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ヤルヴィの「レニングラード」に行く。 [クラシック百物語]

NHK交響楽団
第1864回 定期公演 Aプログラム

9月17日(日曜日) 15:00 開演
NHKホール

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮

(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60
「レニングラード」



パーヴォ・ヤルヴィがN響の当主になるという、
そんなニュースを聞いたのが2012年夏。

その時自分は以下のような事を書いている。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2012-07-11

確かに将来には期待してはいるけど、
正直かなり不安の方が大きかった。


ただその放送を観たり聴いたりしていると、
確実にヤルヴィがN響を手中に収め、
このオケからかつて聴いたことがないほどの統一感と、
無駄のない覇気に富んだ響きを弾ぎだしている事に驚いた。

なのでそろそろ実演をということで、
今回のそれとあいなりました。


台風接近と秋雨前線の活発等で、
オケ的にはベストコンディションではなかったかもしれない中での、
今回のショスタコーヴィチとなりましたが、
ひじょうに見事な演奏だったという気がしました。

オケは大編成の18型、
しかもそれプラス対抗配置ということで、
N響としてはあまりみかけないスタイルによる演奏。

これだけをみると大音量勝負のようにみえるのですが、
第一楽章冒頭の音でその予想は消し飛んでしまいました。


とにかくバランスがよく、
明快かつ柔軟で力強い、
そして明るく繊細な響きも湛えたそれには響きでした。

この後音楽が進むにつれ、
その見通しの良さ、
そして弱音の美しさとその濁りの無い響きが際立っていき、
さらにそこにひじょうにしっかりとした造形感覚とバランスが加わり、
この曲としては驚く程の美しさと端正さをもった、
標題を抜きにしてもしっかりと成立してしまうような、
純粋な「交響曲」として鳴り響いていった。


自分はこの曲はある意味「劇的交響曲」、
もしくは「交響詩」のような交響曲というイメージが強く、
仕掛けの大きなドラマティックな曲だと、
そう思い込んでいたところがある。


だけどこの日のヤルヴィのそれは、
そういう部分よりも、
「革命」という標題を取り去った交響曲第5番のような、
そういうスタイルをこの曲で実行したかのようで、
聴いていて本当に気持ちいいくらいの音楽がそこにはあった。


それは大編成のオケが怒涛のように演奏する所より、
弦の歌や弱音における美しさと清澄なそれの方が、
むしろ強く印象として残ったことにもそれはあらわれていたと思う。

とにかく目から鱗のような演奏だった。


ただだからといって綺麗ごとで終わってしまっているとか、
小さくまとまっているとかというとそういうことはなく、
怒涛のごとく鳴り響く部分も、
過不足なく見事に大きな音楽を形成していた。


例えはあまりよくないけど、

「巨大かつ迫力にも事欠かない室内楽」

を聴いているような感じさえした。


とにかく今までこの曲で経験したことのない、
本当に新鮮で大音量に下手に頼らない、
極めて説得力のある見事な演奏でした。


そして何よりも驚きは、
それを演奏しているのがN響であるということ。


自分のN響のイメージというと確かにひとりひとりは上手いが、
パート別には各々まとまるけど、
楽団全体としてはやや統一性や方向性に欠け、
そのためその音楽の表情が常にぼやけてしまう、
それこそ「顔のみえない」オーケストラという、
そういうものが昔からあった。


だが今回はそういう部分はほとんどなく、
ちゃんと全員がひとつの方向を見、
ひとつのオケとして統一がしっかりとれ、
そしてそこにははっきりとした「顔」がみえていた。


これがヤルヴィの力であることは、
その出来上がった音楽のスタイルからも明白で、
これだけでも今日来た価値があったけど、
それに加えてのあの「凄い」演奏だっただけに、
さすがにこれにはもうまいってしまった。


とにかくこの日はいろんな意味で大満足の演奏会でした。


それとこの日の演奏で、
自分はNHKホールというハンディをまるで感じなかった。

それは大編成のオケを余裕をもって無駄なく鳴らしたという、
そういう部分も大きかっただろうけど、
はたしてそれだけだろうか。

そういえばムラヴィンスキーをNHKホールで聴いたときも、
NHKホールというハンディをまるで感じなかった。

あのときも巨大な響きもさることながら、
清澄かつ美しい弱音のコントロールが素晴らしかった。


かつてラザレフは、
弱音に聴き手の耳を強く引きつけることで、
大きな音を、
より大きく効果的に聴かせることができるという、
そういう意味の事を発言されていた。

今回はそれがムラヴィンスキーレベル、
もしくはそれに近いものが行われていたのかもしれません。

明晰かつバランスのとれた、
それでいて懐の深い大きな音楽。

「凄い」演奏とは音量やパワーのみが決めるものではない。


当たり前のことですが、
ちょっとそんな事も思った演奏会でした。


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「にっぽんアニメーションことはじめ」をみる。 [アニメ(20世紀)]

川崎市民ミュージアムで開かれている、

国産アニメーション誕生100周年記念展示 
「にっぽんアニメーションことはじめ」 
~「動く漫画」のパイオニアたち~
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https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/8738/

を観に行った。

日本2.jpg

内容ははチラシの裏にもあるように、

下川凹天、北山清太郎、幸内純一、前川千帆

この四氏の足跡と、
この四人がアニメをつくった1917年という時代、
そして漫画と浅草を多くの貴重な資料とともに取り上げた、
とても勉強になるし分かりやすい好企画だった

今は展示中心だが、
10月からはいろいろと企画もあるようなので、
そのあたりは市民プラザのそれを参考にどうぞ。


現存する最古のアニメ
「塙凹内名刀之巻」がここでみられるのも嬉しい。


ただひとつ残念なのは、
浅草をとりあげるのなら、
もう少し他の方面の方から、
この企画における浅草について思う事なども、
少しは聞いてもらっていたら、
さらにユニークでダイナミックなものになったような気がする。

アニメだからといって、
その方面だけからだと些か窓口が狭くなるし、
他方面の方がみたら、
こちらが思いもよらぬ新鮮な発見をしてくれたかもしれない。

そういう部分の弱さがちょっと残念だった。

山崎浩太郎さんや大島幹雄さんがこの企画をみたら、
どういう感想をもったことだろう。

とても興味があるだけに、
このあたりへの踏み込みが無かったのがちょっと寂しかった。


ただ企画としてうまくまとまっているので、
ぜひ一度興味のある方は見聞されることをお勧めします。


しかし若き日の下川の気の強そうというか、
怖いもの知らずで肩で風を切るような表情!

好きだなあ。


それと戦前の日本のミッキーマウスの無許可使用と思われるもの。

某国のそれをみているようで苦笑ものだけど、
のらくろとの共演はなんか嬉しかった。
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静岡県沼津市総合防災訓練(2017)に行く。 [震災]

平成29年度静岡県・南駿地域総合防災訓練に行く。

これは静岡県各地で行われたが、
自分が行ったのは一般が見学できる、
静浦小中一貫校で行われた、
津波避難訓練と緊急物資受け入れ訓練。


静浦小中一貫校は、
自分が沼津~内浦・西浦まで歩く時、
その途中にある学校で、
全行程で沼津からみて四割くらいのところにある、
かなり目立つ建築物だ。

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初めて見た時からそのすぐそばにある、
静浦地区センタ同様津波避難ビルも兼ねているようにみえていた。

今回はそこでの訓練ということで、
ときおりその前を歩いているものとしては、
一度はみておかねばという気かし、
今回見学させてもらった。

もっとも地元以外の一般の人間で、
今回のこれをに参加したのは自分だけだったようにみえた。

まあふつうはそうだろう。


この日は学校の生徒さんも多く参加されていた。

余談ですが、
ここは一貫校なので、
中学生にあたる人たちは
ここでは七年生、八年生、九年生とよばれている。

この日は幅広い学年で参加されていたようです、


午前九時になると近くから放送で、
自身が発生したという訓練の放送が流れる。

このとき自分は上記の写真よりも、
やや校舎に近い所にいた。

この日県と市からも担当の方がいらっしゃっていて、
県の方の指示でしゃがんで上からの落下物に備えて頭をかばうようにという、
そういう指示があった。

ただ正直言うとふつうはそれでいいけど、
これだけ校舎に近いと、
むしろ校舎の中に避難した方がガラス等の落下物を思うと、
まず校舎の中に避難すべきというのが、
実際は正解とおもうけど、
ここは基本姿勢の徹底という事でこういう指示だったのだと思う。


このとき防災無線の指示等で、
地区センターから外に机が搬出され、
受け入れ準備がされていたようだけど、
自分のところからは校舎の陰になっててみえなかった。


このあと全員で津波到来に備えて校舎屋上にいく。
ビルでいうと五階にあたる場所だ。

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校舎にある屋上へ行ける外階段の入口。

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外階段。段差が小さく幅広い年齢層に配慮されている。
とにかくなかなか上りやすい段差と階段で、
五階まで上ったという感じがあまりしなかった。

ただ年齢の高い人にはそれでもなかなかたいへんかも。

屋上。
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見晴らしがとてもよく、
海や街の状況がはっきりと見渡せる。
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ここにライブカメラを海や414、
さらには注意すべき崖のある方向などに向けておくと、
三の浦全体だけでなく駿河湾方面もかなり見渡せるので、
現状を掌握するには最高の場所のひとつという気がする。

できればここにもカメラを備え、
その画像が地区センターだけでなく、
県庁、各市役所、そして気象庁等ににもリアルで配信されると、
ひじょうに大きな力となるような気がする。

それともどこかにもうすでに設置されているのだろうか。


このあとヘリによる救出訓練が、
この屋上で行われた。

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ヘリのピタリと空中で静止するそれに感心。


その後場所を変えて、
自衛隊のトラックから積んできた緊急支援物資を、
地区センターの倉庫まで運ぶ訓練が行われた。

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最初はトラックからセンターの前まで、
そしてそこで個数チェック後、
センター内の倉庫までと、
二度にわたるバケツリレー方式による搬入が行われた。

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地区センター

自分もこれに参加したが、
トラックの大きさからみてそんなり量があるとは思えなかったが、
これが想像以上にあり、
けっこういい運動になりました。

じっさいは余震との戦いにもなるので、
なかなかこううまくはいかないかも。


こうして物資はすべてセンター内にある備蓄倉庫へ。

センター内備蓄倉庫の状況。
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今回はエクアドルからの視察団の方々も来ていました。

エクアドルもここ70年間に、
少なくとも七回の大きな地震に見舞われているので、
いろいろと日本のシステムで、
参考になるものはどんどん取り入れようという、
そういう姿勢が強くあらわれての今回の視察なのだろう。

といったところで一通り終了。

地元の放送局の方も来ていて、
関係者の方や地元の方にインタビューをされていました。


なかなかな密度の濃い訓練でしたが、
ちょっと一部進行がよくわからないところがあり、
一時的に?というところがあった。

たしかに事前に訓練個表を熟読すればある程度はわかるけど、
このあたりもう少しわかりやすくなったのでは?
という気が少しだけしました。


ただそれ以外は得ることが多く、
とにかくいろいろと参考になる訓練でした。

ただこのとき見たり聞いたりしたことで、
少し気になるとろこがあったので、
それだけを最後にここに記しておきたいと思います。



津波避難用の外階段が狭い。
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一斉にここに集中した場合がとても怖い。

以前、津波が来て特定の避難ビルに避難が集中、
このため階段の下の部分で溺死者がでたという、
そういう話をここのブログで伺ったことがある。

それを考えるとちょっとこのあたり怖いものがある。

当日どれだけ迅速かつ冷静に動けるかという、
そういうこに尽きるかもしれないが、
三階や四階に校舎内に行けるドアがあるので、
当日はそこのドアを開放してもらえると、
中から屋上にも行ける階段があるので、
そことうまく併用し、
階段でのそれを多少緩めることができるかもしれません。



山や高台に逃げられる避難路やマウントが、
足の弱い方や車いすの方には無理というお話を聞いた。

たしかにここの階段もそうだし、
また避難路でも、
内浦の弁天島神社の道を挟んで反対側にある、
山側へ行ける避難路などはまるで獣道のようで、
ここを逃げるのはかなりしんどい気がした。

こういうところがけっこう他にもあるとしたら、
この話はとても心配だ。

また獅子浜付近の414号だけでなく、
三の浦の17号でも感じたが、
歩道の幅が狭いということ。

これだと車椅子で、
この二つの道沿いに避難するということはかなり厳しい。

近くにこれらの道とは無縁に、
高台への避難ルートがある場合は、
付き添いの方がいればなんとかなるかもしれないけど、
このあたりはいったいどうなっているんだろうと、
かなり心配になってしまった。

観光者目線でみていた自分としては、
やはりこのあたりへの注意が希薄になっていたことに反省。



津波発生後のライフラインの確保が不透明ということ。

これは現地でも聞かれたけど、
津波発生後の414の状況。

予想では吉田町以南は津波浸水域で、
御用邸以南はさらに浸水域が大きくなるし、
志下以南は明確に津波浸水深が深くなる。

そうなると東海道方面からくる支援物資が、
少なくとも志下あたりで止まる可能性がある。

また来たとしてもどれだけの規模の物資がくるかもわからない。

そうなると一定期間は籠城戦、
それこそ豊臣軍の小田原攻めを、
北条方からみたようなかんじになる覚悟も必要かも。

そのときここにどれだけの人が避難しているのか、
また今回は役所の人や消防の人も大勢いたけど、
沼津市消防本部南消防署静浦分遣所があるとはいえ
当日こんなに潤沢な状況とは思えない。

そのときの対応やシステムはどうするのか。

このあたりもいろいろと課題となると思うが、
今から細かくきっちりと決めるというより、
もっと基本部分だけ大きく方向性を決めるという、
そういうものにした方が、
次々とおきる想定外の出来事に
柔軟に物事に対処できるような気がしたがはたして。



じつはこの裏にあたる場所に、
南部浄化センターがある。

ここも避難ビルに指定されているかなり大きな所だけど、
この浄化センターとこの学校とは、
地震発生以降連動することになるのだろうか。

じつはこの二つの避難ビルを通り過ぎると、
もう淡島の先まで避難ビルはひとつもない。

ここより以南は、
江浦湾においては避難した人は、
みんな避難路を山に向かって各自避難することになる。

それだけにここは、
その周辺の津波否浸水域を含むと、
もっとも大きな拠点になる可能性が高いため、
それを基にした避難計画によって、
この二つを連動させた、
より大規模な避難訓練もいつかは行ってほしいと、
そういう気持ちが強くしました。



内浦の長井崎中学が避難ビルに指定されていないのが不思議。

近くにはヘリの着陸できそうなグランドがあるけど、
何か問題でもあるのだろうか。

津波到来以降港はすべて機能していないと思われるので
空路からの受け入れの可能な場所が、
内浦小学校と西浦小学校との間にないようにみえるのは、
現実問題としてちょっと不安に感じられる。

じっさいのところどうなのだろう…と思っていたら、
ここは津波の指定緊急避難場所と指定避難所になっていた。

ただこのあたりいろいろと複雑に指定があるので、
いまいちわからない。

ここを今度一覧にしようと思うる



静浦にはかなりの長さの堤防がある。

御用邸付近~静浦小中一貫学校くらいまでの間を、
高さ6メートル以上の堤防が続いている。

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ただここに到来する津波予想よりは若干低く、
最終的に最大波は乗り越えてくるだろうが、
乗り越えてきた押し波のかなり多くは、
堤防が破損しないかぎり、
引き波になったときは多少そこでせきとめられ、
比較的長い期間滞留することになると思われる。

これもまた漂流物とともに道の開通を、
長期にわたって妨げる要因になってしまうかもしれない。

ただ先の訓練場所だった一貫校の先でそれは切れているため、
一貫校付近ではあまり津波の引き波が残る事はないと思われるけど
その分波が予想外の動きをするかもしれないのでそこが心配。



最後に夜間にもし地震が起きた時。
照明関係がこのあたりどうなるのか。

深度5以上の地震にみまわれ、
停電等が発生した場合、
地区センターに照明が自動的に入り、
それがまわりへの目安になるとか、
そういものが備わっているのだろうか。

学校が深夜等で開いてなかったとしても、
地区センターへはたどり着けることが可能なので、
そういうものがあるととても助けになると思う。

明治と昭和の三陸地震は、
前者は午後七時半すぎ、
後者は午前二時半と、
どちらも夜の時間帯に発生し、
ともに津波で甚大な被害を生じている。

特に明治は311に近い死者行方不明者を出している。

もし414沿いにある全電柱に非常灯がそなわっていて、
それが地震後の夜間停電時に即点灯するようなシステムがあれば、
それを目印に避難場所へ行く助けになるだろう。

電気の無い夜の道が、
想像以上にたいへんなのは自分も311で経験していますので。


費用や管理的に、
かなり難しいかもしれないけれど。
あくまでも「心配事」に対する提案のひとつとして、
ここにあげておきたいと思います。

以上です。



余談

バケツリレーによる物資移動。
今になってあちこち身体が痛い。
運動不足を痛感しています。
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片瀬諏訪神社例大祭と湘南ねぶた祭 [小さな旅(Japan small travel)]

片瀬諏訪神社例大祭と湘南ねぶた祭に行く。

比較的近場で大きな祭りが行われた。

最初が片瀬江ノ島駅から歩いて十数分の所にある、
片瀬諏訪神社の例大祭。

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公式サイトには

「当神社は今から一二八〇年余り前(奈良時代)養老七年(七二三年)に信濃国(長野県)諏訪大社からの御分霊として上下両社に鎮座されました。」

http://katasesuwajinja.com/
※片瀬諏訪神社公式サイト

とあるかなり歴史のある社で、
諏訪大社と同様に、上社と下社があります。

下社
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上社
この日は御神輿がその前におかれていました。
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自分が上社に行くと、
ちょうど各地からの山車が集結、
その後移動していく所だったのでそれについていきました。

途中から467沿いに移動し、
龍口寺前の交差点に山車や神輿等が集合。

これはかなり壮観でした。

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しかも江ノ電もここは路面電車として運行するので、
いろんな意味で賑やかなかんじでした。
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このあと神輿や山車が練り歩くことになるのですが、
自分はこのあともうひとつみたいものがあったので、
小田急片瀬江ノ島から六会日大前へここで移動。


今年(2017)で第21回を迎えた、六会での湘南ねぶた祭。

http://shonan-nebuta.com/
※公式サイト

本場青森からねぶたをお借りし指導を受け運行するというもの。

もちろん規模も人手も本家とは比べ物にはならないけど、
これはこれでけっこう楽しいし賑やかだ。

駅前ロータリーを完全封鎖、
さらに駅前から駅入り口の交差点までの通りを、
300m以上封鎖するというもの。

また近くの駐車場にはねぶたや太鼓も展示されていた。

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そしてよる19時出発。

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こういうものもあります。
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この二つは途中で記念写真がとれるように運行されます。

駅前ではこんなかんじでした。
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ここ駅前でねぶたをはじめ、
参加した踊りや太鼓等も二週した後、
またさっき来た通りへ戻っていきます。

最後はこれがトリ。
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この間約四十分。

このあとさらに盛り上がったようですが、
自分はここまでで終了、帰途につきました。


しかしねぶたも凄いけど、
三連の太鼓の音が凄い。

長めのバチでしかも先が丸く固めてあるせいか、
音がデカく重くしかも硬い。

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これがいちばん大きな青森から来たねぶたの後からついてくる。

もちろんPAも使っているけど、
とにかくこれがかかなりの弩迫力。

しかも自然にこちらもノッてくるし高揚してくる。

自分はまだ青森や弘前で、
ねぶたやねぷたを観たことがないけど、
一度くらい見た方がいいかなあと、
さすがにこれを体験するとそういう強い誘惑にかられてしまう。


とにかくとても楽しめたお祭りでした。


ただ一部で資金不足から、
今年でひょっとすると最後になるかもという、
そういう話をたまにネットでみかけるので、
できればそうならないよう続けてほしいと強く願う次第。

来年は最後までぜひ見てみたいものです。




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ゴジラ(1954)最初の一週間 [ゴジラ]

1954年の「ゴジラ」、
じつはこれがいつ起きたかという日にちが、
作品中明確に描かれている。

ひとつは、
8月13日19時05分の栄光丸遭難の報。
そしてもうひとつは、
8月20日16時30分にゴジラが観音崎沖にいるという放送。

今回はここからゴジラのこの最初の七日間をみてみる。


8月13日。

栄光丸遭難の報。19時05分。
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続いて備後丸も遭難する。


8月14日。

大戸島の漁船が生存者を救助という報を発表。
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ちとわかりにくいけど時計の針が8時をさしている。

おそらく朝の8時だろう。

このあとこの日の夕方近くで政治が大戸島に漂着。


問題はここからでかなり無理があるけど、
8月20日から逆算する形で以下のようになると思われる。


8月15日。

シケ続き、古老がゴジラかもと発言、取材陣が来て、夜の神楽。
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※政治の回復が早すぎるのが難。

そしてゴジラついに大戸島上陸。
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このことから、
ゴジラの上陸は8月15日の終戦記念日のようです。


8月16日

大戸島の陳情団が国会へ。
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※大災害の割に到着早すぎという点に難。


8月17日

朝、東京から大戸島へ。
竹芝~大島くらいの距離なら六時間ほどで着くと思われる。
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そして午後、ゴジラ出現。
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緊急事態のため空路帰京したと思われる。


8月18日

国会でゴジラ審議、夜、遊覧船横にゴジラ出現。
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8月19日

ゴジラ東京上陸(一回目)
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8月20日

16時30分観音崎沖にゴジラがいることが放送される。

ゴジラ二度目の上陸。東京炎上。
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という感じになっており、


8月21日

芹沢邸でオキシジェン・デストロイヤーの使用を懇願。

という流れになる。


このあとはわからないがゴジラが三度目の上陸が描かれていないことと、
オキシジェン・デストロイヤーを砲丸大の量生産していることから、
数日後に東京湾でゴジラと対峙したとみるべきなのかも。

それを考えると十日ほどの間に、
ゴジラの物語は起こったことになる。


ただ正直※印でも書いたように、
かなり無理のある部分もあるので、
あくまでも明記されている二つの日付を軸に推測したという、
そういうものとお考え下さい。

もっとも8月20日の方は実際は「20日」としか言っていないので、
ひょっとすると9月20日かもしれません。

もしそうだとかなり大戸島と東京間の移動、
政治の回復なども無理なく運びそうですが、
ただそうなるとゴジラが大戸島から東京まで、
一か月近くかかって移動するということになるので、
今度はそれもまたどうなんだろうという気はしますが、
さてじっさいはどっちなんでしょう。


以上です。


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三嶋大祭りと大洗八朔祭りに行く。 [小さな旅(Japan small travel)]

今年の夏はいろいろとついてなかった。

7月の初め頃に風邪と熱中症、
終りには再度風邪をこじらせ、
8月上旬まで体調は最悪だった。

そしてそれが良くなり始めたと思ったら、
今度は天候不順の連続で、
予定もいろいろと潰れてしまった。

幸い気温が下がった事で体調は幾分よくなったけど、
なんか冴えない夏になってしまいました。


そんな中、
かろうじて三嶋大祭りと大洗八朔祭り最終日に行く事ができました。

8月17日三嶋大祭り三日目は「踊り」の日。

前日伝統芸能の日は武者行列のとき、
雨が上がり天気が持ち直したということで、
この日少し安堵して三島入りしました。

今回はじめて「踊り子」を使って三島へ。

横浜から三島まで特急だとほぼ一時間。
上野から水戸まで特急で行くのとほぼ同じだけど、
なぜか沼津の方が近く感じるのは気のせい?

三島は横浜より天候もよく気温も少し高い。

駅前のこれをみてお分かりのように、
この町はほんとうに「水」が印象に残る。
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桜川沿い
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それより手前にある愛染院跡の熔岩塚
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といろいみていると途中山車に出会う。
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そして三嶋大社、お祭り一色です。
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境内では流鏑馬をやってました。
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これがけっこうたいへんで、
特に的が小さくなるとなかなかきついようで、
テレビでみるように次々的中とはなかなかいかない時もありました。

あとここで昔懐かしいお化け屋敷をやってましたが、
ここの呼び込みがなんともいえない名調子。

けっこうお年の方が椅子に座りながされてしいましたが、
まだこういうのがあるんだなあとちょっと嬉しかったです。
撮影不可だったのがなんとも残念。

このあと少し歩いて広小路駅方面へ。

このあたりは延々と歩行者天国で、
いろいろとお店も出ていましたが、
その道を大社から広小路に向かって次々と、
「農兵節パレード」と「サンバパレード」が通っていくので、
もう賑やかこのうえなしでした。

このパレードはかなり一般の人が参加しているので、
ここには掲載しません。

そして広小路付近。
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駅の横は昔沼津まで走っていた路面電車のホームが、
そのままタクシー乗り場等に使われています。
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その広小路駅方面から大社方面をみると、
これはこれでなかなか人人人…で壮観でした。
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これは「サンバパレード」の復路の様子です。

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この電車もちょうど駅に入ってきていました。

とにかく賑やかな一日でした。

このときみかけた三島のいろいろ。
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といったところです。
最後の写真は伊豆国分寺塔跡で、
これは七重の塔だったとか。

今健在だったら素晴らしかったでしょう。

とにかくかなり活気のある大きなお祭りでしたが、
観光の面もあるものの、
地元の人達の祭りという雰囲気がとても色濃く、
いい意味でローカル色の強い大きな祭りといった感じでした。


そして二日あけて20日に大洗の八朔祭りに行く。

だがいきなり蹴躓いた。
常磐線が松戸で信号故障を起こし不通になってしまった。

しかたなく品川駅で様子をうかがうと、
水戸迄行く各駅や快速はなんかどんづまりで、
ほとんど出発の目途が立たない状態だったけど、
特急はどうも動くらしい。

このためこのとき品川駅に停まっていた特急を利用する。

水戸へ行くのに特急なんてほんと久しぶりだ。

だがこの特急もこのときすでに三十分遅れで、
いつ出発するか不明という心もとない状況だったが、
意外にも数分後には品川を発車、
上野で再度かなり停車したが、
上野を出て柏を過ぎたあたりからは通常走行となり、
50分程遅れての水戸着となったが、
自分にとっては二十分遅れのような形だった。

しかも遅延等のこともあってかガラガラで、
のんびりと足をのばすことができたのはうれしかった。

こういう楽なのもたまにはありがたい。

ここでさらに申し訳ないことに、
水戸駅ではりんかい線がこの電車の到着を待っていてくれたため、
結果的には遅延の影響を受けずに大洗までくることができました。

大洗駅で初めてみたポスター。
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この後で磯前神社でしっかりとお参させていただきました。

しかしとても涼しい。
夏とは思えないくらいの気候でした。

大洗まいわい市場でメロンパンアイスを食べたけど、
とてもおいしかったものの、
もうちょっと暑かったらよかったのにと思った次第。

因みにアウトレットは今もこんなかんじ。
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経営努力を破棄した証そのものですが、
幸いにして経営者が変わったことでリニューアルするようで、
11月にはプレオープン、
来年3月にグランドオープンとか。

まずは一安心。

ここからみる「さんふらわあ」も、
次来る時はもっと明るくみえることでしょう。
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このあと磯前神社へ。

そこで山車をみかけました。
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参拝したあと曲松商店街方面へ。

もうこのあたりは大混雑でしたし、
神輿も山車もいろいろとでてましたが、
逆に人が多くてけっきょく写真はほとんど撮れず、
のんびりとお祭りを楽しみました。

途中大洗連の山車もありました。
これはなかなか賑やかなでした。
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そしてこの日みたいちばんのお気に入り。
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午後四時からという流しそうめん。

じつはほんとは夜までみていくつもりでしたが、
常磐線がどうもあやしいので、
少し早めに退散することになってしまいました。

いやあ流しそうめん食べたかったなあ。


「八朔祭り」は「あんこう祭り」や「海楽フェスタ」と違い、
地元の信仰と密着した祭りという感じで、
これもまた「三嶋大祭り」同様、
いい意味でローカルな祭りであり、
「ガルパン」がやってくる前の大洗というか、
大洗の素の顔が垣間見られるお祭りという気がしました。


三嶋といい大洗といい、
とてもいいお祭りをみることができましたし、
冴えない今年の夏でしたが、
この二つでようやくそれも払拭できました。




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ハイティンクの1960~1970年代の印象 [クラシック百物語]

ハイティンクハ2017年現在、
ブロムシュテットとならぶ長老指揮者として、
世界的にも高く評価されている。

ただ彼の評価というか、
特に日本でのそれはその初めの頃は、
決して芳しいものではなかった。

彼の名前が日本で知られたのは、
1961年にベイヌム急死以降空席になっていた、
コンセルトヘボウの首席になった時だと思う。

前任ベイヌム同様ヴァイオリン出身で、
若くしてオランダ国内で活躍していた、
当時売り出し中の新鋭というポジションだったらしい。

当時31歳ということでまさに大抜擢だったが、
さすがに一人では荷が重いということだったのだろうか、
バイエルン放送響を退任したばかりの、
オイゲン・ヨッフムも共同で1964年迄担当、
日本にも1962年と1968年のコンセルトヘボウ公演時に、
ハイティンクに同行し来日している。

一方当のハイティンクはというと、
この二度のコンセルトヘボウとの来日、
翌年の1969年のロンドンフィルとの初来日公演と続くが、
彼の当時の日本での評価は、
一言でいうと地味もしくは鈍いものが多かった。


それらの多くの評の一致している所は、
オケは素晴らしいが指揮者の個性が薄い、
もしくは踏込が足りないという類のものが多かった。

これは彼のオケのそれを尊重し、
楽曲の良さをそこに活かしていこう姿勢もあったが、
当時近い年齢の指揮者に、
マゼール、ケルテス、そしてメータといった、
個性がハッキリと感じられる指揮者がいたことも、
ハイティンクには不幸だったかもしれない。

またハイティンクはこの時期諸般の事情で、
ブルックナーやマーラーの交響曲全集という、
大作を立て続けに録音したことも、
他の指揮者の個性的な演奏や熟練した演奏と比較され、
コンセルトヘボウの音が素晴らしいだけに、
結果オケに下駄を預けているだけという、
そんな感じのイメージも生まれてしまったことも、
結果的にハイティンク自身の評価の好転には、
いまひとつ結びつかなかった。

ハイティンク自身、
毎年のように頻繁に来日していたわけではないので、
そのあたりの録音でのイメージは、
日本ではかなり大きなそれを占めるものでした。

ただハイティンクのもつ、
平衡感覚の強い演奏スタイルは、
イギリス等では高く評価され、
1967年には早くもロンドンフィルの首席に就任している。

なので日本でのそれは、
世界での一致したものというわけではなかったようです。


1974年にハイティンクが五年ぶりに、
今回はコンセルトヘボウとの来日となった公演では、
自身初の単独によるツアー牽引となった。

チェン・ピーシェンと二日間共演があった以外は、
すべてソリスト無しの公演。

しかも中には初来日時にヨッフムの指揮で評判になった、
ブルックナーの交響曲第5番、
そしてこのオーケストに献呈された、
Rシュトラウスの「英雄の生涯」が初めて取りあげられるなど、
極めて意欲的な内容となり、
5月4日に前年オープンしたNHKホールでの演奏は、
NHKがテレビとFMでも中継された。

ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲
マーラー/交響曲第10番~アダージェット
Rシュトラウス/英雄の生涯

という内容のもの。

これは自分も見ていたけど、
ハイティンクは極めて積極性のある、
かなり熱い演奏を聴かせていたけど、
印象としては指揮者より曲の方が残るというもので、
ひじょうに自分の好みにあった演奏だった。

またオケの状態もとてもよく、
最初のハイドン変奏曲の冒頭の木管など、
その重く味のある響きに魅了されたものでした。


当時の来日前はオーケストラの来日ばかりが大きく話題となり、
指揮者はどうも二の次のような雰囲気だったものの、
この放送を見た人などは、
けっこうハイティンクも印象づけられたのでは?
と思ったものでした。

もっともこの公演も以前よりは好評だったものの、
やはり話題そのものはやや地味で、
ハイティンクの評価も自分が思った程ではありませんでした。

ただこの来日直前そして以降に日本で発売された、
ブラームスの交響曲第4番や第2番は素晴らしく、
雑誌での評価もそこそこのものがありました。

このあたりからハイティンクへの評価は、
ゆっくりと上昇していきました。

そして1977年コンセルトヘボウとの三年ぶりの来日。

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かつては六年間隔で来日していたので、
ちょっと意外な感じもするこの来日公演は、
ハイティンクの素晴らしさを全開したような演奏ばかりで、
マーラーもベートーヴェンも、
そしてFMでしか聴けませんでしたが、
ブラームスやドビュッシーも気合の入った、
それでいてバランスや細やかな表情も随所に感じられる、
極めて聴き応えのある素晴らしい演奏ばかりでした。


評判も以前よりかなり良いものがふえ、
特に指揮者とオーケストラの一体感が高く評価され、
今までよりもはるかに評判の高い、
特にハイティンク自身が高い評価を受けた公演になりました。

しかもその後発売された多くの録音が、
そのときの好調さを持続しているだけでなく、
ハイティンクの凄みも強く感じられる演奏が増えていきました。

自分がもつハイティンクの音盤が、
1970年に録音されたものが多いのはそのためでしょう。

前述したブラームス以外にも、
チャイコフスキーの5番、ブルックナーの7番、
ロンドンフィルとのスコットランドは、
今でも自分の愛聴盤となっています。

そしてデジタル録音時に録音された、
ブルックナーの9番には腰が抜けそうなくらい驚かされ、
ある評論家の方など、

「この歳でここまで円熟しきってしまうと後が心配」

と言うほどでした。


このためハイティンクの次回の来日を心待ちにしたものの、
1980年のロンドンフィル、
1986年のコンセルトヘボウとも同行することはなく、
結局1992年のロイヤルオペラまでその来日を待たなければならなかったのは、
本当に今でも残念に思っています。


このように今では巨匠といわれているハイティンクでしたが、
1960年代1970年代の半ばくらい迄は今では信じられないくらい地味で、
評価もあまり高くありませんでした。


それから半世紀程たち、
今は押しも押されもせぬ巨匠となりましたが、
ある意味文字通り大器晩成という道を歩んできた人だと思います。

これからも末永く活躍してほしいです。

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1977年のプログラムに2003年サインをいただいたもの。
本人もなにかこのプログラムを気にしていたようです。
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セミがとんできた [ひとりごと]

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突然網戸にとまり、
またすぐとんでいった。

その透き通った姿は感動的だったけど、
そのはかない命を思うとちょっといろいろと…。

今年はなん急に涼しくなったけど、
8月15日がまたやってきました。
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横浜能楽堂施設見学日<山の日スペシャル> に行く。 [小さな旅(Japan small travel)]

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普段は平日にやっている、
横浜能楽堂施設見学ですが、
この日は特別に祝日に行い、
しかもふだんは展示していない装束も間近でみられるという、
なかなかの好企画。

http://ynt.yafjp.org/
横浜能楽堂

この日は10時と特別に19時の回も行われたが、
自分は10時の回へ行く。

前回平日にあった時は、
外国からの観光の方も含め二~三十人くらいだったけど、
この日は雨にもかかわらず
百数十人の人が来館した。

このため一度に移動できないため、
三つのグルーブに分かれてみることになりました。

あとは写真を中心に。

能楽堂入口
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フロアはけっこう広め。
参考図書も閲覧できるようになってます。
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フロア天井部
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二階からみたフロア
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一階ホール内、扉をあけるとこんなかんじです。
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能舞台。関東最古のものをここに移築したもの。
鏡板が松だけでなく、笹や梅も描かれているという変わったもの。
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二階からみたホール内。
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このような形になっています。

とても綺麗な会場内です。

しかしここの舞台はいつみてもしっとりとしていて、
何かちょっとした霊的なものさえかんじられます。

このあと舞台裏へ。

橋がかり横にある鏡の間。
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楽屋とこの日特別展示されていた装束。
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舞台横の切戸口から舞台をみる。
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このように普段みられない、
それこそ貴重なものがいろいろと見られました。

最近あまり来ていないので、
そろそろ舞台公演でもみてみたいものです。

因みにここは能狂言だけでなく、
古典芸能関係なら原則開けるといのこと。

そういえばここではありませんが、
かつて桑島法子さんが、
能楽堂で宮沢賢治の朗読会をやったことがありました。

ここでもいつかそういう企画ものをみてみたいものです。


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龍の口竹灯籠を観に行く [鎌倉~江の島(Kamakura/Enosima)]

龍口寺境内であった龍の口竹灯籠に行く。

http://www.fujisawa-kanko.jp/event/taketourou.html

今回は写真のみです。

本当はもっと暗くなってから撮りたかったのですが、
とにかく人がガンガン来て、
それほど広くない場所なので、
これでは写真は無理と思い暗くなる前ですが、
混む前に撮りました。

風がそこそこあったので、
消えてしまった灯篭に火をつける係りの人がたいへんそうでした。

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すぐ近くのお店でみかけたもの
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以上です。


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