So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

今回の夏コミ(C96)で起きたことについての雑感。 [ひとりごと]

今回の夏コミ。
正直無事に終わらなかった。

すべては三日目に起きたそれのことなのですが、
見ていて運営に同情できる部分とできない部分の両方を感じた。

この三日目。

とにかくかなりの暑さの中で行われた。

じつはコミケの数日前にこのような記事があった。

「猛暑の搬送者、前週の5倍 9月上旬まで暑さ続く見通し」
9日も列島を高気圧が覆い、全国的に猛暑となった。35・6度を記録した東京都心や京都市などで今年の最高気温を記録。全国926カ所の観測地点のうち約9割が30度以上となった。10~12日の連休中も東日本から西日本にかけて35度前後の暑さが続くという。(以下略)
https://www.asahi.com/articles/ASM894111M89UTIL00Y.html

この暑さについては連日ニュースでも触れられていた。

なのでコミケ当日も当然かなりの猛暑になることは予想できたはず。

そしてこの日も朝からとにかく暑かった。
朝の7時くらいまではまだ過ごしやすかったけど、
8時を過ぎると急に世界が変わったように感じられるくらい、
どんどん気温が高くなってきた。

そしてそのころから暑さがらみのツイートと並んで、
徹夜組の異常なまでの数と膨大に膨れ上がった待機列、
そしてその列の最後尾に対するそれが次々と流れてきた。

ただそれらをみていて、
待機列に対する準備会のそれに、
若干危ういものも感じ始めていた。

このとき公式サイトには、
「青海展示棟(企業ブース)待機列はガンダムロード(準備会スタッフ用語で公称ではございません)からテレコムセンターへ。最後尾の位置は刻々と変わりますのでご注意ください!」
というのが流れてきた。

だが南や西のそれには具体的に触れられていない。

このころと前後して、
南と西の待機列は夢の大橋では支えきれなくなり、
東駐車場を開放しそちらでも受けるようになった。

この指示そのものは間違ってはいなかったが、
ここへの移動もたいへんなことながら、
急遽開けた東の環境はけっこう厳しかったらしい。

だがここで最大の問題が起きた。

ここに待機させられた人たちが、
夢の大橋の待機列がはけた後にすぐ入場できず、
その後にきた一般の人たちが先に入りはじめ、
ここに並んだ人たちが後回しにされるという、
あってはならない事が起きてしまった。

この無駄に長時間並ばされたことによるものなのか、
熱中症で倒れる方がここでは相次いだとか。

この日の最高気温は36度を超えていたが、
下がコンクリートのこの場所では、
おそらく四十度をはるかに超える過酷な状況だっただろう。

これにはもはやかける言葉もない。


コミケは確かにあまりにも巨大すぎ、
準備会スタッフが足りないと思われることが、
ここ数年自分は何度かみかけている。

特に問題だったのは、
東館への入場口が変更になった時のこと。

このとき東館の6ホール付近にある入り口から最初は入場できていたのが、
それが急遽ここを閉鎖しエトランスホール側へと変更になった時のこと。

これそのものは至極正しい判断だが、
それに対するフォローや発信が何もなく、
多くの一般参加者が東京ビッグサイト前の交差点から、
東館6ホール付近までの外の歩道を、
延々と歩かされることになってしまった。

本来なら先の交差点に一人のスタッフが立ち、
入口変更のそれをやってくる参加者に言えばいいものだが、
何故かとにかくそれはなされなかった。

これは次のコミケでも改善されず、
近くの警備の人に聞いたところ、
どうもスタッフが足りなくてしかたないとのことだった。


自分はこのときようやくスタッフ不足を認識したし、
また導線の細かい変更、
というか事前にそうなるであろうことが予測されるそれに対し、
まるで手がうてない現状に一抹の不安を覚えてしまった。

そして今回、
その不安がより大規模かつ深刻な状況で再発してしまった。

さらにさきの東待機列までの誘導に、
夢の大橋から一時間かかったというのも驚いた。

ここは三十分もあれば移動できるはずなのだが、
それがその倍もかかるということは、
それだけ現場が混乱し、
またその混乱を収束させられるだけのスタッフがいないことも、
容易にこのことから想像できた。

この間ツイートでもこのあたりの発信もなく、
現場と本部が乖離しはじめていたのも問題だった。

というより、もはやいっぱいいっぱいだったのだろう。

そしてこのことが先に述べた東側入場遅延の、
ある種の導火線となっていたのかもしれない。


だがこの悲劇は防ごうと思えば防げたはず。

というのも東側を開ける指示を出した責任者がいなければ、
当然東の駐車場が開けられるわけがない。

自分はじつは1986年からコミケに一般で参加しているが、
ときおり企業側、サークル側、そしてスタッフ側からも参加している。

そのスタッフで参加したとき、
それ以前に入場順で大きなトラブルを起こしたことから、
とにかくこの件にはかなり気を使っており、
自分もこのあたりを徹底的に指示された記憶がある。

そのためこの時は何ごともなくうまく進んだが、
もっともそのときはスタッフの数も多く、
一般参加数も今より少なかったこともあった。

だがこのときの意識の高さが、
今回スタッフ全体にあったらはたしてこんなことが起きたただろうか。

あとこれは自分がかつて会社で新人の時言われたことだが

「指示を出したら、それが有効な間はその指示に責任をもて。それができないようなら指示を出す資格はない。というより出すな」

と厳しくしつけられたことがあったし、
それは今でも常識であり当然だと自覚している。

指示は人を動かすことを意味している、
つまり自分以外の人の動きを自分がコントロールすることになる。

それがどれほどの責任をもつかは、
そのときそのときでいろいろと変わるだろうけど、
規模の大小を問わず責任は指示を出したものが負わねばならない。

もし今回東を開ける指示を出した責任者がこのことを自覚し、
さらにその後の段取りを自分だけでなく、
他の人にもちゃんと伝え理解させていたなら、
すくなくとも今回のようなことは起きなかっただろう。

また起きたとしても一時的なものですみすぐ対応できたはず。

起きたことはもう取り返しはつかないので、
今回の責任者は次回から今回の反省を踏まえ、
二度とこういうことのないよう、
指示を出す事への責任の所在を含め自覚し行動してほしい。


ところで今回熱中症で倒れた人を自己責任というけど、
すべてをそう言い切るのは無理がある。

確かに事前からこの暑さは想定できていたので、

「首筋まで隠れるようなつば付きの帽子の着用」
「風と押しのいい服装」
「保冷剤の携帯」
「水分と塩分のこまめな補給」
「寝不足などしていない状況での参加」

は当然のことながら心がけていたと思う。

これらを甘く見て蔑ろにしていたら、
確かに自己責任を問われてもしかたないし、
一度列から抜けるか並ぶことを断念するという、
そういう決断をしなかったことも責められるだろう。


だがそれらをちゃんとやっていて、
尚且つ準備会の不手際による意味のない長時間の待機が、
予想以上に生じたことが原因だとしたら、
それは自己責任ではなく人災に近いものがある。

このあたりはちゃんと精査しないとダメだと思う。


次回は12月の冬コミだけど、
熱中症は無いが低体温症がこちらはある。

また寒さということもありトイレもまたかなり必要となる。

ただ今回夏コミで起きたことへの反省が出来ていれば、
次回は今回みたいなことは起きないだろう。


あと徹夜組。じつに六千以上。

三日目の参加者の約3%がそれだったとか。

ただ六千人以上というと渋谷のNHKホールどころか、
パシフィコ横浜ですら入りきれない人数となる。

これはもはや常軌を逸しているし、
災害級の規模といっていいのかもしれない。

ただいろいろ考えてみると、
やはり徹夜組はいなくならない。

夜間戒厳令でも出ていればとにかく、
追い払っても分散するだけで、
各施設や一般の住民の方にも大迷惑。

それこそ警察沙汰になりコミケ当日中止になってもおかしくない。

個人的には始発組が常にこのためバカを見るようなことのない、
そういうシステム程度なら浮かんでくる。

しかもそれによって徹夜組が減るか増えるかは未知数で、
なんともいえないし、逆効果になる可能性もある。

また徹夜組を一掃できる可能性大のやり方もあるが、
そのためには始発組をはじめとして、
かなりの負担を強いることになるしスタッフもたいへんになるので、
それは甚だしく現実的ではない。


なのでこのあたり、
そろそろ一般公募で対応案を募集する時期なのかも。

みんなでつくるコミケなら、
これが一応筋のような気がするが、
それすら今迄しなかったというのには、
徹夜組を無くせない何か理由があるのかもしれない。

一部には耳を疑う話もあったけど、
自分はそれを確認していないので何とも言えない。

ただもしそれがスタッフの不足からくるものだったら、
これはかなり深刻な問題かと。

このあたりいったい本当はどうなっているのだろう。


巨大になりすぎたコミケ組織だけに、
なかなか小回りもきかないだろうし、
スタッフも不足気味というけどいささか暗澹たるものがあるけど、
ここは何とか乗り切ってほしい。

ただダメなら一度休んでみるというのも手かもしれないし、
夏コミの開始時間を、1~2時間前倒しするというのも、
可能ならありかもしれない。


参加に危険を伴うイベントなど、
いつかは足元をすくわれかねないものがある。

とにかく大勢で知恵を出し合い、
今回のような事態を二度と起こさないにしてほしい。



00.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「天気の子」は「令和の日本むかし話」 [劇場公開アニメ]

320.jpg
https://tenkinoko.com/

公開され二週間経ちようやく観に行きました。

じつは新海監督の前作「君の名は。」が、
正直自分が若い時にみていれば違ったかもという感じで、
かならずしも作品と自分の相性が良くなかった。

なので今回ちょっと観に行くのを躊躇していました。

で、ネタバレを含むみた感想ですが、

「令和の日本むかし話」

というのが正直なそれ。

なので「君の名は。」よりも自分にはしっくりしましたし、
相性の悪さも感じられませんでしたし、
若い時にみていればという気にもなりませんでした。


新海監督はこの作品を、
セオリーから外れた作品みたいなことを言われているようですが、
確かにふつうのよくあるストーリーからみれば、
ちよっと異形なアンハッピーエンドとも感じられるし、
個人を助けることで多くの人たちに不幸に繋がりかねない代償を払わせるという、
主人公たち以外の人からみれば、
迷惑このうえない決断のツケを払わされた、
そんな異形な作品という見方もできる。

だがこれを昔話のセオリーに置き換えると、
かならずしもそうとはかぎらない。

日本のむかし話には、
「鶴の恩返し」「かぐや姫」「浦島太郎」みたいに、
最後悲しいとも残酷ともいえる終わり方をしているものがある。

だけどよくよくこれらを読み返してみると、
それらは「本来のあるべき姿に戻った」、
もしくは「それらが起きる前の状況にかえった」
というようにもみてとれる。

これは「天気の子」本編でも
冨美や神主も同様の発言をしており、
これらとの共通性もそこからうかがうことができる。

また「天気の子」は、
一見不可解なこの狂った状況の具体的説明等もいっさいなく、
自然のあるがままの姿とその修復のひとつという部分と、
神社への信仰(かな?)がそれらを解くカギになってる程度で、
そういう部分の曖昧さ大らかさ、
そして素朴な自然信仰的な部分も、
これまたむかし話の要素と酷似している。


話もいたってシンプルだけど、
そのシンプルなモチーフがいくつも重なっているので、
ちょっと入り組んでいるようにも見えるが、
どの登場人物の行動原理も単純明快なものが多いせいか、
このあたりもかなり見通しがよく、
それもむかし話を想起させられてしまう。

さらにこの話にはいろいろと教訓めいた要素もあり、
これもまたそこの部分が重なってくるものがある。


とにかく途中からそれらのせいで、

「これはまぎれもなく日本人がつくった作品」

という感覚もとにかくすごく強く感じられた。


あとこの作品のタイトル。

これは「晴れ女」でも「雨女」でもない、
「天気の子」となっている部分もラストまでみているとよく分かる。

確かに雨が続くと晴れを欲し多くの人がそれを望んだが、
雨が何年も徹底的に降り続くと、
それはそれでけっきょくみんなそんな東京で、
またそれに応じた日常を過ごしている。

そしてそれらの要因の多くを帆高も陽菜も担っている。

二人で「雨」「晴れ」あわせた「天気の子」ということなのだろう。


だがこの二人にはそのことへの後悔や、
雨が降り続いていることへの悔恨の念が、
確かにラストで陽菜がもはや力が無いにもかかわらず、
天に向かって祈っているシーンがあるものの、
ことさら深刻には描かれていない。


自分はここの大らかさというか、

「そしてみんなは楽しく暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

といういろいろ細かいことはすべてどっかにおいといて、
天気が晴れであろうが雨であろうが、
すべてうまく収まりました的な、
帆高や陽菜の笑顔で締めくくられた大団円も、
もちろん設定その他は現代に置き換えられているけど、
ここにもまたむかし話的大らかさというものを感じさせられました。

なので個人的にはとても懐かしい、
そして親子でみても楽しめる作品という気がしました。


あと余談ですがこちらを先にみて、
それから「君の名は。」をみると、
案外そっちも違ってみえてくるようにも感じられました。


絵も綺麗でしたし声優陣もうまくハマってましたし、
見終わった後も心地よい清涼感が残るのも相変わらず。

ただラスト付近で主要登場人物のほとんどが、
結果一斉に警察のご厄介になったのにはビックリ。

現代もしくは近未来を扱った劇場アニメでこういうのってあまり無いのでは?


といったところです。

まだ一度しか観ていないのであれですが以上です。



nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:アニメ

「薄暮」とその使われた音楽への雑感。 [劇場公開アニメ]

山本寛監督が、
原作、脚本、音響監督も手掛けた新作「薄暮」を観に行く。

薄暮.jpg
https://www.hakubo-movie.jp/index.html

公開からこれだけ観るのが遅くなったのは、
「どうせ横浜でも公開するだろう」
と油断していたため。

「ジャック&ベティ」あたりでやると思っていたのですが…。

作品はとてもシンプルで、
今の福島のある日常を描いたもので、
確かにそこには311が現在進行形として存在しているものの、
作品そのものは「学園もの」「青春もの」を、
ほとんどど真ん中になんの外連味もなく投げ込んだようなかんじ。

ただその作品の立ち位置からか、
ちょっと「この世界の片隅に」と重なる部分も感じられました。

シンプルでこれといったドラマはないものの、
見終わった後にとても前向きというか、
ひとつ先へと歩き出していける力をもらえたような、
そんな余韻をもった作品。

大作や超話題作というわけではないかもしれませんが、
ひじょうに心に残る美しい、
そして根底に強い力強さを感じさせる作品でした。

そしてラスト。

薄暮の時間が終わったことで、
満天の、
それこそ天から音符が降ってくるような星空があらわれたとき、
正直何とも言えない強い感動と感銘を自分は覚えました。


もっと早く観に行けばよかったと後悔しきり。


あとはこの作品をみて極私的に自分が好き勝手に感じたことを。

この作品でも山本監督のこだわりのある音楽が随所にしきつめられている。

主人公の友達と先輩によって奏でられるのが、
あのベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番。

連続した七楽章からなる、
ベートーヴェンの快心作といわれているだけでなく、
弦楽四重奏曲史上最高の傑作のひとつとまで絶賛されている、
ある意味究極の作品といわれているものだ。

正直これが出て来た時、
確かにシューベルトやシューマンからは絶賛されたけど、
そのあまりにも強烈な作風からか、
初演当時は相当否定的な意見も出たというこの難曲を、
今は一般高校生が学祭の発表でできるようになったのかと驚いてしまった。

日常的な作品で唯一非日常的なのがこのシーンといったら怒られるだろうか。

この映画に描かれている美しい自然の中、
何の変哲もない穏やかなストーリーの中、
この強烈な曲はかなり異彩を放っており、
それがこの作品の中で強いアクセントをつけているだけでなく、
人間のもつ生命力というものを描いているかのようで、
それはあたかも災害から立ち直り歩き出そうとしている人たちの姿、
もしくはその姿へのエールを作者がおくっているようにも感じられた。

そういえばこの曲が書かれた当時、
ヨーロッパはナポレオン戦争から十年程経ち、
戦禍から立ち直りゆく時代だった。

この映画の舞台も311からおそらく八年程後と考えると、
何かここに不思議な偶然みたいなものを感じてしまう。


それは作品全体が水彩画のような雰囲気で自然が描かれているのに、
祐介のスケッチブックの絵はなかなか色彩が強烈という、
対比ともまた重なって見えてくる。

この作品の素晴らしさはシンプルさの中に、
幾重にもそのようなシンプルな対比が織り込まれていることもあると思う。


水彩画で思い出したが、
佐智が口ずさんでいる曲は、
水彩画のような曲想が印象的な、
ディーリアスの「春初めてのカッコウの声を聴いて」の、
ヴァイオリンが奏でるメロディの一部。

じつはこの曲はディーリアスと親交をもち、
自身に強く影響を与えたグリーグが、
ディーリアスと親交を結んだ後の時期に作曲したピアノ曲、
「伝承によるノルウェー民謡」の第14曲、
「オーラの谷で、オーラの湖で」というものに使われている民謡からきている。

この民謡の歌詞はかなり悲劇的なもので、
子供が突然いなくなりそれをみつけるため教会の鐘を母が鳴らすが、
子供はついに帰ってこなかったというもの。

グリーグはそれをピアノに編曲するとき、
随所にその鐘の音を織り込んだという。

自分はその原曲民謡を聴いてないので分からないが、
あるサイトではそのグリーグの折り込んだ鐘の音の部分を、
ディーリアスは郭公の鳴き声に置き換えたのではと推察されていた。

もし山本監督がそこまで考え、
この曲のメロディを佐智に口ずさませていたとしたら、
この作品のもつ背後にある311というものが、
また違った形で作中に影をおとしているようにも感じられた。

このあたりはいったいどうなのだろう。


しかしディーリアスは本当に一般的になった。

昭和の頃、ディーリアスというか、
イギリス音楽はまだ一般的でなく、
知られているのは「惑星」「威風堂々」「グリンスリーヴス」、
そして「青少年のための管弦楽入門」くらいだったと思う。

それが1980年代前半にLPで、
「音の詩人ディーリアス1800」というシリーズが発売され、
そのあたりからじわじわと認知度が高まっていった。

あれからもう三十年以上が経ち、
今では高校生が口ずさむようになったかと、
佐智の口ずさむディーリアスを聴き、
イギリス音楽好きの自分にとっては感無量。


そして最後エンディングが流れ終了となるのですが、
何故か自分の頭の中には、
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第五楽章が鳴り響いていた。

あの曲もじつはベートーヴェンにとってたいへんな時期に作られた曲で、
そのためあの第五楽章には、
ベートーヴェンのある種の渾身の思いの丈のようなものが、
張り裂けんばかりに詰まっているのですが、
それがとにかく何故か延々と、
それこそ劇場を出てもそれが鳴り響いていた。

確かに映画では自然が美しく描かれていたし、
ラストにみえた星空の高く澄んだ星空も心の底まで照らされるようで、
ほんとうに素晴らしいシーンがいくつもいくつもあったものの、
この作品の根底のテーマは、
ベートーヴェンの「田園」の第五楽章のような「人間賛歌」であり、
そして「不滅」というものではないのかと、
勝手にそう最後は強く感じさせられた。

これはもちろん自分勝手な思い込みもあるし、
自分語りのレベルの話だけど、
シンブルすぎる話なだけに、
観る人観る人によってこんな感じでいろいろな感想をもち、
そして考えさせられ感じさせられるのもありかなと、
そんなことも思った次第です。



というところで以上です。


素晴らしい作品をありがとうございました。



追伸

薄暮(はくぼ)は、日没後の黄昏を指す。一般的には、日没後の太陽が地平線より6度程度下にある時間帯である。屋外で物体の区別はできるが、屋外で活動するには光の量が十分ではない。
(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%84%E6%9A%AE

薄暮って、とても微妙で儚い時間帯。

それだけにかけがえのない時間帯。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

京都の事件に今思うこと。 [ひとりごと]

京都の事件から一週間経ちました。

あっという間という気がする。

この間自分はいろんなことを考えていたけど、
最近この事件に対してある考えが浮かんできた。


そのきっかけは犯人が、

「小説を盗んだから放火した」

と、そう言い放った一言。

正直言いがかりも甚だしいし、
なんの明確な根拠もないたんなる思い込みで、
こいつはこんな理由で多くの人を死に追いやったのかと、
愕然としたしあらためて怒りも湧き上がってきた。

だが次の瞬間あることが脳裏をよぎった。

「誰々が書いているから」とか、
「ネットいろんな人が書いているから」みたいな、
そういうしっかりとした根拠や出典元が示されていない、
単なる噂話のレベルにのみ基づいて、
勝手に自分に心地よいドラマをつくりあげ、
それに沿った流れに身をまかせて、
勢いとノリと思い込みで他人の書き込みを炎上させる、
そんなよくSNSでみかける一部の人たちと、
この犯人いったいどこが違うのかということだった。

確かに今回の無差別大量殺人犯と、
SNSのそういう人たちを同列に論じるのは言い過ぎかもしれないけど、
だがSNSのそれも場合によってはそれで心が深く傷つき、
不登校になったり命を絶とうとした人もいる。
(実際絶った人もある)
それを思うとこの二つは本質的に同じではないかという気がして仕方がない。

そう考えると、
そんな炎上や攻撃を繰り返す人たちにとって心地よいSNSと、
それに栄養を与え続けているその土壌というものに、
自分も心地よく身を任せながら、
見て見ぬふりをしてそれを知らず知らずのうちに、
無意識に助長し養分を与えていたのではないかと、
そんな気持ちになってしまった。

そしてその考えに辿り着いたとき、
あの犯人もそんなSNSでの炎上や攻撃をし続ける人のように、
明確な根拠も精査せずに勝手な思い込みとドラマによって、
他人を炎上さるかのようにあの凶行に走ったことを思うと、
あの犯人を育んだ土壌も、
炎上や攻撃を繰り返す人たちを育むSNSの土壌も、
じつはまったく同一のものであり、
その土壌を日常として無神経に受け入れ、
そのSNSに栄養を与え育んでいた土壌に養分を与えていた自分も、
じつはあの事件とまったく無関係ではないのではないのかと。

そう思ったら、
この事件と自分の間になんともいえないものを感じてしまい、
最近は自分に対する嫌悪感のようなものすら感じるようになってしまいました。

今回の事件に対する募金等をすることはもちろん大切なことだけど、
荒れた書き込みや推測憶測やノリと流れだけで、
正義という名で人を攻撃するという風潮に対しても、
今一度考えてみることも大切なことなのではないかと、
自分は今そう感じ考えています。

ただじゃあそれはどうしたらいいかは未だわかりません。

でも今回の被害にあわれた人たちのためにも、
せめてこのことをこれからも強く意識していきたいと、
今はそう考えています。


〆です。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「あにげっちゅ 夏だ!ブラスだ!アニソンだ!」公開収録に行く。 [アニメと音楽]

生まれてはじめてラジオ番組の公開収録に行く。

じつはこの収録、
応募形式だったのですが、
当たりハガキが来ているのを知らず、
当日午前中にそれに気づくというドタバタ。

倍率五倍だったというので、
あやうく外れた方に不義理な事をするところでした。

ただ会場はやや後ろに座席が余裕が出ており、
こういう場合の歩留まりの難しさをあらためて感じました。

因みに番組名はこれ。
DVC00007.JPG
https://www4.nhk.or.jp/anigechu/

当初はMCが徳井青空さんで、
ゲストが足立梨花さんと東京ブラススタイルのみなさんだったはずなのですが、

DVC00001.JPG
DVC00004.JPG

最初からすでにこんな感じではじまったせいか、
徳井さんと足立さんがMC担当で、
東京ブラススタイル(以下「ブラスタ」と略)がゲストでメインみたいな、
なんかそんな感じのつくりと雰囲気になってました。

しかしお二人のコスはなかなか再現度の高いものでした。
DVC00002.JPG
DVC00003.JPG

最初は徳井さんのお二人のいろいろなお話の後、
ブラスタのみなさんをお呼びしてのミニライブとなりました。

DVC00005.JPG

ただこれがミニと呼ぶにはかなり本格的で、
ちょっとした夏のジャズフェスの1ステージ級のものがあり、
途中お二人のMCやブラスタメンバーの紹介、
そして徳井さんのSAXを絡めて、
だいたい一時間程あったような気がします。

演奏されたのは徳井さんと足立さんのリクエストも含めて、
確か5曲ほどだったような。

ただ聴いていて実際はその曲数以上の聴き応えで、
音といい舞台上のパフォーマンスといい、
かなり華やかで見せ場の多い舞台となりました。

ところでこの日舞台上のブラスタですが、
舞台後方にリズムセクションが、
左からキーボード、ドラムス、ベースと並んでいて、
ドラムの右足を軸に片方はキーボードの左手、
そしてもう片方にベースという、
低音がひとつのラインで後ろを支えるというもの。

そして前面にはホーンセクションが左側から、
テナーSAX、アルト&ソプラノSAX、TP×3、TB×2、
という具合にスタンディングで並んでいて、
正面にトランペットが三人、
その両サイドを二人のサックスと二人のトロンボーンが挟む形になっています。

つまり全体をみると、
センターのペット三人を両サイドと後方から包み込み、
ペットの輝かしい音が、
分厚い響きの中から飛び出して聴こえるような感じになっていました。

ただ舞台上でホーン七人はかなり動きが活発で、
目まぐるしく立ち位置が変わるため、
常時この配置の演奏というわけではありません。

このあたりの資格的な面白さはラジオでは伝わらないのが残念。

しかしペット三本というのはかなり華やか。

そういえば「三」という数は、
キリスト教の「三位一体」という言葉もあってか、
ひじょうに神聖な数と考えられていたらしく、
バッハの大作「ロ短調ミサ」も、
トランペットが三本使われていたことを何故か急に思い出してしまいました。

ところでブラスタのサウンドですが、
しっかりとしたアレンジの中で書くソロが割り当てられているといった、
そういうスタイルにこの日は見てて感じられ、
それを思うとサウンドとしてはジャズのビッグバンド、
それもベイシーのようなカンザスシティスタイルではなく、
グッドマンやミラー、
もしくはハーマンケントンといった、
白人系スイング、もしくはウエストコースト系のような、
そういう流れをサウンド的には組んでいるような感じがしました。

ペットやサックスのパドルみたいのもの織り込まれてましたし、
リズムセクションの各自のソロもちゃんとあったりと、
舞台上の動きはかつてのそれらとはもちろん違うものの、
曲はすべてアニメでもサウンド的にはとても懐かしいという気がしました。

ここでちよっと感じた事に、
かつてのグッドマン、ミラー、ハーマンケントン全盛の時は、
演奏時には各々当時リアルタイムの曲が多く、
それがまた勢いと輝かしさを、
後年よりも強く感じさせていたのですが、
今回のブラスタが同様になかなか強烈だったのは、
この日演奏された曲のほとんどが、
作曲年代は多少バラつきがあるものの、
未だにオールディーズではなく、
リアルタイムの名曲としての鮮度を持っていたことが、
それらに拍車をかけていたのでは?という気がしました。


などとそんなことを考えているうちにあっという間に御開きとなってしまいましたが、
収録はだいたい75分程。

あとはここでもUPしている写真を、
NHKらしいなかなかのやり方でいただいたりとで、
最終的には全体で100分程のそれとなりました。


しかしこの日の番組。

繰り返し言いますけど、
本来のレギュラーは徳井さんのみなのですが、
なんかどう見ても徳井さん&足立さんがレギュラーにみえてしかたなかったです。

この日だけのコンビではちともったいないかと。

終了後外に出るとやや涼しい雰囲気となってました。
A01.jpg


因みにこの模様は7月29日(月)と翌週に、
同番組生放送時に紹介されるとのことです。

とにかくとても貴重な体験、
そして素晴らしいライブを堪能させていただきました。

以上で〆

DVC00006.JPG
nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:アニメ

京都の事件とこれから。 [ひとりごと]

京都アニメーション第一スタジオで起きた、
この単独犯による無差別大量殺人事件によって
相模原障害者施設殺傷事件や秋葉原通り魔事件 、
そしてあの津山事件をも超える人命が天に召された。


自分はこれをちょうど家を出る準備をしている時に知り、
最悪の状況にはならないでほしいと願い外出したが、
その願いはかなわなかった。

34人という掛け替えのない尊い人命が失われた事実に、
正直翌朝もそのショックは尾をひいていた。


この日の横浜は久しぶりに青空がのぞいたり、
大桟橋にはダイヤモンドプリンセスが来航していたけど、
それらをみてもいつものように心おどることもなかった。

a01.jpg
a02.jpg

このときちょうど前を通りかかった横浜海岸教会が
礼拝堂の一般公開をしていた。

a03.jpg

自分はめったに教会などに足を向けないのだけど、
このときは何故か吸いこまれるように教会を訪ねた。

時間的に昼休み礼拝には参加できなかったけど、
中をしばらく見学させてもらう。

自分は礼拝堂の三階にも上がり、
そこにあった椅子に座ると、
手をあわせしばらく昨日亡くなられた方々に黙祷を捧げた。

a04.jpg

そのせいかようやく気持ちが少し凪いできた。
ここがこの日公開されていて自分は本当にありがたかった。


おかげて気持ちが大分落ち着きあらためてこの事件について語る前に、
今は負傷された方の早期回復を祈り、
亡くなられた方には深く哀悼の意を深く表したいと思う。


ただそういう言葉だけではとてもあらわしきれない思いの丈が、
やはり今の自分にはある。

確かに人材的にみて日本だけでなく世界的な損失という部分はあるものの、
それ以上にまだまだ希望にみちた人生を、
これからも末永く歩もうとしていた若い人たちが、
こんな理不尽な形でそれを断たれたということに、
もうどうしようもなくたまらないものがある。

犯人には確かに何か理由があったのかもしれないが、
人の命を奪ってまでいい理由などこの世のどこにも無い。

あるはずがない。

犯人にはぜひその口から動機を語ってもらい、
その後然るべき厳粛な裁きを受けてもらいたい。


灯油とガソリンの区別もつかない、
頭の悪い犯人のことはあとは司法に委ねるとしてて、
問題は残された人と会社のこれから。

重傷者はもちろんだけど、
他の方も精神的にそう簡単に立ち直れるとは思えない。

また資料やデータも一切合切消失したということも、
本当に痛恨の極みだけど、
あの第一スタジオそのものも解体し、
再建をかんがえなければいけない。

またいろいろな機材設備も一から揃え直さなければならない。

そして重傷の方を中心とした治療費や、
亡くなられた方の遺族への支援も考えると、
一億二億ですむ話とはとても思えない。

「アニメを日本の文化」と政府が位置付けるなら、
なにか特別な援助を資金面、資材面、技術面等々で援助するとか、
京都市や電気ガス水道の各社は、
税金を一定期間免除をするとかしてほしい。

また事故にあわれた方への精神的ケアも行ってほしい。

そして放送局には、
京アニの作品を再放送することで、
そこからの放送料を支払う機会を増やす。

作家さんには京アニで手掛けた作品に関する何かを一同にもちより、
それらをオークションにかけ落札額を全額寄付する。

そして声優さんたちは何かできる事を考えていらっしゃるのなら、
一同に会してNHKホール等を使ってのチャリティをするという手もある。
(NHKもできればホール使用料は無償にしてほしい)

場合によってはラジオ+テレビ+ネット同時で、
24時間チャリティをするというのもありかもしれない。

もし問題があるとしたら、
誰がどうそれらをひとつの力にまとめることができるかという部分だけかと。


あとそれ以外にもコミケや土師祭でも募金等をできればしてほしい。

他の京アニと関係があるようなイベントもこれに続いてほしい。


このようにやること手段は山ほどあるけど、
問題はそれでも果たして金銭的な面をカバーできるかは疑問。

とにかく多くの方たちでできるかぎり知恵を出し合い協力しあい、
京都アニメーションを助けてあげてほしい。

それが今まで勇気や希望を与えてくれた、
この会社へのせめてもの恩返しになるのではないだろうか。


あと失われた人材。

確かにこれはもう取り返しがつかない。

ただかつて全日本プロレスも、
1990年に多くの主力中堅若手がごっそり抜け、
将来を危ぶまれた事があったが、
その後残された選手の頑張り、
若手の成長と外国人選手の活躍で、
武道館も毎回満員、
そして東京ドームでも興行をうてるほどに復活した例がある。

楽観などはできないが、
残された人々、
これから京アニに就職しようという人、
そしてその人たちを支えるファンがいる限り、
その道は険しいかもしれないが、
決して希望が先に見えない道にはならないと思うし、
結果これからをまた日本のアニメ界をリードする会社のひとつとして、
間違いなく復活するであろとう自分は確信している。


長期線になるかもしれませんが
今はその道を開く糧となれる事があれば、
自分もできるかぎり協力したいと思っています。


そしてそのひとつの道標が
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版公開。

いつになるかは不明ですが、
それが実現したらそれが京アニ復活の狼煙になると思います。

ただこの作品や「Free!」劇場版はクラウドファンディングにすべきかも。


以上で〆

01.jpg
nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

ヴェルディの大失敗オペラの名盤。 [クラシック百銘盤]

作曲家には失敗はつきもので、
それで潰れたり埋もれてしまう人もいる。

大作曲家と言われる人も例外ではない。

初演で失敗を経験した人はかなりいる。

ブルックナーは交響曲第3番で、
ラフマニノフは交響曲第1番で、
チャイコフスキーは「白鳥の湖」で、
プッチーニは「蝶々夫人」で、
ビゼーは「カルメン」で
といった具合に。


ただとにかく上記した曲は、
皆それぞれのジャンルで今でも演奏されているし、
一部は人気レパートリーとなっている。

ただ中にはそうはいかなかった作品もある。

それがヴェルディが二十代後半に書いた、

「一日だけの王様 (偽のスタニスラオ)」

という、なんとも邦題だけでもピンと来ない名前の作品。

イタリアの大作曲家ヴェルディは、
「椿姫」の初演で失敗したというが、
どうも事実はそうではなかったらしく、
実際はかなり好評だったとか。

だがこの作品は正真正銘初演はダメだったらしい。

自分がこの作品を知ったのは、
同じヴェルディの「ファルスタッフ」を知った時。

自分は決してオペラが好きな方ではないが、
それでも少しは聴くし、
かつてはかなりいろいろと聴いていた。

ただその入り方は「カルメン」や「椿姫」のような、
比較的一般な入り方ではなく、
まず「こうもり」そして「ファルスタッフ」から入るというもの。

これは自分が悲劇は嫌いなのと、
あまり長い作品と相性が良くない事が理由としてあるのですが、
その「ファルスタッフ」の時にこの「一日だけの」という名前を知った。

その時「ファルスタッフ」が本人にとって、
じつに半世紀ぶりの喜劇であり、
その半世紀前の喜劇が大失敗だったことが、
本人を喜劇から遠ざけたということが解説に書いてあった。

なので自分も当時はその程度の作品という認識で終わってしまった。

だがそれから年月が経ち、
近年失敗作と初演時に言われてものでも、
後々聴き継がれている曲に数多く出会った事で、、
ちょっとこの曲が気になりだした。

そしてある時見かけたのが、
アルフレード・シモネット指揮、
ミラノ・イタリア放送交響楽団によるCD。

51iPUth8IbL.jpg

レナート・カペッキ - (バリトン)
[カヴァリエーレ・ベルフィオーレ/騎士、偽のスタニスラオ国王]

セスト・ブルスカンティーニ - (バリトン)
[ケルバール男爵]

リーナ・パリューギ - (ソプラノ)
[ポッジョ伯爵夫人]

ラウラ・コッツィ - (メゾ・ソプラノ)
[ジュリエッタ]

フアン・オンシーナ - (テノール)
[エドアルド]

クリスティアーノ・ダラマンガス - (バス)
[ロッカ]

マリオ・カーリン - (テノール)
[イヴレア伯爵]

オッタヴィオ・プレニツィオ - (バス)
[デルモンテ]

ミラノ・イタリア放送合唱団
ロベルト・ベナーリオ - (合唱指揮)
ミラノ・イタリア放送交響楽団
アルフレード・シモネット - (指揮)

録音が1951年という事で古かったけど、
歌手にブルスカンティーニがいるという事と、
かなりのお徳用価格だったのでついつい購入した。


だが帰宅後、
あらためて中のライナーの録音年月日をみて驚いた。

1951年1月25日。

ヴェルディ没後50年の日を二日後に迎える日だった。

この50回目のヴェルディのご命日は、
当時のイタリア三大指揮者も各地で指揮台に立っていた。

トスカニーニはカーネギーホールで、
シエピやステファーノといった歌手を迎えての、
ヴェルディのレクイエムを。

デ・サバータはミラノのスカラ座で、
テバルティ、プランデッリ、ロッシ・レメーニを迎えて、
同じレクイエムを。

セラフィンはナポリのサンカルロ劇場で、
カラスとラウリ=ヴォルピを迎えて、
イル・トロヴァトーレの公演を。

それぞれ指揮するといった具合だった。

そんな特別な日の二日前にこの「一日だけの」は収録された。

(※因みにこの時管弦楽を担当したミラノ・イタリア放送響は前年発足したばかりで、当時は初代指揮者のジュリーニが首席を勤めていた)


後で知ったけど、これはラジオ放送の為の収録だったらしい。
おそらくこの特別な日の当日、もしくは前後に放送されたのだろう。

音質は意外な程よく、
オケや合唱はやや奥にいる雰囲気だけど、
歌はその分前面に出ていて素晴らしく明瞭に録られている。

その歌手は
ブルスカンティーニ、カペッキ、パリューギといった、
イタリアオペラに詳しい方なら、
かなり気になるであろう面子が揃っている。

尚バリューギはこの録音の数年前に、
四十歳で舞台を引退していたということで、
この時期はこういう放送録音での活動が主だったとか。

確かにそのせいかちょっと音程で?という所もあるけど、
その声がとてつもなく可愛いらしく、
ほとんどアニメ設定の伯爵夫人ではないかというくらい。

あとブルスカンティーニとカペッキは安定していて、
特にブルスカンティーニはなかなか強烈な男爵を演じている。

若き日のオンシーナも、
ロッシーニ等のオペラで定評があったということで、
ここでの役もピタリとはまっている。

コッツィは詳しい事はまるで分からないけど、
こちらも自分にはしっかりと演じているように感じられた。

ただこの人とパリューギは、
放送録音のように舞台と無関係の場合は、
逆にやった方が聴く分にはしっくりいってたような気がする。

後にカラヤンやスカラ座の録音でも有名になった名合唱指揮者、
ベナーリオの指揮による合唱も録音のハンディはあるが、
かなり精彩に富んだものに聴こえる。

そして指揮のシモネットもなかなか勢いと歯切れのある演奏で、
この作品を聴き応えのあるものに仕上げている。


この作品はヴェルディ二十代後半の作品だが、
当時作曲者はかなり辛く厳しい経験をしており、
仕事とはいえよく作曲を、
しかも喜劇を書けたものだと正直驚いてしまう。

それでしかも失敗したのだからその傷心は半端ではなかったろうし、
当時ロッシーニやドニゼッティの亜流みたいな、
そんな言われ方までしたらしいのたから尚更だっただろう。

ただ実際この失敗は曲よりも演奏が甚だしくダメだったという、
よくありがちな理由だったという。

また脚本がよくなかったからという説もあるけど、
正直この種の作品としてそこまで酷いという印象は無い。

ただ当時イタリア最高の脚本家といわれた、
フェリーチェ・ロマーニが脚本を担当していことで、
例えその台本に不満があったとしても、
若きヴェルディにはそれを声を大にしては言い辛かったかもしれない。

ただもし初演時にこのシモネット盤で聴かれたような、
聴いていて思わずわくわくするような躍動感みなぎるものだったら、
はたして悲惨な失敗を作曲者が経験し、
この作品もまた失敗作の烙印を押されただろうかという気がする。


ヴェルディは二年後に「ナブッコ」で大成功を収め、
再度大作曲家への道を歩み出したが、
この「一日だけの」は、
一説にはその後の再演では好評だったらしいものの、
今でもあまり顧みられる事はない状況が続いている。

しかしこの曲は面白い。

ヴェルディとしては異例の、
レチタティーヴォ・セッコがあるし、
(この盤では録音のせいかまるでリュートのように聴こえる)
二組のカップルはちょっと「フィガロの結婚」わ思わせるけど、
もうちょっといろいろ入り組んだ設定となっている。

また舞台設定が、
1733年に起きたポーランド継承戦争のきっかけのひとつになった、
スタニスワフ・レシチニスキのポーランド帰還がベースになっているが、
それが影を落とすような深刻なものはここにはない。
(主人公は深刻だったかもしれないが)

多少脚本的に無理が通れば道理が引っ込む的な部分があるようだけど、
この当時の喜劇系オペラにはそういうのは日常茶飯事だし、
自分はけっこう無頓着なので個人的にはあまり問題視していない。

あとこの作品、
喜歌劇にしてはかなり劇的というか生真面目な部分があるようにも感じられ、
くだけた雰囲気や甘味さというのが、
他の作曲家の喜歌劇に比べるとじつはあまりない。

そういう意味ではけっこう指揮者や歌手にとって手強いかもしれないし、
演技の上手い人が要所にいないとかなりつまらないことになるような、
そんな感じもしてしまう。

初演の時の失敗はじつはそのあたりにあったのではないかと、
自分は以上の事から今現在そういう意見をもっている。

ただこのシモネット盤のようにそこそこの面子が揃うと、
かなり聴き応えのある面白い物にもなることも確か。

一度実際に聴いてみたいけど、
最近の演出は自分にとって生理的に合わないので、
それを考えると演奏会形式のだとありがたい。


といったところをダラダラと書きました。

もし機会がありましたら、
一度お聞きになってみてください。

以上で〆。


尚、この演奏は慣例的なカットがあるようですが、
自分は他にもってないので詳しくは分かりません。

シモネット盤の演奏時間は、
第一幕が約62分、第二幕が約40分です。

nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

バーンスタインの「戦時のミサ」(1973) [クラシック百銘盤]

バーンスタインはCBS時代、
1958年から1979年に至るまで、
ハイドンの交響曲を19曲、
ミサを四曲とオラトリオ一曲を録音している。

それらはどれも名演だし、
ある意味マーラーと並んでこの時代のレニーを聴く上で、
欠かせないレパートリーといっていいのかもしれない。

その中で特に有名なのは、
1973年1月20日に、
ワシントン・ナショナル大聖堂で録音された、
「戦時のミサ」だろう。

haydn.jpg

パトリシア・ウェルズ(s)
グヴェンドリン・キルレブルー(ms)
アラン・ティトゥス(t)
マイケル・デヴリン(br)

ノーマン・スクリブナーの合唱団
レナード・バーンスタイン指揮の管弦楽団


この前日、あるドラマがあった。

それは手塚治虫の「雨のコンダクター」ても描かれているので、
けっこうご存知の方も多いと思う。
(ただし自分は未読)

1月19日。

ワシントンのケネディ・センターでは、
当時のニクソン大統領の、
二度目の大統領就任を記念したコンサートが行われた。

演奏はオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団で、
曲目はクライバーンとのグリーグのピアノ協奏曲と、
チャイコフスキーの1812年だった。

だがこのコンサートの前に、
団員からこれをキャンセルする人もあらわれた事を表すように、
決してすべての人から祝福されるとは言い難い空気が当時はあった。

これが当時のベトナム戦争に対するそれが大きく作用していたのは明らかで、
この時はまだパリ和平協定が交わされる前だった事もあった。

一方そこからそれほど離れていない、
同じワシントンのナショナル大聖堂では、
事前に新聞でも告知されていた、
バーンスタインの指揮によるハイドンの「戦時のミサ」が、
「平和のためのコンサート」と銘打たれ無料コンサートで演奏された。

教会の中に三千人、
そして外に入りきれなかった人たちが一万人以上も雨の中集まった。

125人の合唱団はみなポランティア、
オーケストラはワシントン・ナショナル響を中心とした、
地元ワシントンの音楽家によるこれまた臨時編成のオケだった。

そしてこの演奏会の翌日同じ場所同じメンバーで同曲が録音され、
その収益は全額寄付され、
後にグラミー賞にもノミネートされた。

この録音盤は日本でも同年夏には早々発売になり、
そこそこ話題になったように記憶しているが、
レコード・アカデミーに選定されることはなかった。


そんなこの演奏を今聴くと、
素晴らしいくらいの熱気と集中力が音楽から溢れている。

これが当時の時代によるものが大きかったのは確かで、
そういう意味ではひとつのドキュメントともいえるかもしれない。

そしてそれは同年夏にロンドンで録音された、
ロンドン響とのマーラーの復活にも通じるような思いの丈が感じられる。

因みにこの年の夏アメリカでは、
3月の爆弾証言によって一気に問題化したウォーターゲート事件により、
ニクソン大統領の周りがざわつき始めた時期でもあった。


などという事を書いていて、
肝心の演奏についてはほとんど何も書いていない事に今気づいた。

というか、
その時代を生きた自分には、
それだけでも充分言いきったような気がしてしまうのが不思議。

演奏時間は約43分。

現在この当時を知らない人には、
どうこのハイドンとしては大時代的な演奏が聴こえるのだろう。

因みに1984年にこの「戦時のミサ」を、
バーンスタインはバイエルン放送響と再録音している。

アメリカは再選を目指すレーガンとモンデールによる、
アメリカ大統領選挙の真っ只中だった。


(追加)

ひとつ疑問だったのは、
ニクソンの就任コンサートにフィラデルフィアが呼ばれた事。

本来ワシントンでの式典は、
地元ワシントン・ナショナル響の仕事だが、
今回は彼らはバーンスタインのコンサートに出演した。

彼らがニクソンのコンサートを固辞し、
それでフィラデルフィアに白羽の矢が立ったのか、
それとも前年中国に訪問したニクソンが、
この年の9月に中国公演をすることになっていた、
フィラデルフィアを招聘したことで、
ワシントン・ナショナルが空いていたのかは自分は知らない。


因みに「黄河」を録音したのは中国から帰国後の10月。


ただどちらにしても、
この二つの団体が当時の時代に翻弄されたことは間違いない。

あとこの件をもってオーマンディを俗物と蔑み、
バーンスタインをヒーローと賛辞するのはどうだろう。

事はそんなに単純ではないような気がする。

オーマンディが、
ショスタコーヴィチの4番、13番、14番、15番を、
1960年代から70年代の、
ソビエトとの冷戦下のアメリカで初演した事を考えると、
特に何かもやもやとこのあたりしてしまう。

またこういうことをしている指揮者を、
ニクソンが就任記念演奏会に呼んだ理由も、
いろいろと深読みできるけどそれはここでは避けます。

フルトヴェングラーが何故ベルリンに大戦中残ったかという事と同じく、
このあたり単純な図式では片づけられないのかもしれません。


(さらに追加)

最近またこの演奏を久しぶりに聴いた。

会場が教会ということで残響がそこそこあり、
ちょっと同じレニー指揮の1975年にパリのアンヴァリッド寺院で録音された、
ベルリオーズのレクイエムを思い出した。

そういえばあれが録音されたのはベトナム戦争が終結した年だった。

それとこのハイドンでの、
オケの小気味いいくらいの反応の良さも改めて強く感じた。

それはこのときの臨時編成オケの中核を、
当時ハイドンも得意としていた名匠アンタル・ドラティ率いる、
ワシントン・ナショナルが占めていたことも大きかったと思う。

バーンスタインが、
ドラティ時代のワシントンやデトロイトを指揮し、
録音をさらにいろいろと残してくれていたらと、
ちょっとそんなことも思ったりしました。

nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

テンシュテットのマーラー交響曲全集への雑感。 [クラシック百銘盤]

テンシュテットというと、
今の若い人たちにはどう受け取られているだろう。

1998年に71歳で死去(誕生日を迎える前だったので)。
引退は1994年というから68歳。
奇しくもその指揮する後ろ姿が酷似していといわれる、
フルトヴェングラーが亡くなった年齢と同じ年だった。

最後に発表された録音は1993年のマーラーの7番のライプ。
日本での最後の指揮は1988年の10月。

それを思うとかなり昔の指揮者というイメージなのかもしれない。

彼は1971年に旧東ドイツからの亡命という形で西側に登場したが、
じつはそれほど大きなニュースだったという記憶がない。

彼は1962からシュターツカペレ・シュヴェリーンの音楽監督だったが、
(ここのオケはドイツで三番目に古いオケらしい)

ここはかつて若き日のマズアが音楽監督を数シーズンやってた事があるが、
この前後数十年間は皆短いスパーンで任期を終了しているため、
かなり目まぐるしく監督が代わっており、
テンシュテットは1969年までその任にいたということで、
これでも当時としては異例な程の長期政権だった。

そんなテンシュテットだったが、
その後フリーとなりすでに1971年まで二年が経過していた。

彼の場合もちろん当時の東側の思想に馴染まなかった事もあるが、
やはり自分にポジションが与えてもらえなかった不満もあったと思う。

しかも1968年以降ゼンパー・オーパーなどは、
トゥルノフスキーが政治的な問題で辞任して以降、
ポジションが空いたままになっており、
後任を探していたものの何年もこの状態が続いていた。

テンシュテットは一時ここに、
マタチッチ以降短期間指揮者を務めたらしいけど、
それだけに自分に声がかかるのを待っていたのかもしれない。

だが1971年に亡命を決意するまでついにそれはかなわなかった。

テンシュテットの亡命が当時大ニュースにまでならなかった、
もしくはその後語り草にならなかったのは、
こういう当時の状況もあったのかもしれない。

テンシュテットは亡命すると翌年ドイツのキールでポジションを得た。

だがすぐには世界に名の知られる存在にはならなかった。

彼が有名になったのは1974年。

トロントへの客演と、その後のボストン響との公演で、
ブラームスとブルックナーを指揮してのそれだった。

その後タングルウッドにも出演した頃から全米各地で声がかかり、
1976年にはロンドン響を指揮してイギリスデビューを果たした。

そして1977年にロンドンフィルに初客演。
これを機会に同オケの客演指揮者となり、
翌年当時ドイツの指揮者を敬遠していたイスラエルフィルに、
第二次大戦を知っているドイツ人指揮者として初の客演をした。

彼が遺した最大にして最高の遺産となった、
マーラー交響曲全集はこの時期に開始された。

51oScu1e8bL.jpg

ここでじつはけっこう思い違いをされているかもしれないが、
確かに同オケとテンシュテットは最高の関係を築いていたが、
この全集のほとんどが、
じつはテンシュテットが同オケのトップに立っていた時期の録音ではなく、
客演指揮者時に録音されていたということ。

ここで録音年代順にならべてみる。
赤字はテンシュテットによるマーラーのセッション録音された曲目と年月日。

1977年当時のロンドンフィルは、
首席ハイティンク、首席客演ショルティ、という体制だった。
つまりテンシュテットは良くて三番目という位置づけだった。

そんな中でこの録音は開始された。
ハイティンクやショルティを押しのけて実現した理由は、
彼が上記二人と違いEMIと録音していたことと、
二人とも「我が家」でマーラー交響曲全集を、
録音を終了、もしくは開始していたことだろう。

そしてこの時期ベルリンフィルにデビュー。
また翌年には彼のマーラーを聴いたカラヤンから、
「次期後継者」とまで絶賛されたという。

1977年10月4,5日 [1番「巨人」]
1978年5月10-12日、6月8日、10月5-7日 [5番、10番(1楽章)]

この録音と前後してハイティンクが次期シリーズでの退任を発表、
後任がショルティに決まる。

1979年5月11,12,14日 [9番]

ショルティ首席指揮者時代のシリーズが始まる。
テンシュテットは同時期、ハンブルグNDR交響楽団音楽監督就任。

1979年10月27,29-31日 [3番]

1980年にロンドンフィルの首席客演指揮者に就任。

1980年10月20-22日 [7番「夜の歌」]

11月にロンドンフィル来日公演。
指揮者はショルティとロペス・コボス。
コンサートマスターはデヴィッド・ノーラン。

1981年3月、テンシュテットNDR音楽監督辞任。
急遽代行指揮したコンドラシンが演奏会終了後の夜に急逝。
クーベリック後のバイエルン放送響後任人事が白紙となる。

1981年5月14-16日 [2番「復活」]
1982年5月5-7日 [4番]

1982年8月29日、ザルツブルグでウィーンフィルを指揮。

1982年12月 [大地の歌]の最初のセッション。
1983年4月28,29日、5月4,9日 [6番「悲劇的」]

1983年、新シリーズより、テンシュテットがロンドンフィル首席指揮者就任。

1984年4月、ロンドンフィルと初来日。

1984年8月 [大地の歌]の残りセッション。※本人の発売許可はこの8年後。

1985年、テンシュテット発病。

1986年4月20-24日、1986年10月8-10日 [8番「千人の交響曲」]

1987年、ロンドンフィル音楽監督退任、桂冠指揮者の称号を授与。

1987年12月13-18日。ロンドンフィルとジェシー・ノーマンの共演でワーグナー録音。

この時期より体調の回復がみられる。

1988年5月 ロンドンフィルとワーグナープロコンサート。

1988年10月ロンドンフィルと再来日。同行指揮者としてスラットキン。


と、こういう流れの中で録音している。

つまりテンシュテットがロンドンフィル首席在任中に録音したのは、
「大地の歌」の一部と「千人」しかない。

他は全て、客演状態での録音だったということ。

もっともそういうことは珍しくなく、
アバドがシカゴとのマーラーの交響曲を五曲録音した時期は、
ショルティが音楽監督の時代だったという前例もあるし、
当のショルティも、
ハイドンのゼロモンセットの多くをテンシュテット時代、
さらにはメスト時代までの空白期にロンドンフィルと録音している。

あとマーラーでなければ、
カラヤン時代初期ベルリンフィルでは多々あったし、
小澤時代のボストンではデービスのシベリウス全集というのもあった。


ここで感じるのは、
このようにハイティンクやショルティというかなりタイプの違う、
ただけっこう根っこの部分では共通項をもっていて、
しかもその部分があまりテンシュテットのそれと互換性を感じられない、
それでいてともにマーラーを得意としていたという、
そんな指揮者が首席指揮者をしていたオーケストラにもかかわらず、
テンシュテットの作り出すマーラーが、
それら首席指揮者のもつ「色」にあまり左右されなかったということ。


このハイティンク時代のマーラーを、
当時小石忠男さんがその著書「続々世界の名指揮者」で、
ひじょうに分かり易く表現しているが、
それはじつはショルティ時代もあまり変わらないように感じられる。

もっとも「夜の歌」「復活」「悲劇的」は、
それ以前のものに比べやや音が骨太になったようにも聴こえるが、
それはオケのショルティ色が強まった影響というより、
曲想やデジタル録音に変更になったという部分もあるような気がする。

※余談ですが、ショルティがトップになっていた時期に、彼の得意のマーラーをそのオケで別の指揮者が録音したという例では、ジュリーニとアバドによる一連のシカゴセッションがあるが、特にアバドは偶然にも上であげた三曲が含まれているので、それを念頭にこのテンシュテットのそれと聴き比べるのも面白いかもしれません。


ここで思い出した話がある。

テンシュテットは酒とタバコが甚だしかったというが、
このエピソードを踏まえた上で、
彼の1984年の来日公演を聴いたある在京オケの方が後に、

「テンシュテットはかなり神経質な指揮者だと思う。またあの指揮であれだけ細かい音楽を紡ぐには、かなり練習時言葉による説明が大きな比重がかかると思う。彼がロンドンフィルと上手くいったのは、このオケというかロンドンのオケの指揮者に対する順応性の高さがあると思う。ハイティンクとショルティ、さらにはボールトやロストロポーヴィチといったタイプの違う指揮者との録音を、比較的近い時期でそこそこのレベルでどれも仕上げる基礎をもっていた事が大きい。もちろんロンドンフィルの琴線に触れる部分をテンシュテットが持っていた事が大きかった事は確かだけど」

そして、

「病気の手術が声帯絡みだったというが、それにより病に倒れた以降は、言葉での説明がかつてほど緻密にできなくなったように感じられる。8番やライブの5番はそれが顕著に感じられた。もっともそこには統率の難しい大曲だったりライブだったりというハンディは考えられるけど、同じライブの5番は84年の方がやはり緻密。あとロンドンフィル以外のオケへの客演があまり見られなくなったのも、そのあたりの言葉の問題が大きかったような気がする。もちろんそれだけでなく以前のいろいろなゴタゴタが要因としてあったのは確かだけど」

と言われた事。

それを思うと、
もしロンドンフィルがハイティンク離任後に、
ショルティではなくテンシュテットを指名し、
彼のオケでより伸び伸びとした環境で、
マーラーの全集を録音していたらどうなっていたかと。

ひょっとしたらもっと大胆に、
それこそより高い燃焼度を持ちながら、
セッション録音時の表情の緻密さを保持したものを、
全集として完成させていたのではないかと、
そんな事もちょっと思ったりしてしまいました。


このテンシュテットのマーラー全集が開始されると、
それらがLPやCDで発売される事に、
当時はかなりの評価と話題性があったと記憶している。

もちろんEMIにとって初のマーラー全集だったということで、
その宣伝にも力が入っていたことも大きかった。

ただその反面それ以外の曲では、
ベルリンフィルを指揮したものを除けば、
かならずしもすべてがそうではなかったようで、
あるサイトでは初来日時にブラームスがメインだった日の公演は、
人の入りが良かったとはお世辞にも言えないものだったとか。


そしてそのマーラーの全集も、
バーンスタインの全集が1980年代半ばから発売が開始され、
さらにインバル、マゼールによるそれが登場すると、
次第に影を潜めていったように感じられ、
その後、アバド、ブーレーズ、シノーポリ、
そしてベルティーニ、ラトルといったところが次々と登場し、
その間にテンシュテットが引退、そして死去すると、
さらにその影が薄くなったように感じられた。


テンシュテットのこのマーラー全集は、
確かにそれらの後発全集に比べるといい意味での押しが弱く、
強烈な情念とかエッジの鋭さ、
そして対極から対極へのふり幅の大きさからくる、
ある種の刺激が弱いように感じられる事もその要因だと思うし、
他の全集のオケの多くに比べると、
技術的に弱く感じられる部分もそのひとつだと思われます。

NDRとの復活、シカゴとの巨人、
そしてロンドンフィルの凄いほどの頑張りが特筆される、
88年、そして90年代に入ってライブ録音された、
5番、「悲劇的」、「夜の歌」が、
それ以前の全集よりはるかに人気も評価も高いのも、
やはりそういう部分に聴き手が不満を持っていた気が改めてする。

特ロンドンフィルとのそれは技術的な部分を、
全集には感じられなかったオケの気迫と、
全集録音以降の指揮者の円熟の深まりが、
全集における同曲の演奏より高く評価されたのだろう。


※あと全集時のEMIのレベルのやや低い音質が、けっこう足を引っ張っているという意見もありますが、自分のように古い録音等に耳が慣れたものだと、LPの時は多少それを感じたものの、CDになってからはそれほど気にすることはなくなりました。もっとも正直飛びぬけていい音質という気もしませんでしたが。


ただ発売時から特に評価の高かった5番は、
これはこれでやはりかなりの高水準だし、
他の曲もあらためて聴くと、
このまま忘れ去られていい代物ではないという気がする。


かつてボールトがロンドンフィル等を指揮した、
ブラームスの交響曲全集やワーグナーの管弦楽曲集、
さらにベートーヴェンの田園やシューベルトのグレイトが、
日本ではほぼ完璧に黙殺されていた時期があった。

だがその後一部は国内盤でも発売されたりし、
今はある程度知られ評価され現在に至っている。


テンシュテットもそのうちまた、
いろいろとまた再認識される時が来るのかもしれない。

じっさいここでのロンドンフィルは、
確かにビシッとすべて決まったそれではないかもしれないが、
ひとつひとつの音を大事に紡ごうとするような、
曲に愛情を深く注いだ真摯なそれが強く聴きとれるものがあります。


必要以上に高評価してほしいとは思いませんが、
できれば再度今の若い人にもあらためて聴いてほしい演奏です。

ただやはり今の人に聴いてもらうなら、
もう少しレベルと鮮度を上げた音質にすべきかもしれません。

ワーナーに移籍してから音質はどうなったんでしょう。

以上で〆

nice!(1)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

久しぶりに北鎌倉~江ノ島を歩く。 [鎌倉~江の島(Kamakura/Enosima)]

このコースを歩くのは一昨年ぶり。

じつは稲村ケ崎付近で海沿いの歩道が工事していたので、
意識的にちょっと控えていました。

この日北鎌倉は大混雑。

明月院の紫陽花が見ごろということらしいけど、
その列が円覚寺の近くまで、
数百mはあったような気がします。

しかも鎌倉学園の学祭もしていたため、
建長寺付近まで歩道はけっこう混雑。

なのでこの付近の写真は無しです。

そして鶴岡八幡宮
a01.jpg
a02.jpg

若宮大路の段葛
a03.jpg

このあと海岸へ。
a04.jpg

この日は強風で大波が来ていました。
しかも砂浜から砂が礫のように飛んできて、
痛いやら口の中に砂が入って来るやらでたいへん。

稲村ケ崎
a05.jpg
a06.jpg

このあたりでは水しぶきまでが飛んできました。

因みにここは海抜5m以上。

稲村ケ崎公園付近から。
a07.jpg
a08.jpg

ちょっと下の方に降りてみました。

行合橋付近にて。
a09.jpg

ここへは行合橋の交差点から海側に渡ると右からすぐ下に降りられます。

グーグルでみるとこんなかんじです。
a25.jpg

行合橋から行合川上流をみる。
a10.jpg

七里ヶ浜駅
a11.jpg

人の事は言えないけど、
この無人駅を写真に撮っている人が多かった。

以前にはあまりみかけられなかった光景です。

この付近の江ノ電。ほとんど路面電車感覚です。
a13.jpg

峰ヶ原信号場
a14.jpg

鎌倉高校前駅
a15.jpg
a16.jpg

ここ数年この辺りは台湾からのダンクマニアで大盛況です。

しばらく江ノ島方向に歩くと踏切越しにみえるこの道。

間違って無ければ、
黒澤明監督の「天国と地獄」に出てくる道。
a17.jpg

じつはこの付近は「天国と地獄」のロケ地が点在してます。

そしてさらに歩くとこれ。
a18.jpg

先の行合橋や七里ヶ浜駅同様、
「青春ブタ野郎シリーズ」でお馴染みの場所です。

小動神社
a19.jpg

七月には江の島の八坂神社と共同で天王祭が行われます。

腰越海岸からみる江ノ島。
a20.jpg

すばな通り付近から江ノ島をみる。
a21.jpg

江島神社御鎮座記念龍燈籠から江ノ島方面をみる。
a22.jpg

片瀬橋上から江ノ島をみる。
a23.jpg

ここで猛烈な突風を正面から受ける。
ほんとにこの日は風が強かったです。

藤沢市観光センター
A06.jpg
a24.jpg

この日はとにかく風が強く、
普段なら二時間半から三時間で行くところを、
結局四時間近くかかってのそれとなりました。

海の家も着々と工事が進んでいて、
もうすぐ夏という感じでした。

片瀬東浜海水浴場、片瀬西浜・鵠沼海水浴場は、
7月1日が海開き。

もうすぐです。
nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | -