の東条碩夫さんが、
それに強く異を唱えたということがあったと記憶している。

おそらくこのとき外国の評論家からみた日本のそれは、
日本土壌や根っこの部分と、
今日本が演奏しているそれの間に、
妙な乖離感みたいなものを感じていたのではないだろうか。

そのためいくら優れていても、
外の形はたしかによくできているが、
そこへ供給されている実がどこからきているのか。

はなはだこれまたとってつけたように、
他国の語法にそのまま乗っかったか、
それこそインターナショナル基準みたいな顔した、
ただのステレオタイプの語法のみしか、
それができるための大元になかったとしたら、
この言い分にも正直一理あるといえるかもしれない。

それを思うと、
日本人は自分たちの感覚、
特に西欧音楽に対しての今の感覚や価値観が、
どういう歴史を経て成長発展、
そして日本に広まっていったのか、
そこのところを知らなさすぎるというか、
あえて目を背けているのでないかという、
そんな感じも強くした。


話は大きく脱線したけど、
今回の講義の人の少なさをみて、
自分はそれがすべてではないとしても、
日本のクラシック音楽の、
ときおり感じる「砂上の楼閣」感のようなものの、
その理由の一端が垣間見られたような気がした。

だからそれだけに今回のそれは、
正直もっと多くの人に見聞してもらいたい内容だった。

ただし逆の発想で、
これらをライトユーザーの人たち、
例えば5月GWの有楽町あたりで、
オープンスペースでやったりすると、
違った形でオペラに興味をもち、
さらには西欧の音楽をより身近に感じ、
音楽のある生活をこれからもおくっていくという、
そういうきっかけになるような気がする。

自分のようにオペラがそんなに得意ではなくとも、
これだけ楽しめたということは、
そういう要素が少なからずあるということだろうし、
山崎さんあたりの本音は、

「じつは音楽はこんなに愉しく身近なものなんです」

というものなのかもしれないし、
このときの講義も、
つまるところそこが終着点だったのかもしれない。


と、
最後は適当に無責任な憶測をぶちまけましたが、
とにかく今回の講義はそういうふうに自分には感じられましたし、
とても有意義なものでした。
(ただ体調不良のため一回休んでしまいました。残念)

しかしかつての浅草って、
自分なんか想像するよりも、
けっこうダイナミックでカラフルだったようです。

それが分かっただけでも自分は大満足でした。


〆です。

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第4回クラシックソムリエ検定試験ゴールドクラスの結果がきた。 [クラシック百物語]

あまりに予想通りで笑ってしまった。

結果は

700点

またこういう綺麗な数字ですか、
といった具合で、
ほんとまたしてもあまりにもお約束通りになってしまいました。


これで、800、600、700、と三年連続端数無しなんで、
ピタリ賞とかくれないかなあ…。


今回は残念ながら平均より2点ほどショートしましたが、
過去のそれをみてもあんまり自分はそういうことに関係ないみたいです。

ただこれでやっと800を出せる目安がついたので、
来年はちょっと期待しようかなと思ってます。

因みに今回は合格者はそこそこいるようです。

受かったみなさま、おめでとうございます。


尚、来年からは受からなければ報告しません。

というのも自分はいいんですが、
(正直言うとそんなに良くも無いですが…)
受験生が時期的にここを偶然みてしまうと、
けっこう人によっては気にする人もいるようなので…。

というところでご報告まで。
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