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のだめ徒然草10 [のだめ徒然草]

今日はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
曲の詳細は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95)
(以上ウィキペディア(Wikipedia))
を参照していただくとして、この曲は協奏曲でもかなりの有名曲で
かのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をかなり意識した曲になっている。

ただ正直この曲、
体躯の小さい、もしくは指の長さに恵まれていない人には圧倒的にしんどい曲だ。

作曲者のラフマニノフは身長が190cm以上(一説には2m以上)もあったという。
そしてその手がとんでもなくでかかった。
なにせ片手で「ド」から1オクターブ上の「ソ」まで届くという、
12度の和音を一発で出せたというから凄い。
そんな人間が書いたビアノ曲。
しかも本人はそれが当たり前のようにそれを利用したような曲を書く。
こんな迷惑なことはない。

このピアノ協奏曲第2番での冒頭の鐘の音を模したあの印象的なそれも、
じつは10度というから「ド」から1オクターブ上の「ミ」の幅まで片手で押さなければいけないという、
いきなり我がまま大爆発なものとなっている。
一番印象的ともいえる冒頭ソロからこれであるのだから弾く方はほんとたまらない。
このためそれがむつかしい方はここをアルペジオ(和音を分散して出す事)で
それを乗り切っている人もいる。
ある意味ピアニストの手がでかいかどうかを判別する
絶好の曲でもあるが
だからといって小さいからダメということはない。
それでも素晴らしい演奏をした人は古今大勢いるので
そういう意味でもこれは名曲といえるのだろう。

後半学園祭で演奏された「ラプソディー・イン・ブルー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC
(ウィキペディア(Wikipedia))
はガーシュウィンの曲でこちらは本来ピアニカではなくピアノソロとオーケストラの為の曲。
ジャズ・クラシック両面で活躍したアメリカのガーシュウィンらしい曲。

1924年の初演というからまだスイングジャズ登場以前
アメリカではディキシーランド・ジャズあたりのジャズがはやっていた時代のものだが、
今聴いても時代を感じさせはするものの古臭いという感じはしない。
このあたりはガーシュウィンのセンスの良さが出たというところだろう。

ただこの曲のオーケストラ部分、じつはガーシュウィン一人のものではない。
後に別の人が編曲を施して現在に至っているのですが、
ガーシュウィンがそのあたりのこともあってか
フランスで「ボレロ」の作曲でも有名なラヴェルにあったとき
ラヴェルにオーケストレーション(オーケストラ用の作曲や編曲の仕方)
の手ほどきをしてもらおうとしたらしい。
そのときラヴェルがガーシュウィンに
「二流のラヴェルとなるより一流のガーシュウィンとなれ」
という意味の有名な言葉を贈っている。

この真意はいろいろあるだろうがこれは名言だと思うし、
結果的にガーシュウィンらしさを失わない名曲を
多数後世に遺すアシストとなった発言と自分は考えている。
(因みにガーシュウィンは独学で後年オーケストレーションをマスターしている。)

この「ラプソディー・イン・ブルー」も名曲だが他にも
「パリのアメリカ人」や「ポーギーとベス」などの名曲が多数ガーシュウィンにはある。
このあたりは「ラプソディー・イン・ブルー」以降に
自らが切り開いたガーシュウィンの姿をじつに雄弁に伝えている。
これは天才も努力なくしては存在しないといういい例なのだろう。
千秋にもそれはいえることなのでしょうが…

…といったところで今回は終わりです。

さていつの間にかこの項目も10まで来ましたが、
きりもいいので一応今回で一度この項を〆させていただきます。
来週よほどのことがあれば続くかもしれませんが
今のところはこれでということで。

以上です。

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ラフマニノフ自身によるピアノ協奏曲第2番のCD。
1929年ラフマニノフ56歳時の録音。(BVCC-5115)

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のだめ徒然草その9 [のだめ徒然草]

今回は夏のクラシック音楽祭。

日本でもいろいろと夏のクラシックの音楽祭がある。

草津国際音楽アカデミー&フェスティヴァル
http://kusa2.jp/

PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)
http://www.pmf.or.jp/

別府アルゲリッチ音楽祭
http://www.argerich-mf.jp/

武生国際音楽祭
http://www.necsoft.co.jp/takefu/j_index.html

などがありますが、他にもいろいろとあるようです。
…ようです。
正直あんまりこういうクラシック音楽祭に自分は縁がないというかなんといいますか。
ジャズフェスとかは行くんですけどね。
自分が行くクラシック音楽祭といったら
サマーミューザとかラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンくらいでしょうか。
もっともこれらは今回千秋たちが行った上記にあげたものとはまた違った音楽祭ですが、
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
http://www.t-i-forum.co.jp/lfj/
は、かなり話題にもなっていますのでもしよろしければということで。

ところで今回演奏されたドヴォルザークの交響曲第5番。

たしかにマイナーだ。
ドヴォルザークの交響曲といえばまず9番「新世界より」が圧倒的に有名だが、
続いて交響曲第8番がよく演奏されるが
交響曲第7番となると頻度が8番より少なく
6番となるとさらにその傾向が強くなり
5番やそれ以前の曲となるとかつてはその録音すら探すのがたいへんなくらい、
とにかく演奏会でかかる頻度はじつに少ないものがありました。

ドヴォルザークの生前は交響曲は5番から9番までの5曲しか知られておらず
その後5番以前に作曲された1番から4番までがみつかり、
現在ではドヴォルザークは交響曲を9曲書いたことになっています。

そのせいか4番より前の曲が演奏されずらいのはわかるが
5番以降でも頻度に差がでたのはちよっと不思議な気がする。
因みに5曲しか知られてなかった時代は現在のように作曲された順番に番号がふられず
楽譜が出版された順番に番号がふられた。
このため現在では6番といわれたものが当時は1番。
同じように7番が2番、5番が3番、8番が4番、9番が5番、といわれていました。
交響曲第5番の作品番号をみると6番や7番よりも大きな番号になってるのはそのためです。

この曲の詳細については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)
(以上、ウィキペディア「Wikipedia」)
を参照していただくとして、
じつは自分はこの曲が大好きでけっこうしょっちゅう聴いている。
(個人的にはこの曲と交響曲第6番を特に近年よく聴いています。)

第一楽章冒頭のもうこれ以上ないというくらい穏やかな表情
第二楽章の夕暮れをおもわせるようなゆったりとした響き
そして後半二つの楽章の活発な表情などじつに活き活きとしたものがあり
たしかに多少不器用だったりやりすぎたりしている部分もありますが
いつ聴いても惹き付けられるものがあります。

現在はCDも輸入盤にせよ国内盤にせよ交響曲全集を含め
けっこういろいろと発売されているようなので
かつてのように聴くのに一苦労ということはないようです。

因みに自分が愛聴しているのは
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-10-17
にも書いてあります
マルティン・トゥルノフスキー指揮バンベルク交響楽団による輸入盤。
(AUL-66002)

ただ手ごろな国内盤でいい演奏ということでしたら
ラファエル・クーベリック指揮ベルリンフィルによる
CD番号[UCCG-3943]というCDが1200円で発売されていますので
そちらもまたお薦めです。

この機会にこの演奏機会にあまり恵まれないこの交響曲。
そしてもしできれば続けて書かれた交響曲第6番ニ長調作品60もお聴きになってみてください。
じつに美しく味わい深い田園風景的詩情感を愉しむことができるとおもいます。
それにしても交響曲ってタイトルとかないと
やはり有名になりずらいものなのでしょうか。

尚、余談ですが
今秋の11月17日といいますからまだまだ先の話ではありますが
前述したトゥルノフスキーが群馬交響楽団を指揮してこの交響曲第5番を指揮します。
個人的には今からとても楽しみな演奏会です。


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のだめ徒然草その8 [のだめ徒然草]

梅雨時の楽器のコンディションはほんとうにたいへん。

自分もかつて弦楽器をかじったことがあるので
梅雨時のそれはほんとうに苦労したし
当時の自分の先生も部屋のコンディションや
楽器の移動時にケースにいろいろと細工したりと
かなりたいへんだったようです。

当然オーケストラもたいへんで
かつて来日したスイスの名門オケは
梅雨時に来日したことと時差ぼけ等もあり
かなり公演に難儀したようですし、
じっさい評判もいまいちでした。

たいてい梅雨時はオーケストラもたいへんなので
国内のオケはともかく外国から来るオケはこの時期避けるのがふつうなのですが
たまに知らぬが仏なのか招聘元がボケたのかはわかりませんが
この時期にたまに来日するオケがあり
ちょっと可哀想に感じたりしたものでした。

また最近では花粉の季節もたいへんで
マスクすることが見栄え上あまりよくないのか
花粉用のマスクをして演奏する奏者というのを自分はあまり観たことがありません。
ですが、よくみているとかなり辛そうな人や
セキや鼻をちょっとムズムズさせている方もいらっしゃるようで、
この時期演奏会を少し間引きした方がいいのでは?と、
かなり演奏者に同情してしまう演奏会にもでっくわしてしまいます。

ほんとうに日本での演奏会
上半期はなかなかたいへんです。

尚、梅雨時の湿気もたいへんですが
それとは逆に乾燥というのも大敵のようで、
アリゾナに初めて訪れたチェコのある名ヴァイオリニストが
そのあまりにも凄い空気の乾燥状態に驚き
楽器がこのままでは傷むと判断、
ホテル滞在時にお風呂や洗面所の水を出しっぱなしにして
部屋の湿度を上げて楽器のコンディションを守ったとか。

とにかく楽器はデリケート、
奏者はもちろんですが
その集団となるオーケストラとなると
その状態の維持はなかなかこちらの思う以上にたいへんな苦労があるようです。

ところで今回の話で
留学していたピアニスト云々という話がでてきました。

今では日本人の留学というのは決して珍しいことではないが、
半世紀近く前だとかなり珍しいし
それこそエリート中のエリートでなければ叶わないものがあった。
この話を聞いたとき思わず往年の名ピアニスト
安川加壽子女史のことを自分は思い出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B7%9D%E5%8A%A0%E5%A3%BD%E5%AD%90
[ウィキペディア(Wikipedia)]より。

戦争のため帰国したがもしそれがなければどこまで国際的なピアニストになっていたか。
帰国したとき口の悪い評論家の方が
「掃き溜めに鶴」と言って絶賛したほどだった。

またこの分野の草分けともいえる戦前の名ピアニスト
久野久子女史も忘れてはならない方なのですが、
この方の場合はあまりにも悲しい結末であったため、
今回ここではあえて触れません。

それにしてもミナコ・モモダイラ、どんなピアニストだったのでしょうか。


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のだめ徒然草その7 [のだめ徒然草]

今回もまた引き続き「英雄」の練習とそして本番だった。

もう曲についてはグダグダと前回書いたのであれなのですが
今回は演奏について。

演奏というとなんでもかんでもスコアどおりというふうに受け取られかねないが
実際そんなことしてしまうと
かなりよったりの演奏ばかりになってしまう可能性がある。

だが実際は「英雄」だけでも演奏時間の違う録音が山のようにある。
ぶっちゃけていえば
指揮者が速度記号に対して百人百様の解釈をし
さらにはテンポの変化や音の強弱も各々の人生経験?に基づいて
これまた百人百様の解釈をしている。

さらにオケの音質や音色や音程の違い
ホールの響きの差
そして今と当時の楽器の違いをそのままにするか
はたまた今の楽器に即したものにするか
即しながらも当時の再現をするか
徹頭徹尾原典回帰をするか等々…

とにかくいろいろな事が山のようにでてきてしまい
最後は指揮者の考え(拡大解釈といっていいのかもしれない)で決まるため
指揮者の数だけ「英雄」があるといった感じになってしまう。

しかも指揮者の中には上記の理由、もしくは自分が正しいと思った理由等で
場合によっては楽譜を変えたり楽器を変更したり追加したりと
かなりいろいろなことを行っている人もいる。
(かつてオランダでひとつのオーケストラのシェフを半世紀務めた大指揮者が
 若き日に「田園」で大太鼓を追加し「嵐」の部分で使用したことがあったとか。
 さらに19世紀にはベートーヴェンの交響曲第7番を指揮した指揮者の中には、
 第二楽章を同じベートーヴェンの交響曲第2番のそれと勝手に差し替えて演奏した、
 そんな指揮者もいたらしい。これに至っては?印がでっかくつくところではありますが…。)

それを考えたらヴァイオリンをああやってあげるのも
たしかに普通ではありえないし、やっても顰蹙ものかもしれないが
やったら違反かというとそういうわけでもない。

実際「英雄」ではないが
レナード・バーンスタインが最後に来日し
札幌で世界中の若い人達で結成されたオケを指揮したとき
シューマンの交響曲第2番の第二楽章の終盤の急速なところで
いきなり第一ヴァイオリンを全員立たせて演奏させたことがある。
これはかなり爽快だったしカッコよくきまったこともあり
楽章間という曲の途中であるにもかかわらず、観客から拍手だけでなく歓声すら起きていた。
(これはTV放送やビデオで発売されたこともあるのでご覧になった方もいらっしゃると思います。)

ただし度胸はいる!

じっさいマーラーの交響曲第1番「巨人」では
作曲者のマーラー自身が
最終楽章の終わりでホルンを全員立たせて吹かせるということを指定しているが
これを皆守っているかというとそうでもない。
たしかに効果満点なのだが
指揮する方もオケの方にもたまにそこに恥ずかしいものを感じるのだろうか
この指定を無視して座ったまま演奏してしまうものもある。

まあこのへんはなかなかむつかしいし
心情的な問題もからんでくるのだろう。
またそんなことしなくても音楽の内容だけで勝負できるという
そういう鉄の信念のようなものから来る場合もあるので
このあたりをしなかったからといって一概に責めることなどできない。

ただ何にせよ千秋があれをOKしたことにより
学内コンサートということもありますが
度胸も半端ではないということを見事証明したということは確かなのでしょう。
まあ百人近い大所帯を人前で指揮するのですから
その時点ですでにかなりの度胸を証明しているという気もするのですが…。

とにかく指揮者という人種は半端じゃない度胸と自信が無いとやっていけない、
ということはお分かりいただけたのではないでしょうか。

それにしても来週はラフマニノフ。
この人のピアノ協奏曲第2番は名曲なのですが、なんといいますか…

…とにかく手のデカいピアニストが名曲を書くと苦労する人続出です。
このあたりの話はまたということで今回は〆です。

しかしあいかわらず文脈がでたらめだ。
少なくとも自分のような人間が指揮したらオケは途中で空中分解確定です。


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のだめ徒然草その6 [のだめ徒然草]

今回ののだめで千秋が指揮していた曲、
ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」。

この曲の概略については
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA+%28%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%29+-+Wikipedia&lr=
のGooGleに最初の方にでてくる「交響曲第3番 (ベートーヴェン) - Wikipedia」

http://www.kanzaki.com/music/perf/lvb?o=op.55
(以上、The Web KANZAKI -- Japan, music and computerより「英雄」の項)
を参考にしていただければだいたのことはおわかりになると思いますが、
とにかくこの交響曲は凄まじい。

第一楽章は当時として異例なほど長大で、
それこそこの楽章のみでハイドンやモーツァルトのちょっとした交響曲一曲分に匹敵するほどの、
質量を兼ね備えたとんでもないものとなっている。
また第一楽章の真ん中付近ではかなり刺激的な不協和音が大胆に使用されていたりと、
ベートーヴェンがナポレオン出現によって
究極的なまでに感情が炸裂してしまったことがこの楽章からみてとることができる。

その後第二楽章が葬送行進曲になっていたり
第三楽章でホルンの三重奏が聴かれたりと
ベートーヴェンはいろいろな手法をこの交響曲にぶち込んでいる。

そして終楽章はベートーヴェンお得意の変奏曲。
ここではベートーヴェンのテンションが完全に上がりきってしまい
ノリがとどまることを知らないほどのものになってしまっている。

このようにこの交響曲は当時三十代だったベートーヴェンが
ナポレオンにとってもたらされたその限りないほどの感情爆発によって、
極限にまで膨らんだ楽想がとてつもないほどのエネルギーをもって創られたものなのですが、
それを思うとこの交響曲にかなり強引ではあるけれど、
エネルギーの塊りともいえる「ロック」をイメージとしてダブらせてきたコンマスの峰は、
ある意味かなりいい感覚をしていたといえるのかもしれません。

ただこの交響曲、
たしかにナポレオンの影が濃い製作過程を経ているとはいえ
けっしてそれに縛られた曲ではありません。
じっさいかつて大指揮者トスカニーニはこの曲に対して
「この曲にナポレオンは関係ない。
わたしにとってはただのアレグロ・コン・ブリオでしかない。」
という意味の発言をしていますし
現在ほとんどの指揮者がむしろこの言葉に沿ったような演奏しているといっていいと思います。
このあたりがこの交響曲がナポレオンという過去の亡霊にとらわれることなく
現在に至るまで生き続けることのできた理由のひとつなのでしょう。


尚、この曲にはトロンボーンが登場しません。
シュトレーゼマンにとって桃ヶ丘音楽大学に気に入ったトロンボーン奏者がいなかったのか?

ところでこの交響曲。
とにかくいろいろな要素をぶち込んだ大作曲家の超有名曲ということもあり
古今東西とにかく演奏され捲くっていますし、
録音も今から八十年ほど前のものから最新録音のものまで多数存在しています。

自分が初めて聴いたのはブルーノ・ワルター指揮のニューヨークフィルのもので
続いてカール・シューリヒト指揮のバリ音楽院管弦楽団のものでしたが
このシューリヒトのものがなかなか鮮烈で熱くキレのよい演奏をしています。
録音こそ半世紀程前のモノラル録音ですが音質は良好ですし
千秋とは後々縁深い都市となるパリの名門オケ(今はもうありませんが)ですし
のだめにとっても後々お世話になるコンセルヴァトワール(パリ音楽院)ということもあり
今回はこのシューリヒトのものを紹介して〆といたします。

…と思ったら国内盤は現在生産終了で、輸入盤も交響曲全集でしか入手できないとは!

なんてこったい!こっちの感情が爆発してしまいそうだ!


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のだめ徒然草その5 [のだめ徒然草]

今回は千秋が代役で本番の指揮者が指揮する前の練習指揮をする
いわゆる「下棒」OR「下振り」の話。

指揮者の代役。
本番を振るはずの指揮者がなんらかの事情(病気等)で指揮できなくなり
代わりの人が急遽指揮をするというのはけっこうある。
かのレナード・バーンスタインもそれで成功しているし
昨年亡くなられた岩城宏之氏も
急病で降りた指揮者の代わりにウィーンフィルを指揮するということもあった。

また日本でも急病のカラヤンの代わりに小澤征爾がベルリンフィルの日本公演を指揮したりと
とにかく毎年かならずどこかで何回かこういうことは起こっている。

ただ当日となるとそんなに数は多くない。
かつて前半指揮者が指揮棒で手の平を刺して指揮ができなくなり
後半オーケストラのコンサートマスターが代行したとか、
台風で指揮者がコンサートの開演時刻に間に合わず
変わりに団員が指揮者到着までの急場をしのぎ指揮をしたとか、
病気以外の突発的なことが理由としてはあるようだ。

この当日代行で最も有名なもののひとつが二十世紀最大の指揮者のひとり
アルトゥーロ・トスカニーニ(1967-1957)の例。
トスカニーニ19才の時にそれは起きた。
オーケストラでチェロを弾いていたトスカニーニが、ブラジルでの公演に参加していたときだった。
歌劇「アイーダ」を演奏していたとき
指揮者が拙劣だったためなのかはわからないが
観客が指揮者に対して激しいブーイングを飛ばし捲くり
ついに指揮者は指揮を断念、指揮台から降りてしまったのだ。
この緊急時にトスカニーニは他の団員からの勧めもあり急遽指揮台に立ち
この大荒れの演奏会を一転成功に導いてしまった。

実際どこまで成功したかはともかくとして
これがきっかけでトスカニーニは指揮者への道を歩み始め
そしてついに世界三大指揮者のひとりに数えられるまでの巨匠になっていった。
(トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー)
なにが人生を変えるかわからないものである。

そんなトスカニーニだが練習は壮絶だったようだ。
残されている練習風景の録音を聞くと
トスカニーニの猛烈なオケに対する叱咤がとにかく凄まじい。
千秋のように細かいミス云々を指摘するというものではなく
オケが意志を持って歌わない瞬間を妥協せずに指摘し追い上げるというもので
とにかくその情熱の注入の仕方は尋常ならざるものがあった。


[トスカニーニの代表録音のひとつ、「ローマ三部作~イタリア管弦楽曲集」BVCC-38104]
(録音は古いモノラル録音ですが音質は当時としては良好です。因みにトスカニーニは晩年、自らの指揮者デビューとなった、ヴェルディの歌劇「アイーダ」の全曲を録音しています。これもかなり気合の入った出来となっています。)

考えてみると今はどうかはわからないが
千秋のような練習の仕方をしていた指揮者達がかつてはいた。
そしてそれらの指揮者が君臨したオーケストラは
そのオケの歴史上最盛期を迎えただけでなく
その時期世界最高のオーケストラのひとつに数えられるほどのオケと讃えられた。
アムステルダム、ボストン、フィラデルフィア、レニングラード、シカゴ、クリーヴランド…。
今それらは録音でも聴くことができるが
正直、とてつもない完成度をもったオーケストラ達だった。


[ジョージ・セル/ライヴ・イン・東京1970:SICC-350]
(※それらの中でオーケストラのひとつの理想形とまで称されたのがクリーヴランド管弦楽団。その最頂点の記録といわれているのが上記CD。技術も凄いが内容も極めて濃いものがあります。録音はちゃんとしたステレオ録音ですが、ライブによるノイズ等がありますので、当時の上質のスタジオ録音と同じ音質とまではいきません。)

だから千秋のやり方というのは決して駄目駄目というわけではないが
時と場合とオケの性格によってはそれが裏目にでることもある
といったところでしょうか。
じっさい自分のやり方でガンガンやって、あるオケでは成功したのに、
次に別のオケへ赴任したらまったく駄目だったという例は決して珍しいことではない。

因みにシュトレーゼマンのような練習の仕方(ナンパ抜き)をしている方ももちろんいるし
また千秋とシュトレーゼマンの中間のような方もいる。
だがどういうやり方をしてもすべてのオケにおいて巧くいくという指揮者はなかなかいない。
ベルリンフィルでは成功したのに
ウィーンフィルではイマイチだったという指揮者もいるし
もちろんその逆の場合もある。
このへんがオーケストラを聴く愉しみのひとつというと意地の悪い発言だろうか。

そんな指揮者の練習の数々
このあたりはみているとけっこう面白いが
自分の手の内をみせる練習というのはなかなか第三者には公開してくれない。

そんな中で自分が知ってる範囲内では以前紹介した
神奈川フィルハーモニーが頻繁に公開練習を行っているので
http://www.kanaphil.com/perform/rehearsal.html
興味がある方は一度ご覧になられてはいかがでしょうか。

指揮者の練習の仕方もそうですが
オーケストラが楽器である前にひとつの生き物であるということがとても実感できると思います。
今回の千秋の失敗の要因は、そこの部分の考えがちょっと抜けていたといったところでしょうか。


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のだめ徒然草その4 [のだめ徒然草]

今回の話では日本の音楽学校に世界的指揮者が来たという話。

ふつうなら「まあ物語の中だから」のような設定に感じるかもしれないが
じつはこれと同じことが現在進行形でおきている。
それは
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2007-01-04
に書いてある、ハンス=マルティン・シュナイトだ。

フランツ・フォン・シュトレーゼマン同様…
というかそれ以上かもしれない。
レコーディングに興味が無いためかヨーロッパでの録音はそれほどないが
かの歴史的バッハ指揮者だったカール・リヒターが1981年の来日直前に急逝し
彼の創立したオーケストラである、ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の前途が危ぶまれたとき
その後任を担い、その危機を救ったのがシュナイトだった。

三十歳でベルリンフィルの指揮台に立ち
宗教音楽だけだなく、オペラやオーケストラのコンサート指揮者としても活躍し
日本にもベルリン国立歌劇場の指揮者として来日している。

だが日本ではリヒターの後継の宗教音楽指揮者というくらいにしか評価されていない。
このためあまり騒がれていないのだろうが
じっさいそのレパートリーは広く、
バッハ、ヘンデルからハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、
ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、といったところから
ヴェルディ、バルトーク、Rシュトラウス、ラヴェル、といったとろまで入ってくる。

ただシュトレーゼマンのマーラーの8番を千秋が聴いて感激したというように
この指揮者も合唱付きの曲になると神がかり的な力をさらに発揮する。
昨年のモーツァルトのレクイエムや一昨年のヨハネ受難曲やロ短調ミサなどは
まさにその最高の例といっていいと思う。

唯一シュトレーゼマンと違うとすれば性格こそ明るいものの自分自身にたいへん厳しい
バッハと同じルター派の信者であるというところだろうか。

そのシュナイトが現在、東京芸術大学の教授として日本に来日しているが
彼の場合は一年どころか、もう何年も教鞭をとっている。
別に自分のためのオケをもっているというわけでなく
ヨーロッパでのすべての仕事を辞め
藝大の教授や神奈川フィルハーモニー
さらには自らの名前を冠した合唱団をはじめとした日本での活動に
自分の音楽を伝え教えるために全力を傾注している。

もし千秋がシュナイトに師事していたらどうなっていたのかじつに興味深いものがある。
シュナイトのもつ天文学的なほどの膨大な知識と情報量からして
おそらく一ヶ月で何十年分もの膨大な知識と情報を千秋は得ることになるだろう。
受ける方が天才なら教える方も常人ではないだけにどんな結果になってしまうのか
じつにおもしろい話の展開だがそれはそれこれはこれ。

とにかくこの世界的指揮者の日本の学校での教授就任は
決して無い話ではないということです。

シュナイトは上記しましたように日本で演奏会を開き
ここ数年その録音も活発になってきています。
特にこの春から神奈川フィルの音楽監督になったことから
同オーケストラの共演回数も増えてきています。
http://www.kanaphil.com/
(神奈川フィル公式サイト)
もし聴く機会がありましたら、ぜひお聴きになってみてください。

尚、他にもハンス・レーブラインやニコラ・ルッチという名指揮者も日本で教鞭をとっていますし
指揮者ではありませんが
作曲家でありピアニストでありオルガニストでもあった
アンリエット・ピュイグ=ロジェ(1910-92)
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-19
も晩年日本で教鞭をとられていらっしゃいました。


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のだめ徒然草その3 [のだめ徒然草]

千秋が「自分のオーケストラ…」と呟いた今回の「のだめ」。
たしかにいくら一人前指揮者でも
そうそう自分でオーケストラを持つことはできない。

うまくいけば音楽監督とか常任指揮者、さらには首席指揮者などのポストをもらい
そのオーケストラのトップにたつことはできるだろうが
オーケストラの数はだいたい決まっているし
中にはひとりでいくつも持っている指揮者もいるので
なかなかそううまくはいかない。
だが過去の歴史をみると
そういうスタンダードなやり方以外で自分のオーケストラを持った指揮者がいる。

まず今から百年近く前の出来事で
当時コントラバス奏者として最高の評価を得ていたセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)。
彼はコントラバスだけでは物足りなく次第に指揮もするようになっていったが
1910年についには自分の力で自分のためのオーケストラを創設することとなった。
これには結婚した相手の女性が富豪の令嬢だったことが大きかったようだが
彼はこのオーケストラをロシア革命まで指揮し続け
後にはついにボストン交響楽団の指揮者に着任
このオーケストラをアメリカのBIG3にまでしてしまった。
途中、自らの我流の指揮では駄目ということを悟り
50歳を過ぎてから再度指揮を一から勉強し直したという努力もあってのことだが
これなどはほんとうに千秋にとっては羨ましいとしかいいようがない話だろう。

自分でつくったというとまだ他にもじつはいる。
イギリスのトーマス・ビーチャム(1979-1961)は製薬会社の御曹司だったことから
その財力を駆使してロンドンに二つもオーケストラをつくってしまった。
ロンドン・フィルハーモニー、とロイヤル・フィルハーモニーだ。
ただいかにもわがままなビーチャムらしく
最初はロンドンフィルを1932年に創設したものの数年後途中で放棄
1946年に今度はロイヤルフィルを創設というものだったのだが
どちらも現在ロンドンでイギリスを代表するオケのひとつとして活動しているので
ビーチャムのそれは結果的にイギリスに大きな音楽的財産を遺したということになった。

ところでここまでは自分で創ったという話でしたが
続いては今度は創ってもらったという話。

最初はかの有名な1937年創設のNBC交響楽団。
これはニューヨークフィルを退任すするトスカニーニを惜しんだNBCが
彼のためだけにオーケストラを組織し全米から楽員を選抜して結成したオーケストラ。
(じっさいはそうではなかった部分もあったようだが…)
このオーケストラ創設のおかけでトスカニーニは1954年の引退まで
数多くの演奏会と録音をこのオーケストラと行うこととなり
特にその録音はかなり膨大で現在この偉大な指揮者の中核を成すものとなっています。

また1958年には演奏会を引退したブルーノ・ワルターのために
録音専用オケとして結成されたコロンビア交響楽団というのもありますが
正直こちらは実力的にやや…という部分があり編成も小さく
NBCとはスケール的に違いがありすぎるようです。

その後では
ソビエトでは80年代に世界的名声をもった指揮者ロジェストヴェンスキーの母国での活動を促すため
ソビエト国立文化省交響楽団というものが結成されましたが(じつは既成のオケ焼き直し)
その後国の体制が変りソビエトが消滅したこともあり
紆余曲折後現在はロシア国立シンフォニック・カペレという名前で活動しています。
(因みにソ連崩壊後のロシアにはけっこう自分でつくった云々というオケがいろいろあるようですが
最近はもうついていけなくなったので放置しています。)

また日本ではアマチュアではありますが
宇宿允人氏の音楽のために結成されているフロイデフィルハーモニーや
井上喜惟氏のジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラやジャパン・シンフォニアがあり
それぞれ充実した活動をされているようです。

これらのことを思うと千秋が自分のオーケストラを持つという考えは
たしかになかなかむつかしいこととはいえ
決して例がなかったことではなく
しかも日本でも上記したオケがあることから
まったく絵空事というわけではありません。
このあたりの日本のオケも、もし機会があればぜひお聴きになってみてください。
技術的な面はいろいろあるかもしれませんが
「アンド・ヒズ・オーケストラ」の魅力というものが堪能できるかもしれません。
CDも発売されています。

余談ですが最後に三人がジャズを演奏しているときに、
「ベースがいなくて云々」という会話がでてきます。
たしかにジャズのコンボにはベースは不可欠というところでしょうが、
1930年代後半の短い時期ではありますが絶大な人気を得たコンボである
かのベニー・グッドマントリオにはじつはベース奏者がいません。
これはピアノを担当しているテディ・ウィルソンの左手と
ドラムのジーン・クルーパの右足がベースを入る余地を無くしてしまうほどのプレイをしたためで、
後にこのコンボにライオネル・ハンプトンという超絶技巧のヴァイブラホーンが加わり、
さらにベースが入るスペースを無くしてしまったようです。
このコンボ、残っている録音は古いものばかりですが、
特に名高い1938年のカーネギーホールでのライブを聴かれると
おそらくこのあたりのことをかなり納得されてしまうのではないでしょうか。

といったところで今回は〆です。


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のだめ徒然草その2 [のだめ徒然草]

「のだめ」の第二話を観た。

ヴァイオリンが巧くて指揮者を目指していた…。

これを聞いたとき何人かの名前がうかんできた。

現在ニューヨークフィルのシェフを務めているロリン・マゼール(1930-)
バリ管弦楽団の初代指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)
チェコの歴史的大指揮者、ヴァーツラフ・ターリヒ(1883-1961)
フィラデルフィア管弦楽団の全盛期を築いたユージン・オーマンディ(1899-1985)
といったあたりだ。

特に最後のオーマンディの場合は協奏曲を指揮したら史上最強というくらい「つけ」がうまい。
共演者にはオイストラフ、スターン、ゼルキン、ルービンシュタイン、クライバーン
ワイセンベルク、イストミン、アントルモン、そしてヨー・ヨー・マと
どの奏者とも名盤を遺している。

ただ千秋と違うのは指揮者となった動機で
千秋は最初から指揮者になりたかったのだが
オーマンディの場合はアメリカに渡った時
そのとき自分をマネージメントとした人間が詐欺師だっためたちまち一文無しになり
その後必死に食いつないでいくうちに指揮者として芽を出しそして大成してしまったという。
まったく何がどう運命を変えていくのかわからない一例だろう。

またターリヒの場合は名門ベルリンフィルのコンサートマスターにまでなったにもかかわらず、
ニキシュの指揮に接したことにより「絶対指揮者になる」と決意
そして結果チェコフィル中興の祖となってしまったのだからこれまた凄い。
むしろこのあたりの指揮者となる動機としては千秋により似ているのかもしれない。

ところで千秋はピアノも巧いがピアノが巧い指揮者もまたかなりいる。
これまたかなりの名前があがってくるが
ピアノの巧い指揮者とピアニストの間でかつてけっこう派手な喧嘩があったという。

二十世紀を代表するビアニストのひとりアルトゥール・ルービンシュタインは
華麗な演奏スタイルが売りではあったもののけっこうミスタッチも多かった。
そんなルービンシュタインと
ピアニストとしても極めて非凡でかつては神童とまで言われた
往年の名指揮者ジョージ・セルが共演したとき、
ミスタッチの多いのルービンシュタインに対して
業を煮やしたセルがなんとルービンシュタインにピアノの「弾き方」を教えようとして
とんでもない修羅場になってしまったという。

いくらかつて神童だったとはいえ、
本職の、しかも巨匠の名前をほしいままにしていたピアニストに
ピアノの弾き方を教えてはそりゃ荒れるだろうが、
なんかこのエピソード、千秋の性格に一部組み込まれるているような気がして、
千秋が「下手糞」を連発しているのを聞くと
なんかこのときのセルとダブってしまって妙に笑えるものがある。

まあ巧いのもいいが
そうなると今度はそれはそれで場合によっては相手が下手だと気になってしょうがないというもの。
それを「自分ならつけられる」ということに転化した千秋は天晴れかもしれないが
上であげたセルもけっこう素晴らしい協奏曲の指揮による録音をいくつも遺している。

それを思うと千秋真一という指揮者
いろいろな指揮者の遺伝子をもった音楽家ということなのかもしれませんが
このあとどういうエピソードをみせてくれるのか。

原作を読んだことの無い自分には
とにかく興味津々といったところです。


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のだめ徒然草その1 [のだめ徒然草]

なかなか愉しい出来でした。
ピアノを弾いてるときの肩の表情がちよっとあれでしたが
それ以外はじつに愉しくみせていただきました。

ところでのだめが自由にひいているのをみて
あるビアニストを思い出してしまいました。

シューラ・チェルカスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
(↑『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

自分はこのピアニストが80歳のときにサントリーホールで聴いたのですが
その奔放というか
でたとこ勝負のビアノには正直おどろいてしまいました。
バッハなどはもうロマンティック極まりない濃厚な歌いまわし、
プロコフィエフでは爆発するような突進力、
そしてコープランドは遊び心満点の演奏というものでした。

すべて型にはまらないじつに自由闊達、
奔放無手勝といった趣といったその弾きかたに、
なにか今回ののだめと千秋のことがいろいろと二重写しになってしまい、
このときのチェルカスキーの演奏がふと思い出されたものでした。
(このときかのエフゲニー・キーシンが聴きにきていました。)

そういえばこの前後に日本のオーケストラと共演したとき
そのとき共演した指揮者が
「練習中いつも弾きかたが違うのでもうたいへん」
とかなり辟易としていたようでした。

のだめは若きチェルカスキーかもしれませんし、
ひょっとしたらヴラディーミル・ド・パハマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%B3
(↑『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
あたりの19世紀的な名人芸的かつ即興的な、
ある意味グランドマナーを持ち合わせたピアニストの末裔なのかもしれません…

…などといったことをふと考えさせられるほどの、
とにかく愉しい内容のアニメ版「のだめ」でした。

今回は
ベートーヴェンの交響曲第7番
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番
ベートーヴェンのビアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」
モーツァルトの二台のピアノのためのソナタ(K448)
といっところが使用されたようですが
時間的なものがあるもののドラマ編よりポイントを絞った使い方に好感がもてました。

声の川澄綾子さんと関智一さんの組み合わせもよく
とにかく次週以降がとてもたのしみです。

http://www.nodame-anime.com/
(「のだめ」公式サイト)

余談ですが上で触れたピアニストのうち
ヴラディーミル・ド・パハマンについて少々。

このピアニストはとにかくその演奏スタイルが奔放かつ大らかというだけでなく
演奏中に歌ったり喋ったり楽譜に無い音も勝手に装飾していたというから
現在ではまずありえないピアニストだ。

この人のCDで1915-16年、つまり第一次世界大戦中に録音されたものが
現在自分の手元にありますが
TOCE-15035(自分が持っているのは収録同内容のTOCE-9407)

そこでの演奏の数々は超個性的かつ極めて歌にあふれた
それこそ「カンタービレ」という言葉がぴったりの演奏となっています。
録音が電気録音以前の太古の
今の録音から考えれば劣悪ともいえるレベルの録音のため、
(当時の録音としてはかなり優秀なものではあります)
誰にでもお勧めできるものではありませんが、
ひょっとしたら「のだめ」のルーツかもしれないこの演奏
もし興味と機会がありましたらぜひ一聴をお勧めいたします。

余談ですが手元のCDでは当時パハマンの実演を聴いたことがある野村光一氏が
パハマンが語った言葉を記していますので、その一部をここに紹介しておきたいと思います。

「よい演奏は、ステージ上で精神を集中して気持ちを固くしたまま行い、
聴衆も夢中になってそれを凝視しているようなときには、決してあり得るものではない。
よい演奏は人の心の中に柔らかく溶け込んで自然に伝わるものでなければならないものだ。」


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