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ムラヴィンスキー来日(1973) [ムラヴィンスキー]

1973年初め。

三年前の大阪万博時に初来日を果たしたリヒテルの再来日公演が、
突然本人の急病により無期延期となっしまいました。

ソ連当局は前年日ソ平和条約締結交渉をはじめていたこともあり、
ここは自分達の面子上どうしても日本の聴衆が納得する代わりを、
急遽たてなければならない状況になりました。

このため当局は70年には来日を自らが阻止したムラヴィンスキーに、
急遽来日公演をさせるという命をくだしました。


これがいかに急なみのであったかは、
当時この公演の主催だった毎日新聞が、
2月21日朝刊の社告として告知をだした事からも伺えます。

チケット発売はなんと2日後の23日。

この時日本公演の初日にあたる京都公演まではたった三ヶ月しかありません。
オーケストラの来日公演としては前例の無い、
極めて異例の事態でした。

公演プログラムは前年の10月から11月にかけて行われた、
西ドイツ・オーストリア公演で演奏されたものを中心に組まれました。

こちらも急な事だったようです。

その後来日間近の4/28.29の両日、
本拠地レニングラード音楽院大ホールでは、
この来日公演のプロからの曲による演奏会が、
来日公演のリハ込みのような形で行われています。
(この時のライヴもメロディアから発売されています[一部はビデオ化])

そして10日後の5月9日に飛行機嫌いのムラヴィンスキーは、
じつに150時間にもわたるシベリア鉄道の旅につきました。

その後ナホトカで後発したオケの面々と合流した後客船バイカル号に乗り継ぎ、
5月18日の午後4時に横浜大桟橋に到着しました。

この時ムラヴィンスキーはオケの後から最後に上陸し、
淡いグリーンのコートに身をつつみ、
「約束をはたしにきましたよ」といって笑顔で挨拶をしたそうです。

その後新幹線で移動したムラヴィンスキーは、
5月21日に京都で歴史的な日本公演初日のタクトをとることとなります。


この時日本公演初日にあたる5/21プロの京都公演の模様を小石忠男氏は、

「ショスタコーヴィチの交響曲第6番が極度に緊張した透明な響きを起伏させると、本当に荘厳な儀式が行われているような気分が襲ってきた。それほどムラヴィンスキーの音楽は厳しく透徹したものである。-(中略)-、この演奏ではチャイコフスキーの持つ古典的な構成感が浮き彫りにされ、実に強靭な表現が生み出され。それは毅然とした感動的な人生を肯定した音楽であった。」

と評していました。

ムラヴィンスキーは後日別のインタビュー時に、
その見事な指揮ぶりを賞賛されると、

「そういわれるのは本当にうれしいが、オーケストラというのはもともとそのようなものではないか。もう35年すみずみまでしつりつくしているのはあたり前のことだし、ただ指揮者だけの力と は思わないでほしい。オーケストラと両者の力があつまって演奏を生むのだから。」

と答え、また公演初日となった京都の印象を聞かれると、

「そこには古い歴史が息づいている。伝統のよさが生かされている。この歴史について思いをめぐらしているうちに、それは火を吐くドラゴン(地震?)との戦いではなかったか。という感想にたどりついた。このたたかいにきたえられて日本人は素晴らしい建物をつくった。汽車だって素晴らしい。
 日本の聴衆は自分たちの音楽をよくわかってくれる。それは永年の経験というもので、背中
にピンと伝わってくる。日本の聴衆に心からのあいさつをおくりたい。」

こでいう「汽車」というのは、
この時横浜から京都への移動に使用した新幹線の事で、
当時新幹線ホームでのムラヴィンスキーの写真が、
書籍等に掲載されています。


その後5/26は東京公演の初日が、
トロヤノフスキー駐日ソ連大使等も臨席した中演奏されました。

この時の模様は5月31日にTVでも放送されました。
(この模様は音のみですが、現在Altusから発売されています)

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※、因みに上の写真は、来日時に横浜大桟橋で撮影されたものかと。


この初来日時にある在京オケの方が6月1日野を公演聴かれたとき、
チャイコフスキーの5番の第2楽章のホルンのソロを

「とてもホルンの音とはおもえなかった。まるでトロンボーンのように力強く響くその音に驚嘆した。」

というコメントをしています。

このソロはおそらく、
ソ連史上最大のホルン奏者ブヤノフスキーのものと思われますが、
この時のレニングラードフィルは、
ムラヴィンスキーの強大な音楽を表現することのできる、
まさに史上稀に見る巨大な情報量をもつオケでもあったようです。

自分はこのときの公演を、
それからしばらくして再放送された、
NHKのTV放送でしかみてないないのですが、
このとき観たショスタコーヴィチの5番!

とにかく指揮が激しい!

その激しい指揮により、
胸につけていたの勲章がこれまた激しく揺れる映像や、
文化会館の照明のせいか妙に頬の辺りに影ができてしまい、
顔に深い影を落として指揮をしていたその表情が、
とても印象に残ったのですが、
それ以上に演奏終了後こちらが「おお、すごいなあ」と思った瞬間、
指揮者が客席を振り返らない。

激しい歓声と爆発的な拍手にもかかわらず、
スコアを見ながらなにかを確認するようなそれをしていたのにはさらに驚いた。

もちろんそれは一瞬だったのかもしれないけど、
何か妙に長い時間それがあったように感じられた。

ただこの映像、その後確認ができないため、
最近思い違いかもしれないという気がしてきている。
どこかにそのときのVTRがないものだろうか。

因みにNHKでは、
当時ビデオテープが途方もなく高価だったらしく、
しばらくすると消去し再利用していということと、
この手の中継も「報道」であって「記録」ではないという姿勢から、
すべて消去されてしまったという事を、
関係者の方からお聞きしたことがあります。

尚、この公演の評価は賛否いろいろとあり、
当時「音楽の友」で担当された評論家の方はムラヴィンスキーを、

「歌はない指揮者」

として否定的に評されていた。

またこれはこの公演に限らず、
二年後の公演でもそれを聴いた、
当時来日中のアシュケナージとインタビューをされた評論家の方が、
やはり「音楽の友」の中でこれまた、
さらにより否定的な意見をされていた。

「頭の中だけで考えだ音楽で、心からのものが感じられない。」

というようなだいたいの意味でした。

もちろん賛辞の声も多くありましたが、
今はそちらの方ばかりクローズアップされいるようなので、
ここではあえてこのことにもふれておきたいと思います。


といわけで今度は否定的ではないものを、
この公演を聴かれた野村光一氏が、
1975年の来日公演パンフで述べられたものから。


「オーケストラを統率することでは、彼は天才的な手腕を発揮していて、それを完全にコントロールしてしまっていた。オケの末端に至るまで、如何ように輻輳した箇所にさえも彼の指揮棒はきわめて正確、俊敏に浸透してゆくのである。彼の棒はあたかもコンピューターのごとくありとあらゆる箇所へ誤りなく到達する。統率者としての彼の最大の強味はやはりリズム感の極度の正確さ、強靭さにあったようである。そのリズムは演奏基盤の最深奥まで断乎として触れており、そしてその上にまことに安定のある、これまた性格なテンポが載り、さらにそれに鮮やかなダイナミックが付随しているのだから、それが優秀な指揮者としての基本条件になったのだった。わたしは最近ベームの指揮するウィーン・フィルを聴いて、彼のベートーヴェンやシューベルトへの音楽表現があまりに深く、豊かであったのにまったく感激をさせられてしまったが、その彼の音楽の深奥さは、ウィーン・フィルを統率する際の彼のリズムとテンポが徹底的に正確無比であったことに依るのであり、いうなれば指揮者としての伎倆が客観的に完璧に発揚されたからなのである。この時わたしはそれと同じことをムラヴィンスキーがレングラード・フィルを駆使してチャイコフスキーで行っていたのを不図想い出したのである。ムラヴィンスキーはそんな指揮者ではないのだろうか。」


最後にこの時のムラヴィンスキーの演奏記録。

5月21日:京都会館
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月23日:フェスティバルホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月26日:東京文化会館
ベートーヴェン/交響曲第4番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

5月28日:東京文化会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
プロコフィエフ/ロミオとジョリエット、第2組曲
ブラームス/交響曲第4番

5月30日:東京文化会館
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第5番

6月1日:東京文化会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

6月4日:宮城県民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
プロコフィエフ/ロミオとジョリエット、第2組曲
チャイコフスキー/交響曲第5番

6月7日:フェスティバルホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
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ムラヴィンスキー来日(1958、1970) [ムラヴィンスキー]

ムラヴィンスキーは全部で8回の来日が予定され、
うち4回が実現しています。
これらすべてはレニングラード・フィルハーモニーとの公演です。

今回はそれぞれを簡単に振り返りたいと思います。


まず最初に予定されていたのが1958年、
大阪フェスティバル・ホールの柿落としがらみで、
大阪フェスティバル協会の招聘でしたが、
残念ながらこの時は来日が実現しませんでした。

理由としては以前から患っていた内臓系の手術の、
その術後の回復の遅れといわれています。

来日前から彼の録音や、
二年前のウィーンでの公演の評などが、
いろいろと取り上げられていただけに落胆されたものの、
彼の師のガウクが代わりに来日、
当時ソ連楽壇最大の実力者でもあり、
また彼の指揮がたいへん好評だったこともあり、
この公演はたいへん好評と話題をふりまき無事終了しました。

この時新聞に当初発表されていた、
ムラヴィンスキーののプログラムは、

4月15日、16日:フェスティバルホール
4月21日:日比谷公会堂
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第33番
チャイコフスキー/交響曲第4番


4月22日:日比谷公会堂
5月3日:フェスティバルホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

というもの。

因みにこの初日ムラヴィンスキーによって予定されていた公演は、
代したガウクが指揮。CD化されています。

このときこの公演を聴かれた方の話によると、
演奏は二年前ムラヴィンスキーが指揮した時よりも、
随分新しい感じの響きがしたという意味の事を話されていました。

尚、この公演は叔父が聴きに行っており、
この時期聴いた指揮者の中で、
ガウクとミュンシュが特に素晴らしかったと、
いつも聞かされていました。


この後ムラヴィンスキー来日の話はしばらく途絶えますが、
1970年の大阪万国博覧会開催時に、
同オケとムラヴィンスキーの来日が発表。

12年ぶりということもあり、
こちらもたいへん大きな盛り上がりをみせていました。

特に録音も以前よりステレオ録音を中心にかなり増え、
1960年にグラモフォンに録音された、
チャイコフスキーの後期三大交響曲は、
依然そのベスト盤という地位を保ち続けていた時期の来日発表でした。

しかしこの時も来日直前に出国ビザが下りず(表向きは急病の為)、
代わりに彼の弟子である、
当時35歳であったアレクサンドル・ドミトリエフが来日しました。

(当時6月16日の毎日新聞朝刊には来日中止の理由を「心臓病」と発表していましたが、レニングラードフィルハーモニーが来日した直後の記者会見において、当時の同団団長は「4月に肺炎、その後気管支炎を併発、下旬には回復したものの、その後悪化し現在はドクターストップがかかり入院中。」というコメントを出しています。)

この時の関係者やファンの落胆は大きく、
特に年齢的に近いセルやバルビロリが相次いで急逝したため、
元来病弱という事が伝えられていたこともあり、
日本にはムラヴィンスキーはもう来日しないのではないかと思われたりしました。

この時のムラヴィンスキーが指揮する予定だった公演は以下の通り。

7月1日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月2日:フェスティバルホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月5日:フェスティバルホール
チャイコフスキーくるみ割り人形
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/ボリス・グトニコフ)
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

7月11日:福岡市民会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月15日:広島市公会堂
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月17日:名古屋市公会堂
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月19日:東京文化会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月20日:東京文化会館
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月22日:東京文化会館
チャイコフスキー/くるみ割り人形
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/ボリス・グトニコフ)
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ


しかしその後ムラヴィンスキーはこの年の暮れには、
東ドイツのベートーヴェン生誕200年記念の一環の演奏会を行ったり、
72年にはモスクワ公演(この時のライヴはメロディアからも発売されています)、
そして西ドイツやオーストリア公演も行っています。

ただこの後、
ムラヴィンスキーもレニングラードフィルも来日の予定は無く、
1973年を迎えることとなります。
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沼津~木負まで歩く。 [沼津~三の浦]

1月14日(日)沼津に行く。

今回は久しぶりに木負まで行く予定で、
内浦や西浦に行くのは昨年の五月以来となる。

朝の沼津行に乗る、到着予定は午前8時過ぎ。

途中根府川付近。朝陽が眩しい。
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右端に大島がくっきり見える。稀に見る好天。

到着すると沼津はまだおそろしく寒かった。5℃なかったと思う。

ただ風もなくとにかく最高の晴天ということで予定変更、
木負まで歩く事にする。

過去三の浦に六度歩いている。

内浦までが二度。
木負までが三度。
ららら、平沢までが一度。

ただ今までは千本浜や蛇松を経由していたのを、
今回は御成橋を渡ると、
東海バスの木負から江梨方面行きバスが通るルートを一部経由し、
そのまま最短距離で木負に行くという省エネコースを行く。

ここで捕捉すると、
東海バスの沼津~木負、江梨行と、
伊豆箱根バスの沼津~多比、伊豆長岡行は、
大手町、上土までは一緒だけど御成橋を渡るとそこで分かれる。

東海はすぐ右折し、
沼津南消防署や淡島神社を経由し牛臥入口停留所へ行くが、
伊豆箱根はそのまま直進し414号で合流するとそのまま右折、
それに沿って一気に牛臥入口まで直進するコースをとる。

なので各々のコースを折半して牛臥入口へ向かうと、
最短コースになるという仕掛け。

この二社のバスのコースの合流地点にあるのが、
ファミリーマート沼津下香貫店。
たまにお世話になります。


ここを過ぎたあたりで出発してからだいたい一時間経過。


ここで振り返るといつもいい富士山がみえる。
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このあとしばらく歩くと、
はまゆう前の停留所の手前に
セブンイレブン沼津志下店があった。

昨年最後にここを歩いた直後に出来たらしい。

じつは先のコンビニをすぎると、
次のそれまで二時間近くコンビニが無かったけど、
これが出来たおかけで三十分近くそれが短縮された。
ありがたい話です。

因みにこのひとつの手前の「とうごう」というバス停、
上記二社のサイトでは「島郷」で統一されているが、
ヤフー路線情報では、
伊豆箱根バスは「島郷」、
東海バスは「桃郷」となっている。

なにかの名残だろう。いつも不思議。

このあと馬込停留所をすぎたあたりのカープが振り返る。
ここからの富士山もけっこう好み。
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そして獅子浜北停留所付近で「ゴジラ山」を拝む。
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1964年の「モスラ対ゴジラ」で、
ゴジラが静之浦を襲った時に登場したのがこの山。

静浦小中一貫学校と静浦地区センターの間からみた富士山。
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去年9月に避難訓練を見学させていただきました。


この後、多比の停留所付近で出発から二時間が経過。


このあと内浦に入り江浦湾沿いに口野へ向かう。

(旧)静浦東小学校。
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現在ここでは期間限定で
NUMAZU サイクル ステーションとして、
有料レンタサイクルをしているとのこと。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/cycling/station/index.htm

ここのグラウンドは緊急用のヘリポートにもなっているようなので、
校舎全体もいつかは津波災害時の緊急避難場所込みで、
なにかの施設にして再利用できないものかといつも思っています。

口野から三津や西浜への入り口として、
観光も含めた何かの拠点にならないものでしょうか。

ここでちょっと残念なものをみた。

木村土木さんの口野ソーコの先の方にある、
海岸にそって綺麗に歩道や欄干が整備されている場所、

そこの海沿いの消波ブロックのところが、
まさにゴミの巣窟となっていた。
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けっこう釣り人がいつもいるけど、
入るところなどがないような場所なので、
いつもちょっと危ないかんじがして心配しているのですが、
かなりの漂着物としてのゴミはあるものの、
中には何者かによって投棄されたと思われるようなものがあり、
より危険な感じがしてしかたがない。

誰が投棄しているのかは分からないが、
こういう事は即刻やめてほしい。

そこからの富士山。
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なんとも神秘的です。それだけにこういう所が…。

淡島をすぎたところにある、
ミニストップ沼津内浦店の近くからみた淡島と富士山。
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そういえばロープウェイのロープがかかっていない淡島を初めてみた。
昨年取り外しされたとのこと。


このあたりで出発してからだいたい三時間。
写真撮ったりコンビニよったりなどしたため、
今回は多少ゆっくりとしたペース。


内浦湾にて。
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この日は第2回「内浦仮装Day」ということで、
なかなか賑やかだったけど、
コスプレしている人を無断で撮影するのはマナー違反ということなので、
そういう方たちが映り込まないようにするのに、
ここではちょっと苦労しました。

それにしても賑やかかつ楽しそうだったのがなによりで、
この企画もできれば地元に了解されたうえで、
無理なく続けていってほしいものです。

「かもめのお宿長浜」近くの展望台から。
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いつもとても綺麗なので閉業したとは思えないけど、
ここもいつかは何かの形で再開するのだろうか。

期間限定で素泊まりのみとして再開したら、
今ならそこそこ利用されるような気がするのですが…。

三の浦総合案内所
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そこの前からみた淡島と富士。
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このあと「海のステージ」さんに行って
「アップルパイのセット」をいただく。

出来立てらしく温かいのが嬉しい。


ここで沼津駅を出てからだいたい四時間が経過。


そしてここからの富士。

かつての浮世絵を思わせるような構図と雰囲気が美しい。
これをみるためにここまで来ているようなものです。
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パイが美味しくて元気がまた出てきたので、
いろいろとまたみることにする。


木負農協停留所前に停車していたラッピングバス。
多くの方が写真を撮影されていました。
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このあと歩いてまた内浦に戻るが、
海のステージを少し戻った歩道に、
来る時はなかったけっこう大きな石が落ちていた。(落石?)
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大きさが分かり辛そうなので、
自分の靴を横におく。

因みに靴のサイズは27㎝幅広。

もったら大きさに比べかなり重い。
あぶないので歩道の外に移動させる。

たしかに崖のようなものが側にあるにはあるけど、
そんなに何かが落ちて来そうにはパッと見しなかった。

謎です。

このあと長浜城に行く。
天気がよかったので眺めも最高でした。

長浜城跡の第一曲輪からみた富士と内浦。
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そして後はいろいろと見ながら小海まで歩くけど、
あいかわらず三津付近は賑わっていたし、
海岸やコンビニ、さらには「いけすや」さんあたりでも
コスプレの方等で賑わっていました。

このあとバスがまもなく来るようなのでここでバスに乗車。

小海~二瀬川まで乗車する。610円。

二瀬川で下車したのは沼津港方面に行くためで、
他にも同様の方が数名いらっしゃいました。

尚、
伊豆箱根バスにも「二瀬川」というバス停がありますが、
伊豆箱根バスのそれは東海バスのそれとはかなり場所が離れていて、
東海バスの「二瀬川」停留所直近の伊豆箱根バスの停留所は、
「ダイハツ前」という停留所になりますので、
ご利用の際はご注意を。

このあと沼津港方面に行く。

港大橋から。
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「千本港町」停留所付近からみた沼津港線廃線跡。
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欧蘭陀館さん付近の狩野川沿いにある土手から。
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ここの近くにあるこれ。
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鎌倉あたりの同じものに比べると、
この「浸水深」が書かれている点が目立つ。

これもできれば鎌倉でも将来普及させてほしい。

英語、中国語、韓国語で表記されている事も秀逸かと。

このあと駅へと向かうが
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平成29年1月に開始となっているのに「予告」?

誤植だろうか、橋をよく見ていないのでなんともいえない。

ただ工事期間はとにかく混雑するようなので、
車を利用される方はご注意を。

つじ写真館さん。
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このとき家族連れの方がこの下の写真を撮っていた。
お子さんは幼稚園か小学生低学年くらいにみえたけど、
これがどうも目当てだったらしいです。


以前も言いましたが、
地元のこのあたりの年齢層にファンが広がってるのが、
今回のAqoursの最大の特長かと。


仲見世商店街を通った後、
午後三時前に沼津から熱海行に乗る。

もう少し滞在したかったのですが、
いろいろと諸事情でここまででした。

乗り継ぎが異常なほどよく行ったので、
新幹線を使わなかったにもかかわらず、
二時間もかからないうちに横浜につく。

そして横浜からみた富士山。
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最後まで富士山づくしの一日でした。


しかし天気がよく空気が澄んでる時の沼津からの富士は最高です。


あと余談ですが、
沼津駅から木負農協まで歩くと、
全部で五十程の停留所があるので、
個人的にはこのコースを「三の浦五十三次」と呼んでます。

いつか気がむいたら各停留所ごとの写真を撮ろうかなと、
なんとなくですが考えています。


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ファンが人間をやめるとき。 [声優]

人気アニメ「けいおん!」などで知られる若手声優、竹達(たけたつ)彩奈(28)に脅迫メールを送ったとして、警視庁捜査1課は10日、脅迫の疑いで静岡県菊川市の無職、横山英彦容疑者(32)を逮捕した。横山容疑者は竹達の熱烈なファンで容疑を認めている。竹達は11日未明に自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。

 所属事務所によると、自称「ファンクラブの元リーダー」という同容疑者は「元々はファンとしていろいろと先陣を切って活動していた」人物。竹達が過去に所属していた事務所に入社しようとしたこともあり、竹達も握手会などで覚えている。

 竹達は「この度はお騒がせしてしまい申し訳ありません。突然のことに、大変驚かせてしまったと思います」との書き出しで、「たくさん心配もおかけしてしまって、本当にごめんなさい。みなさんの優しいお気遣いとあたたかな言葉に大変救われています。ありがとうございます」とファンに感謝した。

 同容疑者は2014年から竹達の所属事務所などへ「絶対に許さない。死ね」などと20万通を超える嫌がらせメールを送り続けていたとみられ、「この数年間、怖い日々を過ごしていました。メールだけなら何万、何十万という数だと思います。他にも報道はされてないですが怖かったこともいろいろありました」と告白。「今は少しの安心と、悲しさが入り交じった気持ちです」と吐露した上で、「でも、大丈夫!私は元気です。だから安心してください。次、みなさんにお会いするときはきっと元気な姿をお見せできると思うので楽しみにしていてくださいね!」と呼び掛けた。
http://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/180111/ent18011108170002-n1.html


>でも、大丈夫!私は元気です。

いや大丈夫じゃないでしょう、どう考えても。

四年に渡って嫌がらせとか殺人予告とか、
それでどの面下げてファンとかぬかしてるのかなあと。

とにかく被害を受けた本人への精神的ケアを事務所もしっかりとしてあげてほしい。


しかしもうこれは人としてやってはいけない範疇の話というか、
踏み越えてはいけないものを踏み越えてしまった、
まさに人が人でなしになったそれという感じです。


以前自分はファンという大きな枠の中にマニアやオタクがいて、
そこの中でもピンキリ状態が存在していると言った事があるけど、

イベントを妨害したり壊しにかかったり、
さらにはアーティスト本人が嫌がることをしたり迷惑かけたりしたら、
もうその時点で自分はその人はオタクやマニアやファンの外に逸脱した、
「フーリガン」や「テロリスト」とみなしている。

今回のそれもまさにそれ。

これでファンとか言ったら真面目なファンが大迷惑。


大多数の普通のファンがこれによって、

「だからアニオタは常識が」とか
「声オタは病的だ」とか言われかねない。


熱狂するのはけっこうだけで、
狂ってしまうのと熱狂とは違う。

自分よければすべて良し、
自分の精神の欲求がすべてにおいて最優先などという、
そんなバカな事が実践されまかり通ったら、
もうライブどころか各種イベントも成り立たない。


以前某アイドルが斬りつけられたりして、
心身共になショックを強烈に受けたという事があったけど、
これも今回と同様、
狂いまくって人間をやめてしまったものの凶行といっていいだろう。


ただ狂うの勝手にどうぞだけど、
それで巻き添えを食う側はたまったものではない。


アイドルは声優は個人にとってのおもちゃではない。

ちゃんとした血の通ったひとりの人間なのだ。

にもかかわらずその人間の人格から何からすべてを支配し私物化して、
自分がやるならすべてOKなんて到底考えられない話だ。

ただここでどうこう言っても、
そういう予備軍には馬の耳になんとかだろう。

真面目な一般のファンには、
だたただそういう凶行が起きない事を願う事しかできないのだろうか。
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2018年明け鎌倉、江ノ島、大洗に行く。 [小さな旅(Japan small travel)]

というわけで年始はあちこちと行った。

恒例の年末は有明だけど、
新橋からビッグサイトまで歩くと、
そこはほんとうにすっきりとした風景が広がっていた。

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そして有明、こちらは満員御礼。
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このあと年が明け、北鎌倉幽玄の旅へ。

ただ今年はずいぶん若い人が多くいて、
多少賑やかな感じではありました。

年々幽玄感はこうして後退していくのかも。

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円覚寺

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建長寺

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鶴岡八幡宮だけは深夜でも賑やかでした。

ここも学生さんが多かったです。

鎌倉駅、車輛はすべて撤収済。
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「シン・ゴジラ」のロケ地も静かでした。
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江ノ電長谷駅は毎年恒例の見事なまでのライトアップ。
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昼より明るいです。

このあと本当は国府津海岸に行く予定でしたが、
風が強くまた気温も予想以上に低かったたため、
今回は残念ながら急遽とりやめて帰宅しました。

それにしても体温が急に下がり低体温症になったかと思いました。

その後明るくなったので江ノ島へ。
ただやはりちょっと風邪気味になったためこちらも早々退散。
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べんてん丸は満員御礼でした。
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このあと2日は家で一応のんびりしたあと3日には大洗へ。

今回水戸~大洗を歩くと記念すべき20回目だったのですが、
風が強く気温も低いので今回は珍しく臨海鉄道で大洗へ。

一両編成の大洗行でしたがこれといった混雑もありませんでした。

今回磯前神社は以前として参拝の方で大行列。
当然このため駐車スペースもなかなか開かず、
よって神社へ行く車輛も大渋滞。

毎年ほんとうにたいへんです。
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自分も今回はここでの参拝を断念しましたが、
大洗にはいろいろと神社があるので、
そちらをこの機会にいろいろと再訪しました。

諏訪神社
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水神宮稲荷神社
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大甕磯神社と与利幾神社
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ここで悲しいお知らせ。

すでにご存じの方も多いと思われますが、
「セイコーマートしまちゅう店」が、
大晦日の24時をもって閉店されてしまいました。

一昨年の「あんこう祭り」時、
「潮騒の湯」に行く途中にあったので、
いろいろと買い物をさせていただきました。

ほんとうに残念です。厳しいなあ。

このあと大洗シーサイドステーションへ。

そこで『和奏-wakana-』と
『ほいさっさ 時代観光都市・水戸藩かご屋』によるイベント。

しかし和奏は素晴らしい。

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写真じゃその良さは全然伝わらないけど、
動きも音楽もとにかく楽しい。

できれば横浜の野毛あたりでもみてみたい。
どこか招聘してくれないだろうか。

それ以前に今度の「海楽」や「あんこう祭り」でも、
できればまた来ていただいて、
それこそメインステージでやってほしい。

これいいわ。最高です!


そのあと大洗をいろいろと散策。
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しかしこの日は風もそうだけど海も荒い。まさに大洗。

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この後帰路に着く。

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帰りの臨海鉄道の先頭車両からの展望。

常澄~東水戸間の直線のそれ。

因みに臨海鉄道、
意外とスピードがでていて、
「大洗」~「常澄」のカープ付近でも約80キロ、
「常澄」~「東水戸」の直線では最大90キロ出していた。

何も周りに無い事と高い所を走っているので、
あまりそういう感じがしないけど、
じつはけっこうな高速鉄道です。

あのエンジンの唸りもなるほどかと。

この後常磐線が強風の為遅れに遅れていたけど、
そういえば2014年も強風で常磐だけでなく東海道も遅れていた。

この季節、けっこう強風侮りがたしです。

以上で〆。
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世田谷一家四人殺人事件 [凶悪事件を眠らせるな!]

当ブログの「凶悪事件を眠らせるな! 」
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2005-07-30
から、この「世田谷一家四人殺人事件」を独立させました。
内容は「凶悪事件を眠らせるな! 」内のものと重複します。


ちなみにこの項目は事件解決まで
毎年この時期常に上にあげるようにしていますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。

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あの宮沢さん一家が殺害された「世田谷一家四人殺人事件」(2000年12月30日夜事件発生)
この事件いまだ未解決だが
この事件はその後の凶悪事件の頻発
そしてそれは空巣や強盗における凶悪化への引き金のひとつとなっているような
そんな気がしてしかたがない。

でもそういうことよりとにかくこの事件の犯人をなんとか逮捕してほしい。
これでは被害者の親族や関係者の方々も辛いどころではないだろうし
この事件の深い闇の部分を白日の下にさらさねば
宮沢さん一家もむくわれないだろう。

情報や心あたり
または何かのヒントが浮かんだ人は直接警視庁か支援をする会にメール等してほしいです。
この凶悪事件をこのまま眠らせてはいけない!

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_11-20/seijo.html
警視庁「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」のサイト。

http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/setagaya.htm
「無限回廊」における「世田谷一家殺害事件」詳細。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』における「世田谷一家殺害事件」

http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/2000.html
「ザ・20世紀」の2000年(「世田谷一家殺害事件」の起きた年)の出来事。

その他情報提供サイトがあったらコメントに貼り付けていただいてもOKです。

今年もまたこの季節が来ました。
今後も解決するまで年末のこの時期にはTOPにあげ続けるつもりです。

因みにこの記事URLの 12-30 は
「世田谷一家四人殺人事件」がおきた日にあわせました。この日を絶対忘れないためにもです。

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この日にあったこととしては
石田ひかりさんの婚約発表、マニラの連続爆弾テロ、全国高校サッカーの一回戦
などがありました。
(因みに事件翌日の天皇杯は鹿島アントラーズが清水をくだし初の三冠戴冠)

また事件のあった時刻にTVが放送していたものとしては

(TBS)年越し38時間生放送
(フジ)カノッサの屈辱の年末特番が朝五時まで
(テレ朝)朝まで生つるべ
(TV東京)映画「グランブルー」
(衛星第一)朝比奈のベートーヴェン→シクスティーンのメサイア
(WOWOW)「ワイルドシングス」→「レジェント・オブ・フォール」→「愛と哀しみのボレロ」

というものがありました。
天候はくもり。

ブッシュ大統領の大統領就任やイチローのマリナース移籍が決定したりという話題が
いろいろと紙面を随時賑わせていた時期でもありました。
なにかこれらのことで事件と関係するようなどんな些細なことでも思い起こされた方は
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_11-20/seijo.html 成城警察署 特別捜査本部まで。

事件から17年。
自分はかつてこの事件現場とそれほど遠くない
南烏山に住んでいたことがありますが
じつにいいところだったという思い出があるだけに
なおさらこの事件は許せないものがあります。
これが解決しないかぎり今後もより凶悪な事件が発生しつづけるような、
そんな気も年々強く感じています。
一日も早い解決を強く祈ります。

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※2014年4月現在の現場付近。Googleより。
右奥の家が宮沢邸。あの日からこの家は時間が止まっています。


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メータのブルックナーの9番 [クラシック百銘盤]

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1965年5月にウィーンのゾフィエンザールで録音された、
メータが初めてウィーンフィルを指揮し録音した音盤。

当時メータ29才。

クナッパーツブッシュ、クレンペラー、シューリヒトといった大御所が、
まだ存命していた時期の録音。


演奏時間は、26:02、10:44、27:11

比較的ゆったりとした演奏で、
肉厚でなかなか壮麗かつ悠揚としたものになっている。

メータはフルトヴェングラーに私淑していたということなので、
二十歳でフルトヴェングラーがデビューした時にも指揮したこの曲に対し、
並々ならぬそれをもってのぞんだのではないかと思われる。

ただじゃあこの演奏がとてつもなく圧倒的かというとそうでもなく、
むしろウィーンフィルの良さが前面に出たような演奏で、
指揮者のそれはじつは感じられない。

音楽もことさら深刻にならず、
自然な流れの方が強く印象残る。

ウィーンフィルはこの曲を4年程前にシューリヒトと録音しており、
やはりまだ若いメータでは役不足と感じていたのかも。

それでもときおり強く押し出されるホルンや、
弦の豊かな表情はメータの非凡さを感じさせる。

もっともそれでも全体的にはメータのブルックナーというより、
ウィーンフィルのブルックナーという感じといっていいのかもしれない。

それだけに
圧倒的に個性の強いシューリヒト盤の存在の大きさは如何ともしがたく、
メータのこの音盤は次第にその存在感が薄くなっていった。

そして現在でもその状況はあまり変わっていない。

かつて評論家小石忠男氏がその著書「続・世界の名指揮者」でも、
メータのLAPOとのブルックナーの4番は評価していたが、
9番に関しては全くふれられていなかった。

小石氏はその著書の中でメータとウィーンフィルについて、
ウィーンフィルの強い個性にメータが押し切られ、
音楽が未消化に終わっているという意味の事を記していたが、
この演奏についてもだいたいその線で受け取っていたのではないだろうか。

最近自分はこの演奏を聴いていると、
メータがLAPOからNYPOに移籍したき、
次第にその名声が陰っていったことが何となくだが、
理解できるような気がしてきた。

それはメータは強固な個性を持ったオケよりも、
真っさのオケの方に自分のベストを展開する傾向があるような、
そんな気がしてきたからだ。

LAPOでの成功もそれが一因としてあると思われるし、
かつて1977年に読売日響に客演した時のそれなど、
当時の彼のベストパフォーマンスではないかと思えるくらい、
じつに見事な演奏だったという記憶がある。


もし可能ならメータに、
N響か読響に今一度定期公演に複数回客演してもらえると、
彼の今のベストが聴けるのではないかと、
そんな気さえしてしまう。


と、そんなことを考えさせられてしまうこれは演奏だ。

ただ自分がもし、
この曲のあるがままのスタンダードな演奏を聴きたいといわれたら、
おそらくこの演奏を自分は推すと思う。

それはこの曲の良さが感じられ、
そして次に聴く演奏に対し、
必要以上の呪縛が無いということがあげられるからだ。

もっともそこにメータの良さだけでなく、
ひとつの限界があるのかもしれませんが…。


尚、この年の秋と翌年にウィーンフィルは、
デッカとブルックナーの交響曲をショルティの指揮で7番と8番。

1969年にはアバドと1番。

1970年以降に、ベームと3番と4番。
マゼールと5番、シュタインと2番と6番を録音し、
ウィーンフィルによるブルックナーの交響曲全集がデッカにより完結、
日本でも国内盤でそれが売り出されたが、
当時自分にはそれほど魅力のあるものとは感じられなかった。

その最大の理由がじつはこのメータの9番だったのだが、
今はそのときとはずいぶん自分も聴き方が変わってしまった。

自分の若い時は減点的に演奏を聴いていたため、
極端に自分至上主義になってしまっていたが、
年をとるにつれ次第にそういう傾向が影を潜め、
その演奏が何を目指しているのかということに重きを置く、
加点的聴き方になっていったので、
音楽の聴こえ方もかつてとはずいぶん変わってしまった。


メータのこのブルックナーもかつては駄盤みたいに感じていたが、
今はいろいろと聴き処の多い演奏に感じているのも、
その一環なのだろう。

その傾向がより強くなったのは311以降なのですが、
その話はまたいつかということで。


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「WUG」新章における「仙台空港跡地」のこと。 [アニメ(2017放送開始)]

『「WUG」新章最新話。絵も酷かったけど「仙台空港跡地」って何?これからこうなるの?基本線がブレてるからこんな設定がてるのかも。というか誰かストーリー的に場違いと言ってほしいし、榴岡公園だっていいと思う。大洗や沼津で「大洗港跡地」「シーパラ跡地」といってるようなもの。理由が聞きたい。』

これは自分が同作品の12話をみてしばらくしてから呟いたものだ。

このとき正直この

「仙台空港跡地」

の意味がわかからなかった。

臨空公園では敷地が狭すぎるので、
これではないという気がしたがじゃあどこ?というかんじだった。

このとき仙台空港の南側に、
ずいぶん広い場所がグーグルで確認できたので、
一瞬これかと思ったけど別に名称もなく、
またもしあるとしたら、

「仙台空港〇〇跡地」みたいに、
かつてここにあったものが「〇」に入って然るべき、
という気が強くした。

つまり「✕✕城三の丸跡」とか、
「✕✕邸詰め所跡」という具合に。

なので「仙台空港跡地」というと、
空港そのものがすでに無くなったように思われてしかたがない。

このためその真意がまったくわからず上記したようなツイートをしたのですが、
どうもその後いろいろと調べたりネットをみてみると、
前述したこの南側の広大なそれか、
それとも最後に12話にテロップで流れていた
「臨空公園」のどちらか、もしくはその両方ではないかということらしい。

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ああそういことなのかということで、
とにかくこちらも間違っていたということでこの件に関して、
関係者の方々に深く謝罪させていただきす。

本当に申し訳ありませんでした。


ただ


多くの「聖地」を扱うアニメが、
極力名前を明記しない事が通例になっているところで、
あえてしっかりと名前を出したのなら、
それに対する簡単な説明を本篇でしてほしかった。

「えっ、仙台空港って無くなっちゃったの?」
「そうじゃなくて…」

みたいな簡単なそれでOKだと思う。

おそらく上で城や邸宅で出した例と同じ感覚で、
これを受け取り疑問を抱いた人もけっこういたと思う。

地元ではそれで通っているのかもしれないけど、
地図にもネットにもほとんど出てこないそれを、
あそこでバーンと発信してしまうのは、
他所への仙台からの発信という、
けっこう大きなテーマが根底にある「WUG」の場合でのこれは、
このあたりの基本ベースが少しブレたか、
もしくは知らず知らずのうちに希薄になっていたような気がやはりしてしまう。


もっともそれ以上に問題なのは、
自分を含めて本作スタッフに対する不信感が一部に根強いということが、
今回のこれでかなりハッキリとわかってしまったこと。

これがそれまで良好な関係だったら、
この件ももっと穏便に済んでただろうし、
ツイッターがあそこまで悪い意味で賑わうこともなかったと思う。

絵もまた芳しくない状態に戻ったし、
せっかくそこそこストーリーが面白くなってきたのに、
なんかまたこういう部分で?な事が起きてしまうと、
残念というかちょっとやはりあれなものを感じてしまう。


今回は自分も粗忽なのでこれ以上言うのは差し控えさせていただきますが、
いろんな事が今まで以上に表面化したのがとにくか残念。

最終回はとにかく綺麗に〆てほしいです。



追伸

このシーンで「何にもない。」という台詞があり、
最初は重い意味があると解釈してたけど、
見返したらやはりそれは無理な解釈かなあと。

正直この台詞、何にもないなあ。
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「ガールズ&パンツァー博覧会」に行く。 [ガールズ&パンツァー関係]

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http://www.garupan-expo.com/

内容はだいたい公式サイトにあるとおりで、
原画展が全体の8割強といった感じで、
他にジオラマやジャケット展示、フォトスポットがあるといった感じ。
写真が写せるのは、
最初の原画コーナーに入る前の所
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フォトスポット
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ジャケット展示コーナー
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のみです。

原画は話の順に沿って展示されており、
なかなか丁寧に展示されていますし、
量的にもかなりあります。

また壁の色と溶け込まないようにもちゃんと工夫してあり、
とてもみやすくなっています。


自分は初日の13時半頃現地に着きましたが、
列が外にまで伸びていたものの、
三十分強程並んで中に入ることができました。

ただ驚いたのは、
あれだけ並んでるから中もかなり混んでいるのかと思ったら、
中は意外とゆったりとみれるくらいの人の入りで、
混雑しすぎて見ずらくならないよう、
いろいろと入場者のそれを考えてコントロールされていたようです。

ただその分グッズ売り場は大混雑。

レジが10台ありそこそこスペースがとられているものの、
こちらは外の列よりも長く並ばされてしまいました。

40分くらいだったような感じられました。


もっとも15時半を過ぎたころは、
外に伸びていた入場者列も屋内に収まっており、
グッズのレジ待機列も若干短くなっていました。


と、ざっくりこんな感じでした。

まだ始まったばかりなので、中身は観てのお楽しみという事で。


しかしガルパンの原画を含む資料はこの後どうなるんでしょう。

「ラグランジェ」が鴨川で保存されているように、
これらもいずれ大洗に行くのでしょうか。

ちょっとこのあたりが気になりました。


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「ゴッホ」と「ムーミン」。二つのアニメ。 [劇場公開アニメ]

最近二つのアニメ作品をみた。

「ゴッホ ~最期の七日間~」
「ムーミン谷とウィンターワンダーランド」

の二つ。

ただアニメといっても「ガルパン」とか「ラブライブ」みたいな、
ああいうふつうのアニメではなく、
共に素材やベースが存在した上に作られた特殊なアニメで、
どちらもとても印象深いものがありました。

まず「ゴッホ」の方。

ゴッホ.jpg
http://www.gogh-movie.jp/
公式サイト
https://www.youtube.com/watch?v=hBIZI42X3eE
日本語予告編

こちらはストーリーとしてはゴッホの死後一年後に、
ある一通の手紙を託された主人公が
ゴッホの死の謎を追う事になるという話。

これはまず俳優が演技したそれにアニメを合成するというもので、
現在進行形の方はカラー、
過去の回想はモノクロというふうに描き分けられ、
合計62450枚の油絵を使用。

しかもカラーの方はすべてゴッホのタッチで描かれ、
それも130点以上のゴッホの絵をベースにして作り出されたというもの。

このため125名のペインティング・アーティストが参加、
しかもゴッホタッチにならせるため一か月以上、
いろいろと指導訓練されたという。

自分はゴッホの絵には詳しくないので、
それがどう利用されたか細かくは分からないけど、

「アルマン・ルーランの肖像」「郵便夫ジョゼフ・ルーラン」「ズアーブ兵」
「アルルのモンマジュール通りの上にかかる鉄道橋」「夜のカフェ」
「タンギー爺さん」「オーヴェルの教会 」「背景に馬車と列車のある風景」
「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」「アドリーヌ・ラヴーの肖像」
「医師ガシェの肖像」「カラスのいる麦畑」「荒れ模様の空の麦畑」
そして「星月夜」等々…

が使用されていたのが後でいろいろと確認できたけど、
アルルやオーヴェル=シュル=オワーズで描かれたものが多く使用されていたらしい。


ただこの作品はそんな「ゴッホの絵が動く」という売りより、
その人間ドラマの方に自分は強く惹きこまれた。

本作ではいちおうの結論みたいなものは、
なんとなくだが出されてはいるが、
それ以外の部分がみていて重くのしかかってきて、
見終わった後ものすごく考えさせられてしまった。

絵にせよ台詞にせよストーリーにせよ、
かなりの縛りがあるにもかかわらず、
歴史的事実をここまで見せくれたこの作品に素直に敬意を表したい。

今回は字幕版でみたけど、
日本語版はどうなのだろう。

この映画は基になった絵のイメージにあった人が、
原則キャスティングされるという徹底ぶりだっただけに、
吹き替えもかなり気になりました。

いつかそちらも見てみたいです。


そしてもうひとつが「ムーミン谷とウィンターワンダーランド」。
ムーミン.jpg
http://www.moominswonderland.jp/
公式サイト

こちらは1978年から、
原作者トーベ・ヤンソンが監修し本人も気に入っていたという、
パペットアニメによる8分程の短編シリーズ全78話のテレビシリーズ。

それを原作にあった三つの作品のストーリーを再構成したものに、
修復再編集したものが今回のこれ。

すでにこの方式で二作品がつくられているが、
ストーリーが今回は上記のように凝らされている。

また声優さんが全部で四人、
しかも主人公のムーミントロールとナレーションは各一名ずつだけど、
残りの全キャラを森川智之、朴璐美のお二人だけで演じるというもの。

感想として、
四十年近く昔の作品にもかかわらず、
画質がいいせいか古臭さは微塵もなく、
音楽も一新させたせいか、
そのあたりからもそういう雰囲気は皆無。


神田沙也加さんのナレーションも
宮沢りえさんのムーミントロールも自然で嫌味がなく、
そして何よりも森川さんと朴さんのそれが、
これまたじつに自然に多くの役を演じられていた。

もちろん朴さん独特の、
ちょっとポルタメントをかけたかのような節回しもときおりきかれ、
ファンにも嬉しいものになっている。

全体的には子供向きに作られているけど、
大人がみても充分鑑賞に堪えられるしっかりした内容になっているし、
とてもクリアな画質なので北欧の澄んだ空気が感じられるような、
そんな詩情感も感じられる瑞々しい感覚に充ちているのも素晴らしい。



というわけで、
このタイプの違う二つの「アニメ」をみてきました。

どちらも近年みたアニメの中でも
とても印象に残る作品でしたが、
残念なのは「ゴッホ」が横浜のよく行く映画館でかかっていないこと。

これを大きな画面でみたらどうなるんだろうということもありますが、
「ガルパン」や他のアニメ作品の上映前の予告編で、
この作品が上映されたらどんな反応がでるのだろうかというのも、
ちょっとみてみたかったです。

横浜のこの映画館では「この世界の片隅に」も上映されなかった。


このあたり一考をもう少し要してほしいところですが、
いろいろと大人の事情もあるのでしょう。

残念です。



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