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安倍首相の演説妨害について。 [いろいろ]

数日前のTV番組で、
田崎史郎氏と玉川徹氏が、
テレビで安倍首相の演説妨害について討論していたけど、
「演説を聞く権利」という部分がごっそり欠落していてるのにビックリ。

「あなたたちにとっての選挙は国民不在ですか」

という感じがしてかなりカチンときた。
正直お二方ともこの討論に関しては駄目だと思った。


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これは以前ツィッターで呟いたものだけど、
これをこちらにも書き残すことにした。


自分はあの秋葉原での都知事選における安倍首相の演説をみて、
多くのマスコミが

「あんな人たちに負けるわけにいかない」

という言葉ばかり問題視していたけど、
それについて「何故?」というかんじだった。

もちろんあの言葉もどうかと思うし、
安倍首相の発言や行動にも、
正直「それはダメだろう」というものが多くみ受けられ、
やはり驕りと緩み、
そしてかつてある政治評論家の方が話されていた、

「人の話を聞かない事が多くてそれが心配」

という危惧が現実化したようにみえて、
なんとも情けない気持ちになったものでした。


だがあのときの秋葉原のそれは、
そんな安倍首相がヤジられていて、
まあそれも当然と思っていたが、
見ていてその異常さにだんだん腹が立ってきた。


というのは別に発言に対してその都度ヤジが飛ぶとか、
後ろの方で「安部辞めろ」というプラカードがあっても、
それはそれで別にいいのですが、
問題は演説がはじまっても大勢が大音量で、
その演説の声をかき消しているというその行為。


これをみてて、

「あんたらはそこで演説を聞きたいというがために集まっている人たちを何だと思ってるんだ。」

とかなりの憤りをかんじてしまった。

そこで安倍首相の演説を聞いてるのは親衛隊みたいな人とか、
右寄りの人たちばかりではない、
ちゃんとその言い分を聞いてやろうじゃないかという人や、
自分の判断のひとつとして聞こうという、
そういう真摯な態度で来た人もいたはずだ。


たがこの大音量のそれは、
そういう人達の意志や権利をも無視して、
これを聞いてるのはみんな安倍の御仲間だといわんばかりに、
決めつけそして妨害しているような、
俺様至上主義にしかみえなかった。

安倍首相の横柄な物言いを一種の暴力として受け取っているから、
こういう実力行使に出たというかもしれないが、
これもまた一般の聴き手の「聞く権利」を奪い取ろうとする、
ひとつの暴力行為といわれてもしかたがないのではないか。

暴力に対して暴力などというのは、
自分が子供の時にみた企業爆破テロと同じ発想に感じられ、
ほんとに胸糞悪くなってしまった。


たしかにああしたくなる気持ちも分からないではないが、
だからといって何度も言うけど、
一般の人たちの権利を踏みにじるという行為の上に成り立つそれを、
自分は正当な抗議手段とて断じて認められない。


なのでこの前のテレビでの、
田崎さんと玉川さんのそれをみてて、

「あなたたち、もっと大事な事にまだ気づきませんか。」

となったわけでして、
国民云々と普段発言していながら、
その一般国民の権利という、
一番大事な部分が蔑ろにされた事に、
激怒を通り越して落胆さえさせられてしまった。


もしああいうことをやりたいのなら、
演説が始まる前と終わった後にすべきであって、
あんな無茶苦茶な事など絶対やるべきではない。

あの都知事選、
結局自民は大敗したが、
今度の衆議院選挙でも、
また同じことが続いたら、
今度はその揺り戻しがくることだろう。

人はいつまでもそういう暴力に寛容ではない。

例え該当する人が少なくとも、
一般の人の犠牲になりたつ抗議など絶対慎むべきだ。

自分よければすべて良しなどと言う行為は、
どこかの政治家とやる事が同じ。

行った人たちは深く猛省し恥ずべき行為と肝に銘じてほしい。

田崎さんや玉川さんには、
名指しで厳しい言葉をぶつけ申し訳ない事をしたけど、
今後このあたりの事を、
ぜひ心を配っていただくようお願いしたいです。



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水浜線のウォーキングツアーに行く [水浜線跡廃線の旅]

10月9日に

『水浜線を訪ねて「ウォーキングツアー第2回」 』
~東水戸駅から大洗駅編~

が行われ、これに参加した。

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前回は2014年10月18日(土)ということで、
当初予定されていた13日祝日が台風の影響で順延になったものの、
当日は好天に恵まれ大洗市街地を中心に散策されたとのことですが、
自分はこれには参加しておらず、
今回がこの企画に初めての参加となります。

今回は東水戸駅を10時に出発、
その後水浜線跡に沿ってその遺構等をたずね、
そのまま大洗までというコース。

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こんな感じです。

自分が普段よく歩く水戸駅からのコースに比べると、
1キロ程短い距離の道のりです。

水戸駅に朝8時前につく。
常磐線はよく遅れるので早めの出発の為この時間に到着。
天候も最高で絶好のウォーキング日和。

このとき北口にいたら朝9時とともにこのからくり時計が動き出した。

賑やかな音楽と人形の動きがなんとも愉しいしいそれでした。
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このあと9時34分発の鹿島神宮行にのる。
ひとつ先の駅なので歩いてもよかったけど、
どれくらい歩くか分からないので今回足を残す意味で鉄道で。

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東水戸駅、ホームから降りてきた階段を見上げて写す。

ほんとにホームと階段以外は、
ホーム上にあるこじんまりとした待合室以外何もない。

改札も券売機もない完全な無人駅である意味感動的。

自分は9時40分頃到着したけど、
どうも自分は最後だったようです。

因みにこの列車で東水戸に下車したのは自分だけでした。

その後登録等をすませ、
この日の担当される方たちの紹介や説明説明等があり10時に出発。

東水戸から最初の目的地である、
新川のガーター橋へ向かう。

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ガーター橋。

東水戸から来たため、
エコス浜田前のカラオケ屋さんと食堂さんの間から谷田方面をみる、
壮観な直線電車道をみれないのが残念だけど、
この角度から見るガーター橋はまた美しく新鮮だった。

ここでこの橋についての説明を本多さんの解説等で聞く。

その後ここから谷田駅跡付近まで廃線跡を行く

途中水戸バイパスを通り過ぎるが、
このあたりから大洗方向からの風が感じられはじめる。

日差しが強く気温もそこそこあるので、
この爽やかな風はじつに心地よい。

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谷田駅付近。

ここで境界杭をあちこちでたくさんみかける。

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ここはじつに境界杭が多く、
その後も平戸付近まで多くの境界杭を断続的にみかける。

このあと備前堀に沿って歩くが、
備前堀を挟んで向こう側に水浜線のそれが盛り地としてみえる。
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その場所を備前堀を渡ったところからみる。
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じつはこの場所は私有地だと思い行く事を躊躇していたので、
今回のそれで見れたことはありがたかった。

因みにこの場所は水戸空襲時に、
多くの車両が退避し森に身を隠した所で、
このため車輛が難を逃れ、
復旧が速やかに行われる要因になったとのこと。

この後この道を一路大洗へと向かう。
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数があまりない「茨交」の境界杭。
今回自分がみかけた「茨交」はこのひとつのみ。
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このあとスタンプラリーでも有名な、
塩崎の飛田自動車さんの所で休憩と昼食。

いろいろとお世話になりました。

塩崎飛田自動車さん前から大洗方面をみる。
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途中に木と同居する境界杭もみる。
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東水戸道路下を通り常澄図書館で休憩。

自分はその後塩崎の交差点から大洗へ向かうのですが、
今回はそのまま直進。

そのまま51号にぶつかると、
自分はかつて左折して道路下のトンネルを抜けていたけど、
はっきり言って正直危険。

そのため今回は右折し51号沿いに島田町北野交差点まで南下、
そこを渡って農業用水路にかかるガーター橋遺構をみる。

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ここから平戸へ向かう。

この間随所にかつてあった停留所(駅)の場所も確認したが、
旧地図と現地図を照らし合わせても、
なかなかな場所が完全に詰め切れない所もあった。

やはり半世紀という年月は大きい。

そして涸沼川に到着。

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大洗側の対岸をみる。

じつはこの川に向かって下り気味になるけど、
水浜線はそのままの高さを維持するため線路部をかさ上げし、
そのままの高さで川を渡ると
大洗側も高い位置のままそちらもかさ上げして、
同じ高さの場所までそうやって線路を敷いたという。


その後涸沼川を渡り大洗側から涸沼川をみたあと、
最終ゴール地点の桜川の集会所へ。

到着は午後二時半くらい。

塩崎と常澄以外でも小休憩をとり、
けっこう無理なくやゆったりと歩いていたが、
それでも予定より早くゴールに到着した。

ここで豚汁をいただいたが、
これがまた美味しかった。

外からの爽やかな風がここでも心地よい。

集会所すぐ横には、
劇場版で「あんこう」を一年生が釣ろうとしていた場所がみえる。

ここで最後ひととおり参加者の感想等かあった後、
閉会の挨拶からお開きとあいなりました。

その後自転車で市内を散策した方あり、
のんびりとあちこちを歩いてみてまわった人ありでしたが、
自分は軽くかつて大貫駅跡があったあたりを見た後帰路に着きました。

大洗を出たのは午後四時すぎの、
新車両一両編成によるそれでした。

湿度も低く、
天候にも最後まで恵まれ絶好のウォーキングツアーでした。

次回は来秋頃かもしれないとのことです。


因みに自分は天候がよければ、
「あんこう祭り」時、
朝8時過ぎ出発で、
水戸駅北口から大洗まで水浜線経由で歩く予定です。


「あんこう祭り」

昨年午前8時前には、
すでにようこそ通りも勘十堀通りも、
ほとんど車が動かない大渋滞になっていた。

水戸駅は臨海鉄道も
一部4両編成以上で運行していたらしいが、
それでも入場列が駅の外まで伸びていたとか。
(那珂湊駅経由ははたしてどうだったのだろう)

前日も大洗では夕食にありつくのに、
二時間以上かかるほどだったとか。

天候次第ですが自分には歩く以外の選択肢はないかと。


最後に。

今回は関係者の方々にはいろいろとしていただき、
深く感謝しております。

たいへんいろいろと参考かつ勉強になりました。
本当にありがとうございました。



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キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団を聴く。 [クラシック百物語]

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NHK音楽祭2017

10月1日(日曜日) 15:00 開演
NHKホール

キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団

(曲目)
マーラー:「子供の不思議な角笛」より

ラインの伝説
トランペットが美しく鳴り響くところ
浮世の生活
原光
むだな骨折り
死んだ鼓手
少年鼓手

マティアス・ゲルネ(Br)


ワーグナー:「ワルキューレ」より第1幕

ジークムント:クラウス・フロリアン・フォークト
ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ
フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト


実はペトレンコはもちろんだが、
バイエルンの歌劇場オケを聴くのも今回が初めて。

また曲目もコンサートで聴くのは初めてということで、
どれも初めてという自分にとっては新鮮なものとなった。

この日の公演は満員札止めということで、
これは曲目や歌手だけではなく、
やはり来年(2018)からベルリンフィルのトップに就任する、
キリル・ぺトレンコの初来日という事が大きいと思う。

今回の曲目はこの日だけというもので、
出演歌手は今回の歌劇場公演で、
ペトレンコ指揮の「タンホイザー」に出演した、
メインどころの4人の歌手がそれぞれ担当した。

オーケストラは対抗配置14型。

まず前半のマーラー7曲。

時間にして約40分強といったかんじで、
ちょっとした交響曲ぐらいのボリュームがあった。


とにかく清澄で詩的でクリア、
しかもそのクリアな響きによって、
マーラーの深い情念がくっきりと聴こえてくるという、
とても見通しが遠く深く行き届いた演奏だった。

静かなところはまるで凪のように、
そして賑やかなところは表情を強く打ち出すものの、
決してギスギスしたり感情を逆なですることもない。

だけどそれでいて綺麗ごとで終わったり、
食い足りなくなることも無い、

また静態したような状態が息長く続くことで、
マーラーの持つ歌の深く沈み込んでいるような部分が、
ゆっくりと浮き上がってくるように感じられるところもあり、
ひじょうにシンプルだけど、
懐の深いマーラーだったように聴こえた。

またタイプはまるで違うけど、
スヴェトラーノフがかつて6番を指揮したとき、
マーラーが歌劇場の指揮者だった事を想起させられた事があったが、
今回のペトレンコのそれも同じように、
マーラーが歌劇場の指揮者であったことを、
なんとなくだがあらためて感じさせられる類の演奏だった。

おそらくそれはこの日歌ったゲルネの、
諧謔的な要素もふんだんに盛り込んだ表情豊かな歌唱も、
そう感じさせた理由の大きなひとつだと思う。

あと「原光」を男声で聴いたのは初めてだけど、
これもじつに説得力があったし、
「浮世の生活」から滑り込んでくるあたりが、
マーラーの第二交響曲の第三~第四楽章へのそれと重なるものがあり、
このあたりよく考えられた配列だった。

最後の二つの「鼓手」の歌も素晴らしかったが、
些か救いが無い感じがしたのは自分だけだろうか。

とにかくひじょうに強く心に残るマーラーだった。


ここで20分の休憩。

トイレがどんでもない大行列。
やはり満員のNHKホールはたいへんだ。


そして後半のワーグナー。

冒頭、多くの指揮者がエンジン全開でゴリゴリやるのに対し、
ペトレンコはやや抑制気味ながら、
不安に満ちた音楽を絶妙に表出しきっていた。

もうこれだけでも唸ってしまったけど、
その後の音楽のつくりがやはりマーラー同様じつにクリアで、
本当にこれまた見通しのいい演奏だった。

このためいろいろなモチーフも、
じつに明快かつ有機的に浮きあがるように聴こえてきたが、
それはオケが舞台の上に乗った状態でも、
大編成のオケが歌手の歌を邪魔することなく、
歌とオケの響きを両立させる事にも繋がっていた。


だがこれとももちろん関係してはいるだろうけど、
今回一番自分が驚いたのは、
ペトレンコがこの「ワルキューレ」という曲を凄いほど掌握し、
完全に自分の手中に収めきっていたこと。


どこからどこまでも明晰かつ確信に満ちた音楽を、
自由自在かつ千変万化させ、
しかも音楽を静態させるときはほとんど凪のように、
そしてここというときは一気に音楽を生き物のように多彩に動かしていく。

それはまるで「ワルキューレ」を手の中で自由自在に転がしているかのようで、
何かとんでもないものを見せられているような気さえしたものでした。

しかも音楽のスケールが大きい。

それも無理やり風呂敷を拡げたというものではなく、
自然体の、
それこそ音楽そのものの大きさを、
あるがままにみせてくれたことによって感じられる、
そういう類の大きさだった。

最後の追い込みもじつに素晴らしく、
終演後嵐のような歓声が起きたのも実に納得できるものだった。


自分はこれを聴いていて、
今からちょうど40年前に同じこのNHKホールで、
ムラヴィンスキーが指揮したチャイコフスキーの5番を思い出した。

あのときも同じように、
一瞬たりとも音楽の表情が停滞しない千変万化の音楽を、
しづにクリアかつ圧倒的に響かせていた。

この指揮者がベルリンに呼ばれたのが、
なんとなくだが分かったような気がした。

歌手の三人も申し分なかったけど、
特にパンクラトヴァのジークリンデの、
これがワーグナーだろうというくらいの真に迫った、
劇的かつ激情に充ちた素晴らしさは秀逸だった。

フォークトはジークムントにしては、
英雄的というより若々しさの方が前面に出たような感じで、
かつてのウォルフガング・ブレンデルの演じたザックスと重なるものがあった。

それと今回演奏会形式ではあるが、
第九のように椅子が置いてあって歌うときだけ立ち上がって…
というものではなく、
オペラ公演と同じように登場したり退場したり、
また立ち位置を変えたり相手の表情をみながら身振りを交えたりと、
舞台装置やオペラ公演用の衣装をつけていない以外は、
かなり歌手も指揮者もオペラ公演を意識したかのような、
そんな身のこなしをしていた。

もちろん椅子など使っていない。

正直しょうもない演出や舞台装置で、
高いお金払って「これいったい何だよ?」というくらいなら、
指揮者も歌手も全力で音楽に集中できる事を思うと、
確かに「オペラ」としては成り立ってはいないけど、
むしろこういう演奏会形式の方が自分はありがたい。


とにかく今回はいろんな意味で大満足の演奏会で、
しかもオペラを見たような余韻も満喫できた演奏会でした。



尚、放送は

10/15(日)午後2時~(FM)
11/27(月)午前1時~(日曜深夜)「プレミアムシアター」(BSプレミアム)
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「天空の城ラピュタ」を久しぶりにみて。 [スタジオ・ジブリ]

「ラビュタ」を久しぶりにみた。

ディスクが手元にあるとなぜかいつの間にか見なくなるのに、
こうしてテレビで放送されると律儀に観たり録画したりしてしまう。

「ラピュタ」に限らずけっこうこういう事が多い。不思議。

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「ラピュタ」は最初の30分で下へ下へと降りていき、
残りの90分をかけて上へ上へと昇っていくような作りになっている、
このため下りる三倍もの時間をかけて上っていく為なのか、
前半のジェットコースターのようなスピーディーな展開に対し、
やや後半ペースダウンしたように感じられような気がする。

ただ何度か見ているうちに、
このことにより引力の持つ重さを感じられるようになった。

今回も久しぶりにみてあらためてそれを実感できた。

本当によく計算されている作品と感心。

とにかく宮崎監督の当時の魅力が、
これでもかと贅沢に詰め込まれたこれは傑作だ。

ただいいことばかりではなかったようで、
ラピュタが映像商品として発売された時、
VCとLDしか当時発売されてなく、
VCはともかくLDが発売された時は、
LDは片面一時間が収録限度だったため、
この作品はギリギリ二枚組となり価格が高くなってしまった。

しかも二度にわたり盤の入れ替えをしなければいけないため、
VCに比べいくつかの点で不便が生じてしまった
当時の徳間の担当の方はけっこうこの事を気にしていた。


ところで「ラピュタ」の頃の時代は宮崎監督の作品に
「空を飛ぶ夢を追い続ける」姿勢が強くかんじられたけど、
先週放送された「ポニョ」には、
「空を飛ぶ夢を諦めた」雰囲気が感じられた。

それはかつての宮崎監督は自らの飛行目線だけでなく、
よくみられるこのアングル

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やや下から丘と空を描いているお馴染みのシーン。

個人的に「高い丘のモチーフ」と勝手によんでるけど、
これなどは宮崎監督の空へのあこがれや、
その空を飛ぶ夢をのせた、
宮崎監督のベースとなる心象風景のひとつだと思っている。

だかこのモチーフが作品が新しくなるにつれ、
次第に抑制されていったような気がする。

「ポニョ」では空の占めるシーンが、
ずいぶん小さくなってしまっている。

また遠くの水平線や地平線、
もしくはそれに代わるものをみつめるシーンにも、
それらが強く感じられるが、
これらのシーンもやはり控えめ目になっていった。

というより宮崎監督の遠くをみる距離が、
だんだん遠くなくなってきているように感じられる。

宮崎監督の「千尋」以降に裾野の伸びやかさを感じられなくなったのは、
そういうところがあるのかもしれない。

それは作品が次第にファンタジー色よりも、
メッセージ性が強くなっていくことと関係があるのかもしれないが、
このあたりは正直あまりよくわかっていない。

とにかく「ラピュタ」をみていると、
後の宮崎作品により強く表出されたものと、
失ってしまったものが感じられた。


あと今あらためて思う事に、
「ラピュタ」では声優さんがまだ普通に使われていたし、
そこに不自然さも感じないということ。

その後は御存じのように、
宮崎作品から声優がある時期を境に急速に排除されていくが、
それは宮崎監督の絵の精度と密度が上がるにつれ、
絵の表情や表現力を補う事を主として発達した日本の声優のそれが、
次第に宮崎作品にとって余計な色付けとなっていったことも理解できた。

つまり宮崎作品は完成度が上がるにつれ、
より監督の色というものが強烈に隅々まで浸透し、
それと異質な色合い等をもったものは、
自然と排除されるようになってしまったという事。

それは同じアニメでも他の多くの作品とかなり違ってきて、
声優の個性や演技力が大きく反映している今のテレビアニメとは異なる、
そういうことを許さない、
監督のそれがすべてに最優先されるという事でもある。


そういう意味で宮崎監督のそれは、
多くのアニメが歌手の力を大きく必要とする「オペラ」であるのに対し、
指揮者の意図の方が歌手のそれより大きくものを言う、
それこそ「オラトリオ」や「劇的交響曲」といっていいのかもしれない。


それは以前も言ったけど、
トスカニーニのNBC時代におけるオペラ録音とも共通している。

かつてイタリアの大指揮者トスカニーニが
その晩年オペラを演奏会形式で録音したとき
たしかに会社の権利関係があったものの、
名のある大歌手をあまり起用しなかったことが多々あった。

それはトスカニーニが妥協無き指揮者であり、
歌手のスタンドプレーを許さず
音楽そのもののもつ力と自分の音楽に絶大な信頼を寄せ
自らの巨大な世界を築ききっていた事が理由としてあるけど、
その姿勢は宮崎監督のそれとかなりの共通点がある。

またそのときトスカニーニが指揮したオーケストラ、
「NBC交響楽団」はトスカニーニの為に創設されたオケで、
これもまた宮崎監督とジブリの関係と通じるものがある。

宮崎監督の今世紀に作られた作品の特色と、
何故声優を使わないかという事は
これがいちばんいい例であり理由のような気がする。

と、そんなこともまた、
この「ラピュタ」をみてあらためて強く感じられた。


ただそれじゃあ映像技術がこれからもあがっていくと、
今の「声優」はいらなくなるのではと思われるかもしれないが、
それははたしてどうだろう。

おそらくアニメの幅が広がるのと同じように、
声優も幅広いスタイルを要求されていくような気がする。

もちろんそれは個人個人の枠をも超えてくる場合もあるため、
さういう場合はいろいろと各自の持ち場も、
そのスタイルによって決まってくるような気がする。


以前あるベテラン声優さんが今の声優は個性が無いと言っていたが、
各自の個性をかならずしも必要としない局面も、
これからはいろいろと増えてくるような気がする。

もちろん個性を要求される場合もあるけど、
その個性の要求のされ方もまた多様になっていくのかもと
そんなことも「ラビュタ」みてあらためて思った次第。


とっちらかった内容ですがこんなところで〆です。

※一部ツィッターに書き込んだものも含めて再構成したものも落とし込んでます。
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ビゴーと内浦を描いた絵いろいろ。 [沼津~三の浦]

明治時代日本に長期在住されたフランスの画家、
ジョルジュ・ビゴーは、
今から百三十年程前に、
今の静岡県沼津市の内浦に滞在、
いくつもの
絵画を遺しているが、
その纏めをここで分かっている範囲でしたいと思う。

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①「富士(沼津江浦)」

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②「三津(伊豆)寺の境内から望む淡島」

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③「三津風景」

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④「Un coin de l'île d'Awadjima, Foudgi Yama」
※「淡島の角越しにみる富士山?」



今のところわかっているのはこの四枚で
①は静岡県立美術館に所蔵。
②は宇都宮美術館に所蔵。

作品はだいたい1887年あたりに描かれたもので、
今(2017)から130年前のもの。


描かれた場所は、

①は重寺付近の高台付近からみたもの。
(①の淡島のようにみえるのは今は無き大久保山)

②は来迎寺の山門から淡島をみたもの。

③はその参道の階段を降り切った所から氣多神社の方をみたあたり。

④は最初右にみえてる島影が淡島だと思い長浜付近の山道か高台あたりから描いたものと思っていたのですが、富士山がちょっと小さすぎるように見えることと淡島と富士の位置関係からみる陸と淡島の距離感が、長浜だと少し近すぎる気がするので気になってます。

ただ淡島がじつはこの絵の左にあるもののこの絵には描かれてないと考えた場合だと、①よりもう少し北の方で書かれたと考えられ、そうすると比較的しっくりとするものがあります。はたしてどちらなのでしょう。
(④で淡島を「安房島」と書いているのが面白い。かつてはこのように書かれていたのだろうか。)


ところでこれをみて分かるのは、
少なくともビゴーは重寺から三津付近を、
絵を描きながら移動していたこと。

ビゴーが修善寺に宿をとっていたのは、
いくつかの絵からも分かっている。

ビゴーが内浦に宿泊していたかは分からないが、
これだけの絵を遺している事を思うと、
修善寺と内浦を日帰りで何度も往復していたとは考えにくい。

この地域で一番古い旅館の「安田屋」さんは、
明治20年(1887)創業ということなので、
開業したばかりの安田屋さんに宿泊し、
そこをベースにしていろいと絵を書いていたのかも。

絵の描かれた場所も安田屋さんを軸に拡がっていますし。
(ひょっとすると当時の安田屋さんを描いた絵がどこかにあるかも)


あと面白いのはこれら四枚のうち三枚が、
富士山や淡島を描いたものということ。

今の自分の内浦の写真も、
富士山や淡島がかなり占められている。

ビゴーにとってもやはりこの二つは魅力的な被写体だったのだろう。

このあたり、いつかこれら作品が一堂に会しての
「ビゴーの描いた沼津、伊豆」の展覧会をみてみたいものです。



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全日本プロレス遊行寺大会に行く [スポーツ]

【第44回藤沢市民まつり ~遊行寺でプロレスをするぞ!オイッ!!~】

というタイトルのそれに行く。

地元藤沢出身の全日本プロレスの諏訪魔選手による、
藤沢市民まつりの一環として行われた特別興行。

場所は遊行寺境内。
過去にも何度か行われています。

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この本堂より前にある、
茶屋や宝物館の前にある広い場所を使って行われた。

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公式サイトを参考にすると
以下のような進行となっています。


11:30 屋台村開始

第1部  ~発表会~

13:00 市民団体発表会(3団体予定)

第2部  ~プロレス~

14:00

第1試合 青柳優馬 VS 岡田佑介

藤沢警察署 防犯キャンペーン (ゲスト:青柳優馬)

第2試合 諏訪魔&江の島マン VS マッシモ& ダニー・ジョーンズ

サイン、写真撮影会

というもの。


自分はこの第二部から観に行きました。


着いたのは13:40頃。

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昨年は雨で中止、
今年は以前に比べるとやや地味なカードなので、
ちょっと心配しましたがけっこう人が集まっていました。

来賓の方々の挨拶と、
諏訪魔選手からの挨拶ではじまりましたが、
諏訪魔選手は前日の王道トーナメントで優勝したこともあり、
優勝トロフィーをもってのそれとなりました。

そして14時から第一試合。

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前日第一試合の六人タッグで、
直接勝敗にかかわった二人によるシングルマッチ。

岡田選手のけれんみの無いストレートなファイトもよかったですが、
驚いたのは青柳選手の成長ぶり。

試合をうまくコントロールしていたということもそうですが、
デビューしてまだ二年半ちょっとの21歳で、
ずいぶん試合運びが練れたというか旨い運びをするのに感心。

誰に強い影響を受けたかはわかりませんが、
やはり後ろから追ってきた人が出てきたことから、
それが成長のスピードを速めているのかも。

しかし二人とも最初見た時に比べると、
各段に身体ができあがってきている。

あと数年もすると、
この二人も全日本ジュニアの精鋭として、
この団体を支えていくんだろうなあという、
そんな未来がみえてくるような試合でした。

そういえば最後の逆エビ固め。
昔はボストンクラブといわれて、
その理由は決められた相手の足のそれが、
ボストン港名物の蟹のハサミに似ていたのが語源だとか。

じゃあなんでそれが日本で逆「えび」になったかは、
同じ甲殻類とはいえど、
ちょっと自分にもわからない。

しかしシンプルだけど、
きっちり決まると怖い技だとあらたて痛感させられた。

試合後一息つく青柳選手と遊行寺のみなさん。
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遊行寺の八百年前の鐘楼を写したら、
小さく横に試合後の岡田選手が写っていました。
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このあと途中から青柳選手を交えての、
警察署からの振り込め詐欺への注意喚起。
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そしてメインの第二試合。

はじまる前には人がけっこういた本堂前もご覧のとおり。
みなプロレスをみるためそちらに向かわれたようです。

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これもなかなかいい試合だったけど、
諏訪魔選手は昨日の激闘があったにもかかわらず、
フロント・スープレックス、ダブルチョップ、バックドロップと、
見ばえのいい得意技を次々と連発、
そして最後にはラストライド。

これがまた凄いほどきれいに決まって、
その瞬間の衝撃音が本堂近くにまで響いてきた。

あまりの説得力に、
観客からどよめきが上がったほどでした。

他の三選手も見せ場をいろいろつくって、
こちらもまた見応えのある楽しい試合でした。

試合終了後の様子。
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ただとにかくまわりが混んでて、
自分は人混みに弱いので遠景が多くなってしまいました。

申し訳ないです。

この日の試合結果。
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試合終了後の諏訪魔選手、じつにいい笑顔でした。

じつはこのときのまわりのみなさんもいい表情だったのですが、
やはりそのままは拙いのでこういう形になりました。
ちょっと残念です。
a08.jpg

その後本堂前で記念撮影。
a09.jpg

このときやはりベルトが欲しいということ、
かつて学生時代に遊行寺で修行をしたことがあるけど、
とにかく厳しい修行で尻を棒で叩かれたと話されてました。

その頃リングは岡田選手も一緒に撤収作業中。
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因みに屋台のグッズはかなりよく売れたらしく、
目出度くも完売した品目もあったとか。

こうしてこの日の大会は終了。

お疲れ様でした。


かつて自分は全日本プロレスの武道館大会へ、
毎回のようによく通ったけど、
2002年2月を最後にご無沙汰になってしまった。

やはりノアとの分裂は小さくなかったということか。

ただノアも自分は観に行ってないので、
ようするにプロレスそのものに冷めてしまったといえる。


それが十年以上たってまた全日本プロレスをみるようになったのは、
その試合内容がいいというだけでなく、
人数こそ激減したけど、
ひじょうにいいメンバーが揃っていること。
若くていきのいい選手が伸びてきていること、
実力のある中堅ベテラン選手と
いろいろと核になる選手がしっかりいるということがある。

もちろんその中には今日試合をした青柳選手や岡田選手、
そしてこの日の主役だった諏訪魔選手がいる。

新日本やドラゴンゲートほど、
煌びやかじゃないし器用でも順応性があるわけでもないけど、
その愚直な試合はある意味安心してみていられるし、
他団体から来てくれている選手も実力者揃いということで、
かつての号か外国人選手が割拠していた頃の全日と重なるものがあり、
みていてわくわくするものがある。

とはいえ、それでもかつての全日本とは、
やはりその状況はかなり違う。

今はなかなか厳しいかもしれないけど、
これだけの選手が揃い、
いい試合をしているのだから、
あとはこれをどうより知ってもらうか。

そういう意味では今の全日本プロレスは、
アニメ聖地化する前の大洗や沼津みたいなものかもしれません。

地上波放送とかどこかで試しでいいからやってほしいなあ。



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アニメ聖地雑感 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

大洗に行きだして四年半、
沼津も初めて「聖地」として訪ねてから1年程たつ。
ここまででちょっと「聖地」について纏めを書いておきたいと思う。

かなり長く、
しかもとっちらかった内容なので、
飽きたらそこでもう終了していただいてけっこうです。

それでは始めます。


自分は以前「聖地」に対して、
二次元と三次元を繋ぐ鎹という意味で、
「声優」とその立ち位置が酷似していると言った事がある。

その事はいくつかの聖地に通い、
そこでの発信や反応をみていくにつれ、
よりそれらを強く感じられるようになっていった。


また聖地の多くはその作品や土地柄によって、
その取り組み方捉え方がいろいろと違うため、
各地状況がいろいろと多様化しているものの、
訪れる多くのファン側の感覚としては、
アイドル声優に対するそれと同じような、
それこそ聖地をひとつのアイドルとして捉え、
聖地巡礼はアイドルのコンサートに出かけるそれと同じと、
最近そう思えるようになってきた。


訪問者の見る目がそういうものになっていると、
当然聖地そのものにも変化がではじめる。

ビジターの訪問とそういう感覚による行動が起き始めると、
それにより聖地となった現地の人達が、
次第に状況の変化に気づき始める。

当然最初は当惑するだろうが、
次第にその原因が分かり始めると、
それらを活用する…というより、
自分達に何ができるのかという事を探り出す。

そこでビジターとの会話が生まれるが、
これらは最初からそれが目的というより、
お店等では接客における日常のそれによるものなので、
このあたりは会話が好きな人達と長けた人達による、
多くは自然発生的に生じた日常的なものといえるだろう。


こういうときの普段着での接し方がうまくいくと、
それが顧客づくりへとうまく連動、
結果その人達がリピーターとなってくれる。

その後そういうリピーターとの
さらなるそこでの会話の中身などから、
自分たちが何をするべきかをさらに洗い出し、
その過程で自分たちの仕事や街の良さを再発見、
何が「売り」になるかを見極めながら、
そこに磨きをかけ粧いを施す事により、
次第に街本来のある力によって、
自分自身の力で勝手に活性化されていくというのが、
アイドル化した聖地がとるひとつのケースだと思う。


ここで誤解してほしくないのは、
聖地のアイドル化は無理して場違いに着飾ったり、
厚化粧を華美に施すというものを指しているわけではない。

上記したように、
あくまでも自分達本来の売りや魅力を、
ビジターからの情報も吸い上げ最大限に活かし、
そこを磨き上げ発信するという事であって、
無理していろいろと花火をあげろというわけではない。

無理なイベントや場違いなそれは、
ビジターにとって虚飾ととられかねないし、
そうなるとかえってアイドルとしての魅力も低下してしまう。

こういう時のファンのそれはかなりシビアなものがあり、
最も忌み嫌う部分でもある。

ビジターが期待しているものと、
街が行ったイベント等の内容にギャップが出るのは、
極力避けねばならない要素でもあるのです。
(そのためには前述したビジターとの会話とその分析はとても大切なのです。)

なのでこういう事で一度失望してしまうと、
それっきりとなる危険性が高い。
(このあたりも声優に対するファン気質と似ている所がある)

一度失ったビジターを呼び戻すのは至難の業なのです。


また幸いにしてそうならなかったとしても、
無理したり犠牲を強いたりするイベントを続けても、
それらは決して長続きしないし、
また持続的な部分での成果も思うようにはでないだろう。


イベントを企画するならあくまでも無理せず、
自分たちも楽しめる範囲でやらなければ長続きしないし、
リピーターも生まれにくくなってしまう。

そこのところは勘違いしないでほしいし、
今のアイドルの「売り方」をみていれば、
そのあたりはけっこうお分かりいたただけるのではないだろうか。

アイドルがネットで普段の自分の生活や仕事、
そして趣味を頻繁に発信しているのはそういう事が、
ベースとして大事というふうに理解しているからに他ならない。

それらと同じ事なのですから。


自分が訪問した事がある土地で、
「鷲宮」「豊郷」「秩父」「大洗」「沼津」なども、
それらに該当するように感じられた。

もちろんこれには作品内容とそのパワーも関係しているけど、
上記したように現地の対応のしかたによって、
けっこう左右されてしまう部分がある。

上記五つは中でもそれらがある程度うまく機能し、
それによってスーパーアイドル化したように思われる。


特に大洗と沼津は、
いきなり特定の街の名前が前面に出たという事で、
他の多くとは若干内容が異なるが
それでもこれらは順調にアイドル化したわけではなく、
当初は他の聖地同様かなり試行錯誤し、
決してうまくすべてが運んでいるようにはみえなかったが、
今では自分たちの本来の売りとパターンがみえてきたのか、
ひじょうにいい方へいい方へと活況を呈し、
今ではそれに商店や役所も積極的に絡み、
かなり大規模になった事でさらに多くのビジターを呼び込み、
リピーターを増やしながら現在に至っている。

それは普段着姿の売りと、
特別な日を設けてのサービスをからめての、
いろいろな装いを施す事によってビジターを飽きさせない、
そういう地道な「アイドル活動」も含めた努力の賜物だろう、

現在行っている会話や接客、
またいろいろな面での鮮度への意識や、
ネットを中心とした情報発信の数々、
これらも常に多くの人からみられているという裏返しで
みな「アイドル活動」の一環といっていいと思う。


またこれらの聖地は、
聖地としての受け入れ処とそれとは無関係という所が、
ある程度うまく住み分けができているのも特徴で、
それがまた「アイドル」という処を、
明確に浮き上がらせているのかもしれない。

また大洗と沼津は、
等身大パネルとラッピング車輛を積極的に展開している。

A012.jpg

前者は大量の等身大パネル、
後者はラッピングバスやタクシーが、
街の多くの場所で活躍しており、
これが街のアイドル聖地化というだけでなく、
本来アニメのキャラである作品のキャラが、
あたかも地元に根付いた新手のゆるキャラのような、
それこそロコドルみたいな感じで、
地元に認識されるという事も生じている。

沼津で当のラッピングバスに乗った時、
そのバスをみる人達のリアクションや、
バスに乗って来た人達のそれをみると、
よりそれが強く感じられたものでした。


だがそれらはすべての人達に、
決して好意的に受け入れられてるわけではない。


街が聖地になった事で「アイドル化」していく事に、
強い不満をもつ人達も存在している。

これらの人達は昔からその街を知っている人で、
聖地化する事によりアイドル的な人気を博し、
それ目的で大勢のビジターが訪問するうちに、
その街がかつての姿と違う形に変貌し、
ビジターに対し媚びた装いを行っているようにみえる事が、
我慢ができなくなっているという事がある。


確かに今まで見慣れた風景に、
いきなり異質なものがそこかしこにあふれたら、
それをいきなり受け入れろというのは無理がある。

だがだからといって、
自分が気に入らないからとそれを否定するのは、
さてそれはどんなものだろうという気が強くする。

もちろんそこに住む人達にとって、
迷惑このうえないというのであれば、
それは一考し対応を協議するのは当然だが、
地元にとっても活性化のひとつとなっていた場合、
恩恵を受ける人達が限定的になったとしても、
実害が起きていない場合、
それらを頭ごなしに否定するのはやはり問題だろう。

(ただこの実害というものにもいろいろと各人の基準というものがあり、一概にどうこうと決めつけられないものがある事も、この問題を複雑にしている事は確かだと思う。)


またこれらに対して拒否反応を起こし否定する人は、
なぜそう思うのかという事を、
自分自身に対しその要因を精査した事があるだろうか。


この土地は昔から変化や変貌を積極的に拒絶してきた街なのか。
ここの人達はこれらの変化をどう考えているのか。
これらを拒否する考えは自分を納得できるか否かだけの問題ではないのか。

等々。

特に最後に書いたそれは、
下手をすると自己全否定になりかねないので、
そう簡単においそれとできるわけはない。

でもそのあたりをしていかないとこの話は先に進まない。
大事なのは自分ではなく現地そのものである事を思うと、
そんな事は二の次三の次なのだ。

精査されつくしていない自分の考えや価値観を、
その街と心中させてはいけないのです。


あと今の聖地のアイドル化がダメな人で、
「昔」のその街のイメージを大事にしたい人は、
自分がもっとも強くイメージを刷り込まれたその時代から、
脱する事ができないのだろう。

もちろん好き嫌いはその人のそれだから、
それは全然かまわない。

だがそれが理由で、
その価値観を押し付けるのはやはりいけない。

好き嫌いと良し悪しは、
自由と無秩序のように異なるものだ。

価値観をおしつける前に、
この時代のこの街はこうだった、
そして聖地だったころのこの街はこうだったと、
それを見つめ記録し、
そこで起きた変化から学び街とともに前へ進むのが、
本筋というべきではないだろうか。

そうでないと街本来の進むべき道が、
アイドル化するしないに関わらず、
不自然に曲げられた道へと進んでしまうかもしれない。

変化しないことによる不自然な変化は、
ひじょうに誰も気づかない事が多いのです。


とにかく街が変化をしていくとき、
その過程でいろいろな事が起きる事を、
過去がああだったからと否定ばかりしていては、
その先に街が進む事はできない。

また失敗も成功も山の上り下りみたいなものなのだから、
前へ進むためへのそれと思わないと、
これまた前へ進む事はかなわない。

もちろん街の伝統等を守るのはけっこうだし、
大事な事ではあるけれど、
それを自分の中の慣習や刷り込みと取り違えてはいけない、
それは街にとっても迷惑だし不幸な事だと思うし、
そんな事をしたら、
将来の展望すら開けてこないのではないだろうか。

(ただ聖地化に否定的な人たちの中には、それ以前の聖地になる前のその街に「憧れ」、また違った意味でアイドルとして見ていた人達もいるんじゃなかろうかという気がしています。アイドルには好き嫌いはつきものですから、当然といえば当然なのかも。)


ところでアイドルというものにもいろいろある。

短期間に強烈な輝きを放ち消えていったもの。
長期間に渡り輝き続け今もなお光を絶やさないもの。

等々。

聖地の多くは後者を目指し、
前述した事を地道に続ける事により、
今をできるだけ長く紡ぎながら、
同時に種を撒き次の時代に備えていく。


おそらく沼津も大洗も、
「ラブライブ」や「ガルパン」が静まった後の、
街の将来の展望も視野に入れているだろうし、
この景色も長い年月における、
ひとつのそれとすでに考えていると思う。

だから尚更街にとって否定ばかりして、
立ち止まる事は決して得策ではないのです。

今やれる事をやり、
次に備える…もしくは種を撒く事をはじめる事は、
本当にとてつもなく大事な事。

そしてそのひとつの過程として、
街のアイドル聖地化も利用し糧としているのです。


繰り返しますが、
聖地のアイドル化は街本来の活力を呼び戻したり、
地元も忘れていた街本来の魅力の再発見に繋がったりと、
これはある意味街の棚卸をしながら、
いろいろと多くの副産物がそこに生まれてくるという、
街にとってとても大切なイベントなのです。

沼津の「のっぽパン」の売り上げ増なども、
そのいい例だと思います。


聖地となった街は、
そこに住む多くの人達によって、
今日もアイドルとしての鮮度を保ちつつ、
(鮮度を保つのもまた粧いの一種だと自分は思っている)
多くのビジターを受け入れている。

自分はそういう活動を高く評価したいし、
そんなアイドルたちがこれからどうなっていくのか、
それらがしっかりとした成果に結びつく事を祈りながら
自分も可能な限りそれを見守り続けていきたいと思います。


ただそれだけに、
何度も何度も繰り返すようで申し訳ないですが、
最近よくみかける「聖地協会」のようなものが、
観光ばかりに特化せず、
聖地となった街の悩みや問題への相談の窓口となったり、
過去に起きた事への参考のようなものを閲覧できたり、
聖地同士の横の繋がりのパイプ役になったりと、
そういう部分の事にも力を注いでいかないと、
いつの日か聖地観光も廃れてしまうかもしれないと危惧している。


アイドルが輝くにはプロデュースする力が必要だが、
それはただ話題づくりだけという事ではない。

こういうバックアップシステムのようなものも形成しないと、
そのうち「こんなものいらない」という事が、
いつか大きな不満となって各地で炸裂してしまうかもしれない。

それだけに「~協会」というものをこしらえるのであれば、
そういう足元を踏み固めるという事にも、
地味だし継続というなかなか辛抱を強いられる事ではありますが、
ちゃんと力を注いでほしいと最後にここで言っておきたい。

特にこのあたりの風潮は、
今のアニメ制作現場に通じる「悪しき」ものも感じられるので、
より強く念押しで最後に言っておきたいと思います。


長文拙文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

深謝。


[余談1]

自分は大洗や沼津に行くと、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団や、
ウィーンやベルリンのフィルハーモニー管弦楽団のような、
長い歴史を持った楽団を想起する事が多い。


これらのオーケストラは19世紀やそれ以前からある団体だ。

多くのオケは自分たちの伝統や良さを守るべく、
いろいろな努力を長年し続けてきた。

だが楽員は年年歳歳、引退と入団が常に繰り返される。
それによって使用している楽器も変わる事だってあるし
今まで使用していたホールが何等かの理由で使用できなくなり、
新しい響きのホールでその後演奏しなければならない事もある。

他にもガット弦から金属弦への変更や、
常任指揮者の交代によって生じる奏法の変更、
さらに教育システムや楽団の方針変更等もあり、
多くのオーケストラは昔からのサウンドを、
そのままの形で維持できているわけではない。

なのでオーケストラによっては楽器を代々受け継いだり、
奏法を代々受け継がせるといった、
そういう形で伝統を守っていく団体もあったが
それでも完全にそのままというわけにはやはりいかない。

そのためそれらによって生じた変質や変貌を、
昔からのファンは全てを受け入れる事ができず、
「昔はよかった」
という言葉で片づけてしまうケースが少なくない。


ただ個人個人の技術は今の方があがっており、
そのためあきらかに今の方が、
オケ全体としても上手くなっているケースも多く、
音質や音色等は変貌したが、
むしろ今の音の方が好みというという人も多くいる。

ハッキリ言ってしまうと、
どういう理由で生じたにせよ何かを得れば何かを失う、
だから変質や変貌が起きる。

それの細かい積み重ねの変化が必然のオケの場合、
自分がいつの時代にそれに慣れ親しみ、
そして影響を強く受け刷り込みとなったかで、
けっこうこのあたりの感覚や価値観は変わってしまうと、
自分はそう思っている。

むしろ1950年代のこのオケはこうだった、
2000年代のこのオケはこうだったと考える方が、
よりその時代時代のそれを明確にとらえ、
そして愉しめるのではないかと自分は考えている。
(これはゴジラにも言える事かもしれない。)

昔はよかったばかりでは、
今ある良さを愉しむどころか、
これからの可能性をも殺しかねない危険性があるのです。

かつて数百年の歴史を誇る、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団について、

「ゲヴァントハウスの運動をおこし、育てていったものは常に各時代の進歩的勢力であった。」

という言葉があった。

この言葉、
自分は今の沼津や大洗にもあてはまると思っています。


[余談2]

大洗の変化は2013年春と2017年夏では、
もう街の雰囲気そのものが場所によっては大きく変わっているし、
また全然変わっていないところもある。

おそらくこれから全然変わっていないところも変わっていくだろうし、
逆に今大きく変わった所はこれからしばらく変わらないだろう。

そんな今の時代にこの環境で育った人には、
今この時代が何十年後の「昔はよかった」の「昔」になってしまう事も、
じゅうぶんありうる事。
(そこには今から少し前に消えた景色は含まれていない)

そしてそれは今の沼津にもあてはまると思う。


そんな繰り返しが過去現在未来と繰り返されていくのだろうし、
そこで生き続けていくいろいろなものは、
その時代時代で必要とされていたからなんだろうなあと、
大洗や沼津をみるたびにいろいろと感慨にふけってしまいます。

そんな事を考えながら、
これからも自分は聖地を歩く事になるでしょう。



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※マリンタワー前の広場とステージ。
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ヤルヴィの「レニングラード」に行く。 [クラシック百物語]

NHK交響楽団
第1864回 定期公演 Aプログラム

9月17日(日曜日) 15:00 開演
NHKホール

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮

(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60
「レニングラード」



パーヴォ・ヤルヴィがN響の当主になるという、
そんなニュースを聞いたのが2012年夏。

その時自分は以下のような事を書いている。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2012-07-11

確かに将来には期待してはいるけど、
正直かなり不安の方が大きかった。


ただその放送を観たり聴いたりしていると、
確実にヤルヴィがN響を手中に収め、
このオケからかつて聴いたことがないほどの統一感と、
無駄のない覇気に富んだ響きを弾ぎだしている事に驚いた。

なのでそろそろ実演をということで、
今回のそれとあいなりました。


台風接近と秋雨前線の活発等で、
オケ的にはベストコンディションではなかったかもしれない中での、
今回のショスタコーヴィチとなりましたが、
ひじょうに見事な演奏だったという気がしました。

オケは大編成の18型、
しかもそれプラス対抗配置ということで、
N響としてはあまりみかけないスタイルによる演奏。

これだけをみると大音量勝負のようにみえるのですが、
第一楽章冒頭の音でその予想は消し飛んでしまいました。


とにかくバランスがよく、
明快かつ柔軟で力強い、
そして明るく繊細な響きも湛えたそれには響きでした。

この後音楽が進むにつれ、
その見通しの良さ、
そして弱音の美しさとその濁りの無い響きが際立っていき、
さらにそこにひじょうにしっかりとした造形感覚とバランスが加わり、
この曲としては驚く程の美しさと端正さをもった、
標題を抜きにしてもしっかりと成立してしまうような、
純粋な「交響曲」として鳴り響いていった。


自分はこの曲はある意味「劇的交響曲」、
もしくは「交響詩」のような交響曲というイメージが強く、
仕掛けの大きなドラマティックな曲だと、
そう思い込んでいたところがある。


だけどこの日のヤルヴィのそれは、
そういう部分よりも、
「革命」という標題を取り去った交響曲第5番のような、
そういうスタイルをこの曲で実行したかのようで、
聴いていて本当に気持ちいいくらいの音楽がそこにはあった。


それは大編成のオケが怒涛のように演奏する所より、
弦の歌や弱音における美しさと清澄なそれの方が、
むしろ強く印象として残ったことにもそれはあらわれていたと思う。

とにかく目から鱗のような演奏だった。


ただだからといって綺麗ごとで終わってしまっているとか、
小さくまとまっているとかというとそういうことはなく、
怒涛のごとく鳴り響く部分も、
過不足なく見事に大きな音楽を形成していた。


例えはあまりよくないけど、

「巨大かつ迫力にも事欠かない室内楽」

を聴いているような感じさえした。


とにかく今までこの曲で経験したことのない、
本当に新鮮で大音量に下手に頼らない、
極めて説得力のある見事な演奏でした。


そして何よりも驚きは、
それを演奏しているのがN響であるということ。


自分のN響のイメージというと確かにひとりひとりは上手いが、
パート別には各々まとまるけど、
楽団全体としてはやや統一性や方向性に欠け、
そのためその音楽の表情が常にぼやけてしまう、
それこそ「顔のみえない」オーケストラという、
そういうものが昔からあった。


だが今回はそういう部分はほとんどなく、
ちゃんと全員がひとつの方向を見、
ひとつのオケとして統一がしっかりとれ、
そしてそこにははっきりとした「顔」がみえていた。


これがヤルヴィの力であることは、
その出来上がった音楽のスタイルからも明白で、
これだけでも今日来た価値があったけど、
それに加えてのあの「凄い」演奏だっただけに、
さすがにこれにはもうまいってしまった。


とにかくこの日はいろんな意味で大満足の演奏会でした。


それとこの日の演奏で、
自分はNHKホールというハンディをまるで感じなかった。

それは大編成のオケを余裕をもって無駄なく鳴らしたという、
そういう部分も大きかっただろうけど、
はたしてそれだけだろうか。

そういえばムラヴィンスキーをNHKホールで聴いたときも、
NHKホールというハンディをまるで感じなかった。

あのときも巨大な響きもさることながら、
清澄かつ美しい弱音のコントロールが素晴らしかった。


かつてラザレフは、
弱音に聴き手の耳を強く引きつけることで、
大きな音を、
より大きく効果的に聴かせることができるという、
そういう意味の事を発言されていた。

今回はそれがムラヴィンスキーレベル、
もしくはそれに近いものが行われていたのかもしれません。

明晰かつバランスのとれた、
それでいて懐の深い大きな音楽。

「凄い」演奏とは音量やパワーのみが決めるものではない。


当たり前のことですが、
ちょっとそんな事も思った演奏会でした。


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「にっぽんアニメーションことはじめ」をみる。 [アニメ(20世紀)]

川崎市民ミュージアムで開かれている、

国産アニメーション誕生100周年記念展示 
「にっぽんアニメーションことはじめ」 
~「動く漫画」のパイオニアたち~
日本1.jpg
https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/8738/

を観に行った。

日本2.jpg

内容ははチラシの裏にもあるように、

下川凹天、北山清太郎、幸内純一、前川千帆

この四氏の足跡と、
この四人がアニメをつくった1917年という時代、
そして漫画と浅草を多くの貴重な資料とともに取り上げた、
とても勉強になるし分かりやすい好企画だった

今は展示中心だが、
10月からはいろいろと企画もあるようなので、
そのあたりは市民プラザのそれを参考にどうぞ。


現存する最古のアニメ
「塙凹内名刀之巻」がここでみられるのも嬉しい。


ただひとつ残念なのは、
浅草をとりあげるのなら、
もう少し他の方面の方から、
この企画における浅草について思う事なども、
少しは聞いてもらっていたら、
さらにユニークでダイナミックなものになったような気がする。

アニメだからといって、
その方面だけからだと些か窓口が狭くなるし、
他方面の方がみたら、
こちらが思いもよらぬ新鮮な発見をしてくれたかもしれない。

そういう部分の弱さがちょっと残念だった。

山崎浩太郎さんや大島幹雄さんがこの企画をみたら、
どういう感想をもったことだろう。

とても興味があるだけに、
このあたりへの踏み込みが無かったのがちょっと寂しかった。


ただ企画としてうまくまとまっているので、
ぜひ一度興味のある方は見聞されることをお勧めします。


しかし若き日の下川の気の強そうというか、
怖いもの知らずで肩で風を切るような表情!

好きだなあ。


それと戦前の日本のミッキーマウスの無許可使用と思われるもの。

某国のそれをみているようで苦笑ものだけど、
のらくろとの共演はなんか嬉しかった。
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静岡県沼津市総合防災訓練(2017)に行く。 [震災]

平成29年度静岡県・南駿地域総合防災訓練に行く。

これは静岡県各地で行われたが、
自分が行ったのは一般が見学できる、
静浦小中一貫校で行われた、
津波避難訓練と緊急物資受け入れ訓練。


静浦小中一貫校は、
自分が沼津~内浦・西浦まで歩く時、
その途中にある学校で、
全行程で沼津からみて四割くらいのところにある、
かなり目立つ建築物だ。

a-01.jpg

初めて見た時からそのすぐそばにある、
静浦地区センタ同様津波避難ビルも兼ねているようにみえていた。

今回はそこでの訓練ということで、
ときおりその前を歩いているものとしては、
一度はみておかねばという気かし、
今回見学させてもらった。

もっとも地元以外の一般の人間で、
今回のこれをに参加したのは自分だけだったようにみえた。

まあふつうはそうだろう。


この日は学校の生徒さんも多く参加されていた。

余談ですが、
ここは一貫校なので、
中学生にあたる人たちは
ここでは七年生、八年生、九年生とよばれている。

この日は幅広い学年で参加されていたようです、


午前九時になると近くから放送で、
自身が発生したという訓練の放送が流れる。

このとき自分は上記の写真よりも、
やや校舎に近い所にいた。

この日県と市からも担当の方がいらっしゃっていて、
県の方の指示でしゃがんで上からの落下物に備えて頭をかばうようにという、
そういう指示があった。

ただ正直言うとふつうはそれでいいけど、
これだけ校舎に近いと、
むしろ校舎の中に避難した方がガラス等の落下物を思うと、
まず校舎の中に避難すべきというのが、
実際は正解とおもうけど、
ここは基本姿勢の徹底という事でこういう指示だったのだと思う。


このとき防災無線の指示等で、
地区センターから外に机が搬出され、
受け入れ準備がされていたようだけど、
自分のところからは校舎の陰になっててみえなかった。


このあと全員で津波到来に備えて校舎屋上にいく。
ビルでいうと五階にあたる場所だ。

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校舎にある屋上へ行ける外階段の入口。

a-03.jpg
外階段。段差が小さく幅広い年齢層に配慮されている。
とにかくなかなか上りやすい段差と階段で、
五階まで上ったという感じがあまりしなかった。

ただ年齢の高い人にはそれでもなかなかたいへんかも。

屋上。
a-04.jpg

見晴らしがとてもよく、
海や街の状況がはっきりと見渡せる。
a-05.jpg

ここにライブカメラを海や414、
さらには注意すべき崖のある方向などに向けておくと、
三の浦全体だけでなく駿河湾方面もかなり見渡せるので、
現状を掌握するには最高の場所のひとつという気がする。

できればここにもカメラを備え、
その画像が地区センターだけでなく、
県庁、各市役所、そして気象庁等ににもリアルで配信されると、
ひじょうに大きな力となるような気がする。

それともどこかにもうすでに設置されているのだろうか。


このあとヘリによる救出訓練が、
この屋上で行われた。

a-07.jpg
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ヘリのピタリと空中で静止するそれに感心。


その後場所を変えて、
自衛隊のトラックから積んできた緊急支援物資を、
地区センターの倉庫まで運ぶ訓練が行われた。

a-08.jpg

最初はトラックからセンターの前まで、
そしてそこで個数チェック後、
センター内の倉庫までと、
二度にわたるバケツリレー方式による搬入が行われた。

a-09.jpg
地区センター

自分もこれに参加したが、
トラックの大きさからみてそんなり量があるとは思えなかったが、
これが想像以上にあり、
けっこういい運動になりました。

じっさいは余震との戦いにもなるので、
なかなかこううまくはいかないかも。


こうして物資はすべてセンター内にある備蓄倉庫へ。

センター内備蓄倉庫の状況。
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今回はエクアドルからの視察団の方々も来ていました。

エクアドルもここ70年間に、
少なくとも七回の大きな地震に見舞われているので、
いろいろと日本のシステムで、
参考になるものはどんどん取り入れようという、
そういう姿勢が強くあらわれての今回の視察なのだろう。

といったところで一通り終了。

地元の放送局の方も来ていて、
関係者の方や地元の方にインタビューをされていました。


なかなかな密度の濃い訓練でしたが、
ちょっと一部進行がよくわからないところがあり、
一時的に?というところがあった。

たしかに事前に訓練個表を熟読すればある程度はわかるけど、
このあたりもう少しわかりやすくなったのでは?
という気が少しだけしました。


ただそれ以外は得ることが多く、
とにかくいろいろと参考になる訓練でした。

ただこのとき見たり聞いたりしたことで、
少し気になるとろこがあったので、
それだけを最後にここに記しておきたいと思います。



津波避難用の外階段が狭い。
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一斉にここに集中した場合がとても怖い。

以前、津波が来て特定の避難ビルに避難が集中、
このため階段の下の部分で溺死者がでたという、
そういう話をここのブログで伺ったことがある。

それを考えるとちょっとこのあたり怖いものがある。

当日どれだけ迅速かつ冷静に動けるかという、
そういうこに尽きるかもしれないが、
三階や四階に校舎内に行けるドアがあるので、
当日はそこのドアを開放してもらえると、
中から屋上にも行ける階段があるので、
そことうまく併用し、
階段でのそれを多少緩めることができるかもしれません。



山や高台に逃げられる避難路やマウントが、
足の弱い方や車いすの方には無理というお話を聞いた。

たしかにここの階段もそうだし、
また避難路でも、
内浦の弁天島神社の道を挟んで反対側にある、
山側へ行ける避難路などはまるで獣道のようで、
ここを逃げるのはかなりしんどい気がした。

こういうところがけっこう他にもあるとしたら、
この話はとても心配だ。

また獅子浜付近の414号だけでなく、
三の浦の17号でも感じたが、
歩道の幅が狭いということ。

これだと車椅子で、
この二つの道沿いに避難するということはかなり厳しい。

近くにこれらの道とは無縁に、
高台への避難ルートがある場合は、
付き添いの方がいればなんとかなるかもしれないけど、
このあたりはいったいどうなっているんだろうと、
かなり心配になってしまった。

観光者目線でみていた自分としては、
やはりこのあたりへの注意が希薄になっていたことに反省。



津波発生後のライフラインの確保が不透明ということ。

これは現地でも聞かれたけど、
津波発生後の414の状況。

予想では吉田町以南は津波浸水域で、
御用邸以南はさらに浸水域が大きくなるし、
志下以南は明確に津波浸水深が深くなる。

そうなると東海道方面からくる支援物資が、
少なくとも志下あたりで止まる可能性がある。

また来たとしてもどれだけの規模の物資がくるかもわからない。

そうなると一定期間は籠城戦、
それこそ豊臣軍の小田原攻めを、
北条方からみたようなかんじになる覚悟も必要かも。

そのときここにどれだけの人が避難しているのか、
また今回は役所の人や消防の人も大勢いたけど、
沼津市消防本部南消防署静浦分遣所があるとはいえ
当日こんなに潤沢な状況とは思えない。

そのときの対応やシステムはどうするのか。

このあたりもいろいろと課題となると思うが、
今から細かくきっちりと決めるというより、
もっと基本部分だけ大きく方向性を決めるという、
そういうものにした方が、
次々とおきる想定外の出来事に
柔軟に物事に対処できるような気がしたがはたして。



じつはこの裏にあたる場所に、
南部浄化センターがある。

ここも避難ビルに指定されているかなり大きな所だけど、
この浄化センターとこの学校とは、
地震発生以降連動することになるのだろうか。

じつはこの二つの避難ビルを通り過ぎると、
もう淡島の先まで避難ビルはひとつもない。

ここより以南は、
江浦湾においては避難した人は、
みんな避難路を山に向かって各自避難することになる。

それだけにここは、
その周辺の津波否浸水域を含むと、
もっとも大きな拠点になる可能性が高いため、
それを基にした避難計画によって、
この二つを連動させた、
より大規模な避難訓練もいつかは行ってほしいと、
そういう気持ちが強くしました。



内浦の長井崎中学が避難ビルに指定されていないのが不思議。

近くにはヘリの着陸できそうなグランドがあるけど、
何か問題でもあるのだろうか。

津波到来以降港はすべて機能していないと思われるので
空路からの受け入れの可能な場所が、
内浦小学校と西浦小学校との間にないようにみえるのは、
現実問題としてちょっと不安に感じられる。

じっさいのところどうなのだろう…と思っていたら、
ここは津波の指定緊急避難場所と指定避難所になっていた。

ただこのあたりいろいろと複雑に指定があるので、
いまいちわからない。

ここを今度一覧にしようと思うる



静浦にはかなりの長さの堤防がある。

御用邸付近~静浦小中一貫学校くらいまでの間を、
高さ6メートル以上の堤防が続いている。

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ただここに到来する津波予想よりは若干低く、
最終的に最大波は乗り越えてくるだろうが、
乗り越えてきた押し波のかなり多くは、
堤防が破損しないかぎり、
引き波になったときは多少そこでせきとめられ、
比較的長い期間滞留することになると思われる。

これもまた漂流物とともに道の開通を、
長期にわたって妨げる要因になってしまうかもしれない。

ただ先の訓練場所だった一貫校の先でそれは切れているため、
一貫校付近ではあまり津波の引き波が残る事はないと思われるけど
その分波が予想外の動きをするかもしれないのでそこが心配。



最後に夜間にもし地震が起きた時。
照明関係がこのあたりどうなるのか。

深度5以上の地震にみまわれ、
停電等が発生した場合、
地区センターに照明が自動的に入り、
それがまわりへの目安になるとか、
そういものが備わっているのだろうか。

学校が深夜等で開いてなかったとしても、
地区センターへはたどり着けることが可能なので、
そういうものがあるととても助けになると思う。

明治と昭和の三陸地震は、
前者は午後七時半すぎ、
後者は午前二時半と、
どちらも夜の時間帯に発生し、
ともに津波で甚大な被害を生じている。

特に明治は311に近い死者行方不明者を出している。

もし414沿いにある全電柱に非常灯がそなわっていて、
それが地震後の夜間停電時に即点灯するようなシステムがあれば、
それを目印に避難場所へ行く助けになるだろう。

電気の無い夜の道が、
想像以上にたいへんなのは自分も311で経験していますので。


費用や管理的に、
かなり難しいかもしれないけれど。
あくまでも「心配事」に対する提案のひとつとして、
ここにあげておきたいと思います。

以上です。



余談

バケツリレーによる物資移動。
今になってあちこち身体が痛い。
運動不足を痛感しています。
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