So-net無料ブログ作成

イ・ムジチと伊福部昭を聴く。(LFJ 2018) [演奏会いろいろ]

logo_ttl.png
https://www.lfj.jp/lfj_2018/

今年のLFJ(ラ・フォル・ジュルネ TOKYO)は、
自分にとってイ・ムジチと伊福部昭の二つが最大のそれだった。

※当初はこれに貴志康一も入るはずだったが直前に行くことができなくなった。


まずイ・ムジチ。

おそらくこれほどのビックネーム、
それこそウィーンフィルやベルリンフィル並みの知名度をもつグルーブが、
この音楽祭に登場するのは今回が初めてだろう。

自分はじつはイ・ムジチの実演をこれまで一度も聴いたことがなかったので、
今回初めて聴くことにした。

しかもプログラムがいつも「四季」ばかりというこのグルーブには珍しく、
「四季」がまったく入っていないプロが二種。
そのうちひとつは19世紀以降の作品で固められているという、
たいへん興味深いものだった。

まず初日。
この音楽祭のオープニングを飾る形となったこの公演ですが、
意外にも当日券が余裕であった。

曲目がこのグルーブにしては珍しいことやキャパが1100あること。

さらに朝早いことやこの日の天候が明け方まで大荒れだったこともあり、
出足が鈍かったことなどいろいろと理由はあったようだけど、
それでも開演前にはほぼ満員状態になっていた。


5月3日 AM9:30
東京国際フォーラム ホールC

シニガーリャ:スケルツォ op.8
フィンツィ:パヴァーナ
セルバンテス:キューバ舞曲集
ドヴォルザーク:8つのワルツ op.54
ショスタコーヴィチ:2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲

ピアソラ:リベル・タンゴ


とにかくフィーリングがいい。
どの曲も自分たちの語法にしっかりあわせ昇華し聴き手を楽しませる。

このグループが何故日本はもちろん世界的にも支持され愛されているか、
その理由の一端がシニガーリャの冒頭数秒だけでも強く感じられた。

このとき気づいたらいつの間にか膝の上で軽く指でリズムをとっていた。

幸い自分は最後列で、しかもちょうど横に手すり等があったので、
他の人から見えない位置だったからよかったものの、
そうでなければ大迷惑だっただろう。
こんなことは初めてです。

それくらい彼らの音楽は人を瞬時に惹きつけてしまう魅力にあふれていた。

セルバンデスも楽しい曲のオンパレード。
バルトークもとても光沢のある明るい響きだけど、
その素晴らしい音楽のキレは爽快といいたくなる程のものだった。

だけど一番驚いたのはショスタコーヴィチ。

まるでニーノ・ロータの映画音楽のようだった。
Luigi Peccbiaがイ・ムジチの為に編曲したと明記してあったけど、
そのアレンジあればこそとはいえこれには驚いた。

かつてのツィメルマンのガーシュウィン以来の衝撃だったかもしれない。

これらすべてが終了したときすでに5分程終演予定時刻をすぎていたが、
それでもアンコールをやってしまったのは驚いた、
しかも曲があの「リベル・タンゴ」!

これで会場がわかないはずがない。
もうだれもが大満足のそれとなりました。

ホールの外を出ると多少蒸してはいたけど、
もう雨の心配はなくなっていました。

ここで極私的に「後半」まで23時間の休憩があるので、
気持ちもよくなったことで多少あちこちほっつき歩いてから帰宅。


5月4日 AM9:30
東京国際フォーラム ホールC

リュリ:バレエ音楽「愛の勝利」から 序曲
ヘンデル:合奏協奏曲第1番 ト長調 op.6 HMV319
パーセル(ストコフスキー編):オペラ《ディドとエネアス》から 「私が土の中に横たえられた時」(ディドの嘆き)
エイヴィソン:合奏協奏曲第5番(原曲:D. スカルラッティ)
ボッケリーニ:ピアノ五重奏曲 ハ長調 op.57-6から 第3楽章「マドリードの通りの夜の音楽」

ヴィヴァルディ:「四季」より「夏」の第三楽章。
※最初「冬」と書いてしまいました。すみません。

こちらはさすがに手慣れた時代のもので固められていたせいか、
じつにリラックスして聴くことができた。

バロック以前に疎い自分にはヘンデルのそれ以外、
どれも初めて耳にしたものばかりだけど、
どれもなかなか魅力的な作品ばかりだった。

イ・ムジチはいわゆる鉄壁のアンサンブルとか、
超絶技巧集団というわけではないので、
そういうものを期待するとあれかもしれないけど、
とにかく聴きどころのツボをおさえるのが上手く、
しかも音楽の流れに乗ることがとにかく旨い。

だから聴いていて刺激とかそういうものではなく、
何か音楽の本質的な魅力のようなものに、
こちがずいぶんいろいろと無意識的に気づかされているような、
そんな感覚で音楽に浸らせてくれるというグループのように感じられた。

またぜひ聴いてみたい欲求にかられたコンサートでした。

しかしこの二日目のアンコール。

ここで「四季」からの一曲を最後きってきたことでホールのみなさんさらに大満足。

そういえば昔、デイブ・ブルーベックがジャズフェスで、
「最後に『テイク・ファイブ』を五分間やります。」
と言ったら聴衆が大いに盛り上がった事があった。

イ・ムジチにとって「四季」も同じように切っても切り離せないもののようです。



5月5日
東京国際フォーラム ホールC

伊福部昭:ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲
伊福部昭:日本狂詩曲

山根一仁 (ヴァイオリン)
井上道義 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団


この翌日。昨年に続く井上さんによる伊福部昭作品。

昨年は、
「日本組曲」から 盆踊、演伶(ながし)、佞武多(ねぶた)
「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ」を
安倍圭子さんのソロという、
どちらも初演者がらみによるという超豪華版でしたが、
伊福部さんの十三回忌にあたる今年は、
伊福部さんが戦前と戦後に書いた二つの作品…
…というより東宝特撮ファンの方にはそのエキスというか、
その源流を聴くことができる二つの名作が揃い踏みした。

ゴリラにバナナがまるまるひとふさ与えられたようなものだ。

自分もまさかこの二つが、
しかも井上さんの指揮で聴けるとは思ってもみなかった。

まさに望外。

当初は狂詩曲が前半のように発表されていたが、
当日順序が逆になり狂詩曲が後半となったが、
これはもう誰もが当然と受け取っていたに違いない。

まず協奏風狂詩曲。

井上さんのそれを聴いていて、

「ああ、これはコンチェルトとじゃなくてラプソディーなんだ。」

と思わず思ってしまった。

それこそ「シェエラザード」や「英雄の生涯」のように、
ソロヴァイオリンが前面にでる交響詩と同じ類のような。
タイトルも実際そうだし。

だけど次の瞬間、

「いや、ひょっとしてこの曲ヴァイオリン協奏曲+合奏協奏曲なんじゃないか。」

と思わせられたりと、
とにかくこの曲のいろいろな面、
そして懐の深さと多様さがこれでもかと開陳されたような、
そんな感じの演奏に聴こえた。

第二楽章冒頭のティンパニーのソロが、
こんなに深い意味をもって奏でられたことも稀有だった。

これには新日本フィルの健闘も素晴らしく、
特に弱音の弦の美しさはたまらないものがあった。

かつてベートーヴェンでの汚い響きに辟易とさせられた団体とは、
とても同じとは思えないくらいのものだった。(失礼)


そして山根さんのソロがまた素晴らしかった。
音楽に切り込んでいく集中力といい、
技術の確かさといい文句無しに最高で、
その存在感のある安定した見事なソロは、
この曲は進めば進むほど、
何かソロが嵐の中で弄ばれている小舟のような、
そんな感じさえしてくるはずなのに、
今日のそれは確かにそういう趣はあるにはあるけど、
舵も速度もしっかりと保たれ、
最後も無事港に帰り着く事のできた、
「強靭かつしなやか」な小舟のように感じられるほどだった。

指揮、ソロ、オケと三拍子揃ったまさに名演でした。

そういえばかつてこの曲の実演に接した時、
前の列にいた小学生くらいの女の子が、
第一楽章で例の「ゴジラ」のテーマが出た時、
突然それにあわせて身体を動かし始めた事があったのを思い出した。

今日もそれくらいの年齢のお子さんを多少みかけたけど、
同じようにあの瞬間身体をその音楽にのせて動かしたりしていたのだろうか。


この後、井上さんの山根さんへの賛辞と「日本狂詩曲」に関するトークを挟み後半。
ここで今更気づいたけど、
この日は「狂詩曲二題」というコンサートと言う面もありました。


後半多くの打楽器群と奏者が後ろに横一列に並んだけどこれがまた壮観。

そして井上さんの音楽がなんとも凄かった。

とにかく「巨大」。しかも繊細。

「夜想曲」のそれを井上さんが雰囲気を説明されていたが、
ここでのそれは本当にそれを上手く表現しており、
冒頭のヴィオラのソロのけだるい哀愁感、
そして後ろで大きな世界を静かに響かせるバランスなど、
この曲をシベリウスが絶賛したのも当然とあらためて感じさせられるほどのものでした。

打楽器の響きもじつに活き活きとしておりまさに神髄という感じ。

そして「祭り」。

ここで井上さんはかなりゆったりとしたテンポをとった。
それは自分のイメージとは若干違ったものだったがこれがまた心地よい。

チェロとコントラバスを除く全員が譜面台の位置を高く上げた後、
全員で立ちながら演奏されたそれは、
そのせいもあってか、何か途方もなく巨大な波動をともないながら、
巨大な音楽が圧倒的なリズムに乗りながら寄せては返していくようで、
この曲がここまで巨大な曲だったのかという驚きと、
今まで早いテンポの演奏では隠れてしまっていた多くの音が、
一気に解放されたかのように怒涛の如く客席に流れ込んできたかのようで、
とにかく音楽の大きさに完全に圧倒されつくしてしまいました。

またその中でもちょっと古臭いような表情を弦に歌わせたりして、
独特の哀愁感をしっかり刻み込んでいたのにも感心させられたしまいました。

あとあの例の「大戸島の神楽」の音楽も、
いつもより遅く演奏されたことで、
よりその雰囲気が出ていたのは「ゴジラ」好きにはたまらないものだったかも。

そして井上さんは指揮は相変わらずの「踊り」だけでなく、
舞台上を歩き回り(この日は指揮台を不使用)、
そして客席に向かってスタンディングと拍手を促し、
自らも跪きながらリズムにあわせ舞台の床を両手で叩くという、
これでもかというくらい気持ちの丈をあらわした指揮ぶりで、
この難曲を見事に最後まで緩めることなく描き切っていました。

最後まで走ることなくしっかりとしたリズムを保つことで、
この曲が逆にここまで凄い曲だったのかと、
正直かなりの人が驚きをこの日感じたのではないでしょうか。

しかし21歳で一度も耳にしたことのないはずの、
こんな大編成のオーケストラの為の曲を書いてしまうとは、
伊福部昭とは本当に破天荒な化け物だったのかもしれません。


演奏終了後は前半でソロをとっていた山根さんも再度引っ張り出してきて
いかにも井上さんらしい大団円で幕。

ただあまりにも素晴らしすぎる演奏だっため、
これを伊福部さんに聴かせてあけだかったと思ったのは、
以前この両曲を聴いた時は伊福部さんもホールでそれを聴いており、
自分もその姿をお見掛けしていたということがあったかもしれないけど、
そう感じていたのは自分だけではなかったと思う。


とはいえ、

終演後ホールを出て来たみんながみんな大満足といった表情で、
ホール下の踊り場にあったCDやグッズも、
その売り場の人によると「物凄い売れ方」だったとか。

これはもう来年、真打「シンフォニア・タプカーラ 」しかないかと。



大満足でホールを出た後小腹が空いたので、
今回のLFJで出店していたパン屋さんでパンを購入。

クセがなく美味しくそこそこ量もありかなり満足。

以前はちょっと重いものや甘い物ばかりで、
LFJでの飲食は敬遠してたけどこういうのはとても助かります。

というわけで最後は食ネタで〆です。

とにかく今回はとても楽しめました。満足です。
nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

パヴェル・コーガン指揮新日本フィルハーモニーに行く [演奏会いろいろ]

4月27日(金曜日) 19:00 開演
トリフォニーホール

パヴェル・コーガン指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

(曲目)
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」より “だったん人の踊り
グラズノフ:演奏会用ワルツ第1番 ニ長調 op.47
チャイコフスキー:スラヴ行進曲 op.31 変ロ短調

~休憩~

ムソルグスキー(ラヴェル編曲 ):組曲「展覧会の絵


PC.jpg


パヴェル・コーガンを初めてみたのは、
1970年代に父レオニード・コーガンと来日、
NHKのスタジオで二人揃ってヴァイオリンを演奏している姿をテレビで見たのが初めて。

それからしばらくご無沙汰だったが、
その後は指揮者として活躍。

ムラヴィンスキーに同行し、
レニングラードフィルの欧州ツアーにも参加したことがあるという。

そんな彼の指揮を初めてみたのは、
1994年のサントリーホールでの手兵モスクワ交響楽団との二度目の来日公演。

曲目がチャイコフスキーとショスタコーヴィチの各々の第五交響曲という、
かなりヘビーなプロだったがこのコンサートをかつて自分は以下のように感想を書いている。


------------------------------------------------------

11月2日:サントリーホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

この人もかなり力技のある豪腕指揮者ですが、あまりにも個性的というかなんというかで、この日の「父レオニード・コーガンに捧げる」演奏会でも三球三振覚悟で場外ホームランを狙ってくる打者といったかんじの音楽づくりでした。

そのためか音楽も隙だらけなのですが、いったん火を吹くとその迫力は凄まじいものがありました。面白い指揮者なのですが、演奏会ではかなりリスクをともなう指揮者だという気もしました。ハイリスクローリターンが日常茶飯事といったかんじもする指揮者でした。ただもう少し何度か聴くと印象が変わってくるのかもしれません。

ある意味誤解される発言かもしれませんが「ロジンスキーが帰ってきた」タイプの指揮者という気がしました。

----------------------------------------------

というもの。


そしてこの日の演奏。

正直24年ぶりに聴くのに、
印象がほとんど変わらない指揮者というのも珍しいというかんじで、
たしかにかつてのような隙だらけなそれはかなり後退し、
その分詩的な響きがかなり感じられるものになっていたものの、
まるで旧ソ連の指揮者がロシア音楽を指揮しているような、
いい意味で「無理が通れば道理が引っ込む」的大掴みなそれは健在だった。


ときおり前のめりになるくらい突き進んだり、
オケからこれでもかというくらい大きな音を要求したり、
表情は意外とあっさり手堅い部分が多いが、
強弱の大きさやここというときのデフォルメの強烈さなどは、
ほんとうに久しぶりに聴くサウンドだった。

「だったん人」はかつてのサローキンほどではないけど、
それでもぐいぐい押していくそれは爽快だったし、
「スラブ行進曲」終盤の追い込みはCDでも聴いていたけど、
それよりも金管や打楽器の頑張りもあって、
より強烈なサウンドになっていた。

そしてグラズノフは実に瑞々しい音作りで、
この指揮者の円熟が強く感じられた演奏になっていた。

たが圧巻だったのは「展覧会の絵」。

最初こそ淡々としたものだったが、
曲が進むにつれ次第に濃厚になりはじめ、

「カタコンベ 」あたりから凄みと迫力がより前面に出始め、
「バーバ・ヤガー」以降にみせた凄みと豪快な迫力はまさに圧巻。

24年前の豪腕再びといった感じの演奏になっていた。

かつてのいいところや特長をそのままに保持しながら、
隙は影を潜め詩的な響きを持ちあわせてきたコーガン。

これからはこの指揮者のロシア物以外も聴いてみたいところです。

とにかく久しぶりに、
なんか昭和に戻ったような感じの演奏を聴いたような気がしました。

こういう胸がすく様な豪快な演奏を、
日本のオケで聴けるとはいい時代になったものです。





新日本フィルの管楽器は相変わらず強力だけど、
弦楽器も一時の低迷したそれを脱したように聴こえた。

パワーで勝負する類ではないようなので、
より鮮度をあげこのオケの武器のひとつとしてほしい。

そういう意味で来月のプラッソンとの演奏は大注目です。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

今年の桜いろいろ [いろいろ]

今年みた桜を今頃ちとまとめてみました。

0-01.jpg
靖国通り

0-02.jpg
千鳥ヶ淵

0-03[.jpg
上野公園

0-05.jpg
坂下門~乾門

0-06.jpg
柏尾川

0-07.jpg
衣笠山

0-08.jpg
小田原城

0-09.jpg
光明寺

0-10.jpg
境川サイクリングロード

0-11.jpg
大岡川

以上です。


沼津や水戸が無かったのが残念。
このあたりは来年以降ということで。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

女性が土俵に上がることについて。 [スポーツ]

兵庫県宝塚市で6日に開かれた大相撲春巡業で、中川智子市長が「女人禁制」とされている土俵でのあいさつを認められず、土俵下から「女性だからという理由で認められないのは悔しい。伝統を守りながらも、変えるべきものは変えていくべきではないか」と訴える一幕があった。

 中川市長は、昨年4月に同市で行われた春巡業でも土俵下からあいさつ。その際は疑問を持たずに受け入れたが、4日の京都府舞鶴市での巡業で多々見良三市長が土俵でのあいさつ中に倒れたことが報道され、「男性市長は土俵に上がっている」として、日本相撲協会側に5日、土俵上でのあいさつを要望。しかし、「伝統に配慮してほしい」として土俵下でのあいさつを求められたという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180406-OYT1T50112.html?from=ytop_main7


大相撲の女人禁制については、
かつては土俵上どころか、
見る事も禁止されていた時代があったらしいけど、
明治期に人気回復のためそれを撤廃したという、
神事の割には人間臭い理由で、
女性にそれを解放したという歴史があったとか。

それとこれとは違うかもしれないけど、
女性を土俵にあげる事は、
スポーツレベルではともかく、
大相撲という神事にかかわるものでは、
どうもそれはダメらしい。


ただ何故あげていけないのかというと、
その伝えられている理由があまりたいしたものではなく、
慣習に適当な理由をつけて伝統にしたような、
そんな感じがしてしまった。

ただだからといって、
じゃあすぐに取っ払えという気もしない。

というより自分はそれ以前に、
確かに土足ではないにせよ、
力士が裸足、
それ以外の協会の人たちも裸足か足袋を履いてる事を思うと、
力士や協会以外の人が土俵の上に上がる場合は、
能舞台でも一般の人があがる約束事としてあるように、
まず赤い絨毯を敷き、
そのうえですべての人たちが、
黒系か白の足袋をかならず履いて土俵に上がるよう、
そう義務づけるべきではないかと思ってる。

そしてその上で、
男女とも土俵に上がれるようにしたらいいと思う。

それでもダメなら、
どこかに参拝するとか、
行事に参加するという縛りをつくってもいいだろう。

とにかく霊峰富士でさえ今は女性も登山をしている。

公益財団法人を返上するならともかく、
そうでないのなら、
自分は前述した条件の上、
男女とも土俵に上がれるようにした方がいいと思う。

出雲大社や伊勢神宮も、
女性の参拝を禁止してはいない。

雰囲気やなんとなくだけというのは、
はたしてどうなんだろうという気はする。


ぜひ協会には力士も含めて一考を願いたい。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

チェリビダッケのブルックナーの4番(1989)ライブ盤 [クラシック百銘盤]

チェリビダッケのブルックナーの4番を初めて耳にしたのは、
かつてLPの海賊盤でシュトゥットガルト放送響を指揮したものだった。

それはモノラルの音質でややぼやけたものではあったけど、
その悠揚たる音の流れと、
そして終楽章のコーダーにおける特長のある弦の表情が、
極めて強く印象に残った。

それから何年も経ち、
ようやく彼の指揮によるブルックナーの4番の実演に接した。

1990年10月6日:オーチャードホールでのそれ。

だがこれは自分が聴いた場所が悪く印象がいまいちだった。

このため10月16日:サントリーホールで、
再度この曲の演奏を聴きに行った。

そしてそのとき自分は生涯忘れられないような、
凄まじい経験をしたものだった。


それから月日が流れ、
チェリビダッケが亡くなった後あたりから、
彼のライブ盤が遺族の許可を得て大量に発売された。

そしてその中に1988年にミュンヘンフィルと演奏された、
同曲のライブも含まれていた。

それは来日公演の二年前に収録されたもので、
ギリギリCD枚に収まるという長大な演奏だったが、
自分はこれを聴いた時、
実演に比べずいぶん聴きやすくなった印象があった。

もちろん基本的なものは、
実演の時とイメージはそれほど変わらないものの、
若干コンパクトなものに感じられたものだった。

そしてチェリビダッケの生誕百年の年に、
この1989年にウィーンで録音されたライブが登場した。

scb4.jpg

これは聞いた話によると、
本来はチェリビダッケ存命時に、
レーザーディスクでの発売として画像ととものに収録したものの、
そのカメラワークに指揮者が不満を表明し、
発売が急遽中止になったそのときの音源だというらしい。

自分はこの話を複数の方から聞いた記憶があるが、
ついに確定には至らなかったので、
あくまでもここでは「らしい」という程度にとどめておきたい。

演奏時間は前年のものよりかなり遅くなり、
ついにCD2枚組となった。

22:41、18:16、11:20、30:05、という、
全体で約82分になるものとなっていた。

そしてそれは自分がサントリーで聴いたそれに、
以前の1988年盤よりかなり近しいものに感じられた。

このときのチェリビダッケの演奏は、
膝の状態のアッカにより椅子に腰かけるようになったため、
そのテンポが遅くなりはじめたころのものだという。

そして遅くなった分、
表情はさらに細かく凝らされ、
聴く側により強い集中と緊張を与える傾向が強くなった。

また1986年の来日時に演奏したブルックナーの5番が、
それこそ最初から最後まで、
指揮者がすべてをコントロールをし尽していたのに対し、
こちらは随所にオケに音楽を任せているように感じられた。

特に第一楽章の出だしなど、
まるでチェリビダッケが最初の一振りのあと、
音楽がどういう方向に流れていくのかを、
じっとみつめているような感じが強くした。

それはあたかも水面に軽くふれ、
そのとき生じた水紋がどう水面に拡がっていくかを、
しっとみつめその様子を観察しているかのようだった。

もっともこれはオケ任せとはいっても、
そのオケがチェリビダッケ自身によって、
その音楽や精神を芯から刻み込まれている団体ということで、
何か今の自分と過去の自分との対話と協調を、
時間をかけて行っていたような、
そんなふうにも感じられた。

それはいわばこの頃の彼の儀式だったのかもしれないし、
オケにより自分の考えを浸透させる術のひとつだったのかもしれない。

そんなことがこの演奏を聴いて強く感じられた…、
というより1990年のサントリーホールでの感想が、
あらためて蘇って来たかのように感じられた。


ただ自分のように彼の実演を聴いた事のある者はともかく、
そうでない方にはこの演奏全体はひどく遅く、
些か間延びしたように感じられるかもしれない。
(それこそがチェリビダッケが録音を嫌った理由であり、
後世への誤解を恐れた結論だったのかもしれないのですが…)


このあたりがこの演奏の好き嫌いが分かれるところだろう。

だがそれでも第二楽章終盤に聴かれる、
驚く程表情の深いティンパニーの響きは、
すべての聴き手に強い感銘を与えるはずだと自分は確信している。


そして終楽章のコーダ。

弦の独特のアクセントをともなった強靭な刻みに支えられながら、
じりじりと高みへと上りつめていく管楽器の雄大な響きが、
この曲を極めて危険な領域にまで踏み込ませようとしていく。

それはまさに奇跡としかいいようのない瞬間であり、
終演後はその超弩級の音楽に圧倒しつくされたためか、
拍手も歓声もしばらく起きる気配がなく、
ようやく起きたそれらも演奏の呪縛から逃れられるまでは、
ひどく呆然とした腑抜けのようなものに感じられた。

人はあまりにも圧倒しつくされると、
声も拍手もできなくなってしまうのだろう。

それはサントリーホールでも同じだった。


あのときは正直何が起きたのか分からないという、
そういう感じの人がほとんどだったと思う。

もちろん自分もその一人だった。

ただ正直に言うと、
この優秀な録音をもってしても
あのサントリーホールでの、
それこそ身体中に深く刻みこまれるように、
強靭なリズムを刻んだ弦のそれは再現されていない。


素晴らしい録音だからこそ、その限界を感じてしまったという、
なんとも皮肉な感じに最後なってしまったが、
それでもこの演奏は自分にとってとても有難いものになっている。

これはいろんな意味でチェリビダッケの音楽が、
かなり明確に収録された音盤と言える。

誰にでも勧められる類のものではないが、
不世出の名指揮者の偉大な記録として、
永久に忘れ去られる事が無いよう願いたいこれは名盤です。

nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

大指揮者コーツによる1929年録音のバッハのロ短調ミサ。 [クラシック百銘盤]

COATES.jpg

ソリストーエリザベート・シューマン(S)
マーガレット・バルフォー(A)
ウォルター・ウィドップ(T)
フリードリヒ・ショア(B)
フィルハーモニア合唱団
アルバート・コーツ指揮ロンドン交響楽団

1929年9月、ロンドンにて録音。


この録音はEMIが世界初の同曲全曲録音だったとのこと。

なぜこの曲がこの時録音されたかは分からないが、
前年日本からの要請で、
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が他社により録音、
それが日本で驚く程予約が入った事がきっかけになったのかもしれない。
(このベートーヴェンは宮沢賢治も購入している)


このバッハに登場した歌手も当時としては有名で、
エリザベート・シューマンはもちろんだけど、
フリードリヒ・ショールやウォルター・ウィドップなど、
当時かなりオペラで活躍したり、
マーガレット・バルフォーのように、
エルガーのオラトリオの録音に参加していたりという、
そういうメンバーがソリストとして登場した。

オペラ畑の人が目立つのは、
コーツがオペラを得意として名声を博していた事もあったと思われる。
実際ウィドップなどは特にコーツとよく仕事をしていたという。

そして指揮のコーツ。

1882年にロシアで生まれ、
その後ニキシュに師事、
第一次大戦後はイギリスで活躍した指揮者で、
ロンドン響のトップを四シーズンつとめ名声を博したが、
当時の新作をいろいろと紹介したり、
(その中にはホルストの「惑星」のロンドン初演もある)
録音も同様に活発に行った事で人気もあった。

またオペラに非凡な力量を見せていたことから、
協奏曲でもその実力を買われ、
ホロヴィッツ透とも共演し録音を行っている。

プロコフィエフも自作の第三協奏曲を録音したとき、
コーツを希望する指揮者としてあげていたようだった。

そんな彼が47歳の時、
ある意味最もその活動がピークを迎えていた時に録音されたのが、
このバッハだった。


演奏は当時のコーツの特長が良く出た、
早めのテンポでぐいぐい熱く押していきながら、
この大曲を緊張感と誌的な美しさを両立させながら、
見事にまとめあげていくそれがじつに素晴らしく、
多少歌唱的に古く感じられ部分があるものの、
今聴いても素晴らしいほどに説得力のある演奏に仕上がっている。

このあたりは彼がワーグナーのようなオペラの大曲を得意としていた事も、
かなり活きていたのではないかと思われます。

演奏時間は「キリエ」と「グロリア」が約62分。
それ以降が約61分となってます。

録音も当時としてはかなり聴きやすく良好です。


現在はあまり店頭でもみかけませんが、
ネットでは全曲聴けるようなのでぜひ一聴をお勧めしたい。

今(2018)から約90年前の録音です。


尚、指揮者コーツの音盤はかなり多く、
そのため戦前からかなり広く出回り、
日本でも宮沢賢治がいくつもその演奏の音盤を購入していました。

ただこのバッハは賢治が購入したという記録が無く、
もしこれを賢治が聴いていたら、
彼の作品にどう影響を与えたのかとても気になるところではあります。


ところでそのコーツですが、
50歳を過ぎた頃に録音契約が完了すると、
急速にその存在が記録上希薄になっていく。

そして第二次大戦後はイギリスを離れ南米に移住し、
1953年に71歳で亡くなられた。

このため戦後も活動していにもかかわらず、
何か戦前で活動を終了したように感じられ、
現在も古い録音で、
しかも協奏曲における指揮者くらいしか見かけなくなったため、
器用な伴奏指揮者みたいなイメージが定着しているのが残念。

そういう意味では、
レオ・ブレッヒと似たようなイメージで、
現在多くの方からみられているのかもしれません。


ただこれは日本だけではないようで、
イギリスでもオペラはともかく、
古典派を中心とした音楽を積極的に録音していたにもかかわらず、
どうもそのあたりのコンサート指揮者としての評価が低く、
それが戦後イギリスを去る要因となったようです。


そんなある意味不遇な指揮者だったコーツですが、
このバッハを聴くと、
なんでこんな凄い指揮者が、
という気持ちにもあらためてなってしまいます。

確かに小品では荒っぽい演奏もありますが、
「死と変容」やチャイコフスキーの交響曲第3番のように、
素晴らしい緊張感に充ちた演奏もあることから、
このバッハとあわせて再評価されてもいいのでは?と、
個人的には考えています。

カール・リヒターやギュンター・ラミン以前の、
ひとつのバッハの演奏の記録ということでも、
貴重な資料のひとつだと思います。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

東京芸術劇場における三つのライブ盤。 [クラシック百銘盤]

池袋の東京芸術劇場。

このホールでかつて行われた演奏会のライブ盤が、
ここ数年いくつか発売されている。

~東京芸術劇場アーカイヴ・シリーズ~

というものだけど、
その中から三点のオケものを今回取り上げます。

最初が、ペーター・マーク指揮の「第九」

IKE03.png

ペーター・マーク指揮東京都交響楽団
小濱妙美(S)、郡愛子(Ms)、市原多朗(T)、福島明也(Br)
尚美学園第九合唱団(合唱指揮:松下耕)

1990年12月21日 東京芸術劇場

自分この数日後、
東京文化会館でマークと都響の第九を聴いている。

その時は最初に「フィンガルの洞窟」が演奏され、
これがまた絶品だったが、
第九はそれを超える素晴らしいものだった。

特に第三楽章は、
フルトヴェングラーのバイロイトの第九を想起させるほどのもので、
自分にとって生涯忘れることのできない名演だった。

もっともこのときの演奏はちょっと普段と違う状況の演奏だったため、
CD化にはあまり向かないものだったことも確かで、
無類の感動は与えられたけど、
完成度や繰り返し聴くという意味では、
今回の池袋でのライブの方がいいような気がした。

ペーター・マークというと、
小味というイメージを持たれる方がいらっしゃるかもしれないけど、
1986年に都響と録音された「真夏の夜の夢」や、
1990~1995年にライブ録音されたシューマンの交響曲、
そしてこの第九はそういうイメージを一掃してしまうほどの、
深さと奥行きをもった熱く真っすぐに聴き手に迫る名演揃いだった。

この第九もぜひ多くの人に聴いてもらいたい名演。


続いての一枚は、ギーレン最後の来日公演ライブ。

IKE02.png

ミヒャエル・ギーレン指揮バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団
カルメン・ピアッツィーニ(Pf)

1992年11月25日東京芸術劇場

①ウェーベルン:パッサカリアOp.1
②モーツァルト:ピアノ協奏曲第16番ニ長調K.451
③マーラー:交響曲第10番より第一楽章「アダージョ」
④モーツァルト:交響曲第38番ニ長調「プラハ」K.504


じつはこの公演は当初行く予定だったが、
当日体調不良のため断念したもの。

もっともこれには当時池袋に行くには、
今のように湘南新宿ラインがあるわけでもなく、
高所恐怖症には辛いエスカレーターがホールに多々ありと、
体調の芳しくないものにとっては些か厳しいものだった。

それだけにそのコンサートがこうして聴けるというのは、
じつに嬉しい限りだった。

演奏はどれも素晴らしかった。
ウェーベルンがこんなに聴きやすく聴こえたのは初めてだし、
マーラーもじつに密度の濃い演奏だった。

ただそれ以上に驚いたのはモーツァルト、
協奏曲もよかったけど、
それ以上に「プラハ」が圧巻だった。

当時この演奏は超高速演奏などと言われていたけど、
いざ聴いてみるとそこまでのものとは思えず、
心地よい爽快感の方が印象として先に立った。

それだけにあの時の自分の体調の悪さが悔やまれる、
なかなか聴き応えのある演奏会だった。

因みに「プラハ」の演奏時間は、12:07、6:29、7:35。


尚、録音のせいか金管や玄がややローカルな響きに聞こえたけど、
オケそのものは指揮者のそれに充分応えているように感じられた。

この演奏会のCD化を実現させてくれた、
すべての方たちに深く感謝の意を表したい。

本当にいい時代になったものです。


最後がスヴェトラーノフのロシア音楽。
IKE01.png

エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団
1995年5月19日東京芸術劇場

①ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1945年版)
②ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

この公演はツアー初日のもので、
自分はこの二日後のサントリーホールでの「法悦の詩」を聴いている。

ここでの演奏もそのときとだいたい基本ラインは同じで、
ショスタコーヴィチもスヴェトラーノフの手にかかると、
ソビエト音楽ではなくロシア音楽になってしまうのが面白い。

そして今回のそれは、
スヴェトラーノフ晩年のそれが顕著にあらわれている。

スヴェトラーノフはご存知のように作曲家としても著名で、
本人も作曲は余技とは考えていなかったようだ。

そのせいかライブでは楽興の愉しさをオケともども楽しむ傾向があったが、
録音となるとその姿勢が一変し、
楽曲第一主義を通し解説的ともいえる演奏を心がけていた。

またライブでのスタイルが、
時代によって奔放になったり手堅くなったりとけっこう流動的なのに対し、
録音に関してはこの姿勢は一貫していた。

もっともこの録音に対しての印象は確かに生涯一貫してはいたが、
年々そこにライブでも感じられる熱気や気迫もあらわれはじめ、
充実感がただ事ではないものになっていった。

そしてライブのスタイルもかつての奔放さが次第に影を潜め、
録音時のそれを感じさせるものに傾いていった。

それはスヴェトラーノフと同様に、
指揮者としても作曲家としてもピアニストとしても非凡だった、
かのフルトヴェングラーを思わせるものがあった。

今回収録されたこの二曲は、
それらがひじょうによくあらわれた演奏で、
会場ノイズさえなければセッション録音と言われても納得してしまうような、
そんな感じの演奏となっているが、
これはこれで当時のスヴェトラーノフらしい演奏といえると思う。

彼は決して爆演至上主義の指揮者というだけではなく、
作曲家として同業の作曲者の心情を汲むこともできる、
切り替えのかなりハッキリした、
それでいてけっこうシンプルな思考をもった指揮者と言えるだろう。


とにかくここではそんな彼の、
当時のベスト・ライブパフォーマンスがあり、
彼が1990年代にセッション録音として遺した、
チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービンの交響曲全集と繋がる、
ひじょうに味わい深く内容の濃いものとなっています。

それはフルトヴェングラーがウィーンフィルと1950年代にセッションで遺した、
ベートーヴェンの交響曲集と基本理念に相通じるものがあるように感じられた。

派手ではないが何度も聞き返したくなる演奏です。


(余談)

ところで最後に余談ですが、
演奏家にレッテルを貼ってから聴くという行為は、
その演奏家の本質を聴き落とす危険な聴き方だと思っている。

ただそれは聴き手自身に跳ね返るだけなので、
自分がどうこう言う筋合いはないけど、
評を自分の生業としている人が、
自分の貼ったレッテルと違う演奏、
言い換えれば自分のイメージや「こうあるべき」という思い込みを、
その演奏が違ったからといって、
それを「何々が不足している」「踏み込みが足りない」「見当違い」
などと決めつけ評としてばらまくのは、
演奏家に対してのリスペクトが甚だしく欠けているというだけでなく、
聴き手として目の前にある音楽に対し、
些か拙劣な姿勢にすぎるのではないかと自分は思っている。

Aという演奏家が明るく楽しくフォルムに心を砕いて音楽をしているのに対し、
それを聴いて頭ごなしに「深刻さが不足し形にとらわれすぎている」
などと言ったらあまりにも滑稽かつお門違いもいいとこに感じられるだろう。

ふつうは「何故Aはそうしたのだろう。」
とまずは理解しようと考えるのが順序というもの。

いきなり否定したらどこまでも平行線に終始してしまうだろう。

そういう部分の、
まず目の前にあるものを受け入れるという、
広さと大きさ、
そして思慮深さというものもある程度持つべきではないだろうか。

自分至上主義の聴き方も確かに気楽で愉快な部分はあるけど、
いわれのない傷をつけて名を売るとはいうのは、
決して読んでいて楽しいものではない。

評を生業にしている人たちは、
このあたりの事に対して真摯に向き合い一考を要してほしいです。



nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」10&11話をみて。 [アニメ(2018放送開始)]

ve00.jpg
http://violet-evergarden.jp/

第10話 「愛する人はずっと見守っている」
第11話 「もう、誰も死なせたくない」

を続けてみた。

それまでのこの作品は戦士として生きた主人公の、
「愛」
というものをさがす心の旅のような趣だった。

だがこの二つの話はそれだけではなかった。

10話では人の想いが年月を超えてそれを伝える話。
ve03.jpg

11話では戻る事の叶わぬ地へ想いを伝える話。
ve05.jpg

ともに送り手が二度と会う事の無い最愛の人へ、
その想いを年月や距離を超えて伝えていくという内容ですが、
そこには人の「命」というものと正面から向き合うという、
そういう部分が「愛」と絡めながら話の前面に出て来るというもの。

だが話はそれだけではすまないものだった。

それを仲介し伝える事になったのが、
かつてはたしかに環境的な問題等があったとはいえ、
その当時かけがえのない「命」を、
機械的といえるほどに奪いつづけた主人公だという事。

しかしその当時とは違い、
本人は少しずつ人としての感情を呼び起こされ、
心の立ち位置が大きく変わってきている。


このためこの二つの話は、
「命」を奪い続けてきた者が、
「命」の大切さを心に刻み込まれていくという、
「命」という物に対しての劫罰と贖罪の物語という、
そういう面が強くあらわれていたように感じられた。

ve01.jpg
ve02.jpg


そのためこの両話での主人公の涙は、
ただ悲しくて泣いたというだけでなく、
「命」というものに対するそれを魂に刻み込まれていく、
ひとつの痛みからくるそれのようにも感じられた。

こう感じられるのは、
おそらくさらにひとつ前の話、

第9話 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

が大きく影響している事は確かだと思う。

この話がおそらくみている人の心に深い感銘を与えるのは、
そういう部分があるからかもしれない。

自分は原作を読んでないので、
この考えは的外れなものかもしれないけど、
アニメをここまで見たそれとしては、
以上のような事が感じられた。

けっこう愛情深く、そして厳しい一面も併せ持つ名作です


しかしこういう作品、
「宇宙よりも遠い場所」もそうだけど、
もう少し早い時間帯での再放送もしてほしい。


あと深夜アニメだから質が低いとおもっている人たちにも、
ぜひこれらの作品をじっくりと見てほしいと思った次第です。




余談

そういえば第11話に須藤祐実さんがマリア役で出ていたけど、
須藤さんのTVアニメなんて何年ぶりにみただろうか。
近年はハーマイオニー役という印象が強かったのでとても新鮮だった。

ドゥーニャからもう15年かあ。
nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:アニメ

大洗海楽に行く。 [大洗とその周辺 (oarai)]

今回はいつもより少し遅めに水戸に着く。

この日は気温が上がって暖かくなるという話だったけど、
朝の6時すぎの品川駅はけっこう寒かった。

水戸駅には9時前に着いたけど、やはり思った程気温は上がっていなかった。

今回は備前掘り経由で最初は行く。
a01.jpg

ここを歩くとなんとも落ち着いた雰囲気がありとても和む。
そういう意味では沼津の蛇松緑道と似た感じかも。

a02.jpg
伊奈忠次の像。
このあたりの備前掘りは忠次の官位「備前守」に由来しているとのこと。

a03.jpg
a04.jpg
備前堀三叉水門付近にて。

このあと水浜線跡と合流。

谷田駅跡付近の先で、
水戸空襲の時が車輛が避難した場所。

以前はもっと草茫々だったけど、
季節的な事もあったかもしれないけど、
かなり綺麗に整備されていた。
a05.jpg
a06.jpg

以前よりかなり水浜線跡がしっかりと確認できた。

そこから少し歩いた水浜線跡から大洗方面を臨む。
a07.jpg

途中で梅の匂いが満喫できました。
a08.jpg

栗崎付近での境界杭。
a09.jpg

この後、水浜線跡から51号沿いを歩く。

道の宿 水戸ラドン温泉。
すでに廃墟となっているが、この朽ち果て方は心が痛む。

完全に撤去する資金が無いのだろう。
a10.jpg

大洗につく。

途中で陽が出た時はそこそこ暖かかったけど、
途中からけっこう雲が出てきたため予想よりは肌寒いものがありました。
a11.jpg

新しいボードもありました。
a16.jpg

海楽の会場ではこれもありました。
a12.jpg

大洗シーサイドステーションにて。
a13.jpg

あまり今までは人が行かなかった部分にも、
かなりいろいろと出店されていました。

こういう工夫は後々より大きなそれを生むと思います。
4月28日のグランドオープン以降がたのしみです。

歩行者天国にて。
a14.jpg
a15.jpg
今回この歩行者天国、
声優さんたちがイベントをされていた時間だったせいか、
いつもよりあまり混雑をしていませんでした。

そのためかここでじつはここである事に気づいた。

今までは人が多すぎて気づかなかったのかもしれないけど、
意外な程いわゆるガルパンの普段イベントでみかける人たちより低年齢層、
それも中学生以下と思われる人たちがとても目についた。

しかも嬉々として戦車に乗っていたり、
ボコをみつけてそっちに寄っていったりしていた。

また家族連れもけっこうみかけ、
沼津程明確なそれではないにしても、
今まであまり大洗でこういうハッキリと、
しかも戦車やガルパンキャラに対してアクションを起こしていたのを、
これほどいろいろと短時間で見た記憶が無いので、
これらのそれはかなり印象に残った。

大洗の場合はラッピング電車はあるけど、
沼津のようにタクシーやバスがバンバン走ってるわけではない。

優っているのはキャラクターボードの数くらいだろうか。

なので定点観測とかしていないこともあって、
なかなかこういう明確なアクションを、
個人的にただ見る機会が無かっただけなのかもしれないけど、
とてもこれは印象に残った。

考えてみれば大洗にガルパンが降臨して以来、
今年でもう足掛け七年目となる。

なので中学生以下の方たちにとっては、
すでに小学低学年か、
もしくはもの心がついた年ごろには、
すでにこういうボードが店先に立ち並び、
年に数回は他所から見かけない人たちが大挙してあらわれ、
コスプレや戦車が街にあふれるという事が、
半ば茶飯事となり日常となっていたと思われる。

たしかに「あんこう踊り」や「ボコ」のように、
低年齢層向けのそれもあるにはあるけど、
やはり継続は力なのかなあと思ったりした。

もちろんみかけたこの層の人たちが、
すべて地元の人だったかどうかは分からないし、
そう決めつけるのは早計かもしれないけど、
このあたりはけっこう今後どう推移していくのか、
とても気になったものでした。

もし地元にもこういう形で根付いていくと、
町としてもとてもいい事だとは思いますので。

それと商店の方たちも年々積極的にこういうイベントに、
それこそ自分たちのスタイルで参加しているようで、
年々幅広くいろいろなものが目につくようになりました。

このあたりもまたガルパンによって、
大洗本来の良さがいろいろと引き出された結果なのかもしれません。


大洗駅駅舎横。
a17.jpg

なぜこれが構内ではなく外の駅舎横にあるのだろう。

a18.jpg
駅構内にて。

到着した大洗始発水戸行三両編成の先頭車両。
a19.jpg

まるで戦車の撃ち合いに巻き込まれたようだった。
なんか上手く塗り方を演出すると、
痛々しい物ではなく愉しいものになるような気がするのですが。

その後帰路へ。
a20.jpg
スカイツリー。観るのは好きなんですが、上るのは…。


以上です。

因みに今回で水戸→大洗全行程踏破を終了し、
今後は鉄道か一部区間のみバスに変更しようかと思ってます。

nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:旅行

興国寺城跡発掘調査現地説明会に行く [沼津~三の浦]

平成29年度興国寺城跡発掘調査現地説明会に行く。

原駅から歩いて30分ほどのところにある興国寺城跡。

ここの発掘調査もすでに15年経っているらしいが、
聞いたところではあともう少し調査をすれば一応終了とのこと。

今回は北曲輪付近における障子堀の発見にからんでのそれ。

配布された資料。
a23.jpg
a21.jpg
a14.jpg
↑見開きの為一度にコピーできなかったので中央付近が一部欠損しています。ご了承ください。

そのため説明も北曲輪の堀2付近で行われた。

ここで全体の概略説明を受けた後、堀2の東端で発掘された障子堀をみるような形。

いろいろと勉強になったけど、
自分が今回勉強になったのは、

①興国寺城は早雲がゼロから作ったものではなく、それ以前にここにあったといわれる興国寺が、おそらく当時の大きな寺院によくみられた、武装化されたものだったそれを利用したものではないかという事。

②この城は何度も戦闘によって城主が変わっているが、そのたびに再度攻められた場合手の内が知られている城の要所要所を、簡単に攻め込まれないよう相手にとって未知の状態にするため改装を施していたということ。

③場所によっては堀の下から堀がみつかっているが、それもその一環らしいとのこと。

④この城がいちばん大きかったのは天正年間の頃で、その後はまた小さくなった。今みている姿は1607年に廃城になった段階でのそれであって、早雲時代の城をみるためには、かなりの深さまで全体を掘らないといけないということ。


そして中でもいちばん興味深かったのは、
この城の北曲輪を中心とした北側が武田や徳川の時代に増設されたものが多いということ。

自分はこれをみて、
攻め落とした方は城の弱点を突いて攻めてる可能性が高いため、
これらの繰り返しで、
城主が戦闘で変わるたびに弱点が補強され、
そのたびに城が大きくなっているのではないかと思った。

だが聞いたところでは、
城へ割かれる人員やそれに対する兵糧等を考えると、
ただ大きくなるというだけでなく、
弱い所をあえて捨ててるところもあるので、
一概に戦闘の度に大きくなったというわけではないとのこと。

おそらくその場合は、
さすがにそのままというわけにはいかないので、
堀がめぐらされたり、
水をはって沼沢地のようにして、
建造物などを設けない、
もしくは取り壊すということをしたのかもしれない。

とにかく城というものは生き物だなあと思った次第。

おそらくこれらの発掘をすることで、
この城がどう攻められたか、
またその攻め方はその攻撃した側の常套手段的戦術なのか、
それともこの城のみの特殊なものだったのかも、
判明していくのだろう。

とにかく奥の深い作業であり調査だと痛感させられました。

できれは高尾山古墳も早い段階で市がこういう対応をしてほしかったです。

A01.jpg
興国寺城跡前の交差点から。車が駐車しているスペースは三の丸跡。

A02.jpg
本丸跡から天守台方面を臨む。

A03.jpg
北曲輪から天守台を臨む。

A04.jpg
三日月堀付近から堀1を臨む。

A05.jpg
今回発掘された障子堀。

A06.jpg
左上の人の大きさからみてかなり深いのがお分かりになるかと。

A07.jpg
本丸跡から二の丸跡、そして原の中心部と興国寺城通りを臨む。

以上です。

今回は天守台には登りませんでした。

前回上ったらけっこう高くて、
高所恐怖症の自分にはあまり得手な場所ではありませんでしたので、今回はパス。



nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:旅行