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コルトレーン・ライブ・イン・ジャパン [JAZZ]

1966年6月。

日本は未聞の熱気に包まれた。

社会現象にまでなったビートルズの来日。

6月29日に来日。翌日から三日間武道館で公演、そしてその翌日帰国。

この間を含めじつに多くのことがビートルズがらみであったが、
それはここに書ききれないくらいのものがあったようだ。

だが多くのジャズファンはこの一週間ほど後に来日する、
あるアーティストとそのグルーブに気持ちが向かっていた。

ジョン・コルトレーン・クインテット。

当時ジャズの最先端を走っていた巨人。当時39歳。

この一行を待ち構えていた。

コルトレーンは7月8日に来日。

そして7月10日のサンケイホールでの公演を皮切りに、
最終の23日の愛知文化講堂まで休みなしで連日公演を行った。
しかも一日二回公演もあったというから殺人的な凄まじさだ。

いくら東京大阪間にすでに新幹線が走っていたとはいえ、
あまりにもあまりにもだ。

ただこの公演地に広島や長崎が入っていたのは、
コルトレーンの希望からだろうか。
とても意味深なものをこれには感じてしまった。

そして24日には帰国と、まるで嵐のような弾丸ツアー。

7月のこの時期というと梅雨明けと真夏が交錯する時期という、
かなり過酷な気候ということもあり、
コルトレーンはこの来日公演以降体調を崩してしまったという。

そしてこれが最後の国外ツアーとなり、
翌年5月に行ったコンサートが生涯最後のものとなり、
離日から一年も経たない7月17日に急逝した。享年40歳。

来日時に十年後の自分はと聞かれたとき

「自分は聖者になりたい」

と発言したという。

ほんとうにそのとおりになってしまった。


そんなコルトレーンのこの過酷な最初で最後の来日公演。

その二日目11日のサンケイホールでの公演と、
東京での最終公演となった22日の厚生年金会館でのライブ盤が、
各々CD2枚分の4枚組で発売されている。

4e1baa41.jpg

初日は休憩時間無しで三曲90分程の公演だったようだが、
この二日目は曲数こそ同じだか演奏時間は二時間ほどのものなっている。

来日メンバーは、

ジョン・コルトレーン、ファラオ・サンダース(サックス)
アリス・コルトレーン(ピアノ)
ジミー・ギャリソン(ベース)
ラシッド・アリ(ドラムス)

というもの。

当時日本ではトレーン、タイナー、ギヤリソン、ジョーンズという、
この不滅のメンバーによる演奏がイメージとしてはあったようだが、
タイナーが来日前年末、ジョーンズが来日前の春に退団したため、
ギャリソンを除くとあまり馴染の無いメンバーによる公演となった。

だがこのメンバーによるそれは仰天のものとなった。

演奏はそれ以前のものよりはるかにフリー色の強いものになり、
演奏時間も極大なまでに膨れ上がっていた。

特にこの日演奏された「クレッセント」はギャリソンの長いソロを含めると、
じつに50分を超える巨大なものとなった。

しかもコルトレーンがひたすら吠える。

このときのコルトレーンの演奏する姿をみた人の話では、
よだれを流しながらひたすらなにかに取りつかれたかのように吹きまくる、
そのコルトレーンの姿に圧倒されまくったということで、
中には自分の人生観すら変わったという人までいたとか。

この命を削るような凄絶な演奏がこのあと十日間以上も、
しかも一日複数回の公演もあったというのだから、
もはやそれは尋常とはいえないものがある。

それに当時のコルトレーンはすでに肝機能にやや異常があったようで、
実際当時のコルトレーンが妙に太っていたことを、
後々思い出していた人がけっこう多かったとか。

そんな状況の中でよくもこんなことをと、
ほんとうにこのライブを聴くたびに絶句してしまうし、
音楽とは何なのかを真剣に考えさせられてしまうものがある。


だが22日のライブはさらに凄まじかった。


ここでは演奏時間はついに二時間をはるかに超えてしまい、
もはや前人未到の世界にコルトレーンが突入したことを感じさせる、
ほんとうに凄まじいものとなった。

特に二曲目に演奏された「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、
冒頭のギャリソンのソロがなんと15分近くにまで及んでいる。

そしてそのあとじつに四十分、
まさに怒涛のコルトレーンワールドが展開されつくしていく。

この凄まじい曲の後、ほとんどなだれ込むように最後の曲
「レオ」がこれまた四十分以上演奏される。

つまり二曲95分をほとんどノンストップで演奏してしまったのだ。

リズムセクションのタフさもここでは特筆すべきだろう。


ところでこの熱狂の終わりでこのライブ盤は面白い光景を収録している。

それは演奏が終わりそうなかんじになりかけたときのこと。

ドラムが猛烈な叩き込みをみせながら、
リズムセクションの演奏がまだ終わっていないというその状況で、
突如マイクで日本人のMCがそこに割って入る。

以下、次のような感じとなっている。

因みにドラムスは下の吹き出しのような発言はしていません。
念のため。


------------------------


                _∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
     デケデケ      |                         |
        ドコドコ   <  おどりゃあこなくそ!!         >
   ☆      ドムドム |_  _  _ _ _ _ _ _ _ _|
        ☆   ダダダダ! ∨  ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
  ドシャーン!  ヽ         オラオラッ!!    ♪
         =≡= ∧_∧     ☆
      ♪   / 〃(・∀・ #)    / シャンシャン
    ♪   〆  ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
         ||  γ ⌒ヽヽコ ノ  ||
         || ΣΣ  .|:::|∪〓  ||   ♪
        ./|\人 _.ノノ _||_. /|\
            ガッガッガッ
         ドチドチ!

「それでは花束を贈呈…」

                _∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
     デケデケ      |                         |
        ドコドコ   <  まだ終わってねえぞー!        >
   ☆      ドムドム |_  _  _ _ _ _ _ _ _ _|
        ☆   ダダダダ! ∨  ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
  ドシャーン!  ヽ         オラオラッ!!    ♪
         =≡= ∧_∧     ☆
      ♪   / 〃(・∀・ #)    / シャンシャン
    ♪   〆  ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
         ||  γ ⌒ヽヽコ ノ  ||
         || ΣΣ  .|:::|∪〓  ||   ♪
        ./|\人 _.ノノ _||_. /|\
            ガッガッガッ
         ドチドチ!

 …(全然やめる気配なし)

「花束の提供は産経スポーツ、産経新聞社、フジテレビ、日本ビクター株式会社、キングレコードでございます。」

(ドカバカドカドカ、バシッバシッ、チャーン、ドロドロドロドロ…演奏終わる)


「ついに二時間十分になんなんとする大熱演でございました。えー、つい皆さんもお疲れになったと思いますが…」

---------------------


というMCが観客の熱狂的な拍手と歓声の中から聞こえてくる。

おそらくこれは当時のホールの使用時間が、
かなり危険なリミットに近づいていたためなのだろう。

因みにこのMCは相倉久人さんとのこと。
(当初団しん也さんだと勘違いしていました。すみません。)

この場内もプレーヤーも完全な出来上がり状況での〆のMCは、
けっこうきつかったことだろう。


だがそれ以上にやばく感じたのがこの花束贈呈。

いったいどういう状況で花束を渡したのか滅茶苦茶気になってしかたがない。

おそらく提供が五つ読み上げられたので人数分あったのだろうが、
ドラムの狂ったようなバシバシとしばきあげてる状態での花束贈呈など、
試合終了直後ブルローブを振り回して暴れるスタン・ハンセンへのそれと同じで、
ちょっと無謀というか命知らず的なものを感じさせられてしまうものがある。

花束嬢など間違って頭をスティックで引っぱ叩かれてたんじゃないのかと、
ほんとなんとも気になってしかたがない。


まあそんなことはさておきということで、
とにかくこの稀に見る凄まじい演奏がこのとき行われ、
それは現在でも語り継がれる程のものとなっている。

そしてこれらが録音されCDで今も発売されている。

ただ残念なのはこれらが良好な音質とはいえ、
なぜかすべてモノラル録音ということだ。

当時はけっこうステレオ録音がこういうライブでは主流だったので、
これだけはなんとも残念だ。


だかこれほどの歴史的な演奏が
とにかく二公演分コンプリートに残されていたのはとてもありがいことだ。

コルトレーンのアルバムとして決して聴きやすくない、
というより最もハードでヘビーな内容のアルバムかもしれないが、
ひとりのアーティストの凄まじいまでの生き様が聴けるアルバムとして、
ぜひ後世まで語り伝えられほしい不朽のアルバムです。

以上で〆。

因みに来年(2016)はコルトレーン来日から五十年、
そして生誕90年にあたります。


尚、このCDの収録曲は以下の通り、


ディスク 1
Afro Blue
Peace on Earth

ディスク 2
Crescent

(以上、7/11)


ディスク 3
Peace on Earth
Leo

ディスク 4
My Favorite Things

(以上、7/22)
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ベニー・カーターの思い出 [JAZZ]

ベニー・カーター(1907-2003)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC


「キング」とまでよばれた往年のジャズの巨人だ。


バード出現以前は、
ジョニー・ホッジスやウィリー・スミスと並んで三大アルト奏者といわれただけでなく、
作曲や編曲にも才を発揮し、
リーダーとしてもソリストとしても卓越した人だった。


だがその知名度はあまりその実力に比して高くなく、
いくつかの日本公演ではけっこうな空席も出たときもあった。

だけど個人的にはカーターのソロやその率いるグループには、
つねに安定したそして決して期待を裏切ることの無い水準の高い演奏を行うことで、
圧倒的な信頼をそこに感じていました。


自分はカーターを三度、
1987-1989年まで三年連続で聴くことができたが、
その昔の録音とかわらない瑞々しいサックスの音、
味わいのあるトランペット、
その明るく大きく張りのある声、
とても80才を超えているとは思えないものがありました。


そんなカーターのアルバムで自分のお気に入りというと、
1977年に来日したときのアルバム。

BC.jpg
『Live and Well in Japan!』

(曲目)
1. Squatty Roo
2. Tribute to Louis Armstrong
(When It's Sleepy Time Down South - Cofessin' That I Love You - When You're Smiling)
3. Them There Eyes
4. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)

(メンバー)
Benny Carter (as, tp)
Cat Anderson (tp)
Joe Newman (tp)
Britt Woodman (tb)
Budd Johnson (ts)
Cecil Paine (bs, fl)
Nat Pierce (p)
Mundell Lowe (g)
George Duvivier (b)
Harold Jones (ds).

1977年4月29日新宿厚生年金会館におけるライブ。


ビッグバンドではないがコンボでもない。

いわゆるデクテット編成によるもので、
ちょっとマーティ・ペイチのそれを思い起こさせるものがある。

ただメンバーが凄い…というか強者揃い。

二人のトランぺッターはそのまま翌年のライオネル・ハンプトンのバンドで、
カーネギーホールを熱狂させたそれで、
ここではそのときのような熱狂的なプレイではないものの、
熱くそれでいてリラックスした素晴らしいプレイがここでは聴かれる。

他にも1987年にもカーターとともに来日したウッドマンやペイン。
そしてカーターと相性抜群のベース、デュヴィヴィエ。

バッド・ジョンソン、マンデル・ロウ、ナット・ビアース
さらにベイシー楽団の名ドラマー、ハロルド・ジョーンズ。

当時二度とのぞめないメンバーによる来日といわれたが、
確かにこのメンバーは凄い。

もっとも1979年の来日メンバーもピアノがレイ・ブライアント、
トロンボーンがジミー・クリーブランド、
ギターのかわりにヴァイオリンのジョー・ケネディという具合で、
これもまた強烈なメンバーでの来日となっている。


そんな77年の来日公演のそれが自分はとにかく気に入っている。

できればコンプリートで出してほしいところだが、
現在コンプリートどころかこのアルバムそのものが入手困難だという。

そういえば同年モントルーで行われたクワルテットによるライブも、
あまり最近みかけない。

これもまたカーターの至芸を味わえる名盤なだけにこれも残念。

このあたりもぜひ潤沢に購入できるようにしてほしいところです。


因みに自分は偶然カーターを間近でみかけたことがある。

三度目の来日時、交通渋滞により来場が遅れ、
入場を待つ自分を含めた大勢の人たちの間を縫って、
悠々と正面から会場に入ろうとしたときだった。

当然一斉まわりから歓声と拍手が起こったが、
そのとき自分のそばまで来たとき顔見知りの人がいたのだろうか、
立ち止まり大きな声でその人と何か笑顔で声をかけあった。

そのときカーターは自分と同じくらいの身長(175㎝)にみえたのですが、
頭がとにかくでかい!

自分の倍あるんじゃないかというくらいでかくみえた。
ただ全体がでかいというわけではなく前後に大きいというそれはかんじだった。

カーターは存在そのものもでかいが頭もでかい。

それが自分が身近でみたカーターの印象。


なんか最後しょうもない思い出話で終わって恐縮ですが、
となかくいろんな意味でベニー・カーターは自分にとって大きな存在でした。


今年(2015)は彼の十三回忌ということでカーターの話をひとつでした。


〆です。

尚、1980年にもカーターは第一回オーレックス・ジャズフェスティバルに、
来日中止となったジョージ・ベンソンの代わりにクインテットで来日したが、
そのライブ盤もやはり入手困難とか。

メンバーは、

Benny Carter (as)
Harry "Sweets" Edison (tp)
Teddy Wilson (p)
Milt Hinton (b)
Shelly Manne (ds)

なんとかしてほしいなあ。
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昔のジャズもカッコいい。 [JAZZ]

というタイトルですが、
じつは最近1920年代頃のジャズの録音を聴くと、
正直かなりスピーディーなものを感じることが多い。

キング・オリバー、フレディ・ケパード、ルイ・アームストロング、ジャボ・スミス…。

なんというのだろう、とてもスピード感があり、それでスマートで、
けっこう鋭角的な攻撃的ともいえるサウンドに聴こえてくるものが多い。

ようするに自分たちは時代の先端を行っているのだという、
そういう自負がそのままカッコよさに繋がっているような、
そんな感じがするのです。

これはマイルスやコルトレーン、
さらには一時のバードやブレイキーにも感じられるもので、
時代を切り開いていくという勢いみたなものが、
そういうものを感じさせているのかもしれない。


1923年にキング・オリヴァーの録音したものなどは、
たしかルイ・アームストロングの初の録音でもあったと思うが、
なんとも愉しさの中にもほどよい爽快感と緊張感が感じられるものとなっていた。

そしてフレディ・ケパードが1926年録音したこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZJDAWEqqbDE
スタイルは古いがこれもじつに颯爽としたかんじの演奏だ。

さらにジャボ・スミスのこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=VPnk26r-V0s

確か1929年の録音のはずですが、
これなど今聴いても全然もたれた感じがしない。

そしてこれらの録音がされたころ、
あのガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が1924年にでてきた。
https://www.youtube.com/watch?v=NIr_WPcVDt8

因みにそれより以前、
かのストラヴィンスキーがアンセルメによって影響を受けたジャズはラグタイムで、
それは1918年の「11楽器のためのラグタイム」となってあらわれた。
http://www.youtube.com/watch?v=QLwqVJ-owtg

ところでこのストラヴィンスキーの曲や最初のキング・オリヴァーの録音を聴くと、
ジャズにはまだアンサンブル重視でソロへの概念がまだそれほど明確ではない。

だが1924年のガーシュウィンのそれがヒットして以降、
ルイ・アームストロングがフレッチャー・ヘンダーソンの所に行った時期でもあるが、
そのあたりから次第にソロに対して次第にその感覚が変わっていくことになる。

このへんはルイの独創性が先なのか、
それともガーシュウィンのもち込んだクラシックにおけるソロの概念が先かは分からないが、
これ以降ジャズはアンサンブルのカッコよさからソロのカッコよさ、
つまり集団から個のそれがクローズアップされていくことになり、
それがオーケストラからコンボへの時代と移っていくことになる。

もっともそれがより明確になるのはスイングの時代が終わり、
バップ全盛となる1940年代後半以降の話となってくる。

でもその間ひとつ変わらないのは、
とにかくジャズはカッコいい音楽だったということだ。

マイルス出現以前はもちろん、
ルイがシカゴに出てくるより前から、
ジャズは当時のアメリカにおける新しい、
それこそピッカピカのカッコいい音楽だったのだ。

そういえばかつて日本ではトスカニーニの指揮したガーシュウィンが、
面白みがなく速すぎのダメ演奏みたいな言われ方をされていたことがあったが、
あの演奏はじつはガーシュウィンが監修した演奏とよく似たテンポではじめられており、
しかもかなりシンフォニックでカッコいい演奏で、
ガーシュウィンのそれに似たかなり辛口の演奏だった。

それを思うとかつての日本人の一部のそれは、
ジャズをノスタルジックなものとしてモダン以前のものを捉えていたのに対し、
トスカニーニはあまりガーシュウィンを理解してはいなかったものの、
ジャズのカッコよさというものを本能的に掴んでいたということでは、
むしろかつての一部の日本人のそれよりは、
はるかにジャズの核心を理解していたといえるかもしれない。

ちょっと話があちこちにとんだけど、
とにかくジャズって昔からカッコいい音楽だったんだなあと、
特に最近強く思うようになった次第です。


しかしそうなるとバディ・ボールデンがどんな演奏をしていたのか、
ぜひ聴いてみたかったものです。
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アート・ペッパー・ファースト・ライブ・イン・ジャパン [JAZZ]

アート・ペッパーが初めて来日したのは1977年の4月。

だけどそれは酷い状況でのものだった。
麻薬常習の過去をもっているものへの入国審査が厳しい日本。
そこへペッパーが入国できるというのはかなり厳しいものが予想された。

このため招聘元はカル・ジェイダーグループのゲストとしてペッパーを招聘したものの、
その入国に半信半疑のためであったのか、
そのポスターにはペッパーの写真どころか名前すらクレジットしていなかった。

その後奇跡的に入国審査にパスしてしまったからさあたいへん。
切符も売れてなかったのでこれ幸いではあったものの、
ポスターに上から書き込んだりする応急処置などしたものの、
ホールは満員にはほどとおい入りで初日を迎えたという。
今みたいにネットがあればこんなことはなかっただろうが…。

さらに悪いことは続く、
メンバーはペッパーの頼んでいた打ち合わせを怠り
しかもリハも10分にもみたない時間しかとれなかったという。

しかもペッパー自身はなぜ日本公演に自分の名前が無いのかという理由を知らず、
日本で自らのレコードがよく売れているという事実も、
リップサービス程度ということにしかとらえていなかった彼には、
絶望的な気持ちで休憩後の舞台に行くような気持ちだっただろう。

そしてそこでペッパーは信じられないほどの大きな拍手と喝采を浴びた。
ペッパーは舞台上で深くおじきをしたまましばらく動かず、
観客席でみていた妻ローリーはこの光景に涙したという。

ペッパーの自伝にはこうある。

「僕の期待は裏切られなかった。日本は僕を裏切らなかった。本当に僕を受け入れられたのだ。やっと報われたのだろうか。そうかもしれない。たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。生きていてよかった、と僕は思った。」-以上CDのライナーより-

その後ペッパーが翌年から1981年まで毎年来日、
最後の来日は一か月で二十か所も公演をしたという。

これほどファンとミュージシャンが幸福な関係を築いた例はそんなにないだろう。
ファンがミュージシャンを支え
そしてそれにミュージャンが応えたその出発点、
それがこのアルバムだ。

zzz034.jpg

1.INTRODUCTION
2.CHEROKEE
3.THE SPIRIT IS HERE
4.HERE´S THAT RAINY DAY
5.STRAIGHT LIFE
6.MANTECA
7.MANHA DE CARNAVAL
8.FELICIDADE

 1977年4月5日東京郵便貯金ホールにてライブ録音

 Cal Tjader (vib)
 Art Pepper (as)
 Bob Redfield (g)
 Claire Fischer (p)
 Rob Fischer (b)
 Peter Lynn (ds)
 Poncho Sancez (perc)

ここで収録されたそれはその劇的な初日の模様ではないが、
その五日後により良好な状態で録音されたものということで、
ペッパーはかなり好調だ。

他人のグループでの演奏ということで、
多少勝手は違うかもしれないが、
それでも随所に凄いほどのノリが聴かれる。

一曲目の「CHEROKEE」の終盤
リズムセクションとともに異常にテンションの高い音楽に突入するあたり、
正直聴いていてゾクゾクしてしまうほどだ。

「STRAIGHT LIFE」も同様に素晴らしい。

http://www.youtube.com/watch?v=Fb9Xboq7vIU

ひとつの歴史の一頁として残しておきたいこれは一枚です。
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アート・ペッパーのゴーイン・ホーム [JAZZ]

※かつて書いたものに若干加筆したものです。

アート・ペッパーが1982年6月15日にロサンゼルスのカイザー病院でこの世を去ったとき
彼の音楽を愛する多くの人々はその報せに愕然とし
そしていかに多くの涙を流したかを
当時を知る人から聞いたことがあります。

自分がジャズを本格的に聴きはじめたのはちょうどこの年の
7月の初めころだったような気がする。
つまりペッパーのこのときのことをよくは知らないし
もちろんその演奏を聴いたこともなかった。
そしてどうしてそうなったのかはわからないが
自分がはじめてペッパーのアルバムを聴いたのは
かの「ミーツ・リズムセクション」でもなければ
あの「ヴィレッジバンガード」でもない
ペッパーのラストレコーディングとなった
この「ゴーイン・ホーム」だった。

ペッパーの亡くなる一ヶ月前のこの録音は
ペッパー唯一のピアノとのデュオアルバムなのですが
本来のアルト・サックスだけではなく、クラリネットも吹いています。
で、今あらためてこれを聴くと
これほどアルトのような味わいをもったクラリネットというのも他に類がなく
それがまた独特の雰囲気を醸し出しているように感じますし
またなんともいえない哀愁の色合いを感じてしまいます。

そんな中でいつ聴いても強く感銘を受けるのが
ペッパーの葬儀のときにも流れ
多くの参列者の涙を誘った
このアルバムタイトルともなった一曲目の「ゴーイン・ホーム」。

このドヴォルザークの新世界交響曲の第二楽章のテーマでもあり
後に「家路」として黒人霊歌としても知られるようになったこの名曲を
ペッパーは親友ジョージ・ケイブルスのビアのとともに、クラリネットでじっくりと詩いあげていきます。
このペッパーの深い情感を宿した、
そして終盤のまるで沈みゆく夕暮れに嗚咽をするような泣きの表情と
それをじつに清澄かつ瑞々しく愛情を込めてサポートしていくケイブルスのビアノに
自分はいつ聴いても目頭に熱いものを感じてしまいます。

このアルバム
じつはいろいろな人の作品が収録されています。
ドヴォルザークからはじまり、エリントン、カーマイケル、リチャード・ロジャース
チャーリー・パーカー、そしてスティービー・ワンダーやレイ・チャールズのヒット曲と
それはまるでペッパーがアメリカという国から別れを告げる前に
思いの丈と現在の心象風景を重ねあわせたようで
哀愁感だけではない、なんともいえない不思議な透明感をも持ったアルバムとなっています。

アルバムタイトル「ゴーイン・ホーム」が神の国へと戻るという意味なのか
それともアメリカという国の大地に帰っていくという意味なのか
それは自分にもわかりません。

ですがここで聴かれる深い息づかいをもったペッパー自身の心情の吐露は
いずれにせよペッパーがより幸せな世界へと旅立っていったと
そう考え、そう思いをのせたくなるような演奏です。

なぜペッパーが多くの人々に愛され
そしてその死に多くの人が涙したかを
この音楽と人との、哀しくも優しいコラボレーションがその一端を垣間見せてくれる
そんな感じがするアルバム
それがこの「ゴーイン・ホーム」です。

http://www.youtube.com/watch?v=ldap3NXWdpc

(9月1日のアート・ペッパーの誕生日によせて。)

ZZ013.jpg

(2012 6/15 追加)

ペッパーが亡くなられてから20年がたちました。
この間にペッパーのラストライブのCDや
日本での公演CDがたくさん発売もしくは再発されました。
最後の数年間ペッパーは毎年のように来日してくれました。

ある方がペッパーが初来日のとき
万雷の拍手を受けて登場したときなかなか頭をあげなかったのをみて
「泣いてるのかなあ」
と友人に話しかけたといいます。
このときのことは
http://blogs.yahoo.co.jp/schizoidman1959/7831941.html
のサイトをはじめいろいろなところに書いてある。
読んでいて不覚にもまた涙してしまった。
年とったなあ。


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パンチ・ミラー1960 [JAZZ]

パンチ・ミラー(1894-1971)

ニューオリンズの名トランぺッター、パンチ・ミラー。
この人のことを知ったのは、
外山喜雄さんの著書「聖者が街にやってくる」だった。

そこに書かれていた「ブルースの王様」としての若き日の栄光と、
その後の「ニューオリンズに死にに来た」という記述が印象的だった。
そしてそれにより、
1963年にジョージ・ルイスのグループの一員として来日した時の、
そのときの演奏を聴きファンになった。

明るい音楽を演奏しているのに、
なにかまるで悲しみや苦しみを呑み込みながら、
呻くようにしかし愉しく歌い吹きまくるその音楽に、
こういう音楽もあるのかというくらい強く心を揺さぶられたものだった。

そんなパンチのリーダーアルバム。
来日三年前の七月七日に録音されたのがこのアルバム。

pm.jpg

パンチ・ミラー1960

Punch Miller-tpt
John Handy-cl,
Eddie Morris-tmb
Louis Gallaud-pno
Emanuel Sayles-banjo
Sylvester Handy-bs
Alex Bigard-dms

1 Play Jack Carey
2 Corrine
3 Casey Jones
4 Mama Don't Allow It
5 Buddy Petit's Blues
6 Exactly Like You
7 Tin Roof Blues
8 Ice Cream
9 My Bucket's Got a Hole In It
10 Buddy Petit's Jump
11 West Indies Blues
12 Down By the Riverside
13 My Bucket's Got a Hole in It, No. 2

とにもかくにもハチャメチャでメチャ元気、
しかもどうしてなのかちょっと泣ける、
そんなバンチのペットとヴォーカルが聴ける、
ある意味ビックリ箱的なこのアルバム。

ルイスと一緒に来日したときのメンバーでもある、
セイルズのバンジョーも聴けるのが嬉しい。

それにしてもこの頃のパンチはどうなのだろう。
外山さんが言われたような「死にに帰ってきた」ような、
そういう悲壮感みたいなものは感じられない。
ただ言葉ではうまく言えないけれど、
なんか酸いも甘いも味わい尽くした人間しか出せないような、
そんな類の音楽がここにはあるような気がする。

いやそんな言葉でさえこの音楽の前では、
とってつけたような過剰な美辞麗句にさえ感じられてしまう。

音楽って本当は言葉にしちゃいけないんじゃないか。
という気持ちにもさせられるこの音楽。

モノラル録音だけど音質は聴きやすい。

あとはこのサウンドとあうかどうかというところですが、
隠れたニューオリンズジャズの名盤ともいえるこのアルバム。
機会があればぜひ一聴を。
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武田和命 「ジェントル・ノヴェンバー」 [JAZZ]

take.jpg

SOUL TRANE
THEME FOR ERNIE
AISHA
IT'S EASY TO REMEMBER
ONCE I TALKED
OUR DAYS
LITTLE DREAM
GENTLE NOVEMBER

武田和命 (ts)
山下洋輔 (p)
国仲勝男 (b)
森山威男 (ds)

1979年埼玉県坂戸文化会館


今年(2011)の8月18日に23回忌を迎えるテナーの武田さんによるアルバム。

自分は武田さんのことはそんなに知らない。
ただ伝説的なテナーマンであることくらいだ。

だがこの
「ジェントル・ノヴェンバー」
を聴いたときその理由がわかる気がした。

その思いの丈がつまったような、
しかもそれを剥き出しにするのではなく、
魂に青白い焔を灯しながら
かみしめるように表現していくその演奏に、
自分は聴くたびに深くうたれるものを感じたものでした。

またここでの山下さんの清澄な響きのピアノも秀逸です。

この演奏は現在もCDで発売されています。


もし機会がありましたらぜひ全曲お聴きください。

日本人のジャズなんて、と思われる方にもお薦めです。

それにしても一度でいいから実際に聴いてみたかったです。
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柴田敬一「ライツ・アンド・シャドウズ」 [JAZZ]

kei.jpg

このアルバムは1985年に発売されたピアノのソロアルバム。

ピアノの柴田さんがジャズピアニストということで
ジャズのカテゴリーとしたが、
内容的には和風ジョージ・ウィンストンというかんじのアルバムだ。

だがそこにはそれを真似たという雰囲気はなく、
当時二十代だった柴田さんの瑞々しい感性が、
それこそ滴るばかりの詩的で
そして優しさを心のかぎり詰め込んだような
そんなアルバムとなっています。

1. ダンシング・リーブス
2. 幼心への憧憬
3. 木霊(コダマ)
4. 安息の地(アンソクノチ)
5. ライツ・アンド・シャドウズ
6. 東方の王たちの捧げもの
7. せせらぎ
8. こずえを渡る風
9. 夜のとばり

全9曲、約47分。

このアルバムの一曲目「Dancing Leaves」
http://www.youtube.com/watch?v=HetriuX6IJE


現在は残念ながら廃盤といことですが、
まだ一部サイトでは入手可能で配信もあるらしいとのことです。

尚、柴田さんは残念ながら2009年に急逝され、
今年(2011)の8月25日には三回忌を迎えられます。
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オスカー・ピーターソン1987 [JAZZ]

OP1.png

Oscar Peterson The Quartet Live Featurring Joe Pass

Oscar Peterson(piano)
Joe Pass(guitar)
David Young(bass)
Martin Drew(drums)

1. CAKEWALK
2. LOVE BALLADE
3. SOFT WINDS
4. YOU LOOK GOOD TO ME
5. MY ONE AND ONLY LOVE
6. NIGERIAN MARKET PLACE
7. COOL WALK
8. I CAN'T GET STARTED
9. COME SUNDAY
10. REUNION BLUES
11. IF YOU ONLY KNEW
12. SUSHI BLUES
13. BLUES ETUDE

1987 2/28 五反田簡易保険ホール


1987年前後はキース・ジャレットをはじめ
多くのジャズピアニストを聴いた時期だったが
その中には4年ぶりに聴くオスカー・ピーターソンも含まれていた。

ピーターソンは自分がジャズを好きになる前に知っていた、
数少ないジャズの巨人で、
初めて知ったのはNHKのテレビ番組
「世界の音楽」でそのライヴが放送されたときだった。

そのパワフルでガンガンおしてくる演奏に
ジャズのジの字も知らなかった自分でさえも
その演奏に魅了されたものでした。

ですがその後しょっちゅう来日していてくれた割には
なぜか自分は聴きにいくことがなかったのですが
1983年のJATP来日時に、
ピーターソンもメンバーとして同行するということで、
ようやく初めてその実演に接することができました。

初めてみたピーターソンはとにかくデカイ。
ピアノの前にその小山のような巨大な身体が座ると、
その目の前のグランドピアノも小さくみえてしまうどでした。
初来日時に座っただけでピアノの椅子を折ってしまっという話も、
これなら当然と思ってしまったほどでした。

だが一度弾き出すともうその凄さは半端ではなかった。
手数の多い弾き方でガンガン弾きまくり、
しかも猛烈にドライブしてくる。
他の三人のメンバーとともにとにかく一丸となって、
迫るように弾まくってくる。

「うーん、やっぱ凄いなあ。」

これがそのときの偽らざる実感だった。
でその後ピーターソングループだけ再度聴きたいとおもっていたが、
しばらくそういう機会がなく
1987年にようやくその機会がめぐってきました。

自分の行った追加公演は正直ガラガラでしたし、
ベースが四年前とは変わっていたものの、
それでもあいかわらずのその演奏に
当時風邪気味だった自分も大いに満足したものでした。

今回ここで紹介するDVDはその追加公演に先立って行われた、
別の日の東京公演でのライブ。
ここでも冒頭からあいかわらずの強烈なノリが爆発。
そして他の曲ではじっくりと聴かせるバラードあり、
ギターのジョー・パスもあいかわらずの超絶演奏、
とにかくもう盛りだくさんの九十分近いライヴ盤で、
最高に「ごちそうさま」という感じでした。

またいつか聴きたいと思ったものの、
その後なかなかその機会がなく、
パスはその後グループを離れてしまいました。

そしてその後1993年にピーターソンが病に倒れ、
翌年パスが逝去したことにより、
このサウンドは永遠に失われてしまいました。

このDVDはそんな在りし日の
ピーターソン4の名演を記録した
とても貴重かつ素晴らしい内容となっています。

それにしても最後の「BLUES ETUDE」での
その圧倒的なピーターソンのプレイを観ていると、
ピーターソンが亡くなって今月23日に
もう三年もたってしまうというのが嘘のようです。

OP.png

音質画質ともなかなかのものですし、
国内盤(YMBZ-30117)は期間限定価格とのこと。

もし機会があれはぜひお聴きになってみてください。
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YouTubeでみる LIVE UNDER THE SKY [JAZZ]

YouTubeというと
最近ではアニメの違法ダウンロードの温床の巣窟みたなところがあるけど
本来はそういう目的のサイトではない。

記録用のものだったりとか
発表の場みたいなものだったりという
そういうものにも使用されていた場所だった。

というわけで別にYouTubeは
悪の巣窟というわけではない。

そんなYouTubeにじつは
いろいろなジャンルの音楽もUPされている。

中には音源だけで画像はイメージ
もしくはその関係のものというものもあるが
みているとかつてTVで放送されていた
貴重な映像の数々もUPされている。
たしかに現在DVD化し発売されてるものをUPするという
犯罪行為みたいなものもあるけど
中には過去一度TVで放送されたまま
そのままお蔵入りしていたようなものもある。

たしかにこれらも本当は著作権上問題なのかもしれないけれど
ただ永久にどこかの蔵の中にしまわれているくらいだったら!
という気持ちが自分にはある。

もちろんそれがCD化されたりDVD化されたりしたら
それらを即削除するのが礼儀だろうし常識だと思うけど
それまではやはり人類の遺産として
ある程度は公開されていてもいいと思う。
ほんとはいけないのは百も承知だけれど…。

そんな中で自分がかつてTVをみてて腰が抜けるくらい
とにかく圧倒されたライヴ映像がUPされていた。

1991年7月末に読売ランドEASTで行われた
LIVE UNDER THE SKYでのライヴ。

HERBIE HANCOCK (P)
WAYNE SHORTER (SAX)
STANLEY CLARKE (B)
OMAR HAKIM (DS)

というスーパーバンドの演奏による
「Cantaloupe Island」

このグループは来日前にもドイツで演奏していて
そのときのライブが二枚組でブートで出ていたようだが
こちらは一曲とはいえ映像だ。

演奏時間はじつに15分近くかかっているが
とにかく全員がおっそろしく熱い!
いきなりショーターのサックスが吠えまくり
続くハービーのピアノが火を噴くといった感じで
聴いていてもうクチがあんぐり状態だった。

そしてクラークのチョッパー大爆発
ハキムの心臓破りの叩きまくりと
もう全員が炸裂しまくっている。

これ聴けた人はほんと幸せだと正直思った。

自分も当初は
このウエザーリポートみたいなハンコックバンドに
かなり興味津々だったのですが
日程があわず涙をのんだものでした。

ただ自分にとってこれをこうして聴けるのは
ほんとうに嬉しい。

他にもクレンペラーの1970年のベートーヴェンチクルスや
カルロス・クライバーの日本公演のライヴ等
CDもDVD化もされていないものがかなりある。

みているときは楽しいけど
しばらくするとそこになんともいえないものを感じてしまう。
そういう気持ちにならないためにも
やはりこういう貴重なものは
公式にいろいろな形でなんとかしてほしいと思う。

最後に上であげたライヴですが

http://www.youtube.com/watch?v=JixfzsQWZ8c

にUPされてます。

HWSO.jpg


どこでもいいからこういうものはなんとかしてほしい。
他にもこのときの音源や映像があるのなら
ぜひ一緒に発売してほしいところです。

うーん、自己矛盾だ!
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