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トーマス・ヘンゲルブロック指揮NHK交響楽団(12/8)を聴く。 [演奏会いろいろ]

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12月8日(土)NHKホール 開演時間 3:00pm

トーマス・ヘンゲルブロック指揮NHK交響楽団

(曲目)
バッハ/組曲 第4番 ニ長調 BWV1069
バッハ(シェーンベルク編)/前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552「聖アン」
バッハ/マニフィカト ニ長調 BWV243(クリスマス用挿入曲つき)
ソプラノⅠ/アグネス・コバッチ
   ソプラノⅡ/ババラ・コゼリ
   アルト/フィリッポ・ミネッチア
   テノール/ミルコ・ルートヴィヒ、ヤン・ペトリカ
   バス/ライハルト・マイヤー、ティロ・ダールマン
合唱:バルタザール・ノイマン合唱団



デュトワがこれなくなった今年の12月のN響定期は本当に超豪華版となった。

先週のヴェデルニコフのグラズノフも待望だったが、
ヘンゲルブロックの登場にはかなりビックリ。

しかもなんとバルタザール=ノイマン合唱団までやってくる。

ヘンゲルブロックは今までヴァイオリン奏者、
そしてNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団とは来日していたが、
何故か手塩にかけたバルタザール=ノイマンとの来日はなかった。

かつてロッティの作品やヴェネツィアの作品、
そしてバッハのロ短調などをバルタザール=ノイマンと録音し、
その名前を日本に広めたヘンゲルブロックとバルタザール=ノイマンが、
こういう形で日本公演を実現するとは思いもよらなかった。

曲目もいかにもヘンゲルブロックらしい凝ったもの。
まさに待望のN響初登場公演となりました。


前半のまずバッハの管弦楽組曲。

コントラバスの位置は通奏低音の位置関係の為かステージ向かって右側にいたが、それ以外は対抗配置のようにみえた。

かなりの小編成だけど、これをみていてNHKホールが杮落しをした直後に、カラヤンとBPOがこのホールで、バッハのブランデンブルク協奏曲の第一番を小林道夫氏とカラヤン自身のチェンバロ演奏という豪華版で演奏したことがあったことを思い出した。

そのとき後半はブルックナーの第七交響曲だったが、当時はこういうプロも決して珍しいというほどではなかった。


だがそんな小編成にもかかわらず、この大ホールでもバッハは少なくとも三階席の前方まではしっかりと音が届いていた。それくらいヘンゲルブロックの指揮したN響の音は無駄なくホールに潤沢に鳴り響いていた。

これがかつてのN響だったらこうはいかなかっただろうが、パーヴォ・ヤルヴィが来てからというもの、N響はこういう演奏にもしっかりと対応できる術ができており、じつに安心して聴いていられた。

ヘンゲルブロックのバッハはじつに奔放。緩急強弱ともじつに大きく表情も豊か。弦のアクセントのつけ方や、弱音におけるじっくりと歌い込む所などが随所に聴かれ、とにかく楽興の時というかんじの、楽しくて愉しくてしかたがないというバッハとなった。

たしかにバッハとしては木管の縦の線が揃わないような部分もあったけど、今日のようなヘンゲルブロックのやり方だと問題になるとは思えなかった。

そのためか途中からバッハなのかヘンデルなのかちょっとわからなくなるようなかんじだったけど、とにかく胸のすくような気持ちのいい、そして愉しみまくったバッハでした。

それにしてもヘンゲルブロックとN響メンバーの距離感が近い。これは指揮台や譜面台をヘンゲルブロックが使用しなかったこともあるけど、ヘンゲルブロックの一呼吸一投足に対するN響の反応がじつに俊敏かつ細やかだったことも感心

おそらくこれが愉悦感満点のバッハへと繋がったひとつの大きな要因になったのかも。


続いて、曲は二百年程現代に近づき、シェーンベルクの編曲したバッハ。

ただこの時、前曲からすぐに始めることはできず、舞台上はバロック系の小編成から、四管編成のフルオーケストラへの配置換えや、一曲目では使用されなかった指揮台や譜面台の用意などけっこうな大仕事が行われた。

こうした大仕事が終わった後に演奏されたシェーンベルクによるバッハを、ヘンゲルブロックは色彩的かつ巨大な音楽にもかかわらず、細部をかなりクリアに仕上げていて、明快で見通しのいいこれまた一曲目とはまた違った、なかなか愉しい演奏となっていました。

しかしあらためて聴くと、ときおりバッハというより、なんかディズニーで使われそうな音楽にも聴こえたりして、なかなか一筋縄ではいかない凝ったアレンジということを、今回の演奏で再認識させられました。


ここで休憩。


ここまでのヘンゲルブロックのバッハは、バッハのイメージとしてある「厳か」というイメージよりも、とにかく流動豊かな、それこそ祝典的ともいえるような愉しさを前面に出したような「陽性」ともいえるバッハで、おそらくバッハと聞いて身構えた人たちにとっては、「バッハってこんなに楽しい音楽なのか」とさえ感じられたのではないでしょうか。

そんな流れの中後半へ。


この日は下記の告示や同内容の場内放送がありました。
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ここで舞台はまた前半一曲目とほぼ同じとなり、先ほどまでは巨大な木管群のいたあたりに合唱団が入る座席が二列横隊でセットされていた。

そして「モテット」。

冒頭オケが前半と違い厳しめの音を出したのは、宗教音楽ということもあるのだろう。

オケに続いて合唱が続いた。その瞬間、

「これは凄い!」

と、もう一瞬でまいってしまった。

全部でソロ担当を含め三十人程のその声は、驚く程肩の力の抜けた力強さをもち、清澄かつ明晰な響き伴いながら、伸びやかにホール全体に響き浸透していった。

おそらくホールにいたほとんど人がその歌声に驚き感動したのではないだろうか。N響公演史上に残る最高の合唱といっていいかもしれない。

特に弱音での説得力は圧巻で、四千人の聴衆がまるで固唾をのむように、その声に耳を傾けたため、ホール全体が驚く程静寂に包まれたことがすべてを物語っていたといっていいと思う。

尚、この曲でのソロパートは、一部を除きすべて合唱団のメンバーがソロをとるため、自分がソロをとるときは自分の位置から中央側に移動し歌うというスタイルをとっていた。
(一部を除きというのは、カウンターテナーのフィリッポ・ミネッチアなどは確かバルタザール=ノイマンの団員ではなかったのでは?という意味です)

音楽は最後素晴らしいほど輝かしく終了。

ここで一度演奏は終了。聴衆の拍手は特に合唱団、そしてミネッチアをはじめとしたソロの人たちに大きく送られていました。

その後クリスマスオラトリオの曲が演奏。これがあまりにも素晴らしく、正直ちょっと泣きそうになってしまいました。

そして無伴奏のアンコールを一曲。

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これがまた心に染みる。もはや言葉もありません。


演奏終了後、無事終了を喜び合う合唱団の姿と、その合唱団が退場していくとき、多くの聴衆がスタンディングで拍手を最後の一人が退場するまで送り続けていたそれがとても印象に残りました。


正直、ここまで心に響く演奏会になるとは思いませんでした。一日目も行けばよかったというのはそれこそ後の祭り。今回は一度でも聴けたことを幸運と考えるべきかも。


またヘンゲルブロックとバルタザール=ノイマンにはぜひ来日してほしいです。できれば今度はロッティあたりで。

超大満足となった自分にとって今年最後の演奏会でした。




(余談)

かつてクライスラーが五千人以上入る大きなホールで演奏したとき、その音がホールのすみずみまで響き渡ったという話を聞いたことがある。今回の四千人入るNHKホールでのバルタザール=ノイマン合唱団のそれを聴いていて、ふとこの話を思い出してしまいました。
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アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮NHK交響楽団を聴く(12/2) [演奏会いろいろ]

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12月2日 開演時間:15時 NHKホール

(曲目)
スヴィリドフ/組曲「吹雪」―プーシキン原作の映画から
スクリャービン/ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20(P/アンドレイ・コロベイニコフ)
グラズノフ/交響曲 第7番 ヘ長調 作品77「田園」



ヴェデルニコフを聴くのはロシアフィルとの来日公演以来だから、
もう十年以上ぶりということになる。

あのときは泰然自若な音作りと嵐のような猛烈な興奮を兼ね備えた、
ある意味アシスタントを務めた事があるフェドセーエフの若き日のそれを思わせるようなスタイルだった。


あれから十年ぶりに聴いたヴェデルニコフは、
かつてのそれと大きくイメージは変わらないが、
以前より格段に表現の幅が大きくなり細やかな陰影や深さを感じさせるそれとなっていた。
(ちょっと先月聴いたアレクセーエフと似たような所がある)

特に弦の美しさは格別なものがあり、
それは一曲目のスヴィリトフで最高に発揮されていた。

それにしてもじつに味わいのある演奏だった。

この曲は全曲や一部をかつてスヴェトラーノフやフェドセーエフでも聴いているが、
それらと比べても何等聴きおとりすることのない、本当に極上の演奏だった。


続いての協奏曲。

こちらはコロベイニコフの強靭かつ明晰なタッチのせいか、
よくこの曲をショパン風味に弾く演奏が多い中、
指揮者ともども正面突破を試みるような演奏に徹した為、
辛口のラフマニノフとも言いたくなるような強烈な演奏になっていた。

そのせいか19世紀終わりに書かれたこの曲から、
より強い20世紀の感触を受けたのも確かで、
この曲より十年程後に書かれた「法悦の詩」を感じさせるような所が、
ときおり感じられたような気がしたものでした。


ここまでが前半。

ここまでで感じた事はN響が演奏していることもあるけど、
ロシア機な雰囲気というものはメロディ等には感じられるものの、
全体的にそういうものに頼らない、
曲そのものを真正面からしっかりとらえながら、
あるがままの良さをじっくりと描こうという指揮者の姿勢。


ただそのために他人事になったり一歩退いたりという感はなく、
音楽に対してかなり踏み込んだような趣が強く、
それが結果としてその曲の良さだけでなく、
結果的に今まで感じる事のなかった別の面も表出されるという、
なかなかの出来になっていたように感じられた。


ただこれはスヴィリドフやスクリャービンだから上手くいったところもあり、
これらより国民楽派的な要素が強いグラズノフとなるとどうなるか。

そして後半。


正直言うと自分はグラズノフの交響曲とあまり相性が良くない。

ムラヴィンスキーの指揮で4番や5番の録音を聴いた時も、
これといった印象を自分は受ける事はなかった。


ただこの7番は例外的にとても好きな曲なので、
あまり演奏される機会もないためとても楽しみにしていました。


結論から言うと前半のやり方をここでも踏襲した演奏となったため、
予想通りロシア風味というものはあまり強くなかったけど、
ちょっとボロディンの交響曲第3番を想起させるような第一楽章での詩情感たっぷりの表情づけなど、
心から音楽に浸ることができる、じつに嬉しくなるような期待通りの演奏となっていました。

確かに随所にこれがロシアのオケだったらと思った部分がなかったわけではないけど、
それはオケがN響という時点でしょうがない話。
(それでもホルンのビブラートなどはなかなかの味わいでした)

ただこれはN響が悪いとかそういう意味ではなく、
これは言葉では伝えきることのできる範疇の外の話であって、
そこの部分はオケがNYPOであろうがロンドン響であろうが、
同じであったと思います。


逆にその分この曲のそれ以外の聴かせどころみたいなものがいろいろと感じさせられ、
前半でも印象としてあった、
この曲にはこんな面もあるのかという新鮮な部分も少なからずありました。

それにしてもオケの音が大きい。

この曲は打楽器こそ奏者が四人いるものの、
基本二管編成ということでブラームスの交響曲第2番あたりとそれほど変わらない。

にもかかわらずホール全体にじつに無理なく伸びやかに響くそれには、
ちょっと驚いてしまいました。

この指揮者ロシアフィルでも感じたけど、
けっこうオケから無理なく大きく伸びのある、
それでいて濁りの無い響きを引き出すことができるようで、
これがこの曲ではかなりものをいっていました。

特に第四楽章終盤の盛り上がりはじつに巨大なスケール感を持った圧倒的なもので、
かつてフェドセーエフがN響を指揮して聴かせたショスタコーヴィチの交響曲第1番を彷彿とさせるものがありました。

またこのときのN響の分厚い弦の響きもさることながら、
金管の野太いくらいの中低音が、
まるで往年のソ連オケのような響きを垣間見させるような凄みをみせたため、
それに輪をかけたような凄い音楽となっていました。


このため最後の〆も完璧に決まっており、
ひじょうに聴き応えのある充実感溢れる見事な演奏となっており。、
個人的には大満足のそれとなりました。


ただ残念なのはやはりこの曲メインでは、
この大ホールではなかなか満員御礼とはいかなかったこと。

もう少しより多くの人にこの曲とこの演奏を聴いてほしかったです。


最後に余談ですが、今月は本当ならデュトワ登壇月。
ですがご存知の通りのスキャンダルで今年だけでなく来年もN響へのそれは無いようです。

今年はそれでもヴェデルニコフ、フェドセ―エフ、
そしてなんとヘンゲルブロックという豪華版になったのは不幸中の幸い。

ただ来年はAプロが今の所指揮者未定のようなので、
できればまたヴェデルニコフに指揮してほしいところですがはたして。


以上で〆。

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「『ゴジラ』シリーズをめぐる言説の変化と問題点」という発表を聞く。 [ゴジラ]

「『ゴジラ』シリーズをめぐる言説の変化と問題点―一九五四年から現在の新聞報道を軸として―」
神谷和宏(北海道大学国際広報メディア・観光学院博士後期課程/北海道公立中学校教諭)


平成最後の「あんこう祭り」を泣く泣く蹴ってまで行ったそれ。

二日間にわたって行われた「コンテンツ文化史研究の十年」の、
その二日目の午前中の二つ目のそれとしてこれは行われた。


自分はあるきっかけから、
1954年11月3日から公開されたこの「ゴジラ」の、
その公開直後に最初に書かれた作品評を、
東京で発行されていた一般紙6紙とスポーツ紙3紙から拾い、
それをみながらいろいろと考えたことがある。

その時の雑感と9紙の内容は、
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14
に書いてあるが、
今回の発表でその時氷解しなかったいくつかの疑問や、
もやもやとした部分がかなりスッキリとした。

また発表終了後、講師の神谷さんとお話しした時、
ちょっとこちらの思い違いもあったので、
ここで今回そこから受けた感想のまとめをここに書くこととしました。

ただしこれは神谷氏の発表を評しようとしたものではありません。
あくまでも私感との突合せにより徒然的な感想文です。念のため。


神谷氏は今回「読売」「毎日」「朝日」の主要三紙のそれをとりあげ、
以下のように三つに細分化した。

① 人間が描かれるドラマ部分への批判
② ゴジラに性格が絵かがれていない部分への批判
③ 「キングコング」や「放射能X」など外国産SFに比べた際の稚拙さ。


神谷氏は①と②に関しては現代の視点からみるとあまり的確とは思えないものの、③に関しては後の「ゴジラ」の多様さを引き出す要因になったこともあわせると、的確ではなかったかと考えるという意見に達している。


またこれ以外にもこの三紙であげられた「科学的でない」という批判や、1954年以降の「ゴジラ」に対する紙評の変遷についてもいろいろと論じられた。

その中にはゴジラは何故皇居を襲わなかったかというものなども含まれ、なかなか興味深く、そして自分が抱いている疑問等に抵触するものもかなり多く、とにかくとても有意義なものとなった。


最初に神谷さんがあげられた三点+「科学的」云々の計四点について。

正直、この四つに分けてもらったのはとても的確で、こちらもとても考えが進めやすくなった。これはありがたかった。

実際神谷氏の指摘は、素っ気ない「サンケイ」を除けば、日経、東京も、先の三紙とだいたいよったりだ。ところがスポーツ三紙となるとやや状況が異なる。

確かにとってつけたように「性格」「稚拙」という部分にも気持ち触れているけど、それは論点というほどでもない。面白かったのは三紙とも、「もっと弾けた作品になってほしかった」という意味の事を書いているということ。

難しいことなど正直「どーーーーでもいい」という感じで、「徹底的にゴジラに話を集中させろ」「意表を突け」「理屈抜きの見世物にしろ」と、見方によっては神谷氏が指摘した、それこそ一般紙の見方(ある意味減点方式と言っていいのかもしれない)よりも、かなり積極的にこの作品を見ていた姿勢が伺える。

そしてこのスポーツ紙のそれを受けたかのように、翌年の「ゴジラの逆襲」は「ゴジラ」よりもふんだんに怪獣にスポットを当て、理屈抜きの見世物にしようとしたかのような作品となっている。

そういえば自分が小さい時にこの二作品をテレビで見た時、最初の一時間こそ面白さは互角だったけど、後半三十分は「見せ物」として圧倒的に「逆襲」の方が面白かったという記憶がある。

これが可能だったのも神谷氏が指摘した③の要素あればのそれだったのかもしれない。


また「科学」云々ということだが、このことに関しては1956年の「ラドン」以降にかなりの要素が付加されていく。さらに「地球防衛軍」以降は政治家や軍人よりも科学者の方が主人公やストーリーの主導権を握るケーズが急速に増えていく。

そして何故かそれを指摘されたゴジラそのものは、じつはその後1962年まで7年間の眠りについている。「ゴジラ」がこの時期作られなかったのは、他に作りたい企画がたくさんあったからという話を以前聞いたことがあるけど、ひょっとしたら「ゴジラ」と科学というのが、あまり作り手にとって相性がよくなかったのかもしれない。

実際1962年の「キングコング対ゴジラ」は、確かに科学者はでてくるけど、それほど科学者としての大きな存在感はなく、科学そっちのけで、二匹が当時のプロレスブームを反映しての、どったんばったん的な歴史に残る怪獣プロレスを展開している。


大気圏内ではあいかわらず各国が盛大に核実験を行い、前年にはベルリンに「壁」がつくられ、この年の11月には「キューバ危機」があった。そんな時代に科学とは無縁のこれなのだから面白い。やはりゴジラはいろんな意味でその存在そのものがシンプルすぎるため、主義主張とはあわないのだろうか。

もっともそれも二年後の「三大怪獣」で「気が短くて力持ち」的な性格を吐露するシーンがあらわれたことで性格づけされたことから、急速に科学やSF的な世界に足を踏み入れていく。このあたりを前述した神谷氏の指摘と合わせて考えるとじつに面白いものがある。

「ゴジラ」と「科学」そして「性格」という分析は今後このシンブルな怪獣の魅力と危険性を解くカギになるかもしれません。


あとこの新聞評については、いろいろと具体的な理由が欠如している事や、他の作品との対比が浅く、そのため話が深くならず単なる感想に堕しているため、書き手の熟練度が不足しているのではないかという事が発表内だけでなく、質疑応答でも指摘された。

確かに原稿の文字数等の兼ね合いもあり、そのへんを端折ったという同情的な見方もてきるけど、話のあらすじや出演者の名前等で埋めている所を大幅に削れば、このあたりも何とかなったのではないかという気がする。

ただこの当時、書き手は映画に限らずクラシック音楽でもその傾向はあり、そのことは当時来日していた外国の指揮者からも指摘されていた。ようするに経験値が少ない「井の中の蛙」的な部分がそこにはあったのだけど、映画評でもこのあたりがそのときあらわれていたのかもしない。作品以上に書き手が稚拙だったらそれこそお笑いものであるが、このあたり実際はどうなのだろう。


ところで書き手の話が出たのでついでにするが、これも質疑応答で出たけど、「何故9紙が揃ってゴジラが東京を炎上させるシーンで、誰も不快感や不道徳感みたいなものに言及しなかったか」という点が疑問としてあげられた。

これは書き手にそういう意識が無かったのは当然なのだろうけど、その要因が空襲の被害者は主に女性であったため、書き手がそこまで想いが廻らなかったのではないかという事が意見としてあがってきた。

聞いた話だけど、戦中、男子の中間層は戦地や基地に殆ど配属となり、老人と子供と女性が町に残るよう形となっていた。しかも子供は疎開させられていたため空襲にあった男性は女性に比べると確かに比率的にはかなり低くなる。

おそらく9紙の書き手全員が、戦争末期にちょうど動員されていたか、疎開していた年齢だったのだろう。だがそうだとしても、やはりあの炎上シーンは、東京をはじめ多くの都市が焼け野原となっていた現実を思うと、直接炎上を目にしていなかったにせよ、そこまで気持ちを巡らせないのは、書き手としていかがなものかと思う。

もし「シン・ゴジラ」で東京炎上だけでなく、ゴジラ上陸の余波で、鎌倉に大津波が押し寄せるようなシーンがリアルに挿入されていたらどうだっただろう。「のぼうの城」の津波シーンでの自粛したそれとは時期も違うので一概には比べられないけど、あのラストシーン等と合わせてみると、多少は何か声が上がってもおかしくなかったような気がする。

それを考えると、例え否定的な意見ではないにせよ全く触れなかったのは、前述した「書き手が未熟であり稚拙だった」という意見を含めて考えると、そのあたりは多少合点がいくような気がした。

また他の作品で空襲シーンがあるから当時はそういうものはタブーではないという意見も出たけど、自分には些か疑問が残る。特に「ゴジラ」は作品が作品だけに、そこで放射能バラまいてとどめに首都大炎上なのだからなおさらだ。

それとも一度地獄をストレートに観てしまうと、そういうことに平常時で育った人間とは違う感覚が生じてしまうのだろうか。それとも「あんなもの大空襲と比べたらおもちゃみたいなシーンだよ」というのが見た人たちの本音なのだろうか。確かに映画「パール・ハーバー」級の特撮ではないことは確かだけれど。

このあたりももう少し突っ込んだそれが必要だと思うけど、ただ自分にとっては、ちょっとしたきっかけにはなったような気がした。


「炎上」の話繋がりだけど、上でも述べたように、「ゴジラは何故皇居を襲わなかったのか」というそれもいろいろと出て来た。

自分はこのとき聞いた意見も踏まえた上で言わせてもらうと、ここには政治意図というものは皆無。

単純に名のある神社仏閣を壊す事同様「怖れ多い」「罰当たり」的な感覚があったからだと思っている。実際ゴジラは名のある神社仏閣は壊してないはず。もし壊していたとしても、それを明確かつ具体的に描いたシーンは無かったと思う。

まあ映画の撮影の無事やヒットを祈願して、スタッフ一同が撮影前に神社や祭壇を前にお払いをすることが多い業界が、よりによって名のある寺社をぶっ壊すという、「恩を仇で返す」ような事はさすがにできないだろうけど、それと同じことを皇居にも感じていた事は充分考えられるし、やはりそこはタブーというべき事柄なのだろう。それは右翼とかそういうこととはまた次元の違う話だと思う、もちろん興行成績にも響く事は確実だし、その後の東宝の各興行にも影を落としかねないものがある。

それじゃあ皇居が天皇及び皇族のお住まいでなければ壊したかという、じつはそこにも疑問は残る。ゴジラが炎上させたのは「銀座」「日劇」「国会議事堂」「勝鬨橋」と当時東京の名所や名のある建造物であったという事。浅草が無いのは斜陽になっていたという事もあるが、50mもある怪獣にとって壊しがいのある建造物がなかった事もある。これがもし「凌雲閣」が現存していれば間違いなくやっていただろう。

皇居も浅草同様に壊しがいのある建造物がじつは無い。ゴジラはこの作品の後三作品で、連続して三つの城を壊している。「大阪城」「熱海城」「名古屋城」だ。この三つの城に共通しているのは「天守閣」があること。

ところが皇居には江戸城時代の天守閣が無い。「ゴジラ」が制作される約三百年前にあった明暦の大火で焼失した後再建されなかったからだ。そうなると50mの怪獣が壊すだけのものがここには見当たらない。逆に国会議事堂が壊されたのは壊しがいのある高さと大きさがあったというのが理由だろう。

余談だが、松本人志さんが「ゴジラはなんで和歌山に上陸しないのか」と言ってまわりから笑いを誘っていた事があったけど、天守閣を有する和歌山城があるかぎり皆無とはいえない。はたしてゴジラはいつ和歌山に上陸するのだろう。

というわけで、こと皇居炎上シーンが無かったのは、別に政治的なものとかは関係ないというのが持論。


なんか雑談ばかりになってしまったけど、最後にひとつ感じたこと。


それは神谷氏によって提示された、1975年のシリーズ空白期の論評について。

これを見ていて思った事に、書いている人たちの世代がここでガラリと変わってしまったように感じられた事。

それまでの書き手は初代「ゴジラ」から順にリアルタイムで見てきた人だったのに対し、この頃から、ゴジラがガメラあたりに影響され、かつてのような恐怖の対象ではなく、子供たちのヒーローや人類の仲間となっていく過程のゴジラからリアルタイムで見始め、それと同時かやや遅れてテレビ等で「怖いゴジラ」を追体験していった人によるそれが感じられ始めた。

なんといっていいのだろう。確かに味方やヒーローのゴジラも親しみやすくていいけど、怖い時のゴジラのもつ圧倒的な凄さと様式美みたいなものを再認識し、そこに惹かれたことでゴジラのルーツを辿り、その変遷などを他者の要素と絡めながら考察するという、過去のゴジラに「劇場で巻きこまれながら見た」層ではなく、テレビで見たことで、それよりは少し退いたというか、やや冷めた眼差しで考察できる立ち位置からみ見る事が出来た世代に変わっていったという気がした。

そしてこの層はそのためか、けっこう「怖いゴジラ」の姿を新鮮に受け取り、その姿に対しての憧れと復権を強く思っているように感じられた。

1983年「ゴジラ復活フェスティバル」や「伊福部昭・SF特撮映画音楽の夕べ」が、あれほどのエネルギーを持ち合わせたのも、そういう事に対する強い欲求が原動力としてあったからだろうし、1970年代には「ゴジラは子供がみるもの」という決めつけや呪縛から解き放ったのも、この世代の積極的な動きがあればこそという事が、この日神谷氏が指摘した事や提示した資料等により、より明確に感じられる気がした。

庵野監督や樋口監督もおそらくこのあたりの世代だろう。だからこそ「シン・ゴジラ」は初代「ゴジラ」をリスペクトしながらもその問題点や可能性も入れ込んだ、あれだけエネルギーにみちた作品となったのだろう。

※1
(なお「ゴジラ復活フェスティバル」で上映された10作品は以下の通り。

「ゴジラ」(1954)
「空の大怪獣ラドン」(1956)
「モスラ」(1961)
「キングコング対ゴジラ」(1962)
「海底軍艦」(1963)
「モスラ対ゴジラ」(1964)
「三大怪獣地球最大の決戦」(1964)
「怪獣大戦争」(1965)
「キングコングの逆襲」(1967)
「コジラ対メカゴジラ」(1974)

というもので、特に「ゴジラ」ものに関しては、ゴジラ生誕二十周年記念作品となった「対メカゴジラ」を除けば、すべて田中友幸、本多猪四郎、円谷英二、伊福部昭、の四者が、それぞれ制作、監督、特技監督、作曲として参加した作品となっているのが興味深い。この上映内容が自分が上で、『「怖いゴジラ」の姿を新鮮に受け取り、その姿に対しての憧れと復権を強く思っているように感じられた』と思う要因となったもののひとつです。余談ですがこのとき「ゴジラの逆襲」が無かったのが今でも正直残念。)

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※2
(因みに神谷氏は1964年の「モスラ対ゴジラ」では、読売新聞の記事における書き手の姿勢には「外国市場に実績のある映画なのだから、この財産を大切にしてほしい」という記事にふれている。このシリーズ空白期にあらわれた新しい世代の人たちはこの姿勢を引き継いだ、それこそ「新伝承派」というべきひとたちなのかもしれません。)


なんかかなりとっちらかった、しかもしっかりとした神谷氏の論文に対して、自分の経験からきた憶測やイメージが主体となった感想文になってしまったけど、今回神谷氏のそれを聞いただけで、これだけの事がいろいろと思い浮かんだ次第。本当にいろいろと考えさせられ、そしていくつかの疑問が、かなりスッキリした感じになったのは本当にありがたかった。

尚、今回この会で配布された「予稿集」には本論の「まとめ」がある。これがなかなか的確で示唆にとんだものだけど、さすがにそれをここにそのまま書くことはできない。もしみる機会がありましたら、ぜひその「まとめ」はもちろん、その全文を読んでいただきたい。

とにかく神谷氏には感謝のそれしかあれません。この場を借りて心から御礼申し上げます。

ただ今回はそれ以上にいろいろと新しい疑問も湧いて来たけど、それはもう少しいろいろと精査した上での機会にということで。

以上です。


あとさらに余談ですが、初代「ゴジラ」が公開されて十年程経った頃、自分が子供の時母親から、「雨の日に傘を差さないで外に出ると頭が禿げる」と叱られた事があった。

これが何を意味するかは分かる方にはあれだと思われますが、大気圏内核実験が中止された後でも、このような会話が日常で行われていました。

それより十年前。大気圏内で盛大に核実験が行われていた時代にとって、核実験が一般家庭にとってどういうものだったか。そういえば前述した空襲もそうだけど、この放射能のシーンもよくよく考えると、それほど圧倒的に深刻に描かれていたとは思えない。一般紙の当時の酷評もこのあたりが感覚的に働いていたのかもしれないが、これも空襲と同じような理由なのだろうか。


最後にもうひとつ余談。

「ゴジラ」の評についての一般紙のそれを読むと、1956年に全米で大絶賛された後に若干流れが変わった感がある。

1952年のジーン・クルーパの来日公演、1955年のシンフォニー・オブ・ジ・エアの来日、1950年代全般に行われた日米野球やハリウッド映画の公開等々、このあたりじつはアメリカからのそれが雪崩のように日本に来た時期でもある。

このあたりは藤田文子さんの「アメリカ文化外交と日本」にもあるけど、こういう流れにも多少影響されたのではないかという感がある。

ただ当時はこの流れに反して、反資本主義的な論調も多く、アメリカ礼賛を良しとしない人たちによる、その流れというものを真向から頭ごなしに否定するものもあり、その立ち位置にいる書き手にとっては、例えアメリカで絶賛されても「ゴジラ」は1954年から、その否定的なそこからは動かなかったような気がするが、このあたりもあくまで推測でしかない。

ただクラシックではそういう評があちこちで散見された。特にそれは1960年代に顕著に見かけられたように感じられた。

このあたりもまたいつか論じられる事を期待したい。
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ニコライ・アレクセーエフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団を聴く(11/11) [演奏会いろいろ]

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11月11日(日) 開演時間:15時 文京シビックホール

曲目
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番【ピアノ】ニコライ・ルガンスキー
チャイコフスキー/交響曲第5番


テミルカーノフの代演として今回アレクセーエフが同行する事となったこの公演は、そのためある意味ひじょうに興味のある公演となりました。

アレクセーエフはかつて新日本フィルに客演したり、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニーの室内オケと来日したことがあるものの、それほど日本では知名度が高い指揮者ではない。

またいい意味での効果を狙ったりする演出や、ドラマ性や劇性といったものとは無縁の、極めて実直な指揮者なためスター性とも程遠いタイプなので、話題に上ることも少ない。

だが指揮者としての実力はたいへんなもので、特にオーケストラから「強い音」「明晰な音」をしっかり導き出す事に長けており、そういう意味では間違いのない指揮者というのが基本ラインにある。

かつて新日本フィルに客演した時は、このオケから驚く程野太く、迫力のあるスケールの大きな音楽を引き出した時には酷く驚嘆したが今回ははたして。


結論から言うと、以前聴いた時と基本ラインは変わらないが、以前より穏やかで、抒情的な方向に強く座標が向いたように感じられた。これは年齢的なものもあるだろう。

どっしりとした風格のある音楽や安定感、さらに長大なフレーズが連続したように聴こえるような音作りや、弱音の美しさは以前と同じイメージだし、弦が一枚岩で響くそれもほとんど同じだったが、音楽の表情、特に弦の歌い方が大きくなり、さらに以前より穏やかなイメージが今回は強かった。

またオケの音が以前聴いたこのオケと違う音が随所で聴こえた。

このオケ。ムラヴィンスキー時代は「苛烈」「強靭」というものがあり、テミルカーノフになってから「典雅」「壮麗」という、形から色へとその重きが変化していったが、今回はホールのせいもあったかもしれないが、その中間のような響きのように感じられた。

今回オケは18型対抗配置、そして金管はすべて弦と同じく山台無し、そしていつものようにトランペットもトロンボーンも、上を向くことなく常時やや楽器を下向きにして吹奏していたにもかかわらず、以前聴いた時よりかなり音量があった。

その分やや粗く響いていたようにも感じられたかもしれないが、オケをみているとそれはそういう音楽を無理強いされたというより、テミルカーノフより自由にさせたことからそういう方向に音楽が向かったようにも感じられた。

それは特に後半のチャイコフスキーに如実にあらわれていた。

(おそらく弦のボーイング等は、テミルカーノフのそれをいじらずそのままやったとは思うけど、それでこういう音が引き出せたとしたらこの指揮者、こちらが思う以上にオケをドライブする力が強烈なのかもしれません。)


なかなかそういう意味ではユニークというか、ちょっと先祖帰りしかかった音、それこそ一昔前の旧ソ連オケの演奏を彷彿とさせる瞬間が聴けたのは面白かった。それともこのオケの基本はここ半世紀、じつはあまり変わってないのだろうか。


因みに前半のラフマニノフは、オケを14型に刈り込んだものの、それでも随所にピアノを呑みこむような迫力を聴かせた。

ルガンスキーは相変わらず見事だったけど、ちょっと前半オケとうまく噛み合わない部分が散見されたのは、やはり指揮者が代演ということもあったのか。そういえばこの日はホールの開場時間が少し遅かったようだけど、そのあたりの練習や打ち合わせが長引いたためなのかもしれない。


最後はアンコールとして「ニムロッド」。

最近この曲はこのオケ、特にテミルカーノフが好んでアンコールとして演奏しているけど、ひょっとしてテミルカーノフはアンコールというより、この曲を自分の演奏会の「クロージングテーマ」としているのかもしれない。

それを思うと、アレクセーエフがこの曲を持って来たのは、ファンにとっての心づかいだったのかも。

それにしても、客席側からもらった花束をもって退場したのはともかく、再度舞台袖からあらわれた時、その花束をもって、しかもそれを高々と客席に掲げていたのはなんとも微笑ましかった。よぼと嬉しかったか、またある意味かなり緊張していたのだろう。

この日本公演、ぜひ指揮者もオケも成功してほしいものです。


あと余談ですが、テミルカーノフとアレクセーエフの位置関係を何かに例えるとしたら、かつてのフィルハーモニーにおける、ムラヴィンスキーとAヤンソンスのような関係といえるのかもしれません。

それくらいアレクセーエフはこのオケにとって重要な存在といえると思います。

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円覚寺と建長寺に行く。 [鎌倉~江の島(Kamakura/Enosima)]

去る11月4日に、鎌倉を代表する三つの寺社。

臨済宗円覚寺派の大本山、瑞鹿山円覚寺。
臨済宗建長寺派の大本山、巨福山建長寺。

に行ってきました。

尚、鎌倉五山の順番からいくと、
円覚寺と建長寺の書き方の順番は逆かもしれませんが、
北鎌倉駅下車で行ったので、訪問順ということでこの順番にしました。

この日はあいにくの雨天でしたが、
それでも日曜ということでなかなかの賑わい。

じつはこの日は両寺院とも
年に一度の「宝物風入れ」の中日ということもあり、
この賑わいとなったようです。

まず円覚寺から。北鎌倉駅から下車して徒歩一分。

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総門

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仏殿内の宝冠釈迦如来。

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選仏場内の薬師如来像。

またこの日は、

「記期間に合わせて「国宝 舎利殿特別公開」を致します。普段は立ち入りの許されない「正続院」の門の内に入り、「国宝 舎利殿」の正面近くまでお参りする事が出来ます。 」
http://www.engakuji.or.jp/events_gyoji.html?no=2

ということもあり、とても貴重なものを見せていたただ来ました。
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そして「風入れ」。
こちらは

「円覚寺の収蔵している文化財を、虫干しを兼ねて展示するものです。代表的な展示品としては、「重文 北条時宗書状」「重文 仏涅槃図」など、その総数は数百点に及びます。」

ということですが、
残念ながら写真撮影は不可。

ご覧になられたい方は来年以降ぜひお訪ねください。
たいへん見応えがあります。

ただたいへん中は厳粛で、
美術館でいう係り員にあたる方々が、
こちちらではお寺の方々が座禅をされながら各部屋にいらっしゃるという、
正直、こちらの背筋がピンと伸ばされるような雰囲気です。

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目録

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拝観券

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「舎利殿」と「風入れ」の拝観券

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お土産のシール


続いて建長寺。こちらは円覚寺から歩いて15分程のところ。

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建長寺山門

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鐘楼

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仏殿内の地蔵菩薩坐像。

ここの風入れも写真撮影不可。

ただこちらは円覚寺に比べるととても照明も明るく、
中野雰囲気も穏やかでした。

同じ臨済宗でもこう雰囲気が違うものかとちょっと驚きました。

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目録

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拝観券

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「風入れ」の拝観券

ここでは「けんちん汁」の販売もあったので、これをいただきました。

ただ「おにぎり」と「落雁」のどちらかを選ぶといのはかなり新鮮な感覚。

自分は「おにぎり」を。

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とても美味しくいただきましたし、身体もあたたまりました。

ただこのとき出ていた、

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このお菓子、「古都鎌倉」が絶品。


このあと鶴岡八幡へ。建長寺から歩いて10分程。

七五三ということでこちらも混雑でしていました。

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こに着いた時は雨もほぼ上がっていました。

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このあとは参道の「段葛(だんかずら)」を歩いて駅まで。

鎌倉駅までは徒歩15分ほど。

最後は駅構内で建長寺でいただいて美味しかった、

「古都鎌倉」を購入して帰宅。
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https://omiyadata.com/jp/souvenir/hanasakumachi-kotokamakura/

久しぶりの鎌倉は雨でしたが、
これもまたちょっと風流でした。

以上で〆。
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安田さんについての雑感 [いろいろ]

「身に起きた事に対しての自己責任という部分を、本人自身が自覚していたのはその発言で分かる。問題はいざそれが起きた時、それは否応なく安田さん自身だけの問題ではなくなってしまうという事まで読み切れなかったこと。ここの部分に対しての自己責任を世間は注視している。
ようするに「ジャーナリスト」としての安田さんと、「日本人のひとり」としての安田さん。この二つに対しての各々の「事故責任」というものをはっきり分けて安田さんが説明しないと、世間は安田さんの仕事や姿勢に理解も共感もしないと思う。「使命」なのか「無謀」なのか。難しいとは思いますが。」

「今の自分の安田さんに対するそれは、『無事帰って来てよかった、お疲れ様。ただジャーナリストとして行ったその志は立派だし分かる気はしますが、結果的に多くの人に迷惑をかけた事に対しては今後どう対応しますか』というかんじ。責めるというより、その姿勢とこれからの展望を聞いてみたい。」


と、自分は過去安田さんに対してのそれを書いた。

ところが最近、テレビ朝日の玉川さんに言わせると、

「日本人のひとり」とか「多くの人に迷惑」というのは、いわゆる「村社会」的発想であって、日本のそれが成熟していないあらわれということだった、


なるほどなあと思ったと同時に、今回の事で考え直さなければいけない事がひとつ浮かんだ。

今回の件、自分は最初これを、

「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告していたにもかかわらず、登山に入って熊に襲われ遭難した大馬鹿者」

と同じ図式にとらえていた。

だが実際には、

「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告している中で、災害にみまわれその被害に苦しみ、しかも熊によって孤立している集落の、その現状を知るため取材に入り、熊に襲われ遭難した人」

という図式だったようだ。

確かにこれだと最初のそれとはかなり様相が違うし、ある意味しかたないという部分もあるけど、それでもやはり「心配をかけさせるな」という部分は人によっては感じるだろう。

そこの部分を玉川さんは「村社会」と言ったのだと思う。

ただ、ならば村社会なりに納得させる。もしくはここまでのバッシングに至らせない手はなかったものかという気もする。

個人的には最初の時に「謝罪姿勢」がハッキリみえなかったことがある。

確かに「誰のための謝罪」とか「わざわざ心配しなくても、これは自己責任だから」と本人が覚悟していた部分を考えれば、そんなこと必要ないかもしれないが、「一応心配」をほとんどの人たちが捕まった時にしていたことを思うと、感謝と謝罪はやはりあって然るべきというのが、日本における「礼儀」であり「奥ゆかしさ」からくる「常識」としてあることは否定できない。

日本が村社会なら、郷に入れば郷に従えということくらいは、帰ってくるときにやはり一考を要してほしかった。ただこれも、ふつうの環境ではないところに三年以上もいたのだから、本人も解放されたとはいえ、まだ通常の神経ではなかったはずなので、そこの部分は大目にという事も言えると思う。なのでそういう部分はマスコミがうまくフォローしてほしかったとも言える。そこの部分は玉川さんはどう考えていたのだろうか。


ただ安田さんに一言言いたいのは、正直、自分の命を少し軽んじていなかったかということ。

かつて冒険家の植村直己さんは「必ず生きて帰ることが本当の冒険」と言われていたとか。

それを思うと、そこまでの考えや覚悟が果たして、そのとき本当に安田さん自身の中で常にあったのかということ。それに対し、安田さんは帰国後、かなり後悔されていると感じられる部分が発言の中にあったので、今後は二度とそういうことがないよう、より厳しく自分をコントロールしてほしい。


今回の件で得た情報や体験、そして反省を広く知らしめることが、これからの安田さんの本当の仕事となるだろう。自分はそこの部分でのこれからを評価したい。

あとこれはハッキリ言うけど、安田さんは英雄ではないし、賢明とも言い難いところがあったし、もしもの事があったら、正直「過失による犬死」になりかねないところだった。運悪く拉致されたものの運良く生きて帰って来た。それ以上でもそれ以下でもない。

そこの部分を安田さんは今回の事のそれとして生涯肝に銘じておいてほしいです。それが生きて帰って来た人としての、せめてもの姿勢だと自分は思います。

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駅伝残酷物語 [スポーツ]

というかんじだった今日のプリンセス駅伝。

なんかみてられないシーンの連続で、
申し訳ないが途中でチャンネルを変えてしまった。

正直今のシステムだと、
運営委員の人たちも簡単には止められないし、
そばにチームのスタッフがいても、
監督やコーチとのそれがなければ、
本人が「やめる」という意思表示をハッキリ示さないかぎり、
そう簡単に止めることはできないだろう。

また本人も自分がやめたら他のみんなを道連れにしてしまうと、
それこそ意識が無くなるまで自分自身ではやめると言わないと思う。

正直これはとても危険だし、
取り返しのつかない事態がいつ起きてもおかしくない。

今回のこのシーンをみてて
「感動した」「泣けた」という人がけっこういるけど、
自分はとてもそんな気持ちにはなれなかった。

だいたい駅伝はアクシデントをみて感動したり泣いたりしたりとか、
そういう類のものではないと思う。

いくらなんでもそういうタイプの命がけのスポーツではないはず。

こんな残酷なシーンをこれからたびたび見せつけられたら、
正直もうとてもこれはスポーツとは呼べない。

レース途中で水の補給が可能になり
今回それをしたものの、
やはりダメだった選手もいたことを思うと、
試合の高速化や環境の変化等を考えると、
もう今までのそれではダメなのかも。

なのでルール変更をさらに再考してほしい。

例えば、今回のような事態になった場合、
運営委員がすぐにチームの監督コーチに伝達し、
「とめてください」という了承がでたらそこで止め、
そこから事前にリザーブしていた補欠の選手をそこに向かわせ、
そこの地点からたすきを受け取り続行して走らせる。
ただし中継地点が目の前の場合は、前の走者がそこまで行ってたすきを受け、
そこからスタートすることも可能といった具合に、

このようなある程度の緊急事態に備え、
救済措置等を考える必要があると思う。


そうしないと連帯責任だからといって無理をして、
選手生命的に取り返しのつかない事態が起きたり、
最悪の場合は一命にかかわる事態さえ起きかねない。


特に後者が起きてからではあまりにも遅すぎるし、
それはチームメイトやスタッフにも重く十字架として永く圧し掛かってしまいかねない。

そういうことを防ぐためにもぜひ一考を要してほしい。

ほんと、信じられないくらい悲惨で残酷な大会でした。


もうあんなシーンは絶対見たくない。

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病院での話 入院時の話 [いろいろ]

病院の話

自分はかつて6回泊まり込みで病院送りになったことがあるし、
身内の看病等で長期間病院に通ったり泊まり込んだこともある。

病名も病院も、また入院期間もまちまちだったけど、
そこでちょっと病院での入院生活について書きたいと思う。

病院は手術絡みの場合はその前日に入院となるけど、
全身麻酔等をするような規模の大きな手術になる場合は、
その数日前だか数週間前だかに
採血、採尿、心電図、レントゲン、その他諸々の検査がある。

それで手術OKかどうかの最終判断みたいのをするらしい。

そして入院。

生活サイクルはほぼどこの病院も同じで、
手術当日とか翌日は違うけど、
それ以外だいたい次のようになる。

6時起床。すぐに体温を自分で測り看護師さんが来たらそれをみせる。

8時朝食。

午前中に診察があり、外来の人と同じ場所で診察を受ける。

12時昼食。

18時夕食。

21時消灯。


と、だいたいこんな感じ。

あとはただ寝てたり、テレビをみたり、本を読んだりみたいな自由時間。

もちろん病状によってはその間も点滴をしてたりと、
いろいろあるけどだいたいはこんなところ。

このため正直ちょっと夜型人間には辛い。

特にテレビに関しては、
今はだいたいどこの病室にも個人用のテレビがあるけど、
21時消灯のため、深夜アニメどころか、ドラマやEテレのクラシック音楽、
さらには21時以降のニュースすらみることができない。

音はイヤホンなのでいいと思うかもしれないけど、
画面から出る光は消灯されるとかなり目立つ明るさになるので、
いろんな意味でそっと見ようというのは無理なので、
とにかく21時以降のテレビは諦めるしかない。

その代わり朝早いので、
8時以降に放送されるワイドショーはとにかく見てしまうので、
退院するころにはやたら芸能ネタに強くなってしまう特典がある。


また、
高校野球中継、相撲中継、マラソン中継、駅伝等々、
このあたりが放送されると時間つぶしにはもってこいとなる。


そんなわけで人によっては、
生活のそれが大きく変わってしまうことになるけど、
これはもういたしかたないこと。

自分はCD派なのでよくCDを持っていくけど、
DVDが見れるテレビ付きの病院もあるので、
入院とするときこの辺りは要チェックかと。

ただ盗難に気を付けなければいけないので、
鍵のかかる引き出しのスペースの大きさ等も、
事前に聞いておいた方がいいと思う。

それによっては安心してパソコンを持ち込めない病院もあるかも。

また冷蔵庫が備え付けてある場合は、
病院によっては2リットルボトルが入らない場合があるので、
このあたりを持ち込む予定の人はここも要チェック。

あとお風呂は毎日は入浴できないところがほとんどなので、
このあたりもやはり聞いておいた方がいいと思う。

それと大きな病院だと、
寝巻、タオル、その他がレンタル会社と契約しているところがあり、
それを利用すると持ち込む荷物が少なくてすむ。

また下着も洗濯できる場所があるので、
長期入院の場合はそのやり方も聞いておいた方がいいかもしれない。


ここで全身麻酔系手術の話。

簡単な手術の場合は朝の飲食に制限がでるくらいだけど、
全身麻酔系の手術となるとそれ以外にも、
前日あたりから水分補給に制限が出始める、

もちろん手術当日は朝食無し。

そして手術が行われるけど全身麻酔はほんと一瞬。

「では麻酔を身体にいれます」
と点滴からいれはじめたそれを確認して数秒で完璧に眠りにおちた。

次に気づいた時は肩を軽く叩かれながら名前を呼ばれていた時。

この間、感覚としてはニ~三分寝てたかなと言うかんじたけど、
実際は数時間経っていた。

もちろん手術は終了。

知らないうちに口に突っ込まれていた気管チューブも、
尿道カテーテルも外されていた。

そして翌日まで絶食、絶飲、口にはずっと酸素マスク。
もちろん点滴も延々と続いている。
ただそれが苦にならないほど程とにかく翌日までなんかだるかった。

人によっては尿道カテーテルや、
口から入れた気管チューブの関係で痛みを訴える人もいるようだけど、
自分は幸いそういうことはなかった。

手術翌朝に点滴を除くすべての制限が解除されるけど、
だいたい手術前から数えて、
36~40時間くらいとにかく制限と安静が続くと思っていい。

特に術後は長く感じる。


ところで入院していると、
当然だけど看護師さんが潤沢にいる時間とそうでない時間がある。

一番潤沢なのは平日の朝食時から夕食時の間で、
この間はけっこうこちらも安心して、
ベッドに備え付けのナースコールのボタンを押す事ができる。

だけどそれ以外となると急に人が薄くなる時間帯がある。

特に夜間、消灯~起床までの時間帯はかなり薄い。

おそらくワンフロアに2~3人の看護師さんしかいない。

つまりたった数人で全病床の患者さんを管理し、
すべてのナースコールに対応することになる。

当然時間帯によってはナースコールが集中し、
ほとんど鳴りっぱなしの時もある。

正直みてて本当にたいへんとしか言いようがないほどで、
時給一万円でもいいらくらいの激務に自分には見えてしかたなかった。

なので自分は深夜帯には極力ナースコールは使わないようにしていた。
ただもちろん、これはキツイというときはしましたが。


あとこれはちょっと悲しい話だけど、
夜中に急に看護師さんが慌ただしくなると、
こちらも急に緊迫することがある。

患者さんの容態急変。

そのときは看護師さんが廊下を走ったりする音などが聞こえ、
本当に緊迫したそれが痛いほど伝わってくる。

また場合によっては、
急変した患者さんの部屋にいる、
他の患者さんを一時的に別の部屋等に移動する場合もあるという。

理由はあまり言いたくないのでご察し下さい。


そして翌朝。

前日まであまり体調が良くないと思われる方のベッドが、
すっかり綺麗になっていて誰もいないそれになっており、
部屋の入口に昨日まであった名札が無くなっているのをみると、
なんとも言葉では形容できない気持ちになってしまう。

そんな時は自分のベッドに戻るといろいろと深く考えこんでしまうので、
不謹慎かもしれないけど、
そういう時はすぐテレビをつけて何かをみたりするようにしていた。


また自分が眼科で入院していた時看護師さんに

「一緒の病室に内科の患者さんもいます。内科の方は食べたいものも食べられない方もいるので、できれば朝昼夕の食事以外で何かを食べるときは、まわりに気を使ってください。」

と言われたことがあった。
そのため差し入れで食べ物が来た時は、
部屋を出て休憩所みたいなところで食べていた。

このようにけっこう気をつかう事も多い。

あとたいへんなことといったら、
夜中に他の患者さんがかく怒涛のようないびき。

かならず6人部屋くらいになるとお一方は、
こういう凄いいびきをかかれる方がいる。

もうそういう時はひたすらこちらも耐えるか慣れるしかない。

また夜中に急に泣き出す子供や、
大きな声で痛みを何度も訴える方等々、
とにかくナースコール等も含めて、
夜の病院はずっと静かということはまずない。

また何時間かに一回はかならず看護師さんが見回りにくるので、
夜行バスにおける二時間おきのICでの停車ほどではないけど、
気になる人は気になってしまうかも。

このため最初は夜は眠れず、むしろ昼によく寝ていました。


とにかく病院はいろいろな事がありますし、
特に初めての方はかなり気を使われると思います。

ただ上で書いたことを必要以上にヘビーに考えることはないです。

また食事も想像よりずっと美味しかったです。


と、こんな感じです。

ただ中には古い所で、
テレビや各病床を仕切るカーテンが無い病院もあるかもしれませんし
これとはかなり違う形態の病院もあるかもしれませんが、
自分が知っている所はだいたいこんな感じです。


何かの参考になれば幸いです。


〆です。

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ブロムシュテット指揮NHK交響楽団を聴く。 [演奏会いろいろ]

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自分が初めてブロムシュテットの実演に接したのは、1981年の東京文化会館での演奏会。
シューベルトの「未完成」とブルックナーの4番をSKDと演奏したものだった。ただこれは最初から予定していたコンサートではなく、同年5月に来日予定だったムラヴィンスキーとシモノフが指揮するレニングラードフィルの来日公演が中止になったため、その払い戻しで浮いたお金で行くことになったものだった。

しかもお目当ては、SKDのブルックナーであって、ブロムシュテットのブルックナーではない。つまり自分にとってブロムシュテットは当時その程度の指揮者だった。

ただその時の演奏があまりにも素晴らしかったため、その後はブロムシュテット目当てで聴きにいくようになったが、2018年まで行ったブロムシュテットの演奏会が今回を合わせても9回というのは、やはり決して多くはない。もっともその理由に指揮者に対する不満など微塵も無いのですが…。

自分のブロムシュテットへの立ち位置が以上であることをまずここで明確にし、以降今回の感想を書くことにします。


最初のモーツァルト。10型基本の対抗配置による演奏。

冒頭かなり音が硬い。まるでベーム指揮BPOによるモーツァルトを聴いているようだけど、それよりは音が清澄な趣がある。動的ではあるけど几帳面な演奏という印象。

だが今回その徹底的な反復により三十分を遥かに超える演奏となったそれは、音楽がすすむにつれ次第に柔軟かつロマンティックな趣がそこに加わり、しかもドラマティックな要素も感じられる、それこそワルター指揮のNYPOのそれに近しい雰囲気へと徐々に変わって行った。

それは演奏の主導権が指揮者からオケへと移って行った結果といえなくもないけど、そのために一貫性が無いとかそういう不満が生じなかったのはブロムシュテットの力量か。

ただ弦の響きというか音程がらみによる音の濁りみたいなものが後半ときおり聴かれたのは、コンマスのキュッヒルの強い牽引力とのバランス感覚から生じたためなのかもしれないけど、NHKホールのような響きだとこれは聴き手によってはけっこう好き嫌いがでてしまったかもしれない。

ただ演奏の狙ったものとしてはとにかくなかなか面白く、また長大になったにもかかわらずダレることなく音楽の流れと緊張感が高いレベルで持続されたのには、とても強く感銘を受けました。

ここで休憩を挟み後半のブルックナーへ。


こちらはモーツァルトに比べるとずっと標準規格だけど、指揮者の音楽の支配力はより強固にあらわれていた。対抗配置はそのままで16型。

第一楽章。前半オケのトゥッティ、特に金管の濁りが若干気になったけど、それはかつてのN響がただ大きな音を鳴らせばいいみたいに、無機的かつ無表情な音が力任せに鳴らせたものとは違い、指揮者の音楽に全力で奉仕しようという、この演奏にN響のかけている意気込みみたいのものが、気持ち的にやや前のめりになった結果の些細なそれという感じだった。

その後その部分も落ち着き、全体的にはひじょうに若々しく、それこそベートーヴェンの交響曲を聴いているかのような、ひじょうに積極的に音楽を攻めているような姿勢が随所に感じられた。第一楽章終盤で、「ああ、この曲はベートーヴェンの第九と同じニ短調なんだ」とあらためて思わされたのも、そういう部分が作用していたのかもしれない。

またそこには年をとった指揮者の「老熟」や「神かがった」とは違う、ひじょうに人間的に感情の起伏と機微に富んだ、むしろ壮年期や円熟期にみられるような音楽という感さえした。とにかく若さと運動性を感じる演奏でした。

それは第二楽章でも同様で、ここではさらにテンポの動かし方もいろいろと凝らされていたけど、晩年のヨッフムが日本で演奏したブルックナーの7番でも、同じスケルツォ楽章で大きくテンポを変えていたことを、このとき何となく思い出してしまった。

しかしブロムシュテットの音楽は本当に若い。軽快さや瑞々しさをこの年齢でこれほど失わないというのは、本当に奇跡といっていいのかもしれない。おそく何も知らないで聴かされたら、50代から60代の指揮者の演奏と思ってしまうだろう。それくらいの鮮度の高さだ。

そして終楽章。冒頭の弦こそ生々しい、極めて情念的な響きだったけど、全体的にはむしろ淡々とした、それでいて音楽そのもののメリハリはしっかりとられたものとなっていた。

それは途中から、ひょっとしてこのまま第四楽章まで演奏してしまうのではないかと、そう思わせるほどの流れに充ちたものになっており、いつの間にか「えっ、もうここまで曲が進んでるの」と驚く程でした。もっともだからといって小味になったり食い足りないということもなければ、音楽がぎゅう詰めになったり、雑に流されたりということもな。、とにかく清澄な音の流れを湛えた、ほんとうに「第三楽章であって終楽章ではない」でも「終楽章としても成立する」という、絶妙なこれは第三楽章となりました。

じつは自分はここ二十年程、この曲が第三楽章で終わることが生理的にダメで、「テ・デウム」なりSMPC版の第四楽章をさらにつけてもらえないと無理という感覚になっているが、この日のそれはそんな自分でもかなり納得できるものとなっていました。

ただ好事魔多し。

この第三楽章の最後の音が終わった後。確かに音の響きそのものは消えていたかもしれないけど、音の余韻がまだ濃厚にホールに感じられる、しかも指揮者もオケも構えを解いていないタイミングで一部から拍手が起きた。

その瞬間ホール内で「えー」という声とも騒めきともつかないものが漏れたように自分には感じられた。

そのせいなのか、それとも指揮者もオケも構えを解いていない事に遅まきながら気づいたせいか(もしくは自分の所からは目視できなかったけど指揮者がそれを制止したのか)、この拍手はすぐに鎮静化し、再びホールは沈黙に支配された。

幸いこの時点でもまだ第三楽章の余韻はある程度感じられるほどに残っており、それが霧散したと思われたころ指揮者もオケも構えを解きこの演奏は終了した。

そう、じっさいはこの段階で演奏が終了したのであって、それを演奏者を無視して、聴衆側が勝手に終了の拍手をするというのは、「はいはい終わりましたね、ご苦労様ご苦労様」というくらい失礼なもの。

これがオペラみたいに総合的なものならともかく、クラシックの演奏会では演奏家が「音」そのものに生命線のすべてを託しており、それが完全に終了するまでは、音楽は演奏者が創造している最中であり、当然音楽はまだ演奏者のもの。そして聴衆はそれが完全に終了=完成した瞬間に演奏者から自分ものとして感銘を受け感動を得ることができ、そのお礼として拍手をする。

そこの部分にまでもし考えが及んでいれば、あのような拍手は絶対に起きない。以前も言ったけど、ごはんを食べるとき「いただきます」という、せめてそれくらいの気持ちをもって音楽に接してほしいといったのは、こういう部分があるからです。

めんどくさいかもしれませんが「郷に入れば郷に従え」であり、作曲者、そして演奏者に最大限の敬意を払うなら、これはもう必須かと。

けっこうこのあたり深刻な問題になってますし、今まででは考えられない事に、著名な音楽評論家の方からも「テロ」という言葉でこれらに類する行為が厳しく糾弾されています。このあたり、ほんとうに聴き手側もじっくりと「何のための拍手」かを考察する時期に来てるのかもしれませんし、これを雑誌で大きく特集として継続的に取り上げていい時期なのかもしれません。


最後はちょっと説教モードになってしまいましたが、ただそれにもかかわらずこの演奏会そのものの感銘に大きな傷がつくことがなかったのは幸いでした。

今年91才のブロムシュテット。一部でやや神格化しているようですけど、自分にとっては以前から聴いているブロムシュテットとそれほど大きな違いはなく、かつてよりは肩の力を抜きながらも、より大胆な表現を付加したスタイルになったかなという感じで、本人よりもむしろまわりの方の扱い方の変化が大きいような気がしました。

ブロムシュテットが今後も現在の健康や体力を維持し、充実した指揮活動を続けるかぎり、おそらくこれから何年経っても自分は同じことを言ってると思います。ただ今度はどの程度大胆な事をしかけてくるのだろうという、そういう部分の愉しみはより大きくなるだろうなという気はしました。

そういう意味でブロムシュテットは、新しい世界への扉を開くためにひたすら歩み続ける音楽家なのかもしれません。


以上で〆です。

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カール・ベームのモーツァルト交響曲全集 [クラシック百銘盤]

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CD1
・第1番変ホ長調K.16
・第4番ニ長調K.19
・第5番変ロ長調K.22
・交響曲ヘ長調K.76(42a)
・第6番ヘ長調K.43
・第7番ニ長調K.45
・ト長調K.Anh.221(45a)『旧ランバッハ』

CD2
・ト長調『新ランバッハ』(L.モーツァルト)
・変ロ長調K.Anh.214(45b)
・第8番ニ長調K.48
・第9番ハ長調K.73(75a)
・第10番ト長調K.74
・ニ長調K.81(73l)

CD3
・第11番ニ長調K.84(73q)
・ニ長調K.95(73n)
・ニ長調K.97(73m)
・ヘ長調K.75
・第12番ト長調K.110(75b)
・ハ長調K.96(111b)

CD4
・第13番ヘ長調K.112
・第14番イ長調K.114
・第15番ト長調K.124
・第16番ハ長調K.128
・第18番ヘ長調K.130

CD5
・第17番ト長調K.129
・第19番変ホ長調K.132
・第20番ニ長調K.133
・第21番イ長調K.134

CD6
・第22番ハ長調K.162
・第23番ニ長調K.181(162b)
・第24番変ロ長調K.182(173dA)
・第25番ト短調K.183(173dB)
・第27番ト長調K.199(161b)

CD7
・第26番変ホ長調K.184(161a)
・第28番ハ長調K.200(189k)
・第29番イ長調K.201(186a)
・第30番ニ長調K.202(186b)

CD8
・第31番ニ長調K.297(300a)『パリ』
・第32番ト長調K.318
・第33番変ロ長調K.319
・第34番ハ長調K.338

CD9
・第35番ニ長調K.385『ハフナー』
・第36番ハ長調K.425『リンツ』
・第38番ニ長調K.504『プラハ』

CD10
・第39番変ホ長調K.543
・第40番ト短調K.550
・第41番ハ長調K.551『ジュピター』

カール・ベーム指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音時期:
1959年10月(第32・35・38番)
1961年12月(第40番)
1962年3月(第41番)
1966年2&3月(第26・31・34・36・39番)
1968年3&11月(上記以外すべて)

録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会


ベームはベルリンと63年から71年にかけて、
シューベルトの交響曲全集も同じDGに録音しており、
彼にとってこの時期の二大金字塔とも
いえるひとつとなっている。

特にモーツァルトは当時LPで15枚組という、
交響曲BOXとしては稀に見る大作だけに、
これが完成してしばらくは決定盤とされたものでした。

ですがその後DGがウィーンフィルと契約、
ベームがウィーンフィルといろいろと録音をしはじめると、

「これがウィーンフィルだったら」

といわれ、やや株を落しものでした。

その後モーァルト演奏がピリオドものが主流となっていくと、
たしかに全集としてはそこそこの価値は認められてはいたものの、
このベーム盤は次第に時代遅れの産物といわれるようになっていきました。

またピリオドものではないモーツァルトが好きな人の中でも、
ウィーンあたりのオケの演奏に比べ、
あまりにも安定しすぎて面白味に欠け、
華やかさやしなやかさ、
そしてチャーミングなものもあまり感じられないといわれ、
あまり好んで聴かれるというものではありませんでした。


そんなベームのこの全集を久しぶりにじっくり聴いてみた。

一部では真偽のほどは確認できなかったけど、
カラヤンがベームのベルリンセッションが多いため、
DGにウィーンフィルとの契約をせっつかせ、
録音の場をウィーンに早く移してもらおうと考えたという、
その要因のひとつといわれた全集らしい。

たしかにここでのベルリンフィルは、
カラヤン風の艶やかな響きもあるようには感じるけど、
それはむしろモーツァルトだからそうなったのであって、
ベルリンフィルにしてはかなり素朴でストレートで丁寧な響きという、
そういう印象が強く、
カラヤンよりベームのオケといってもいいような、
そんな趣もけっこういろいろと感じられる。

それを思うと先の話も、
けっこうかなり確度の高い話だったのかもしれません。


とにかくここでのベームはそれらに加え、
ドレスデンで培った折り目正しくフォルムを疎かにしないスタイルが、
ベルリンフィルを指揮したことでより際立った感があり、
ある意味とてもベームらしい演奏と自分には感じられた。


そう言えば当時ベームとウィーンフィルのことを、
互いに不足している部分を補った理想的な組み合わせと絶賛されたけど、
このベルリンフィルとのそれを聴くと、
確かにウィーンを指揮した時のベームには感じられない、
より強い朴訥さと色気の無さを強く感じる。

だがそのことがウィーンフィルによって中和されることのない、
ベーム本来の特長のようなものとして、
ひじょうに明確にあらわれた演奏ともいえる。

それだけに逆にウィーンあたりのそれに比べると、
好き嫌いがハッキリしてしまう内容ともいえるけど、
これほど質実剛健で、
ある意味ハイドンの影響を強く感じさせる、
きっちりとしたフォルムと明快さを感じさせる演奏というのも珍しく、
モーツァルトのある面を明確に浮かび上がらせた、
しかも考えようによっては、
後に主流となるピリオドのそれと、
みている景色はかなり似たようなものなのではないかと、
とにかくいろいろと考えさせられる内容にもなっている。

劇的なドラマ性とか流動感より、
いい意味での中庸かつガッシリとしたつくりの、
門構えがしっかりとした様相を呈したモーツァルト。

真面目で飾り気のない愉悦さに背を向けたようなモーツァルト。

しかも演奏しているのがカラヤン時代のベルリンフィル。

それを思うと、
彼のシューベルト全集同様、
聴く度にいろいろなことを考え想起させられるものがあります。

それにしても弦も木管も素朴だけどどこか爽やかで、
いい意味で乾燥した響きが個人的にはけっこう好み。

若い時は正直やや避けていたような所があったけど、
歳をとるとみえてる風景画年々変わるように、
このモーツァルトもまた違って聴こえてくるのかもしれません。

カール・ベームが65才から74才にかけての録音です。
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