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悠久山に行く [小さな旅(Japan small travel)]

新潟県長岡市にある悠久山に行く。

自分はかつてここにいたことがあるけど、
じつは悠久山の桜をみたことがない。

子供の時は長岡駅から悠久山まで、
栃尾線という軽便鉄道が走っていて、
桜の季節は六両(だったと思う)編成にして走っていたけど、
それくらいの賑わいが当時からあったようです。

特に今年は悠久山公園竣工100年ということで、
例年以上に賑わっているとか。

というわけでちょうどこの方面に行く用があったので、
ちょっと立ち寄ってみました。

長岡駅から歩いて四十分ほどですが、
今回は時間が無いので駅東口からバスで行きました。

東口2番バス停から出ている悠久山行のバスで
「悠久山公園」停留所で下車。

片道15分程で210円。

歩くとすぐに大きな駐車場があり、
そのすぐそばにある蒼紫神社へ行く道を行きます。
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蒼紫神社
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因みに本当は終点の「悠久山」バス停で降りると、
参道を歩きながら蒼紫神社に行くことができます。
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そして悠久山。

平日ですけど家族連れ等でけっこう賑わってました。

植えられている桜は悠久山全体でじつに2500本。壮観です。
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悠久山にある郷土資料館。
お城の天守閣と角櫓を模しています。
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天守最上階からの眺め。
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戊辰戦争で長岡藩の使ったガトリング砲。
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実際に見るとなかなか迫力があります。

戊辰戦争当時長岡藩は日本に三門しかないこの砲を、
じつに二門も所有していました。
他にもアームストロング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃、
そしてシャープス銃という当時の最新兵器を持っていたとか。

当時、長岡藩を中立国としようとした河井継之助の、
そのために購入したものだったようです。

じつはここを入ったのも今回が初めて。
市制施行60周年を記念して作られたというので、
もうできてから半世紀以上経っています。

入館料は大人300円。

尚、こういう形の建築物はほとんどそうなのですが、
中にはエレベーターやエスカレーター等はありません。

と、そんなところです。


因みにここは上野公園や小田原城のように、
外国人観光客はみかけませんでした。

平日だったからかもしれませんが、
これほどの所にしてはちょっと意外でした。



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レオポルド・ハーガー指揮新日本フィルハーモニー交響楽団を聴く。 [演奏会いろいろ]

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2019年4月11日19時開演サントリーホール
レオポルド・ハーガー指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
(曲目)
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 op. 56 「スコットランド」
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op. 88, B. 163


十九世紀を代表する、二人のメロディメーカーによる代表的交響曲を、オーストリアの名指揮者ハーガーが指揮するこの日のプロ。

一昔前なら「英国プロ」とよばれたかもしれないが、さすがに今はそんなことはない。


ハーガーというと、自分が学生時代から名前をよくみかけた指揮者だけど、何故か今日まで一度も演奏会に行くことはなかった。

実際は1982年のバンベルク響や1991年のウィーンフィルの来日公演で、ハーガーが帯同した時に行く予定があったのですが、残念ながらいろいろな事情で聴くことはできなかった。

当時は中堅というイメージの強かったハーガーだけど、もう今年で84歳になるというから月日が経つのは本当に早い。

高齢ということで若干心配したが、実際のハーガーはとても八十代半ばの指揮者とは思えない程元気だった。

立って指揮していたのは八十代の指揮者でも最近はあまり珍しくはないが、元気そうな指揮姿や身のこなしといい、作り出す音楽はまるで老いなど微塵も感じさせない、まるで壮年期の指揮者のようなそれだった。

しかも二つの交響曲とも、まったく切れ目なく一気に全曲を指揮。

メンデルスゾーンは当然とはいえ、後半のドヴォルザークを一気に指揮したというのは、自分は他の演奏会では聴いた経験がなく、これには正直ちょっと驚かされた。

またその指揮の仕方が、肘から先の動きを軸としたもので、特に右手は肘から指揮棒の先までが一直線となることで、右肘より先が指揮棒そのものになったかのような振り方。

それはかつてのワルターの指揮姿をときおり彷彿とさせるような、そんな感じにも見受けられた。

そういえば今日の演奏、聴きようによっては七十代の頃のワルターにも通じるところがあり、ハーガーの師のバウムガルトナーがワルターの弟子で会った事を思い出した。


そんな全体の印象だったこの日の演奏会。

前半のスコッチ。

ハーガー自身、イギリス室内管と録音も残している曲目ということで期待したが、初共演のせいか第一楽章がちょっとぎこちないというか、互いに様子見をしながら探り合いをしているのか、それも指揮者の言ってる事を、分かってはいるけどいまひとつできないのか、フォルムの手堅さと音の流動観の住み分けみたいなものが、とにかくどこか微妙にしっくりといってない感じがした。

またオケの音も、弦を中心にやや粗いというか潤いが以前聴いたプラッソンやコーガンあたりの時と比べて、きもち不足しているように感じたのは、このあたりのことが影響していたのかもしれない。

ただどこでうまく調整したかは分からなかったけど、後半急速にそのあたりが解消され、オケの音も急速によくなり、ひじょうに充実した期待通りの音楽になっていったのはありがたかった。

第二楽章は跳躍的とも舞曲的ともいえる、じつに活き活きとした演奏で、随所にかなり木管を中心に強く表情を押し出すところがあって、ちょっと従来のハーガーのイメージとは違うそれにビックリ。

続く第三楽章。

一転してひじょうに見通しのよいじっくりと歌う音楽だったけど、このときハーガーの音楽が、手堅さと大胆さをひじょうにうまく組み合わせた、かなり細かく考え抜かれたものの上に築かれているという、そんな印象を強く受けた。

また弱音に対するデリケートな扱い方が見事で、じっくりと持続させながら耳をそばだたせる程の説得力が随所に聴かれたのは素晴らしく、これは後半のドヴォルザークでもやはり大きくものを言っていた。

確かにある意味さらっと聴いてしまうと、地味で中庸な印象を受けてしまいがちの演奏ではあるけど、それだけに収まらない、素っ気なくなることもなければ、無駄に大袈裟な仕掛けを施してくることもない、実直で細かい所にも目が行き届いた情報量豊かな演奏という印象を受けた。

それは第四楽章でも強くあらわれており、随所になかなか思い切った音作りがされていた。


この後後半のドヴォルザーク。

ハーガーのドヴォルザークというと一瞬ピンと来ない人もいるかもしれないけど、かつてハーガーが1982年にバンベルク響と来日した時、東京公演でもとりあげていた曲目なので、けっこう得意としているものなのかもしれない。

因みにハーガーが1982年にバンベルク響を指揮したのは以下の三公演。

9月22日:沼津市民文化センター
9月24日:習志野文化会館
モーツァルト/交響曲第38番
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第1番

9月25日:昭和女子大人見記念講堂
ウェーバー/魔弾の射手、序曲
モーツァルト/交響曲第41番
ドヴォルザーク/交響曲第8番


(余談ですが、この1982年のバンベルク響来日公演時にハーガーとこのオケをしたのは、12年ぶりに来日したオイゲン・ヨッフムでしたが、彼が四年後にコンセルトヘボウと来日した時、同行したアシュケナージが指揮したプログラムのメインがやはりこのドヴォルザークの8番。ヨッフムもひょっとすると、よく日本絡みでこの曲を耳にするなあと思ったかもしれません。)


こちらも基本はメンデルスゾーンと同じだけど、こちらの方がオケに自信と活気がはるかにあった。

練習がこちらの方が潤沢にできたのか、それともオケがこの曲の方がメンデルスゾーンより、ハーガーの意図が汲み取り易かったのかは不明。


この演奏、ハーガー本人がインタビューで、

「ドヴォルジャークでは、民族音楽的な思いに光を当てる」

と語っていたけど、自分は終楽章を除くと、じつはそれほど民族音楽的というものは感じられず、ブラームスのような格調の高さを強く押し出した、辛口で民族色にあまり重きを置いていないという、そんな演奏にむしろ聴こえてしまった。

もっともこのあたりは、自分の考え感じている民族色というものと、ハーガーの考えているそれが根本から違うのかもしれないので、このように聴こえているのかもしれない。

それに音楽の歌わせ方は、ドヴォルザークのそれにひじょうにあったものがあるし、第四楽章の煽情的ではないものの、舞踏的ともいえる音楽の熱い作り方などは、この曲に極めて適したものに感じられる程だった。

また音楽のしっかりとしたフォルムと流動観も見事に両立しており、前半のメンデルスゾーンの第一楽章前半で垣間見られた、そのどちらもあとひとつ描き切れない生煮え感のようなものは、もうここには微塵も感じられることはなかった。


自分はこの演奏会を聴くまで、ハーガーは小型のベーム+小型のヨッフムという、そんなイメージがどこかにあった。

たが今回の印象は、確かにベームやヨッフムのような要素もあったけど、小型というそれは見事に雲散霧消した。

かつて聴いたクルト・ヴェスとはまた違うけど、いい意味で独墺系の伝統みたいなものを感じさせる、そしてある意味指揮者の個性よりも、曲本来の良さの方が際立った印象を受けることのできる、情報量が豊かで安心して音楽を楽しめる指揮者という気がしました。

そういう意味ではチェコのトゥルノフスキーと、音楽の向いていてる座標が近しいのかも。


とにかく今も素晴らしい状態を保っているハーガー、広島での公演(大好きなブラームスの第二交響曲なだけに余計行きたいけど今回はちょっと無理)、そして次回の来日も期待大です。

特に新日本フィルとは次回もし再共演があったら、より互いの手の内を理解しあった演奏が期待できそうな気がしました。

できればハイドンやモーツァルト、そしてブラームスあたりも聴いてみたいです。



しかし昨年五月のプラッソンもそうだけど、新日本フィルは初顔合わせの指揮者の場合、人の入りが最近芳しくないのだろうか。

今回ざっと見で六割ほどしか人が入っていなかったような気がした。演奏がかなりの内容だっただけに、これにはさすがにちょっと残念という気がしました。

やはり話題性や、ある程度の焚き付けみたいなものが無いと、コンサートの入りってこんなものなのだろうか。それとも東京のようなやや飽食傾向にある地域だけの現象なのだろうか。

〆です。

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ワルターの1959年のブルックナー9番について。 [クラシック百銘盤]

最初にこの項を書くにあたり、
「BRUNO WALTER HOME PAGE」を参照した事を明確にしておきます。
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/walter2.htm

ワルターのブルックナー演奏の記録をみると、
4番、5番、7番、8番、9番
この五曲があがってくる。

ただ5番のみかつては頻繁に演奏していたようですが、
1935年に原典版が登場する頃に、
この曲の演奏記録が忽然と消えてしまう。

おそらく彼も他の指揮者同様、
この曲の演奏には当時唯一の出版譜だった改訂版を使用していたのだろうが、
このあまりにも自分の知る姿違う原典版の出現は、
彼に少なからぬショックを与えたのかもしれない。

そしてその原典版は彼の趣味にあわなかったのか、
それとも理解を超えた曲だったのだろうか、
とにかく彼のレパートリーにそれは組み込まれることはなかった。

その後ワルターのブルックナーは前述した五曲から5番を除いた四曲と、
「テ・デウム」あたりがレパートリーとして定着した。

演奏は原点版があった時は原則原典版だったが、
4番は改訂版を一部使用したりはしていた。

そんなワルターが特によく演奏したのが9番だった。

録音も他の曲がせいぜい多くても二種類程しかないのに対し、
この9番は1946年から1959年に至るまでに、
じつに六種類も遺している。

オーケストラも多岐にわたり、
ニューヨークフィルと三種類、
フィラデルフィアとウィーンフィルで各ひとつずつ。

そしてもっとも有名な、
コロンビア響名義でロサンゼルスフィルとひとつという具合だ。

自分はWPOとの録音はもっていないが、
他の五種は幸運にして手元に揃っている。

その五つの演奏時間をみてみる。

1946 NYPO 21:30、09:41、19:35
1948 PHO 21:29、09:53、19:28
1953 NYPO 20:39、10:13、19:32
1957 NYPO 20:31、10:20、19:32
1959 LAPO 23:55、11:34、23:14

これをみるとライブの最初の四つはそれほど大きな差は無く、
特に第三楽章はほとんど差がないといっていいと思う。

ところがステレオ録音となると、
二年前のNYPOより全体的に如実に遅くなっている。

NYPOが全体的に五十分程なのに対し、
LAPOは59分近くになっている。

この57年のブルックナーは、
トスカニーニ追悼演奏会で「英雄」を指揮したその一週間後の録音で、
心臓の病で第一線を退く一か月ほど前ということになる。

それに対しLAPOのそれは同オケを指揮した演奏会から、
三日ほど後のそれではあるものの、
やはり病に倒れた事がスタイル全体に影響していたのかもしれない。

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この9番に関しては十年以上も前に
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2007-06-23-1
にいろいろと書いているので、
今回はそこで書かなかったことをいろいろと。

ワルターのアメリカでライブ録音された四種類の9場は、
どれも速めのテンポでぐいぐい押していく演奏だけど、
だからといって小さくせせこましくなったりすることはない。

ただいわゆる日本で広まったブルックナーのイメージとは違い、
よりベートーヴェン風といっていいのだろうか、
ひじょうに激しく剛毅な迫力が随所に感じられる。

これはフルトヴェングラーのブルックナー同様、
この作曲家に楽聖が与えた影響というものを強く意識した、
そんなタイプの演奏と考えていいと思う。

第三楽章のコーダのホルンも、
消えゆくようにやるのではなく、
高みに上るかのような朗々としたものとなっている。

たしかにここは第七交響曲の第一楽章冒頭そのままなので、
続く第四楽章のそれを考えると、
この考えの方がむしろ正論と思えるものがある。

そしてこの基本線はLAPOとのそれにも引き継がれている。

ただテンポが全体的に遅くなったせいか、
より大きな構えと風格が感じられるものになってはいます。


ところでこの頃のワルターは、
LAPOやサンフランシスコ響を頻繁に指揮している。

病のため自宅のある温暖な西海岸を主戦場にしていたこともあるけど、
1957年以前からじつは彼はこの二つのオケをよく指揮していた。

この当時サンフランシスコはモントゥのオケ、
そしてもうひとつのLAPOとの共演が集中しはしはじめたのが、
ヴァン・ベイヌムがこのオケのトップに立った時期とほぼ一致している。

このモントゥとベイヌムという、
ともにコンセルトヘボウというマーラー縁のオケの指揮者であり、
オーケストラをつねに素晴らしい状態にしてしまう名伯楽がいたことは、
ワルターにとってとても安心しそのオケを指揮することができたと、
そう考えることができないだろうか。

またおそらくワルターとこの二人の間には、
いろいろと深い信頼関係があったのではなかろうか。

で、ここから先は以前何かで読んだものを記憶を頼りに書くので、
間違っていたらすみません。

ベイヌムは心臓の状態が悪くなり医者から一年程の活動制限を受け、
そのため1958年初めにLAPOへの指揮を一時中断、
翌年秋に戻ってくると言い残しアメリカを去った。

(なので1958年以降のベイヌムのすべてのステレオ録音は、医者からの活動制限がかけられた状況下での録音ということになります)

そして翌1959年4月13日。
当初は練習指揮者を立ててのリハーサルの予定だったそれを、
ベイヌム自身が当日担当、
途中で休憩を宣言したものの、
直後そのまま指揮台から倒れ帰らぬ人となった。

このためロスフィルは秋以降の指揮者の代行を探しに走ったが、
かなり早い段階でショルティに多くの公演を代行してもらう確約をとった。

これはひょっとするとベイヌムが戻ってこれないかもという保険のため、
ショルティに早い時期から依頼していたのかもしれない。

(また一説にはベイヌムはすでにLAPOの地位を辞する決断をし、1958年のシーズン終了後にその地位から退任する予定だったらしいので、それでショルティとのパイプをすでに設けていたのかもしれません)


そしてワルターもLAPOの秋公演を二日間担当した。

じつはワルターは1957年に倒れて後、
録音を除けばこの時期に指揮をすることは避けていたようで、
実際1957、1958、1959年と、
11月に演奏会の指揮台に立ったのはこの時のみであり、
後は翌年の生涯最後の演奏会を12月にLAPOで一日指揮しただけ。

なのでこれはかなり異例なものだったのではないだろうか。

あとこのブルックナーを演奏会で指揮した直後、
ワルターはこのブルックナーを三日後と五日後に録音し、
そのまま翌年3月初めまでいつものコロンビアセッションを初めている。

しかも演奏会でブルックナーと一緒に演奏された、
モーツァルトの「プラハ」を翌12月、
そしてブラームスの「悲劇的序曲」を翌年1月に録音しているので、
そのあたりとの絡みもひょっとしたらあったのかもしれない。

またこの時この演奏会では演奏されていない曲で、
ブルックナーの9番を録音した二日後に、
フランチェスカッティとフルニエという超豪華ソリストを迎えての、
ブラームスの二重協奏曲がこれまたたった一日であげられているが、
これがまた異常な程オケの状態がよく、
ブルックナーの録音メンバーから精鋭が選ばれての、
これまたスペシャルセッションだったのではないかと、
個人的には思っている。

ただこの年の11月以降のコロンビアセッションは、
ブラームスの1番やモーツァルトのプラハのように、
先のブルックナーや二重協奏曲に比べると、
いつものコロンビア響のような雰囲気が強い演奏も、
ブルックナーを除けばすべて一日で録音を終了しているので、
かならずしもメンバー云々という理由で、
一日であげられたという事ではないのかもしれない。

このあたりはすでに何かで明らかになっているかもしれないけど。


さて話はずれだけど、
こんな状況で開かれた公演の直後に録音されたブルックナー。

それをあらためて聴くと、
この時期のワルターのベストパフォーマンスと、
ベイヌムがLAPOに遺していった財産のようなものが、
当時としては最高の音質で記録されていたという、
じつに一期一会のドラマとも言うべきものだった気がする。


たがドラマはここで終わりにはならなかった。

その後のLAPOは、
本来このとき代行をしたショルティがそのまま音楽監督になり、
1962年のシリーズからスタートとなるはずが、
ショルティのあずかり知らぬところで、
第二指揮者に当時26歳だったズビン・メータが抜擢されたことで、
ショルティが音楽監督の地位を固辞してしまい、
結果メータがそのままLAPOの音楽監督になった。

これはおそらくウィーンやベルリンにすでにデビューし、
モントリオール交響楽団の音楽監督にもなっていたこの俊英に、
ショルティがいろいろと複雑な感情を抱いていたのかもしれません。

その後メータとLAPOはご存知の通り時代の寵児となり、
デッカの看板コンビとなり多くのヒット盤を出した。

そしてショルティは1969年にシカゴの音楽監督となり、
全米だけでなく世界屈指の名コンビと賞賛され、
同じくデッカの看板コンビとなり多くのヒット盤を生み出した。


このブルックナーは、
そんなベイヌムの死とメータの抜擢の間に録音されたという、
これまた貴重な記録でもある。

しかもこの時期のLAPOは正規の録音がほとんど無い。
そういう意味でも本当に貴重。

メータがLAPOと録音を開始するのは、
このブルックナーの録音から8年の後、
1967年まで開いているので尚更だ。


因みにこの頃にはメータとLAPOの人気は全米にとどまらず、
欧州のそれも共産圏にまで広まっており、
ある共産圏の国にメータとLAPOがツアーで訪れた時は、
コンドラシンとモスクワフィルとの公演時期が近いため、
事前にチャイコフスキーだけは外してほしい、
そうでないとモスクワフィルのチケットが売れなくなってしまうと、
今では考えられないようなビックリする要請を、
その国の当局の関係者から受けたほどだった。


たがそれにもかかわらず、
この時期においてもベイヌム時代をより高く評価していた楽員がいたのも事実。


そんなことを考えながら、
ベイヌム時代の影響を色濃く残しながらも、
メータ時代を迎える前夜のLAPOによるワルターのこの演奏を聴くと、
またいろいろと面白いものが見えてくるかもしれません。



尚、メータはその後LAPOを指揮して、
何度かブルックナーを取り上げている。

1970年に4番の録音、
1972年にはその4番が来日公演で演奏、
1974年に今度は8番の録音があり、
1977年の幻となった日本公演では7番を取り上げる予定でした。


今年(2019)はこのワルター指揮LAPOによる9番の録音から、
ちょうど60年目にあたります。

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ユロフスキー指揮ベルリン放送交響楽団を聴く。(3/25) [演奏会いろいろ]

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ユロフスキーは2017年にロンドンフィルと初来日したが、
その時はまるで某ピアニストの協奏曲ツアーに伴奏で同行したかのような、
そんな雰囲気のものだったため、
来日前に急速に興味を失い行くことを諦めた。

そして翌年のロシア国立響との来日公演には同行せず、
今年(2019)のベルリン放送響との来日まで待つことになった。

だが今回もまたソリストにユロフスキーは泣かされた。

ピアニストの故障により曲目を変更したため、
ブラームスとマーラーというプロの骨子が崩れてしまった。

また諏訪内さんとも来日前のベルリンでやっと初共演ということもあり、
こちらも正直危惧されたところがあった。

だが自分が行った今回の新宿公演は、
当初の予定曲目が変更されることもなく、
また演目も日本に来てすでに演奏していたためか、
指揮者もオケもある程度いつもの実力を出せる状況で迎えられた。


因みに今回来日したこの団体は古くはアーベントロートとの録音、
そしてレーグナーやヤノフスキ―との録音や来日公演で知られる、
かつて旧東ドイツのベルリン放送響と呼ばれたオケで、
フリッチャイ、マゼール、シャイーとの演奏で知られ、
旧西ドイツの一時RIAS響とも呼ばれたベルリン放送響は、
現在ベルリン・ドイツ交響楽団という名称になっている。

編成はブラームスが12型対抗配置。
(第一Vnは10人にみえた)
後半のマーラーは16型対抗配置。
オケが大編成になったためか、
オーケストラピットを設置するあるあたりの前四列を外し、
舞台として拡張していたようにみえた。

それとも人の入りの関係だったのだろうか。
正直満員御礼とまでいう入りでは無かったようなので。


前半は諏訪内さんとの協奏曲。

冒頭の音を聴いてまず思った事は、
とにかく懐かしいということ。

かつてレコードで聴いたレーグナーのそれのようで、
おかしな例えで申し訳ないけど、
水彩画のような水墨画的な音色をもった、
しかもそれが弦管一色に一枚岩的に統一された、
なんとも心落ち着く佇まいの響きだった。

これがこの曲の雰囲気にあったことは言うまでもないけど、
面白かったのはそれとは明らかに異質な諏訪内さんの音。

真っ白に輝くしなやかな一本線のような音が、
じつに濁りなく輝くように響いてくる。

しかもフレーズを大きく繋げながら、
どちらかというと細かく音を刻むような所まで、
弧を描く様に安定した伸びのある音で聴かせてくる。

これが前述したオケの音と、
本来は相いれない感があるはずなのに、
実際はこのため両者のコントラストが際立ちながらも、
不思議なくらいひとつの音楽として成り立っていた。

それはあまりにもタイプが違う音ではあるものの、
ともに濁りの無い響きであったことから、
このような絶妙かつユニークなものとなったのだろう。

ただ第三楽章になるとユロフスキーがかなりしかけてきた。

それまでもときおり強いエッジを効かせた響きを、
要所要所で使用していたけど、
ここではそれプラス跳躍的ともいえる音の運びと、
ティンパニーの轟くような打ち込みで、
かなり攻撃的ともいえる熱い音楽となった。

もっともテンポをむやみに上げて煽情的に描くという、
そういうあざとい効果を狙うような事はしておらず、
しっかりと地に足をつけたものになっていた。

この後ろからバシバシ押してくる音楽のせいか、
諏訪内さんのソロもここにきて熱くなるというより、
より表情を大きくするようなそれが目立ち始め、
かなりスケール感のあるものとなっていった。

聴き終わった後、
なんかブラームスというよりチャイコフスキーを聴いたかのような、
そんな不思議な印象もあったけど、
ソロもオケも大いに聴かせるとても愉しい演奏でした。

この後、諏訪内さんがイザイの曲をやったけど、
ブラームスの後にやってもあまり違和感がなかったのは、
そういう部分もあったからなのかもしれない。

※アンコール曲
イザイの「無伴奏バイオリン・ソナタ」第2番~第一楽章。


この後20分間の休憩。


そして後半のマーラー。

冒頭から音がとにかくホールによく拡がる。

このホールはフルで1800というキャパなので、
サントリーより広くはないが、
多目的ホールということで、
そんなに豊かな残響をもったホールでもない。

だがとにかく音がよくホールに響いた。

これはこのオケの音質にもあるのかもしれない。

第一楽章前半、
一部管楽器にナーバスになったように感じられる所があったけど、
この日はとにかく弦が絶好調。

最高にまとまりのある、
それでいてじつに指揮者の要求に俊敏かつ熱く応えており、
この流れとユロフスキーのコントロールの上手さによるせいか、
管楽器も次第に好調になっていき、
第一楽章終盤ではオケが一体となって猛烈な音楽をつくりあげていった。

第二楽章は「花の章」が演奏されたが、
かつてこういう通常版に「花の章」を差し込むやり方は、
「拙速案」とか「指揮者の不勉強」となじられたものだけど、
ユロフスキーはこれを「ハイブリッド版」とよんで決行した。

じっさい聴いていてここにこの楽章が差し込まれても、
今回の演奏に関して自分は不自然には感じられなかったし、
トランペットのソロも落ち着いた音色と音質のそれも好ましく、
なんとも言えないいい雰囲気の演奏だった

ここで面白いなのはユロフスキーとオケの関係。

ユロフスキーはどちらかというと見通しのよい、
クリアでやや細かい表情を随所に計ったように施すという、
ある意味メンゲルベルクと感覚が似たような部分があるが、
本来こういうタイプの指揮者は、
全体で一枚岩のような落ち着いた響きで統一されたオケとは、
それほど相性が良くないのではないかと思われるけど、
このマーラーでは互いの個性がまるで損なわれることなく、
しっかりとひとつになって強固な音楽を築きあげていた。

2017年から始動したコンビにもかかわらず、
早くもこういう状況になっているのは、
やはりユロフスキーの実力だろう。

2021年からペトレンコの後を継いでバイエルンに行くのも納得。


「花の章」からそのまますぐに第三楽章へなだれ込む。

この効果は抜群だったけどそれ以上に弦の響きが強烈で、
物凄く強烈なアタックとうねる様な表情が凄まじく、
オケ全体がなびいているかのようにみえるほど、
全員が身体を一緒に大きく動かしながら演奏していた。

表情も生々しいくらいのものがあり、
緩急のつけかたもかなりのものだったけど、
それでいてオケの音の基本線は揺らいでいないので、
濁ることも見通しが悪くなることもない。

第一楽章終盤のようなかなりの盛り上がりでこの楽章が終了。


ここでコンマスが立ち上がり再度オーボエに指示を出しチューニング。

それを低い指揮台の上で後ろに手を組んだまま、
じっと待っているユロフスキーの後ろ姿が妙に印象に残る。

この間、なぜかこの指揮者を初めて聴いた時の、
ロンドンフィルとのマンフレッド交響曲の音盤を思い出した。


第四楽章。

ここで冒頭のコントラバスのソロを8人全員で弾いていたけど、
それでもこれはこれで自分は有りだと思った。

ひじょうにこれも随所に表情の凝らされた演奏で、
特に第三楽章からエンジン全開になった木管が、
ここでもかなり頑張って素晴らしい演奏を聴かせていた。

そしてそのまま第五楽章になだれ込む。

このとき第二と第三楽章をアタッカで繋げたのと重なったのと同時に、
かつてこの曲が

第1部 青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど
第1楽章 春、そして終わることなく
第2楽章 花の章
第3楽章 順風に帆を上げて

第2部 人間喜劇
第4楽章 座礁、カロ風の葬送行進曲
第5楽章 地獄から天国へ

と第二稿時に二部に分かれていたことを思い出した。

このフィナーレも予想通りかなり強烈なものになり、
ホルン全員が起立して吹奏したあたりから、
最後猛烈にテンポを上げて嵐のように終わるまで、
まさに怒涛のような演奏となった。

また随所に聴かせる弱音も強い持続力を保持したことで、
よりその強弱の幅が増大したこともそれに拍車をかけた。

あととにかく弦が凄い。

この楽章でここまで弦がはっきり聴き取れ、
しかも説得力のある表情を聴かせた演奏というのは、
極めて稀という気がした。

これもまたこの演奏にとてつもない表情の幅を与えていた。

圧巻。


最後圧倒的な幕切れで終了。
全体の演奏時間は六十分前後だったような気がします。


この直後ホールが沸きに沸いたのは当然だけど、
自分はこのとき今回のそれはマーラーにしては随分健康的で、
マーラー独特な陰鬱感や死生観というものは希薄なものの、
結果若き日のマーラーの情熱とファンタジーを前面に出したことで、
ベートーウェン風の骨太で強靭なマーラーが出来上がったような、
そんな感じがとてもした。

それはまたワルターがNYPOを指揮した七十代の頃のそれを、
どとこなく彷彿させるものがありました。

そういえばユロフスキーの今回の来日公演のもうひとつのメインは、
マーラー版のベートーヴェンの7番。

このあたりひょっとして本人に何か思う所があったのかも。

それとも「ハイブリッド」というキーワードが、
この日のマーラーの「巨人」だけでなく、
どちらのプロのメインにもかかっていたのだろうか。


この後アンコールで
ワーグナー「マイスージンガー」第三幕への前奏曲が演奏。


このときこの演奏会全体を通じて、
弱音がじつにものを言ってた事をあらためて再確認させられた。



今回ユロフスキーを初めて生で聴いて、
予想通りその素晴らしさに自分は感心しました。

ただその実力に比して日本では何故か人気も知名度もいまいち。

バイエルンの歌劇場と来日すれば、
そのときようやく日本でも認知されるようになるのかもしれません。

ただそういうのってはたしてどうなんだろうと、
この国のクラシックファンの価値観というか尺度に、
自分は今回も些か不可思議なものを感じてしまいました。

そういえばラトルもバーミンガムと来日した時は、
文化会館でマーラー「巨人」を含むプロを、
土曜の午後六時から演奏という好条件にも関わらず、
ホールの半分も埋められないくらいガラガラの事があったけど、
当時イギリスでは連日満員御礼だったとか。


この公演はNHKでも収録放送されたけど、会場の方にあまりカメラを向けていなかったように感じられるほど、とにかくこの公演は不入りでした。もっともこれでさえ、1994年の同コンビが人見記念講堂で行った演奏会よりはまだ入っていたのですから、本当にラトルのバーミンガム時代の来日公演はときおり可哀そうと思われる程のものがありました。


ちょっとそこのところは腑におちなかったけど、
内容的には大満足のそれとなりました。

次回の来日が今からもう楽しみです。

できれば次回はもっと多くの人に聴きに来てほしいです。


あとユロフスキーもそうですが、
この世代の指揮者は新しい指揮者というより、
むしろ先祖返りしたかのような所が見受けられます。

演奏者の演奏スタイルには、
かなり長い年月をかけて一周するような傾向があるので、
自分たちがモノラルやSP録音で聴くことのできた世代の、
そのころのスタイルに近しいものに戻りつつあるのかもしれません。

もっともそれは単なる当時のコピーというのではなく、
それを基にしての新しいスタイルといっていいのかもしれませんし、
それこそかつてジャズでいわれた
「新伝承派」
というものになっていくのかもしれません。

このあたりの見極めはこれからのお楽しみということで。




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ドゥダメル指揮ロスフィルのジョン・ウィリアムズプロに行く。 [演奏会いろいろ]

グスターヴォ・ドゥダメル指揮
ロサンジェルス・フィルハーモニック 創立100周年記念ツアー

NHK音楽祭2018特別公演「ジョン・ウィリアムズ・プログラム」

【日時】 2019年3月21日(木・祝)17:00開演
【会場】 NHKホール

lapo.jpg

に行った。

ロスフィルはじつは創立50周年の時も日本にツァーで来ている。
その時の指揮者はこのオケと8シーズン目に突入していた、
当時33歳だったズビン・メータ。

「英雄の生涯」やベートーヴェンの「英雄」、
そしてブラームスの1番やチャイコフスキーの4番をメインにした、
都合四つのプログラムを17公演に渡り披露している。


今回の100周年ツアーは11シーズン目に突入中の、
現在38歳のドゥダメル。

ただ日本では三公演のみというのは、
これも時代の流れなのかも。


自分が今回行ったのは二種類あったマーラープロではなく、
映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズによるプロ。

正直この曲目をみたとき、
申し訳ないけどマーラーの1番も9番も頭からすっ飛んでしまった。

それくらい魅力満点のこれはプログラムだった。

しかも演奏するは今は西海岸だけでなく、
全米、もしくは世界屈指ともいえる名コンビの、
ドゥダメル指揮のロサンジェルス・フィルハーモニック。

内容が悪くなるはずがない。

曲目は以下の通り。

lapo1.jpg

自分はかつて1993年に、
作曲者自身の指揮によるボストン・ポップスによる、
ジョン・ウィリアムズプロを聴いているが、
その時のプログラムは、

〇バルセロナ・オリンピック・NBC-TV用ファンファーレ
〇11人のカウボーイ、序曲
〇JFK、から
〇スターウォーズ、組曲・ダース・ベイダーのマーチ~王女レイアのテーマ~メイン・テーマ
〇スーパーマン、マーチ
〇未知との遭遇、ハイライツ
〇イーストウィックの魔女たち、悪魔の踊り
〇偶然の旅行者、愛のテーマ
〇E.T.、地上の冒険

というもの。

これ以外の日にも、

「ジョーズ」~サメ狩り/檻の用意
「フック」~ネヴァーランドへの旅立ち

「インディージョーンズ・魔宮の伝説」~とらわれの子供達
「遥かなる大地へ」~ハイライツ
「レイダース」~マーチ

「ジュラシック・パーク」~テーマ
「続・激突カージャック」~テーマ

という曲が別の日のプログラムの公演で、
他の作曲家の曲とともに演奏されているので、
このあたりも考えた末の選曲だったような気がする。

今回はそれらを凝縮して尚且つその後の新作も含めたという超豪華版。

本当はこれに「ホームアローン」や「プライベートライアン」、
さらには「太陽の帝国」もあればもっと嬉しかったけど、
そのあたりはコーラスが必要なので今回はしかたないかなあと。

だったら「タワーリング・インフェルノ」「宇宙戦争」「1941」……、
このあたり考えだすとたいへんなことになるのでこの話はここまで。


この日のNHKホール。

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ホール外

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ホール内

そしてホールの一部はこのような照明に。
a03.jpg

ちょっとしたお洒落な映画館という感じに仕上がっていて、
この手のコンサートとしては、
なかなかお目にかかれない雰囲気となっている。

またオケの山台もかなり高めにつくられていて、
しかも台の下部が剥きだしになっているせいか、
なんか映画音楽の録音現場みたいな趣が感じられる。

楽員の登場の仕方はアメリカ式というのだろうか、
全員が整然と開演時刻に入場するのではなく、
開演よりもかなり早く五月雨式に舞台に集まりだし、
各々勝手に音を出しながらスタンバイしていくというもの。

この日のロスフィルは、
弦が対抗配置16型。(コントラバスのみ9本)
※ジョン・ウィリアムズを対抗配置で聴くのは自分は初めて。

木管が三管編成。

金管が舞台向かって左側から、
ホルンが二列で(8)、チューバ(1)、トロンボーン(5)、
そしてそのやや右斜めにトランペット(5)が各一列横隊。

さらに最後列最上段にはパーカッション8名が舞台左右いっぱいに展開している。

木管こそ三管だけど金管や膨大なパーカッションなどをみると、
もうマーラーの第6交響曲を演奏するかのような、
そんな規模の壮観な大編成。


この大編成が一曲目の「オリンピック・ファンファーレ」で早くも炸裂。

とにかく見事というしかない。
特にトランペット五人は素晴らしく、
シカゴのような突き刺さるような輝かしいそれとは違い、
温かさのある手作り的ともいえる響きで一糸乱れず吹きまくる。

四千人のホールでも余裕をもって鳴り響いていた。

もっともこの音は金管だけでなくオケ全体にもいえることで、
このあたりの特長はかつてのメータ時代の録音でも感じられており、
そういう意味では、
かつてのメータが指揮したスターウォーズの録音を思い出した。

全体的にシカゴやクリーヴランドのようなヴィルトゥオーゾではなく、
もう少し大らかでくったくのないサウンドによるジョン・ウィリアムズ。

そのせいか、
以前ボストンポップスで聴いた時のような、
やや硬質で骨太なそれとは違う、
ダイナミックではあるけど柔和さも感じられる、
ある意味心地よい迫力がそこにはあった。


指揮のドゥダメルは、
ジョン・ウィリアムズ自身の指揮が、
曲にすべてを盛り込んでいるというタイプの指揮で、
ほとんど曲そのものをそのまま演奏していたのに対し、
もうすこしいろいろと仕掛けが施されており、
映画を見ていない人にも充分に楽しめる、
それでいて原曲や作品の良さもちゃんと活かした、
かなり起伏と変化も施されたものになっていた。

特に「ハリー・ポッター」からの三曲は、
ホール全体に大きく拡がるダイナミックな演奏で、
ファンタジー要素も充分に感じられるもので、
超大編成オケで聴く醍醐味が満喫できるものとなっていました。


それにしてもどの曲も丁寧だしやっつけ感など皆無。
もう演奏者が全員、真剣に楽しんでいるそれが最高で、
こういう演奏ができる人たちがなんかとても羨ましく思った。

しかし金管もよかったけど、
パーカッションの頑張りも素晴らしいし、
チューバを含む低音楽器も凄いほどズンズンと響いていた。

特にティンパニーは強烈だった。
あれは普通の演奏会でもそうそう聴けるレベルではない。

木管のチャーミングな響きも随所に光ってたけど、
弦のハートウォームともいえる響きは格別で、
「E.T.」ではその良さが最大限にあらわれていた。


「スターウォーズ」からの三曲で大盛り上がりとなった後、
アンコールが演奏。

a04.jpg

演奏会は二時間の予定を三十分程越えて終了。

とにかく大満足の演奏会となりました。


しかしアメリカの第一級のオケと指揮者が、
フル編成でやるジョン・ウィリアムズプロが、
ここまで聴き応えのあるものだとは思いませんでした。

もしポップスだからといって侮って聴きに来た人には、
目から鱗状態になったことでしょう。

というか聴いていて、
途中から何かワーグナーの管弦楽曲プロを聴いてるような、
そんな感覚と同じものをじつは自分は感じていました。

ドゥダメルとロスフィルの素晴らしさはもちろんですが、
ジョン・ウィリアムズの素晴らしさもあらためて再認識させられた演奏会でした。


最後に「シンドラーのリスト」でソロをとった三浦さん。

たった数分の出番だったけど、
その存在感と演奏は素晴らしかった。

もし機会があったら今度はジョン・ウィリアムズ編曲の、
「屋根の上のバイオリン弾き」をぜひ。

以上で〆


因みにこの日はロビーで、
ジョン・ウィリアムズのインタビューをながしていたみたいだけど、
自分のこの日の座席が列の中ほどだったので、
みてると戻るのが遅くなり端にいる人に迷惑になるので、
見るのを断念しました。

できれば5月5日の放送時に、こちらもぜひ一緒に放送してほしいです。
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イッセルシュテットの1970年の第九を聴く。 [クラシック百銘盤]

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ヘレン・ドナート(ソプラノ)
ツヴェトカ・アーリン(アルト)
ヴェルナー・ホルヴェーク(テノール)
ハンス・ゾーティン(バリトン)

北ドイツ放送合唱団ヘルムート・フランツ(合唱指揮)

北ドイツ放送交響楽団
ハンス・シュミット=イッセルシュテット(指揮)

録音 1970年5月5日 ハンブルク:ムジークハレ


ハンス・シュミット=イッセルシュテット。

今この指揮者は、
特に若い層にはどういう受け取られ方をされているのだろう。

かつての彼は日本ではそこそこ名前の知られた指揮者だった。

戦前にはカサドとのドヴォルザークのチェロ協奏曲の音盤が、
新聞に発売告知されていたこともあった。

ただだからといってスター指揮者だったというわけではなく、
むしろ二つ下のヨッフムの方が注目されていたといっていい。

その後の彼はハンブルクに新設された北ドイツ放送放送交響楽団に就き、
1971年までその任に就いた。

彼が日本で特に注目されたのは、
おそらくバックハウスとのベートーヴェンの協奏曲全集だと思う。

オケがウィーンフィルということもあり、
当然この全集は大きな評判をよんだ。

(ヌヴーとのブラームスがいつ発売されたかはよく知らない)

そして1964年にイッセルシュテットは初来日。
読売日響と大阪フィルを指揮した。

彼はもともとモーツァルトを得意としていたが、
この公演でも31番と41番を指揮し好評を博した。

そして翌年から彼の代表作となる、
ウィーンフィルとのベートーヴェン交響曲全集の録音を開始する。

1970年の楽聖生誕二百年記念のためのそれ。

その最初に録音されたのが第九。

それから1969年までかかり全9曲と序曲数曲を録音する。

そして1970年を迎える。

この楽聖生誕二百年の記念すべき年。

世界各地で多くのイベントがあった。

ロンドンではクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全曲チクルス。

日本では大阪万博開催中ということもあり、
大阪ではカラヤンとベルリンフィルの、
東京ではサヴァリッシュとN響のチクルスが挙行された。

そんな年の大詰めにイッセルシュテットは再び来日、
読売日響を指揮して荘厳ミサと第九を演奏した。


読売日響は二十世紀に三つの歴史的演奏をしたと言われている。

ひとつは1990年のクルト・ザンデルリンクによるハイドンとブラームス。
ふたつめは、1977年と翌年に続けて来日したチェリビダッケとの一連の公演。
そしてみっつめが、1970年のこのイッセルシュテット公演。


自分は1974年に当時読響の団員だった方が、
「イッセルシュテットは素晴らしい指揮者だったなあ」と
本当に噛みしめるように話されていた事を聞いたことがある。

ただこれは本当に素晴らしかったという意味あいと、
もう二度と彼の下で演奏できないという悔恨の念もあったように感じられた。

イッセルシュテットは前年の5月28日、
アムステルダムでコンセルトヘボウを指揮しブレンデルとの共演で、
ブラームスの1番の協奏曲を録音した数日後に急逝してしまったからだ。

この最後の録音も素晴らしかったけど、
その前年にバンベルク響と録音した、
モーツァルトの31番と35番も名演だっただけに、
その死は本当に多くの人たちから悔やまれた。

(因みにイッセルシュテットが亡くなった1973年は、じつに多くの指揮者が亡くなられた受難の年といわれています)

そんなイッセルシュテットの1970年の来日公演を自分は耳にしたことが無く、
一度耳にしたいとずっと思っていた時今回このCDを知った。

録音は同年の5月5日。
指揮者70歳の誕生日当日、地元ハンブルクで指揮したもの。

演奏時間、15:56、10:17、15:31、25:17。


演奏はじつに実直というか真っ向勝負の演奏で、
外連味なくストレートに音楽をすすめていく。

ウィーンと違うのはオケの性質上のそれもあるだろうけど、
ウィーンの時にときおり感じられた独特の練り込まれたうねり感のようなものが、
こちらではより硬質で辛口ではあるものの、
全体により大きな起伏となっているように感じられる。

そういえばこの傾向はウィーンでのベートーヴェン全集でも、
最後の方に録音された7番や8番でも感じられており、
イッセルシュテットの座標がこういう方向に向かいはじめていたのかも。

ただ録音でこれだけ感じられるということは、
じっさいにはよりこれが大きなものであったことは確かで、
1970年の日本でのそれが歴史に残るといわれたのは、
そのあたりの素晴らしさがひとつとしてあったのかもしれない。

ティンパニーもしっかりと打ち込まれていて、
これがまた音楽の芯の強さを感じさせられるものがある。

ライブということで、さすがにキズ無しとはいかないけれど、
この興の乗り方と音楽の流れはセッション録音以上のものがあり、
とにかくこの曲のひとつの理想といえるほど素晴らしい出来。

ウィーンの時のような共同作業的なものではなく、
指揮者が気心知れたオケによって自分の音楽を前面に出すことができた、
本当に深い感銘を受ける演奏でした。

合唱も善戦してるしソロもアンサンブルにも気を配っていて、
これも指揮者の音楽とうまくマッチしている。

録音はややテープの痛みのようなものを感じる時があるが、
全体的にはまあまあの音質となっている。

これを聴くと1970年の来日公演も聴きたいけど、
録音等はもう残っていないのかも。

だったら1970年以降に彼が遺したライブ録音等を、
もっといろいろと発掘しCD化してほしい。

と、そう思わせるほど聴き応えのある第九の名演。
聴く機会がありましたらぜひご一聴を。

尚、ハンブルクのこのオケが初めて来日したのは、
この録音よりだいぶ後の1987年5月。

指揮者はデュトワと朝比奈隆。

当時のトップだったヴァントと来日するのはこのさらに三年後となります。


※イッセルシュテットの日本公演の日程と曲目。
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オーマンディ・フィラデルフィアの1967年来日ライブを聴いて [クラシック百銘盤]

今年(2019)生誕120年を迎えるユージン・オーマンディ。

その初来日公演の一部を収録したCDが発売された。

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オーマンディの初来日公演から大阪と東京の各一公演ずつ。

当時の新聞や評をみると、
じつはあまり芳しくない評が散見できる。

だがそんな評はどうあれこのライブCDで聴く演奏はとにかく凄い。

あまりにも許容範囲を超えた、
その巨大かつ情報量の膨大な凄い音楽を前にして、
ある評論家は狼狽え、混乱し、自分の世界に引き籠り、
結果、自分の価値観を羅列し肯定するため、
目の前の音楽を否定するという安直さに走ったのではないかというくらい、
とにかくその音楽は凄まじい。

普段レコードではホールと溶け合ったような、
そしてこの頃の国内盤がやや着色過多な響きによってマスクされていた、
このオケ本来の剥き出しの凄みがモロに前面に出て来たのだ。

ティンパニーなどほとんど別物だ。

これには今のレベルから考えると、
当時の日本のホールの些かデッドな響きの中での演奏ということもあるだろう。

この初来日時のフィラデルフィアは、
同オケの歴史に残る大コンマス、
アンシェル・ブルロシウが前年退団していたものの、
その状態はまだまだベストを維持しており、
セル指揮クリーヴランド並んで、
全米を代表する世界屈指のスーパーオーケストラだった。

しかも財団が世界的な名器を楽団員の為に購入を手伝い、
それを与えていたというだけに音質も絶品。

それがいきなりそんなホールでエンジン全開したのだ。

たしかにそれ以前にも1955年のシンフォニー・オブ・ジ・エア、
その後のベルリンフィル、レニングラードフィル、ボストン響等々、
いろいろと凄いオケの来日公演はあっただろうけど、
世界屈指の名門オケがピークの状態で、
しかも三十年もトップに経っている指揮者が同行したのだから、
今から見るとかなり脆弱だった当時の日本のオケに耳が慣れた人には、
ほとんど何が起きたか分からないような、
それこそ別次元の世界がいきなり現れたように感じ度肝を抜かれことだろう。

当時の来日公演とプログラムは以下の通り。

1967.png
※クリックすると大きく見られます。

今回のCDは5月4日の公演からハイドンを
そして5月12日の公演からはシュトラウスを省いたものだけど、
アンコール曲や日米両国国歌が収録されている。


オーマンディ当時68歳。

まだまだ老熟する前の、
かなり熱いものをストレートにぶつけてくるような、
いかにもトスカニーニに私淑した彼のベースを聴くような趣がある。

しかもかなり押しまくる。

もっともテンポを派手に動かすとか、
音を猛烈に咆哮させて汚く濁らし荒々しさを出すとか、
そういう事はしていない。

ある意味自然体のままバシバシ押してくるような感じで、
聴きようによっては容赦ない趣すらある。

オーマンディってこんなに強く押してくるタイプなのかと、
ちょっと新鮮な驚きすらあった。

(もっともCBS時代にもそれを充分感じさせる録音は多々あった。モーツァルトのパリ、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、プロコフィエフの古典交響曲、そしてショスタコーヴィチの4番あたりはその好例だろうか)

ただバルトークにせよシベリウスにせよ、
作曲家と面識があるということもあり、
特別な作曲家として熱くなっているのかもしれない。

自分は1978年と1981年に彼の実演に接した事があり、
シベリウスの演奏は1978年に神奈川県民ホールで接しているが、
2番と1番の違いはあるけど、
これほど熱かったという印象はじつは無い。

確かにその演奏は前年に聴いた、
ムラヴィンスキーのチャイコフスキーにも匹敵するような、
ほんとうにシベリウスの神髄ともいえるほど圧巻のものだったけど、
もうすこし泰然自若とした趣があった。

それは年齢的な違いも少なからずあるだろう。

ただいろいろな部分で、
このライブ盤とその時の実演はかなり重なる部分があり、
ちょっといろいろと懐かしいものがある。

特に音楽の芯の太さと強さは、
このライブ盤ではかなりストレートに伝わってくる。

実際に聴くと、
さらにそれを取り巻くように透明な、
それでいてうっすらとした色のようなものを取り込んだ響きがひとつとなって、
風圧をともなうように舞台上からせり出すように響いてくる。

しかも音楽は静態してるわけではなく、
曲によっては推進力に富んだ、
しかも軽やかなステップで疾走するかのように音楽が動く。

これはなかなか録音では分からないが、
こういう芸当ができるのは、
あとはムラヴィンスキーとレニングラードフィルくらいしか自分は知らない。

また弦楽器の一枚岩的な響きに比して、
管楽器はそれに比べるとやや奏者に任せた部分があるのも、
これまたムラヴィンスキーとそのオケと似ているのが面白い。

トスカニーニに私淑した弦楽器出身指揮者の特性なのだろうか。

最後に思い出した事。それはオーマンディの写真。

彼の写真をみると口元は笑っている写真は数あれど、
目が笑っている写真というのを自分はほとんど見た事がない。

ここでの演奏もまたそれを思い起こさせる。


因みにこの初来日公演以降に、
彼はじつはフィラデルフィアの勇退を決断しており、
後任にサヴァリッシュに白羽の矢をたてたものの、
サヴァリッシュはカイルベルト急逝後の、
バイエルンの歌劇場をまかされる事が決まっていた為固辞され、
結果これを諦めざるを得なくなり、
ムーティに1980年に託す迄十年延長とあいなったという事があった。


そんな事を考えて聴くとまたちょっと面白いかも。

そんなライブ盤です。

音質は多少マスターが痛んでいる箇所はあるものの、
概ね良好なステレオ録音で収録されている。

だだできればコンプリートで聴きたかったなあ。


最後に。

このCDのシベリウスの方に書いてるライナーで、
村田武雄さんがいろいろと話されているけど、
あれがほぼ自分の立ち位置と同じという事を付け加えておきます。

評論家側からはいろいろと言われたものの、
演奏家側からはむしろこのオケは高く評価され、
世界で最も素晴らしいのはフィラデルフィアとクリーヴランドだと、
当時在京のオケに在籍されたていた方々の声も多数聞かれた。

またこの時ほぼ同時期にモスクワフィルと来日したコンドラシンは、
世界で最も素晴らしいオケをフィラデルフィアと発言していた。

このように演奏する側からは、
フィラデルフィアは極めて高く評価されていたようです。

そして何よりも当時の聴衆の反応がまた熱狂的で、
この演奏がじつに素晴らしかったかがよく分かる。

これがすべてなのかもしれないし真実なのだろう。

そういえば自分が1981年にこのコンビの演奏会を同じ文化会館で聴いた時、
最後のチャイコフスキーの5番が終わった直後、
数は少なかったけどスタンディングオベーションをされていた方がいた事を、
これを聴いていてふと思い出した。


因みにじぶんがかつてオーマンディに対して書き込んだものがこちらにあります。
かなりキツイ物言いもありますのでご了承ください。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page175.html

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311から8年が経ちました。 [震災]

毎年3月11日はかならずどこかでお参りしている。

そしてその多くは鎌倉の長谷寺。

ここは震災発生時間に追悼の鐘をつき、
観音様の前で読経をあげている。

今年もまた長谷寺に行った。

じつは自分は311のちょうど一か月前に身内を亡くしている。


311当時は通夜や葬儀をすまし、
これから四十九日の法要などいろいろとこれからのことを、
ちょっとぼんやりというか、
深く考えることができないというか、
まだ多少どこか夢の中のような、
現実をしっかりと受け取っていない時だった。

そんなことを遅い昼休みにぼんやりと考えていた時、
あの地震がやってきた。

あの日のことは、
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-03-12
に書いてあるけど、
正直言うと自分なんかはまだお別れが出来た分まだいい。

311の場合は、
それすらできない、
というよりまったく予期しない状況で断たれた方も大勢いるだろう。

それを思うとなんとも言えないものを自分はそこに考えてしまう。

自分が毎年神社仏閣に行き、
そこでその時間に手をあわせるのはそういう部分もあるからだろう。


この日はまったく晴天だった。
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以前はここで追悼式典をしていましたが、
今年はここではやらないようです。

その後長谷寺へ。
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時間が近づくと鐘を鳴らし読経をあげるので、
ぜひ黙祷の後お参りをしてくださいという呼びかけがあった。

ただ今年は英語での呼びかけもあった。
昨年はあっただろうか。

ちょっと記憶にない。

午後二時四十六分。
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鐘の音が鳴ると同時に一斉に多くの方が黙祷。

外国から来た方も手を合わされていました。

その中で観音堂の中から読経が聞こえだした。
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鐘の音と読経の声が静かに響いていきました。
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もう八年なのかまだ八年なのかは自分には分からない。

ただ自分はこれからも311になるたびに、
その時間どこかでこれからも祈り続けることになると思います。

自分の中で311をいつまでも風化させてはいけないという戒めも込めてです。
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フェドセーエフの1975年のショスタコーヴィチの5番 [クラシック百銘盤]

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ウラディーミル・フェドセーエフが初来日したのは1975年の1月。
モスクワ放送交響楽団(チャイコフスキー記念交響楽団)の来日公演が最初だった。

このオケは1972年にロジェストヴェンスキーとネーメ・ヤルヴィ、
この二人とともに来日したのが最初。

この公演は当時のショスタコーヴィチの新作交響曲第15番の日本初演。

ロジェストヴェンスキーが三度目の来日にして、
初めて自らのオーケストラと行うコンサートツアー。

そして放送響自身の初来日ということで話題の公演となった。

そのせいか再来日の報が早くもその二年後には告知された。
指揮者はもちろんロジェストヴェンスキー。

だがそれから間もなくしてロジェストヴェンスキーはこのオケの地位を辞し、
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となった。

このときこのオケの後任人事がけっこういろいろとあったらしく、
それは一時同行指揮者が二人発表されたところにもあらわれていた。

ひとりはマリス・ヤンソンス、そしてもう一人がフェドセーエフだった。

結局1975年1月のモスクワ放送響再来日は、
1974~1975年のシーズンから音楽監督になった、
このフェドセーエフひとりによる来日公演となったが、
そのためこの公演は旧ソ連のオーケストラの来日公演で、
指揮者がひとりで全公演を指揮する初めてのそれとなった。

(この公演以降、このオケの来日公演は、ごく一部の例外を除き、フェドセーエフ一人の指揮で全公演が行われている)

このツアーは1/17~2/21まで行われたが、
一人でやるにはかなりの強行軍となった。

日程と曲目は以下のとおり。


1月17日:東京文化会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月20日:名古屋市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月22日:神戸文化ホール
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

1月24日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月25日:和歌山県民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第5番

1月27日:金沢観光会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月29日:東京文化会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月30日:藤沢市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月4日:八幡市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月5日:福岡市民会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月7日:宮崎市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月8日:熊本市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月10日:フェスティバルホール
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月12日:東京文化会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月14日:宮城県民会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月15日:青森市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月16日:函館市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月17日:苫小牧市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月18日:札幌厚生年金会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月19日:北見市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月21日:新宿厚生年金会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
チャイコフスキー/交響曲第6番


というかなりのもの。

しかもこの時期、
まだ新幹線も東京~新大阪間しか開通しておらず、
そのたいへんさは今よりもかなり大変だったと思われる。

この強行軍ツアー終了後、
フェドセーエフにとって最初のシーズンが終わる少し前の四月に、
モスクワで放送響とレコーディングが行われた。

曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。

じつはこの曲は1972年の来日公演ではロジェストヴェンスキーとヤルヴィ、
そして直前の来日公演ではフェドセーエフが指揮している。

特にフェドセーエフは日本で八回も指揮しているので、
ある意味この曲の録音の下準備は充分すぎるほどできていたともいえる。

とはいえいろいろとフェドセーエフにとってプレッシャーのかかる、
これは録音であったかもしれない。

何しろ超個性的な前任者が十年以上いたオケを、
赴任してから半年ほどの時期だったため、
まだまだ前任者の色が濃い状態のオケを指揮すること。

またショスタコーヴィチがまだ存命中ということもあり、
地元モスクワでの録音で下手な事は出来ない。

そして彼がアシスタントを一時つとめたという、
あのムラヴィンスキーもまだバリバリやってたし、
同じモスクワのフィルハーモニーには、
これまたやはりショスタコーヴィチと親交のあった、
名匠コンドラシンが指揮台に立っていた。

これらの事を考えると。
確かにやりがいもあったかもしれないけど、
この曲を録音するということは、
今よりもかなりプレッシャーがあったような気もするけどどうなのだろう。

そんな状況下で録音されたこの演奏。

まず録音が1975年にしては些かローカルで、
同じ時期の他の欧米の録音と比べて物足りないが、
それが当時のメロディアらしいといってしまえばそれまでか。

録音のバランスもときおりちょっと不思議なところがあるし、
ホールの響きにソロ楽器が埋没してしまうところもありと、
ちょっと不思議な部分があるが、
その反面下品なほどの金管の割れんばかりの咆哮が、
これまたメロディアの昔のLPを聴いてるみたいで、
今のまとまりのある録音に耳が慣れた人には不満爆発かもしれないが、
かつてのメロディアの響きに慣れ親しんだ人には、
妙な懐かしさを感じるかもしれないような響きが横溢している。

またその反面弦の弱音などはかなり丁寧で、
思わずじっくりと聴きこませるほどのものがあります。

そしてオケ全体の音。

やはり前任者の影響が強いせいか、
フェドセーエフは端正でハッキリとした響きを要求しているのだろうけど、
上記した金管のそれもかなりのものだけど、
随所に前任者が聴かせた摺り足的ともいえる粘るような歌いまわしが聴かれ、
結果的にどす黒いともいえる雰囲気と、
しかも低めに重心を置いた凄みを感じさせる、
フェドセーエフにしては情念的ともいえる、
やや異色な出来ともいえるものになっている。

ただオケそのものは同曲を再録音した、
1991年盤より管楽器などかなり粗いが、
全体的にはこちらの方が弦を中心として地力が上に感じられる。

それは1991年時には、
モスクワの放送響を含む主要オケの多くが、
新規に創立されたロシア・ナショナル管にメンバーを抜かれ、
メンバーに変動が急遽起きてしまったことと、
当時のソ連の雰囲気がいろいろと影響していたのかもしれない。

それはクーデター云々部分以外の事も含めてです。

ただ同年6月の同オケの日本公演では、
すでにメンバーの移動が起きてはいたものの、
この録音よりはずっとまとまりのあるいい状態だったので、
後者の方がより大きな影響をオケに与えていたのかも。


演奏時間は、
17:26、4:56、14:16、9:40。

因みにフェドセーエフの同曲再録音となった1991年盤は、
16:47、5:04、14:40、10:42

尚、コーダは1991年盤同様、
「四分音符=188」説に沿った快速テンポで押し切っているが、
多くの指揮者と違い、
最後までそのテンポ緩めることなく。
厳しいほどにそれに徹し一気に走り切ってしまう。

旧ソ連の指揮者でこのテンポでやる指揮者は珍しいが、
最後テンポを落さないというのは、
「四分音符=88」説に則した演奏という違いはあるが、
ムラヴィンスキーの演奏と共通しているといっていい。

とにかく録音も演奏もやや粗い部分はあるものの、
今となってはなかなか貴重な演奏といえるし、
どす黒い凄みの有る響きによるショスタコーヴィチということで,
いろんな意味で聴き応えのある演奏といえると思います。


しかし1975年の来日公演で、
こういう最後超快速コーダのショスタコーヴィチを聴いた聴衆は、
当時どう思った事だろう。

バーンスタインの旧盤あたりの録音も含め、
そこそここういう傾向の演奏はあったから珍しくはなかったろうけど、
やはり旧ソ連オケがこういう演奏をするとは思ってもみなかったことだろう。

特に1973年に来日したムラヴィンスキーの同曲の演奏は、
NHKのテレビやラジオでも放送されていたので、
その印象で聴きに来ていた人も少なからずいたのではないだろうか。

だとしたらその衝撃はかなりのものだったろうし、
フェドセーエフの来日公演を聴かないでこの音盤を当時初めて聴いたら、
やはり同様に驚いたことだろう。


と、この録音を久しぶりに聴いたら、
そんなことをいろいろと思い起こしてしまいました。


尚、あとは余談ですが、
この公演、じつはその後あまりにも話題性のある公演が、
春先から初夏にかけて立て続けにあったため、
そちらに話題をそっくり持っていかれてしまいました。

3月
ウィーン・フィルハーモニー(二年ぶり五回目)
指揮、カール・ベーム/リッカルド・ムーティ

5月
BBC交響楽団(初来日)
指揮、ピエール・ブーレーズ/チャールズ・グローブス

レニングラード・フィルハーモニー(二年ぶり三回目)
指揮、エフゲニー・ムラヴィンスキー/アレクサンドル・ドミトリエフ/エドワルド・セーロフ

バイエルン放送交響楽団(十年ぶり二回目)
指揮、ラファエル・クーベリック

6月
サンフランシスコ交響楽団(七年ぶり二回目)
指揮、小沢征爾


またフェドセーエフは翌年読売日響に客演するため再来日しました。

8月17日:東京文化会館
カバレフスキー/コラ・ブルニョン、序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/ルドルフ・ケレル)
チャイコフスキー/交響曲第6番

8月24日:厚生年金会館[協奏曲の夕べ]
メンデルスゾーン/フィンガルの洞窟
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲(VN/天満敦子)
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン(VN/天満敦子)
ショパン/ピアノ協奏曲第1番(P/佐々木弥栄子)
ショパン/華麗なる大ポロネーズ(P/佐々木弥栄子)

8月25日:神奈川県民ホール[協奏曲の夕べ]
モーツァルト/フィガロの結婚、序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/前橋汀子)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(P/弘中孝)
ショパン/華麗なる大ポロネーズ(P/弘中孝)

というものでした。

この後フェドセーエフが日本の地を踏むのは、
ビクターによりモスクワで多くのJVCデジタル装置による録音が行われ、
それによる知名度と評価があがった1986年の5月。

じつに10年後のゴルバチョフ政権の時代まで待つことになります。



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スワロフスキー指揮ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団(2/19)を聴く。 [演奏会いろいろ]

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2月19日(土)みなとみらいホール 開演時間 2:00pm

レオシュ・スワロフスキー指揮チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

(曲目)
スメタナ/交響詩「わが祖国」(全曲)

1.ヴィシェフラド(高い城) 
2.モルダウ 
3.シャールカ 

~休憩~

4.ボヘミアの森と草原から 
5.ターボル 
6.ブラニーク


チェコのオーケストラによる「わが祖国」は、
今まで何度も日本で演奏されてきたけど、
この指揮者とこのオケはもちろん、
プラハ以外のオケによるそれで聴くのは今回が初めて。

またこのホールでの「わが祖国」全曲というのも初めてなので、
いろんな意味で楽しみな演奏会となりました。

(本当は2017年にこのホールでチェコフィルによるそれを聴く予定でしたが、指揮者が急逝されたため行くことを断念、結果前述したとおり、この日がこのホールで初の「わが祖国」となりました)

編成は「新世界」や「悲愴」を中心したプロによるツアーのため、
弦は多少小ぶりの編成で13-11-9-8(7かも)-7
あとは楽器指定通りの二管編成の管楽器を軸に、
ホルンのみが6本に増加されたというもの。

クーベリックとチェコフィルのような大幅に管楽器を増大させ、
弦もそれにみあうだけの大きな人数で演奏されたそれに比べると、
この編成だと音量的に物足りなく感じられた人もいるかもしれないが、
個人的にはこのホールでの充分な音量だった。

ハープは一台しかなかったがこれもそれほど問題は感じなかった。

また自分は気づかなかったが、
管楽器の一部で前半後半と入れ替わったらしいけど、
(申し訳ないですが自分はそれには気づきませんでした)
演奏がそれによって一貫性や統一感を欠くという印象はなかった。

あと前半後半で思い出したけど、
「わが祖国」に休憩を入れるのは好ましくないという意見があるようですが、
自分が過去実演で接した同曲の演奏で、
休憩を挟まず一気に演奏したケースというのには、
正直一度も出くわしたことがない。

実際一気に演奏されることってどれくらいあるのだろうか。

この日もいつも通り三曲目終了後20分の休憩。


さてこの日の演奏。

全体的にはかなりオーソドックスで正攻法。

この曲をあるがままに聴きたいという人には、
かなりそれに向いた演奏といえる。

随所に木管のユニークな表情やバランス、
「シャールカ」冒頭での気合の入った入り、
「ブラニーク」のコーダで聴かせたティンパニの細かい表情など、
確かに個性的な部分がなかったわけではないけど、
とにかく全体的にはオーソドックスな演奏だった。


また今まで聴いた演奏の中ではひじょうに流動感に富んだ、
丁寧かつ生命感溢れる演奏で、
そういう意味ではかつてノイマンがチェコフィルと録音した同曲の音盤、
1975年録音のセッション盤と1982年のライブ盤の、
この両方の間をとったようなかんじの演奏だったといっていい。
(またコシュラーとチェコ・ナショナルにも通じるような雰囲気も感じられた)

そういう意味では、
ノイマンやコシュラーの来日が頻繁だった1970年代に、
音楽をいろいろと聴いて育った人間には、
どこか懐かしい語り口のようなものを感じさせられた、


ただノイマンのような悠揚感よりは、
詩的な瑞々しさの方にやや重きを置いたような感じになっており、
そのせいか弦の響きなどは、
かつてビエロフラーヴェクが日本フィルを指揮したそれに近い、
ひじょうに見通しの良さを助けるような、
そんな音色や音質を想起させられるものがあった。


一昨年のフルシャと都響がミューザ川崎で聴かせたような、
物凄いほどの気迫と集中力を込め切ったような演奏とは対極の、
肩肘はらない伸びやかともいえる演奏ではあったけど、
この曲そのものの良さをストレートに伝えるという意味では、
同じ方向性をもった演奏だったといえるのかもしれない。


話題性やストイックな強烈さとは無縁の演奏だったけど、
とにかくひじょうに音楽の温かみを感じさせる今回の演奏でした。

できれば何度もじっくりと聴き返してみたい、
そんなかんじの演奏でした。

それだけにこの組み合わせによる「わが祖国」の録音が存在しないのは、
かえすがえす本当に残念。

今回は収録等も行われなかったようなので、
この組み合わせによる同曲を聴きたければ
またの機会を気長に待つしかないようです。


アンコールは無く、終演後には会場でCDを購入した方対象で、
指揮者スワロフスキーのサイン会がありましたが自分は不参加。


というところで以上です。


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